日本の英語教育について (3)

慶応義塾大学医学部卒業の外科医で同時にワンダーフォーゲル仲間でもあり、専門分野にあっては脳外科医として世界的に著名な存在で外国文化との接触も多い河瀬斌君からのメールをまずご紹介する。

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私の大学時代の英語の先生は読書は専門的に優れるけれど、public speakingは全く通じない先生でした。学校で教科書を読む学び方は最も非能率的です。その頃の日本人の「英語教育は教養」という観念は誤った概念でした。そのため英語が堪能な人の前では「教養のない自分を隠して」決して自分の英語を話そうとしない人が大半でした。

 私が初めて国外に出た時悟ったことは、英語は世界の人と通ずるための「道具」であって、「教養」ではない、ということでした。自国語を流暢に話す人が英語に不得手なのは当然であり、最も困るのはそれを恥じて話さないことだったのです。下手な英語で身振りおかしく自分の考えを「シナポコペン英語」で懸命に説明しようとする日本人を外国人たちは返って親近感を感じたのです。欧州でさえも英語は自国語ではない人が大多数ですから。
 最も大切なのはうまい英語でなく、話や技術の内容なのです。日本人の持つ独特な文化や専門技術に彼らは尊敬の念を感じるのです。仕事上専門英語を必要とする人はこれら専門分野の特殊な言語や話す場(会社出張、大学研究室や学会)の場に慣れる必要があります。専門分野の言語数は限られていますので、その道に進むと数年で習得できるようになります(私のいる医学分野のように)。しかし日本人はお人好しが多いので、若い頃にその発表をうっかりすると、その独創的な技術を狙っている外国人に盗まれることに注意する必要があります(経験者は語る)。
 それ以外の英語は日常のcommunication toolとしての必要性ですから、それに上達する最も良い方法は小さい頃からEnglish speakerを友達に持ち、彼らと遊びながら自然の会話をすることなのです。特にhearingは彼らから耳を通じて覚えるとが重要です。私は最初の欧州旅行前にその当時独創的であった大学の「英語聴覚ラボ」に通いました。子供にGlobalな、国際的な仕事をさせたい人は、子供の頃から外国人の友達と交わる環境作りをすることが最も大切ですので、そのような学校に入学させることでしょう。ですから私は医学部の教授時代に外国講演で知り合った数多くの外国人留学希望者を受け入れ、大学のカンファレンス、研究室、医局旅行などで医局員たちが留学生と英語交流できるシステムを作りました。それによって医局員が無料で英語を話し、聞こうとするチャンスが大幅に増え(標準英語とは限りませんが実用的)、医局員の外国留学しようとする気力が大幅に増えました。
 しかし若者に最も大切なことは、『人にできない能力を持たせる』ことであって、秀逸な英語を話す能力ではありません秀でた英語を話す能力は通訳に任せればいいのです(大谷翔平のように)。最近ではAIの進歩で同時通訳ロボットやスマホなどがありますので、今後はすべての人に英語を学ばせる必要性はますます低下してくることでしょう。
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(菅原)小生の経験(IBM)からも、貴意に100%同意。これに尽きます。

、『人にできない能力を持たせる』ことであって、秀逸な英語を話す能力ではありません。と言う教育に、日本はなっているでしょうか。

(船津)皆様 社会生活でトップに立たれて生活された方ですから「当たり前」のことが当たり前に見えるのだと思いますし「普通」の知識、教養をお持ちですから「人に出来ない能力を持たせる」と言う事は当然大事だとお考えで当たり前のお考えになっておられると思います。
河瀬斌さんも「子供にGlobalな、国際的な仕事をさせたい人は、子供の頃から外国人の友達と交わる環境作りをすることが最も大切ですので、そのような学校に入学させることでしょう。」と言われているように今や日本も日本だけでは仕事は難しくなり-簡単な仕事でも-国際的に働かざるを得ない状態に成って来ていると思います。
小中学校英語教育についてやり方が大問題なようです。英語教育のMethodを修得した方が日本に来て英語教育をしているなら良いのですが、本来日本の先生の補助で、只英語が話せると言うだけで来日しているようです。従って小中学校英語教育特にフォニックスなどを強化して教え方の問題だと思います。

(安田)英語を通常の義務教育以上に専門的に学んではいませんが、「必要は発明(上達)の母」を実感した学生時代の世界一周の旅の2年間でした。英語は世界の人と通ずるための「道具」或いは「手段」だとのご指摘はまさにその通りで、より深く通ずるためには「道具」の質の向上は必要でしょう。仕事で英語を主たるコミュニケーションの手段として使用せざるを得なかった米国籍会社勤務時代もその感を強くしました。

しかし、ある程度道具が使えるようになれば、もっと重要なのは、その道具を使う本人の「魅力度」「能力」「人柄」とでも呼ぶべき、「道具」の質とは全く異なる、個性の育成と深化或いは熟成です。少年時代からの教育は、まさに「道具」の習得と、併せ人としての魅力度・能力向上を目指す個性の育成の両方がバランスよく達成されることが理想でしょう。少年時代に受ける英語教育の質と内容は、その子供の家庭環境、家計の経済状況、両親の意識などに大きな影響を受けます。経済格差が教育格差に直結する現実が存在します。幼少時代に個性の育成と道具(英語)の習得のどちらに重きを置くべきかと問われれば、「金太郎飴的な教育」から脱皮して『人にできない能力を持たせる』個性の育成教育だと答えます。大谷翔平の例を挙げられましたが、まさに至言です。

AIの進歩、同時通訳ロボットやスマホの普及に伴い、国民全員に等しく小学生時代から義務教育の必須科目として英語を学ばせるかどうかについては、絶対必要だと積極的に賛成する理由が見つけにくい。更に、英語教育に割く相当な時間がバランスのとれた子供の教育には弊害とはならないかなど慎重に検討する必要はあると思う。ただし、英語を喋る質と書く内容でその人の鼎の軽重が問われる仕事に従事する(する積もりの)人は、質の向上が必要不可欠なのは言うまでもない。

(編集子)
河瀬君の意見に全面的に賛同するが、自分が英語をどうやって学んだかを外資系企業で働いた立場から参考までに書いてみて、今後の議論の材料としたい。
自分が大学を卒業した1960年初頭はいわゆる高度成長期のはじまりにあたったが、いわゆる ”外資系” の評価は決して高くなかった。同期の(お世辞抜きに抜群の秀才だった)故後藤三郎が日本IBMに就職したことは異例中の異例と受け止められた。小生は就職2年目に勤務先の横河電機がヒューレット・パッカードとの合弁を開始し、新会社(YHP)に移籍することになり、予想もしなかった ”外資系” でのサラリーマン生活に直面した。
高校時代から英語はまあ得意な学科だったが、”外資系” に就職したからと言ってすぐさま英語での会話が必要になるとは想像していなかったし、この時点での会話能力は前回までの話で言えば ツーリストレベルとビジネスレベル1 の間くらいだったろう。しかし、いろいろな事情があって新会社にHPからの役員が常駐するようになったとき、たまたま ”労働組合の現状を説明せよ” という社長命令があった。死に物狂いで書き上げた説明(当時はワープロなんてものは存在せず悪筆で書き上げた原稿を社長秘書を拝み倒してタイプしてもらったもの)を手にして、着任間もなかった副社長が社長室からタイプ原稿を持って出てきて、(いけねえ、わかっちゃもらえなかったんだろうな)と思っていた自分の耳に ”Hay, this is outstanding !”  と言う感想が聞こえたときの安堵は忘れられない。読む、書く、しかできなかったがそれでも自分の英語が通じたんだ、という感激だったのかもしれない。ほぼ1年後、工場現場でたまたま期末の棚卸作業の真っ最中、汗だらけで部品を数えていた倉庫に課長が顔を出して、社長室へ行け、と言う。なんだかわからずに顔を出して、(おめえ、HPに行ってこい)と有名なべらんめえ調で横河社長から言われた時、すぐ気がついたのはあのレポートを読んだジョージが進言してくれたんだな、ということだった。
それからそれこそ嵐のような2月ほどが経過し、生まれて初めて異国の土を踏み、その後数時間たってモテルに落ち着き、疲れて寝込んでしまった娘を置いて表に出て、とにかく初めて買ったのがアイスクリームだった。この時の感動もまた記憶に新しい。しかしこの (俺の英語もなんとか通じる)という妙な自信を持たせてくれたのはまた違う経験からだった。当時、HPには国際事業を統括する部門があり、そこに小生と机を並べてHPドイツからの駐在員がいた。1960年代と言えば、第二次大戦を戦った経験者がまだたくさんいて、(俺はゼロファイターを知ってる)なんて言う男がいたころで、日本やナチドイツについての反感もまだあった時期だが、そういう中で、ある日、この、いわば敵性外国人2人が、内容は覚えていないが大勢の前で話をしなければならないことになった。小生の前はドイツから来た男で当然だが完全な英語をしゃべる。ここでどうしようか、考えた末、自分の話を、
I don’t want to give you an impression that Germany and Japan are together hand in hand again to fight with you America”
と始めたところ、どっという歓声と笑い声が起こり、中には立ち上がって拍手するものも出る始末。自分でも何だかわからなかったが、(会話技術と同じくらい、ユーモアが大切なんだ)ということを知った。このことが結構有名になったと見え、その後は名前も知らない連中が Hi, Kio (さすがに Gi とは名乗らなかった)と声をかけてくれるようになった。この事件はその後、どれだけ自分を助けてくれたかわからない。コミュニケーションは河瀬君がいうように技術、ツールだけの問題ではない、ということを身をもって知ったと言える。
このカリフォルニアでの10ケ月の生活の間、あらゆる機会をとらえていろんな人(仕事以外での場面、たとえばガソリンスタンド、マーケット、隣の小母さんなどなど)と、半分もわからないことも多かったが、話をする機会を持ち、”会話” より ”コミュニケート” をと心掛けた。自分の英語能力を勝手ながら Business Level 2 と評価させてもらった自信みたいなものはやはり現場の経験だったのだと思う。小生の滞米期間は10ケ月にすぎなかったが、その間、日本語を話す機会は妻と現地で知り合ったご夫婦しかなく、1日の大半はエーゴ社会にあった。このことは重要だったと思う。
この時期、大手企業では海外への進出が目覚ましく、外地での勤務を経験している人も急増した。しかし失礼ながらニューヨークに5年いた、とか、ロンドン勤務何年、というような人たちでも、英語のレベルとなるとそれほどの違いはない、というケースに度々遭遇した。彼らの場合は、あくまで日本企業の出先であり、毎日の会話や就業スタイルも日本と変わらず、日本からくる上司や客先の接待に追われる毎日だった、というのが多くの実態で、折角外地にいながら現地の人や文化に触れる機会はおそらく小生の10ケ月に満たなかったのではないか、と思うことがあった。このあたりには本人というより企業側の問題なのだが。
そこで出てくるのが下村君の疑問から発した、(日本の小学校で英語教育が必要か?)ということになるが、この話はいい実例もみつかったので、次回以降の議論としたい。