”あのころの歌”

しばらく前にエーガ愛好会の保屋野君が、かれの推す歌手番付?を送ってくれた。これについてはいろいろな感想があったが、今朝の読売新聞に添付の広告がのった。この手のものはしょっちゅう見ているが、保屋野説を思い出して全曲名について、自分でメロディがすぐ思い浮かぶものをチェックしたら89曲あった。ほかにも、ア、この曲名は知ってるな、というのが10曲くらい。つまりこの広告の200曲のうち知っているのは50%という事だ。これが多いのか少ないのか、よくわからないが、この広告の選曲でいくつか気がついた。

僕らの中学高校時代のラジオからはアメリカでのヒットソングの直訳ものが多かった。江利チエミの テネシーワルツ とかそのほか沢山あった。そのころの ”御三家” は江利、美空ひばり、雪村いづみだったが、この200曲にはまず雪村が入っていないし、江利はあまりヒットしなかったように思える1曲、美空は 真っ赤な太陽 しかない。このころ絶頂期にあった美空ひばりが1曲しかない、ということはこのセレクションが演歌や英語直訳ソング群を前提にしていないことを示すのだろう。演歌歌手、と言えばまず出てくるビッグネームは全く入っていないが、これがこのピックアップのいう ”ヒット歌謡曲” の定義のようだ。またいつごろがピークだったか、”フォークソング” というジャンルが出てきて、片方では ブラザースフォア だとかPPMなんかのイメージに対抗して和製フォーク、なるものが流行った。このころの 日本人のイメージした ”フォーク” は何だったかわからないが、これも重視されていないようだ。このころの人々の琴線に触れた歌が、現在の若い人達の愛好する、ビートとかリズムを重視したり、ラジオよりもテレビ映えが話題となる構成とはだいぶ違い、いうなればメロディアスなものだったのだと改めて感じる。

僕の大好きな 真夜中のギター と 虹と雪のバラード に 小さなスナック。この三曲が入っているから、ま、選曲もよしとするか。買うか? それはまた別の問題だ.