10月23日BSP放映「テキサス Texas Across the River 1966」の感想
アラン・ドロンが「レッドサン1971」の前に、初出演した西部
「太陽がいっぱい1960」
共演したのがディ
内容は、スペイン貴族に扮するドロンが、地主のアメリカ娘ロ-ズ
昨年の8月軽い脳出血で手術し、スイスの病院で休養、その後容態
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
10月23日BSP放映「テキサス Texas Across the River 1966」の感想
アラン・ドロンが「レッドサン1971」の前に、初出演した西部
「太陽がいっぱい1960」
共演したのがディ
内容は、スペイン貴族に扮するドロンが、地主のアメリカ娘ロ-ズ
昨年の8月軽い脳出血で手術し、スイスの病院で休養、その後容態
(相川) BSの グレート ヒマラヤ トレイルの 「カンチェンジュンガ」編 見ました。
カンチェンジュンガは ヒマラヤ山脈の(8000m級の)東端、世界3位の8586m。避暑地ダージリンの丘から撮られた写真が19C中頃ヨーロッパで広まり、世界最高峰と見られていた時代があったらしいです。
右はカンチェンジュンガ4峰。左から西峰(ヤルンカン) 主峰 中央峰 南峰。 西峰の左にカンバチェンが入ると5峰に(共に内田良平の「ヒマラヤ50峰」から無断転写させてもらいました)。
5峰のピークからなる山隗で、3峰は8500m級。全部を一望できる映像を見せるのが今回の狙い。その為には6000mのピークまで登る必要があり、雪山氷河登攀に汗をかいていました。360度カメラ やドローンを使うと 視点が広がっておもしろいです。朝焼け・夕焼けも撮れて狙いは成功。 なかなか見られない姿を 楽しめました。1955年にイギリス隊が初登頂. 神聖な山の最高点を踏むことは 遠慮したらしいです。
前回の ジャヌー7710mは 「怪峰」 と呼ばれる変な山。頂上部分が円筒形のように突き出た独特の形で 獅子の頭とかスフインクスとも言われるらしい。日本人の小西政継が 北壁からの初登頂、 頂上は2人立てるだけの狭さだったというのが不思議。カンチェンジュンガの一望映像でも 左端(東)に 一緒に写っていました。芸人イモトを モンブランやマナスルに登らせた貫田さんが BC班で 時々顔を出していました。彼は 新弥さんがまとめていたネパール支援のボランテイア活動のアドヴァイサーをしていた。(10年間の活動は2014年に終了) オランさんや堀川さんとも顔なじみです。歳とりましたね。
(安田)「カンチェンジュンガ」編観ました。
晴れた週末(週末である必要はないのだが、偶然こうなった)深大寺(正確に言えば神代植物公園)へふらりと行ってきた。コロナ騒動はどうなったかというくらい、結構な人出。芝生で嬉々と跳ね回っている子供たちを見ているとこちらまでなごんでくる、いい午後だった。
先回来たときは確か椿のころだったが、今頃はバラだというのでバラ園へ回ったみた。プリンセスミチコ、というのがあったはずとオヤエが言うので探し回ったがわからず。
マリアカラス、というのとイングリッドバーグマン、というのをみつけた。やはりバラ、というイメージにふさわしい人たちというのがいるんだ。ほかにもフランスの有名女性とか、なんだか誇大妄想的なネーミングも結構あって、申し訳ないが名前と花を結びつけた由来を創造するのは結構むずかしかった。
当然だが、ジョンウエイン、なんてのはなかった。ま、バラ、というイメージはないやな。Yellow Rose of Texas, なんてのはどうだろうか、と黄色い集落をみたがやはりセーブゲキはおよびじゃないようだ。
解説によるとここは開園の時、ロサンゼルスの植物園から寄贈されたバラから始まったとある。世界中にいるバラ愛好家たちの傑作がある中で、日本人の栽培家が作った品種もいくつかあった。
今回は西日に向かって歩くのが億劫で往復バス、歩いた歩数は4000くらいだが、ぶらぶら歩くのはかえって疲れるものだ。
昨日まで原村に行っておりました。大きくなりすぎて鬱陶しくなってきた庭の白樺の木を6本伐採し、久しぶりに重労働をしてきました。伐採は地元の職人さんにお願いしたのですが、家の屋根を傷つけないように、また他の木を傷めないように倒すのが結構大変です。最大の課題は切った後の木を玉切りにする作業。これは自力でやらなければならず隣家の上智大ワンゲルOBの人がチェーンソーを持ってきて手伝ってくれましたが、丸3日間の仕事になりました。
60年前の三国山荘でのワ―キャンを思い起こし、きつい作業ではありましたが上智のOBと語らいながら楽しくできました。まだ半分ほど残っていますが、雨が降ってきたので残りは次回以降の宿題となりました。
夕方、村営のもみの湯に行きました。受付で住所記帳と検温、脱衣場は一つおきとなっていて結構神経を使っていることが分かり、逆に安心しました。この冬は寒くなるようですね。NHKで長期予報を流していました。冬はまた近くのスキー場へでも行ければと思っております。我が家の窓から見た秋の気配です。
唄は世につれ、という言葉があるが、映画についてはあまり聞かない。思うに歌曲は聞く、その瞬時に投影され引き起こされる、いわば時間軸に左右されて感情に訴えるのに、映画には脳裏に残る映像があり、それがある種の固定された記憶を呼び起こし、時間の経過とは独立したかたちの印象をもつからではないか。
この映画は僕の高校時代、人がだれでも経過する人生の最も脆弱な時間帯に遭遇したある個人的な経験を思い出させる。フィルムとしての出来や俳優や背景などとは関係のない次元で、タイムワープして60年前の自分に対決するような気持ちで改めて見た。丘の上の一本の樹の映像が思い出させる記憶のほうが僕には重くて、予想はしていたのだが一種の虚脱感が残った、そんな再見だった。以下、愛好会メンバ各位の、メールの一部を紹介させてもらうことでフィルムそのものの感想に代える。引用したイメージは例によって安田君のご厚意による。
(安田)
第二次世界大戦後の1949年、イギリス植民地香港を舞台とした1955年制作の映画。ヒロインのイギリス人と中国人ハーフの未亡人の女医ハン (ジェニファー・ジョーンズ) とアメリカ人特派員マーク・エリオット (ウイリアム・ホールデン) は恋に落ちる。最後は悲恋に終わる物語だか、社会背景、混血、戦争などについても提起されている。監督は、ジェニファー・ジョーンスが1943年、のちに双方不倫の末結婚することになった名プロデューサー・セルズニックに見出され、23歳のデビュー映画 「聖処女」(The Song of Bernadette) でオスカー主演女優賞を獲得した時にも、メガフォンを執ったヘンリー・キング。
ジョーンズがデビューから12年後の映画で、その間 「ジェニィの肖像」 「ボヴァリー夫人」 「黄昏」 「終着駅」 などを経て大スターへの階段を上っていく姿を見(魅)せてくれました。彼女はチャイナドレスがとても似合う、品ある美しさと物腰が特に際立っていた。長身170cmに驚くほど細いウエストが印象的。彼女のみならず1940年~50年代を代表した多くのスター女優のような個性的オーラ溢れる女優には、今はなかなかお目にかかれない。相手役のウイリアム・ホールデンも既にオスカー男優 「第十七捕虜収容所・1953年」であり、「サンセット大通り」 「麗しのサブリナ」 「喝采」 などを経て押しも押されぬスター俳優。演技力を兼ね備えた美男美女の競演ぶりは見応えがあった。「慕情」 と双璧を成す香港を舞台にした洋映画 「スージー・ウォンの世界」 でも主役を演じている。「慕情」のホールデンは彼の多くに映画の中でも、「第十七捕虜収容所」 と並んで気に入っている。
(保屋野)「慕情」、今ビデオで見終えたら、早々に安田君のメールが届いていました。何時もながらの完璧な、解説、感想で、私が付け加えることもありませんが一言だけ・・・
この映画は大昔観た記憶はありますが、ほとんど忘れてました。冒頭1949年の香港の映像・・・当たり前ですが、高層ビルがほとんど無いことに何故か感動。そして、ジェニファー・ジョーンズとウイリアム・ホールデンという、美男美女の恋愛絵巻は、愛情物語に続き、またまた「目の保養」をさせていただきました。特に、ジェニファー・ジョーンズは、ハリウッド有数の正統派美人女優で、かつプロポーションも抜群で、チャイナドレス姿や水着姿等に圧倒されました。、
また、この映画は「旅情」と良く比較されますが、旅情はベネチアが舞台で、キャサリン・ヘプバーンとロッサノ・ブラッツイのコンビ、そして、慕情に匹敵する素晴らしいテーマ曲もありますね。。ちょっと違うのは、方や「絶世の美女」、方や「ハリウッドNO1の演技は女優」ということか。・・・旅情も放映してほしい。
(編集子)封切りが1年前後したやはりホールデン主演の トコリの橋 を思い出した。出入りの激しい映画だったが、慕情 の背景になった香港と同時期の(朝鮮戦争のころの)日本社会が、多少戯画化されてはいるものの背景にあった映画だった。そのころの人気女優淡路恵子が出ていたっけ。ついでに保屋野兄の待ち望まれる旅情の有名なラストシーンを張り付けておこう。安田解説で出てきた第十七捕虜収容所の悪役で出てきたピーター・グレイヴスと、のちのTV人気番組 ミッションインポッシブル でお目にかかった時はうれしかったものだ。
コロナごもりがあとどれだけ続くのか、見当もつかないし、バタバタしても仕方のないことだから、それなりの用心をしたうえで社会生活に復帰するしかないと思うのだが, 巣ごもりをしていると、なにか趣味があることがとても貴重なようだ。同じ趣味でもスポーツだと場所やパートナーや天候などに左右されてしまうが、自分ひとり、自宅完結のものにはそういう心配がない。
小生の目下の巣ごもり日常ルーチンだが、朝食を7時半くらいにはすませてしまい、その後のほぼ1時間を初級ドイツ語の勉強に充てるようにしている(一昨日、”ドイツ語練習3000題” というのをすませて、目下意気軒昂)。昼までは何やかやと過ぎてしまうが、グラス一杯のシャルドネで気持ちよく昼寝。午後は昔の用語でいえばラジオ作り(スクラップアンドビルド、というほうが当たっている)で過ごし、夕刻から寝るまではほぼ、ミステリで過ごす。コロナ籠りの日々、有り余る時間を楽しむためにこの ”ミステリで過ごす” ことをお勧めしたい、というのが本日の趣旨である。
前振り的に言えば、シャーロック・ホームズから始まり1920年代に花開いたいわゆる”推理小説”は文字通り、”推理”という頭脳ゲームを当時の知識層を対象に書いたものであって、だれでも知っているアガサ・クリスティー、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ディクソン・カー、ほかにもクロフツだチェスタトンだと枚挙にいとまなく、日本で言えば江戸川乱歩や高木彬光なんかが代表としてあげられる。これら ”推理”ということのために書かれた小説はその目的のために複雑な筋を用意し、読者を欺くための仕掛けをこれでもかというほど組み込むことになる。特にクイーンやカーの作品はその傾向が強い。そこへいくとクリスティの作品には時として詩的な展開があったり、人間味のあるプロットが用意されているものが多い。これがミステリの女王、と呼ばれ、英国人の多くが毎年のクリスマスプレゼントにクリスティの新作を待ち続けたということなのだろう。
僕はこの種のいわゆる”本格推理”と呼ばれるものを高校時代、畏友菅原勲の勧めで読み始め、創元社や早川書房の文庫で、代表的なものは一応ほとんど読んできた。しかし正直言えば、細かいヒントを拾って推理をする、というよりも最後になって、ははあ、そうだったのかい、という程度の読者である。そういう範囲の、簡単に手の入る文庫本のなかから、おすすめとして次のようなタイトルをあげてみたので、この機会に試されてはいかが。文庫本ならまあ数百円の投資、安いものではないか。
アガサ・クリスティーなら、アクロイド殺人事件、オリエント急行殺人事件、白昼の悪魔、ナイル殺人事件あたりから始めていただこうか。アクロイド以外は映画化されているのでご覧になった向きも多いかもしれない。最後のどんでん返しが痛快で気に入っているのがウイリアム・アイリッシュ 幻の女、オーソドックスな構成でこの著者独特の怪奇趣味も出てないので読みやすい、ディクソン・カー 皇帝の嗅煙草入れ なんかもとっつきやすいのではないかと思う。クイーン、ヴァン・ダインはなじむのが結構大変なので次の段階になるだろうが、もちろん、一級品揃いであることは当然だ。専門?家筋では、最高のミステリはなにかという議論が当然あるわけで、僕がはまっていた時期には、たとえばクイーンの Yの悲劇 がそうだとか、クリスティの そして誰もいなくなった がいいとか、ヴァン・ダイン(いかにも30年代の欧米知識階級に受けそうな著者の衒学趣味が強すぎて僕は辟易した)のどれがいいとか、いうものだったが今はどうだろうか。
しかしいろんな ”本格物” を拾い読みしてきて、推理のために作られた環境ではなく現実にある環境で起きえる犯罪を、現実にあり得る方法で解決していく、そして推理だけでなく、文学としてのロマンや文章を味わえるものとして、日本で言えば社会派推理小説と呼ばれたジャンル、欧米でいえばいわゆるハードボイルド、それとむしろ冒険小説、と呼ぶほうが正解なような、広義のミステリにひかれるようになって現在はその冒険小説系も併せて乱読を続けている、というのが僕の現状だ。その中から、いくつかをおすすめしたい。
ジャック・ヒギンズ からは ご存じの 鷲は舞い降りた とその続編 鷲は 飛び立った、狐たちの夜 が第二次大戦に取材したもので、サンダーポイントの雷鳴 はナチの終焉の話(”映画愛好会”シリーズで取り上げた オデッサファイルにからむもの)で史実と照らし合わせると面白いが、読み終わった後の一種の虚脱感を楽しめる 廃墟の東 もおすすめ。ハードボイルド、といえばまず出てくるレイモンド・チャンドラー(注)では、さらば愛しき女よ がわかりやすく、代表作 長いお別れ は筋が複雑でよくわからない部分さえあるので、ミステリとしてよりもむしろ上質の小説としての雰囲気を楽しんでほしい。そういう意味では 大いなる眠り、がむしろチャンドラー入門にはいいかもしれない。彼の直弟子というべきロス・マクドナルドでは 動く標的、さむけ、ウイチャリ家の女 あたり。 クリスティと争う女流作家では、スウ・グラフトンのアルファベットシリーズ (アリバイのA から始まって本人は Z での完結を目指していたが痛恨のきわみだが Y (原題は Y for Yesterday)まで来て著者は逝去)が読みやすいし読んでいて楽しいが、翻訳は残念ながら R までしか出ていない。
日本の作家では、チャンドラーに心酔してミステリを書きはじめたというジャズマン原寮の さらば長き別れ と それまでの明日 は、日本を代表するハードボイルド作品だと僕は思っている。それともうひとつ、少しジャンルが違うし、この本のことを言うと大抵笑われたりすることが多いのだが、高木彬光 成吉思汗(ジンギスカン)の秘密。英国の大家ジョセフィン・ティの 時の娘 の向こうを張った、義経=ジンギスカン説。僕はこの本を読んでこの説を信奉するに至った。ぜひご一読をおすすめする。ミステリ・冒険小説ファンが増えて,紙上討論会、でもやって、コロナごもりが少しでも楽しくなることを願っている。
(注)この人の作品は翻訳がかなり多い。ここにあげたのは清水俊二訳のタイトルで、最近では村上春樹が長編をすべて新訳で出している。僕の好みでは、長いお別れ、だけは清水訳でお読みいただきたいのだが(村上訳は ロンググッドバイ、となっている)。
”真昼の死闘” を観た。 原題名シスターサラのための二頭の騾馬。ハイヌーンの「真昼の決闘」にあやかって、「真昼の死闘」と邦題にしたようだが、内容は死闘らしきものは最後だけ、それも真昼でなく夜。内容に全然そぐわない。シスターサラは、シャーリー・マクレーンが扮し、いつも騾馬に乗っているが、もう一頭は、muleには片意地者とか頑固者という意味もあり、一緒に冒険旅行を楽しむクリント・イーストウッドのことを指すらしい。
冒頭、朝日の輝く峰をイーストウッドが馬に乗り歩いていると聞き覚えのメロディが奏でられる、エンニオ・モリコーネの音楽だ。舞台はフランス占領下のメキシコだからマカロニウエスタンと見間違ってしまってもおかしくない。クレジットが始まると先ずはシャーリー・マクレーンから。当時イーストウッドはマカロニウエスタン三部作で、名を上げ、凱旋して2作目、演技の実績も名声もマクレーンのキャリアに遠く及ばなかった。キャリアを経てからメリル・ストリープと共演したりしたが、この頃に大女優になりつつあったマクレーンと共演して、何かを得ようとした気持ちは認めてやっても良いのでは?流石にマクレーンは、キュートなところもあり、売笑婦ながらも修道女に化け、しかもメキシコ革命軍に裏で協力する役柄を楽しくこなしており、革命軍と協力し金儲けを狙う風来坊のイーストウッド、格好は良いが、食われてしまったようだ。
最初に、悪玉3人に襲われていたマクレーンをイーストウッドが救ったことから二人のバディ&ロードムービーが始まり、協力しての弓矢の取り除き騒動、鉄橋爆破による列車転覆や要塞の攻略によるダイナマイト爆破等の見せ場はあるのだが、何となく、活劇のハラハラ感がない。どうやら悪逆非道なフランス軍に対するメキシコ革命の必然性の説明が皆無だからではないからでは?
この映画の監督ドン・シーゲルとイーストウッドの係わりも忘れてはならない。当時まで、B級アクション監督としてかたずけられてきたドン・シーゲルとマカロニ・ウエスタンの荒くれスターとしてのみ固定されていたイーストウッドの出会いは「マンハッタン無宿1968」で、西部劇では、この映画で。B級アクションから二人は「白い肌の異常な夜1971」「ダーティハリー1971」の野心作へ発展、さらに二人の友情は、イーストウッドの第1回監督作品「恐怖のメロディ1971」に付き合うまでに至り、その後のイーストウッドの偉大なる監督作品に多大なる影響を与えた。
(安田)映画が公開された1970年当時は確かに三役のシャーリー・マクレーンに対して新入幕を果たしたクリント・イーストウッドが共演しているという風でした。マクレーンは流石に演技上手の大御所然としたオーラが感じられ、イーストウッドも横綱から“金星をあげてやるぞ” の勢いを感じました。今では、映画界(監督も含めて)においては両者とも大関・横綱級の格付けでしょうか。50年前の階段を一歩一歩上がっていく過程の俳優を観るのは愉しいものです。
マクレーンの映画はこの「真昼の死闘」に加えて、1955年21歳の時の初々しく可愛い「ハリーの災難」(BSPで今春鑑賞)、26歳の時の彼女の地位を不動にした「アパートの鍵貸します」、円熟の49歳の時のオスカー主演女優賞受賞「愛と追憶の日々」、つい最近2012年出演の英国テレビドラマ「ダウントン・アビー」(78歳時)を観ましたが、65年の歳月の長さを感じます。
(保屋野)今日、毎週観ている「題名のない音楽会」を観たら、偶々、「モリコーネ」特集でした。先日、安田君から紹介された「ニューシネマパラダイス・メドレー」「マカロニウエスタン・メドレー」「ガブリエリのオーボエ」を聴きました。改めて、モリコーネ音楽の素晴らしさを知りました。
今夜、丁度「荒野の用心棒」が放映されるので、映像と共に楽しみたいと思います。ちなみに、明日は「OK牧場の決闘」もありますね。貴君のお陰で、モリコーネの外、モーリス・ジャール、ニーノ・ロッサ等を良く知ることができました。また新しい情報お願いいたします。
(菅原)本日の日経朝刊12頁は映画音楽のモリコーネ(正確には、追悼)
ついこの間、受験に奮闘していた末の孫娘が大学院進学を決めた、と報告してきた。まさに時間の経過、恐るべし、その間こっちは何をしていたか、と落ち込んでしまうが、なにより、我が一族にとって初めての理系が誕生したことに感動し、うれしくなった。
彼女の門出に何か、と思うのは当然だが、とりあえず、本を一冊、贈ることにした。小生、父親の影響もあって、子供のころから本好き人間である。中学時代、世界文学全集、なんかにあこがれ、高校時代はヘッセとヘミングウエイをよく読んでいたが、ある出来事を境にすっかり読書傾向が変わってしまい、当時の高校生の必読書、といわれた “魅せられたる魂” も ”チボー家の人々"も ”ジャンクリストフ” にもそっぽを向いて過ごした。それでも読んだ本の数だけはだいぶあった。ま、乱読、というのだろうか。
その中で、一冊、何かを挙げてみろ、といわれたら躊躇なく上げたいのが大佛次郎の 帰郷 だ。終戦直後の日本の混乱、特に文化の変質を憂えた本で、当時のことがそれでもうっすらと記憶にある世代のひとりとして、共感もし、主人公守屋恭吾の生き方に一種のあこがれも持った。孫娘の世代はいやおうなしに、特に彼女が専攻しようとしている環境にまつわる問題などは日本だけでなく、世界を規模に展開されるべきことがらだし、そうではなくとも現在社会のボーダーレス傾向はますます強まっていくのは必至である。そういう中で、”日本人” のアイデンティティーを持ち続けるのは逆に今よりも重要なことになっていくだろう。
サラリーマン時代の末期、めぐり合わせでいわゆる グローバリゼーション なる妖怪とどう向き合うべきか、特に当時担当していた人事・組織・労働組合などといった分野を統括する立場にあって、アジア諸国の担当者たちとのあいだには目に見えない,厚い壁があるのを感じた。むしろ西欧諸国の連中のほうが話は通じやすかった経験がある。今考えてみると、後者には長い間の歴史と闘争の間に培われた、確固たるアイデンティティがあったのに対し、彼らの侵略と植民地化に耐えてきた諸国には強烈な愛国心はあるが、なにが国のアイデンティティなのか、まだ模索している期間であったのかもしれない。こういう問題はこれから、多くの場面でおきてくることだろう。その時に、やれグローバルだ世界だという前に、”日本人”として持つべきものは何か、を考えておくことが必要なのではないか、と思う。いろんな本があり、多くの傾聴すべき議論があるから、これからは彼女が自分で判断していくことになるのは当然だが、自分があらためてこの問題を考えてみたとき、あらためて 帰郷 という本を思い出したのである。
大佛の作品が改めて新版が出る可能性はすくないし、全集となると焦点がぼけてしまうのではとアマゾンを検索してみたら、なんと2018年に新装版が出ていた。うれしくなって早速注文した・・・・のはいいのだが、何を間違えたか2冊、贈られてきた。思い出すと注文の過程で何だったか覚えていないがメールを打ち直した気がするので、先方のミスではあるまい。ちょうどいい、手元に大事に保管してある昭和25年版と読み比べてみよう。僕の趣味としては、
丘の斜面の芝原で柄の長い鎌をふるって草を刈ってゐたマレー人が・・手を休めて突っ立って見てゐた。
という出だしのほうが
丘の斜面の芝原で柄の長い鎌をふるって草を刈っていたマレー人が・・手を休めて突っ立って見ていた。
よりもなんとなく好ましいのだが、新仮名遣い、という国策のあたりも日本文化の変質、であるのかもしれない。
KWV印の「ピノタージュ赤」は近所のスーパー「いなげや」で十
特に美味しいとは思わないが(数年前からKWV三田会の夏・冬の
輸入業者は国分グループで、国分での取り扱いの切っ掛けは森田さ