僕はS36年に卒業し、横河電機(当時の社名は 株式会社横河電機製作所)に入社した。いわゆる高度成長期への入り口の年、日本での重工業発展期であり、工場オートメーションのトップ企業の同社は同時に人間を大切にすることを社是とした、気持ちのいい職場だった。入社後、ヒューレット・パッカードとの合弁会社が創設され、僕も新会社へ移籍してしまったので、同社での経験はわずか2年に過ぎない。しかし社会人第一歩でコンピュータプログラマ(多くの人は信用しないだろうが、横河電機でIBM機用の第一号マクロは小生が書いたのである!)などという予想もしえなかった経験をさせてもらい、同期入社の仲間もいいやつばかりで、2年とは言え、楽しい思い出ばかりの職場だった。1978年から2年間、親会社での新事業立ち上げの支援(相手がアメリカの会社だったので、合弁会社の経験がある人間、ということだったのだろう)のためまた三鷹の本社へ戻った。この2年間でも多くの友人ができ、一世代若い仲間ができた。
過日、この2度目の横河生活で親友づきあいを御願いした、いわばひとまわり若い世代の海堀周造くんから、府中カントリクラブでプレーしたいがと依頼があった。そこでここでは先輩格のKWV37年卒菅谷君と、4人目としてYHP時代の同僚で小生をこの罪深きゴルフの道へ引きずり込んだ ”師匠” 天堀平衛君を誘い出し、快晴(ただし午後は強風にも遭遇)の5日、ウイルス騒動のせいだろう、いつもよりはるかに人の少ないコースを楽しんだ。1月末、やはり天堀君の指導?下で回った時腰を痛めてしまい、僕には久しぶりのラウンドだったが、予想通り乱調、そのせいかどうか菅谷君もいつもの調子が出ないようだったが、ゲスト海堀君は快調、満足してもらえたようだった。
考えてみると、4年の人生を燃焼しつくしたKWV時代、社会人の素地を作ってくれたヨコガワ時代、そしてそれを完結させた、良き時代のヒューレット・パッカード。いわば自分にとって三つの青春時代の思い出、そしてそこで得た友人との楽しい再会、まさに人生の快事というべき一日だった。これはまさに第四の青春に値するのだろうと、自分の幸運を改めて感謝した。
(今日はこれから整体へ行って後始末をせねばならぬ。第四の青春もなかなかやってみれば別の苦労も絶えないか)。