秋深まる涸沢から穂高へ (39 堀川義夫)
最近は、何をするにも、何処に行くのもこれが最後になるかもしれないということが何時も頭の片隅にあるような気がする。今回もそうだ。10月1日の夜行バスで新宿から上高地に向かった。目的は涸沢の紅葉の最後の見納めと奥穂高の久しぶりの登頂。そしてテント泊での単独行の最後になるかもしれない・・・と思いながら・・・来年のことはわからない! 10月2日(金)朝5時過ぎにバスは上高地に着いた。3列乗車のバスはゆったりしていてしっかりと寝ることが出来、直ぐに涸沢に向けて出発できるのは、本当にありがたいことである。
10月2日 (金) 晴れ
目標は11時30分前に涸沢に着くこと。天気は雲一つ無いドピーカンで言うことなし、でもザックは重い!フル装備で55Lのザックが目いっぱいである。16kgある。これだけ背負うのもこれが最後になるかもしれないと思いながら涸沢を目指す。何度この道を歩いただろうか? 歩きながら走馬灯のように様々なシーンが思い出される。明神、徳沢、横尾と景色を楽しみながら快調に歩を進める。でも、若い人たちにどんどん追い抜かれる。悔しい!!言訳ではないが、良い景色を見て写真を撮っているから時間がかかっているんだと自分に言い聞かせながら焦らず、マイペースで、ゆっくり且つ迅速に。
横尾で少し長めの休憩を取り、本谷出会いに向け出発。懐かしい景色が次から次へと楽しませてくれる。なんと言ってもここの見所は屏風岩だ!! ここも無事に本谷へ予定時間内で到着出来た。
10月3日(土) 晴れ
今日は、5年ぶりに奥穂高の登頂を目指します。奇しくも5年前に船曳先輩の傘寿の記念山行に同行させて頂いた同じ傘寿を私も迎えています。晴天の中、見事に奥様とご一緒の登頂に成功されたことを当時、非常に羨ましく思い、自分も5年後に登頂することが出来るだろうかと思っていましたが、今日、それが実現しました。登り始めて、涸沢小屋を過ぎたあたりから、正に涸沢の紅葉にふさわしい見事な景色が展開し始めました。
若い人たちに抜かれながら、ゆっくり目ではあるがザイテングラードをこなし、約3時間で奥穂山荘到着。山荘に勤める、マッキンリー登頂の際の山仲間に久しぶりで再会、しばし、楽しい歓談を楽しんで頂上へ。途中振り返ると槍から、今夏縦走した薬師から立山の遠望、笠ヶ岳、乗鞍、富士山まで360°の眺望を十分にみることが出来た。頂上では記念撮影に列が出来ていて、バカくさいとは思いながらもこれが最後の奥穂高山頂かと思うとやむを得ず並んで撮ってもらった。どこでとっても良い面白くない写真である。奥穂山荘で昼飯をゴチになり、一気に頑張って1時間20分で下山できました。
下山後は、今日、登ってきた山仲間と会って、ビールを飲み、持参したジャックダニエルをしこたま飲み、涸沢最後の夜をしみじみと楽しむことが出来ました。蛇足ながら、持参した真鯛とホウボウのこぶ〆は大好評でした。
出来たら来年も再来年も同じように涸沢のような場所に来れたら良いなあ~と思っています。何時までも山には行き続けたい、でも、自分の意志に関係なく身体の不具合や体力の衰えを感じざるを得ない歳になって来ました。これからは、年齢相応の、だけどちょっぴり頑張ったら何とかなりそうな山をマイペースで楽しんでいきたいと思います。
コロナ対策について (34 船曳孝彦)
首相が変わっても、やはりコロナ対策が大きく変わることはありませんでした。安倍首相がオリンピック待ちで後手後手となり、感染者が増加し、一斉休校、アベノマスクで不評を買い、PCR検査を増やすと盛んに宣伝していた(5月)ころ、厚生労働省は「検査を増やせば陽性者が増え、医療崩壊につながる」と検査抑制方針を崩さなかった内部資料が、民間団体(シンクタンク)の調査で分かりました。PCR検査で正確に判定できるのは陽性者の70%、陰性者の99%であるから、百万人都市で全例検査し、感染者が1000人いたと仮定すると、感染者300人は陰性の判定で健康だと誤解して出歩き、一方本当は未感染者であっても999,000人の1%(9,990人)が陽性と出て、病院なり指定施設なりに収容が必要となって医療崩壊につながるという理論でした。この偽陽性者を少なくするために、濃厚接触者や間違いなく感染患者と思われる人のみ検査を絞ったため、検査をしてもらえない人が多く出て社会問題化したのです。感染した人の調査では、約半数が無症状(毎度述べているが無症状というより未発症)感染者から感染したというデータもあります。
本来検査で100%などという検査はないし、健康な陰性であっても翌日に感染してしまうことだってありえます。それは再検査をどこまでやるかにかかってきます。プロ野球で感染者が出た球団では2,3日単位で再三検査をするところもでてきました。
確かにこのところ感染者が出たという話が身近になってきました。例の有効再生産数が1.0を前後し続けており、日本の数値はヨーロッパの数値より悪いのです。これが小さくならないと収束に向かいません。
死亡率は下がっているもののVirusの感染力は衰えていません。うつされない・うつさない対策をしっかり守る必要があります。そのためにも検査の重要性は大きいのです。検査の精度は上がって(90%以上)きていますし、唾液検査の成績が鼻咽頭ぬぐい液検査と全く遜色ないという論文も出てきています。まだ ‟希望” 検査が何万円という状態が続いています。抗原の簡易検査も出ていますし、PCR検査でも複数検体一括検査(プール式検査)なら、例え全国民を検査したと仮定しても、Go-To-○○に掛ける1兆3千万円の1/5で済むという提言(ノーベル賞受賞者本庶氏)もあります。
死亡率が減って来たのは、重症化予測できるマーカーを発見したり、重症管理医療が進歩したりしたためであり、弱毒化したのではないと警鐘が鳴らされています。私達高齢者は十分な注意が必要です。
常識外れのトランプ大統領が、未承認ワクチンと重症者対象薬を使って快復したと大見得を切っていますが、真相は如何なものでしょうか。政争の具にされてはかなわないと、お膝元のアメリカ製薬会社CEOから評価申請の提出は早くても11月末になると慎重論が出ています。
町中では多少緩んできているようにも見受けますが、マスク着用による感染抑制効果は、医療従事者を対象にした研究で証明されましたので、ヒト気のない場合を除いてマスクはやはり積極的に活用しましよう。三密については、世の中神経質になりすぎている場面と、密すぎるという場面が混在していると感じます。クラシック演奏会など復活して欲しいし、外野席がらがらのスタンドは虚しさを感じます。With Coronaの時代であっても、むやみに怖れることなく、適正に行動し、日本の文化、伝統を守りましょう。学校を始め、人と人とのコミュニケーションは大切です。 まだまだ先が見えて来ません。あと半年と目標を立てて踏ん張りましょう。
12月25日には世界的科学者であり我が畏友黒木登志夫氏著『コロナの科学』が中公新書から出版されます。私も期待しています。
学術会議騒動について (普通部旧友 菅原勲)
ジャイ 大兄
貴兄のブログを拝読しました。全面的に賛成です。
付け加えるとすれば、この問題に対する対応で、ニセモノであることがはっきりした人たちが分かって来たことです。何故、6人が任用されなかったかをしつこく問い続けている人たちです。差し支えるので、名指しはしません。なかでも、我が母校の名誉教授M氏は、もともと、その言説には100%同意しかねましたが、この問題を契機に、それに加え品性下劣であることが明らかとなりました。もし、卒業生に塾の教授の任命権があるならば、真っ先にこの不名誉教授を罷免します。こう言うのが亡国の輩なんだろうな。
既得権をぶっ潰すのは並大抵のことではないが、塾に籍をおいたことのある太郎君、頑張れ!
では、また。
エーガ愛好会 (23) エデンの東 ー ジェイムズ・ディーンのこと
気が付いてみたら昔ばなしばかりする年代になってしまった。普通部から高校にかけての一番のんきで楽しかった時代、つまり ”戦後” が終わろうとしていた時代の僕らを支配していたのはやはり ”戦争を知っている親たち” の価値観やらライフスタイルが変わろうとしていた時代でもあったのだろうが、今考えてみるとこの時代の ”青春” の在り方も変わりつつあったころだったとも思う。
そのことをなんとなく感じさせたのが ジェイムズ・ディーン という俳優だったような気がしてならない。高校3年の時に エルヴィス・プレスリー が登場したとき親たちの年代のほうは敏感に時代の変化、を感じたようだったが、僕には音楽シーンの変化ぐらいにしか感じられなかった。
”エデンの東” は高校同級の悪童たちと東劇へ見に行った。そのうちの一人、広田順一がこともあろうにラブシーンの最中に持っていたアルミの弁当箱を取り落とし、大きな音を立てて周りからにらみつけられるという事件があった。そんな思い出でもある。
(44 安田)旧約聖書のアダムとイヴの双子の息子兄弟「カインとアベル」の物

も舞台となっている。ここは80年代半ばクリント・イーストウッドが市長を務めた高級人士住む観光地カーメルに隣り合う、サンフランシスコに人たちには言ってみれば東京と鎌倉みたいな関係にあるところである。第一次世界大戦前後の北加州の農村を舞台に展開される青春ドラマ
聖書ではエデンの東は、エデンの園を追放された、
双子の弟アベルを殺した、 アダムとイヴの息子カインがたどり着いた土地として知られている 。映画では兄役のアーロンは弟(ジェームス・ディーン)を殺しはしないが、弟との確執の結果、 世界大戦の戦場ヨーロッパへ出兵するところで終わる。 旧約聖書では、弟を殺した兄の向かうエデンの東は、 流刑地のニュアンスがある。 人類の祖先であるカインが放浪者として移り住むエデンの東・・・ ・聖書では、これが人類の旅の始まりとして描かれている。 ヨーロッパ戦線に向かった兄の運命は映画では明らかにされていな いが、 旧約聖書が描く流刑地の悲惨さを示唆しているのであろうか? そして厳しい人生の旅が始まったのであろうか?映画では、ディーン演じる主人公は、 品行方正な兄を何かにつけて可愛がる厳格な父が気に入らず、 反抗的な態度をとり続ける。反抗は愛に飢えている証ではあるが、 その辺の孤独感と反動として反抗する感情を、 ディーンは伏し目がちな視線や憂いを帯びた態度で繊細に” 悩める青春像”を演じきって世の女性たちを虜にした。映画の撮影終了後間もなく24歳の人生に終わりを告げる自動車事故の悲劇も、 一躍世界のスターになったジェームス・ ディーンを絶対的なアイコンとして昇華させたようである。 印象的な場面は、観覧車の中の兄の恋人とのキスシーン、大豆の芽が大地から出てきて大地に寝そべり喜ぶシーン、 兄の恋人とディーンとの長い会話を経て二人の気持ちが通いあるシ ーン、 兄が自暴自棄に陥り恋人から離れヨーロッパの戦争に赴く駅の列車 出発シーン、 意識不明の床に伏した父がディーンの耳元の言葉に頷き涙を流した 時、天井から光がさして二人を照らすシーン。 ディーンが父親に理解してもらったと感じるエンディング場面はこ の映画のハイライト。弟の人生の旅もこれからまた始まるのだと映画は示唆しているよう であった。
兄の恋人役ジュリー・ハリスは、「波止場」「北北西に進路を取れ
」「栄光への脱出」のエヴァ・マリー・セイント の清楚であるが秘
めた信念と情熱の炎は熱い感じに似通っていると思った。 彼女は波止場でオスカー助演女優賞獲得。ジュリー・ハリスは「 波止場」でもメガホンを執ったエリア・カザンのお眼鏡に適った女 優だったのだろう。またジュリー・ ハリスはオスカー助演女優賞に充分値する適役の演技だった。 厳格な父親役のレイモンド・マッセイ、
オスカー助演女優賞の母親役の ジョー・ヴァン・フリートの演技も
素晴らしい。先日、話題となった「大いなる西部」で注目された助 演男優賞獲得のバール・アイヴスも出演していて懐かしく観た 。 NYの俳優養成学校「アクターズ・スタジオ」創設者の一人である
エリア・カザンは「波止場」でオスカー監督賞を獲得しており、 その波止場で主演男優賞を獲得したマーロン・ブランドとは「欲望 という名の電車」でも一緒。「エデンの東」の主役はマーロン・ ブランドと決めていたが、当時吹き荒れていたマッカーシー旋風( 共産主義者取り締まり、いわゆる赤狩り)の際のエリア・ カザンの仲間を売った裏切り行為(といわれている) が許せなくて、ブランドが辞退。アクタース・ スタジオ出身の新人ジェームス・ ディーンが結果として抜擢された。他に主役候補にはモンゴメリー ・クリフト、ポール・ニューマンも挙がっていたという。1950年代はアメリカ映画の全盛期で名画が目白押しですが、 テーマ音楽の素晴らしさも相まって、 不朽の名作に値する映画であった。
(34 小泉) ジェームス・ディーンのこと、よくよく思えば1931年生まれで
(43 保屋野)やっと、ビデオで10年ぶりに「エデンの東」を観ました。チビ太師匠の感想通り、私も「不朽の名作」だと思います。
ちょっと余談ですが、見終わって、NHKのBS1を見たら、丁度「穂高・ジャンダルム」が再放送されていました。実は、卒業2年目のガニマタ合宿を岳沢BCで行い、14,5名で、天狗のコル→ジャンダルム→奥穂高→前穂高→岳沢と歩いたことがありました。確か、マリちゃん、克ちゃんもいて、厳しい岩場の画面を見ながら「良く歩けたもんだ」と感心しました。・・・若さ(無鉄砲?)って凄いですね。
さて、映画の方ですが、ストーリーは親子兄弟の葛藤を描いた、ありふれた題材ですが、やはり、ジェームス・ディーンの存在感は「半端ない」ですね。この映画は、チビ太の云う通り、スタインベック原作の後半1/3ぐらいの話で、前半の部分は、22年前にテレビドラマで放映されています。
母親(ケート)が主人公で、(よく覚えてはいませんが)、ケートの強烈なキャラが印象的なドラマでした。このドラマは映画よりも高い評価をする人も多いそうです。「理由なき反抗」や「ジャイアンツ」もまた観たいものです。・・・彼は意外と小柄(173cm)だったのですね。
(41 久米)「エデンの東」そして主演のジェームス・ディーンについては映画愛好会の中の年齢差で感想も大分変ってくると思います。私の記憶に間違いがなければ「エデンの東」が日本公開の際には主役のジェームスディーンは既にこの世の人ではなくその悲劇性も重なり大変な前評判で映画を見たような気がしています。
主人公が列車の上でセーターを首に巻くシーンは忘れられません。この時以来セーターを首に巻くことが若者の間ではやったように思います。ジェームスデx-ンが世の中に反抗する姿勢は次の作品の「理由なき反抗」で顕著に表れていますがまだ12歳の私には当時は良く理解できなかったように思います。その点、「エデンの東」のロマンス部分の方が解り易かったように思います。後年、見直して理解したように思います。
「ジャイアンツ」のディーンは演技にあざとさが目立ってロックハドソンやエリザベステーラーの方に分があったように思います。でもディーンの出現以後、男は少なからず彼の演技を模倣しているように思えますしハリウッドもディーンの面影のある俳優を探しているように思います。アラン・ドロンやブラッド・ピットなどデx-ンの面影をチラッと見かける時があります。1955年はエルヴィス・プレスリーが華々しく出現した年でもあります。
(ウイキペディアから転載)ロサンゼルスの退役軍人病院に勤める歯科技工士の父ウィントン・ディーンと母ミルドレッド・ウィルソンのもとにインディアナ州マリオンで生まれる。しかし、父母は行きずりの恋から始まった婚前妊娠だったことから、父のウィントンは息子のジェームズの誕生を喜ばなかったという。反対に、父親に無視される事となったジェームズにミルドレッドは深い愛情を注いだという。ジェームズが9歳の時ミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。
高校時代から演劇に興味をもち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔してハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。
『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年に『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて認められた。彼はこの役でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。
学術会議騒動について (44 安田耕太郎)
2.科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。
非常にあいまい且つ抽象的であり、実践的・具体的な職務は一般人には理解しがたい。日本学術会議の役割は、主に以下の4つであると規定されているる。
1.政府に対する政策提言
3.科学者間ネットワークの構築
4.科学の役割についての世論啓発第二次世界大戦後すぐに設立された理由と目的は、明らかに敗戦後
日本学術会議が担った役割は設立から40年を経たバブル経済崩壊
国民の税金を財源として運営され、その役割・効果・責任・権限・
矮小な問題としては菅首相は6人の任命を見合わせた理由をもっと
日本学術会議に設立当時期待された役割と効能は、日進月歩で変化
日本の健全な生存と発展には、今や国内の内輪同士のもめごとにか
学術会議騒動について
新政権にさっそくいちゃもんが付いた。学術会議メンバーの選考問題である。例によって政府側の答弁も歯切れが悪いが、なんといってもいわゆる知識人とやらの反応にはつくづくあきれてしまう。会社組織で言えば上司の部長がだれになるのか、からはじまって人事なんてものは基本的に理屈通りにはいかないし、部下から見れば英雄であっても社長の胸三寸にきちんと落ちなければその通りにはならないのはいわばジョーシキである。そうなったときに、今度の人選はわが社の命運にかかわる、社長辞めろ、なんてことは起きえない。気に入らなければやめてしまえばいいだけの話である。
まして10億円もの公費が使われているのであれば、めくら判を押してきたいままでのやり方を見直すのは、前例絶対を排するという総理の方針からすれば至極当然だろう。その理由が政府の大方針にそぐわないのであれば、それが理由だ、と言えばいいのではないか。なぜって、彼らは公務員なんでしょ。小生、別に菅ファンでもないし自民党絶対論者でもないが、公約をきっちり実施する、という姿勢はその結果はともかく、支持に値すると思っている。
何より馬鹿げているのは今回の措置が学問の自由を侵害する、という議論である。大学で個人が行う研究活動やその成果の発表や社会への働きかけについて、今回の措置はそれこそ憲法でも改悪しないかぎり、なんらの影響も持ちえない。学術会議のメンバーでなくても政府への意見具申をする方法はいくらでもある。テレビ報道で多くの人が指摘したように、他国ではこの種の団体は民間団体であり、政府から経済的支援を受けない。だからこそ自由に発言し行動できる。行政への諮問、ということからすればこのほうが正しい。曲がりなりにも(100%そうだなどというほど当方もうぶではない)国民の支持によって成り立っている行政機関から金をもらっている立場であればそうはいくまい。例によって偏った見方しかできない連中が自由の侵害だなんだとデモで騒ぎ立てるのはコロナウイルスを拡大するくらいの意味しか持ちえない、と思うのだが。いかが。
五色温泉 宗川旅館の近況 (44 浅野三郎)

3年ぶりに訪れた五色温泉・宗川旅館についてご報告します。
宗川旅館はこの10月一杯で正式な営業は終了するとの事です。で
宗川家は五色温泉の建物で生活を継続するので、KWVの方達は特
可能だそうです。ただし、浴衣や洗面道具等のサービスは無くなり
旧ゲレンデ前にも小さめの風力発電設備(滑川温泉所有?)が立っ
また、数年後には鉢森山北尾根に十数か所の風力発電機が建設予定
美人の大奥様も御御足が悪いそうですが、お元気そうでした。
板谷から五色に上る道は昨年の台風19号(?)で土砂崩れが数か

詳細は下記へお問い合わせください。
五色温泉・宗川旅館 0238-34-2511
トランプ騒動に関する情報
HP時代の同僚から、下記のホームページを紹介された。数件、記事があり、おのおのに広告が入っていたりするが、わかりやすい文面でもあるので一読をおすすめする。アメリカ版週刊文春かもしれないのでどこまで信用できるかはご判断にお任せする。ただアメリカよ、どこへ行く? という気持ちは深まりこそすれなくならないのだが。
https://theweek.com/speedreads/941345/conspiracy-theorizing-about-trumps-diagnosis-already-begun
エーガ愛好会 (22) The Big Country
予想もしなかっためぐりあわせから米国企業で働くことになった僕は、シリコンバレーには相当回数足を運んだが、東部や中部を訪れる機会は少なかった。その少ない旅の途上、ジェット機の上からその国土の果てしないうねりを見て、”でっけえ国だなあ” という印象はもちろん持っていたが、実感としてそれをあらためて実感させたのちょっとしたドライブだった。
コロラド・スプリングスは米国空軍士官学校の所在地として、陸軍士官学校のウエストポイント、海軍兵学校のアナポリスとともに知られているし、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の所在地でもある、いわば軍都、とでもいうべき街で、幾度か訪れることがあった。1970年2月の訪問のとき、デンバーから通常のルートを避け、地図を頼りに回り道をしてみたことがある。つたない詩もどきを書き留めている とりこにい にその時の感情が書いてある。
アクセルをぐうんと踏んで フォードLTDは小さな峠を越えた
視野の果てまで きつね色のコロラド溶岩台地の遠く
早春の平野の第三象限を限るロッキーの稜線があった
インターステートハイウエイが越えるこの峠
百年の昔 人は馬で越えた
この峠に立って 幾人の旅人が
かぐわしい夏の夕風 暮れていくロッキーに問いかけたか
幾人の騎兵隊兵士が 幾人のファー・トレイダーが 吹きすさぶ雪に吠えたか
・・・・おれはなぜ、ここにいるのか、と。
彼らが帰り着いた土 この峠に立って
ひとりの異邦人はつぶやくのだ
この広い天と この ただ果てしなくひろい地のはざまに
・・・・ おれは いま 生きている! と。
思わせぶりな前説が長くなった。ウイリアム・ワイラー、大いなる西部。
(写真提供 安田耕太郎君)
(小泉) 監督ウイリアム・ワイラーで「西部の男1940」以来18年ぶりの西部劇、主演グレゴリー・ペックとは「ローマの休日1953」以来5年ぶり。最近BSPで放映されたペックの西部劇「続ガンヒルの決闘」「拳銃王」とは異なり、その人柄が醸し出されるような東部の紳士で、インテリ風でありながらも船乗りから船長に登り詰めた強靭な肉体も持ち合わせる主人公を颯爽と演じている。
開巻から東部と西部の対立の様相を見せつける。婚約者のキャロル・ベイカーとその父チャールズ・ビックフォード経営の牧場へ向かう途次、対立するチャック・コナーズの仲間に、手荒い西部的歓迎を受ける。父ビックフォードは、そのことを娘から聞き、やられた仕返しに、コナーズの父パール・アイヴィスの牧場を襲う… 両牧場対立の根源でもある水源地を所有するジーン・シモンズに会ったりしているうちに、ファザコンであまりにも古い西部的な女性ベイカーとの気持がズレて行くことから、シモンズへ心が移っていく。最後は、ビックフォード家とアイヴィス家との峡谷での戦いで幕を閉じることになる。脇役とは言え、アイヴィスとビックフォード二人の爺様の演技が光る。アイヴィスは歌手出身ながら、貫禄ある振舞の中に進歩的考え方の持ち主でもあり、筋の通った男ぶりから、卑劣な息子を射殺し抱き締めざるを得ない父親を演じ、アカデミー助演賞に輝いた。
駅馬車の遠景で始まった大いなる西部、構図が古い西部から新しい西部へ移り変わり、広大な平原を見渡す展望が、すべての場面で、ロングショットが活用され、大いなる西部の景観が浮かび上がってくるのだった。広大な大自然に、ぴったりした優雅でダイナミックなジェローム・モロスの音楽も懐かしく聴かれた。各場面夫々に、登場人物夫々に、適切に合致した音楽、昔はサウンドトラックのレコードで、画面を振り返りながら、音だけで聴いたものだった。終演は重なった二人の古き西部の鳥瞰のロングショットから谷間へ去るペックとシモンズの若者の後ろ姿に大西部の景観が浮かび上がる。新しい西部の幕開けか。
(菅原)映画館で見ているから、これが、二度目です。それにしても、覚えていないもんですね。ペックは、終始、あまりにも恰好良すぎました。ヘストンと殴り合いをやり互角に見えましたが、最後に、ヘストンの「別れの挨拶が長すぎる」でヘストンの判定勝ち。チャールトン・ヘストンは、眼光鋭く、苦み走った良い男。全米ライフル協会の会長だった時は、その眼光の鋭さで、銃規制派もすくみ上ったんじゃないかな。
小生のお気に入りのC.コナーズ、ちょっとどころが、だいぶ可哀そう。せめて一度ぐらい見せ場を作ってから、B.アイヴスに殺されても良かったんじゃないか。それだけの値打ちもなかったか!ジーン・シモンズは、イギリス人で、東部の女であり、西部の女ではありませんが、キャロル・ベイカーは、正にピッタンコ。1931年生まれで存命中だから89歳か。どんなお婆さんになっているのか。
C.ビックフォードは、あれだけ豪華なお屋敷があり、しかも、ごまんといる牛を飼っているところを見ると、アイヴスが言っていたように、相当な悪さをして来て、ここまで伸し上がって来ている筈です。ですから、最後は、勧善懲悪で、ビックフォードがアイヴスに殺されると思いきや、相撃ちでチョン。余りにも長いので、生理現象がおきましたが、最後まで見たので面白かった。
(安田) 「アラビアのロレンス」 の冒頭に近い場面で、ピーター・オトゥ―ルのロレンスがエジプト
イギリス女優 ジーン・シモンズ 。同じイギリス人の ヴィヴィアン・リー、エリザベス・テーラー にやや似ていて、
グレゴリー・ペック が荒馬を乗りこなすのに悪戦苦闘するシーンはとても印象的。
また、ペックが船乗りの経験を活かして荒野を探訪するのに磁石と
グレゴリー・ペック は ゲーリー・クーパー、ジェ-ムス・ステュアート などと並びアメリカの良心を代表する俳優だと評されていますが、
(保屋野)大作、「大いなる西部」は、劇場で1回、テレビで5回ぐらい観た、ジャイさん同様私のNo1西部劇です。感想等はプロの皆さんのおっしゃる通りで、アマの私が付け加えることはありません。
ちなみに、西部劇に「大作」は少ないと思いますが、昔見た「西部開拓史」、ジャイアンツ」も面白かった記憶があります。ただ、誰かが云っていた、少々「グレゴリー・ペックに都合が良すぎる」という安易な点はありましたが、気になるほどではありません。
① 決闘シーンで弾がそれたこと。② 水利権付牧場が簡単に手に入り、しかも買う金があったこと。③ 対立する2人が相打ちで死んでしまうこと。④ キャロルベーカーより魅力的な?ジーン・シモンズに上手く乗り代えられたこと。
大西部の雄大な風景、特に水争いの河の風景が圧巻。テーマ曲も絶品。ただ最後に、キャロル・ベーカーとチャック・コナーズがちょっと可哀相。
(編集子)エーガ館、テレビ、