“ミス冒愛好会” (1)ミステリ開眼の記 - はなしのきっかけとして

小生は満州からの引き揚げのどさくさで、小学校には1年遅れで入学した。今は入学するのは偉く大変らしいが、義塾普通部にあっさり進学できたのも、まだ戦後の混乱期であったのが幸いだったのだろう(小生入学時の倍率は2倍だった)。自分では親が決めてくれた学校、くらいの意識しかなかったが、この中学3年間の生活が自分の現在のありかたを決めてくれことにはただ感謝しかない。体が多少大きかった(終生ついて回るはずのあだ名の由来である)こともあって、ラグビー部に入れてもらっていい仲間ができたが、高校進学で運動部をやめたのは、小さいころからの、言ってみればおやじのしつけで一種の読書フリークになって迎えた思春期の反動だったのだろう。高校では一級上でのちに東宝常務になった鎌田陸郎さんの誘いを受けてすんなり新聞会(ハイスクールニュース)に入り、将来の夢としてなにか文学とかジャーナリズムにかかわった職業をぼんやり意識したりしていたが、同じクラスになった普通部時代ラグビー仲間の鈴木康三郎や既に立派なナンパだった柴岡正和などから映画を吹き込まれ、同じように映画通で同時にいろんな本を読んでいた菅原勲(現在はエーガ愛好会の中心である)から、ミステリー、というものを教わった。当時はまだ推理小説、といわれていて謹厳実直だった父はこれを異端視していたから、シャーロック・ホームズしか知らなかった僕には全く新しい分野だった。

菅原から教えてもらった早川ポケットミステリ文庫で初めて読んだのがメイスンの “矢の家” である。A.E.W メイスンというのは英国の作家で、20世紀初頭、英国では名だたる文学者がいわば手すさびに推理小説を書いた時期があり、ほかにも イーデン・フィルポッツだとか、G.K.チェスタートンだとか、純文学のほうで知られている人も優れたミステリを書いているが、なぜはじめて読んだミステリがメイスンだったのか、今となっては全く記憶にない。ただ、推理そのものよりもこの訳書の持っていた雰囲気というかトーンというか、そういうものが好きになったのは確かで、それ以来、翻訳、というものの重要さ、というか、逆に言えば翻訳ひとつで読者の受け止め方が違ってくることを実感、のち、”ミス冒” を原書で読む、という僕なりの”冒険”を始めるきっかけになった。

それから、毎月HPMものを2冊くらいを乱読するのが続いた。ただ本格的読者ならそうあるべきな ”このトリックはなんだ” という態度よりも、雰囲気というか展開のほうに目が行く読書態度は変わらなかった。それだけに最後に展開する犯人の意外性、による衝撃が楽しみだった。そういう意味では、アガサ・クリスティの ”アクロイド殺人事件” がミステリへの深入りを決定づけたのだと思う。同じような感覚を味わったもうひとつがウイリアム・アイリッシュ ”幻の女” だった。先輩めいた発言を許してもらえば、これからミステリを読んでみようか、という人にはぜひこの2作をお勧めしたい(アクロイドのほうは現在もハヤカワ文庫の常連だし、アイリッシュはアマゾンに在庫があることは確認)

専門家の論評によれば、推理小説の傑作は1930年代の英国を中心として新興文化圏ニューヨークのインテリ層に伝搬していき、クリスティとならんで ”must read” にあがるエラリー・クイーン、ヴァン・ダイン なんかが台頭する。クリスティは今の日本でも圧倒的な人気があり、100冊を超える作品があるそうだが残念ながら、僕が読んだのは20冊にはならない。アクロイド殺人事件は前記した事情もあるのだが、推理小説の全盛期、そのダインが主張した 推理小説20則、とか ノックスという作家の設定した推理小説10戒、などという一種のルールブックには違反している書き方になっている。なぜかは言うと筋がばれるので言わないが、そんなやっかみは忘れて、一度は読むべきものだと思う。そのほか、トリックが優れているなあと思うのは ナイル殺人事件 と白昼の悪魔 だろうか。傑作とされる そして誰もいなくなった は舞台の設定が正常ではないので、確かに意外性は優れているが全体のトーンというか雰囲気があまり好きではない。もう一つ、たびたび映画化され、テレビドラマにもなり(日本に設定を変えた野村萬斎主演というのもあった) オリエント急行殺人事件 の着想には驚いたものだった。やはりクリスティ物は確実に売れる、ということなのか、ハヤカワ文庫の常連として大きな本屋なら簡単に買えるものばかりである。

(この作品は何回か映画化されているが、なんといっても1974年に公開された、シドニー・,ルメット監督のやつはすごかった。ポアロがアルバート・フィニー、殺されるのがリチャード・ウイドマーク、主演格がロレイン・バコール、イングリッド・バーグマンにジャクリーン・ビセット、ショーン・コネリー、ジョン・ギルガット、アンソニ・パーキンスにヴァネッサ・レッドグレイブ、などなどで、いったいギャラはいくらだったのか心配になるものだ。ミステリを始めようか、という方には一つのいいきっかけかもしれない。アマゾンのDVDにはいくつもあるが、どうも1974年版ではないようだがチェックする価値はあろう)。

一方、推理小説の嚆矢者とされているエドガー・アラン・ポオは米国人だが、その歴史的立ち位置以外には現代の読者にはあまり読むべきものがない。やはり米国の大物、と言えばダイン、クイーンにしぼられるのだが、20-30年代のアメリカの知識層の拠点はニューヨークだったので、ダインの作品はすべて、この指導層というか知識層むけ、自己顕示むき出しのスタイルで、すべての作品に美術や歴史に関して絢爛たるというか鼻につく衒学趣味が横溢する。およそ僕の趣味だはないのだが、トリックを追求する、という大原則では評価の高い作品がある。ダインというのはペンネームで、本人はその筋では知られた文学評論家であった。持ち前の理論で一人の人間が一生に書ける推理小説は6冊までだ、と訳知りに行っていたものの、結局12冊の長編をのこした。僕は一応全部読んでみたが、専門家筋が傑作という 僧正殺人事件、グリーン家殺人事件 には結構頭を使ったものだった。ただ正直、もう一度読もうかという気にはならないのは作品の出来栄えより著者の高慢さが気に食わないからだ。同じころ活躍するのがエラリー・クイーン、二人の従兄弟の合作で、作品の持つ雰囲気や適度のユーモアやシリーズものとしての親しみもあって好きな作品が多い。中でも オランダ靴の謎 ギリシャ棺の謎 といったようにタイトルに国の名前を冠した国名シリーズと、より重厚な雰囲気をもつ Xの悲劇 Yの悲劇 zの悲劇 は有名で、特にY の悲劇は専門家筋でもナンバーワンに挙げる人が多い。筋だても複雑だが、犯人の意外性、というベーシックな点では僕ら素人も納得できるものだと思う。

日本の作家となるといろいろ意見が分かれるだろうが、僕は高校2年の時、日吉校舎の図書室で見つけた、高木彬光の わが一高時代の犯罪 を読んで高木ファンになり、その後も結構読んできた。高木について付言するなら、なんといっても 成吉思汗の秘密 が大好きだ。英国の女流作家 ジョセフィン・ティに 時の娘 という傑作があり、英国史上悪逆の王とされている リチャード三世が、史実を辿ってみると実は優れた王だったとして歴史の汚名をそそぐ話があるか高木はこの作品でベッドサイドデテクティヴを演ずる神津恭介に、”それじゃ僕は時の息子 という本を書こうか” と言わせている。この本を読んだ結果、僕はかの源義経が成吉思汗である、ということを、人類に技術を教えたのが地球外生命体だとする古代宇宙士飛来説と同じく、固く信じていることを告白しておいて、企画したセミ・オンライン・ペンパルのきっかけにしたい。