日帰りで檜原村の滝巡りをしてきました。
秋川渓谷沿いの沢に入ると数か所の滝が流れ落ち、杉木立の沢に沿って15,000歩の良い汗をかいたハイキングでした。
ランチは渓谷を見下ろすテラス付きのイタ飯屋で、アルコール無しビールで喉を潤し舌鼓を打った。写真数枚貼付します。今は身近な場所を楽しみながら、コロナ収束後のもうちょっと本格的な山歩きが楽しみな今日この頃です。
一服の涼をお楽しみ下さい。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
映画ファンのはしくれとして、今まで見る機会に恵まれなかったし、資料によれば米国では史上最高の評価を長期にわたって受けている作品と承知していたので、多大の期待を持ってBS劇場にのぞんだ。しかし、見終わった感想は期待外れだった、としか言いようがない。
専門の人たちの評価はおそらくこの作品に示された、映画作成上の技術的側面に対してのものだろうし、そういう面で言えば、確かに画面の作り方とか、導入部の画面の技法とか、プロの眼でみれば高い評価を受けるのかもしれない、とは思う。しかし映画を見終わった後になにか心に残ったものがあったのか、あるいは単純にあのシーンはよかった、というような即物的なものがあったか、といえば、なかった。このあたり、愛好会の方々からはお叱りを受けるかもしれないが、小生の実感。
なお、資料を見る以前からそうではなかったのかと思っていたが、やはり新聞王ハーストがモデルということで、確認してみてさもありなん、と感じた。米国駐在中に住んでいたベイエリア、いまでいえばシリコンバレーからハーストの住居あとまで至近の距離だったが、最後まで行く気が起きなかった。そういう先入観みたいなものもあったのかもしれないが。
(HPOB 菅井康二 )私もGiさんの感想に全く同感です。ストーリーにも登場人物(
(44 安田) Giさんと同感。「アメリカ映画ベスト100」で第1位にランクされ、世界映画史上ベストワンとして高く評価され革新的な多彩な映像表現が話題を呼んだ作品だと知り、10~15年ほど前に初めて観た。1941年の制作当時は画期的で斬新であったに違いない映像表現も、制作から70年後では格別には印象に残らなかったことを覚えていた。オーソン・ウェルズ25歳の監督デビュー作で、プロデュース・主演・共同脚本も務めた。オーソン・ウェルズ出演の作品は、後に制作されたジョーン・フォンティンと共演の ジェーン・エア、第三の男 を先に観ていて、鳴り物入りの 市民ケーン に対する期待はとても大きかった反面、がっかりしたものだった。
歴史上立志伝中の新聞王ハーストをモデルにした波乱万丈の伝記的映画で、彼の立身出世、見栄、虚栄心、毀誉褒貶、男女関係、没落、空虚、孤独などが描かれストーリーは至ってシンプル。亡くなる時に遺した「バラのつぼみ」Rosebud という謎の言葉を解き明かすニュース映画記者のインタービューがドキュメンタリータッチで描かれる。エンディングで焼却炉に燃やされるガラクタ美術品の中から、子供時代に遊んだソリに「ROSEBUD」の文字が浮かび上がり、何もかも手に入れることが出来た男の人生であっても、心の中にぽっかり空いた「貴重なモノ」、癒し的な価値を代弁させたのではと思える。映画は、人の人生には仕事の成功、社会的栄誉では満たされない、もっと崇高な大切なことがあると伝えているのだろうか。
ついでに、オーソン・ウェルズは若くして映画界に新風を吹き込み絶大な成功を収めたが、後年は尻つぼみになった感は否めない。彼が演じたカーン新聞王を見ているようでもあった。実在のハースト新聞王も晩年は大恐慌の悪影響もあり経営難に陥った。ハーストの死後(1951年)、孫娘の誘拐時間がマスコミを賑わしたこともあった(1974年)。第三の男でも共演した盟友ジョセフ・コットンは 市民ケーン が映画デビュー作で、ケーンの友人役を演じ、オーソン・ウェルズ作品の常連となる。のちの彼の映画同様、彼は良かった。
観終わった後、再度「どうしてつまらなかったのか」を考えた。ローアングルからの撮影や遠近を同じように焦点を合わせ鮮明に撮る(パンフォーカス)などの当時革新的な撮影技術が、今日では最早珍しい手法ではなくなっていた。更に同時代の面白い映画「風と共に去るぬ」、「カサブランカ」と比較すると、登場人物の心理描写やドラマティックなストーリー展開ではなく、ただの伝記映画と云うのはつまらなく感じられるからであろう。
(大学時代クラスメート 飯田武昭)今回のBSプレミアム放送は観ていませんが、私もこの映画への評価は全く同感です。私の中では今更に、いちいち論評するに値しない作品と思っています。
劇場で観たのは多くの方々の同じように日本初公開時ではなく結構後の1980年代だったように思います。20世紀の映画評論家(双葉十三郎氏他著名な評論家諸氏)が選ぶ名作ベストテンの常に上位(それも1位、2位)に入っていた映画だったので期待して観た記憶がありますが、どうしてもその良さが感じられずに他人にも語らず黙っていたように思います。その後にTV放送でも見てやはり同じように、どう贔屓目にみても、自分のベストテンの上位には入れられない作品だと思っていました。今回ジャイがこっ酷く酷評してくれて、フォローした「エーガ愛好会」精鋭の諸氏が同じく酷評し、胸のつかえが取れた感じがします。
(41 相川正汎)私もよくわからず 再録を2回見ました。
アメリカを熱狂させたのは、25歳の新人が脚本からてがけ、ハーストの晩年までを演じきったことにびっくりしての 評価でしょう。 出演者は新人ばかり。ストーリーもアメリカ人の好きなアメリカンドリームで、最後は没落してしまい、巨額の財を得ても得られぬものがあったという話で大衆受けするものです。金と地位を得ると人間どうなるか、通俗的ですが、よく描かれていると思います。最後の一言の意味するものは何か、サスペンス風に引っ張ります。ハーストの妨害をうけたことも、権力者への若者の挑戦とみられたようです。スノードームが一瞬にして子供の頃の思い出に帰らせる。妙味出てます。
オーソン・ウェルズの映画は公開時に見ていないので、私にはどうもぴんときません。伝説の人です。アメリカで凄い凄いと言われたけどどうなのか、期待感とのギャップが生じます。「第三の男」は陰影が強調された映像とチターの演奏に哀愁を感じますが、ウェルズが少し顔出すストーリーが私にはよく理解できませんでした。
(普通部OB 菅原勲)「失われた時を求めて」。マルセル・プルーストにとってその切っ掛けは紅茶とマドレーヌだったようだが(と言っても、小生、その第1編「スワン家の方へ」の第一章しか読んでいない。世にいう、名作、傑作が面白くない典型的な例)。
それにしても、「市民ケイン」は滅茶苦茶やつけられたな。草葉の陰で、オーソン・ウェルズが号泣してるよ。ちょっと、慰めなきゃいかんな。
こっちの作品ではウエルズもコットンも印象にしっかり残っているんだが。そのうち、”ラストシーン コンテスト” でもやれば必ず出てくるだろうし、相川さんの疑問を解くためにもも一度、みようよ。メリーゴーラウンドの場面でのオーソン先生はよかったけどね。
(大学時代クラスメート 飯田武昭)
ジャイがジントニックを日課としているようなので、久しぶりに飲みたくなり、今日近くのスーパーでジンを買ってきて飲んでいます(普段はビール、焼酎、日本酒、ワイン、スコッチ、バーボン派です)。若い頃やアメリカで良く飲んでいた爽やかな味と飲み心地良さを味わっています。
(編集子)宝塚のようなハイカラな街ではそういうことはないでしょうが、
ワインブランドのKWVのエピソードも面白く読みました。この種の話では車の車種で日産のTIIDA(ティーダ)というのが十数年前からありますが、これがスマホで使っていた私の飯田武昭のイニシアルを取ったようで気になりました。同じく会社生活時代にプラスチック・フィルム事業担当をしていた時期にフランスのリオンに本社があった化学会社ローヌ・プーラン社と交渉のため3~4日リオンに出張しました。ローヌ社の交渉のトップがBertaniというムッシュでしたが、パリのドゴール空港でDuty Freeショップを見ているとFrench WineにBertaniというブランドを見つけて相方と大騒ぎにして買って帰りました。朝からジンだのワインの話ですみません!!
(編集子)飲み物の名前で苦労したことを思い出しました。初めての米国生活が始まったころ、近くのレストランで Beer と言ったらウエイトレスが “バドリンプ?” と聞くのです。何回聴いても 同じことを繰り返す。色の黒い人には良くありますけど、云いなおす、なんてことをしないでただただ、相手が悪いと言わんばかりに言い募るだけ。俺の発音がいけないのか、なんなんだ、これは? と切れ掛かったら、奥から出てきた色の白いひとがにやにやしながら、She is asking, Bud or Olymp ,my friend と言ってくれたのでやっと了解。つまり, あんた、バドワイザなの、それともオリンピア (ちょうどそのころカリフォルニアではやり始めたブランド)、どっちなのさ? と聞いていたのです。手のかけすぎだの、だから生産性が低いのと偉い学者さんはよく言いますけど、日本のお店の丁寧さがつくづく恋しかったですな。
実在の男勝りの女傑カラミティ・ジェーンの奮闘と恋を描く西部劇
史実は別として、ドリス・デイのミュージカル・コメディは、その
やがてジェーンは男たちの憧れの的だった大女優で歌手のアデレー
(編集子)カラミティ・ジェーンについてグーグルの記述は次の通りである
カラミティ・ジェーン(Calamity Jane, 本名マーサ・ジェーン・カナリー(Martha Jane Cannary, 1856年(または1852年)5月1日 – 1903年8月1日)はアメリカ西部開拓時代の女性ガンマン。別名平原の女王。ワイルド・ビル・ヒコックの親友として知られ、西部開拓時代における女性開拓者でありプロの斥候だった。彼女の両親(ロバート・Wとシャーロット・カナリー)はプリンストンの北西11キロメートル(7マイル)にあるラヴァーナのはずれに住んでいたとアメリカ合衆国国勢調査局の1860年の国勢調査記録で判明している。彼女には2人の弟と3人の妹がおり、彼女は6人姉弟の長女だった。
アメリカ軍の斥候としての活躍は彼女の自叙伝があるらしいが、こういうたぐいの本によくあるようにどこまでが真実かは分からず、本人にはかなり虚言癖があったとの説もある。軍を引退してからは1893年にはカラミティ・ジェーンとしてバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショーに騎手および曲芸ガンマンとして参加、ショーの全米巡業にも参加した。
1903年8月1日、キャロウェーホテルに滞在中に肺炎を起こし、47歳で亡くなり、サウスダコタ州にあるモリア山墓地の、ワイルド・ビル・ヒコックの隣に埋葬された。
(普通部OB 田村耕一郎)
昨日、慶大野球部が大学日本一となり34年ぶりの優勝でした。
それにしても、我々の時は7連戦で最後にW安藤にやられましたね
塾には1年下に清沢名投手(岐阜商出身)がいたのですが・・・。
同期では、外野に渡海(卒業後プロに)、山田、小島兄、近藤、
夏目、鶴岡、島田、玉置さん達・・・がいたと思います。マネージャーの平光清さんは日本通運入社しマネージャー、数年後
「丘の上には・・・」の歌声が響いてきます。
(普通部OB 船津於菟彦)
テレビ観たましたよ。はらはらでした。
5月号の三田評論に清沢が想い出話載せていますね。あの時優勝記
この頃の大学はスポーツ専門の学科があるんですね。福井大そのよ
ボートも早稲田に勝つし、100meterも凄い。活躍してます
(編集子)
平光とは高校時代、同じバスルートで通っていてほぼ毎朝顔を合わせる仲だった。ドームがまだ後楽園だったころ、広島―巨人戦を見に行き、内野席の前のほうだったので、試合終了後、引き揚げてきた彼に席から手を振って、”おお、来てたのか!” と嬉しそうに答えてくれたのが楽しい思い出になっている。苦労話も聞く機会があったし、かれから著書ももらった。”野球の神様” 川上哲治に退場を命じたのは史上ただひとり、平光だったのは有名。 その後、会社引退後、地元多摩三田会の講演に来てもらったことがある。”おめえ、正式のルートで依頼されるのが本筋よ。そうなりゃ一晩30万もらうぜ!” と言いながら、確か5万円くらいの講演料できてくれ、二次会(彼自身はほとんど飲まない口だったが)では女性軍に囲まれて上機嫌だった。これがきっかけでその後2回くらい、食事をした記憶がある。一言で言えば絵にかいたような典型的KOボーイだった。渡海はKWV同期の吉牟田と麻雀仲間だったはずだが、小生は在学中は縁がなく、社会に出てからまもなく一度だけ、ラグビー部の先輩とバーで同席したことがある。 ”明日はたぶんシマゲン(当時勢いのあったホエールズの島田源太郎投手)と対戦だな” と言っていたのを覚えている。
(37 菅谷)堀ちゃんの13時間の行動にあきれ返って居ましたがこの時期の水芭蕉「ジャンボタクシー利用の尾瀬往復」流石、貴兄のアイディアと行動力だと感服しています。懐かしい尾瀬、写真で堪能させて貰いました。
私はコロナ自粛で脚力低下、4~5時間が限度ですが又、静かな山歩きに誘ってください(ツムラの68番、多めに持参します!)。
燕岳、常念岳に出かけました。行きのあずさはがら空き。穂高から中房温泉へのバスも私と私の連れの二人だけ。順調に登り始め合戦小屋までは順調に行きましたが、パートナーがやや不調、雪も出始めましたがアイゼンをつけることなくバテバテで燕山荘に予定より小一時間遅れて5時30分着。ビールが美味い ご褒美に槍の穂先が少しだけ顔を出してくれました。燕山荘の宿泊客は他に二人の計4人。小屋代の13000円への値上げやむなしか・・・
9月3日水
今日は燕山荘から常念小屋まで縦走します。良い天気に恵まれました。久しぶりに良い雲海を見ることができました。槍も穂高も最高 天気が良く今回の山行の一番の目的であった槍・穂高の残雪期のパノラマを堪能しながら順調に進みました。大天井岳へは喜作さんのレリーフから初めて直登しました。歩きづらく疲れましたね。
引き続き景色を楽しみゆっくりペースで3時に無事到着。ビールを飲んでゆっくりできると思ったのですが、、、、、大事件勃発です。
何と小屋の主人が明日は大荒れの天気になるので、今から下山しろ4時間で着くから早く出発しろと言います。反論を許さない強い口調で半強制的に追い出されました。さあ大変! コースタイムは4時間で結構ハードでゲイト到着は7時頃になってしまいます。沢筋の為か足場が悪く歩きづらい!何かあったら真っ暗になってしまう。しかも一日でトータル13時間の行動になるので腿はパンパン、足先も痛い 食事も行動食しか食べていないので腹が減っている。でも頑張りました。途中で連絡した知り合いの安曇野のゲストハウスのオーナーがゲイトまで迎えに来てくれました。7時10分着。丁度朝から13時間の行動。車の明かりを見た時には本当に、ほっとしました。本当にキツイ1日になりました。ハウスで温泉に浸かり、オーナーが用意してくれた心づくしの夕食を食べてビールを飲んで、、、爆睡。あと13日で80歳の老人のやることではないと思いました。
常念小屋からの一の沢ルートは未だ入山者が少ないためか、登山道は荒れているし上部は残雪も残っていてきわめて歩きにくかったです。沢筋に出ると沢の中を歩くようなところもあり、何回か丸木橋もわたる。これでは雨が降ったら登山道か沢かわからなくなるだろうし、極めて危険な状況になるだろうと思われます。
BSで放映された 眼下の敵 を見た。潜水艦を舞台にした作品はそれほど多くはないが、この 眼下の敵 Enemy Below は最も高い評価を得た作品ではないか。たしか クリムゾンタイド のシーンだったと思うのだが、潜水艦のベテラン乗組員が新参の部下を試し半分、脅し半分でからかう場面で、眼下の敵 を観たか? というシーンがあった。実際の乗員たちの眼から見ても優れた映画だったということではないだろうか。
艦長のロバート・ミッチャムは当初は乗員の間には能力を疑問視するものも多かった民間人(海軍士官学校を出ていない)出身だが、敵に遭遇してからは目を見張る指揮ぶりを見せる、というよくあるパターンのストーリーだが、新婚間もない夫人を敵潜水艦の攻撃によって死なせてしまったという過去を持つ人物として描かれる。ほぼ同じ時代に作られた、クラーク・ゲーブルとバート・ランカスター共演の 深く静かに潜航せよ ではゲーブルが過去に日本海軍の駆逐艦にやられた恨みを持ち続け、執拗に復讐の機会を待ち望むということが主題になっている。
同じ潜水艦乗りを描いた2本だが,ミッチャムのほうは完全なヒーローとしていわばいいところだけ出てくるのに対し、ゲーブルは日本駆逐艦(たしか アキカゼ という名前になっていたが、同名の軍艦は存在していないと思う)に対する敵意と妄想みたいなものが感じられる不気味な存在として登場し、自身は負傷戦死してしまうという筋立てになっていた。その意味では非常に対照的な人物描写だったので、眼下の敵 は気楽に見られたのだが、深く静かに のほうはもうひとつ引っかかる部分があった。
しかし潜水艦乗員が持つ不安とか恐怖というものをより深刻に味合わせたのがドイツ映画 Uボート だった。ほかの2本はアメリカ製、というか連合国を意識した映画だったのに対して、ドイツ側に立った映画だから、ハッピーエンドに終わらないことは最初から予測できるのだが、それにしても陰惨な、といえば言い過ぎかもしれないが見終わって苦いものが残る映画だった。
第二次大戦を背景にしたものに対して、冷戦時代に作られたものや最近の作品は実戦の描写がない以上、サイエンスフィクション的要素が強くなる。その代表がトム・クランシー作品の映画化 レッドオクトーバーを追え だろう。同じ潜水艦であってもそのメカニズムは戦時下のものとは雲泥の差であり、潜水艦乗りの意識もだいぶ違うはずだ。第二次大戦のときに潜水艦同士の戦闘というのがどれだけあったか知らないが、この映画ではその場面が迫力あるシーンで描かれる。フィルムの出来栄えでいえば、なんといってもショーン・コネリ―に圧倒される(またこの映画ではじめてスコット・グレンという俳優を知った)。
同じ時代背景でも、冷戦の恐怖を味合わせたのが ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンの クリムゾン・タイド だった。この作品の主筋は核ミサイルを発射するかどうかのスリルなのだが、副筋はワシントンに対する人種差別意識であり、そういう意味では現代アメリカの持つ深刻な問題を取り上げた作品でもあった。この艦の艦長が問題に突き当たった原因は通信システムの故障ということであるが、これが故障で情報が遮断されたのだから変な話だがまだよかったので、これが最近話題のハッキングなどであったら、惑うことなく艦長は核ミサイルを発射したはずであり、そういう意味では背筋が寒くなる映画でもあったし、娯楽作品と言ってしまうには深刻なものだった。
最近の作品では ハンターキラー潜航せよ はそれに比べれば100%娯楽作品として安心して見られる作品だが、ソナーが主役と言ってもいいほど、艦内の描写はその音とエレクトロニクス技術の凄さに尽きるといってもいい。艦長役は只今売り出し中のジェラルド・バトラーだが、眼下の敵のミッチャムに比べると数段格落ちの印象を免れない。第二次大戦時の潜水艦を支えていた技術が当時の最高峰としても、それを動かすのは人間であり艦長であったのに、現代の艦長はシステムが指示するものを選択するのが役目になっている、という背景がそうさせてしまうのだろう。
エーガ愛好会(69)「映画音楽好感度ランキング」を楽しく拝見しました。
いずれも名作でその作業に感心致しました。ランキングでベスト何本かを選ぶのは、絶対に外せない「風と共に去りぬ」の製作年代1930年代から今日までの約90年間から選ぶ訳で、所詮は無理を承知で読む方も読まなければならない窮屈さがあります。選ばれた作品は肉食系男子?が選んだ西部劇系や決闘物が少し多めに入っている感じがします。私としては「映画ベスト15」のリスト24本に加えて欲しい作品が数本あります。
「五つの銅貨」「アニーよ!銃を取れ」「巴里のアメリカ人」「メリー・ポピンズ」とチャップリンから「モダンタイムス」か「キッド」です。
学生時代に劇場で見た時と近年になって再々度見る時とかなり印象が違って来る映画があるのは当然仕方ないと思っていますが、私は映画は芸術と大衆娯楽の中間にあり、スポーツで言えば「大相撲」に近いものと考えるようになりました。強いだけでは駄目で、様式美が備わっていて、出来れば楽しい作品が良いと思うようになってきました。
「クラシック音楽」分野に入れるのは無理がありそうですが、「七年目の浮気」などはモンロー映画が入っていない中で、「ピアノ協奏曲第2番/ラフマニノフ」を繰り返し使ってストーリー展開に大きな役割を与えたビリー・ワイルダー監督(「情婦」も大好きな作品ですが・・)に敬意を表して入れたいです。「映画音楽」では「モア」の「世界残酷物語」、ブラジル映画「黒いオルフェ」とドイツ映画「会議は踊る」(主題歌 “ Das Gibt’s Nur Einmal 唯一度の機会” がオペレッタ調の軽快な美しい曲で映画が劇場公開された当時、日本でも主題歌がヒットし、今日でもドイツ語の言語でカラオケで歌う輩も居ます)など名曲が入らないのは残念です。
(編集子)飯田君は大学時代の経済F組でのクラスメートである。三田の部室には毎日顔を出しながら教室には縁遠かった自分とは違って、このクラスには真面目な連中が多かった。そういうわけで(考えれば論理的な関係はないのだが)同君とはあまり深い付き合いはしていなかった。すでに何回か本稿に寄稿してもらっているがクラシック音楽はともかく、これほどエーガに詳しいとは、ご説 ”肉食男子系” の一人として嬉しい発見だ。彼自身、映画関係のグループを主宰しているようで、今後ともコンタクトがあればうれしい。
(44安田)四大メジャートーナメントの一つ全米オープン女子ゴルフ、19歳で史上最年少優勝を果たした笹生優花の華のおかげで大坂なおみの件は霞んでしまったかのよう。笹生の快挙は大坂なおみにとっては逆風になるかも。大坂は女子プロスポーツ選手としては世界一の稼ぎ頭だそうです。年間60億円を超えるとのこと。このままだと単なるわがまま!そんなに稼いでいるのに、嫌なら“やめたら”の怨嗟と嫉みの声もあるはず。High Risk, High Return! の自業自得でしょう・・・・、では終わって欲しくはありません。全仏棄権の後、東京オリンピックは出場する意向を直ちに発表したようですが、世間に与える心理的影響としてはタイミングは良くなかったですね。
大坂の周囲には親身になってアドバイスしてくれる人はいないのでしょうか?プロの心理カウンセラーも必要でしょう。大リーグの日本人選手も通訳が帯同しているとはいえ、コミュ二ケーションの問題もあり心理的に孤独との闘いだそうです。心理カウンセラーを雇っている選手もいるそうです。大坂なおみ、錦織圭、日本人大リーガー・・は皆年俸が半端なく経済的問題はないはず。肉体面は勿論ですが、外からは見えない心理面のケアーの為の心理カウンセラーを持つべきです。既に雇っているかも知れませんが。男子テニスで、全英6連勝、全仏は4連勝を含む6勝をあげたスェ―デンの貴公子とうたわれたビョルン・ボルグは全盛期の26歳で引退、物議を醸したものでした。彼の場合も、燃え尽き症候群から来る一種のうつ病に罹っていたとも言われています。
大坂は、ハードコートを得意として全米・全豪を2勝ずつしているとはいえ、クレー(全仏)と芝のコート(全英)では実績もなく苦手。そんな不安定な心理面に、世界ランキングNo2として常にのしかかるプレッシャーとストレスが襲ってきて、元々苦手で歓迎しない記者会見の忌避へと発展したのか? クレーコートでの自信のなさが“敗戦”しても容赦なく質問を浴びせられる記者会見を想像するだけでも嫌になったのかも知れない。プロスポーツ選手としては戦場に臨む前に“敵前逃亡”したと云われても仕方がない部分もあると思う。アマではないのだから。会見に臨む記者たちも敗者にたいする質問はスポーツと試合のことのみに限定するなど主催者側がガイドラインを鮮明にして“選手ファースト”の立場を表明すべきだが、彼女も記者会見の問答集などをアドバイザーから教わり、真面目になり過ぎず、ユーモアを交えて対応していって欲しい。勝とうと負けようと記者会見などコート上の死闘に比べれば“何のことはない”と割り切って欲しい。自分の真価が問われるのは唯一コート上のみなのだから。
(普通部OB 船津)安田さん、そうそう。 プロとはなんじゃい。受け流すベガ必要ですよね。何処かの「総理
でも彼女の差別発言とかいろいろ世界に「発信」してくれました。 頑張って下さい!なおみちゃん。
(HPOB 菅井)優れたアスリートには競技での能力だけではなく人並み優れた人格
大阪選手の場合、経験や年齢を重ねることで期待される「プロ」に
私がたまたま知っている音楽の世界での話ですが、性格は最悪でメ
(グーグルから転載)女子テニスのセリーナ・ウィリアムス選手は「私も同じような状況に立たされたことがありどんな気持ちなのかを知っているから、彼女をハグしてあげたい」と大坂選手を激励。 俳優のウィル・スミスは「なおみ、君は正しい。彼らが間違っている。俺は君の味方だ」とサイン入りの手書きメッセージをインスタグラムに投稿し彼女を支持するなど、多くのアスリート仲間やセレブリティーが大坂選手をサポートする声を挙げています。 筆者が米在住の友人たちに聞いてみても、「さすがなおみ!勇気ある行動!」「今まで当たり前に消費されていたアスリートのメンタル面のケアが、大きく変わるかもしれない」という声が、主に働くアメリカ人女性たちから寄せられました。 “心の健康”を理由に大坂選手が記者会見に応じないとツイートした後に「4大大会からの追放もあり得る」と大会主催者が発表したことについては、単なる「Threat(脅し)」と認識しているようでした。