遠藤誉女史の自伝、「卡子(チャーズ)」(1984年、読売新聞社)を読んだ。極めて激しい衝撃を受けた。
その内容は、戦争の終わった1948年、日本に引き揚げずに満州の新京(現:長春)に残り、チャーズに収容された人たちの話しだ(戦いもせず、我先に逃げ出し、敵前逃亡とも言える軍規違反をした関東軍には言葉もない)。チャーズとは、国民党、または、共産党が管理し、鉄条網が張り巡らされた、小生の理解では、強制難民収容所だ。しかし、そこには住まいもなく、食料もなく水もなく、体力のない人は、それこそ次から次にバタバタと死んで行く生き地獄だった。現に、当時7歳だった女史がチャーズに足を踏み入れた際には、死体があちこちに散乱し、目を覆う状況だった。雑草も木の芽も、そして、食べられるもの全てを食い尽くした後に残っているのは、カニバリズム(人肉食)だけだった。チャーズで何人の、それこそ無辜な日本人が亡くなったのか、未だに分かっていない。
何故、こんな悲惨なことが、戦争も終わり、しかも民間人の身の上に降りかかったのだろう。シナ人がスパイの存在を恐れたためだとの説があったようだが、それだけではこの蛮行、いや大虐殺は説明しきれないだろう。
日本はシナで蛮行を繰り返して来たと教えられてきた。例えば、重慶の爆撃、南京事件、その他。逆に、中国共産党は、清く正しく美しく、まるで宝塚でもあるかのように一方的に日本を非難し続け、片方の日本は、腰抜けの河野洋平がただただ叩頭するだけの河野談話を発表するお粗末さ。この虚偽に、日本が未だに拘束されているのは言うまでもない。
中国共産党は、チャーズの存在自体を公にしているわけではなく、ましてそこで亡くなった日本人がどれぐらいいたのかなど全く興味を持っていないだろう。となると、チャーズでの大虐殺は歴史の闇に葬られることになるのだろうか。結局は、勝てば官軍、負ければ賊軍か。
最後に、亡くなった方々の御霊に合掌。