(保屋野)「哀愁」初めて観ました。ヴィヴィアン・リーとロバート・テーラーの共演、久しぶりに、目の保養になりました。ただ、ストーリーは、当時としては斬新だったのでしょうが、現代では良くあるパターン(陳腐は言い過ぎ)で、特にヒロインの救いようもない悲劇的ラストは後味が悪い。これに比べて、似た作品「旅情」や「慕情」も悲劇的作品ではあるが、ラストは、ヒロインの明るい未来を予測させる余韻の残る内容だったと思います。
さて、昔観た「旅情」と昨年観た「慕情」、そして「哀愁」・・演技派のキャサリンヘプバーンは別として、ヴィヴィアン・リーも魅力的ですが、私は、ジェニファー・ジョーンズの気品ある(控えめな)美しさの方が好きです。
(安田)「哀愁」1940年の映画以来、「愁」
- 日本の映画では「湖愁」1962年 嵯峨三智子主演がある。井上靖の同名の小説を映画化した1963
年の「憂愁平野」は 森繁久彌、山本富士子、新玉三千代出演。 - 日本の怪奇小説で「妖愁」というのもある。
- 幽愁も言葉として使うようだ。
(飯田)「哀愁」のビビアン・リーや「慕情」のジェニファー・ジョーンズ
私の好みからするとビビアンは演技派過ぎて、見ていると少し疲れ
(安田)確かにヴィヴィアン・リーの白眉は「風と共に去りぬ」と「欲望という名の電車」。映画の大成功と人気沸騰によって、“オリヴィエの妻”の枕詞で呼ばれていたヴィヴィアン・リーは、いつしか、オリヴィエは“リーの夫”と攻守逆転するに至り、誇り高きオリヴィエにとっては甘受し難き展開であった。二人は夫婦でありながら競合するライバルともなり、オリヴィエは妻の映画出演を快く思わなくなり、映画を舞台演劇の下と見て、妻もその影響を受ける。リーの演技が芝居がかった様相を呈するようになったのである。「欲望という名の電車」は先ず舞台で演じそれからエリア・カザン監督の映画に出演する。そのような事情が、映画の観客をして観るに疲れさせた原因の一つであったとも思われる。勿論、リーの感受性の鋭さも影響したと思われるが。
読んだヴィヴィアン・リー伝記本にも詳述されていたが、オリヴィエは男色趣味もあり(マーロン・ブランド、ダニー・ケイ、ジョン・ギールグッドなど沢山の男性が彼の恋人だったという)、夫婦は俳優としての緊張したライバル関係、リーの病気も手伝って、夫婦関係にはやがてひびが入っていき、離婚に至る。大向こうをうならせる俳優という人気稼業は大変複雑で難しい職業だと知らされる。ヘミングウエイの「武器はさらば」は、本を読み、1932年に映画化されたゲイリー・クーパー主演、ヘレン・ヘイズ相手役の「戦場よさらば」(なぜが邦題が異なる)を数年前に観た。映画「モロッコ」とほぼ同じ時代の古い映像だったが、クーパーの颯爽たる格好良さが印象に強く残っている。ロック・ハドソン ジェニファー・ジョーンズ版1957年は観ていない。またゲイで有名だったハドソンは逞しい体格とハンサム顔の割にはそれほど惹かれなかった。