名匠ラオール・ウオルシュ監督、ロック・ハドソン主演の西部劇で、ハドソンは若かりし頃から「ウインチェスター銃’73」「アパッチの怒り」等インディアン酋長も含め10本以上の西部劇に出演している。その後もメロドラマ、ロマンチックコメディ等ジャンルを問わず活躍したが、愛想のよい二枚目俳優が、ホモセクシャルなエイズに倒れたときのハリウッドの欺瞞性に驚きと悲哀を感じたものだった。
冒頭ティロップで説明があり、西部を荒らしたジェームス兄弟、ダルトン兄弟、ヤンガー兄弟等と並ぶテキサスに実在した賭博師であり、無法者であるジョン・ウエス・ハーディン(ロック・ハドソン扮)の物語。しかもその本人が獄中書いた自伝から、この映画は書き下ろされ、脚色されたとのこと。映画は16年の刑期を終えて出所するところから始まり、書かれた原稿を開くと、そのウエスの過去の物語が語られていくという回想形式になっている。ウエスの父親が伝導師で、度が過ぎる厳格さから、拳銃の曲射ちを咎められたことにウエスは反撥し、家を出て、賭博等に明け暮れる。ウエスは、ポーカーのふとしたことから、相手を殺してしまい、そのハンドリー兄弟三人組に追われることになる。それが「決闘!一対三」の邦題になるのだが、最後にでも華々しい決闘シーンででも終わりかと思いきや、一対三というスッキリしたものでなく、前半で呆気なく片が付いてしまう。三人のうちの二人は町の人に排除され、もう一人リー・ヴァン・クリーフとは、砂嵐の中簡単に射殺してしまう。その後、追ってきた保安官やらテキサスレンジャーとの間で、撃ち合いがあるが、西部劇に手慣れたラオール・ウオルシュ監督らしき冴えがなく、保安官との対決や最後のごろつきとの対決にしても、背中を撃たれるという信じられないことが起こる。二回も競馬シーンが必要あるのか?酒場で保安官ワイルド・ビル・ヒコックとの出会いがあるものの、それだけのことで、何の進展もなく、何のための出会いか意味不明。ウエスは確かに何人もの人を殺すものの、先に拳銃を抜いた者以外は殺していない筈で、やむなく人を殺すという運の悪い男に描かれ、何故か誰もウエスの正当性を主張しないのが不思議。
結婚することになる酒場の女ロージーは「アマゾンの半魚人」で有名なジュリア・アダムスが扮する。慎ましやかなところとお色気たっぷりなところを見せ、アラバマ州ポランドでの牧場での幸せな生活も一瞬、ウエスはテキサスレンジャーに捕えられ、重労働25年の刑を言い渡される。その後、刑期は16年に減刑され出所。牧場に戻ると逮捕されたときに生まれた男の子が逞しく成長していて、牧場を守っていてくれていた。大詰め息子が拳銃をもてあそぶ様を見て父親同様殴ってしまい、息子が酒場でごろつきと撃ち合いしそうなところを止めに入り背中を撃たれ傷ついた。父の敵を討とうという息子に対し、無謀な生き方を止め、自分の若き過ちを息子に繰り返させないことで、ようやくウエス自身としても自分の人生に安泰が訪れるのだった。
Wikipediaによれば、ジョン・ウエズリー・ハーディン(1853‾1895)は15歳で殺人を犯して以来、生涯40人以上殺したと言われる。諸州を放浪し殺人を繰り返した。1894年出所した翌年口論の末ジョン・セルマンに殺されたとのこと。
ボブ・デュランがこの実在のアウトローから採ったとされるオリジナルアルバム、ジョン・ウエズリー・ハーディングが、1967年に発表されている。
(編集子)Breed という単語は英和大辞典によれば ”普通、人為的に作られた動植物の種類品種系統、人のタイプ、カナダ米国では侮蔑語として混血児、と解説されている。”人為的に” という句の終わりにコロンがあるので、この形容詞句が人のタイプ、にはかかっていないだと思うが、主人公の人間としての結末は環境というか、”人為的” に捻じ曲げられた、というような意味があるのではないかと思わされる。法の及ばない辺境ではそういうことも日常的だったのだろうか。ほかの西部劇でも同じようなテーマがあるが。
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