(後藤)実は明治36年生まれの亡き母が最も好きな映画俳優がヴァレンチノとゲーリークーパーでしたので私も母のお供で幾つかの映画を中学生の頃観ました。沢山の良い作品の中で特に印象に残っているのは”ヨーク軍曹”と”誰がために鐘は鳴る”です。晩年にはフレッドジンネマンの”真昼の決闘”やヘップバーンとの共演ビリーワイルダーの”昼下がりの情事”などありましたが若々しくセリフの歯切れが良かったのは先の2本が特に印象的です。ヴァレンチノに関しては一本だけ”The Son of the Sheik”しか覚えておりません。他に”善人サム”と言う映画も若くてクーパーらしい男前といかにもスカッとした役柄が印象的でした。
しかし真昼の決闘以降の映画はクーパーファンにはあまり面白くありませんでした。ルー・ゲーリックの生涯をテーマの”打撃王”は素晴らしい映画でしたが ”The Pride of Yankees”を何故”打撃王”などと勝手な題名を日本で付けたのか母親はいつもボヤイテおりました。誰が為に鐘は鳴るのイングリッド・バーグマンとのラヴシーンは中学生には刺激が強すぎましたが鼻が邪魔するほど美形の二人のキスシーンは忘れません。
リバタリアニズムは個人の自由と経済活動の自由を最重視する考え方で、結果として経済的側面では保守、社会的にはリベラルな性格を持つと定義され、現在の仕組みで言えば共和党と民主党双方に共通する性格を持つ。この真逆に位置するのが、個人的にも経済的にも自由度が低く、個人よりも国家の利益を優先する権威主義ということになり、現存する共和党対民主党、という立ち位置はこの中間にある。権威主義、とは国家主義、宗教主義、共同体主義、人種主義などいろいろな思想が入り乱れるが、結果としていままでの米国において主流となったことはないし、米国人の大半にとって忌むべきもの、不当なものと考えられてきた。それは彼らが常に誇りとしてきた建国の思想であり、FREE COUNTRY という一言が世界中の人々にこの国に対するあこがれを抱かせてきた。日本人の多くも、その理想を追求する国に、模範として敬意を払ってきたように思う。現実に我々が憧れ、尊敬してきたアメリカという国の形は1950-60年後半あたりまでの、ケネディが磨き上げた国のイメージだったし、米国人の多くも同じ感覚を持っているようだ。そこにはに移民によって成り立つこの国が数多くの障害を乗り越えても、”建国の思想” を守り続けていくはずだ、という確信があった。