4人の男優が演じたエルキュール・ポアロを映画・




旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
4人の男優が演じたエルキュール・ポアロを映画・
大晦日はテレビに懐かしいエーガが沢山並んでいたが、今回は何をさておいても見なければならない、というフィルムがあった。暮れにアマゾンで調べたらまだ多少の在庫がある、ということだったので発注したのがこの日に到着したのであ る。DVDなのだから、何もこの日に見なくてもいいのだが、何が何でもすぐ見てみたい、という気になって、BS番組はそっちのけでこれも暮れに届いたDVDプレーヤを抱えて別室で堪能した。ルネ・クレマン監督、ジャンールイ・トランティニアンとロバート・ライアン主演、狼は天使の匂い である。
クレマン映画と言えばまず頭に浮かぶのは 太陽がいっぱい であり 禁じられた遊び で、この作品の名前は聞いたことがあったが、今日まで全く興味をひかれなかった。それがなぜこの時点で優先度1番になったのか。少し前に”ミス冒” で書いた、原尞の そして夜は甦る を読み直したからである。早川ポケミス版には、作者のあとがき・解説があって、”そして夜は甦る” の出版が自分の人生を二分した、と書き、”狼は天使の匂い” という映画は、まさに私の人生での 映画観 を二分した特別な作品だった、と書いている。そしてクレマンの2作が名作、傑作に値するのに間違いはないが、自身ですら名作・傑作とは思っていない 狼は天使の匂い のほうがもっと気になる作品であるのはなぜか、今でもわからない、という。そして自分の最初の小説の中に、そのいくつかのシーンを埋め込んだ、と言われれば、どうしても映画自体を観たくなったのは当然の成り行きだった。暮れにやったエーガ愛好会のベストテン候補に僕は 俺は待ってるぜ を入れた。数ある裕次郎映画の中で、一本を選べ、といわれたらためらわずにこれを
選ぶ。誰もが傑作、名作などとは決していわないだろうが、これなのだ、という感情がこの原のあとがきに書かれているのを知ってまた原への親近感が湧いた。
この映画のタイトルはいったい何なのだ。僕はフランス語を解さないので、フランス滞在の長かった甥に原題を訳してもらった。La course du lievre a taravers les champs を直訳すれば、野原を横切る野ウサギの競争、なんだそうだ。それがなんでこんな題名になったのか、映画会社の営業政策は例によってわからないのだが、この映画にはフランス語版と英語版があり、その英語版のタイトル And hope to die から、本書の題名を そして で始めた、と原は書いている。ここまで書かれて、日本語のタイトルの可否はともかく、映画を観ないわけにはいかないではないか。ウイキペディアでは
And Hope to Die is a 1972 French-Italian thriller-drama film directed by René Clément and starring Jean-Louis Trintignant, Aldo Ray and Robert Ryan. It is loosely based on the novel Black Friday by David Goodis.
と解説している。ここまでくればこの次は この Black Friday とやらを探すのが次のアルバイトになるような気もしてきたが、その前に映画そのものははっきり言って難解な作品だったし、理屈に合わない部分もあった。しかし映画の持つ雰囲気の異様さ、というか、DVDのカバーでは不思議なムード、と片付けているトーンは確かに腑に落ちた。どう落ちたか、といえば、作品の筋を作る暴力行為とか銃撃とか、そういうものではなく、最後のシークエンス、トランティ二アンとライアンがそこまで来ている自分たちの最後はそっちのけで銃撃遊びをする、そしてまた突然にそれにかぶさって出てくるエンドマーク、という ”切れ” というのか、これが僕の感じている ハードボイルド というものだったからだ。ハリウッドや日活の作品だったらこのラストは例えば友情だとか真実だとかそういう終わりになるだろう。もしそういう終わり方だったら、それはロマンであってハードボイルドではない。そんな映画だった。
後で気が付いたのだが、購入したDVDのカバーに使われているこの二人の表情がポケミスのカバーの一部に使われていた。原はこのカバーを気に入っているらしいので、たぶん、彼が感じているのも僕と同じなのではないか。勝手な想像だが、僕をますます原ファンにしてくれたようだ。
なお、原が小説 そして…. に映画のシーンを入れた、というのは、ポケミス版の192ページと198ページにあり、僕がしびれたラストシーンのことは209ページに書かれている。
山口県のほぼ中央、瀬戸内海沿いに位置する防府市からの年末状況
ナンカナイ会の皆さんは塾150周年ウオークで立ち寄られご存知
寂れゆく地方都市です。因みに、防府三田会会員は現在30数名。
その昔は、年末の買い物客で賑わった商店街も、御多分に漏れず、
閑散としたシャター通りに衰退。自粛、自粛で明け暮れた20
午後、散歩がてら防府天満宮を覗いてみたら初詣の準備は着々と進行。菅原道真が九州に流される道筋で現在の防府に滞在
山口県のコロナ感染者数は現在537人、内防府市は20人と抑え
宇都宮在住のため、近所のモール屋上より日光連山の夕焼けを撮影しようかと思いましたが、残念ながら本日全国的に北部は雪のようで撮影できませんでした。
その代わりに先日撮影した日光連山の遠景、そして12月26日に登った奥久慈男体山からの風景写真を送付します。
(55宮城裕之)
そうなのです!あの法政二高の駅「武蔵小杉」です。スレート引き平屋の工場が並んでいたあの「武蔵小杉」です。南武線が1時間に3本しか通らなかったあの「武蔵小杉」です。普通部時代、南武線で帰る友達を東横線駅内で南武線が来るまで喋りながら時間つぶしたあの「武蔵小杉」です。
が、今や一番住みたい街に変貌したのです。シャレタお店があちこちに並び、東横線特急が止まり我が「日吉」にはここで屈辱の乗り換えを余儀なくされている「武蔵小杉」なのです。その「武蔵小杉」のとあるマンション38階に住む倅宅ベランダから筑波山・スカイツリー・横浜ベイブリッジの遠望をお届け致します。今日大晦日は遠望が良くコスモポリタン東京の街が綺麗に見えました!
(41 田中透)
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会社時代米国主張先は事業所があったカリフォルニア、オレゴン、アイダホがほとんどだったが、何回かはそれでも東部にいくこともあった。ボストンにあったメディカル事業のオフィスを訪れたとき、週末を使ってピューリタン上陸の歴史ゆかりの地とかケネディ一家の別荘の所在地ハイアニスポートあたりをドライブしたことがある。そのとき足を延ばして明るい海岸線を走りケープコッドへ行った。およそ ”旅愁” などとは無縁のつもりだったがどういうものか 寂しさ を感じたときの感傷である。
ケープコッド
”ひどい風だね“ 乾いた東部訛りでその男は言った
”地球が丸い、ということを信じるかね?“ と俺は答えた
少し話をしたいと思うような相手だったが
”信じるね。丸いさ” といった男は
少女の肩に手を置き枯草の上を辿っていってしまった
マサチューセッツの夕陽が二人の影を引きずり
重いエンジンの音が俺だけを置きざりにする
振り向いた世界にはなんの色もなかったが
目の前にひろがる大西洋にはそれがあった
むらさき色の、その輝かしい絶望のなかへ
俺は心を投げる
今年最後のワンデリングに急に思い立って、一人ぼっちの忘年登山に天気も良いので出かけてみました。伊勢原から日向薬師までバス行き、7:50から歩き始め大山山頂を目指しました。
私の年齢では経験のない、コロナウィルスと言うモンスターに翻弄され続けた1年間でした。振り返ると予定された(予定していた)ワンデリングをどれだけ中止・変更したことでしょう。海外旅行は2月から3月にかけてぎりぎりの思いで行ったフランスのスキーだけで9月と10月に準備していたアラスカ旅行とアメリカ西海岸のツアーは全て中止にしました。両ツアー共に1年後即ち来年2021年の9月、10月に延期にしましたが、昨今の状況では実施できるだろうか懸念されます。でも、その中、反発したわけではありませんが、間隙を縫って回数にしてこの「一人ぼっちの忘年登山」で今年19回目のワンデリングとなります(日帰り10回、スキー2回内1回は海外、冬山を含む1泊以上の登山7回)。特に夏から秋にかけてはコロナに対して、自分でもこれでいいのかなと思いつつも泊りがけのワンデリングを楽しみました。
最近の私は、思いついたらなんでも消化することに専念しています。何時どうなるかわからない社会の様々な現象、また、明日には自分自身が動けなくなるかもしれない年齢になっていることを鑑み多少の批判を受けようとも、やりたいことを悔いなく満喫したいと思っている、今日この頃です。
予定していたコースタイムで大山山頂に来てやっと富士山を望めました。下山は阿夫利神社(下社)を通らずに蓑毛に下山してバスで秦野へ。天気は最高で暖かく気持ちのいいワンでリングでした。予定より早く完歩できたので電車で一つ戻って渋沢のいろは食堂で女将としばし歓談。ご機嫌で帰宅の途につきました。
ご存知かもしれませんがスタンフォード大学のウォルター・
シャイデル教授は大東亜戦争(私は「右」
現在進行中のコロナ禍によってこの現象(格差の是正)
事実100年前に我が国も経験した「スペイン・インフルエンザ」74万人、
話はマクロからいきなりミクロの世界になりますが、
銀座でも飲食関係の店は厳しい状況で営業を諦めて閉店した店が結
これが全てではありませんし、
海の向こうではバイデン次期大統領が America is back ! とわめいておられるようだが、本文の Ryo とは小生のお気に入り、原尞 のことである。
昨日、散歩の途次、3日ぶりに駅前の本屋でへ立ち読みに入った。いつもは通過してしまうのだが、ハヤカワポケットミステリの棚を眺めたら、なんと原のデビュー作、”そして夜は甦る” が入っているのに気が付いた。高校時代、初めてのミステリを読んだのがこのポケミスで、以来数十冊に及んでご厄介になってきたが、日本人の作品が入っているのは初めて見た。この本の解説にもあるが、日本人の作品としてポケミスに選ばれたのは4人目(ほかの3人は戦前の大家たちで、小生、名前は知っているが作品を読んだことはない)だそうである。
原はフリージャズのピアニストとして玄人筋には知られた人らしいが、その時代のことは知らない。本人の言っていることではチャンドラーにあこがれ、特に ”さらば愛しき女よ に1ミリでも近づきたい、と思って” ハードボイルド作家の世界に飛び込んだのだという。今までに長編を5冊出しているが、この処女作から最近作の ”それまでの明日” まで、実に30年の間隔がある、いわくつきの寡作家なのだ。僕はこの本に出合ったのがいつだったか、記憶にない。しかしとにかく次の作品が出るまで、イライラしてきたことは間違いない。それをポケミスの中に見つけたときは、まさに Ryo is back ! と思ったものだ。初めに買った本は手元に見つからないし、世界に名高い文庫に収納された、その記念にと2冊目を買ってしまった。改めて読んでみると、初めのほうで関係者の大富豪の家を訪ねるくだりは さらば. の前に書かれた 大いなる眠り のイントロを彷彿させるし、そこかしこの描写文にもチャンドラーの香りがするようだ。
ストーリーを解説するわけにはいかないが、主人公の沢崎のオフィスが新宿にあることから、サラリーマン時代のピーク(その後には予想もしない深い谷に飛び込んでしまったのだが)を過ごした、今様に言えば胸キュン、というのか、西新宿あたりの光景が出てくるし、おんぼろブルーバードで走り回る地名もよく知っているあたりが多い。だが、なんといっても文体が素晴らしい。硬くて、突き放すようで、しかしヒューマンな、というのは実に陳腐が表現だが、そういうものを感じる。”ハードボイルド” の定義では文体が重要な要素になっているが、僕の程度の読み方では、専門家がその手本としてあげるヘミングウェイ(翻訳された形でしか比較できないのは当然だが)よりも心に残る、応える、そういう文体なのだ。
ミステリというだけで敬遠する人もいるし、ハードボイルド、となるとさらに遠ざかってしまう人たちがたくさんおられるのはもちろん承知しているのだが、コロナ騒ぎで行動が束縛される日がまだ続きそうだし、テレビばかりでなく、ま、”ミス冒” への偏見(?)を払拭していただくためにも、初めは暇つぶしでも結構、ぜひ、一読をお勧めしたいし、読後感の交換なんかができれば誠にうれしい。
今晩は久しぶりに沢崎に会おうか。まことにキザで書くのもきがひけるけど、沢崎にはバーボンが合うように思うんだが、彼は事情があってアルコールを断っているから、やはり独り酒かな。それにしても俺も結構酒飲みになったもんだ。これもコロナのせいなんだが。