コロナ蔓延に対する自衛策-個人で注意すべきこと

KWV  OB おなじみの船曳ドクターから頂いているコロナ情報に加えて、普通部時代の同期生、篠原幸人君から、より個人に近い貴重なアドバイスを頂戴した。同氏のご同意をいただいて、メールの一部を転載する。新型コロナの可能性がある方は安易に手元の常備薬に手を出すなという警告として伝えてほしい、と同君は付け加えている。

なお、添付の写真はやはり同期生、慶応高校時代の新聞会で ハイスクールニューズ の仲間、船津於菟彦君が ”老眼鏡や虫眼鏡” 世代向けに特に作ってくれたものである。編集子と同時期に同高に在学した人ならば彼の名カメラワークはたびたび目にしてきたはずだが、時を経てまた彼のご厄介になろうか。

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皆さん、このコロナ禍が始まって約1年、毎日、体温は測っていますね。してない人は反省してください! しかし、朝37.5℃以上の発熱が一回でもあったり、のどが痛かったりひどく乾いたり、咳やくしゃみ、頭痛がすこしあったりで、コロナでは”ない“と思うけれど、風邪かな心配だなと思ったことはありませんか? そんな時にどうしていました? 放置した? かかりつけの医師を受診した? 家にある常備薬を飲んだ? かかりつけの先生も来て欲しくないから「もう少し様子を見て、熱が続くようならPCRのできる病院に行ってください」といわれたかな?

 どれが正解とも結果を見なければ言えないわけですが、一番してほしくないのはその場凌ぎで、自己判断で手元にある常備薬を勝手に飲んでしまう事です。

「サイトカインストーム」という医学用語をご存じですか? 新型コロナウイルスが体内に入ると、感染した細胞からサイトカインとよばれるたんぱく質が放出されます。これは人体の防御反応のひとつでそれ自体は良いことなのですが、この放出が過剰に起こると免疫機構が働きすぎとかえって健康な細胞まで攻撃してしまうのです。これがサイトカインストームで、新型コロナでは肺の組織に穴があいたり、血栓が血管内にできやすくなるのです。

 WHOなどからアセチルサリチル酸やイブプロフェンなどを含む解熱薬・風邪薬・頭痛薬はこのサイトカインストームを起こしやすくするという警告が出ています。無論まだ結論が出たものではありませんし、単なる風邪や頭痛だったならば何を服用しても問題はありません。

しかし実は一部の風邪薬や頭痛薬はこのサイトカインストームを起こしやすくするのです。このエッセイの読者は、できればこの点を注意して、簡単に常備薬を飲んだりしないでください。また、かかりつけの先生から「コロナかもしれないけれどこの薬を飲んで少し様子を見てください(この「様子を見てください」という言葉には私は不信感があります。 よく分からない時に医者はよくこの言葉を使います。但し無意識に私も使っていますが)と言われたら、この薬はどんな内容かを訊いてください? 実地医家の先生の中には新しい学説には無頓着(勉強不足というべきか?) な方も“偶に”いらっしゃいます。もっとも先述したようにまだこの学説は完全に定着したものではありませんが、薬屋さんで改めて頭痛薬や風邪薬を買うときの参考にもしてください。薬の箱には「多分購買者はこんなところまで読まないよね」という感じで読めないほどの小さな字で薬の成分などが書いてありますね。老眼鏡や虫眼鏡で良くチェックしてください。

 服用を回避すべき風邪薬・頭痛薬;

 アセチルサリチル酸、イブプロフェンを含む薬:例えばバッファリン、ロキソニン、バイアスピリン、イブクイック、ノーシン,ナロンエース、PLなど。

 服用しても恐らく大丈夫な風邪薬;

 アセトアミノフェンを含む薬:新コンタック、パブロンなど

 一部の実地医家の先生や薬局の方には一笑に付されるかもしれませんし、これはまだ定説とは言えません。しかしどちらかといえば、サイトカインストームになりやすい状況は避けてください。新型コロナでなく、単なる風邪だったら過剰な反応だったと後で大笑いすればいいのです。今日は肩の凝る話でしたね。

それにしても、今日は寒い。

コロナ対策の課題   (34 船曳孝彦)

新しい年、コロナ2年が始まりました。

感染爆発が進んでいます。クリスマス、年末、正月の人出、隠れ会食、緊急事態宣言も出ていないよという気分の緩みが大きく影響していることは万人が認めることでしょう。緊急事態宣言発出(好ましくはないが)の遅れ、諸対応策の遅れといった行政側の責任が問題視されています。現在およびこれからの問題点を考えてみたいと思います。

TVなどのメディアには、新患者数が過去最高を記録した、重症患者数が増加した、死亡者が何名出た、などが報じられますが、PCR陽性者、感染率10数%、20数%とも報じられています。しかし%の分からない日があるとTVで出ていました。前から指摘している分母が分からない検査データでは、どこまで信頼してよいものか。未だにPCR検査データの全国データベースが出来ていないことは、世界的に恥ずかしい3流国と言わざるを得ません。 コロナ医療は自転車操業(マラソンを短距離競争のごとく走っているという表現がありました)で、非コロナ医療は押しつぶされた、医療崩壊は始まっていますが、既に論じていますので、今回は敢えてスキップします。

深刻化しているのは保健所崩壊です。感染者数がまだ少なかった第1波のころから、2桁にも増えた患者数があり、無症状感染者、感染経験者が、一般市民の10%弱いるだろうといわれている現在、あの当時の人数、体制で、同じような業務が遂行できるわけがない。クラスター中心の予防策が初期ではある程度有効で日本方式と呼ばれたことを否定するものではないが、対応法改正、特措法の改正を急ぐべきで、休業補償や科料等ばかり焦点が当たっていますが、保健所を中心とした患者の流れの適正化がもっと重要と思います。

イギリス、南ア、ブラジルなどで変異が起こっていますし、日本にも入り始めているようです。感染力は強そうですが、ワクチンの有効範囲内のようで、予想通りの展開と言えましょう。 さてそのワクチンですが、日本で導入が始まろうとしています。いくつもの問題点があります。

  • 副作用の件 最も恐れた抗体依存性感染増強ADEはどうやらなさそうで、アナフィラキシーが10万人に一人程度出ることは、ワクチン接種では避けがたいことです。どうやら医師が実験台になる方針が決まっているようです。
  • 接種現場の件 医師、看護師の確保が必要です。厚木市で既に企画が始まったと伝えられたが、今までの例からは地区医師会に丸投げされそうに思います。
  • ファイザー、モデルナ2社のワクチンは保管温度、接種法が異なっています。冷凍庫も異なり、二つの流れを作らねばなりません。
  • 接種場所の件 接種後に副作用の有無を観察する休憩室も含めて考慮せねばなりません。
  • 接種対象者のリスト作成、通知 必然的に保健所の仕事になるでしょうが、その準備は?
  • 接種を受けた人のリスト管理と、その後の新型コロナ感染調査        一番の問題で、国の主導で行わねばならない。ワクチンの有効性を評価のための絶対条件ですが、ビッグデータへの登録、管理をシッカリやって欲しいと願っています。政府はデジタル革命などと言っていますが、PCR検査、ワクチン接種データから始めて欲しものです。

エーガ愛好会 (42) 勇気ある追跡 とグレン・キャンベル

(34 小泉)ご存知ジョン・ウエインがオスカーを受賞した記念すべき作品。この年に同時にノミネートされたジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン、ピーター・オトゥール、リチャード・バートンとそうそうたるメンバーよりも、ウエインの演技の方が勝っていたかどうかは判らないが、1964年右肺の癌手術後、死線を乗り越え再びヒーローとして、その後淡々としたウエインが復活し、これまでのものにはない新境地に捧げられたものだったし、長年の功労を讃える意味もあったとも言えるだろう。受賞はならず、あまり脚光は浴びていないが、ウエインと共に、父親を殺された14歳の少女(キム・ダービー扮)を助けるテキサス・レンジャーの若い隊員に扮した歌手グレン・キャンベルが、冒頭で歌う主題歌が歌曲賞にノミネートされている。作曲のエルマー・バーンステインは、この歌曲、冒頭のみで、ティオムキンのハイヌーンが全編に流れていたのとは異なる。ということもあり、どうしても先週放映のクーパーアカデミー受賞作の「真昼の決闘」と較べてしまうが、受賞時、クーパー51歳、ウエイン62歳だが、人物の性格が違うことが要因かも知れないがウエインの方が若く溌溂としていた。

 内容は、父を殺された14歳の少女(キム・ダービー扮)が、大酒飲みの保安官(ウエイン)に賞金を提供し、犯人(ジェフ・コーリー)探しを依頼、これにテキサス・レンジャーの若い隊員(グレン・キャンベル)が加わる三人の道中は、直情的で思慮分別の無いウエイン、法律や持ち前の度胸を武器に男勝りのダービー、ウエインの憎まれ口に何かと突っかかるキャンベルとが、道中おおらかさと骨太なユーモアで、人間臭く味わいのある演技を見せる。これに対し悪役の方は、何となく影が薄い。冒頭父が殺される場面、ポーカーのいかさまに憤激する雇人たる犯人をたしなめるだけのことで発砲され死んでしまうシーンはあまりにも唐突。この犯人が強盗団に入る経緯も何もないので、この強盗団も唐突に現れる。強盗団の親玉は名優ロバート・デュバル、部下には、これもデニス・ホッパーがいたが、何れも演技するような役ではない。それでもヘンリー・ハサウエイ監督は西部劇の醍醐味はみせてくれた。銃撃戦の場面は、荒廃した原野ではなく、森林の緑や川の流れや山並みの美しいショットの中で行われる。最後のクライマックス、相手は4人。「真昼の決闘」で、クーパーが相手4人とあちらこちらと隠れながら射ち合いを演じた写実的で現実的な対決とは正反対、ウエインは、口に手綱をくわえ右手にライフル、左手に拳銃を持ち、敵をめがけて馬を走らせ、次々と倒していく。このライフルをクルクル回すシーンは「駅馬車」でのリンゴ・キッドそのものだった。最後は馬を射たれ倒れ、よもやと思われたが、若き隊員の一撃で無事。最後少女との別れのシーンが泣かせる。身寄りのないウエインに対し、「私の家族と同じ墓地に埋めてあげる、と。

(日本HPOB 小田)勇気ある追跡は前回の放送で観て、風格あるジョン ウエイン、そして風景の綺麗さと、少女の勇気、昔良く聴いていたグレーンキャンベルの事が強く印象に残っております。キャンベルの歌は:

ウイチタ ライン マン、恋はフェニックス、ガルベストン、ハニーカムバック等。そして長い、Yesterday, When I  Was Young( 帰り来ぬ青春)の昔手書きした歌詞(日本語訳付き)を思い出して、引っ張り出し、しみじみと?読みました。

(33 小川)勇気ある追跡、イイねえ、晩年のウエイン。小泉兄の云うとおり確かに10歳若いクーパーより若く見えてカッコいい。主演男優賞とは全く知らなったが彼は世界のエーガ界のヒーローであり我々にとってのレジェンドですね、それまで主演賞を獲っていなかったのですか? 一連の西部劇に少し飽きが来ていたなかで、この映画の緑の多い情景とお爺ちゃん・孫の関係、スカッとすると同時に一緒にお墓に入れてあげるというラストシーンは泣かせたねえ~。

(44 安田)不死鳥のようなジョン・ウエインが60歳を過ぎてアカデミー主演男優賞を初めて獲得した映画。彼が出演した154本もの映画のうち、実に79本が西部劇だっとのこと。まさに西部劇の一時代を創った大功労者ミスター・アメリカであった。映画の内容については小泉大先輩の分かり易い解説・感想に付け加えることはない。粗野で酒飲みな隻眼の保安官を喉が嗄れんばかりに大声を上げて演じていた姿が印象的であった。オスカーを受賞して本当に良かったと思う。映画でもう一つ印象的だったのはアリゾナ・テキサスの緑の少ない荒野が舞台でなく、深い谷と森、雪を頂く山の峰々のワンダラー好みの自然が舞台だっとことである。コロラド州のロッキー山脈中の都市アスペン(Aspen) 近くで撮影されたとのことです。アリゾナのモニュメントヴァレーやテキサスの大荒野も良いが、「シェーン」のワイオミングの山岳風景と同様、ロッキー山脈の山懐が舞台の西部劇も捨て難い魅力があると思う。

(編集子)ウエインがやっと(?)オスカーをもらったということで、ファンの立場から言えば特筆すべき作品だが、小生には助演のグレン・キャンベルのほうがはるかにうれしかったフィルムである。このブログを始めて間もない2017年8月11日、彼の死去を知りそのことを書いた。表面は強がっていたものの初めての外国生活となって何だか気弱になっていたカリフォルニアの秋、やっと探し当てた2軒長屋の狭い寝室の窓の外、隣家との間を隔てた塀の上をリスが走りまわるようなところでしみじみと彼の…….I get to Phoenix….を聴いた感傷のほうが先に立ってしまった。しかしミッキー(小田篤子)がキャンベルのファンとは知らなかった。知っていれば会社でのお付き合いも変わっていたかも? いや、ダンナには関係ないけど。

処で話のついで、安田兄、ペイルライダーでイーストウッドが去っていく山はどのあたりかご存じ?シェーンのリメークだから、なくてはならないラストシーンだけど、見終わった感触は全く別物だったね。

(安田) アイダホ州のほぼ真ん中に位置するThe Sawtooth National Recreation Area 。最寄りの町は Sun Valley。「シェーン」の舞台ワイオミング州の風景とよく似ている。 「シェーン」ではジャック・パランスが怖くて犬が尻尾を巻いて隠れるが、「ペイルライダー」では犬が殺されて始まる。ペイルライダーとはヨハネの黙示録の四騎士の一人。襲われた村の少女は愛犬の墓を作って祈る。祈りが通じたのか、ペイルライダーたるべき死神の牧師として蘇ったイーストウッドが登場して、次々に悪党の敵を倒して去っていく。
ちなみに、Sun Valley はアーネスト・ヘミングウエイがこよなく愛した場所で創作活動を行い、散弾銃で自殺した所でもある(1961年)。彼の墓もある。

 

 

 

ミス冒愛好会 (11)  ”そして夜は甦る”” のこと  (普通部OB 菅原勲)

「そして夜は甦る」(ハヤカワ・ポケット・ミステリー。1930番)を本日、図書館からやっと借りだし、澤崎に会った。そして夜は甦った(夜は甦るとは、具体的に何のことを言っているのか未だに判然としない!)ってな書き出しは、そんなに悪くない。しかし、ド素人の哀しさ、その後がまったく続かない。

30章までは、減らず口は叩くものの、行動で物事を追求し、解決して行く澤崎は、正にハードボイルドの典型的な探偵だ(それに較べ、R.チャンドラーのP.マーロウは饒舌過ぎる。例えば、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」なら、マーロウは自身の行動でそれを示せば良いわけで、何もペラペラと喋る必要は全くない)。

しかし、本格探偵小説に倣って、最後に関係者一同を集めて、澤崎が解決の講釈を垂れるのは、ハードボイルドにあるまじき行為ではないかと、小生、大変、失望した。その上、何も意外な人物を犯人に仕立て上げる必要なんてさらさらない。九仞の功を一簣に虧とはこのことか。残念無念。

(中司)ポケミス版のあとがきで、著者自身もそのことを認めている。当初はHBと謎解きミステリの併合ということをもくろんで自分なりに満足していたが、”HBの主人公が終盤になっておもむろに頭脳明晰な名探偵の様相を呈し始めること” に気がつき、この二つの傾向を併合した形をあきらめて、純粋なHBを時間をかけて書くことに決めた” とし、その成果として 愚か者死すべし と それまでの明日 で確認してもらいたい、としている。彼はこの転換をもって自分の作風を第一期、第二期にわけている。彼の言う第一期の最後になる さらば長き眠り と 第二期を画すと自称する それまでの明日 が双方とも手元で遊んでいるのでご興味あらばお貸しできる。ご一報あれ。

(菅原)手を煩わすのが申し訳ないので、最新作「それまでの明日」、早速、図書館に予約を入れた。どうやら港区は、5/6館ある全図書館で各一冊在庫があるようで、直ちに借りられそうだ。本物のハードボイルド、いや、R.チャンドラー以上のものを楽しむことになりそうだ。

(中司)タイトルについての疑問も同様。彼は先日書いたが映画 狼は天使の匂い にほれ込み、その英語タイトル And Hope to die に続く意味で そして と始めた、と書いているのだが、この映画のフランスのタイトルが何でこの英語タイトルになったのかも全くわからないし、大学で美学を専攻しモダンジャズのソロピアニストだったという著者の感覚がどんなものなのか、考えて見ないとわからないね。

“エーガ愛好会” (41) 真昼の決闘 (34 小泉幾多郎)

マカロニウエスタンでクリント・イーストウッドとともに、主役を演じたあのリー・ヴァン・クリーフのクローズアップ、丘の上で誰かを待つ風情。やがて、仲間と思われる騎乗の男が近づくと続いて第三の男が合流する。その間太鼓の音を伴奏に、テックス・リッターの唄う主題歌が始まり、字幕が現われる。三人勢揃いし、小さなのどかな町へ乗り入れると鐘の鳴る教会に差し掛かり、其処では、ゲーリー・クーパーとグレイス・ケリーの結婚式が行われている。教会を通過し、保安官事務所の前では、気がはやる様をたしなめる場面があったりしながら、町はずれの駅ハドリービルへ。丁度5年前保安官クーパーが捕えて監獄に送ったフランク・ミラー(アイアン・マクドナルド扮)が釈放され、正午着の列車でやって来るという電報を受け取ったところ。その駅員が、クリーフ演じるコルビーのほか、ベン(シェブ・ウーリィ)とピアース(ボブ・ウイルク)に挨拶し名前を呼び、3人のならず者を紹介するまで、緊張感溢れる出だしだ。

クーパーが囚人釈放の電文を見たのが10時40分、それから何回か時計のカットが出てくるが、それから12時過ぎまで出来事を約1時間に収め,ドラマの映写時間と現実の時間経過を一致させている。結婚式を終えたばかりのクーパーは町長(トーマス・ミッチェル)に、このまま新婚旅行に行くよう勧められ、一旦馬車に乗ったが、どのみち無法者たちから逃れることは出来ないと悟ったクーパーは引き返す。町民は帰ってきた保安官クーパーに冷たい。裁判した判事(オットー・オクリュガー)は逃げ出し、親友(ヘンリー・モーガン)は居留守を使い、教会の日曜礼拝の人たちに援助を乞う。議論になるものの、町長の一言、帰ってこなければ、こんな騒ぎにならなかった、と言われ、教会に失望し、前任の保安官(ロン・チャニー)にはもう身体もきかぬと言われ、一人戦う決心をする。

町が再び無法者の天下になれば、のどかな街並みも消えてしまうのではないか、町民はなぜ戦おうとしないのか、相手は4人命知らずとはいえ大勢で対抗すれば何とかなるのでは?酒場にも臨時保安官募集に行くが、酒場に集まるような連中は、釈放されたミラーに好意を持つ連中も多い様子で冷笑されたるだけ。保安官補(ロイド・ブリッジス)の嫉妬深く、自信過剰な性格の若者との関係や酒場を経営している女将(ケティ・フラッド)の描き方も凝っている。彼女現在は保安官補の恋人だが、過去クーパーに心を寄せながらも思いかなわずミラーの情婦にもなったという過去を持ち、妻のケリーがクーパーと別れ列車に乗ろうとすることに腹を立てながらも、戒める言葉を吐くところや最後の感慨無量の表情等名演技だった。

最後の決闘のシーン、列車の汽笛と共に列車がやって来る。妻のケリーと酒場を売って町を去る決心をした女将が列車に乗るところへ、3人の無法者に迎えられたフランクが降り立ち、上着を脱ぎシャツ姿に拳銃が渡される。クーパーが町のがらんとした往来をゆっくり歩き、4人は並んで威勢よく入ってくる。突然一人が婦人服屋に戻り、ガラスを割り婦人帽をとる。物音にクーパーが気付き、身を隠す。この婦人帽をとる理由が意味不明。1対4だから当然正面からの堂々たる向かい合っての射ち合いは望むべくもなくお互い身を隠しながらの作戦を考えての射ち合いなのに、わざと音を立てるなんて?その本人が最初の犠牲者。その音を聞いた妻ケリーは我慢できず列車を降りて町へ走る。場面は馬小屋へ、2階に上がったクーパーがクリーフを射つ。馬小屋に火がつけられ、クーパーは馬数頭と共に脱出する。夫クーパーの危機を見た妻はクエーカー教徒の身を忘れ窓越しに後ろから射ってしまう。その音でフランクがケリーを盾にしたが、彼女が抵抗する隙にクーパーが射ち、すべての無法者が倒される。クーパーを讃えようと集まった町民を背に保安官の星章を投げ捨てクーパーはケリーと共に去って行く。
人間を人間らしく、西部男の弱い面も表現した写実的な演出、ゲーリー・クーパーもシリアスな従来にない味を出していた。ケリー、フラッド二人の女優は勿論、4人の無法者の寡黙な演技、町長のトーマス・ミッチェル以下それぞれの町民たちの演技も細かい神経が行き届いていたように思う。今回見直して矢張り、従来にない西部劇の映画的表現であり、西部劇に新しい光を投げかけた最初の作品と言っても過言ではないと再認識した。

(編集子)グレイス・ケリーの西部劇初登場であり、小泉長老のご指摘にもあるがケティ・フラドの重厚な演技が素晴らしかった。クーパーが遺書を書くシーンも印象的だったが、もう一つ、この映画の素晴らしさはテックス・リッターの野太い声で歌われる主題歌だった。当時中学で英語を習い始めたばかりで、この歌詞を必死になって読み解いたりした記憶が懐かしい。

映画のタイトルについて、日本語訳の乏しさ、芸の無さについては幾度も書いたが、たまたま開いた google  に原題の high noon をどう訳すか、という英語の練習問題が乗っていた。それで思い出したが、グレゴリー・ペックが主演した頭上の敵機 の原題は Twelve O’clock High である。航空機や艦船のように常に方向が変わり目的物との位置関係が定まらない環境では、東西南北という指標が使えにくい.そのため、自分の進行方向を常に時計の12時を指す、ときめてあって、たとえば左真横は9時の方向、というように使う。これだけだと水平方向しか表せないので、上空ならば high という補足をする。Twelve O’clock High は12時の方向(進行方向)の上方,ということになるので 頭上の敵機、という表題はまさに正しい。同様に 眼下の敵 が Enemy Below なのもその通りだが、攻撃を避けるために高速で動く対象だから方向までは特定できない、という意味なのだろう。そこで high noon とはなにか。太陽が真上にある。すなわち真昼。たしかにこの後は戦いなのだが、決闘、という平凡な名詞が気に入らん。対決、なんかじゃダメだったか?

だが、今みたいにコロナという敵が上下左右前後内外に潜んでいるときはどういうのだろうか? Enemy everywhere ?  Enemy allover ?

 

 

 

 

“エーガ愛好会 (40) ラ・ラ・ランド 沸騰

(保屋野)当然お気づきのことと思いますが、明日(2日)NHK(PM10時)で「ラ・ラ・ランド」が放映されます。最高のミュージカルが楽しみです。

(安田)両手を挙げて大賛成です。封切りと同時に映画館で観ましたが素晴らしく楽しみました。reminder 多謝です!

(菅井)公開当時から評判は聞いていたのですが、残念ながらこれまで観る機会がありませんでした。この作品に大きな影響を与えたと言われている「ロシュフォールの恋人たち」(1966 監督ジャック・ドミ音楽ミシェル・ルグラン)をへそ曲がりな私はミュージカル映画No.1に押していますので非常に楽しみです。

(保屋野)最近のミュージカルの中では傑作との評価の高い映画ということで期待して観たのですが、2回目という49才の娘は「面白かった」と云ってましたが我が老夫婦は、まあまあ満足はしたものの、ミュージカルとしては、少々期待外れの映画でもありました。

確かに、冒頭の高速道路での群舞には度肝を抜かれたし、アカデミー主演女優賞を獲得したエマ・ワトソンと恋人役のライアン・ゴズリングとの(夜景を見下ろす公園やプラネタリウム等での)ダンスシーンは見応えがありましたが、全体に、歌やダンスシーンが少なかったのが少々物足りませんでした。もちろん、「傑作」という評価に異論はありませんが、昨年観た「雨に唄えば」には遠く及ばない、というのが私の率直な感想です。

しかし、以上は、後期高齢者の、(独断と偏見)感想で、ジャズの好きな人や若者には「大傑作」なのかもしれません。

(安田) 題名ラ・ラ・・のラはLAの土地、即ち羅府、Los Angelesのこと。映画冒頭の高速道路(Free Way)の上で郡舞しているのは、太平洋岸のMarina del Rayから市の西部を南北に貫きサンフランシスコに達する幹線サンディエゴFree Way との合流点でのシーン。その際、画面の上(北の方角)に見えていた高層ビル群はCentury City/Bevery Hills。そのビル群の右側(東)背後に見えていた山がHollywood一帯です。

 プラネタリウムのある公園というのはグリフィス天文台と言って、Hollywoodの山の連なりを更に東に行くと(ロス市の中心街ダウンタウン方面へ)天文台に達する。そこから見下ろす市街地は50キロ先のロングビーチまで真っ平らな土地に直線的な道路が走っている。映画の話ではなく、地理の話になってすみません。学生時代に植木屋をやっていてLAを走り回っていたのでつい。群舞の高速道路あたりは100回超は通過してよく覚えています。グリフィス天文台のある山の下の安アパートに住んでいました。
 映画館で観れば迫力があって、印象も異なるかもしれませんが、僕らベテランには「雨に唄えば」「オズの魔法使い」「フレンチ・カンカン」「王様と私」「ウエストサイド物語」「マイ・フェア・レイディ」「サウンドミュージック」「ロシュフォールの恋人たち」「シェルブールの雨傘」などの方が、ワクワクさせられますね。保屋野さん、僕らはやはり歳ですよ!(笑)。 娘世代は断然「ラ・ラ・ランド」派、良し悪しというより好き嫌いの問題かも知れませんね。
 「ラ・ラ・ランド」で主役を演じたエマ・ストーンが出演した「女王陛下のお気に入り」(The Favourite) 2018年は面白い映画です。未観でしたらお勧めです。18世紀初頭アン女王の治世下、スペイン継承戦争でイギリスはハプスブルク家(オーストリア)と結託してフランスと対立。その時代の女王に仕える女召使いの相克葛藤を描いた歴史コメディです。主演のアン女王役のオリヴィア・コールマンがアカデミー主演女優賞を獲得しました。

(久米)ラ・ラ・ランド17歳の孫娘が大感激しまして3回も繰り返し見たことに刺激されて封切間もない映画館に足を運びましたが全くピンときませんでした。その孫娘は凝り性で「鬼滅の刃」も3回も見ています。私も見に行こうかなと申しますと原作も読んでないしきっと解らないんじゃあないかなと言われてしまいました。17歳と70いくつかでは間隔(編集子質問:もしかすると 感覚?)が違うのでしょう。ラ・ラ・ランドはミュージカル映画として点数をあげられない気分でした。

それで今回のTV放送も見ませんでした。「タイタニック」の時も娘が大感激して世間でも大評判でしたが私は全く感心しませんでした。セリーヌ・ディオンの歌う主題歌だけは良いと思いました。その直後に観た「グッドウィルハンティング」の方が数倍素晴らしく感じました。その時も、少し私も感覚がずれて来ているのかと思いましたが今回の保屋野君の感想を読み同感の士がいることがわかり安堵致しました。

(小田)昨年2月に民放で放映され、録画してあったのですが、今度のはCMが入らないので撮り直しました。私も音楽のほうが好きで、国際フォーラムでのスクリーンコンサートに行きました。今又3回目が催されているようです。先月の娘の結婚式でも流れていました。 以前、もう細かい事は忘れてしまいましたが、TVで同じ監督の、“セッション”(音楽院の怖い教師とドラムを習っている生徒の音楽的対決)を観ました。迫力がある映画で、最後の対決のセッションは、”キャラバン”。私はベンチャーズの方を良く聴いていました。

久米様:
今日のTVによると、板橋の下赤塚にある、ブランジェリーケンでエルビスというパン、(バナナ、ベーコン、ピーナッツバターと蜂蜜入り)を売っているそうです。

(編集子)プレスリーってケーキがあったら教えてほしい。

(菅原)「ラ・ラ・ランド」は見ておりませんし、見ようとも思っておりません。後期高高齢者にとってのミュージカルと言えば、一にロジャース&ハマースタイン、二にロジャース&ハマースタイン、三にロジャース&ハマースタインで、四以下はなしです。

「オクラホマ」、「回転木馬」、「南太平洋」、「王様と私」、「サウンド・オブ・ミュージック」などこそミュージカルと思っておりますが、どうやら「ジーザス・クライスト・スーパースター」あたりから、ロジャース&ハマースタインが古めかしいミュージカルになってしまったようです。でも、小生にとってのミュージカルは、ロジャース&ハマースタインであり続けるのは間違いありません。また、独断と偏見でしょうか?

(編集子)アメリカと言えば西海岸しか知らないが、南半分、つまりLAあたりは好きではなかった(サンタバーバラは別)。ララ、でなくて、サンフランシスコベイエリアブルース、なんてのだったら興奮してみたかもしれない。要はLAあたりってのはハリウッドのせいだろうがなんとなく嘘っぽくて、薄っぺらなんだな、俺には。だからラ・ラ・ランド、ってのはタイトルからして気に入らん。スガチュー説に賛同するものなり(江戸時代でいやあ横丁の頑固老人だな、つまり)。

エーガ愛好会(39) 映画が芸術であった頃の話  (普通部OB 田村耕一郎)

新年の映画番組を楽しんでいるとき、映画にうるさかった横山善太のことを思い出した。2005年に彼がにある会合に招かれて講演したときのエッセイ「映画が芸術であった頃の話」をご紹介する。善太のご家族から「皆さんにご披露すること」また「貴兄のブログに掲載すること」の了解を得てある。生前、善太から文学青年の趣きが漂うエッセイを数作もらっておりこれはそのうちの一作。

(編集子注:普通部時代の同級生、横山善太は中学時代から秀才とうたわれ、早熟で文学好きな好漢だった。航空会社大手の要職にあったが、退職後発覚した宿痾と壮絶な闘いののち、2018年3月、旅立った)。

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毎年の欧掘出張の際、週末の一日をあの懐かしい欧州名画 の故郷に訪ねることにしています。 「わが谷は縁なりき」(1944年ジヨン・フオード)のウェールズコンダヴアレー、「第三の男」(1948年キャロル・リード) のウイーンなどでありますが、今回は静かにゆつたりとしたお正月 に「逢いびき」(1945年デビット・リーン)をご紹介します。

舞台はランカスター地方のカーンフオースという小都の駅なので すが 、 訪ねて参りました。 この映画は英国映画名監督のデビット・リーン(”旅情”、”戦場に 架ける橋” ”アラビアのロレンス)の出世作品と言っても良いのでしよう。 第2次世界大戦終戦直後の1945年の製作にも拘らず、すでに イギリスでは落ち着いた中流家庭の日常が何もなかったように控え 目に時が流れているさまを描いた作品です。 物語はロンドン郊外の中流家庭婦人(シリア・ジョンソン…当時 の名舞台女優とのことであるが、地味な中程度の美人で、映画では 有名ではない)とクロスワードパズルに熱心な夫と夕食後の退屈な 時を静かに過ごす。蓄音機からこれもまた静かにラフマニノフが流 れている 。 この夫人は毎週木曜日にこの地方の中核都市とおぼしきミルフオードという街に鉄道で出掛け、買物をしたり、図書館に寄ったり、 映画を観たりする習慣になつている。 一方ロンドン在住らしき医師(トレバー・ハワード)がおり、こ の街の粉塵公害研究所に毎運木曜書に来訪する。この医師との出会 いから別離までが控え目な興奮とときめきを伴って展開する。そし て一線を越える間際で 、 ある成り行きに遮られ 、 何事も起らず医師 は思いを断ち切るため、かねてから話のあった予防医学 研究のため のアフリカ行きを決意し 、 初めて出会ったミルフオードの駅のレス トランで別れの時を過ごす場面となる。たまたま居合わせた夫人の 友人のおしやべりのため、医師は彼女の肩に手を置くだけで何も言 わずに去り 、 情熱の火は余韻を引きつつ消えていくのであります 。 イギリスの退屈なれどエスタプリッシュされた中流家庭に一石が 投じられ水面に波が立つことになってもまた静かな水面に戻る情景 、 ドラマテイツクな場面はない,リアリテイと日常性が不思議と物語 の情感を伝えることとなっている名作だと思うのです 。

さて 、 私はこのミルフオード駅を探したところ実在の街ではなく 、 映画ではランカスター近郊の小都カーンフオースという街 、 駅が現 場であつたことが分かりお訪ねすることになりました 。 予め調べておいたこともあり 、 お訪ねすると当駅の鉄道OBなる チヨビ髭大男がブルーのトックリセーター姿なんぞで大仰に愛想良 く出迎えてくれました 。 実は最近 、 日本の方々が” 逢いびき”の故郷ということでお訪ね になることが多いこともあり(何と吾が懐かしきキネ旬同窓生が既 に探訪しているか!と感心したりして)ロンドン]の古物商に売り 払った駅時計を買い戻してきたなどの解説を聞きながら 、 誰もいな い待合室で”逢いびき」のエンドレスフイルムを見ながら記念写真 をとろうとすると 、”いや、そぅではない。あの時トレパー・ハワー ドがコートをひるがえしてホームの階段を駆け登り時計を見る場面 がある〈の〉ではないか” とそのポーズをとらされたり 、ご案内頂 き 、 出会いと別れの駅レストランのカウンターでビターを飲みなが らイングリッシュネスの情感に身を置く心地よい想いでありました (日本公開昭和露年キネマ旬報第3位)。

この時代の映画を映「画が芸術であつた頃」と評する人がおりま すが 、 確かに貧しくとも 、 むしろ貧しかったからこそ感動の多い時 代であつたと年末に越し方振り返りそう思うのであります 。

ミス冒愛好会 (10) 日本伝統のハードボイルドを読め!  (普通部OB 菅原勲)

「Ryo is back」と聞けば、石川遼を思い出すぐらい原寮のことは全く知らない。その初めての作品「そして夜は甦る」(ハヤカワ・ポケット・ミステリー。1930番)を本日、図書館からやっと借りだすことが出来た。これは、ジャイ大兄の極めて激しい「アオリ」のおかげだ。そこで、ハードボイルドのお返しをと思って、D.ハメットの「血の収穫」、英国のH.チェイスの「ミス・ブランディッシュの蘭」などを考えたが、これらは、ハードボイルドと言うより、むしろフランス語の「roman noir」(暗黒小説)だ。だから、貴兄の嗜好に合わないと危惧した。そこで、小生の本命を、以下にご紹介する。

小生、大変、お気に入りの藤澤周平だ。特に、「蝉しぐれ」、「海鳴り」(毀誉褒貶相半ばする。何故なら、その結末が、「マディソン郡の橋」と真逆だからだ)なども面白かったが、一番、面白かったのは、「彫師伊之助捕物覚え」の三部作だ。「消えた女」、「漆黒の霧の中で」、「ささやく河」。うろ覚えだが、藤澤自身「私は、全く意識していませんが、これらはハードボイルドだとの評価を受けました」と述べているように、話しの内容は勿論のこと、そのカワイタ文体は正にハードボイルドそのものだ。時代小説、それも捕物帳だからと言って毛嫌いされていたなら、それこそ、騙されたと思って一読されることをお薦めする

大袈裟に言えば、真のハードボイルドは、米国だけでなく日本にもあった。

(編集子)小生の日本史の知識はぼぼ100%司馬遼太郎と吉川英治で、この二人の著作はかなり読んできたが、小説の分野では古典ものでは漱石、ほかには一時期、五木寛之に凝ってだいぶ読んだがご指摘の分野は全く無知。これから改めて読み始める。いずれ。

ゆく年くる年-僕の場合  (39 堀川義夫)

ゆく年ー12月30日に中房温泉に向かう長い雪道(無雪期はバスが通る道で、車止めのゲートから片道約13km、標高差約800m)を勇躍仲間と楽しく歩いていました。ところが中房温泉まであと3km位のところで急に股関節が痛み始め、登りが急になると激痛が走り、耐えながら宿に着いて温泉入り休むと痛みも取れて安心していたのですが…夜中に違和感があり、朝食後もすっきりしません。朝5時の燕山荘の天気状況はー21℃で暴風雪とのこと、中房温泉の説明ではあんに登山をしないように勧めていました。悩みました。そして結果的には途中で痛みが激しくなり下山しなければならない状況になったときに他のメンバーに迷惑をかけるのではと思い、下山を決断しました。

結果論から言えば、下山して正解でした。復路のやはりゲートまであと5km位手前から痛み出し、やっとの思いでタクシーの呼べるゲートに着くことが出来ました。原因はおそらく、往路でスピードを上げるために大股で歩いたためではと思います。暮れの23日に、この山行の為に行った大山へのトレーニングの際も少し違和感があったのですが…油断でした。結局、往復26kmも雪道を歩いて温泉に行ったという、お粗末なお話でした。

来る年ー今年、私は傘寿を迎えます。私の一番好きな山スタイルは、テントを担いで縦走する山旅です。あえて登山とせずに山旅としました。何故なら高校時代にさかのぼって思い起こすと、私は高校生時代に丹沢、八ヶ岳などの夏山程度しか経験がなく、ワンダーフォーゲル部に入部した動機は、言わば、自然豊かな里山歩きや名所旧跡を訪ね観光ができるのではと思って入部したのです。しかし、少し思惑が違っていました。新人養成を受け、1年の夏合宿が終わると山が面白くなってきました。一生懸命、学業をさぼって年間百数十日も山に行きました。でも、社会人になってから2,3年は山にも行っていましたが、26歳で結婚そして山やスキーに疎遠となりました。46歳で再開し、大病も患いましたが60歳くらいから70歳くらいまでは、コタキナバル山、ヒマラヤのトレッキング(4回)、キリアコンカグア遠征(6700mで断念)、マンジャロ登頂、ヒマラヤのメラピーク登頂、モンブラン遠征(グーテ小屋まで)、そしてマッキンリー(現在はデナリ)登頂などを経験しました。そして、2018年5月に喜寿の記念にとヒマラヤのロブチェ・ピーク(6189m)に挑戦し、5800m付近で高山病の為にリタイアしました。このころは海外の山に行くことを念頭に、日本の山を登っていましたが、この辺で海外の高山は終わりにしようと思っています。従って、これからの山登りの考え方も変わってくるようになります。

今年からは、気力、体力、家庭環境が整えばまだまだ山には行きたいと思っていますが、中心はロングトレイルを念頭にテントを担いで、時に安宿に泊まりながら、放浪の旅をのんびりと行きたいと思っています。季節を楽しみ花を愛で、温泉に地方のグルメと酒を味わいながら・・・即ち、私が大学のワンダーフォーゲル部に入部しようとした高校生の時の感覚でそれを実践しようと考えています。傘寿を機会に自分の山スタイルに少し変化を加えられれば良いな、そうです、一言で言えば年齢相応の活動と言うことでしょうが、自分自身、そのような活動で満足できるか否かはわかりません。でも考え方を方向転換していかなければ体力、近い将来に体力、気力もついていけなくなるのではと思う次第です。一つの私自身に課せた、新年の決意です。