エーガ愛好会 (108) “シマロン”    34 小泉幾多郎

オクラホマ州、1889年に号砲一発で、幌馬車隊が一斉にスタート、早い者勝ちで土地が取得出来たランドラン(土地獲得競争)から25年に亘る開拓者の物語。

映画化された「サラトガ本線」「ジャイアンツ」等エドナ・ファーバーの原作の一大叙事詩を1960年アンソニー・マンが監督した。実は1931年製作「シマロン」のリメイク。これが西部劇で最初のアカデミー作品賞で、その後60年ぶりでの「ダンス・ウイズ・ウルブス」受賞迄なかったのだ。西部劇らしからぬ開拓の歴史という時代の変化の中に、単なる男の英雄譚でない当時の偏見や女性の社会進出を描き出していると言ったことが評価されたのではなかろうか。アンソニー・マン監督は、リメイク版に於いても単なる西部劇とは一線を画し、街が発展する様が時代の変革と共に絶妙に組み込まれ、先住民に対する配慮、例えば先住民の子供が学校に通学することへの拒否反応、先住民の土地の略奪への批判など、西部は女が作ったと言わんばかりの女性への讃歌が感じられる。

アンソニー・マン監督は、プロデューサーのエドモンド・グレインジャーと激しい口論となり、撮影途中でプロジェクトを離れ、チャールズ・ウオルターズ監督が完成させたが、スクリーンクレジットは与えられなかった。(Asianprofile.wikiより)一大叙事詩の開幕らしく、ロジャー・ワーグナー合唱団による勇壮なる主題歌で始まる。主演は、夫ヤンシーをグレン・フォードと妻セイブラをマリア・シェル。幌馬車隊をはじめとするランドランの迫力はなかなかのもの。…アリゾナで撮影、1000人のエキストラ、700頭の馬、500台のワゴンとバギーが登場(Asianprofile.wikiより)。ランドランでは、ヤンシーは、元恋人だったディクシー・リー(アン・バクスター)に邪魔され土地獲得できず、馬車を破壊されて死んだ新聞社ウイグアム紙創刊者サム・ペグラー(ロバート・キース)の後を継ぎ編集長となる。しかし落ち着いて仕事に専念することの出来ないヤンシーは、新しい土地競争に加わったり、米西戦争に参加し、キューバ義勇騎兵隊に加入したりで、5年間留守にする。その間妻セイブラは家を、新聞社を守り、息子も生まれる。英雄として帰ったヤンシーはその後も家に落ち着かないものの、各地で油田が見付かり、先住民との問題が起きたりしている中、ヤンシーの功績を評価することから、知事に推薦されることになる。しかし推薦委員会の意図に不純なものを感じたヤンシーはセイブラの意向も無視して断ってしまう。セイブラと断絶したヤンシーとは音信不通、息子は先住民の娘と結婚、家を出てしまう。その間、セイブラは、ウイグアム新聞社の維持拡大を成し遂げ、創刊25周年を迎える。子息夫妻孫2人、開拓民等苦労した関係者の祝福の中、セイブラは何処にいるかわからないヤンシーに感謝のスピーチをするのだった。

やがて第一次大戦がはじまり、再び戦いに身を投じたことを知らせる便りがセイブラに届くが、同時に戦死の報告も届いた。片や正義感は強いが、世渡りの上手くない夫、やりたいように生きた男に対し、家庭生活を守るために最後まで耐えての人生を歩んだ女性。夫々が薔薇色とまでは行かないまでも、波乱万丈に生きた一組の夫婦、語るに足る人生の物語だ。

蛇足:題名のシマロンはヤンシーとその子息が同じシマロンと愛称で呼ばれているが、本来はスペイン語で、野生化した家畜、16世紀後半からは黒人逃亡奴隷を指すとwiki.にありますが、それが愛称とは、納得できないでいます