エーガ愛好会 (122) ポンペイ    (普通部OB  船津於菟彦)

『ポンペイ』(Pompeii)は、2014年のアメリカ合衆国のディザスター・アクション映画。監督はポール・W・S・アンダーソンで、2014年2月21日に公開。
ポンペイの噴火の悲劇を描いた歴史的な映画かと思いきや、そんな事はなくその大半は剣闘士の話。裏を返せば、災害を描くというよりはあくまでもポンペイの日常やローマと取引という都市国家の政治の一面。見る側はこれから噴火するという事を知っているから、馬の異変や、ポンペイの地震の意味も分かるが、人々は特に何をするわけでもなく、普段の生活をしてる。ここがポンペイでなければ剣闘士との恋物語ももっと描かれたのではないだろうか。しかし、あらゆるものが、ヴェスビオ山の噴火で突然終りを迎える。火山の恐ろしさが伝わらない安っぽい映画。タイトルにひかれて、ちがうもの見た感じ。
ポンペイでは 紀元79年10月24日 ヴェスヴィォス山大噴火で軽石と火山灰が積もりそこへ高温の火砕サージと火砕流が到達して埋没した。現在も発掘が付いている。日本その時弥生時代。ポンペイには上下水道が完備していて文明も古代ローマそしてギリシャ等に憧れて、それを模倣した文化が開花していた。
2000年以上前の栄華の都市が火山のお陰で残っているとは。飲み屋の店先ではおつりまでがそのままだったとか。人口1万5千人で奴隷が四割とか。25カ所も売春宿があったとか。
この都市での生活はやはり海と繋がった交易による富のようだ。豊かな商人の御夫妻像。今は海は遠くになっている。モザイク画とか壁画が綺麗に残って居る。また、火砕流で一瞬のうちに死を迎えた人の、そのままの形で空洞が残り、そこに石膏を流して、作られた像ものが沢山並べてあった。映画では「奴隷」が如何にも虐げられたように描かれて居るが、実際は人口の4割が奴隷だったと言うから驚くが可成り自由に生活、努力して一般人になり役人になった例もあるようだ。.

乱読報告ファイル (20) 百田尚樹 新版 日本国紀

結論から言う。この本は一読に値する。必読、だとすら感じる。日本史のおさらい、という意味もあるが、何となくわかっていなかったことにそれなりの解答があった、という事と、全く知らなかった事実を確実な物証とともに提示されたことに新たな感動がある。

なんとなく思っていたことに確信を持たせてくれた記述はふたつあった。一つは先般、置き配とタブレット という事で書いた、日本のこの文化はどこから来たのだろうか、という事について、自分なりにそうではないか、と思っていたことを裏書きしてくれる記述である。日本という国のはじまりを邪馬台国の存在という事で納得してきたのだが、考古学の専門的知見に加えて、日本という国の地理的条件が育んできた文化のありよう、それの延長として万世一系の天皇という存在についての考察などは非常に明快であり、中国の先進文化を取り入れながら、その中核思想であった、易姓革命、という思想だけは取り入れなかったという史実、その後世への影響、という視点はわかりやすいし、平安から鎌倉、戦国時代にあって、なぜ天皇家が存続したのか、という説明である。また昨今問題になっている女系天皇論にもわかりやすい解説になっている。

もう一つは明治維新という屈曲点を経て、わずか数十年の間に世界列強に並ぶ国ができたのはいったいなぜだったのか、という疑問に対する示唆である。何となく想像していたことをいろいろな物証で説明してくれる、その過程は明確でありかつ説得力があると思う。

全く知らなかった事実は占領下の日本において、GHQの政治の基盤が結局、アジア人種に対する差別意識だったのだ、という指摘である。同じ立場にあったはずのドイツの処理と日本での措置がなぜ違ったのか、という素朴な疑問に対して著者の説明は明瞭であるが、その過程において、WGIP というものの存在をこの本で初めて知り、愕然としながら、なるほど、そうだったのか、と納得することがあった。WGIPとは、War Guilt Information Program の略で、日本国民に戦争責任を考えさせる、戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画、という、誠に身勝手な、恐ろしい政策だった。この計画の存在は想像ではなく、公式な文書があることがすでに確認されているのである。その中身がどうであったかは本書を読んでもらうとして、納得がいったのは、この計画の実施に参画した日本人が多くいて、事情も背景も知らない、アメリカの若造(だったと思う)学者の暴論を崇め奉ってGHQにすり寄り、そういう連中が政府機関よりも大学をはじめとする教育界に影響を及ぼして来た、という指摘である。そして小生がまさに国を危うくすると思っているいわゆる知識層、というものが形成されたのもここに原因があると知った。このあたりは本書にいろいろな物証とともに記述されているのでこれ以上はふれない。

それに伴って、日本がアジア諸国を侵略した、と今では事実化されてしまっていることにつぃてである。日本が地理上アジア諸国において戦争をしたのは間違いないが、その時戦った相手はアジア諸国ではなく(第一当時の諸国はすべて植民地であり、その国の軍隊というものそのものが存在していない)、その国を支配していた欧米の軍隊であった、という事実を言われてみて初めてそうだと理解した。それらの軍隊と戦い、その結果としてアジア諸国は植民地という立場から抜け出すことができた。これもまぎれもない事実である。こういう論説は今まで、特に左翼系のメディアや学者たちによって、日本の侵略だったのだ、という、まさにこのWGIPの罠にはまった論説によって片付けられてきた。このあたりの史実をこの本は鋭く突いている。そして何よりもそういう教育を受けてきた人たちが今の日本の政治にむきあっているのが現実なのである。ドイツでは、たしかにナチの追求は厳しく行われてきたが、強制であろうとなかろうと、その体制を受け入れた当時のドイツ国民を覚醒するためにこのようなプログラムがあったとは聞かない。白人にはそういう必要はないということだったのか。

歴史にはいろいろな解釈が成り立つ。専門家でないわれわれにはひとつひとつの史実の真偽を明らかにする能力はない。しかしこの本が書いているように、今の我々が直面している問題、憲法改革の是非から安全保障の問題、そういうことの根本にあるのがGHQなる正義の味方であったはずの機関が行政の結果であり、同理屈をつけようがその根底には、当時ぬきがたくあった人種・民族差別であった、という解釈には納得する。そしてまた、良くも悪くも、日本の文化というものがその背景にあった、という著者の主張に改めて賛同する。

今まで、やれミステリを読めとかハードボイルドがいいとか、勝手な熱を吹いてきたが、それはさておき(間違っていると思うのではない)、このコロナ蟄居の有効利用として、まず、この本を読んでほしい。

 

 

乱読報告ファイル (19)   植村直己・夢の軌跡  (普通部OB 菅原勲)

「植村直己・夢の軌跡」(2014年。文芸春秋)を読んだ。植村が消息を絶ったのは1984年だから、それからほぼ40年が経っている。今更、植村なのかと言う疑問をお持ちの方は数多おろう。しかし、小生は、彼が誰もやったことのない単独の犬橇行をやったこと、そして、アラスカで行方不明になったことぐらいしか知らない完全な植村音痴だ。だからと言って、ここでWikipediaに載っているようなことに屋上を重ねるつもりは毛頭ない。

著者は湯川豊。何社かが植村を支援していたが、その一社である文芸春秋の窓口が湯川だった。従って、この本は植村讃歌となるが、抑制の効いた文章となっており、過度に褒めているわけではない。

ここで思い出したのが、南極大陸を探検した白瀬中尉(明治時代の話し)、それに、本田勝一(彼が、朝日の夕刊一面に連載した「カナダ・エスキモー」は毎日夢中になって読んだものだ)。

植村が消息を絶ったデナリの遠望

つまるところ、植村は冒険家だった言うとことのようだが、小生は稀代の快男児だったと思っている。明治大学は、杉下とか星野とかの学校だとばかり思っていたが、阿久悠あり、植村直己ありなど多士済々だ。

植村については、一家言ある方がわんさかおられるのではないか。討論を期待したい。

山中湖 夕照    (39 三嶋睦夫)

ふじてんスノーリゾート」 に雪の感触を試しに行ってきました。  快晴。
皆さんご存知でしょうが・・・・・ あそこは斜度が緩すぎる と(10年ほど前に初めて行った時に) 思っていましたが、この歳になると 雄大な富士山を眺めながらゆったりと滑るのも悪くない  というのが率直な感想です。
雪質も良いし(新型の人工降雪機?)、混雑は少ないし、近いし これからは使えそうですよ。2時ごろに切り上げて、夕方に山中湖で 富士山への日没を見てきました。これまた満足です。

エーガ愛好会 (121) スティーヴ・マクイーンのこと  (HPOG 金藤泰子)

”トム・ホーン” をスティーブ・マックイーン主演という事でしたので、観ましたが マックイーンが歳をとってしまったというのが、第一印象でした。

実話だといういう事でしたが、皆さまがお書きになっている通り、前半はまだ元気がありましたが 後半の、もういいんだ、という態度、どうしてこんな映画に出演したのか? この映画を撮影した翌年に50歳で亡くなってしまったというマックイーンが、自身の病を自覚していて思うところがあったのかもしれません。 駆け足で逃げるシーンなんて、あり得ない・・・こんな弱々しいマックイーンを私も見たくなかったです。 遺作「ハンター」1980年 も実在した元賞金稼ぎのラルフ・ローソンの半生 だそうですから、今回と似たようなストーリー展開かもしれませんね。放送されても見ないようにします。
スティーブ・マックイーンは「大脱走」「荒野の七人」「ブリット」等をテレビで観ましたが、 キング オブ クール 格好良いのです!
映画館に観に行った作品では、大画面ですから もちろん もっと素敵でした。
「タワリング・インフェルノ」1974年 CG撮影が未だの時代、138階建ての超高層ビルの火災パニック映画として臨場感がありました。 燃え上がる火、水の奔流場面など、どうやって撮ったのかと思います。映画の冒頭か最後に出てきた「全ての消防士に捧ぐ」という、スーパーが印象に残っています。スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンが素敵でした。(前にも書きました )
オールスター・キャストという事でしたが、70年代にわたしが映画館で観た時にはジェニファー・ジョーンズもスーザン・フラネリーも名前を知らない女優さんでしたから、昨年か一昨年BSシネマで放送時にテレビで見直しました。
「華麗なる賭け」1968年 のマックイーンも良かったです。 眼が素敵でした。
主題歌「風のささやき」を聞くと映画の場面を思い出します。フェイ・ダナウェイは私は好きなタイプの女優さんではなかったのですが、最後の方になって良い感じになってきました。 「タワリング・インフェルノ」にも出ていましたね。
「パピヨン」は私も面白くなかったです。 「砲艦サンパブロ」 テレビ「拳銃無宿」? 知らない作品です。
  拳銃無宿を知らずしてマクイーンを語るはサビ抜きを寿司というがごとし。
小泉さまの完璧な解説メールを拝読して、「全く同感です!」と すぐ返信させて頂こうと思っておりましたが、Giさんの「最後の一行に全く同感」メールを受け取って、、そうですよね〜 と思いながら、スティーブ・マックイーンの思い出に浸っていてそのまま遅くなってしまいました。
(編集子)スガチュー、”拳銃無宿” を知らない世代の人と会話であるぞ。
”サンセット77” “ララミー牧場” ”コンバット” “ローハイド” ”ボナンザ” ”ペリー・メイスン” ”ペイトンプレース”。これらテレビ番組がわれら世代の人格形成に及ぼした影響について述べよ。
我が世代の各位、いかが。

”置き配とタブレット” 追論6   (普通部OB 船津於菟彦)

斎藤さんのご意見についての感想です。
新型コロナウィルス蔓延旋風は確かに置き配に繋がったと思いますが、必ずしも「南米大河」などの配送業者の都合だけではなく、選挙でもいちいち鉛筆を代えるなど、神経質までの感染防止から来ている物、つまりなるべく人と人が直接触らないという事から来ていると思います。配送業者は門前まで来ることには代わらないので合理化には成りませんね。「麦茶」を出すのは確かに素晴らしいのですが、彼らも寸秒を争い搬送しているようで、私の住んでいるマンションではそんな余裕は無い様です!偶にはお菓子をあげますが(後でヒマの時に食べられるもの)。
犬猫の糞や尿の件についてのご観察には異論があります。
この件は日本は断然優れていると思っているのですがどうでしょうか。錦糸公園でも滅多に「ウン」は落ちて居らず、みな袋を下げて拾って帰ります。又、水も掛けて居る方だ多いですね。外国では「フン」を践むのは当たり前的なところもありますし、狂犬病の予防接種などはいかがでしょう。野犬はまず居ませんし、野猫は見当たりますが矢張り少ないですよね。犬の吠え声の苦情はあるでしょうがこれは狭い日本ですからしかたがないこともあるし、欧米は大きな犬が主流で余り吠え無いですが日本は住居が狭くて小型犬が多くキャンキャン五月蠅いことは確かですね。
もう一つの話題ですがタブレットによる注文とか非接触型の決済が多くなると想います。コンビニでも今やお金は自分がレジに入れおつりも自分が取る方式になったり、病院でカード払いの場合、カードを自分が差し込み読み取り自分が抜く方式が多くなりました。ユニクロは値段表にICタグが付けられ、買い物籠ごとレジに置くと自動計算してクレカを入れれば決済完了。一切人は触らない。
マイナカードの保健証の連携で益々病院では非接触型に成ると思います。その関係でしょうが先生も昔の様に直ぐ聴診器を当てる先生は少なくなり、顔色もろくに見ず、ディスプレーで診断するのは抵抗があります。先日久し振りに聴診器で観てくれる先生に会いました。これは医者は仁術ですから、顔色とか話し方なども含めて診断して欲しいです。
その内に「タブレット診断」になるなんてのはご免です。
(編集子)本件、犬猫問題に予想外の関心があるようだが、原文の趣旨は日本の文化というものが歴史に与えてきた事実を改めて見直してはどうか、ということだった。このことについては現在、百田尚樹 の ”日本国紀” を読んで、多少感じるところがある。

“置き配とタブレット”  追論5  (普通部OB 菅原勲)

小生、1990/91年の2年間、パリに飛ばされた。30年以上も前の昔の話しだ。当時、大統領はF.ミッテラン、首相はE.クレソン女史。つまり、社会主義政権(これは、非効率極まりなかった)。パリの生活、不平不満は山ほどあったが、最後は住めば都で胡麻化された。

ここでは、以下の一つの話題に絞り込む。花の都ならぬ、糞の都の話しだ。グチャリ、グチャリの洗礼が始まれば、「何がサルトルの実存主義だ、何がボーヴォワールの第二の性だ、クソクラエ」と毒づき、室内での靴の生活も乙なもんだと思っていたが、急遽、スリッパに変更した。そこで、素朴な疑問。靴を室内まで持ち込む生活と玄関で脱ぎ捨てる生活とでは、「武漢ウィルス」に感染する確率は違うのか。もう一つは、平井さんが指摘されているように、歩道に犬の図が書かれたお手洗いだ。そこで犬が用を足す、しかし、後始末はしない。そこで、確か緑色だったと思うが、オワイ屋ならぬオワイ車が出動して回収に回る。これは、30年ほど前の話し。

そこで、ボンクラは考えた。犬を飼っている奴は、自分の家は頗る清潔で、罷り間違っても、まさか、自分の家が犬の糞まみれになっている筈はない。ところが、一歩、公道に出るとこの様だ。月とスッポンほどの違いがある。そして、その違いは、公衆道徳なんて難しいことを言う前に、自分さえ良ければそれで良いと言う甚だしい身勝手さと言う精神構造にあるのではないかと。

平井さんの情報によると、最近、大分、改善されているらしく、それ自体はご同慶の至りだ。しかし、これは2年後に迫った2024年の五輪を意識してのことだろう。そうであれば、身勝手さと言う精神構造が変わらない限り、五輪と言う錦の御旗が亡くなれば、元の木阿弥に戻るのは間違いない。それにしても、犬の糞の放置を実存主義はどう説明するのだろう。そして、一時流行ったT.ピケティは、どう弁明するのだろうか。

オミクロンをみくびってはいけませんよ   (普通部OB 篠原幸人)

ついに東京都のコロナ患者は連日2万人を超すようになりました。皆さんは御無事でしょうか? 皆さんは大丈夫でも、ご家族や親しい方の間にもコロナ患者は増えてきていると思います。あるいは沢山の方がご自分では気づいていないなんてことも十分想像されます。

中国では毎日あれだけPCR検査が行われているのに、日本ではPCR検査が間に合わないから症状から推定する「みなしコロナ診断」なんて、世界の先進国を自負していたかっての日本はどこへいってしまったんでしょうね。これも1年も2年前からこのような状況を想定して手を打ってこなかった厚生労働省あるいは政治の大失敗であることは明らかです。私も患者さんからの電話だけで、風邪やインフルエンザ、花粉症とコロナを見分ける自信は全くありません。

一方で「安倍のマスク」の嫁入り先が引く手余多だとはしゃいでいた人は、それにかかる運送費がまた莫大にかかると聞いて、おとなしくなってしまいましたね。自分の失敗には目をつぶり、成果は120%強調するのが、優れた政治家だったんですね。

さて、政府は3回目のワクチン接種普及に大わらわです。これ自体は私も大賛成で、是非進めて欲しいと思います。しかし、3回目接種はまだ日本の人口の数%ですが、まだ3回接種したのにこのオミクロン株に感染した人の%は発表されていません。そんな数字を今、出すと3回目接種推進の障害になると考えている役人・政治家もいるのでしょうね。3回打ったって、コロナに罹ることはあり得ます。但し、程度が軽くあるいは無症状になる確率は高いというデーターがあるだけです。もう3回打ったか方、今まで通り、油断をしないことが肝要です。

確かに重症肺炎コロナ患者さんは減りました。しかし死亡例は可なり出ています。特に本稿の読者は高齢な方も多いので、「コロナはもう風邪みたいなものになった」とは絶対に考えないでください。むしろ自分で気づいていない感染者が、貴方の周りにウヨウヨ居て、感染の危険度が高まったと思ったほうが良いかもしれません。

考えても見てください。例えば家族などに感染が出て濃厚接触者と判定されても、7日過ぎて何の症状がなければ、通常活動に戻っていいことになりました。それ自体は経済をまわすためにも私も賛成です。確かに最近のオミクロンは7日以内に99%ぐらいに確率で感染が起こります。だから患者やその可能性のある人に接触しても、7日過ぎて症状がなければ心配ないという考えは理論的には正しいのです。しかし、実はもうとっくに感染し、症状がないままに7日を過ごして、自分はコロナ感染は避けられたと自信過剰になる、こんな人も多いと思います。しかしこの根拠はなにもないのです。だって今回のオミクロンは本人は症状が無いか軽いのに、他人に特に持病を持った方に感染させる可能性が高いのです。久しぶりにお孫さんに会えたからと、イチャイチャするのはもう少し控えてください。オミクロンは無症状感染者が非常に多く、本人は平気でも、その方から感染した高齢者や何らかの疾患を持っている方は、たとえ肺炎にならなくても重篤な症状を呈しあるいは亡くなることも十分考えられるのです。

前回オミクロンは「曲者である」と私が書いた真意はそこにあるのです。オミクロンを見くびってはいけません。彼らは更なる進化(変異)あるいは飛躍を虎視眈々と狙っているに違いないのです。

エーガ愛好会 (120) トム・ホーン  (34 小泉幾多郎)

冒頭「これは実話です」とティロップが流れる。製作総指揮までスティーヴ・マックイーンが請け負ったというから、トム・ホーンの生き方に、感じ入るものがあったのだろう。監督にはTVドラマを作っていたそれ程個性のない人(ウイリアム・ウイアード)を選んでいるところは、自分の意志を前面に出し得る背景を考えたかも知れない。トム・ホーンは駅馬車や要人の警護をへて騎兵隊斥候として数々の戦いに参加し、アパッチとの戦いでジェロニモ投降に貢献したり、賞金稼ぎとしても名を馳せたとのこと。

そのトムが晩年ワイオミング州ハガービルという地にやって来てからの物語。1960年代「荒野の七人」や「大脱走」等で軽い身のこなしでの恰好良さで魅了し
たマックイーンではなく、老けた淋し気な笑顔と諦観にも似た振舞いが哀愁を放つ。牧場主ジョン・コーブル(リチャード・ファーンズワース)の目に留まり、牧場を狙う牛泥棒撃退の役割を担う。小学校に勤める女教師グレンドレーネ(リンダ・エバンス)と恋仲になり、壮大な自然の中、牛泥棒を追いかけ、ライフルを構え撃った時の衝撃が伝わるマックイーンのサマは相変わらずの魅力を見せるが、見せ場は此処まで。後半になると、マックイーンの消え行くヒーロー像の容赦のない描写に、とてもついて行けない。

牛泥棒撃退に貢献したにもかかわらず、目的のために手段を択ばない荒っぽいやり方に眉を顰める者や自分の手柄を横取りされたと妬む保安官ジョー・ベル(グリーン・ブッシュ)等から少年牧童殺しの嫌疑をかけられてしまう。本来は自分の一発でないのに、保安官ジョーの策略に罹り「俺が殺したなら最高の一発だ。そして最悪のな。」と喋ってしまう。その結果逮捕されてしまう。牢獄での経過が長過ぎ、もう見ていられない。一瞬脱獄のシーンもあるが、マックイーンなら早馬にでも乗って逃げ去るのに、駆け足で逃げる、走り方も尋常でない。当然のように馬で追いかけられ捕まる。最終的には絞首刑。その間、己の死を悟っていたかのような覚悟のようなものを感じる。

悪性胸膜中皮腫と診断されたマックイーンが消えゆくトムと言うヒーロー像に自身のキャリアの終わりを重ね合わせていたのだろうか。この映画の翌年50歳で生涯を終えている。 要は荒っぽい時代、命をとるかとられるかを生き抜いた男にとって、法と秩序の世界では生きられなかったということなのか。そんな単純なものではなかった筈。しかし時代に乗り遅れた人間に社会はどこまでも冷酷ということも事実。マックイーンの最後の西部劇だが、もう二度とは見たくない。前半だけなら見てもよいが。

(安田)スティーヴ・マックウィーンは「荒野の七人」「大脱走」「ネヴァダ・スミス」「ブリット」「ゲッタウェイ」「タワーリング・インフェルノ」などクールなカッコ良さでお気に入りの俳優だった。難病に侵され死期を覚悟してたかも知れない時期、製作総指揮と主演が彼だと知って初めて観た。遺作一本前の映画だ。鑑賞後感は、小泉さん、ジャイさんと全く同感でどっと暗い気持ちになった。彼の死は映画の1年後だと知った上で映画を観たので、小泉さんの名解説通り、映画の結末と彼自身の最期は死因は違えども運命的に似通ったものを感じる。どんな気持ちでこの映画を製作する気になり、演じたのかと想いを馳せた。調べると海兵隊時代(194750年)、兵員輸送船のパイプからアスベストを除去する作業に従事したことがあり、それが起因のアスベスト露出と関連した癌(胸膜中皮腫)で50歳の若さで亡くなったと推測されている。颯爽とカッコいい彼の最期の映画には相応しくない内容だ。哀れな気持ちにさせられた。また、彼は晩年に「信仰のみ」「聖書のみ」を主張する福音主義に改宗もしている。自由奔放な映画人生と私生活を送った末の死が近づく最期に宗教にすがる気持ちにでもなったのだろうか。映画のエンディングの筋書きにも影響を与えたのだろうか。

映画の途中でワイオミングの牧場のど真ん中で東海岸メイン州から汽車で運ばれた大きなメインロブスターを食べるシーンがあって、驚いた。こんな辺鄙な山奥で数千キロ離れた大西洋の海の幸を? 映画の物語は20世紀初頭。アメリカ横断鉄道は既に1869年(明治2年)に大西洋岸と太平洋岸都市を結んでいて山奥のワイオミングへも物資を運んでいたのだ。有名な明治新政府岩倉具視団もサンフランシスコから東部へはこの大陸横断鉄道に乗ったそうだ。アメリカの西部開拓は思っていたより早く進んでいたのが分かった。

(飯田)今回はをBSシネマで観ていませんが、依然見た印象は小泉さんの名解説、安田さんの感想と全く同感します。マックイーン主演の作品はご両人が書かれた文面に出てくるようにクールで格好良い作品が目白押しです。ただ、ご両人が偶々挙げられなかったとも思う「砲艦サンパブロ」(1966年)「パピヨン」(1973年)の2作はそれぞれに3時間、2時間半と長編で公開前から注目を浴びた作品ですが、私は両作品とも鑑賞後に失望を覚えた印象があります。

理由は前者はテーマが重すぎて難解でした。後者は仏領ギアナの流刑囚の救いの無い暗いストーリーだったと思いますが、マックイーンが「トム・ホーン」を含め、クールで格好良いだけでなく、やや分かりにくい俳優なのかも知れないと単純に思う次第です。

(菅原)小生にとって、スティーヴ・マックイーンと言えば、テレビ「拳銃無宿」のジョッシュに尽きます。

(編集子))小泉解説、最後の一行に全く同感で、見れば2回めになる今日は見るのをやめた。この映画のことで思い出すのが ラストシューティスト だ。ジョン・ウエインの遺作になったこの作品、言ってみれば友情出演だったのだろうがジェイムズ・スチュアートとローレン・バコールにもその別れを意識したような、暖かい感じが漂っていた。彼の死期が迫った時、長年の友人だったモーリーン・オハラがメディアに語り掛けて、あの人を何とか救って、と訴えたのを今では何を通じてだったかも思い出せないが、涙をこらえて読んだのを思いだす。最後は最後なのだが、トム・ホーンほど暗くならないのは、ストーリー上、曲がりなりにも最後まで戦った、という言い方はおかしいがポジティブなエンドマークだったせいだろうか。

この翌年、米国出張をごまかして、カリフォルニアはオレンジ郡、オレンジ空港を訪れた。同市がウエインを記念して、空港名を John Wayne Airport と変えたことに感激して、写真を撮って、帰ってきた。

 

”置き配とタブレット” 追論4  (在パリ 平井愛子)


面白い対話ですね。私のフランスの友人達が日本へ行って異口同音にいう事は、日本は道路も公共のトイレもチリ一つ落ちていないで清潔で信じられないほど綺麗だ ということです。犬の糞は大分良くなりましたが、場所によって違います。パリの歩道の所々に実は犬の用足しはここでするようにという印があるのです。その場所は時間によって自動的に噴出する水が道の下に通る下水道にゴミや何かを押し流すようになってはいるのです。でも私がパリに来た頃は、パリは上を向いて歩けないところだとつくづく思いました。もう20年か15年ぐらい前になりますが、犬の糞を飼い主は自分で処理するようポスタ-が張り出されてキャンペ-ンが一時よくされていました。そのポスタ-には車椅子の人が車に手をかけたその車輪に糞が付着しているという写真が印刷されていました。これが効を奏してか、今は随分綺麗になりました。実際犬を連れて散歩をしている人がちゃんとプラスチックの袋で取っているのを私も目撃していますので、随分変わりました。でも所によります。パリの中心や6区7区あたりは綺麗ですが、周辺地域はまだまだです。コロナで一時駅も道路もメトロの中も本当にきれいに掃除され、消毒液で電車のドアや皆が摑まる柱を拭いていたりしていましたが、また元の木阿弥という感じになってきました。清潔感や衛生心理が違うのですよ、日本とは。

でもオリンピックに向けてパリの美化運動は進んでいるようですから、期待はしたいと思います。

(編集子)平井愛子さんは、在パリ30年以上のキャリアウーマン。現在はフランス政府公認ガイド。安田君の元会社同僚の従姉妹で、音楽・美術・歴史・文化、人間の生き様などに関心深く、1年前からフランス便りYouTubeを配信継続中。