先般、栃木県の宇都宮大学共同教育部付属小学校の英語授業を見学してきました。小学4年生と5年生のそれぞれの英語の授業でした。同小学校の英語教育は、その先駆、実践的な取り組み方法が注目され、一般財団法人英語教育協議会(エレック)の昨年度のエレック英語教育賞を受賞しています。
小学3年生からの外国語(主に英語)の授業は、必修科目として2020年度から始まっています。小学生の英語授業では、聞く、話す、を中心に英語に親しむことが目標になっているようです。文部科学省の学習指導要領を読んでみましたが、恐ろしく難しくて官僚的な文書で、これをもとに授業を担当される小学校の先生方に深く同情を禁じえません。
上記の小学4年生の授業では、アイパッドを効果的に使い、「I have a pen」など、身の周りの持ち物を英語で指し示し、それを隣の生徒のアイパッドで映してもらって、先生に転送すること、5年生の授業では、これもアイパッドを使って、餃子がおいしいことなどの宇都宮市の特徴を外国人に英語で伝える練習をやっていました。先生のアイパッドと、各生徒のアイパッドが効果的につながっており、授業はスムーズに、賑やかに、楽しく行われていました。
わたしの時代の牧歌的な英語の授業風景とは雲泥の違いがありました。わたしがこの生徒たちの頃といえば、今から60年以上も前のこと。英語のアルファベットは、中学1年生になってから初めて学びました。英語の担当は、大変愉快な小林先生でした。先生は、夏のキャンプファイヤーで、「金色夜叉」の貫一、お宮の熱海の海岸での立ち回りを一人で演じ、全生徒の抱腹絶倒と歓迎を受けました。その小林先生が、黒板にチョークで、「字引く書なり」と書いて、「ジクショナリは辞書のことだ、覚えろ」と。
豆腐は、「ビーン・カーズ」と覚えろとも。同先生によれば、太平洋戦争直後に裁判にかけられた日本の兵隊さんが、「アメリカ人捕虜に何を食べさせたか?」と聞かれて、「豆腐を食べさせたと」と答えたらしいのです。通訳が豆腐をどう訳してよいかわからず、漢字の直訳で、腐った豆を食べさせたと訳したものだから、裁判官が怒ってその兵隊さんを死刑にしたというのです。真偽のほどはわかりませんが。いずれにしろ、将来トラブルに巻き込まれないために、舌をくるりと巻いて、カーズという発音を何度も練習させられました。小林先生は、「困窮売淫」というのも教えてくれました。コンキュバインは、英語でお妾さんのことです。
大阪の田舎育ちですから、外国人に接する機会はめったになく、中学校の遠足で伊勢神宮に参った時に白人の外人観光客と交わした会話が初めてのものでした。「ウエア、アーユー・フロム?」と聞かれ、「どこから来たのか?」と聞いていると分かりましたので、心臓が破れるくらいドキドキしながら「オーサカ!」と答えました。その外国人は、「オー、フロム オーサカ!」と応えてくれましたが、わたしには、「ああ、そうか、フロムが抜けていた」と恥じ入ることしきりでした。
小学3、4年生といえば、10歳前後です。そのような感受性の極めて高い時期に、外国語、外国人に接することは、その後の人生に大きな影響があると思えてなりません。わたしの息子は、その年ぐらいの時分に、ジュネーブのインター・ナショナル・スクールに通っておりました。彼と同級の生徒の一人に、ガーナ出身の女生徒がいましたが、彼女は成績がよくて、我が息子をしり目にさっさと飛び級でクラスを離れていきました。インド人の生徒も同様、飛び級でした。「アフリカやインドにもあのように頭のいい子がいるのだ」と、親子して感嘆しましたが、世界の多様性を学ぶ良い経験になりました。
小学生から、外国語(英語)を教えることに反対の意見もあります。通訳者で英語教育者の鳥飼久美子さんは、外国語を学ぶのは「早ければ早いほど良い」というのは、間違った幻想であり、根拠がないと論じています。彼女の主張は、外国語を学ぶのは、分析的に学ぶことができる抽象的な思考力が備わった、中学生のときのほうが最適だというものです。
数学者でエッセイストの藤原正彦氏は、小学生のうちは英語よりも国語や数学をしっかり学ばせるほうが大事だと強調しています。教養を深め、論理的な思考の訓練になるからという理由です。「日本語が亡びるとき」の著者の水村美苗氏は、同書で、小学生の英語教育は直接扱ってはいませんが、学校教育を通じて多くの人が英語ができるようになればなるほどいいという前提は、否定すべきとの強い意見です。国民の全員がバイリンガルになるのを目指すのではなく、国民の一部がバイリンガルになるのを目指すべきとの主張です。そうでなくては、世界の「普遍語」たる英語の世紀の中で、「いつか、日本語は亡びる」と言い切っています。
このように、英語教育をめぐっては、明治維新以来、様々な論争が繰り広げられてきましたし、今も続いています。江利川春雄和歌山大学名誉教授の「英語教育論争史」(講談社選書メチエ、2022年)によれば、これまで主に3点ほどのテーマが論争の的になっています。一つは、英語教育を小学校から始めるのが良いか、中学校からにすべきか? すでに明治時代に小学校で英語教育が行われており、論争になっていたという驚きの事実が紹介されています。二つ目は、英語教育は、教養を高めるのが主たる目的か、それとも実用的なコミュニケーション能力を高めるためのものか? 第三点は、国民全員が義務的に学ぶべきか、あるいは一部エリートないしは外国語を必要とする少数の人に限定することでよいのか?
1970年代には、これらの論点をめぐって、有名な平泉渉対渡部昇一の英語教育大論争というものがありましたが、ここでは割愛させていただきます。要は、明治時代以来、これまで長い間英語教育について種々論争はあったけれども、現在では、小学生から始め、教養よりもコミュニケーション能力の向上を目指し、エリートに限定せず国民全員が学ぶ、というのが大きな流れになっていると見てよいのでしょう。
そのような流れにもかかわらず、現在のところ、日本の中学生や高校生の英語を話す能力は、国際的に見て非常に低い状況が続いています。2020年の高校卒業時のTOEFL iBTの国別スコアでは、台湾が85、韓国が86、中国が87と世界標準レベルまで上がってきているのに対し、日本は73で、世界のスピードに追いつけていません。特に話す能力の低いのが目立ちます。
以下の調査結果をご覧ください。これは、少し古いですが、文部科学省による2014年度の調査結果です。当時はまだ必修の教科ではなく、「外国語活動」の一環として英語が小学5、6年生を対象に教えられていたのですが、その7割以上が、英語は好きだと答えています。その前向きな姿勢に、中学校や高校での英語教育が十分に応えられてこなかったことが問題なのです。
(添付ファイルを参照ください)
それでも、最近新しい動きがあります。東京都と株式会社TOKYO GLOBAL GATEWAYが運営する「トーキョー・グローバル・ゲートウェー(TGG)」という体験型英語学習施設のことをご存じでしょうか?立派な新しい建物が、東京の青海と立川にあります。前者は2017年に設立され、後者は本年1月にオープンしたばかりです。そこでは、小学生や中学生などのビジターが、空港や、売店、薬局などの模擬サイトで、米、豪などの外国人英語講師と英語で話す体験をすることができます。はじめはオドオドしていた生徒たちが、一日体験の終わりには、ハイタッチで、教師たちと仲良しになります(https://tokyo-global-gateway.com/)。
わたし自身は、このように小学生が英語を学び始めることに、大いに賛成です。日本は、安全で、空気も水もきれいで、住み心地の良い国であることは間違いありませんが、それでも、いまだに相当程度閉鎖的で、いろんな分野にガラパゴス現象的なものが残っていると思います。もっと外に対してオープンで、自由で、多様性を重んじる国民になってほしいと願います。さらに、自分の考えを自信をもって世界に向かってプレゼンできる人が増えてほしいと思います。その観点からは、英語の読み書きも大事ですが、やはり英語をうまく話せない人が大半という現状は何とかしなくてはいけないと思います。
確かに、水村美苗氏が強調するように、「教育の場において、国語としての日本語を護ること」の重要性は、大いに理解できます。しかし、現在の日本の英語教育が、彼女が危惧する日本語の滅亡を招くほど、ダイナミックに進められているとは到底思えません。小学3,4年生の英語授業は、たかだか週1時間(年間35時間)、5,6年生では週2時間(年間70時間)にすぎません。英語教育の悪影響を危惧するよりも、むしろ、日本語教育自体の充実化を図るべきかと思われます。
幼年期から外国人に接し、英語を話す楽しさを味わった若者たちは、必ずや将来世界で活躍できる大事な力を身に着けると思います。前向きで、好奇心があり、外交的で、話し上手で、ガッツがあり、少々の困難にはくじけない持久力を持った若者 ー そう、最近世界のあちこちでよく見かけるインド出身のリーダーのように ー がたくさん出てきて、将来の日本を支えてくれることを望まないではいられません。
(44 安田)赤阪氏について:
高校時代からの友人(一橋大学卒)、「国際関係・外交」専門の大学教授(今は引退)が懇意にして来た友人として赤阪氏を3年ほど前に紹介されました。彼は大阪は楠木正成で知られた千早赤阪村出身、1948年生まれ、京都大学卒、キャリア外交官、2007〜12年 国連広報担当事務次長を最後に外務省から退職、以後、公益財団法人フォーリン・プレスセンター理事長を務め、現在は公益財団法人日本ドットコム理事長。
赤阪氏を紹介されて以来、彼の随筆「話のタネ」を、ほぼ月一回程度の頻度で送ってもらっています。僕の友人・仲間へ自由な転送及び転載については快諾済です。彼とは未だ面識はなく、メール及び友人経由の交信です。拙著「アポロが月に到達した頃、僕は世界を歩いていた」を進呈して面白く読んだとの返答を貰いました。
「エーガ愛好会」の“日本語の英語教育について”議論は彼は知る由もなく、たまたまタイミングが合った次第です。彼も本件の重要性について問題意識を持っていることが確認できて良かったです。