クラーク・ゲーブル主演で南北
女優のイヴォンヌ・デ・カーロに重点を置き女性一代記を演じさせ
そもそも「風と共に去りぬ」を偲んでの作品を、ほぼ20年後に何故手掛け
その今年1月没の若きポアチエは黒人の組頭を演じ、白人を殴りつけたこ
結局イヴォンヌは、表面的には白人だが、黒人を母に持つという悩
(飯田)この映画、何故か劇場公開時に映画館を渡り歩いて乱観した時期な
比べては観ませんでしたが、ストーリー展開、主演のクラーク・ゲ
1950年代、60年代はこの種の映画や描き方が名作でもなくて
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
クラーク・ゲーブル主演で南北
女優のイヴォンヌ・デ・カーロに重点を置き女性一代記を演じさせ
そもそも「風と共に去りぬ」を偲んでの作品を、ほぼ20年後に何故手掛け
その今年1月没の若きポアチエは黒人の組頭を演じ、白人を殴りつけたこ
結局イヴォンヌは、表面的には白人だが、黒人を母に持つという悩
(飯田)この映画、何故か劇場公開時に映画館を渡り歩いて乱観した時期な
比べては観ませんでしたが、ストーリー展開、主演のクラーク・ゲ
1950年代、60年代はこの種の映画や描き方が名作でもなくて
(34 小泉)
荘厳なる鐘の音で始まるスケールの大きな美しい主旋律である「大
(36 岡秀雄) 最近は全く見ない映画を一生懸命見たけれど年には勝てず、途中コックコックリ居眠りしていました。若き日のイングリットバーグマンとゲーリークーパーはやはり素敵ですね、ラストに近いシ-ンは涙を誘うし、映画としては我々はこの頃の古い時代の物が情緒があり、後味が良いですね。長時間だけど良い映画を見る機会を与えていただき感謝。
(44 安田) シェイクスピアとほぼ同時代16世紀イギリスの有名な詩人ジョン・ダン(John Danne)の詩が映画の題名(For whom the bell tolls)だ。彼の詩の中の「鐘」は人が死んだときに鳴る「弔いの鐘」のこと。誰かの死は、自分自身も属する世界の一部が欠けることになり、知らない他人の死であっても、自分自身の損失だと訴えている。ヘミングウェイは、スペイン内乱の中で人知れず死んでいった一人の若者の死は、世界中の人に大きく関わる悲劇だと描いている。そのアメリカ人義勇兵の若者ロベルトをゲイリー・クーパーが演じ、フランコ軍の橋を爆破するため活動する山間部でイングリッド・バーグマン演じるゲリラの薄幸の美しい娘マリアに一目ぼれして死に至る3日間の束の間、二人は愛し合う。悲恋物語であり反戦映画だ。恋人のマリアだけでなく映画鑑賞者や本の読み手の我々もロベルトの死を惜しむべきだと。
名画「カサブランカ」の翌年公開であり、ゲリラの娘として短髪バーグマンの美しさ、特にクーパーを見つめる眼に魅了される。演技をしてないかのようないかにも自然体のクーパーの存在感が際立つ。男女二人のロマンスと内戦における反フランコ共和国軍のゲリラ戦を二つの軸として映画は展開するが、ロマンスとしては「カサブランカ」ほどの深みはなく、内戦のゲリラ戦の描き方も特筆するほどでもなかった。映画を引き締めていたのは、ゲリラメンバーの個性豊かな描き方、なかでもアカデミー助演女優賞を獲得した肝っ玉かあさんゲリラリーダー・ピラーと夫パブロの二人が出色であった。
(普通部OB 船津) あぁ1942年カサブランカ。1943年誰がために鐘は鳴る。映
そしてウクライナの戦場のを思い浮かべざるを得ない。
スペイン内乱はピカソのゲルニカ。キャパの倒れる兵士。そしてヘ
(HPOG 金藤) スペイン内戦に義勇軍の一員として、
(編集子)慶応高校3年の時、学園祭(日吉祭)の実行委員というのになった。初めて女子高との共催、という形式が決まり、双方からたしか12,3人の委員が実行委員会というのを作って、結果はそれなりに評価されるものだったと思っている。実行委員のうち、男子校のメンバーがいわゆる秀才ばかりではなく、中には何が起こるかわからないので司法、という担当、いわば警備員みたいなものにはそれ相応の人材?もいたし、文学青年気取りのやつとかいろいろだったのに対し、女子高側はそろって才女の代表みたいな構成だった。だから(大体日本の場合、同じ年齢ならオンナノコがませているのは当然である)彼女たちの会話を聞いていると僕らにはとても進んだ(と当時は思ったのだ)知性的(に聞こえた)な話題ばかりだった。アンドレ・ジイドがどうしたとか、ラフマニノフのピアノがどうだとか、今思えば彼女たちも一所懸命に見栄を張っていたのかもしれないが、なにせ当時の高校生には女性の友人がいるという事自体がまだまれだったせいもあって、チキショー、と思いながら黙って聞いているしかなかったのだが、そのなかでよく、ヘミングウエイの 老人と海 が話題に上った。そうかい、そんなにいいのかい、と半分けんか腰?で読み始めたのが一連のヘミングウエイ作品だった。以来社会人になってもこのコンプレックスあがり?の感情が残っていて、今本棚をみると翻訳が出ているものはほとんど読んできたようだ。さらにハードボイルドにのめりこんでみると、HB文学の文体はそもそもヘミングウエイから始まっている、というではないか。それではと数冊原書にも挑戦してみたが、母国語でもないし文学のプロでもないものにそのようなことがわかるはずはなく、今日まで来た。
その中で、小生が一番気に入っているというか、うまく表現できないが共感するのが 海流の中の島々(Islands in the stream) である。そしてこの本の結末部分は 誰が為に鐘は鳴る の結末を彷彿させるというか、全く同じ、と言っていいほど似ている。ヘミングウエイは人間の死の瞬間を 真実の瞬間、と呼んだ。この短い一節が凝縮されているのがこの二つの作品のエンディングだと思うのだ。ヘミングウエイは自らのショットガンで自殺した、その銃口をみつめたとき、それは彼にとって真実の瞬間、だったのだろうか。
先日、石原慎太郎が亡くなった。ずいぶん前のことだが、あるテレビの対談番組で、自分は死ぬとき、ああ、俺は今死ぬんだ、と納得しながら死にたい、といったのを覚えている。小生は彼の人を見下したような言動が大嫌いで、作品もほんのわずかしか読んでいないのだが、このときは一種異様な感動を受けた。彼の訃報を読んだとき、慎太郎の真実の瞬間はどうだったのか、と思ったことだった。
犬や猫も、糖尿病になることをご存知ですか?2019年ですが、新聞にこんな記事が載りました。
”大阪市の天王寺動物園は28日、
私が小さい頃、飼っていた犬や猫に、いわゆる「猫まんま」
犬は、ジャーマンシェパードという大型犬で、
ふと犬猫のことを思い出して、色々調べてみると、猫の場合は、慢性膵炎を基礎疾患とした、あるいは、
犬の場合は、7,8歳くらいで発症する『1型糖尿病』
鯉も糖尿病になると聞きましたが、
色んな動物が人間に飼われるようになり、
実は、昨年まで勤めていた仕事の関係で、
今では、①劇症1型糖尿病、②急性発症1型糖尿病、③緩徐進行(
私の兄は平成7年に、
人の体を取り巻く環境についての科学は常に進歩しています。
77年前の3月10日は東京大空襲で僅か1〜
77年間戦争にかかわらずに平和に暮らしてきた日本。
(東京大空襲)
藤沢周平の「一茶」(1978年)、俳人、小林一茶の伝記小説を読む。
藤沢の作品の中でも、一茶なんてと敬して遠ざけて来たが、海坂藩のうの字も出て来るわけではなく、侍もチャンバラもないにしては意外と面白かった。
「丘を少しのぼると、伐り開いた斜面を蔽っているうす紅いろのものの正体がはっきりした。桃の花だった。近づくと花は三分咲きほどで、まだ蕾の方が多かったが、昼近い時刻のきらめくような日の光を浴びて、艶に見えた」。冒頭の部分の抜き書きだ。15歳の弥太郎(のちの一茶)が、奉公のため信濃の柏原から江戸に出立する場面。別にどうと言うこともない言葉なのだが、その情景を見事に活写しており、そこにこそ藤沢だけが持っている魅力の真髄がある。こう言った類いの文章が頻繁に出てきて、酔い痴れる。
確かに、Wikipediaを中心としたネットによれば、骨肉の遺産相続争いあり、スゲー性豪でもあったようだ(例えば、「婦夫月見 三交」などなど。そう言えば、永井荷風の日記「断腸亭日乗」にもその印があったことを思い出した。英雄色を好むと言うが、同時に顕示欲も誠に旺盛だ)、しかし、藤沢は前者についてはさらっと触れているが、後者については一切触れていない。
話しは変わるが、織田信長が如何に酷いことをしたかを知った藤沢は、以後、信長に対する興味を完全に失ってしまったと伝えられている。そんな藤沢が、凡人である一茶に惚れ込んでしまったのは当然のことなのだが、その伝記であるとは言え、それ故に、一茶を語って、浮き彫りになって来るのは、実は藤沢自身ではないかとの思いを深くした。
一茶は、二万にも及ぶ句を作ったと伝えられているが、小生が知っているのは、「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」、「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」ぐらい。国許から出て来た江戸では住む家もなく、あっても米櫃の底にコメもないと言う極貧生活を送り、最後は生まれ故郷に帰って、安住の地を得たとは言え、殆どが赤貧洗うがごとしであった一茶は、藤沢と同じく、心優しいひとであった。
(47 関谷)藤沢作品は殆ど読破しました。本作は、確かに、海坂藩の「う」の字も出てこない異色な作品だったことは覚えておりますが、内容は遙か彼方! 書籍は、既に、断捨離済み!
大倉山梅林の枝垂れ梅 (34 小泉幾多郎)
大倉山梅林は、ようやく枝垂れ梅が満開になりました。枝垂れ梅は
白色が白滝枝垂れ、赤色が淡路枝垂れというそうで
高尾梅林も満開 (44 安田耕太郎)
高尾山の北側の麓は通称“裏高尾”と呼ばれ、知る人ぞ
暖かい初春の今日(5日)、梅林を愛でに高尾山にKWV仲間5人
下山は「いろはの森コース」を通り裏高尾へ。1400本の梅の木
今日、日課の朝の散歩ルートを少し変えて、近くにある厳島神社へ行ってみた。
歴史は古いようだが、今は住宅地のど真ん中ですぐ後ろがハイライズの集合住宅という形に押し込められているが、調布のこのあたりは武蔵野原野の面影をとどめて巨木が多く、ここにも樹齢を重ねた古木が何本かある。欅のほかに、はじめてみるのだがソロという名前の樹がまっすぐにのびた欅の隣に何だか拗ねたようにねじれながら高い。境内はごくちいさいのだが、この木立の醸し出すひんやりとした空間が何とも好もしい。
調布といえば深大寺で、スケールも木立もこことは段違いなのだが、同じ自然環境にありながら、また同じ樹でありながら、寺、と神社、というだけでとの空間が作り出す雰囲気がまったく異なってくることがいつもながら不思議に思える。
宗教には無知な自分だが、神道、というのは宗教なんだろうか? 信徒ではないので全くわからないが、仏教にせよキリスト教にせよ一神教はすべからく人間の来世についての約束をしていると理解しているが、神道にはそういう発想はないように思える。科学知識の少なかった昔、当時の人々にとってひとつの石であっても一本の樹であったも、普通なありようではなかったとき、なぜそこにあるのか、それはなぜだ、ということがわからないとき、それは神の仕事である、とされた。そういう事物は日本中どこでも見かける。しかしそれは絶対主としての神がいる、という事ではなく、万物がすべて神性を宿している、という素朴な論理、アニミズムというのかどうか知らないが、我々が知ることもなければ経験することもできない長い時間、ここにあった、だから、この古木は神を宿す神木である、とされてきた。この論理が僕にとってはなんとなく納得できるのだ。そしてそういう意味で、人は死んで神になる。その神はなにをするか。わからない。しかしこの自然の中のどこかに存在する。それでいいではないか。
外資系会社に居合わせた結果、ずいぶん多くのアメリカ人の友人ができた。ビジネスを離れて、真剣に人生論を戦わせたり、文化議論をした人間もたくさんいる。そういう過程で気がついたのは、彼らに日本の文化風物歴史を説明し、納得させることは難しいが不可能ではなかった。しかしなぜ日本には宗教がないのか、なくてもやっていけるのか。生まれれば初詣に行き、教会で結婚式を挙げ、仏教の教えに従って葬られる。なぜ日本人にはそういう事が出来るのか。これを納得させた、という経験はない。
納得はさせられなかったが、何となくそんな気にさせた、という気がしたのは、日本人を支えているのは feeling of resignation なのだと思う、といった時である。Resignation という単語の正しい用法であるかどうかはわからない。我々の言葉で言えば 諦念 という事のつもりで言ってみたらなんとなく納得した、ということなのだが。
生あるもの必ず滅する。平家物語の有名な書き出しは、日本人の心の奥底をそのまま文字にしたのだろう。僕だけの発想だが、春に咲いた花が秋に紅葉するという移り変わりを、四季というものを身近に感じられる温和な自然が育んだ感覚でもあるだろう。壮大美麗な寺院や深遠な経典よりも、ただ立ち尽くす古木が真実を宿す、という素朴な論理を僕は信じる。街中に取り残された、ちいさな神社で感じたことだった。
ここのところの報道によれば、コロナの6波は治まる傾向にあると報じられていますが、私の周辺は、5波までコロナに罹ったという方はほとんどいませんでしたが、今月に入ってから大幅に増えているように思います。オミクロン株の特徴として高齢者には罹ると重症化し易い、特に基礎疾患がある人は要注意と言われていたので、私は要介護5の家内を週2回のデイサービス利用と泊りがけで出かける時はショートステイに入所させていましたが、ここは我慢のしどころと2月は泊りがけのアクティビティは全てキャンセルし、毎日家内と過ごしていました。ところが、ここに至って家内のデイサービスが1カ所、休業になり、ショートステイ先に至っては3月一杯休業となってしましました。聴くとスタッフのコロナ感染が増えて、人員不足で営業が出来ないのが、大きな理由のようです。3月6日以降は蔓延防止も解かれ、通常の生活近くに戻るのでは、と思っていましたが大誤算で3月も何も出来ません。寂しい限りです。私の家内の介護で溜まるストレスをどう発散させられるか、大きな宿題が残りました(笑)致し方無いので家の中の断捨離でもするか・・・?? このまま何もしないで、飲んで喰っていたのでは太るし、健康を害するのが目に見えています。気分を切り替えてじっくりと身体造りをして4月以降に備えるか・・・でも、それなり気の目標がないと元来怠け者の私には、ハードルが高いのです。
2月16日 (水) 相模カントリークラブ
2月16日、名門相模カントリーでプレイする機会に恵まれ楽しんできました。 雪が降るのでは、又は雪が残ってプレイではないかなどなど気をもみましたが、素晴らしい天気に恵まれゴルフのスコアはともかく、春を五感で感じた日でした。
推奨ウイスキーの話
今から53年ほど前、私が27歳で初めて英文学の先生方を添乗員として英国一周の旅にご案内しました。まあ、附いて行った、と言う方が正しいでしょう。添乗員でありながら、英語が出来ないのが私だけでしたから・・・英国一周の旅でその後、ロンドンとその周辺には何回も行きましたが、この時以来、英国を旅するチャンスはありませんでした。
毎夜、現地のガイドとパブに行き、よく飲みました。その時、教わったのが「Teachers」でした。日本でスコッチと言えばジョニーウォーカーの黒ラベルが最高と言われ、1万円もする時代でした。値段はわすれましたが、英国でも高かったのでしょう。現地のガイドに「何を飲む?」と聞かれ、恐る恐るジョニーウォーカーと言うと軽蔑の眼で、あんな水みたいなのはウィスキーじゃない。これが良いと飲ませてくれたのがこのTeachersでした。私にとってはきついし、スモークしているので飲みにくいウィスキーでしたが、慣れてくるとこの感覚はトリスやレッドを飲んでいる感じで、懐具合からも滞在中、パブに行けば知ったかぶりでTeachersなんて注文していましたっけ・・・なかなか、お目にかかれなかったのですが、最近はサントリーから販売されるようになり、何処でも買えるようになりました。しかも安い。私の良くスーパーでは税込みで1000円しません。一度、お試しあれ・・・・
2月25日(金) 冨里ゴルフクラブ
以前勤務していた会社のオーナーからお誘い頂き、片道3時間かけて冨里ゴルフ倶楽部に行ってきました。前半はインからスタートし、私としては稀に見る頑張りでハーフ51で廻りました。これは最近にない私にとっては良いスコアでした。午後のアウトは何時ものスコアで毎回100を切るゴルフをしたいと頑張るのですが・・・今回もだめでした・・・
この冨里ゴルフ倶楽部は成田空港から車で15分程度のところにありますが、ゴルフに詳しくない私でも素晴らしいコースだなと思いました。ところが、この素晴らしいコースは10年後の成田空港C滑走路建設の為に本年10月で閉鎖になるそうです。ゴルフファンには寂しい、惜しまれることと推察する次第です。私は多分最初で最後のゴルフ場になることでしょう。時代は変わったのでしょうかね?