エーガ愛好会 (308)ケイン号の反乱  (42 保谷野伸)

「ケイン号の叛乱」は、原作が「ピューリッツアー賞」の作品だけあって、ストーリーは面白く見応えあるエーガでした。。

この映画は、太平洋戦争下の(オンボロ)掃海艦「ケイン号」が舞台ですが、「戦争映画」ではなく、台風下の非常事態に際し、艦長に操舵能力無し,と判断した副官が艦長から指揮権を奪い(結果として)艦を転覆から救ったのですが、戦時下の艦長は絶対的存在で、叛乱は許されない行為であることから後に軍法会議にかけられ、「死刑か、無罪か」という「法廷映画」でした。

主なキャストは、①新米の海軍少尉(ロバート・フランシス)、②新任の(偏執狂気味の)艦長(ハンフリー・ボガード)、③副官(ヴァン・ジョンソン)④(作家志望の)通信長(フレッド・マクマレイ)、⑤敏腕弁護士(ホセ・フェラー)の5名ですが、存在感があったのは、②のH・ボガード-と⑤のホセ・フェラーで、特に後者は、死刑の可能性が高かった(被告)副官の無罪を勝ち取り、かつ、ラストで④の通信長を「叛乱を陰で誘導した」と糾弾する、カッコ良い役どころでした。彼はあまり有名ではありませんが、魅力ある俳優ですね。

ちなみに、ボガードは「黄金」で救いようがないワルを演じて、(ミスキャスト?)と「ガッカリ」しましたが、今回も「悪役~といっても偏執狂」で、好演ではありましたが、彼は悪役より(カサブランカの)ニックのような「ニヒルで男らしい役」が似合うと思います。。最後に、同じ「法廷映画」の(G・ペック主演の)「アラバマ物語」との比較では、感動や共感という面で、私はアラバマ物語を推します。

(編集子)このブログをおっかなびっくり、本屋で買った入門書と首っ引きで始めたのが2017年の夏なので発足以来足掛け8年になる。自分からの発信ではなく、できるだけ多くの友人たちとの付き合いを持ち続ける場にしたい、というのが狙いだったが、幸い、意図を理解してくれた友人たちのご協力で、それなりの達成感はある。中でも、ひょいとした思い付きで始めてみた、映画の話題を中心としたメル友グループ (エーガ愛好会)は映画の話題にとどまらず、いろいろな場面での情報、意見の交換の場となり、数回にわたって食事会などを催したりして、編集子の中学から大学までの友人たちや、職場での仲間などとの交歓の場として僕にはかかせないものになった。その投稿300号が最近達成できたので、何か記念になる行事はないか、と提案したのが、鑑賞した作品についてのエッセイのコンテストだった。通常であればだれかがまず投稿し、それに対してのフォローやら反論やらを語り合うのだが、今回はある一つの作品にできるだけ多くの人たちに同時投稿をやってもらい、事後にベストを選ぶ、ということを考えたのだ。しかしテレビでの放映日と投稿までの時間が短かったのと、作品 ”ケイン号の反乱” というタイトルから、いわゆる戦争もの、と誤解されたりしたこともあり、応募数が4通にとどまって、当初の狙いとはずれてしまった。しかし投稿されたのはそれぞれ味のある文章であり、また未知の情報も多くあったので、投稿原文をそのまま、紹介することにした。

エーガ愛好会 (307) ケイン号の反乱    (学生時代クラスメート 飯田武昭)

ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの同名の世界的ベストセラー小説(1951年発表)を監督エドワード・ドミトリク、製作スタンリー・クレイマー、出演ハンフリー・ボガート、ホセ・フェラーなど当時のハリウッドの超一流スタッフ・キャストが総結集、映画史上に残る名作ドラマに作り上げた。大まかな内容は第二次世界大戦の太平洋戦域を舞台に、アメリカ海軍の駆逐艦掃海艇内での出来事とその後の軍法会議を描いているアメリカの軍事裁判映画。

映画はサンフランシスコ湾からハワイの真珠湾へ寄港する航路の周辺でのアメリカ海軍の老朽掃海駆逐艦ケイン号の艦上での新艦長とその部下たちの間の揉め事が、大型台風の襲来という想定外の出来事をきっかけに、艦長を追放し部下が取って代わって艦長を勤めるという規律違反の事件にまで発展する。

その事件で一時艦長の役を務めたキース少尉が軍法会議に掛けられ反乱行為と判決されれば絞首刑もありうる裁判で、被告を弁護した弁護士の有能な弁論で無罪になるというストーリーだ。結審後の弁護士が信条を吐露したところでは、この事件を小説に書こうとしていた作家としてのキーファー大尉と無罪放免となったキース少尉が再び乗船する老朽掃海駆逐艦の艦長が元のデウリーズ艦長(トム・チューリー)であるとの落ちが付いている。

この映画では新たに艦長として着任したクイーグ少佐(ハンフリー・ボガート)が部下に対して必要以上に規律に厳しく、それが次第に編執症又は偏執病かと思われる言動にまで発展する。後半の軍法会議で、この偏執症が過去8年間の過酷な海上勤務が原因のものかという点も論議されたが、最後に証言台に座ったクイーク少佐本人が、自らの不甲斐ない艦長としての非を認める短いが迫真に迫るセリフで、この裁判を被告無罪とする結審に至らせる。裁判では被告のキース少尉の弁護に立つグリーン・ワールド弁護士(ホセ・ファーラー)が、艦長の当時の精神状況を医学的に分析する専門医の証言に対して、実体験の無さで反論し、この弁論も被告の無罪への大きな援護となった。

それぞれの役を演ずる俳優陣が魅力的で、新艦長のハンフリー・ボガートは規律に極めて厳しい偏執症的な面と、時には部下を一斉召集に掛けて自分の寂しい心情を訥々と述べるなど、そして前述の裁判シーンでの艦長としての非を認める迫真の短い独白シーンなど、「カサブランカ」「三つ数えろ」「キー・ラーゴ」「アフリカの女王」「必死の逃亡者」「麗しのサブリナ」などで名演技を残した俳優ボギーの面目躍如。他にも、副長役のマリック大尉は、極めて上官に真摯に使える雰囲気をお馴染みのヴァン・ジョンソンが演じるが、彼は戦争映画でよく見る顔である反面、歌手・ダンサーでもあるので、ジーン・ケリー主演のミュージカル「ブリガドーン」やエリザベス・テイラー主演の小説の映画化「雨の朝パリで死す」などにも準主役を演じている。彼と仲間のキーファー大尉はテレビ・ドラマ「パパ大好き」で日本でも大人気だった俳優フレッド・マクマレイで、この映画の役では戦場以外では小説の作家をしている曲者という設定をソフトに演じている。話の中心のキース少尉(ロバート・フランシス)は、名門プリンストン大学出で一貫して艦艇では新人らしい振る舞いを上手く演じている。彼の恋人のナイトクラブ歌手(メイ・ウイン)との逢瀬のシーンは、多分ヨセミテ国立公園と思わせる大きな樹木と巨大岩石の公園やお互いの両親が二人の結婚については育って来た家庭環境の違いを心配するシーンがゆっくりと時間を取って挿入されていて、この当時のアメリカ人の結婚観(日本では恋愛かお見合いかの時代、現代は合コンか恋愛か?)が現代と大きく違っていたことを思い出すシーンでもあった。

直、劇中で偏執症又は偏執病と言う英語の単語は“Paranoia“と発音されており、今日では通常トラウマとかと表現される経験に基ずく一種の強迫観念のような精神疾患のことかと理解した。邦題の「ケイン号の叛乱」の叛乱だが、一般に“叛“は国に背いて偽(敵国・反乱者)に従うこと、“反“は君主の身に危害を及ぼすことなのだが、《軍事》でも〔上官に対する〕反抗、反乱と簡単な方の乱(みだす)という漢字を使うのが一般的なので、この邦画の題名は特に事件の重大性を強調する意味で使っているのかと思う。

エーガ愛好会 (306) ケイン号の反乱 (44 安田耕太郎)

舞台は、ハワイ真珠湾を母港とする老朽掃討駆逐艦「ケイン号」。時は、日本軍の真珠湾奇襲から2年弱後の1943年。旧約聖書「創世記」に登場するアダムとイヴの息子たち兄のケイン(Caine)と弟のアベルは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神話において、人類最初の殺人の加害者(兄)、被害者(弟)とされている。映画「エデンの東」にはケインとアベルを示唆する兄弟が登場するが、「ケイン号の叛乱」でも旧約聖書上のケインを匂わせるような筋書きかと期待したが、その名前の由来は潜水艦との砲撃で犠牲になったケイン中佐に因んで命名されたと艦内に記されていた。肩透かしを食らった。

オンボロ駆逐艦「ケイン号」の新旧艦長と乗組員たちの間で展開される人間ドラマを描き、新任艦長は神経質で心身喪失状態に陥り、ついには操艦能力欠如と判定され副長から解任される。解任した副長は帰還後軍法会議に掛けられる。映画を大まかに分割すると、新任艦長が着任するまでを第1幕だとすれば、新任艦長と乗組員たちの艦内に於ける人間ドラマが第2幕、そしてクライマックスの軍事裁判の顛末が最終第3幕となる。

名門プリンストン大学を卒業したウィリー・キースはナイトクラブ歌手の恋人と別れ、海軍に入隊して「ケイン号」に乗船。艦長デヴリースの口が悪く人を食ったような態度にも、がさつで下品な乗組員たちにも馴染めなかった。やがてデヴリースは新しい任務先に去り、新任の艦長クイーグ(ハンフリー・ボカート)が着任する。デヴリース離艦の際、乗組員たちのデヴリースに対する尊敬の念に触れたキースは不思議がるが、副長のエリクは「それが解れば君も一人前だ」と告げる。新旧艦長に対する信頼の好対照の伏線になっている。

第2幕の艦内の人間ドラマは続き、クイーグ艦長は風紀の乱れを直し規律を厳守させると宣言。しかし、シャツの裾が出ていると甲板で作業する乗組員を叱責し、その後監視までつけて徹底させるなど神経質でやり過ぎが目立ってくる。厳格な姿勢で臨む一方、自らのミスは部下に責任を押しつける態度をとるにつれ、部下たちはクイーグに対する不信感を募らせる。そんな折、配給されたイチゴがなくなった程度のことでクイーグは乗組員全員の所持品検査を命じる。部下たちの軽蔑は増幅していく。「カサブランカ」「脱出」「三つ数えろ」「麗しのサブリナ」などの映画に於いて、ニヒルでカッコ良い紳士役を演じたボカート(ボギー)にとっては、この艦長役はいやな役柄だったろう。貧乏ゆすりをするかのように、いらいらしたボギーがクルミを神経質に手の中で揉むのが印象的だった。流石、ボギー、見事な演技だった。毒舌で皮肉っぽいボギーを観るのも楽しいが、部下としては働きたくはない。好きな映画「眼下の敵」の艦長とは随分違う。ピーター・ユスティノフと共演したコメディ映画「俺たちは天使じゃない」ではユーモア溢れる役を演じ、見応えのある好きな映画だ。

小説家志望で皮肉屋の通信長キーファー(フレッド・マクマレイ)は親友でもある副長マリクに対し、艦長には明らかに偏執症(パラノイア)の徴候があり、非常時に下級士官が指揮官を解任できるとする海軍規程184条に則って副官は指揮を代行すべきだと忠告する。マクマレイは、ワイルダー監督のロマンティック・コメディの傑作「アパートの鍵貸します」1960年ではシャーリー・マクレーンと浮気をする役を好演。その後のテレビドラマ「パパ大好き」で典型的な良き父親を演じ、少年時代から馴染みの顔だった。

やがて艦は猛烈な台風に遭遇、あわや転覆の危機に陥る。クイーグは取り乱して一時心神喪失状態となり、操艦もおぼつかなくなったと副長マリクは判断して、クイーグを解任、自ら指揮を執って嵐を乗り切った。だが彼は帰還後、軍法会議にかけられることとなる。反乱行為で絞首刑の可能性もある裁判を8人の弁護士が断った。打診を受けた法務将校のグリーンウォルド大尉(ホセ・フェラー)に対して、マリクと共同被告のキースはクイーグの非を訴えるが、彼は平然と云う「たしかに台風で3隻沈んだが、194隻は指揮の交替なしに乗り切ったし、3人の精神科医がクイーグを正常と判定した」と。ほぼ勝ち目は無いが、グリーンウォルドは弁護人を引き受けると、驚くべき発言をする、「無実だから」と。

同時代制作の法廷物映画では「情婦」(ビリー・ワイルダー)、「アラバマ物語」などが忘れがたいが、「ケイン号の叛乱」も題材の面白さに加えて、弁護した法務将校の独特の間合いと、検察官を演じた後年テレビドラマ「弁護士プレストン」でも馴染みのE・G・マーシャルとの丁々発止の論戦は非常に見応えがあった。グリーンウォルド法務将校は、形勢不利な状況から巧みな質問でクイーグが偏執症であることを証明して無罪を勝ち取る。

無罪が確定した後のパーティで法務将校は云う、「艦長をあそこまで異常にさせる前に乗組員たちもやるべきことがあったのではないか」と。そして、少し酔っ払った頃、将校はキーファーの顔に思いっきりシャンパンをぶちまけた。裁判の場で、艦長の肩をもつ発言をして裏切ったことに怒っていたのだ。キーファーは唖然として後悔の苦笑いをみせながら将校が立ち去るのを見送った。戦争のような極限状況では、乗組員たちの生死がかかる状況下で上官の命令に服従しない士官の罪をどこまで問えるか、というのがこの映画が問いかけたテーマであった。「歴戦の功労者のメンツと名誉」と「現実的な判断」の狭間でその困難さを突きつけた映画でもあった。それにしてもキーファーの裏切りには驚いた。

キースは裁判後、恋人と結婚。ケイン号の任務に戻り乗艦する。すると、馴染みのあるデヴリース艦長に出会う。再び艦長としてケイン号に戻ってきたのだ。二人はにこやかに笑う。艦長を演じたトム・テューリーはアカデミー助演男優賞を受賞する。キースを演じたロバート・フランシスはその後の将来を嘱望されるも、映画公開翌年に自ら操縦する飛行機の墜落事故で亡くなった。享年25。

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(編集子)原著者ハーマン・ウオークは第二次大戦中、駆逐艦に搭乗して実戦に参加している。以下、ウイキペディア。

エーガ愛好会 (305) ケイン号の反乱   (42 下村祥介)

久しぶりに真面目に映画を見た。「真面目に」という意味は、その映画に没入し登場人物に感情移入するくらいの真摯な気持ちで見ないと本当に見たということにはならないと思うからだ。家庭の居間というのはTVでの映画鑑賞にはまったく不適で、家の者がしょっちゅう出入りしたり鬼の居ぬ間にと家人の留守中に見はじめると宅配業者に席を立たされたりと落ち着かないことおびただしい。今回は御大のお薦めということで早起きし、早朝まだ皆が眠っている中で集中して見ることができた。

吹き荒れる嵐の中、激しい波に翻弄され今にも沈没しかねない艦のなかで操艦を巡る自己愛の強い艦長とそれまで艦長を支えてきた副官との壮絶な確執。艦長から出される支離滅裂な種々の指示に異常を感じた副官が軍規に基づき指揮権を奪取するが、これが帰投後反乱とみなされ軍法会議にかけられる。圧巻は軍法会議における検察官・精神科医と弁護士との迫真の論戦。精神科医による一般的な診断では極端ではあるが病気とは言えないと判断された艦長。それにもかかわらず艦長の命令に逆らい指揮権を奪った副官は反乱罪が当然だと誇り勝ちの顔を見せる検察官。やがて艦長が尋問の場に立たされ自己弁護を始めるが、艦内で起きた異常と思える事故について弁護士が一つ一つ事実を追求していく。自らの言動の正当性を主張したり不都合なことは記憶にないなどとはぐらかす艦長だが、虚偽の答弁がついに馬脚を現し自ら記憶にないと言っていたことを残らずしゃべってしまう。こうしてめでたく副官は無罪となったわけであるが、打ち上げの飲み会にくだんの弁護士が現れて曰く、「俺たちが平穏なところで勉強したり遊んだりしていたときに、危険に身をさらして前線で戦っていたのは誰なのか。艦長ではなかったのか」と。助けるべき時に助けもせずグルになって上官をさげすんでいたことに対して苦言を述べるのであった。

私見だが、我々はややもすると過去の業績で人を判断しがちになる。確かに能力がなければその業績は達成できず敬意を払うべきだが、その能力が現在もあるとか発揮できるとかにはならない。艦長も活躍していたころからは歳を取ってきているわけで、私は副官の判断を支持したい。

ハンフリー・ボガードが憎まれ役で出ていたことに驚いたが、さすがに演技は抜群で追及され追い詰められていく焦りの表情は何とも言えない。不安と親友に裏切られたという苦悶の表情を浮かべる副官もそうだし、弁護士もその役にふさわしい顔立ちの男だった。久しぶりに面白い映画を見た。

余談1.巨大空母:ゴルフのショートホールにもなりそうな巨大な空母が登場。当時の日本にもこれに匹敵する赤城、加賀、飛竜、蒼龍といった空母群があった。その大半はミッドウエーで失ったが、誰も責任を追及されなかった。

余談2.軍規184条:指揮官が負傷するなど明らかに指揮が取れないなどの場合以外は運用は難しそう。異常な命令や指揮がとられても何をもって異常と判断するのか判断基準が曖昧。他にも敵を攻撃すべきか否か寸刻を争う緊急事態に対して艦長と副艦長との判断が異なり、副艦長が武力で指揮権を奪うという米国の海戦映画があった。密閉空間内での確執であり難しい問題である。

 

カンボジア・アンコールワット再訪 (41 斉藤孝)

静かに東の空が明けていく。

暗かったアンコールワットの遺跡群のシルエットが浮かんできた。太陽が昇り始め、太陽に照らされてアンコールワットは目覚めた。

5本の尖塔が姿を現す。時間とともに空の色は変わり始めた。「聖池」に逆さアンコールワットが映る。壮大な遺跡群の全貌がハッキリ現れた。

朝焼けのアンコールワットは光り輝いていた。空も遺跡群も瑠璃色一色である。

紅のカンボジア(クメールルージュ) !! これこそが「クメールルージュ」ではないか ? 「聖池」の横に立たずむ白髪の老人は「ポルポト」なのか ?悪い冗談をつぶやいた。

「クメールルージュ」(1970–1975)は原始共産主義社会を本気で実験した悪名高き集団。その指導者は「ポルポト」だった。約300万人のクメール人を虐殺(ジェノサイド)した。

老夫婦は午前3時に起床し、足元を懐中電灯で照らしながら用心深く歩いた。60年振りのアンコールワットだった。センチメンタルジャーニーといえるだろう。

1969年(大学院)を修めた春に東南アジアを放浪したことがあった。あの頃のインドシナ半島はベトナム戦争の最中であったがカンボジアだけが平和だった。

(42 河瀬)素晴らしい朝焼けのアンコールワットですね!

私は2013年にプノンペンで日本の友人が立派な脳外科の病院を建設したので、その祝辞に行った折にアンコールワットに寄りました。アンコールワットの他に素晴らしい彫刻のあるアンコールトムも訪ねました(添付写真)。寺院の一部は熱帯のジャングルの巨大な根に飲み込まれつつありました。
 ポルポトに大虐殺されたクメール人は、12世紀初頭にクメール王、スーリヤヴァルマン2世の主導でこのような驚くべき、エジプトにも負けない壮大な歴史遺産を残していたのです。
 カンボジア人が今若い人ばかりで活気があるのは、その大虐殺で高齢者がいないためだそうですが、学者、先生や医師などの知識人がいなくなって困っているようです。

昭和100年です    (普通部OB 船津於菟彦)

2025年は昭和100年にあたるそうです。元号は天皇陛下の在位によって名称が変わります。昭和は1926年に始まり1989年に終わりました。そのあと平成となり、平成は2019年で終わり、今は令和7年になっています。ただ、昭和が続いていると仮定すれば、今年は昭和100年になるというわけです。
大正15年(1926)12月25日、大正天皇が崩御され、同日以後を改めて昭和元年とする旨の改元の詔書が発せられました。従って昭和元年は一週間も無かったわけですね。

1927(昭和2)年は、年賀状を控えるなど異例の年明けで始まった。2月には大正天皇の「大喪儀」が東京都内で行われた。東京・新宿御苑で葬場殿の儀が営まれ、葬列を見るため200万人を超える人が各地から集まるほどだったといいます。この年は、日本初の地下鉄として銀座線が浅草-上野間で開通。「羅生門」などで人気を博した作家芥川龍之介がこの世を去ったほか、119番の運用が東京消防庁で始まったのもこの年でした。

熟年生は齢86歳。何と殆どが昭和の時代を過ごしたわけですね。

1964年(昭和39年)10月10日から10月24日までの15日間、日本の東京都で開かれた第18回夏季オリンピック。東京オリンピック、東京五輪、東京1964(Tokyo 1964)と呼称される。大会後には同一都市では初となるパラリンピックも開催(第13回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催)されました。
アジア初および有色人種国家初のオリンピックであり、1952年のヘルシンキ(フィンランド)、1960年のローマ(イタリア)に続いて第二次世界大戦の旧枢軸国の首都で開催されたオリンピックでもありました。未だ戦後間もない度によくぞ開催したと思いますね。就職仕立てのシンマイで走り回っていました。

今やITだAIだとガラリと変わりましたね。これからの100年は少子化の日本。高齢化社会の日本。どうする昭和200年。
まぁ紅梅白梅でもゆっくり観ながら寅さんの大勝か落下を見届けましょうか。

白梅に 紅梅の散る 昼の夢    伊丹三樹彦
はなびらを重ね白梅も紅梅も   山口青邨
春の雪むかし日の丸振りし駅   木田千女

 

MAGA について   (HPOB 菅井康二)

ドナルド・トランプが2016年以降の大統領選で掲げたキャッチフレーズ「MAGA(Make America Great Again)」は、実は彼のオリジナルではありません。ご存知の方も多いかもしれないが、このフレーズは1980年の大統領選でロナルド・レーガンの選挙キャンペーンでも使われていました(なお、トランプは厚顔無恥にも2016年にこのフレーズの商標登録を申請していますが、承認されたかどうかは不明です)。

このフレーズに含まれる Again という言葉が示すように、レーガンもトランプも「アメリカの栄光の時代」を想起させ、それを取り戻そうとする政治的メッセージを打ち出していたことは明らかです。

レーガンが理想としたのは、第2次世界大戦後の経済成長を背景にした、1950〜60年代の「黄金時代」とされるアメリカです。この時期、経済は持続的に成長し、中産階級が拡大しました。日本でも当時、テレビで放映されていたアメリカのホームドラマ(『パパは何でも知っている』『うちのママは世界一』など)には、豊かなホワイトカラー層の家庭が描かれていた。まさに「パクス・アメリカーナ(Pax Americana)」が完成された時代といえます。

一方、トランプも「MAGA」を掲げましたが、彼の言動を見る限り、目指しているのはレーガンが思い描いた50〜60年代のアメリカとは異なるように思われます。アメリカの歴史を振り返ると、トランプが再現しようとしているのは、1865年の南北戦争終結から1893年の恐慌までの間に産業革命が進み、資本主義が急激に発展した「金ぴか時代(Gilded Age)」ではないかと思われます。

この時代には、現在でもその子孫が繁栄を謳歌しているカーネギー、ロックフェラー、モルガン、グッゲンハイム、ヴァンダービルト、ハリマンといった名だたる実業家・富豪が輩出されました。当時のアメリカには政府による規制がほとんど存在せず、ダーウィンの進化論を社会に適用した自由競争・適者生存・自然淘汰の思想が支配的だった。その結果、拝金主義による政治の腐敗が進み、国の庇護を受けた資本家は莫大な富を蓄積し、経済格差が一層拡大する社会が形成されました。

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1895年に完成したビルトモアハウスノースカロライナ州)はヴァンダービルト一族のみならず、アメリカ合衆国の富の象徴である。

金ぴか時代(きんぴかじだい)、ないし、金メッキ時代(きんメッキじだい、Gilded Age, Gilded Era)は、1865年南北戦争終結から1893年恐慌までの28年間、あるいは特に1870年代1880年代をさし、アメリカ合衆国において資本主義が急速に発展をとげた時代である[1]。いわゆる「西部開拓時代」とほぼ重複する。

主義に染まった成趣味の時代として扱われることが多く、政治腐敗や資本家の台頭、経済格差の拡大を皮肉った文学者マーク・トウェインらによる同名の共著小説に由来する

湯島天神   (普通部OB 船津於菟彦)

三連休が終わったので空いて居るかと都バスを飛ばして「湯島天神梅まつり」へ行って観ました。なんと光輝後継者が沢山。結構混雑。梅も殆ど咲いてきていました。

湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットしました。

湯島通れば 思い出す
お蔦主税ちからの 心意気
知るや白梅 玉垣に
のこる二人の 影法師

湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目にある天満宮で、菅原道真を含む二柱の祭神を祀る神社。通称は湯島天神(ゆしまてんじん)、旧称は湯島神社(ゆしまじんじゃ)。
道真は平安時代の人、当時の学問といえば漢学である。その漢学の学者の家系に生まれた道真は優れた才能を発揮した。詩歌にも長けていて、漢学者なので最も得意なのは漢詩であろうと思われるが、和歌も言うまでもなく素晴らしい。そのため碑文にもあるように、詩歌の神様とも呼ばれるのでしょう。


梅を詠んだ道真の有名な和歌は何と言ってもこれ。

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな

江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における天神信仰の中心となり、学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れます。

梅の香やすずなり絵馬に目をみはる                    絵馬結ぶ視線の先の紅梅よ

(プレパト 夏井いつき選)

(編集子)慶応高校2年B組の仲間たちの多くとはKWVを通じでも親友付き合いを続けている連中が多い。広田順一はその仲間ではないが、なんとなく人好きのする、”好漢” という形容詞がぴったりくる男だった。学生時代、麻雀をしなかった小生は仲通りの雀荘というものに上がったことはないが、このあたりに生息していたKWV仲間の代表である吉牟田正稔によれば、もっぱら敬遠したほどの凄腕だったそうだ。広田は湯島近くの大店の息子で、よく ”ゆーしまとおれええばあ” と歌っていたものだ。午後の授業をさぼって見に行った エデンの東 の真っ最中、暗がりで食べていた弁当箱を取り落として大きな音を立て、まわりからにらまれた一件を引き起こしたのもやつだった。香港の中国返還前夜、当時現地にいた彼の発案でB組時代の担任だった恩師片倉先生ご夫妻とともに香港旅行をしたりした。KWV組とは違って、会う機会も少なくなっていって、最後にあったのがいつだったか、思い出せない。

しかしそれもまた、”青春時代” の追憶のひとつのありかただろうか。なんだか、梅の花が広田に似合うように思えてきた。

(菅原)広田か、懐かしーね。確か、彼は映画が好きで、J.ディーンが亡くなったことを最初に教えてくれた。場所は、修学旅行で行った、裏日本、金沢だったかな。記憶、頗る曖昧。気障に言えば、こぞの雪いまいずこ。

ポーとドイルについて

少し前に、本稿で ”上を向いて歩こう” と ベートーヴェンのピアノコンチェルト5番 ”皇帝” との関係、ということ話題にしたことがある。これについてはブログ仲間にもその道にうるさいのがいっぱいいるので、感覚論から始まってついには小生にとってはギリシャ語以上にわからない楽譜まで飛び出す論戦があった。今回のことは専門家各位のあいだではとうに解決ずみだろうと思うのだが、昨日、本稿で菅原勲(スガチュー)の エッセイを紹介したがそれに端を発したことだ。この文中、菅原は推理小説の原点とされているエドガー・アラン・ポーの モルグ街の殺人について触れていて、中学時代に読んだ記憶がよみがえってきたのだ。一昨日、テレビのシャーロック・ホームズもの(適役、名優とされるジエレミー・ブレットの出るやつ)を見ようと思ったら、その日は 踊る人形(作者のドイルは気に入っていて、自作のナンバースリーと言っている、ということも万能薬グーグルで知った)をやっていた。初めてテレビ作品としてみたのはこのシリーズの放映が始まった時だから随分前のことになるが、その時感じたことを思い出してこれまたグーグル先輩の力を借りて、疑問にけりをつけた。

疑問というのはこうだ。今度のテレビ番組で取り上げた、暗号らしい踊る人形の漫画の羅列が、実は主人公の生死にかかわる情報だった、という設定なのだが、その暗号の解決過程が、モルグ街と並んで古典の一つであるポーの 黄金虫 と全く同じことで、もしまねたのならこういう場合は盗作とはいわないのか、ということだ。方法は暗号が英語であるという前提に立つと、英語の中で最も使用頻度の高い文字は E である、という事実にもとづいたものだ。ドイルの場合は主人公の名前が エルシーであり ELSIE  とつづることから、L,S,I に当たる文字を仮定していく。ポーのばあいは英語で最もよくでてくる3文字が THE である、ということで T と H に当たる記号を仮定していくということで、まったく同じなのだ。これは偶然か?

すぐわかることだが、ポーの作品の初出は1843年、ドイルのほうは1903年だから、もし剽窃行為であるとすれば罪はドイルにあることは明瞭である。え? と思う人は少なくないだろうし、その筋の専門家の間では解決済みなのだろうが、これまた愛するグーグル君に掲載された、名前は存じ上げないが同好の士のHPのコピーがあった。いわく、

エドガ-・アラン・ポー『黄金虫』とコナン・ドイル『踊る人形』はどちらも暗号を使った小説ですよね。私も昔、読んでとても面白かったのを覚えているのですが。最近、あるHPでこんなことが書いてあるのを見つけました。

「黄金虫」
暗号小説の古典だが、完成度は高い。何しろコナン・ドイルがこの中の暗号の解き方を「踊る人形」でパクった程(「黄金虫」の中でポーが犯したのと全く同じ間違いをドイルが「踊る人形」の中でしている事からドイルがポーの「黄金虫」をそのまま引き写した事が判る)。

というものなのですが。
この方が言う“全く同じ間違い”とは何のことなのでしょうか?気になって今読み返しているのですが…。分かる方がいらっしゃたら是非、教えて下さい。出来れば直接の回答が欲しいのですが、ヒントとなるHP等でも結構です。
皆さん、よろしくお願いします。

この方の疑問に答えた人がおられるのかどうか、まではたどっていない。他人のHPに掲載されたそのまた他人のHPを引用している、自分のほうが剽窃行為なのだろうからこれでやめておく。この道に小生を誘い込んだスガチューの意見を聞きたいものだ。

 

 

 

蔵王雪山 (44 安田耕太郎)

KWV仲間と蔵王(スキー場ではない)をスノーシュー・アイゼンで歩く計画で蔵王高原坊平に行ってきた。
東京は快晴の西高東低も山では好天気をもたらさず、ホワイトアウトの曇天・強風の中、地元のプロガイドの引率でアオモリトドマツの樹氷帯とその下のブナ樹林帯を歩く。目指した蔵王の高山踏破は低音と烈風で断念。視界劣悪、気温零下15℃、体感温度は−30℃近くでは妥当な判断。
温暖化の影響でモンスターが見れる範囲とその規模・迫力が減少している。中国から偏西風によって運ばれるPM2.5により雪が汚れてきているとのこと。
(PM2.5: 「PM2.5」とは2.5μm以下(μmは1/1000mm)の粒子のことで、非常に小さいため人が吸い込むと肺の奥深くまで入りやすく、肺がん、呼吸系への影響に加え、循環器系への影響が懸念される)。