”弱者”の戦略は結果として現在の主流となっている  (HPOB 菅井康二)

同窓であり、しかも学部・学科も同じという縁を持つ大先輩に、我が国のコンピュータ黎明期、日本IBMの社長・会長を務められた椎名武雄さんがおられる。
当時、IBMはメインフレームで確固たる地位を築き、日本のコンピュータ市場を牽引していた。さらに、富士通、日立、NEC、東芝、三菱、沖といった国産メーカー6社が市場を席巻し、外資・国産を問わず、新規参入の余地はほとんど見えない状況であった。そうした巨大で強力な競合の只中にあって、日本人として外資企業を率い、日本市場の特殊性と向き合い続けた椎名武雄さんのご苦労は、同じ業界に身を置いた者として、後年になってこそ実感を伴って理解できる。そのような環境下で、ヒューレット・パッカード(日本法人は横河HP-YHP)は日本コンピュータ市場への参入を試みたが、当時のHPはメインフレーム製品を持たず、正面からこの市場に挑むことは構造的に不可能であった。そこでHPは、日本市場でも優位なポジションを築いていた電子計測器ビジネスを起点に、その制御用途や科学技術計算分野向けのミニコンを主な対象として参入を図った。しかし、この分野においても競争は激しく、外資ではData General(DG)やDigital Equipment Corporation(DEC)が存在感を示し、国産勢もまた、メインフレームを提供する各社が例外なくミニコンを手がけていた。規模的には大きく劣るものの、HPは自らがターゲットとした分野において、徐々に実績を積み上げていった。一方、HPは米国市場において、強力なメインフレームによるバッチ処理を前提とした中央集中的な処理スタイルに対し、ミニコンを用いたリアルタイムの分散処理というコンセプトを打ち出していた。

HPはもともと電子計測器を中心とするテクニカル分野に強みを持つ企業であったが、ここで打ち出した戦略は、そうした従来の主戦場とは異なる市場を視野に入れたものであった

その具体化として、HPは1973年に主としてビジネス用途を想定したミニコンピュータ・システムであるHP3000を米国市場に投入した。HP3000は16ビットのCISCスタックマシンであり、オンライン・トランザクション処理(OLTP)や分散処理に強みを発揮するなど、事務処理を中心とするビジネス分野を明確にターゲットとした製品であった。

当初、HPはHP3000によってメインフレームを直接リプレイスすることを狙ったのではなく、オンライン・トランザクション処理(OLTP)や分散処理といった特性を武器に、新たな市場の開拓を志向していた。その過程ではDECに加え、IBMのSystem/38などの強力な競合も存在したが、そうした環境下にあってもHP3000は新市場の創出に成功し、結果として、市場に一定の存在感を示す成果を収めた。日本市場ではなおかつ多くの課題があり、米国本社の期待には残念ながら十分答えてはいない。しかしその中で燃焼した時間や、(ただひとつのお荷物)などと言われながら苦闘を共にした仲間との時間は忘れられない財産である。

(編集子)HPは本業であった電子計測分野では世界を凌駕する存在であったが、この時点でコンピュータ事業を分社化するという決断をし(計測部門は現在社名をキーサイトテクノロジーとしている)、HPという社名は新規事業であったコンピュータ部門が継承することで現在に至っている。現状のHPについてはこの場で論じることは控えてもらうが、菅井がここでいう、当時はまだ萌芽期にあったコンピュータシステム間の通信とか、それを前提にした OLTP という発想、USER-FRIENDLY というコンセプトは、文字通り、現代のIT分野での基本的なコンセプトになっている。
当時はコンピュータとコミュニケーションの融合、ということがまだ現実にはなっておらず、現代社会の基本的インフラになっているインタネットの出現には至っていなかった。しかし現在でいう電子メールシステムはHP社内では実現しており、当時社長だったヒューレットはこういうシステムを実用化しているのは米国国防省とIBMとHPだけだ、と豪語したものだった。この経験が新分野への挑戦のベースにあったことは間違いない。
社会改革のきっかけになるものが何か、は後日、歴史家によってのみ記述されるものだが、今や文字通り社会生活の基盤となった ”コンセプト” を紡ぎだした時代、その場にいあわせたものとして、菅井同様、感慨深いものがある。
The HP 3000 refers primarily to a legendary series of Hewlett-Packard minicomputers, launched in 1972, known for its successful, long-running business servers that supported time-sharing for multiple users with its proprietary MPE operating system and TurboIMAGE database, evolving from 16-bit to PA-RISC architectures until its sunset in the 2000s

よく晴れた年明けです     (普通部OB 船津於菟彦)

以前は新聞の印刷の匂いで新年が来るとか、紅白の余韻で朝まで過ごすとかでしたが新聞の部数も減り匂いも無くなり、紅白歌合戦もダンス合戦のような視聴率も三割程度とか、何故か今年は初詣客が殺到のようです。矢張り生活苦が幾らかでも良くなるようにと皆念じているのかも知れません。

初夢とは、1月1日の夜から2日の朝にかけてみる夢です。初夢として「一富士、二鷹、三茄子」に代表されるような、縁起の良い夢を見れば、夢を見た人の1年間は良い年になると言われています。 ①無事-富士②チャンスをつかむ-鷹③昔は茄子は高い野菜のようでしたので正月に茄子を食べたいから来ているとか。
成す-茄子

金子みすゞの「夢売り」はこうつづります。

年のはじめに
夢売りは、
よい初夢を
売りにくる。
たからの船に
山のよう、
よい初夢を
積んでくる。
そしてやさしい
夢売りは、
夢の買えない
うら町の、
さびしい子等の
ところへも、
だまって夢を
おいてゆく。

3日の雪晴れの東京は快晴 雪が残り、富士の霊峰が当家からもよく見えました。今年は佳いことが有ると思います(45階から500㎜で撮影 元旦は雲があり初富士は撮りませんでしたが、今日の東京の初雪と富士が綺麗に撮れました)。

 

おめでとうございます! (在パリ 平井愛子)

アンチーブの海です。暖かくて勇気あるおばあちゃんがビキニで泳いでいました。

明けましておめでとうございます!今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます❗皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。元旦に映画「国宝」Maître de Kabuki をお友達と見ました!アートな生き方について考えました。今年はヴィデオの創作も再び開始致します。今年も宜しくお願い申し上げます。

乱読報告ファイル (59)六つの奇妙なもの  (普通部OB 菅原勲)

「六つの奇妙なもの」(著者:クリストファー・セント・ジョン・スプリッグ/1937年。訳者:水野恵。発行:論創社/2006年。論創海外ミステリーの第57巻、2025年12月現在、全部で339巻が発行されている)。本来、探偵小説にネタバレは禁物だ。しかし、これから、この本を読むような奇特な人は先ずいないと思われるので、大変、僭越ながらネタバレしながら話しを進めて行くことにする。

なお、題名の「六つの奇妙なもの」(The Six Queer Things)とは、犯人を示唆する有力な手掛かりのことを指している。

話しは、両親を早々に亡くし、しがないタイピストをやっているマージョリーが伯父の家で同居していることから始まる。その伯父が極めて吝嗇なことから、マージョリーはより良い仕事を探し、伯父に猛烈に反対されるものの、独立することを決意する。ここまでは、何のこともない至極もっともな出だしだ。幸いにも、彼女は、実入りの良い新しい仕事を見つけるのだが、それが、霊媒師の兄とその妹による心霊会の書記係であり、また、その兄妹と同居することが条件となっており、これらのことが彼女の大変な不幸の始まりとなる。

ある時、霊媒師によって死んだ母が呼び出されることがあり、それを切っ掛けに、彼女は霊媒師に心酔することになる。その結果、彼女は、却って、混濁した妄想と打ち砕かれた夢が支配する世界に叩きこまれる。その間、霊媒師が毒殺され、検視の結果、実は彼が女であることが判明する(これは、宝塚か)。ここで、スコットランド・ヤードのモーガン警部がその真相を究めるべく登場する。

要するに、伯父、霊媒師、心霊会に頻繁に出席する未亡人、霊媒師が紹介した医者、兄妹の運転手などが一体となってグルとなり、精神病院への強制的な入院などによって、彼女を心神喪失の状態に陥れようとする。しかし、何故、こんなか弱きマージョリーを、皆で寄ってたかってここまで苛め抜くのか、彼らの動機が全く分からないまま話しが進んで行く。この動機が初めて明かされるのは、この本は全体で323頁なのだが、やっと終盤に差し掛かる291頁だ。それは、豪州にいたマージョリーの従兄が可なりの財産を彼女に遺しており、それを初めて知った伯父がそれを入手すべく、関係者に持ち掛けた企みだったことが、ここで、やっと、明らかになる。

しかし、これでは、どう考えても、後出しじゃんけんに他ならない。こんな重要なことは事前に明らかにされているべきだし、そうでなければ、読者に対しフェアであるとは言い難い。つまり、探偵小説の作家は、手の内を晒した上で(これを、E.クイーンの言う「読者への挑戦」と呼んでも良いが)、さー、真相は、と問いかけるのが本筋ではないか。その上で、巧妙な手練手管を弄して、読者を間違った方向に導いて行くのが勝負の為所ではないだろうか。加えて、全体を統括する犯人が(ここでは、統轄と呼んでいる)、確かに、意外な犯人ではあるのだが、出番の極めて少ない兄妹の運転手と来ては、無理矢理、意外な人物を犯人に仕立てたとしか思えない。「奇妙な・・・」にはいささか期待していただけに、失望したとしか言いようがないのは誠に残念だ。

小生、この1907年生まれのスプリッグと言う探偵小説作家がいたことを、今回、初めて知ったのだが、彼はマルクス主義者で、御多分に漏れず、スペイン市民戦争に義勇兵として参加し、1937年、戦場で命を落とすこととなった。従って、この「奇妙な・・・」は遺作と言うことになる。解説を書いている森英俊は、「・・・前作に見られた破天荒なプロットにさらに磨きがかかり、・・・」と絶賛しているのだが、解説は、本来、それをヨイショする人が書くものではあるが、それにしても、これはいささか褒めすぎだ。

実は、「Re-ClaM」(Rediscovery of Classic Mystery)と言う同人誌があるのだが、そこから、今年末にスプリッグの「完全不在証明」(2700円)が出版されることを知り、じゃー、事前に、これまで翻訳されていたスプリッグの本を読んで見ようかなと思い立ったのが、この「奇妙な・・・」だった。さて、1934年に発行されたこの「完全・・・」の出来はどうだろうか?

最後に、A.クリステイーは長編小説を66冊書いたと言われている。小生、勿論のこと、その全てを読んだわけではないが、これまで読んだクリスティーの探偵小説に失望したことは一回もない、バカにされたことは頻繁にあるけれど。そう言う点で、クリスティーは空前絶後、ただただ凄いとしか言いようがない。確かに、論創社を中心に、過去の未訳の、それも、初めての作家による探偵小説が、大量にではないが、連綿と発行され続けている。しかし、残念ながら、そのクリスティーに太刀打ち出来る新しい作品は一つもない。

(編集子)スガチューの読書ぶりはただ感服するばかりだが、およそ聞いたこともない作品をどうやって探すのか、がずっと疑問だった。今回、その秘密がわかって、妙に安心している。こっちは新宿高島屋スクエアに移転した紀伊国屋洋書店にいくか、アマゾンでめくらっぽうにさがすか、くらいしか手段が思いつかないが、いつでも紀伊国屋のミステリコーナーに並ぶクリスティの作品をながめるだけで満腹してしまう。畏友、おそるべし。

ポケットブック読破計画第二段、なのだがここのところ、読破力が著しく衰えてきたこと恐怖を覚えているのが実情である。新しい年を迎えて、と張り切りたい気持ちばかり先走りしている。ただいま現在、最近売り出し中の M.A.クレイヴン ”ワシントン・ポーシリーズ”に挑戦中。どうも 英国人の書いた英語 はやりにくい。スガチュー稿にあたる写真がどうしてもみつからないので、現況報告半分、目下格闘中3冊の写真をもって替える。

新しい春を迎えましょう      (普通部OB 船津於菟彦)

似合しや新年古き米五升                        芭 蕉

年始にも老の一徹見られけり      高浜虚子

あら玉の春ほや~の朝かな       尾崎紅葉

先づ女房の顔を見て年改まる      高浜虚子

医の友の年祝ぐうたげ行かざらむ    水原秋桜子

錦糸公園では紅梅白梅がチラホラ 春期直ぐですね

ザイラーは黒い稲妻なのだ

飯田兄、ザイラーの映画について、玉講拝受。ありがとう。いつも通り、プロはだしの評論、さすが。

しかしだな、トニー・ザイラーのエーガは、黒い稲妻、これだ。ほかの作品なんかはどーでもよろしい。

このエーガが上映されるとすぐ、彼が着ていた黒いキルティングのヤッケが大流行になった。そのヤッケ、銀座までスキー仲間の翠川なんかと買い物に行ったものだが、そのあとの春合宿では、新しもの好きだった森永さんとか徳生さんなんかが早速、この通称キルティング、を誇らしげに来ておられた。森永さんが気楽に履いていた蒼、赤、白に縁取りされたクナイスルにただあこがれたことを共に思い出す
この冬、このエーガのロードショウを東劇でみて、その後劇場で確か3回は見たし、社会人になった冬、ボーナスで当時は希少だったフィッシャーのメタルを買い、同じころ、上司が知っておられた八方尾根山麓のヒュッテ 白い小屋 を知り、その後、シーズン3回はこの小屋に通った。著名なクライマーである大野廸朗夫妻の小屋は大きくはないが建て方そのものがすばらしく、夫人の榧さんの手料理がそこらの店ではお目にかかれないほどのもの、朝起きて玄関先でスキーを履けばリフトまで2分、尾根をすべりおりてフィナーレは人に知られた名木山の壁。なんせ俺たちには天国みたいだった。
この小屋には卒業後も毎シーズン通い詰め、そこで必ずみたのがビデオのこのエーガだった。筋はもちろん、どこでどんなターンをしたかまで覚えている。
しかし栄枯盛衰、月去り星は移り,大野さんが亡くなってからはい小屋通いもなくなってしまった。それでも気障に言えば SCHWARZE BLITZ はいまでもただなつかしく、心にある。大野さんご健在のころ、退職金をはたいて建てた小生の山荘は、彼の許可を得て 蒼い小屋 と名付けた。 残念ながらもう、スキーを履くことはないが小屋そのものは健在。 今年から管理を娘夫婦にあづけてあるが、デッキからうっそうとした八ヶ岳南麓の樹林を見ていると、なんとなく八方尾根での日々を思い出すこともたびたびある。(一度、中司さんの小屋へ呼んでよ)と大野さんが言っていたのを思い出すこともあるからだろうか。

(36  浅海)黒い稲妻 あの小屋をジャンプし越えたシーンの印象が今も鮮明に残っています。

白い小屋には沢山良い思い出がありますね。毎朝朝食前に8時から動く兎平までのロープウエイに一番乗りしロープウエイ乗り場までNON STOPで2本続けて滑り降り、それから優雅な朝食に預かった若き日がありました。翠も一緒だったし、シンヤもチビもいた。
玄関先に椅子を出して名木山を滑り降りるスキーヤーを眺めながら時間を忘れて
美味しいコーヒーを堪能した若き日々が懐かしく帰ってきます。

 

エーガ愛好会 (351)動く標的   (大学クラスメート 飯田武昭)

2023/1/27付け本稿の記事で、

  “ハードボイルド” とは何か、については今更論じることはしないが、HBと定義される作品は文体とともに作品の主人公が 非情に徹する という行動原理に生き、片方では自分の存在はわすれても友情とか義理とかに忠実であるというストイックな感覚を持っていることが欠かせない”

という部分は正にハードボイルドの本質を表していると思いました。貴兄がハードボイルドの代表的映画として「動く標的」を挙げているので、改めて、この映画を再見しました.。

映画「動く標的」(原題Harper)1966年製作

監督ジャック・シュミット

出演 ポール・ニューマン(私立探偵ルー・ハーパー)           ローレン・バコール(失踪した大富豪サンプソンの夫人)          ロバート・ワグナー(元パイロットでミランダの恋人、アラン)       パメラ・ティフィン(大富豪サンプソンの娘、ミランダ)          ジャネット・リー(ハーパーの妻、スーザン)               シェリー・ウインタース(元人気女優)                  ジュリー・ハリス(バーの歌手、ベティ)                 アーサー・ヒル(ハーパーの友人・弁護士)

原作 from the novel “The Moving Target“ by Ross Macoonald

多数の登場人物が相互に関係がある人物構図が、それぞれの個性的な演技力で容易に理解できる点が、先ず映画としての面白さを満たしている。またクールさアクション、バイオレンスが程よく演出されている。特に主役のポール・ニューマンの演技は「ハスラー」や「スティング」などと並んで彼の代表作の一つと思う。

(編集子)この映画では、HBがその背後に持っているもう一つの意味、すなわち行動した後に襲ってくるであろう孤独感というかやりきれなさ、みたいなものが本というか文字、にあらわされていることよりも、よく漂わせていることを感じた。それがほかの映画化作品、たとえば ”三つ数えろ” なんかにはなかったように思えたものだった。一つ文句をいえば、なぜ主人公の名前を変えたのか(マクドナルドのシリーズキャラクタはリュー・アーチャーでなければならないのだ)、がわからないし、もちろん気に入らないということかな。

尿を調べるだけで「がん」が分かる? (普通部OB 篠原幸人)

今回は以前にも書いた、がんの早期発見法の一つを詳しく紹介したいと思います。ガンは怖い病気ですが、早期の発見できれば治しやすい病気とも言えます。 但し症状が出てからでは手遅れになることも皆さん、ご存じですね。

ガンの早期発見には定期的な健康診断や、採血による腫瘍マーカーの検査、あるいは放射性物質を使ったPET検査などがあります。しかし国の健診はかなり大雑把なものですし、腫瘍マーカーの検査も完全とは言えず、またPRT検査は5~10万円と高価で保険も無論使えません。以前にお話しした特殊な採血による検査は1回で20万円ぐらいかかります。

比較的安価なものに、尿を使ったN-Noseという方法があります。以前にも一寸お話ししましたが、改めて簡単に紹介しましょう。

この方法は皆さん方の尿を少量、検査施設に送ると、1か月以内に身体のどこかに胃がん・大腸がん・肺がん・乳がん・すい臓がん。肝臓がん・前立腺がん・子宮がん・食道がん・胆のう胆管がん・腎臓がん・膀胱がん・卵巣がん・口腔咽頭がんなどがある可能性を教えてくれるものです。費用は1万円ぐらい、保険はききません。再発の早期発見にも使えます。

これは何処にでもいる 嗅覚が非常に鋭い体長1ミリ程度「線虫」という虫が、何故かがん患者さんの尿には近づき、健常者の尿からは逃げていくという特性を利用した方法です。私も2-3年前に一度調べてみました。幸いにも、陰性でした。  最大の欠点は、ガンがあることは分かっても、まだどこの場所のガンかは正確には分からない点です。どこのガンかまでわかるのにはまだ時間がかかりそうですが、陽性に出たら徹底的に調べることになります。

興味がある方はやってみたらどうですか?  ホームコースでのゴルフを1回、または外食のディナーの1回分の費用でガンのチェックができますよ。

 

 

AIは「知った」と言えるのだろうか ?  (41 斉藤孝)

コトバの意味を本当に理解するためには、身体的な経験を持たなければならない。すなわち、「記号接地問題」の解決が必要なのだ。体験と経験、皮膚感覚のアルゴリズムは、「オノマトペ」と「アブダクション」から暗示される。 

「オノマトペ」

私は隣の犬に吠えられて「ワンワン」と呼び、口がまわらなく「ニコニコ」と挨拶するだけだ。酒を飲むと気持ちが「ホンワカ」としてきて、血液の流れも「サラサラ」になる。いつも腹の虫が「ゴロゴロ」と泣く。

こんな幼稚なコトバを年寄りが使うと痴呆症の老人と見なされそうだ。ワンワンやヨチヨチ、ニコニコなど擬音語・擬態語を「オノマトペ」という。「オノマトペ」は身体の感覚に密接に関係している未開な幼児コトバである。 

「記号接地問題」

「オノマトペ」の研究がにわかに注目されている。それも最先端のAIの研究領域においてなのだから驚く。AI(人工知能)は頭脳だけを対象にし、身体を持っていないから「オノマトぺ」を発せられるのかという「記号接地問題」。すなわち記号(コトバ)が意味対象の実体を指示しているのかどうか、それを「接地」と比喩した。

特に、この「記号接地問題」ではコトバと身体のつながりを問題化する。「オノマトペ」は記号として何処へ接地するのか  ? 

ChatGPTなど生成AIは、記号を別の記号で表現するだけ、いつまで経ってもコトバの対象について理解していない。生成されたコトバはレトリックにすぎない。「記号から記号へのメリーゴーランド」という人もいる。 

『言語の本質』は、認知科学者(今井むつみ)と言語学者(秋田喜美)による共著で文庫本なので読みやすい。

人間は、「アブダクション」という、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論を続けてきた。 コトバの意味の学習を始めるずっと以前からである。それは本能的な行為といえる。 人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯し続けている。

ところが、「アブダクション」という臨機応変な曖昧な推論によって言語の習得を可能にしたという。 

「アブダクション」(abduction)

私は意味論で使われていることを思い出した。第三の推論と呼ばれ、論理的には間違う可能性を秘めた推論法である。これが人間の学習の根本にあって、言語や科学の発展を支えているという。人間は、間違うことによって進化してきたというのが「アブダクション」。

「正しい人」が評価される時代が続いたが、これからは「間違いながら進む人」が評価される時代になるのか。正論なのかどうか、一見したところAIに対抗し、負け惜しみのような理屈にも聞こえるが。 

ところで推論について補足。推論には二つの方法がある。演繹法と帰納法である。仮説(モデル)を証明するために用いるが演繹法はトップダウンに帰納法はその逆でボトムアップに結論を導く。

最近のデータサイエンスは帰納法を採用している。おそらく生成AIなども帰納法を応用しているだろう。演繹法は、分類表を例にすると分かりよい、まず上位に大分類がある。分からない事とわかる事を分ける。 さらに分からないことを何とかしてわかる部分と何となく分かった部分とにわけていく。

その同じ事を繰り返して分類の水準を下げていく。 細分類の構造が出来上がっていく。演繹法はトップダウンの推論といえる。 

帰納法は全く逆である。諸々のデータを集めて類似性を見出し、グループを作り出す。属性の似たものをグループにしても良い。属性は羽が付いているか、エラがあるか、足が二本あるかなど特性を見出して分類していく。 そしてそのグループ(分類カテゴリー)に名前を付ける。例えば、「鳥」という分類である。帰納法はボトムアップの推論といえる。 

「アブダクション」は第三の推論といわれ、推論というよりは「推理」といえるだろう。人間の個人的な心理的判断を介入させる。それをヒューリスティックという。つまり人間的な発見的な機転に依存させる。論理的には間違う可能性を秘めた推論法である。

ヒューリスティックに対比されることは、「アルゴリズム」である。こればかりはコンピュータに負けてしまう。AIは、帰納法によってアルゴリズムを処理していく。それは意外なことに単純なアルゴリズムなのである。コトバの山を力ずくで「データマイニング」する「データサイエンス」。 

「記号から記号へのメリーゴーランド」はコトバのレトリックを楽しむだけだ。これがAIの正体と言えるだろうか  ?  

 (編集子)” すなわち記号(コトバ)が意味対象の実体を指示しているのかどうか、それを「接地」と比喩した”。
上記の文節から解釈すると、まだ一つの記号系からほかの記号系への転換にすぎないAIが、実態を示すとき、それは 接地された、という、ということなのか?確かに電子回路は負荷を通った(仕事をした)電流を最終的には電源のもう一つの極に帰すことで終結するので、必ず ”接地”(通常、”アースする”と表現する) という動作が必要とされる。そういう意味で考えればいいのかなあ。この場合、電流が” ”仕事をする” ということが、”意味を持つ” ということに相当する、
ということなのか?難しすぎて、不安。
たとえば菅井君がAIに問いかけて、アメリカの政治について質問し、回答を得た。ここまでで、質問に対してchat は接地したのか? 彼が得た回答は、まだ オノマトペ に過ぎないのか。俺はこの回答に同意しないが、このばあいにはまだ接地していないのか?
よくわからん。ま、いいか。オヤエが外出から帰ってきたので、おととい、買いこんでおいたバドワイザにしようっと。

 

25年12月 月いち高尾   (51 斎藤邦彦)

令和7年最後の「月いち高尾」は忘年山行と銘打って冠雪の富士山を高尾山と高川山の両方から眺望する企画としました。絶好のコンデションのもと大いに楽しめた一日でした。

1.日時:令和7年(2025)12月23日(火)
2.コース別の山行記録(敬称略、()内は昭和卒年)

(1)シニアコース <参加者(16名)世話人:村上祐治>

鮫島弘吉郎(36) 中司恭(36)大塚文雄(36) 高橋良子(36) 浅海昭(36) 鮫島弘吉郎(36) 遠藤夫士夫(36) 三嶋睦夫(39) 岡沢晴彦(39) 立川千枝子(39) 藍原瑞明(40) 武鑓宰(40)相川正汎(41) 保屋野伸(42) 下村祥介(42) 猪俣博康(43) 村上裕治(46)中里幸雄(51)

<山行記録>

〇ロープウェイ組:高橋良子、鮫島弘吉郎、浅海昭、遠藤夫士男、大塚文雄、岡沢晴彦、三嶋睦夫、立川千枝子、藍原瑞明、武鑓宰、相川正汎、猪俣康博

〇稲荷山組:下村祥介、保屋野伸、中里幸雄、村上裕治

往路は、トップの保屋野さんが飛ばして、1時間30分を切り、皆さん満足でした。 復路は、郵便道(逆沢作業道)経由、日影バス停まで、50分で下り、誰にも出会わず、静かな奥高尾でした。  その後、旧甲州街道を少し歩いて、珈琲自家焙煎店「ふじだな」まで行きました。火曜は、お休みで残念!

(2)一般コース(世話人:斎藤邦彦)<参加者(11名)>

安田耕太郎(44)徳尾和彦(45) 家徳洋一(50)保田実(51)五十嵐隆(51)斎藤邦彦(51)後藤眞(59) 鈴木一史(60)木谷潤(62) 齋藤伸介(63)大場陽子(BWV)

<山行記録>

アプローチ 高尾駅7:40⇒(中央線50分)⇒8:30初狩駅
集合:JR初狩駅前8:30

コースタイム(登り418m1時間40分)(下り583m1時間30分)

初狩駅458m8:30⇒(30分)⇒高川山登山口559m9:00⇒(20分)⇒9:20男坂女坂分岐  730m9:50⇒(50分)⇒10:40高川山976m11:10⇒(1時間30分)⇒12:40山梨リニア実験センター13:15⇒(バス15分)⇒13:30大月駅 13:48⇒(JR中央線37分)⇒14:25高尾駅

駅から直接登れ、均整の取れた富士山の眺めを始め360度のパノラマが楽しめる人気の山としての高川山に登るコースです。全員が時間通りの電車で8時30分に中央線の初狩駅に集合。気温零度近い寒さの中、準備体操の後出発しました。

快調に住宅地を抜け登山口から参道に入る。木の根が張り出した道や九十九折りの道を辿り男坂/女坂の分岐まで進む。ここで一本を取り服装の調整と数人からのお菓子の振舞いを受ける。休憩後は迷わず男坂に取り付きところどころにロープ場がある急登をぐいぐいと高度を稼ぐ。8合目あたりから樹間に頂上に雪をかぶった富士山が見え始め元気づけてくれる。そのまま頂上までほぼコースタイム通りの歩みで到着、180度のパノラマが開ける。早速富士山をバックに記念写真をとり、楽しい昼食時間となった。

下りは古宿ルートを一気に下りリニアモーターカーの見学センターに出て富士急行の路線バスで大月駅まで帰途に着いた。

(3)懇親会

<懇親会の模様>

いつものように谷合さんのご厚意で天狗飯店を貸切りにしていただき、ゆったりと懇親を楽しむことができました。また今回は24人と参加者が多く大御所の36年卒業組が7人の参加で大変にぎやかな会でした。

(4)フォトアルバムは以下のURLからご覧ください。(期間限定でのアップですので必要な写真はダウンロードして下さい。)

https://photos.app.goo.gl/GBrwFa9XqaV8G3rG9