昭和53 年(1978 年)3 月にKWV 現役21 名で台湾玉山に遠征、残念ながら山頂直下は、30 年ぶりの大雪で、山頂には行かず撤退。当時は、我々の他に高知大学WV・成蹊大学WV と排雲山荘で一緒になり、我々が山荘に到着した時点では、高知大学2 名が滑落のため行方不明となっていて、山荘の中は大混乱でした。
しかも、捜索隊(警察?)から、救助支援を依頼されましたが、ピッケル・アイゼンを持たないKWV メンバーでは不可能で断りました。台湾遠征に際しては。KWV OB 各位の寄付を約90 万円援助いただきましたが、個人負担15 万円は、全員でバイトをして稼ぎました。デパートのお中元の梱包、証券会社での宛名書き、大手コメ卸売会社でのコメのコンテナへの積込み等、KWV OB からの照会で高いレートのバイトを紹介いただき、何人かに分かれて、短期間で稼げるバイトに精を出し何とか資金を集めました。
そうした準備を10 ヶ月かけて実施しましたが、山頂には行けずとなりました。そして、昨年の10 月にリベンジを計画しましたが、今度は大型台風が台湾直撃となり、日本出発前日に玉山入山禁止となり中止。そして今回47 年ぶりのリベンジで、3 度目のチャレンジとなり、ようやく登頂できました。
日程:2025 年10 月29 日(火)~11 月2 日(日)
1. 山域:台湾
2. 目的:47 年前のリベンジで東アジア最高峰台湾玉山(3952m)に登る
3. 登山ルート;上東埔駐車場~排雲管理センター~塔塔加(タタカ)
鞍部~排雲山荘~玉山主峰~排雲山荘~塔塔加(タタカ)鞍部~上東埔駐車場
4. 天候:曇り・晴れ・ガス・霧雨
5. 参加メンバー:L 新井・SL 横川・石倉・岩見・宮城・織戸・若松・畑川・篠原
6. 行動記録;
登山; 距離; 21km/ コースタイム:17 時間10 分(休憩時間;4 時間24 分) 累計標高差;1907m
10 月28日(火):日本国内移動日
自宅‐(車)-JR 宇都宮~浜松町~(東京モノレール)~羽田空港第3ターミナル駅-ヴィラフォンテーヌグランド羽田空港ホテル(泊)
10 月29日(水);台湾国内移動
AM7:55 羽田空港第3ターミナル/CI223 ⇒10:55 台湾松山空港着~(チャーターバス)~16:30
東埔温泉:帝綸温泉渡假飯店泊(ややぬるい温泉)~17:30 夕食~20:00 就寝
10月30日(木):
登山DAY1: 距離; 9.6km/ コースタイム:7時間12分(休憩時間;1時間32分) 累計標高差;1164m
AM7:30東埔温泉→[チャーターバス]~9:00上東埔駐車場(トイレに立ち寄る)‐[徒歩5分]
9:25排雲登山サービスセンタ-(パスポート提示;登山申請/入山許可証入手)~[楠溪林道・専用シャトルバス-100元/人]~9:50塔塔加鞍部登山口~10:05登山開始⇒11:08モンロー停・休憩(トイレあり)⇒11:48玉山前峰分岐(通過)⇒13:10白木林休憩所/休憩(トイレあり)⇒14:56大峭壁⇒16:25排雲山荘着/寝袋を受け取り、2段ベッドの部屋へ。116名収容、外国人枠は24名・我々以外に日本人女性2人(美大WV現役学生)~17:30夕食~19:00消灯
10 月31日(金);
登山DAY2; 距離; 11.4km/ コースタイム:9時間58分(休憩時間;2時間52分) 累計標高差;1538m
AM2:00 起床~2:30朝食(おかゆ)~3:20排雲山荘発;星空の中、ヘッドランプを点けて出発。⇒4:14 3680m 付近で休憩。ガス霧雨となる。4:19発⇒4:32 3750m付近で17分休憩。前を歩く登山者が多い。4:49⇒5:04 3840m付近、21分休憩。5:25発⇒5:47 玉山主峰山頂(3952m)着。14分休憩。6:01発⇒6:16 3850m付近、風の弱い場所で7分休憩。6:23発⇒7:40排雲山荘着。山荘にて2度目の朝
食。スープ入りビーフン。8:40発⇒9:16 3250m付近にて8分休憩⇒10:20白木林の展望所,20分休憩。玉山主峰が見える。⇒11:07モンロー停30分休憩。⇒13:10塔塔加鞍部登山口着。~(シャトルバス)~13:50 上東埔駐車場→(チャーターバス)→19:55 台北ホテル到着(フハウスホテル台北(HùHouse, Taipei 台北互舎酒店)~台北中華料理店にて打上げ
11月1日(土);
台北~九分観光; 3名帰国、6名で観光 AM7:30ホテル発~近くの中華料理屋で朝食8:30~(徒歩)→9:30龍山寺~(地下鉄・徒歩)→11:00ホテル~買物~14:00ホテル→(タクシーバンをチャーター:4時間(3000元)→九份~(観光)17:00→18:00ホテル→夕食
11月2日(日)
帰国
AM6:20ホテル発~(タクシー)→6:40台北松山空谷~9:00 CI220→12:30羽田空港
7. その他・感想
台湾には標高3,000メートルを超える山が200座以上存在し(日本は13座のみ)、雨が多く谷が深い地形のせいかと思われますが、気象条件が厳しいようです。今回で3度目のチャレンジとなりましたが、天候にも恵まれ、全員怪我無く目標を達成することができて良かったです。47年前の台湾はまだバイク・自転車ばかりで、自動車はあまり走っていませんでしたが、今や日本と変わらず、台北には高層ビルが立ち並んでいました。当時は1972年に中国本土との日中国交正常化が行われたばかりでした。47年前(1978年)、登山前に台湾登山協会に挨拶に行きましたが、会長さんからは、日中国交回復を行った藤山愛一郎と田中角栄が台湾に入国したら、生きては返さないとショッキングな話を聞かされ、20歳前後の学生であった我々には、大変な驚きでした。また、当時帰国前に台北三田会にてレセプションを開いていただき、300名近い多くの三田会関係者が集まり、当時の台湾政財界に多くの慶應出身者(当時の厚生大臣も)で、台湾からの留学生が多かったことも驚きでした。今回当時のメンバー7名を含めた9名で台湾遠征し、長い付き合の仲間とは昔話で盛り上がり、長い年月を超えたKWVメンバーの絆に感謝します。
(編集子)玉山はKWVにはOB現役を問わず親しまれている山だが、今回の記録は、OBになって時間はもとより多くの障害がありながら、実にほぼ半世紀の間、仲間内での情熱を絶やさず、若い日の夢を実現した、という意味ではまさに大きな感動をよぶものだ。登山計画などは別途、KWVホームページに記載される予定であり、また素晴らしい写真があるが全てを紹介するにはあまりにも多量なので、別途紹介の機会を設けることとし、今回はとりあえず、宮城君の紀行文のみを紹介する。
くりかえすが、快挙ではないか。





















