この映画を見る前に、「夕陽のガンマン」(1965年)、「続 夕陽のガンマン」(1966年)を再見た後の口直しの意味で見た。2作共に脚本・監督セルジオ・レオーネ (音楽)エンニオ・モリコーネが担当していて、主演はクリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフである。第1作の方は賞金稼ぎで生きている二人の射撃の名手が銀行強盗団相手に、最後は手を組んで滅ぼすが、あくまで賞金稼ぎ目的のイーストウッドと娘殺しの仕返しが目的のヴァン・クリーフと、それぞれ目的が異なっていて、賞金はイーストウッドに全て手渡されるというストーリーだ。ところが第2作の続編は主演に2人ともうひとりイーライ・ウオラックが加わる3人が主役。それぞれthe Good(善人) the Bad(悪人) the Ungly(無頼漢)という役柄名がついていて無頼漢役のイーライ・ウオラックの振舞いが、無頼漢と言う言葉からくる印象より、極悪非道そのもののような役で、通俗を越えて低俗な映画になってしまった。しかも3時間と上映時間が長い(前作は2時間15分)。せめて2時間程度にカットして編集するか、続編を作らないで欲しかった。そうしたら本編の2大俳優が対決する作品の価値が高まったとすら思った。
そこで「男はつらいよ」第1作をみたが、以前にテレビ放送で見た時よりは、東京の下町人情や風景を含めて、出演俳優の全てが溌溂とした演技上手で多分に新鮮な感じがした。特に、主役の渥美清の喜悲劇的演技、倍賞千恵子の溌溂さなど、その後、49作(1997年)まで続く30年間の後半の作品よりも斬新な名作との感じがした。
この第1作(未だ、サブタイトルは無い)の話は、寅さんが20年ぶりに、故郷柴又に帰ってくる。歓迎ムードも束の間、寅は妹さくらの縁談をぶちこわし、また旅の人となる。奈良で旅行中の御前様とその娘・坪内冬子(光本幸子)と再会。幼なじみゆえ、気さくな冬子に恋をした寅さんは、帰郷してからも冬子のもとへ日参する。一方、裏の印刷工場につとめる諏訪博は、さくらへ想いを寄せていて、急転直下で二人は結婚する。・・・ 元気溌剌な寅のハチャメチャぶりが爆笑を誘う。
この大ヒットシリーズの第1作が公開された1969年頃は、どんな邦画がヒットしていたのかを自分の良く見た邦画で振り返ってみると、石原裕次郎主演の第1作「太陽の季節」(1956年)で随分前だったし、黒澤明監督の作品なら「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」は公開を終わっていて、「赤ひげ」(1965年)と「影武者」(1980年)の間の頃だった。
映画「男はつらいよ」シリーズで私の記憶に残るのは元の会社で1980年3月にニューヨーク支店に着任し、マンハッタンの中央の当時のPAN AM(現MetLife Building)ビルに隣接するGrand Central Stachon駅から北向きに出発する3本の列車の真ん中の線Harlem Lineで約45分のBronxville駅近くに住み、住宅街に通称100番というショッピング通りがあり、そこの映画館で毎月一回の日本映画上映会があった。そこで掛っていたのが「男はつらいよ」シリーズだった。私は着任間もなく時間が無かったので1~2本を観た程度だったが、マンハッタンの仕事仲間の日本人は、この公演を大変楽しみにしていたものだ。4年間の勤務を終
えて帰国し、日本での仕事を始めたが、仕事の続きのようなカラオケに行くと、その中の誰かが「私の名前で出ています」「矢切の渡し」などを良く歌っていた。私は4年間のN.Y.ブランクがあり聞いたことが無い変わった題名の曲だなーと違和感を覚えながら、自分は裕次郎の「錆びたナイフ」「夜霧よ今夜もありがとう」や「霧子のタンゴ」、韓国の「ノーランシャッツ(黄色いシャツ)」や洋物ではプレスリーの「愛されずにはいられない」、ザ・プラターズの「Only You」などを歌ってお茶を濁していた。そんな時代の思い出のあるシリーズの映画だった。
「夕陽のガンマン」などの描写は、当時でも狩猟民族と日本人の農耕民族との感覚の違いなどの例えが、度々、耳目を賑わわせていたように思うが、最近はそのような区別も少なくなり、米の値段は高く、野菜も高騰し、肉も高いが当時よりは比較にならないほど肉食を好む日本人になってしまって、狩猟民族化してきたのではと要らぬことまで発想が及ぶこの頃ではある。











紅葉が見事だった(ジャイさんと同感)。





