女子大の日  (普通部OB 舩津於菟彦)

今日は女子大の日(注:4月20日)。 1901年(明治34年)に日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学した。母も四国から出て来て女子大に入ったが専業主婦で終わった。
NHK朝ドラは「寅に翼」が話題。「虎に翼」は、中国の思想家・韓非子の言葉で「鬼に金棒」と同じく「強い上にもさらに強さが加わる」の意味。この寅さんのモデルは三淵 嘉子(みぶち よしこ、1914年〈大正3年〉11月13日- 1984年〈昭和59年〉5月28日)は、日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事および家庭裁判所長。

当時女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学した。1935年、明治大学法学部に入学。1938年に高等試験司法科試験に合格し、同大学を卒業。1940年に第二東京弁護士会に弁護士登録をしたことで明治大学同窓の中田正子、久米愛と共に日本初の女性弁護士となる。1947年、裁判官採用願いを司法省に提出。司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任。1972年、新潟家庭裁判所長に任命され、女性として初の家庭裁判所長となる。

我が法学部の担当は米津昭子教授でやはり戦後女性の殆ど居ない慶應義塾の法学部に入られ米津姉妹-双子-としてご卒業に成られ、我らのクラス会に最後まで参加してくれて励ましの言葉を戴いた。米津昭子教授も入学したときは女性用のトイレも無く正に寅に翼の如くの学生生活を経て日本の商法の草分けと成った。そんな恩師の思い出があるので毎日朝ドラを観て居る次第である。

女性の社会進出が叫ばれている、日本の国会議員の衆議院10.3%参議院26.7%両院では16.0%。女性議員の割合、日本は166位 世界平均は倍増25%。会社も今でこそ一般職として男女平等に採用しているけれど、我々の頃は「お茶くみ掛り、平等では無かった。何故そうなのか。どうやら本当の「民主主義」が日本全土国民全体にねずいていないのではないか 。

戦後GHQ-米国-により無理矢理押し込まれた民主主義が浸透しなかったと言うか日本人のモノの考え方に即した民主主義教育ではなかったのではないか。やはり日本独自小学校からの教育を。
西欧を憧れるのでは無く、伊藤塾長が読売新聞論壇で書かれたように「好きな科目や趣味が追求できる」「そのことが尊敬される」「得意の分野を互いに教え合う」「自ら問いを生み出し自ら解いていくことのできる人の育成」の教育が必要なはないか。

マァ補選の結果とか自民党の今後により大きく世も変わっていくかも知れません。是からの日本は人口問題・エネルギー問題が迫ってくる難問ですね。学者の予想では江戸時代の3千万人の人口になるので市内かとも—–ホントかなぁ。

 

(編集子)いろんな ”日” があるもんだ。新聞に載っていたが、この日、4月20日の20、を ”ツー・ゼロ” と詠ませて よーつーぜろ (腰痛ゼロ)というのもあるんだそうだ。どっかの薬品メーカーか健康器具会社の発明だろうが、参ったね。

英語力、のこと (36 大塚文雄)

何年ぶりかの山歩きで今日は肉体的にも精神的にもとても疲れた。伊川・関谷両巨頭がシニア・コースにおられるのは「危なっかしい先輩がいる」ためであることもよく分かった。

Because it is thereを拝読。改めてMany of Congratulations!

「自分の英語力が改善したのか、とおおもとの議論に立ち返ってみるのだが、ここ数年、第一英語を使う機会などはほとんどなかったから、どう考えても結論は出ない。」の部分だけれど、

Dublin School of Englishから「英語教師資格」をもらった時の特訓と自分の体験から、集中して英語の本を読めば必ず英語力は向上」しています。Dublin School of Englishでも、「英語(に限らず外国語)を身に着けるためには英語浸けになるのが一番で、それを生徒に教えて習慣にさせなさい」ということ、また、”言語は文化だから、個々の単語やIdiomを覚えることも必要だけれど、”それは断片的な知識の英語であって文化としての英語ではないから、本当の意味をつかめない」という事だった。

折角身についた英語力を落としたくないので、私はBSTVの第二音声が英語の時は、できるだけそれを聞くようにしている。一番多く聞くのは、大谷君を始めとするMLB。MLBがoff seasonの時はWOWOWでNBA(米国バスケットボール)。テニスの4大大会は必ずみる。ルールを良く知っているスポーツなので殆ど理解できるし、分からないときは米国英語に浸っていると割り切っている。

次は映画。ただし、よほど集中していないとストーリーについていけない。

最後は、NHKの夜の地デジニュース。日本人にも分かりやすい英語だし、旬の日本語の英語も学べるからこれはこれで意義があると思っている。

(編集子)語学のことを離れても、もともと ”人の言うことを聞く” よりも、”俺の言うことを聞かせる” ことが好きだった自分の性格上、しいて言えば、リスニング能力よりもスピーキング能力の方に重きを置いてきた小生では悔しいがフミには太刀打ちできない。テレビも英語で見ることもあるが、ほぼ満足に理解できる(言語が、だ。念のため)のはドナルド・トランプのスピーチくらいだろうか。彼の経歴にはいかがわしいところも多いけれど。

チューリップ  (42 保屋野伸)

昨日、昭和記念公園でチューリップ花見をしました。もう遅いと思ったのですが、添付写真の通り奇麗に咲いていました。

このチューリップ畑は、オランダ「キューケンホフ公園」の前園長が修景等の設計を行いまさに「ミニ・キューケンホフ」と云っても過言ではない美しい花園です。

中央を流れる清流と(青い)ムスカリとのコラボも素晴らしい。なお、「花の丘」に咲く「ネモフィラ」はまだ四分咲でイマイチでした。                             目の保養になった16000歩の散歩でした。

エーガ愛好会 (263)許されざる者  (34 小泉幾多郎)

 ジョン・ヒューストン監督が初めて試みた唯一の西部劇であり、オードリー・ヘプバーンも初めてで唯一の西部劇出演。開拓時代の必然的現象たる人種的憎悪を取り扱い、白人がインディアンを悪という図式で西部劇を作っていた時代だけに、スッキリしない点も多々あるが、大自然の驚異とインディアンの襲撃に立ち向かう開拓者一家の運命的な苦悩に満ちた物語は一大叙事詩として楽しむことが出来た。

人物の設定とその配役が多士済々。レイチェル(オードリー・ヘプバーン)がメイクアップに工夫を凝らしインディアンの血を引く秘密を持った娘として登場するとぼろぼろの軍服にサーベルを下げた亡霊のような男エイブ・ケルシー(ジョセフ・ワイズマン)が現れる。レイチェルの家族はザカリ―姓で、長男ベン(バート・ランカスター)、次男キャッシュ(オーディ・マーフィ)、三男アンディ(ダグ・マクルーア)、母マチルダ(リリアン・ギッシュ)。夫々が好演だが、ランカスターのいつもより落ち着いた演技、B級西部劇の花形マーフィーが髭を生やし、いつもと違う性格俳優的役を熱演、無声映画の名優リリアンが貫録を示す。

ベンが競技で得たピアノをマチルダが庭で弾く場面が2度あるが、最初がモーツアルトの幻想曲ニ短調k397、西部劇としては珍しい選曲だ。インディアンとの戦い中でも、相手の弾除けのまじない風の楽曲に対抗して弾くのが、同じ幻想曲だが、こちらはハ短調k475。最後はインディアンにより破壊されてしまうが、それを狙い撃つ戦術にも使用。音楽はディミトリ・ティオムキン、未だ歌うテーマ音

楽の派手さはないが、所々に米国民謡やリパブリック讃歌等が聴こえる。そう言えば、その時もマチルダがピアノ伴奏していた。ザカリ―家は隣人のローリング家と付き合い、家長ゼブ(チャールス・ビグフォード)レイチェルに首ったけの長男チャーリー(アルバート・サルミ)、キャッシュに気がある娘ジョージャ(キップ・ハールトン)。両家は会食をして歌を歌う等良い関係になって行く
が、平和は長く続かず嫌なうわさが立ち始める。

亡霊のような男ケルシーが、レイチェルがインディアンの娘だということを暴露したのだ。過去ケルシーはゼブやベンの父と知り合いだった。ケルシーはインディアンに捉われた自分の男の子とベンの父がインディアンとの戦いで連れ帰ったインディアンの娘(レイチェル)とを取り替えてくれるよう頼んだが、ベンの父はあくまで白人の娘として拒否した結果、その息子は殺されてしまったのだった。ケルシーはザカリ―家に執念として付きまとってはいたものの、掴まっていた馬の尻を母マチルダが殴ることによってケルシーは死んでしまう。その後ザカリ―家に立て籠もるベン、アンディ、マチルダ、レイチェルに対し、インディアンが大挙して正面攻撃を仕掛けてきた。必死の抵抗中、家を飛び出していたキャッシュも戻り、何とか守り切る。最後妹を求め、カイオワ族首領ロスト・バード(カルロス・リヴァス)がやって来る。レイチェルは夢中で引き金を引いてい
た。

深めあってきたベンとの愛はインディアンの血縁より強しということか。此処
で、この映画の原作者がアラン・ルメイで、ジョン・フォードの「捜索者」と同じ原作者であり、ジョン・ウエインがインディアンに囚われの身の姪ナタリー・ウッドを奪還するということは、この映画と正反対だったということに気付かされる。

許されざる者とは誰なのか?白人?等と考え出すと難しい問題になるので、小生としては、単純に物語の中に入り込み、割り切ることにして楽しんだ。

Because it is there

パートナーは目の具合があってアルコールは厳禁されているし、当然一人であけられるわけはないのを承知で近くの酒屋でシャンペンを買ってきた。ジャック・ヒギンズのシリーズキャラクタ、ショーン・ディロンはこういう時には ”ノンビンテージのクルーク“ しか飲まないんだそうだし、浅海とか新弥とかはたまたミツョシに水町、なんて言うのが出てくると講釈が長くなるんだが、俺にはそういう難しい議論は不要だ。ただ、今晩はなんでもいいからシャンペンを飲まずにいられるけえ、という状態なのだ。なぜか。

もう10年も前のことだが、退職したあとの落ち着かない気分もどうやら収まったころ、ある雑誌で “1年に100冊ポケットブックを読めば英語の達人になれる” という記事を読んだ。何か一つ、チャレンジできるものはないか、という気分だったので、試しに数冊、ペンギンブックを読んでみたが、1年に100冊、とは1週に2冊、というペースだという事がわかり、これは無理だ、と観念した。そこでもう少しゆっくりしたチャレンジは、と考えたのが、”ポケットブックを10万頁読む“ という事だった。思い立ったのが2013年3月で、記念すべき第一冊に選んだのは当時売り出し中の リー・チャイルドの Killing Floor だった(少し前に公開されたトム・クルーズの アウトロー という映画の原作はチャイルドの One shot である)。それから、目的達成まで、翻訳本は一切読まない、というルールを自分に課してただひたすら、原書を読み続けた。当初は目的をいわゆる冒険小説・スリラーあるいはミステリだけに絞っていたのだが、自分が興味を持っていた社会思想に関する本とか、ヒギンズの第二次大戦秘話シリーズの背景についての参考書なんかを加えたので、その対象がひろがった。また同じころ始めたドイツ語も確かめたくなって数冊読んだのと、かかりつけ医と雑談していた時、認知症の予防に外国語を読むというのは素晴らしく効果があるという事を知ったので、目標を ”原語で10万頁読む“ に切り替えた。

その10万頁目を、今日、すなわち2024年4月15日17時30分に読み終えた。シャンペンを飲もうという背景はそういうことなのだ。自慢話になって申し訳ないが、少しばかりその過程を書かせていただく(10万頁完了までの記録はもちろんあるのだが、エクセルにして301行、文字が並ぶだけなので興味のある方があれば別途お送りする)。

リー・チャイルドにいっとき入れ込んだ後、いわば後戻りして米国のHBものに集中することにした。もちろん、”長いお別れ” はその第一号だが、この本はドイツ語訳にも挑戦してみた。さすがに筋を追うのがやっとで、清水俊二訳を読んだ時のような満足感とは程遠かった。ドイツ語訳では、ロス・マクドナルドの ”さむけ” もなんとか消化できたし、昨年にはヘッセもうんうんうなりながら数冊、読むことになった。

しかし冒険小説、といえばその原点は英国にある。アリステア・マクリーン、デズモンド・バグリー、バーナード・コーンウェル、ギャヴィン・ライアルにハモンド・イネス、ご存じジャック・ヒギンズ。その中でも大御所といえばマクリーンだが、文体は結構凝っていて苦労することも多かった。またジャック・ヒギン ズには第二次大戦秘話、ともいうべき得意分野があって(代表作がかの 鷲は舞い降りた)、それを読むうちにノルマンディ上陸作戦(D-Day) に関する興味が湧いてきた。アマゾンに発注したはいいが届いた本の厚さに驚いて読めるかどうかぐらついてしまったものもあったがなんとかフィニッシュ。別稿で、まだ1か所、どうしても行きたい処、にオマハビーチを挙げたのはこの数冊の結果でもあるのだ。

HBに戻ってからはしばらくはロス・マクドナルドに集中して、結果として、一般に刊行された小説は(多分、だが絶対的な自信はない)全巻、読んだ。アルファベットシリーズで知られたスー・グラフトンは A for Alibi から Y for Yesterday まで読み終えて Z が出るのを待っていたら、なんと著者が急逝したというニューズが入ってきたのは驚いた。何しろ残念だったのは本人だろうなあと哀惜の念で一杯である。

一時テレビでも人気のあったエド・マクベインの87分署シリーズもだいぶ読みこんだもののひとつだが、こういうシリーズで登場人物に親しみをおぼえてくるのも楽しみだ。

10年を超える時間をかけて、いわばコケの一年でやってきた(結果論として)認知症予防の挑戦は、同じ時期、自分の経験を後輩に伝えたい、という熱意をもって著作にはげんできたKWV同期の大塚文雄とお互いを意識しながらのものになった。フミに、俺の方も、9万頁を越えた、と伝えたら、(それじゃこれで上がりにしろ)と言ってフレデリック・フォーサイスのDevils’ Alternative を送ってくれた。フォーサイスは ジャッカルの日 とか オデッサ・ファイル などで知られるスパイものの大家であるが、この作品について言えば最後の1頁に出てくる、その道でいう ”犯人の意外性” は小生にとっては名作 幻の女 に匹敵する見事さであった(スガチューの意見をききたいものだが)。

フミのアドバイス通り、この本に最終ランナーをまかせ、その415頁めがチャイルドの1ページ目から数えて累計10万頁を記録した。ありがたいことだ。翻訳家とか学問にいそしむ人にとって10万頁なんてのは当たり前の数字だろうが、定年後の老人にとってはそれなりの意味というか重みはあるだろうとにんまりしているんだが。

一つの区切りがついたところで、自分の英語力が改善したのか、とおおもとの議論に立ち返ってみるのだが、ここ数年、第一英語を使う機会などはほとんどなかったから、どう考えても結論は出ない。それじゃ、なんでそんなことしたの?というといかけはあるだろう。それに対する答えはエヴェレストに命をささげたジョージ・マロリーの有名なフレーズが一番いいのかもしれない(文中 it が何を指すのか、という議論はあるようだが)。

Because it is there.

大事なことを書き忘れた。本チャレンジの開始は 2013年3月13日(読了日)、407頁。5万頁めは エド・マクベインの HARK!(累計50141頁)、終了日は2024年4月15日で累計10万83頁である。

もう一つ。おめえ、それだけ読んだんならなにがおすすめか?という質問には、マクリーンの 女王陛下のユリシーズ号(HMS ULYSSES)と ヒギンズの 廃墟の東(EAST OF DESOLATION) 、それにスティーヴ・ハミルトンの 氷の闇を越えて(A COLD DAY IN PARADISE) とお答えしておこう。もちろん、長いお別れ (LONG GOODBYE)は別にしての話だけれど。いずれも名手による翻訳があるので、初夏の緑陰、お読みになることをお勧めしたい(認知症予防効果についてはわからないが)。

 

 

 

 

 

 

 

七十年や 花吹雪   (普通部OB 伊藤俊昭)

4月6日の普通部同窓会は実に楽しかったです。心あたたまるとともに元気をいただきました。普通部、高校、大学と慶応義塾に学びましたが普通部時代が一番楽しかったです。(大学での英語会での活動を除いて)まず仲間がよかった。勉強ができる人ばかりでなく一芸に秀でたというか個性的かつ魅力的な人が多くたくさんの刺激を受けました。またよかったのは個性的な先生たちで、あとで考えると大学の先生になった方も多くわれわれにはもったいない布陣でした。絵画の山下さんは忘れられません。

普通部というとまず思い出すの労作展です。何の芸もない小生はおざなりの作品を提出するにとどまりましたが多くの仲間はそれぞれ自分の興味ある世界の作品を展示刺激を受けました。私は英語が好きでしたがなにも作品を出すことはできませんでした。驚いたのは西脇君の「関係代名詞の研究」で研究社からの世界名作を易しい英語で書いたシリーズ(20冊くらい)から関係代名詞を使った例文を取り出して詳細に分類解説していました。これは小生にとり大きなカルチャーショックで上には上があると思い以降自分なりに英語の勉強に励むキッカケとなり、ついには商社に就職43年間の商社マン生活をおくることになりました。

英語と言えば勝本君が熱心に読んでいたオレステ ヴアカリの「英文法通論」にチャレンジしたのですが厚いのとレベルが高くあきらめました。また平沢君の書道作品も忘れられないもので、字の下手な小生には大きな刺激になりました。思いおこすと人生の基礎を作る大切な時期に個性あふれる多くの友人から刺激をもらったことは私の人生の方向を決めたわけで本当にありがたく思います。 大学にすすんでいろいろな高校出身者と接しましたが人生の一番大切な時期に普通部という素晴らしい学校に学べてまたE組という心地よい小宇宙で過ごせたことは本当に幸せであったと巡り合わせに感謝しています。

腰を痛め60才で好きなゴルフをやめ67才から俳句をはじめました。なかなか上達しませんが奥が深いと感じでいます。同窓会のあと一句よみました。

  中学を卒へ七十年や花吹雪                伊藤俊昭

今度は咲いてた!  (34 小泉幾多郎)

昨日(4月9日)までの風雨から、今日は無風快晴。またまた近くの鶴見川畔付近をのんびりと散策。昨日の風雨に散った花びらが、チューリップとタンポポの傍らに。それでも、あの程度の風雨では、めげない花々の方が多かったようです。

乱読報告ファイル (55) 女流探偵小説家、見参 (普通部OB 菅原勲)

「霧の中の虎」(1952年。翻訳:山本俊子、2001年11月出版、早川書房)。「殺人者の街角」(1958年。翻訳:佐々木愛、2005年6月出版、論創社)。

英国の三大女流探偵小説作家は、A.クリスティー、ドロシー・L・セイヤース、マージェリー・アリンガムと言われている。ニュージーランドのN.マーシュを含めて四大と呼ばれることもあるようだ。

その一人であるアリンガムの本を読んだわけだが、何故、読んだかと言えば、単なる犯人探しの本格探偵小説ではなく、スリルとサスペンスに満ち溢れた傑作と喧伝されていたからに他ならない。その内容は、いずれも、「犯人はわかっているがなかなか捕えられず、早く捕えないと甚大な被害が及ぶような事態」(Wikipedia)を描いたものだ。

なかでも、「霧・・・」については、英国の識者が「アリンガムの最高傑作」と謳っていることから、それこそ、米国のW.アイリッシュの「幻の女」(1942年)の如きスリスリ、ハラハラ、ドキドキを大いに期待していた。ところが、結果は、スリスリのスの字の欠片もない、期待外れの駄作、愚作だった。題名の「霧」はロンドン、「虎」は殺人犯を意味するのだが、この殺人犯が小物で、まるっきりのチンピラと来ては、感情移入など出来るわけがない。しかも、のっけから「霧は氷水に浸したサフラン色の毛布を思わせた」と言う表現が使われているように、単刀直入な表現でなく、持って回った言い回しが至る所にちりばめられ興をそぐこと甚だしい。つまり、犯人の魅力に極めて乏しいこと、加えて、回りくどい表現が頻発することなど、これがサスペンスとは到底言えないシロモノなのだ。

二冊目の「殺人者・・・」は、確かに、殺人者に魅力があり(良い人と言っているわけではない)、人物造形に格段の進歩が見られたのは間違いない。加えて、持って回った言い回しも少なくなって読み易くなっている。こちらの方が、「霧・・・」より遥かに面白かった。でもスリスリ位で、ハラハラ、ドキドキとまでは、到底、行かなかった。

しかし、ここでよくよく考えて見ると、英国の三大とは言いながら、面白さと言う点では、他の二人より、クリスティーがずば抜けていることが良く分かる。探偵小説は、所詮、娯楽に過ぎない。面白いことが絶対に必要だし、何も文芸臭などと言うイカガワシサなど不必要だ。その点で、クリスティー(1890年―1976年)は、同じ英国の女流探偵小説作家、ウェクスフォード警部シリーズで有名なルース・レンデル(1930年―2015年)に「人物造形や社会性の浅薄なクリスティー」とまで軽蔑され、バカにされているが、じゃー、レンデルは面白いかと言えば、その点では、レンデルはクリスティーの足元にも及ばない。例えば、そのレンデルのウェクスフォード警部ものは、本国では1964年から2011年まで23冊が刊行されているが、日本では最初の18冊は翻訳されているものの、残りの5冊は、未だに未約であることでも証明されるだろう。また、探偵役一つを取って見ても、お馴染みのH.ポワロに始まって、J.マープル、トミーとタペンス、P.パイン、H.クィンなど、多士済々であることでは他の追随を許さない。

アリンガムを語って、最後にはクリスティー礼賛になってしまったが、これからクリスティーを凌ぐ、敢えて言う、男女を問わず、探偵小説作家が果たして出て来るだろうか。

(編集子)推理小説、てえのはそれを生みだす国民性というか社会環境という、そういうものの産物なんじゃないだろうか。クリスティの時代、1930年代の社会にはまだ階級意識みたいなものが残っていて、英国では上流階級のたしなみみたいなものだったようだし、米国に渡ったとはいえ、ヴァン・ダインにしてもクイーンにしても、雰囲気は英国文化をそのまま持ち込んだ東部のエリート臭がぬけていない。アメリカでブラックマスク誌に影響されてハードボイルド文学が出現するまで、伝統的なミステリ分野ではクリスティを越える作家はでてこなかった、ということだろう。