「虫を描く女(ひと)」[副題:「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯](著者:中野 京子。発行:NHK出版新書、2025年。ただし、2002年に講談社から出版された単行本[情熱の女流「昆虫画家」メーリアン波乱万丈の生涯]の新書復刻版)。
最近、先が余りないことから、本につき、新刊本は購入、古い本は図書館から借用へと、方針を改めた。その宗旨替えから、本屋、その殆どが目黒の有隣堂なのだが、頻繁に訪れて新刊本を漁っている。やっぱり、本は手に取って、パラパラと捲りながら、気に入った本を探すのが最高の喜びであり、最高の愉悦だ。この前も、新書を3冊ばかり購入したが、その中で、表紙の絵に強く惹きつけられた極め付きの本が一冊あった。それが、これからお話しする「虫を描く女」だ。具体的に言えば、パッと見て、表紙にある絵「アメリカンチェリーとモルフォチョウ」(スリナム本/図7。下記を参照)の色彩の極めて鮮やかな事、それだけで購入することにした。これを後から良く眺めて見ると、蝶とかチェリーは勿論のこと、そこに取っついている毛虫についても、極めて微細に描かれており、鮮やかな色彩と相俟って、見るものを感動させる。
「虫を描く女」とは、ドイツで、40ペニッヒ(1987年発行)の切手となり、500マルク(1992年発行)の紙幣となった(ユーロの時代となって、もうなくなってしまったかもしれないが)マリア・ジビーラ・メーリアン(1647年―1717年)だ。小生は、これまで全く知らなかったのだが、近代科学の夜明け前の17世紀、フンボルト、リンネ、ダーウィンなどよりも前に、全くの独学で虫の研究を行い、そのメタモルフォーゼ(変態。例えば、卵➡幼虫➡蛹➡成虫)の概念を絵によって表現した画期的な先駆者なのだ。従って、日本では5000円札の樋口一葉、津田梅子などがお馴染みの人物であるように、メーリアンもドイツでは、紙幣の肖像画となっているグリム兄弟、クララ・シューマンなどと同様、お馴染みの人物となっているのではないだろうか。
父はスイス人、母はオランダ人で、ドイツのフランクフルトに生まれたから、生まれながらにして国際人(コスモポリタン)だったことになる。実際に、そこから、ニュルンベルクを経てオランダのアムステルダムに移住し、52歳にしてオランダの植民地だった南米のスリナムへ、そして、マラリアで死に損なってアムステルダムへ帰国するなど、その動きは正に常人のものではない。
昆虫についての彼女の最大の功績は、当時、虫は腐敗物から自然発生するとのアリストテレスの説が依然として強固に信じられており、例えば、イモ虫と蝶は全くの別物とされていた。ところが、彼女はそれを真正面から否定し、上述のように変態を絵によって表現した。もう一つは、南国産大型昆虫の生態を知りたいがために2年ほど滞在していたスリナムから帰国後、彼女はライフワークとでも呼ぶべき手彩色された72枚の銅板画集「スリナム産昆虫変態図譜」を出版した。それは、日本でも「スリナム産昆虫変態図譜」(1726版)と題して翻訳され、2022年、鳥影社から35,200円で出版されている。高輪図書館で借りようと思ったが、残念ながら、現在、予約を受け付けていない状態だ。
中野のこの著作には、上記、スリナム本からメーリアン独特の絵が数々転載されているが、これをスペイスの関係で紹介出来ないのは甚だ残念だ。もし興味がある方がおられるならば、せめて立ち読みでもして彼女の芸術的とも言うべき絵画をとっくりと眺められてはどうだろうか。そこに表れているのは無味乾燥な虫、花などではなく、例えば、躍動的な蝶であり、何とも可愛らしい毛虫であり(小生、毛虫は毛嫌いしているのだが)、などなど、見る人を飽きさせない。こんな人が、今から400年ほど前、魔女狩りの全盛期である17世紀に生きていたのだ。男女の区別なく「好きこそ物の上手なれ」、を突き詰めて行くと、昆虫学の先駆者、メーリアンとなるのだろう。
(44 安田)先ず興味を惹かれたのは、著者が中野京子だと云うこと。