エーガ愛好会 (35) ミネソタ無頼  (34 小泉幾多郎)

 1964年公開の「荒野の用心棒」により、映画界は突然新しいショックに見舞われたが、同じ年に制作されたこの映画は日本公開が、1967年のこともあり、それ程話題にならなかった。監督はマカロニウエスタンで、セルジオ・レオーネと双璧と言われたセルジオ・コルブッチ。主演はハリウッドでは、悪役の助演者として目立つ存在だったキャメロン・ミッチェル。どうやら当時イタリヤで、バイキング役で多く出演していた折に、この映画に出演したようだ。マカロニウエスタン初期の作品だけに、アメリカ従来の西部劇に近く、マカロニ独自の残酷趣味や大量殺人、非情さがそれ程には感じられなかった。

映画の内容は、冤罪で服役中の主役ミネソタ・クレイ(原題名)が、眼を患っていて、見えなくなる前に真犯人を明らかにしようとして、脱獄するところから始まる。クレイは生まれ故郷のメサの町へ向かうが、二人の女性に出会う。山賊(フェルナンド・サンチョ)の情婦(エセル・ロホ)とクレイの友人に育てられている娘ナンシー(ダイアナ・マティン)。二人ともに美女。手首に母の形見という半分に切った金貨が付けられているブレスレットで娘と判る。このブレスレットが最後に重要な役割を果たす。メサの町は、山賊とクレイが仇と知った保安官になっているフォックス(ジョルジュ・リビエール)の二大勢力がせめぎ合っているが、情婦の再三にわたる裏切りもあり、結局フォックスが山賊一味を倒し、最後に、クレイとフォックスとその子分5人との対決になっていく。

 クレイの眼病は進み、ほぼ失明に近く、フォックス一味との決闘を夜を選ぶように持っていく。「荒野の用心棒」が、黒沢明の「用心棒」を原典としたように、この映画も、勝新太郎の「座頭市」を真似していることは間違いないと思われる。クレイは,フォックスとその部下を暗闇に誘い出し、足音や撃鉄、銃声、息ずかい等の音を頼りに、座頭市殺法で、部下5人を次々と倒し、最後は、娘ナンシーが人質にとられたところで、腕のブレスレットの一瞬の音に反応したクレイが相手を見極め自分を嵌めた男フォックスを撃ち倒す。潔白を証明する唯一の証人を殺してしまったが、酒場でフォックスの証言を聞いた娘のお蔭で潔白は証明されるのだった。

最後の最後、眼鏡をかけたクレイが娘を恋人に託し皆に別れの挨拶。驚いたことにその眼鏡を宙に放って二発狙撃。撃ち抜かれたレンズを手前に荒野へ消えていくガンマン。そんなに見えるようになったのか?白内障の手術の結果?

(中司)これを見る気になったのは、キャメロン・ミッチェルが主演している、と知ったからだ。小泉さんご指摘の通り、いくつかの映画で、悪役ばかりみていたのでへえ、あいつが主演?という興味と、誠に不思議なことにわが灰色の脳細胞が全くゆかりなく、キャメロンのある顔を思い出させたからだ。その映画はリチャード・イーガンと そして、実に、あの、ドロシー・マローン。ミッチェルはまったくいいところのないさえない悪役だったのだが、どっか遠いところをぼんやり見ているような、人生にあきらめをつけてしまったような、あるショットの中の表情を思い出した。そんなわけで、キャメロンにはすまないがわがそのなかのドロシーの写真をあげておく。 映画そのものがマカロニ仕立てだったとは知らず、あまり舞台になったことのないミネソタでの西部劇?と思い、まじめな小泉さんには申し訳ないが、そんな気持ちでラストシーン(レンズを撃ち抜かれた眼鏡に太陽が反射する)を観た。なお、この写真を探していてこの映画にはアンジー・ディキンソンが出ていたのを知った。自慢の美脚をあらわすシーンはなかったように思うのだが,ごひいきが二人もいたのなら、DVDを探そうかな。

ミス冒愛好会 (2)僕が読んできた ”冒険小説” のこと

冒険小説、とはいったい何だろうか。小学生のころ、漫画でもなく文字でもなく、いってみれば絵物語が子供向けの本の中心にあった。山川惣治(少年王者、少年ケニヤ)とか、驚異的に詳細なペン画で僕らの心を鷲掴みにした小松崎茂(地球SOS, 空魔エックス団)などを覚えている人はたくさんいるだろう。また定期的に刊行されていた冒険活劇文庫、略してボーカツ、というのもあって、連載されていた 怒涛万里を行くところ、なんてペン画シリーズも僕のごひいきだったし、戦前からの老舗、少年倶楽部 (まだ漢字だった)には池田宣政別名南洋一郎の 吠える密林 だとかルパンものの子供むけ翻訳が連載されていた。

このころの冒険小説、とは子供心のあこがれであり、好奇心を満たすための教材でもあったが、親たちはいつの日か、自分の子供が“そんなもの”から脱皮して、より本格的な文学を読んだり、広く言えばもっと勉強してもらいたい、という気持ちで、いわば少年期のはしかみたいにとらえていたような気がする。その冒険小説、なるものをいいオトナが愛読するには、ある種のてらいもあり、なにか読むためのお墨付きというか裏付けがいるのかもしれない。

文学者と言われる専門家の中には純文学(この定義がまた難しい)を離れて、”冒険小説“と。いうジャンルを研究している人がいて、僕も数冊、斜め読みをしたが、その定義の中で一番納得したのは、主人公がなにか自分を超えるもの、大自然か、国家的策謀か、あるいは世の中の大勢にたいする疑問とか、そういうテーマに挑み、その過程を通じて人間的に成長する、そのプロセスを書いたものだ、という一文が一番腑に落ちている。後で書いてみたいが、ミステリ文学の流れにあるハードボイルドの定義には、 ”卑しき街をいく正義“ がテーマだという一節がある。冒険小説には、このような、あるいはよくしらないが純文学作品が伝えようとしている主題、そういうものはなくてもかまわない。なんにせよ、戦う人間がいて、そのプロセスがテーマになり、それに共感することができるパスタイム、とでも定義するのがいいかもしれない。つけくわえれば、この 共感 というのも重要なファクタで、世にいうエンターテインメント文学、お笑い芸人、などは時間を消費する、という意味ではパスタイムかもしれないが、その中身に共感を覚える、などということはないだろう。

前置きが長くなった。今まで、主にサラリーマン卒業後に始めた冒険小説乱読の過程から小生なりのおすすめをご参考までにいくつか書いてみる。今ではこれらが新刊で出てくる確率は低いかもしれないが、ブックオフあたりでよく見かけるし、アマゾンならばほとんどのものが入手できると思うものだ。 上記した定義に当てはまり、しかも強烈な読後感から言えば、一押しは英国の作家、アリステア・マクリーン 女王陛下のユリシーズ号 だ。第二次大戦下に実際に起きていたことが背景であり、主人公(たち)が創作である以外、現実にどこかで起きたに違いない現実の描写である。一人でも多くの共感者がいてほしい!とおもわせる傑作だ、と言っておこう。マクリーンはこの一作で一デビューし ナヴァロンの要塞 (グレゴリー・ペック)とか 荒鷲の要塞 (クリント・イーストウッド)など映画でもヒットを飛ばした。マクリーンとならんでデズモンド・バグリー、ハモンド・イネス、針の眼 で有名になったケン・フォレット、そして 深夜プラスワン のギャヴィン・ライアルと続き、小生が最近まで入れ込んできたジャック・ヒギンズと、正統的な冒険小説の作家はすべてと言っていいくらい英国人である。われわれは多くの場で英米人、などといってともすれば同一視することが多いが、国民性においてその違いがこのあたりに非常にはっきりとあらわれるようだ。専門家によると、同じ題材でも英国人が書くと冒険小説になり、米国人が書くとハードボイルドスタイルの小説になってしまうのだという。彼らの後継者たるジャック・ヒギンズは 鷲は舞い降りた で英国人の仇敵ドイツ軍にも人格を認めたと評価された。非常な多作家で、小生もいままで30冊近く読んできた。多作家の例にもれず、駄作も多いが、ストーリーの面白さと結末の意外性、という点では 脱出航路狐たちの夜 に感心したし、作品全体に流れる一種の虚無感みたいなものにしびれた 廃墟の東 が特に好きだ。

 

米国人作家はともかく、日本人の作品でいえば、伴野朗と佐々木譲のものを読んできたが、いわゆる時代劇ものはほとんど知らないので、片手落ちになるかもしれない。冒険小説とは関係ないが司馬遼太郎の作品は結構読み、僕の日本史の知識はほとんど司馬の作品からもらってきた。その司馬史観、とさえいわれる作品を冒険小説として取り上げるのはおかしい、といわれるのを承知で書くと、燃えよ剣 で書かれた土方歳三という人物の生き方はある意味、前記した冒険小説の定義そのもののように思えるのだがいかがなものだろうか。

”エーガ愛好会” (33) 砂漠の鬼将軍  (44 安田耕太郎)

エーガ愛好会では最近BSPで放映された「パットン大戦車軍団」(Patton) 「遠すぎた橋」(A Bridge Too Far) の第二次世界大戦の戦争物映画を取り上げた。 「砂漠の鬼将軍」は、2000キロ(稚内〜鹿児島の距離) 以上に及ぶ広大な砂漠に展開された北アフリカ戦線において、巧みな戦略・戦術によって戦力的に圧倒的に優勢な連合国側をたびたび壊滅させ、英首相チャーチルをして「ナポレオン以来の戦術家」とまで評せさせ、第二次世界大戦中から「砂漠の狐」(The Desert  Foxの異名で世界に知られたたドイツ軍人エルヴィン・ロンメル「Erwin Rommel 」の栄光と挫折を描く映画だ。

連合国軍アメリカ人パットン将軍を描いた「パットン大戦車軍団」は主役を演じたジョージC.スコットが1970年度のアカデミー主演男優賞を獲得。指揮官の人間性を色濃く描いた映画で、「砂漠の鬼将軍」はどちらかと云えば、戦闘に重きを置いた「遠すぎた橋」よりも「パットン大戦車軍団」に近く、意見を異にする上司(この映画ではヒトラー)との確執に苦悩する人間ロンメルを描いたヒューマンドラマの色彩が非常に濃い。

ロンメルは貴族(ユンカー)出身ではなく、中産階級出身者初の陸軍元帥でもある。数々の戦功だけでなく、騎士道精神に溢れた行動と多才な人柄で悲劇的な最期をとげたが、SS(親衛隊ゲシュタポ)ではなく国防軍の所属であった。北アフリアカ戦線での戦功によって名将の誉れ高く、戦時中ドイツ国内での彼の人気は沸騰する。民間出身のロンメルの活躍と成功が生粋の軍人将校たちの嫉妬を招き、ヒトラーの取り巻き連中の反感をも買ったニュアンスを映画は描いている。

連戦連勝して戦略的要衝の地スエズ運河間近まで迫り、連合国側の拠点パレスチナへ歩を進める段階まできたところで、ロンメルは気候条件劣悪な戦場での過労がたたった病気で戦線を離脱して一時帰国する。ロンメルが留守の間に、部隊を立て直し物量で圧倒する連合国側は戦略的に重要な地エジプトのエルアラメインでドイツ軍を圧倒。ドイツ軍は撤退を余儀なくされる。戦線に復帰したロンメルはヒトラー中枢部に自軍を立て直すために撤退と兵站強化を請うが、ヒトラーは飽くまで「闘い継続か、死か」と命令する。面談の交渉でも言下に拒絶・誹謗される。 冷静な客観的分析に基づき自軍の犬死を避けたいロンメルはこの頃より、理不尽な上司ヒトラーに対し、反感をもつに至る。ヒトラーの取り巻きイエスマン部下もロンメルにとっては救いにならないばかりか、逆に窮地に追い込まれる。

ドイツ軍は東部戦線、西部戦線など至る所で敗色濃厚となる。こんな状況下、ヒトラー暗殺未遂事件が発覚。ヒトラーは負傷するが命に別状なし。犯人探しに躍起となる。その過程で、機銃掃射のよって負傷し自宅療養していたロンメルが黒幕として疑われる。ロンメルの自宅をヒトラーに命令された将校が訪れる。将校は青酸カリを持参し、ロンメルの自死を促す。彼の名誉と家族の安全を保証するという条件で。拒絶すれば死刑はおろか家族の身に危害が加わることを伝えられ、冤罪と分かっていても彼は自死を選び、妻・息子と最期の別れをして、将校達に連行される場面で映画は終わる。ドイツの敗色が濃厚な1944年10月14日のことである。ロンメルの死 (享年52)は、公には戦死だと発表される。

映画制作は1951年、戦争終結から6年後、ロンメルの死から7年後。ロンメルが敵方連合国側でも敬意を抱かれたことがうかがわれる。また、非業の死を遂げたロンメルの名誉を回復させヒトラーの悪事と戦争の理不尽さを知らしめる狙いもあったのかも知れない。映画制作にあたっては未亡人が相談役として参加したとのこと。また、ロンメルの軍服をロンメル役のジェームス・メイソン(映画出演当時42歳) が実際着て映画撮影したとのことである。

(編集子)連合軍が欧州前面でなく背後にあたる北アフリカからナチ戦線に迫った大掛かりな作戦がローマへの進撃につながり、ノルマンディ上陸によって欧州戦線の帰趨が決まるのだが、第二次大戦に詳しい歴史家リック・アトキンソンはこの作戦の詳細を Army at Dawn  という本に書いている。

われわれはこの映画のような華々しい戦闘シーンばかりを想像するが、この題名の at dawn という句がいうように、この時点ではまだまだアメリカ軍は組織的に未熟であり、エル・アラメインでの大勝まで、内輪もめあり、作戦面での齟齬あり、大変な苦労をしたらしい。映画ではリチャード・バートン主演の ロンメル軍団を叩け とか、史実ではあるまいが、かつてテレビのシリーズに、タイトルは忘れてしまったがコマンド部隊が砂漠をジープで走り回る活劇もの(主演はエルドラドでウエインの向こうを張ったクリストファー・ジョージだったと思うのだが)があったりするし、あの物悲しい主題歌のボレロのほうが記憶に残る 撃墜王アフリカの星 や、この作戦中、ドイツ側の補給基地であったトブルクが背景のトブルク戦線(ロック・ハドソン、ジョージ・パード)などもあった。ノルマンディの後を映画化したものに比べると数は少ないが、いずれにせよ映画から歴史を学べるというのもありがたい話であろうか。

 

“ミス冒愛好会” (1)ミステリ開眼の記 - はなしのきっかけとして

小生は満州からの引き揚げのどさくさで、小学校には1年遅れで入学した。今は入学するのは偉く大変らしいが、義塾普通部にあっさり進学できたのも、まだ戦後の混乱期であったのが幸いだったのだろう(小生入学時の倍率は2倍だった)。自分では親が決めてくれた学校、くらいの意識しかなかったが、この中学3年間の生活が自分の現在のありかたを決めてくれことにはただ感謝しかない。体が多少大きかった(終生ついて回るはずのあだ名の由来である)こともあって、ラグビー部に入れてもらっていい仲間ができたが、高校進学で運動部をやめたのは、小さいころからの、言ってみればおやじのしつけで一種の読書フリークになって迎えた思春期の反動だったのだろう。高校では一級上でのちに東宝常務になった鎌田陸郎さんの誘いを受けてすんなり新聞会(ハイスクールニュース)に入り、将来の夢としてなにか文学とかジャーナリズムにかかわった職業をぼんやり意識したりしていたが、同じクラスになった普通部時代ラグビー仲間の鈴木康三郎や既に立派なナンパだった柴岡正和などから映画を吹き込まれ、同じように映画通で同時にいろんな本を読んでいた菅原勲(現在はエーガ愛好会の中心である)から、ミステリー、というものを教わった。当時はまだ推理小説、といわれていて謹厳実直だった父はこれを異端視していたから、シャーロック・ホームズしか知らなかった僕には全く新しい分野だった。

菅原から教えてもらった早川ポケットミステリ文庫で初めて読んだのがメイスンの “矢の家” である。A.E.W メイスンというのは英国の作家で、20世紀初頭、英国では名だたる文学者がいわば手すさびに推理小説を書いた時期があり、ほかにも イーデン・フィルポッツだとか、G.K.チェスタートンだとか、純文学のほうで知られている人も優れたミステリを書いているが、なぜはじめて読んだミステリがメイスンだったのか、今となっては全く記憶にない。ただ、推理そのものよりもこの訳書の持っていた雰囲気というかトーンというか、そういうものが好きになったのは確かで、それ以来、翻訳、というものの重要さ、というか、逆に言えば翻訳ひとつで読者の受け止め方が違ってくることを実感、のち、”ミス冒” を原書で読む、という僕なりの”冒険”を始めるきっかけになった。

それから、毎月HPMものを2冊くらいを乱読するのが続いた。ただ本格的読者ならそうあるべきな ”このトリックはなんだ” という態度よりも、雰囲気というか展開のほうに目が行く読書態度は変わらなかった。それだけに最後に展開する犯人の意外性、による衝撃が楽しみだった。そういう意味では、アガサ・クリスティの ”アクロイド殺人事件” がミステリへの深入りを決定づけたのだと思う。同じような感覚を味わったもうひとつがウイリアム・アイリッシュ ”幻の女” だった。先輩めいた発言を許してもらえば、これからミステリを読んでみようか、という人にはぜひこの2作をお勧めしたい(アクロイドのほうは現在もハヤカワ文庫の常連だし、アイリッシュはアマゾンに在庫があることは確認)

専門家の論評によれば、推理小説の傑作は1930年代の英国を中心として新興文化圏ニューヨークのインテリ層に伝搬していき、クリスティとならんで ”must read” にあがるエラリー・クイーン、ヴァン・ダイン なんかが台頭する。クリスティは今の日本でも圧倒的な人気があり、100冊を超える作品があるそうだが残念ながら、僕が読んだのは20冊にはならない。アクロイド殺人事件は前記した事情もあるのだが、推理小説の全盛期、そのダインが主張した 推理小説20則、とか ノックスという作家の設定した推理小説10戒、などという一種のルールブックには違反している書き方になっている。なぜかは言うと筋がばれるので言わないが、そんなやっかみは忘れて、一度は読むべきものだと思う。そのほか、トリックが優れているなあと思うのは ナイル殺人事件 と白昼の悪魔 だろうか。傑作とされる そして誰もいなくなった は舞台の設定が正常ではないので、確かに意外性は優れているが全体のトーンというか雰囲気があまり好きではない。もう一つ、たびたび映画化され、テレビドラマにもなり(日本に設定を変えた野村萬斎主演というのもあった) オリエント急行殺人事件 の着想には驚いたものだった。やはりクリスティ物は確実に売れる、ということなのか、ハヤカワ文庫の常連として大きな本屋なら簡単に買えるものばかりである。

(この作品は何回か映画化されているが、なんといっても1974年に公開された、シドニー・,ルメット監督のやつはすごかった。ポアロがアルバート・フィニー、殺されるのがリチャード・ウイドマーク、主演格がロレイン・バコール、イングリッド・バーグマンにジャクリーン・ビセット、ショーン・コネリー、ジョン・ギルガット、アンソニ・パーキンスにヴァネッサ・レッドグレイブ、などなどで、いったいギャラはいくらだったのか心配になるものだ。ミステリを始めようか、という方には一つのいいきっかけかもしれない。アマゾンのDVDにはいくつもあるが、どうも1974年版ではないようだがチェックする価値はあろう)。

一方、推理小説の嚆矢者とされているエドガー・アラン・ポオは米国人だが、その歴史的立ち位置以外には現代の読者にはあまり読むべきものがない。やはり米国の大物、と言えばダイン、クイーンにしぼられるのだが、20-30年代のアメリカの知識層の拠点はニューヨークだったので、ダインの作品はすべて、この指導層というか知識層むけ、自己顕示むき出しのスタイルで、すべての作品に美術や歴史に関して絢爛たるというか鼻につく衒学趣味が横溢する。およそ僕の趣味だはないのだが、トリックを追求する、という大原則では評価の高い作品がある。ダインというのはペンネームで、本人はその筋では知られた文学評論家であった。持ち前の理論で一人の人間が一生に書ける推理小説は6冊までだ、と訳知りに行っていたものの、結局12冊の長編をのこした。僕は一応全部読んでみたが、専門家筋が傑作という 僧正殺人事件、グリーン家殺人事件 には結構頭を使ったものだった。ただ正直、もう一度読もうかという気にはならないのは作品の出来栄えより著者の高慢さが気に食わないからだ。同じころ活躍するのがエラリー・クイーン、二人の従兄弟の合作で、作品の持つ雰囲気や適度のユーモアやシリーズものとしての親しみもあって好きな作品が多い。中でも オランダ靴の謎 ギリシャ棺の謎 といったようにタイトルに国の名前を冠した国名シリーズと、より重厚な雰囲気をもつ Xの悲劇 Yの悲劇 zの悲劇 は有名で、特にY の悲劇は専門家筋でもナンバーワンに挙げる人が多い。筋だても複雑だが、犯人の意外性、というベーシックな点では僕ら素人も納得できるものだと思う。

日本の作家となるといろいろ意見が分かれるだろうが、僕は高校2年の時、日吉校舎の図書室で見つけた、高木彬光の わが一高時代の犯罪 を読んで高木ファンになり、その後も結構読んできた。高木について付言するなら、なんといっても 成吉思汗の秘密 が大好きだ。英国の女流作家 ジョセフィン・ティに 時の娘 という傑作があり、英国史上悪逆の王とされている リチャード三世が、史実を辿ってみると実は優れた王だったとして歴史の汚名をそそぐ話があるか高木はこの作品でベッドサイドデテクティヴを演ずる神津恭介に、”それじゃ僕は時の息子 という本を書こうか” と言わせている。この本を読んだ結果、僕はかの源義経が成吉思汗である、ということを、人類に技術を教えたのが地球外生命体だとする古代宇宙士飛来説と同じく、固く信じていることを告白しておいて、企画したセミ・オンライン・ペンパルのきっかけにしたい。

 

 

コロナに関する知識を   (42 河瀬 斌) 

コロナに関係ある短編動画を二本送ります。感染をどうしたら防げるか?というNHKの動画と、脳にも感染する、という動画です。これをクリックすると見れます。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/nhkspecial_1108/

この動画はサイエンス映像学会 www.svs-j.org から送られたものです。
ご存知かもしれませんが、この会は11年前にKWV S40卒の林勝彦さん(ピョコさん、元NHKエンタープライズ出身)が創立、会長として育て、それ以来私も副会長として協力、映像、工学、医学系など多種多様な人が参加しています。目的は人体と科学への一般の人への啓蒙で、ボランテイア的な学会です。
 今年はWebで7回もコロナ特集の講演会を行いました。12月14日16−18時に第8回講演会が予定されています。参加無料、見るだけも可、ですので、ご希望の方は下記にまでご連絡ください。
ZOOMオンライン申込先(↓)

 

”ミス冒愛好会” の企画について

今更言うまでもないが、人間は一人では生きられないものであり、良き友人を持つことは最大の幸福であろう。年齢とともに外出が億劫になったり、不幸病を得たりすれば諸般の事情も生じ、フェイスツーフェイスでの交流機会が減少していくのはやむを得ない。我々の多くが今やその現実に直面しつつある。

しかし昨今のITの仕掛けを活用することで、幾分でもその憂いを取り除くことが可能になってきた。たとえば、今回のコロナ騒動を奇貨として、IT事情に詳しい仲間の提案があり、普通部時代の同期友人の間で今をはやりのオンライン(飲み会?)会合が始まった。また、昨年、ひょんなきっかけで、慶応義塾ワンダーフォーゲル部OBのあいだで ”エーガ愛好会” なるグループができ、メールを使って映画に関する感想やら情報やらエトセトラの交換が始ったが、予想以上の反応があり、ブログでこれを知った会社時代の友人同僚、学生時代の悪友などが面識もないのに百年の知己のような関係ができ、ほぼ毎日、いろんなメールが飛び交っている。ステイホーム、の国策のもと、高齢者仲間の、昔の言い方をすればペンパルとでもいうか、誠に楽しい。

今回、思いついて、映画とは別に、ミステリー小説や冒険小説をテーマにしたグループはどうだろうか、と上記の普通部同期生の”オンライン飲み会”にはかったところ、何人かから賛同を得たので、範囲をミステリ小説、それと隣りあるジャンルの冒険小説、のファンを糾合して、意見感想の交換、言いたくても言えなかった蘊蓄の開陳、などを楽しむグループを作ろうと思う。活動方針(?)は以下のとおりである。

1.このグループに参加したい人は事務局として小生あて氏名とメールアドレスをご連絡をいただく。参加者は小生の友人(ブログには不要の混乱や中傷などを防ぐため、一般の場合と違って直接の投稿はできないようにしてある)に限定。

2.小生はメーリングリストを作成し、メンテナンス(新規加入の連絡、メアドの変更など)を行う。

3.メンバーはこのリストあてに、ミステリ・冒険小説をテーマにしたことは何でも言いたいことを書く。それがこのグループの活動である。

4.3の中から、メンバー以外の人にも読んでもらいたいと事務局(すなわち小生)が判断したものはブログ kwv36gisan. に転載させていただく。転載にあたっては発信者の名前を明記すること、編集者の判断で最小限の編集を行うこと、関係のない個人情報は記載しないこととする(もし発信者の都合でブログへの転載を希望しない場合はそのむねをメールに明記していただく)。

これ以外には規則も制約も義務も会費の発生もない。本日時点で上記の普通部旧友数人から賛成の連絡があったので、少し時間をおいて、大げさに言えば開会宣言(?)をしたいと思っている。各位のご連絡を待つ。

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(なお、上記3では説明不足かもしれないので、小生の勝手に定義した範囲でこの ”ミス冒” の対象を説明しておく。

ミステリ、とは古くはシャーロック・ホームズから始まる ”推理小説”、有名人で言えば アガサ・クリスティ、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、江戸川乱歩に高木彬光、などなどの作品、その発展過程で書かれるようになった ”ハードボイルドミステリ” すなわち小生のほれ込んでいる レイモンド・チャンドラーにロス・マクドナルド、最近の日本作家なら大沢在昌、原寮 などなどの作品 (ただし、ハードボイルド、という名前だけの、暴力とエロばかりの荒唐無稽なバイオレンスもの、たとえば大藪晴彦なんかはここに含めない)を指す。

冒険小説、とは、ミステリであってもなくてもいいが、大自然や時代の潮流などに立ち向かう個人の物語、作家で言えばアリステア・マクリーン(”ナヴァロンの要塞” ”女王陛下のユリシーズ号”)とかジャック・ヒギンズ(”鷲は舞い降りた”)とか最近ならトム・クランシー(”レッドオクトーバーを追え”)、伴野朗、佐々木譲、うんとふるくなら ”敵中横断三百里” の山中峰太郎などなどの作品やそれにまつわることがらを指すと考えていただきたい)。

 

エーガ愛好会 (32)  シャレード - ヘプバーンを巡って

(安田)

二度目の「シャレード」でしたが、前回は数十年前だったので筋を殆ど覚えておらず新鮮に観れました。 初めて観たヘップバーン映画「ローマの休日」の制作された1953年から10年後の作品。その間の10年に制作された映画で観たのは、「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「戦争とアンナ」「昼下がりの情事」「尼僧物語」「噂の二人」「ティファニーで朝食を」でした。その後の映画では「マイ・フェア・レディー」「おしゃれ泥棒」の二本。最も好きな映画は「ローマの休日」。映画の舞台ローマの素晴らしい観光名所巡り、彼女の初々しさ、ストーリーの面白さ、相手役など映画を面白くする脚本・演出・配役が揃っていました。それにしても彼女と共演する男優は随分年上のほとんど大御所ベテランばかり。グレゴリー・ペック、ハンフリー・ボガート、ウイリアム・ホールデン、フレッド・アステア、ヘンリー・フォンダ、ゲーリー・クーパー、ピーター・フィンチ、レックス・ハリソン。同年代はジョージ・ペパートとピーター・オトゥ―ルのみ。この「シャレード」でも25歳年上のケーリー・グラントが相手役。彼女の繊細で優美な容姿と穏やかで柔らかいキャラクターをアイドル的に扱う、映画界の “男” 社会の目線が支配していたのでしょうか?現在の映画では殆どあり得ない主演男優・女優の年齢差であると思います。

お洒落で軽妙な洒脱に溢れた映画出演が目立つ彼女の映画の中で、やや重たい深刻な役を演じた「尼僧物語」「戦争とアンナ」、そしてとシャーリー・マクレーンと競演した人間ドラマ「噂の二人」を経て、円熟と言っていいオードリーの持ち味が十二分に発揮された、もはや彼女の十八番ともなったロマンティック・コメディやサスペンス映画の一つでした。専属契約を結んでいる服飾デザイナー・ジバンシーの洋服ファッションが映画の舞台パリに映えて目を楽しませてもくれました。ウォルター・マッソー、ジェームス・コバーン、ジョージ・ケネディの脇役陣も良かった。肩肘張らずに楽しめた2時間でした。

(久米)

暫くPCを開けないうちにすでにBS12月のラインアップが届いておりました。いつもいつもありがとうございます。バルカン超特急はヒッチコックの隠れた名画だと思っています。あっと言うどんでん返し、白黒画面でヒッチコックがイギリスで撮った終わりの頃の作品でこの重要な役がらの女優さんは私のお気に入りの映画「ミニバー夫人」では誇り高い名家の夫人役を演じております。イギリス映画の重鎮のような存在です。「愛と青春の旅立ち」リチャード・ギアの若々しい映画、もう見なくてもいいかな。アメリカングラフテイではハリソンフオードがチンピラでちょっと出てきます。12月7日午後9時放映の日本映画「フラガール」是非ご覧ください。中々の感動作です。

「アラスカ魂」は「リオ・ブラボー、」「アラモ」、とジョン・ウエインが立て続けに出演した映画ですがその中ではちょっと見劣りがする気がしました。歌手のフェビアン、(これもリオ・ブラボーのリッキー・ネルソンと比べると大分落ちますが)出演して主題歌も歌っているので見てみましょうかという気分。何回見ても新しい感動がある「ゴッド・ファーザーⅠ,Ⅱ、Ⅲ」「巴里の屋根の下」は必見、拾い物と思われる12月31日の「テキサスの5人の仲間」ヘンリー・フオンダとポール・ニューマンの奥さんのジャアン・ウッドワード共演のこれまた最後のどんでん返しが面白い、儲け物の作品です。

GIさんお勧めの「トウーム・ストーン」「サムライ」の予約録画を取り消してみました。ロバートミッチャムのナレーションに始まりアープ兄弟のつながりなど良く解りました。しかし、「OK牧場の決闘」でしみついてしまったワイアットアープはバートランカスター。ドク・ホリデイはカーク・ダグラスという印象が強すぎてどうもしっくり来ませんでした。

「昼下がりの情事」勇気をもって見直しました。やはり、クーパー様の年の取り方が凄くて当時56歳、この4年後に亡くなるとは言え最後の駅のシーンでもオードリーをよく抱き上げられたと思う程でした。前に見た時もクーパーのしわが気になったのですがクーパーフアンならずともビリーワイルダーがケーリーグラントに出演依頼したという話も分かるような気がします。もうすぐ77歳になる私ですが人様から見たらどんな年よりかとちょっと怖くなります。オードリーヘップバーンの忘れてはいけない出演作品に「暗くなる迄待って」をあげたいと思います。この作品はオードリーにしては珍しいサスペンス映画ですが恐怖を感じながら見た覚えがあります。4つ星の傑作だと思います。

最後に、小川さん、お久しぶりです。映画の事、色々お教えください。志賀高原のオリンピックコースを二人で悪戦苦闘して滑り終えたこと思い出します。

(安田)暗くなるまで待って。非常に面白いサスペンス映画でした。まさに4つ星の傑作。コブキさん、ありがとうございました。見応えある映画を推薦していただきました。動画配信サービス「U-Next」を利用してテレビ画面で観ました。

制作された1967年は、「招かれざる客」「夜の大捜査線」「卒業」「俺たちに明日はない」「007は二度死ぬ」、ヘップバーンとアルバート・フィニー共演の「いつも二人で」など豊作の年でした。明るい役どころが多いオードリー・ヘップバーンが珍しくこわいサスペンス映画出演。盲目の主婦役で事件に巻き込まれ、まるで一人芝居を演じるが如く熱演。ヒッチコック映画「裏窓」と同じように、ほぼ全編 部屋内のシーンだが緻密なシナリオとサスペンス感を盛り上げる演出が秀逸。

目を大きく(彼女の目はとても大きい)見開き、盲目の人の視線、顔の表情、歩く所作や諸々の動きと恐怖の表現を見事に演じて感心。目のまばたくきは全くしない。盲目者を演じる勉強と準備を充分したことが容易に伺われました。さらに台詞の多さ、喋りと演技時間の長さなど、他の出演映画に比較して濃密で集中を必要とする役柄を緊迫感溢れるシーンの連続の中で演じた。題名の通り最後の暗がりでの30分のサスペンス感は見応え充分。彼女の表情を画面からスマホで撮影して貼付しました。1950〜60年代に25本近くの映画に出演し続けた彼女にとって、20年近くに及んだキャリアの最終段階に近い、1960年代最後の映画出演。その後は1976年まで9年間出演なし。その意味では、彼女の映画キャリアの集大成に近い覚悟で臨んだ映画だったかもしれない。
(編集子)僕らの高校から大学への時代はなんといってもプレスリーから始まったと思うが、グレース・ケリー、少しずれるがマリリン・モンロー、そしてオードリー・ヘップバーン、何とも懐かしい名前である。面白いことに仲間うち(スガチューももちろん入っていた)で話をするとき、”ローマの休日” だけはみんなが申し合わせたように ”ローマン・ホリディ” と言っていたような記憶がある。休日、なんていう表現でなく、わざわざホリディ、と言わせた雰囲気というかあこがれというか、なにかそういうものがあったのだろうか。
大学最終の秋、かの早慶六連戦の神宮の観覧席に毎回応援指導部が作るむしろ旗のなかに ”ケイオーノユウショウ イワウ ケネディ” というのがあったのを覚えているが、ジョン・ケネディという新しい時代のリーダーの輝かしい時代が僕らの青春であり、ヘプバーンの笑顔もまた、その象徴でもあった。

米国の格差問題について

11月27日付読売新聞朝刊に 米新政権の考察、という記事が載った。日本でも有名なハーバード大学サンデル教授とのインタビューで,記者はトランプ大統領がコロナ対策に多くの点で失敗したにもかかわらず7000万人を超える米国人が彼に投票したのはなぜか、民主党は勝利に慢心せず自問自答すべきだ、と訴える。

米国は能力主義を勝ち抜いた”勝ち組”が傲慢になり、置き去りにされた人々に優しさを示さない社会になってきたようだ。労働者階級の人たちは伝統的に民主党を支持してきたが、1990-2000年代前半、共和党に支持を変え始めた。グローバル化で生じた社会の不平等に、民主党が効果的に対応できなかったからではないか。民主党はトランプ氏を排除したことで自らの政策やメッセージを見直す必要はないと結論するかもしれないがそれは誤りだ。バイデン氏が大統領になっても、行き過ぎた能力主義が生み出した格差と深い溝はなくならないのではないか、というのが記者の観察である。以下、サンデル教授の発言を要約する。

1.ハーバードでの授業で、多くの学生が自分の成功は自らの努力の結果だ、と思い込んでいることに気づいた。ハーバードはたしかに狭き門だが、そこに入学できたのは、自分の実力だけではない。家庭や周辺の人や家庭教師などの支援があったこそなのだ。アイビーリーグの学生の三分の二は米国の上位20%の収入の過程出身だ。米国社会は学歴による分断を深めている。大統領も父ブッシュ以降、アイビーリーグ出身者が続いてきたが、バイデンは違う。中流家庭出身の大統領として問題の是正に力を尽くすかもしれない。

2.ここ数十年、米社会の大学卒エリートは、自らの成功を当然視する傾向が強まった。一方、高卒以下の米国人は、自分の仕事が尊重されず、見下されている、という感覚を募らせた。 ”大学教育を受ければ成功できる” という能力主義のメッセンジャーは、大学に行かない労働者には侮辱的ですらあった。そこで生じた怒りや憤りがポピュリズム的動きにつながり、4年前にトランプを当選させ、今回も底堅さをみせたのではないか。

3.”勝ち組” が、恵まれた環境、家族、地域社会の重要性を認識し、謙虚さを持つこと、仕事が生計を立てるだけでなく、尊厳や名誉にもつながる側面にもっと焦点を当てるべきだ。病院スタッフ、食料品店の店員、トラック運転手、保育士などはいずれも高給取りではないが、われわれは彼らに深く依存している。新型コロナウイルスの流行はそれを気づかせてくれた。彼らの仕事に尊厳と重要性にみあう賃金を与え、社会的評価を高める議論が必要だ。

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自分は全くの偶然から米国企業でサラリーマン生活を送った。今の企業社会では想像もしにくいような、理想的な環境でその大半をすごした。”その大半” といった意味は、そうではなかった(なくなってしまった)時間もあった、ということであり、それを作り出した遠因は、教授が指摘する点にあり、それを作り出したのがいわゆるグローバリゼーションだったと思っている。

ヒューレットパッカードの二人の創業者は、”地球上どこへ行っても電流は同じ方向に流れる” という疑いのない事実に基づいて、社業を欧州、アジアへと推し進めていったが、その在り方を グローバル、という言葉は使わず、ワールドワイド、という形容詞を使って定義した。つまり、米国企業が違う世界に進出する、というわかりやすい定義だったから、現地、たとえば日本でも、あくまでHP社が外国企業であることに誰も疑問は持たなかった。違いがあってもそれは外国資本なのだから当然のことだったのだ。

グローバリゼーション、という言葉が使われ始めたころ、中級管理職の仲間に入っていた僕はその意味を難しく考えてみることもなく、それほどの違和感も持たなかった。その難しさ、思い切って言えばうさんくささに気が付き、当惑しはじめたのは役員にしてもらって混乱期にあった人事制度の改革を担当するようになり、米国以外の国々、特にアジア諸国との交流が深化しはじめてからだった。

グローバリゼーションの理想として人的資源をひろく世界にもとめようとする考え方は結構なのだが、国々の文化や伝統やしがらみなどを考えると、どうしても誰にでも理解できる、数値的指標が必要になってくる。物理的に測定できるものならいいが、人間の素質とか知的能力を図るとなれば、どうしても学歴の高い人が有利になるのは必然だ。多民族国家米国はいままで人種、宗教による壁をなくそうと努力してきたし、まだまだ限定的とはいえ効果を上げてきた。しかしこの学歴差、という壁をどうやって越えるのか、その遠因がグローバリゼーションにあるとにあるとなれば、ある意味では自己否定にもつながりかねないし、差別を感じている人たちの感情に訴えるポピュリズム政治(トランピズムがまさにそうか?)がますます力を持つだろう。聞こえの良いスローガンに惑わされることなく、日本人の高い倫理観、社会観に基づいた世界観があらためて評価されるべき時代なのかもしれない。

 

 

 

 

歌詞のこと、追加 – さらなる情報、歓迎

(徳生)

ここまできたらもう一つ知りたい。 さすが浅野君、原曲はわかりました。でもあの素晴らしい和訳はいったいだれがやってくれたのでしょう?

(浅野)

その日本語歌詞(和訳ではないような?)は幾ら調べても不明です
アメリカ民謡としか出てこない・・・歌詞(正確には歌手によって違うようです
が)を添付します。この英語から下記のような日本語の歌詞にするなんて
天才としか思えないのですが・・・?
またしても余談ですが、ガールスカウトやYWCA(ボーイスカウト&YMCAでは不明)では下記の「我が寂しき山小屋」として手振りを含め頻繁に歌われているようです。

古びしわが山の小屋
みすぼらしくとも こころやすけく
ひごとのかては まずしく
ふしどをめぐりて ねずみたわむる
古びしわが山の小屋

まるきのはしらに ガラスなきまど
やねよりもれくるふぶき
こうやをさまよう うえしおおかみ
古びしわが山の小屋

我が寂しき山小屋

https://www.youtube.com/watch?v=IOvNeo-M124

山小屋に一人住む 寂しさよ
やつれ果てし 我が姿
鼠の行き来するよ あのふし戸
我が寂しき山小屋よ
ガラス無き窓 ただひとつあり
隙間漏れ来る北風
野獣の足音さえ聞こえ来る
我が寂しき山小屋よ

山の麓 我が牧場の小屋は
いつも楽しい声がする
牛も馬も我に慕いよれば
寂しなど消えていく
大空には雲影湧き出でて
丘にはカモシカの声
森の梢小鳥の声しげき
君よ来たれ山小屋へ

(編集子)浅野夫人はガールスカウトでご活躍を続けておられます。 寂しき山小屋、よりKWV定番のほうがなんとなくあかるくっていいかなあ。

“古びしわが山の小屋” の原曲はこれです (44 浅野三郎)

”西部魂“を観てないし聞いていないので何とも言えないのですが・・・
「古びしわが山の小屋」の原曲は”Little Old Sod Shanty on My Claim”
または” Little Old Sod Shanty”のようです。1880年頃の曲。