”麒麟は来なかったか” 拝読しました (33 小川義視)

「麒麟は来なかったか」興味深く拝読しました。
今回の大河ドラマは明智光秀という事で中部に在する小生にとっては関心深く、どのようなドラマの展開になっていくのか全編を見ました。特にエンディングの本能寺の変をどう締め括るのか興味深く、ジャイさんの感想と同様に今まで見てきた通俗的なシーンにならなくてある意味ホッとしております。ジャイさん曰く「麒麟を連れてくることができなかったという悔恨の情が信長の最後を遠巻きに見ていたシーンによく表れている」。同感です。あらためて最後のシーンを見直した次第ですが、三年後まだ存命していた噂があったという事は全く知らなかったです。光秀生誕の「明智の庄」は塾創立150年リレー踏破の第6ブロック中仙道の道中にあり、今は亡き妹尾リーダー率いる「アサ会」が歩いた第1・2班の道中近辺にあります。この東農地区では昔から光秀は名君として評判高く、世間で通説となっている悲劇的、ネガティブな人物とは捉えておりません。
また今回のこのドラマで「麒麟」が中国神話に由来し、キリンビールのラベルも此処から来たことを始めて知りました。
ところで麒麟が来たかどうかはジャイ・オジイさん同様の感想です。家康が築いた3世紀にわたる江戸時代はまさに麒麟を連れてきた安定した世の中だったと思います。大陸覇権を夢見た秀吉の失政から鎖国政策を貫き、この時代に育まれた江戸文化の数々は「麒麟」のお蔭だと思います。

 

時は移り現代は平和ボケといわれるほど落ち着いた75年となっておりますが、これも敗戦によって憲法が改正され戦争を放棄したお蔭に過ぎません。ジャイさんの最後「それが麒麟のせいだというかどうかは別だが・・・」。この僅か75年は麒麟のお蔭ではないと思います。しかしジャイさん・菅チューさんの云われる通り「我らの生涯は最良の年だった」ってことになるんじゃないかな。…」まさに同感です。しかしスペイン風邪から100年近く過ぎた今日の世界的なコロナ禍、何かを示唆しているような気がしてなりません。人類の横暴が招いた災禍というか、コロナ終息後「麒麟」は来るでしょうか?米中の覇権争いのなか我が国は何処に向かっていくのでしょうか?