扇沢ーKWV三田会22年度夏合宿の記憶

KWV三田会の夏合宿が3年ぶりに復活した。しかし今年は参加に躊躇があった。なんといっても3年間の自粛の間に体力気力の激減を感じていたし、自分の年齢と過去の経験を振り返ってみて、老害とまではいかなくても、若い連中に迷惑をかける前に潔く引退する時期になったのではないか、という気持ちが強かったからだ。このもやもやした気分に踏ん切りをつけてくれたのが、送られてきたコース案内の中に見つけたある地名だった。

扇沢。

白馬岳に端を発する後立山連峰は本州を二分するように南下した後、鹿島槍をすぎて西側に向きを変え、針の木岳からクランク状に再び南下する。この曲がり角に位置する爺岳から流れ出すのが扇沢という急流である。今は黒部ダムへのアプローチルートとして広く知られるようになった地名だが、僕には全く違った意味を持って記憶されているところなのだ。

慶応高校に進学した1951年、クラス担任が故片倉康寿教諭だった。片倉さんは日本アルピニズムの創立者の方々、三田さんとか槙さんとかの山歩きはこうだっただろう、と思わせる、クラシック・アルピニストというべき経験と風貌を持っておられたが、この1年の夏、年来の付き合いだったという地元の老ガイドとふたりでクラス仲間十数人を白馬へ連れて行ってくれた。信濃森上から栂池を越え大雪渓を下るという標準コースだったが、これに興味を覚えた8人ほどの仲間が片倉ファミリーとして2年の夏には白馬―針の木、3年次には剣立山から黒部へ降りて針ノ木、卒業の春にはまだ雪も深かった丹沢、と旅を重ねることになった。

その2年夏のプランのとき、今となってはなぜだったか記憶がないのだが、途中で下山を余儀なくされ、その時下ったのが扇沢、だった。沢下り、といっても岩好きの連中がイメージするようなものではなく、ただ急峻ででかい石がごろごろした、しかし最高に旨い水の流れ、と言った方が正解だったろうが、初心者のわれわれには、澤を下る、という言葉の響きが何か特別に聞こえたものだった。その興奮が終わった後、7月の容赦ない炎天下をただひたすら歩いた。バスがあったのかどうかも覚えていないが地図にある大谷原、という部落名に覚えがあったから、このあたりまでは歩いたのだろう。

こう書いてしまえば、山を歩いた人ならなんともつまらなく、アタリマエのことで、おそらく SO WHAT ? と思われるに違いないが、扇沢、という地名が特別に記憶されるには理由がある。そのことを書こうと思う。

2年の春、当時4年生の金井先輩に金峰山へ連れて行っていただいたことがある。いつでもダークグリーンのシャツに黒いベレーが実によく似合っていたロマンチスト金井さんの山歩き論というかセンスは僕のあこがれになった。金井さんが勧めてくれ、今では “北八ツ彷徨” と並んで僕の本棚で別格の雰囲気を持っている名著、加藤泰三 ”霧の山稜“ のある章に、 (一夜を過ごしたテントを撤収したら、小さなくぼみがあった。張るときには気がつかなかったくぼみだが、それは今は、僕に印象されたくぼみなのだ) という一節がある。数多くの木版画(加藤氏はその才を惜しまれつつ戦火に倒れた版画家だった)や、エスプリの利いた文章の中で、どういうものかこの一節が僕の記憶にある。つまり、扇沢、はあまたある無名の沢の一つに過ぎないが、”僕に印象された沢“、なのだ。

前にも書いたように、この沢そのものに何があるわけではない。まして、その地名を借りて、かつては大トンネル工事のための重量車両がうなりを上げた道路が作られ、その結果、名前が天下に出ただけで、この道路があの沢の流れにつけられたというわけではない。路線バスに乗っている間、必死になって窓の外を見ていて、ときどき、樹林の裂け目に白く砕ける流れがひらめいたり、ゴロゴロした石が散見されるたびに。(あ、あれがそうか)と勝手に決めつけて納得した。これが扇沢との再会、にすぎなかった。では、なぜ、この沢が 僕に印象された沢、なのか。

さきに書いた、片倉さんに連れて行ってもらった第一回のアルプス行は、だれにでもあるだろうある夏に起きた一つのエピソードにすぎなかったのだが、この第二回目の縦走行とはじめての沢下り、という体験は僕の心の中にはっきりと(登山)という概念を植え付けた。それは第三回目の立山―針の木の旅、特に黒部の急流をロープ頼りに必死で渡り、針の木の大雪渓を恐る恐る降りた、その経験で絶対的なものになり、大学進学と同時に(ワンダーフォーゲルという活動がある、ということは片倉さんから教えられていた)何の迷いもなくKWVへの入部を決めた。同じことがこの二つの旅を共にした3人のクラスメート、浅海昭、田中新弥、故飯田昌保に伝染したのだった。そして彼らと僕はあの ”扇沢下り“ という小さな偶然から、生涯の友として生きてきた。

間もなく完結する自分の人生航路を振り返ってみて、いくつかの偶然としか言えない事象がその後のコースを決定した、という事実に改めて驚かされる。その中でも自分の大学生活イコール社会生活のコースまで決めたのがKWVでの4年間であり、そのきっかけとなったのが片倉さんとの三つのアルプスの旅であったことをしみじみとありがたく思う。その中で、闇雲に歩いただけの “あの扇沢” は、まさに“僕に印象された沢” なのである。

 

 

表銀座縦走行    (42 保屋野伸)

槍ヶ岳といるか岩

KWV夏合宿に併せ、同期3名で北アルプス表銀座縦走に挑戦してきました。

7/19 中房温泉泊 7/20 合戦尾根経由、燕山荘(燕岳往復) 7/21 表銀座縦走(大天井岳経由)常念小屋泊

7/22 常念岳往復→一の沢・・・タクシーで穂高駅 車で同行者(下村)の別荘(原村)泊

7/23 観光(安曇野公園、大町・山岳博物館)後、KWV合宿BC地(黒部ビューホテル)泊

7/24 同期3人(うち女性2人)含め6名で原村へ移動~女性1人を加え7名泊 夜は大宴会(菅谷君のギターと山の歌)。

天気に恵まれた素晴らしい山旅でしたが、正直80才近い老人にはかなりハードな山旅でもありました。・・・もう高山は卒業? ただ、KWVの宴会や原村での大合唱等、しばらくはコロナ感染を心配しなくてはいけませんね。

(斎藤)皆さん、すごい!です。
どのくらいの荷物を背負っていかれたのでしょうか。羨ましい限りです。
こうして写真を見てしまうと、心がうずきます。

(編集子)恥ずかしながら小生、北、南とも、一番有名な2つのコースを歩いていない。北ではこの表銀(この呼び方はKWVだけか、それとも一般化されているのかまだ疑問があるが)、南では鳳凰三山である。鳳凰は4,5年前のOB合宿で機会があり、勇躍して申し込んだら、時の事務局(確か憎き石田久男だったか?)から、ジャイさん八ヶ岳山麓の ”平地散歩” をやってください、とされ、機会を失って、酷暑の昼日中、谷筋でオオムラサキを追いかける仕儀となった。それなりに面白かったが、(いつでも行けらあ)と高をくくっている間に今日まできた。もう無理だろうな。我が小さなセカンドハウスにいる限り、いやでも目に入る山波として満足することになりそうだ。表銀、にいたっては、まあ、絶望。保屋野め、いい恰好しやがって。

エルヴィス(プレスリーではない)礼賛の追加   (41 久米行子)

我が家のPCは持ち主と同様に老朽化をきたしておりまして立ち上がりが極端に遅く最近は、受信メールはどこでもメールでチェックしております。これが又、字が小さくその上とんでもない広告ばかり入ってまいりまして NOW! のジャイさんからのメールを見落としておりました。

映画「ELVIS」私も主人と一緒に観に行ってまいりました。映画館に映画鑑賞に出かけるのは2年半ぶりでしょうか。まず、Elvisファンとしましては形からとグレースランドを訪れた際に購入致しましたTシャツとElvisのトートーバッグを持ってはせ参じました。

ウーン、Elvis役のバズ・ラーマン概して評判が良いようですが線が細いのとカリスマ性には少し欠けていてイメージが湧きません。映画はジェットコースターのようなスピードで進み、いささか喧噪気味。その中ではElvisファンの中では昔から嫌われ者のマネージャー役のトム・パカーの役をトム・ハンクスのそっくりぶりとその好演でグンと格が上がった感じ。Elvisのマネージャーがビートルズのマネージャーのブライアン・エブスタインのような人であってくれれば音楽面の他の部分でElvisも成長できたのではないかと残念に思えることです。その俗物であくどいトム・パーカーの描き方そして演じ方は素晴らしく感じました。

しかし、この映画をご覧になった小泉さんのようなクラッシックファンの方がElvisの魅力に魅かれたという感想を持たれたとか、何よりもそいう反響が嬉しい事ですし、この映画をきっかけにElvisに興味を持たれてElvisの音楽を聴いてみたいと思う人がでてきてくれたら素晴らしい事です。ラストではElvis亡くなる2か月前の最後のステージでピアノを弾きながらUnchaind Melodyを絶唱する本人の姿が映し出されます。容姿は目をそむけたくなる変わり方ですが歌唱力は全く衰えていない胸を締め付けられるような歌いっぷりにElvisファンとしては、よくぞこの場面をラストにもってきてくれたと多くの不満も解消した気分で映画館を後にしました。Elvis 万歳!!

(編集子)ま、小生は  Jailhouse Rock くらいで十分だけど。我が高校時代の記憶に Presley はまだ新しい。

電力問題について―水力発電の可能性をめぐって

電力問題に関する新聞の論調を見ていて、なぜ日本で水力発電が話題にならないのか?という素朴な疑問にぶち当たった。多くの人はあまり興味がないだろうし、と思いながらそれでもいろんな分野での経験がある友人にメールを送ってみたら、予想外に多くのご教示をいただくことができた。その知見をもとに、小生なりの理解をまとめてみた。

資源小国の日本が武力による紛争解決を破棄し、世界の工場として経済大国の一つに数えられるまでになったというものの、今回のウクライナ紛争がきっかけで、いざとなった時に我々は祖国を守れるのか、という大問題に直面しているわけだが、安全保障や防衛問題は別として、外国からの資源供給を絶たれた時、一番に直面するのがエネルギー供給の問題であることは多言を要しまい。生活の大前提が電気の供給にある現在、電力の確保という事は何にもまして重要なことのはずだ。さらに、現在だけでなく、近未来まで見通したとき、その対策はどうあるべきなのだろうか。我々が電気というエネルギーを得る手段について、ポイントをわかりやすくまとめた表を探してきた。それを下記にあげておく。

 特徴課題
火力・燃料があれば安定的に発電できる
・出力の調整が容易
・エネルギー変換効率が良い
・制約が少ないので発電所が設置しやすい
・温室効果ガスの抑制
・必要な燃料の国内調達
水力・再生可能な国産クリーンエネルギー
・エネルギー変換効率が高い(80%)
・開発初期費用の低減
・発電のための降水量の確保
・ダム建設地域の環境や住民への影響の最小化
原子力・燃料の備蓄性が高く、安定供給可能
・温室効果ガスをほとんど排出しない
・大気汚染の原因物質を排出しない
・放射性廃棄物の安全な処理
・有事の際の被害の最小化
・徹底した安全対策による高コストの改善
太陽光・再生可能な国産クリーンエネルギー
・光熱費削減
・エネルギーの消費を監視/制御しやすい
(HEMS、CEMSなど)
・災害時に強い
・発電のための日光量の確保
・発電パネルの耐久性強化
風力・再生可能な国産クリーンエネルギー
・昼夜を問わず発電可能
・発電コストが低く、費用対効果が高い
・発電のための風量の確保
・台風など強風時の故障対策強化
・経年劣化によるメンテナンス費用の低減
・ブレードの騒音など、周辺環境への影響の最小化
地熱・再生可能な国産クリーンエネルギー
・発電量が天候に左右されない
・昼夜を問わず安定して発電できる
・発電に使用した蒸気は、温泉や
農業用ハウスなどに再利用も可能
・発電設備の建設に必要な調査や
掘削作業等に伴う導入コストの低減
・地熱資源の80%以上が国立公園の敷地内に存在
・用水還元による地下水汚染の可能性の最小化
・発電効率の改善

発電の手段としてはまだまだ研究中のものもたくさんあるだろうが、とりあえず話をこの表から始めてみる。この中で太陽光発電を別にすると、ほかの手段はすべて現在実用化されている発電機、という機械をどうやって動かすのか、という話である。乱暴に言ってしまえば、高校の物理で習ったあのフレミングの法則というやつ、磁界の中でコイルを動かすと電気が引き起こされるという仕掛けの延長で、”どうやってコイルを回転させるのがいいのか“ という選択だと言ってもいい。そういう目でこの表を眺めてみれば、水と急峻な河川に恵まれた日本でもう少し知恵を働かせれば、水力発電が一番いいように思えるのだがどうなんだろうか、というのが筆者の疑問点だった。

まず挙げられるのがその施設として必須であるダムの建設に関する問題である。建設コストがかかる、というのは、ダムを眺めるだけで理解できる話だが、そのコスト、の中にかかわってくるのが、ダム建設によって生じる自然破壊とか該当地域住民対策という要因だ。誰でもわかるのがいわゆる水利権、というやつだ。ビッグビジネスを引退、故郷で農家生活を楽しんでいる友人は “山口・防府の家内の里は、いまだ、3.5反(約3,000㎡)の田を保有しており、長年、休耕田の状態ながら、水利権だけは確保している”、と言っていて、これから我が国に現存する休耕地のほとんどが同じような状況なのだろうと推察される。黒部ダムができたのは関西電力がかの地の水利権を有していたからだということだが、この狭い国土がさらに細分化されている現実からは、大規模なダムの建設の困難さは、たとえば政治問題化した八ッ場ダムのことを思い出すだけで十分だろう。ブラジル生活が長かった同君は、“パラグアイとの国境にあるブラジルのイタイプ発電所は、中国の三峡ダムが出来るまで、世界最大の発電能力(確か1,400万KW)を有していた。表現のしようのない、とてつもなく、巨大なもので、広大な国土を有するブラジルとか、土地を強制収用してしまう中国のような所でないと、本格的な水力発電は無理だろう” と悲観的だ。

それに対して、同じようにブラジル滞在が長かったほかの友人は “農協など地元の説得、 立退きなどの問題が解決できれば小規模発電ではなく中規模発電も充分候補地があるのではないか?小規模発電で地方の需要をカバーするのは大いに有益だと思う” という意見だし、具体的には “急場を凌ぐとすれば、自分の使う電力は自分の地域からという意識で、揚水発電(500MW~1000MW)を大都市周辺に作ってはどうか” という提案もある。

このあたりの発想を専門的な立場からみるとどうか。

工学部出身で専門的知見の持ち主(のはず)の友人のひとりは、現在早急の問題は地球環境問題(炭酸ガス排出)の解決であり、そのために電力の供給源として今使えるのは原子力発電しかない、と冷静だ。彼の主張は原発には確かに廃棄物処理という大問題はあるが、シナリオを明確にして緊急的に活用し、その間に送電線問題を解決し、揚水発電や新電力の登場をまつべきだ、と手堅い。そして、電力設備の充実には時間がかかることを明記せよ、とも警告する。またプラントメーカー大手で現場を数多く経験し、技術的側面に詳しい友人は、前記のようなアイデアとして提起された、いわば分散的な解決案について次のように述べる。

「発電」には小なりといえども「キカイ」が必要になります。「星の数ほどある『小落差』」をいちいち発電すると「小さなキカイ」が星の数ほど必要になります。将来エネルギーコストが値上がりして(ウクライナ戦争の結果としてロシアが責任を負うベきとかそういう問題ではなく)小型発電機のコストは無視できると言える社会が到来したとしても、その無数の水車発電機のメインテナンスを誰が請け負うのか? その問題を解決するために「水をダムで一カ所に集めて、大きな発電機」によるシステムを形成していると考えます。つまり一般的には集中によってメインテナンス等の費用が合理的範囲に下げられるためと考えられます。各家庭の屋根に設置する太陽光発電機があまり普及しない理由の1つに「メインテナンスを誰が行なうのか」という問題があるそうですが、これも「分散に伴う問題点」の1つと考えられます。

もう一つ、我が国だけに特有な事情かどうかは分からないが、行政上の問題がダムの建設、結果的には水力発電のコストを押し上げているのも良く知られている通りだ。八ッ場ダムの騒動一つをとってもどれだけの無駄があったのか、想像するだけでむなしい気がする。KWV37年卒の菅谷君は盟友・故福永浩介君が人吉市長のころ、20年前に提案した熊本・球磨川の「川辺ダム」は周辺の住民の反対で棚上げとなっていたが、彼の死後急転換、漸く着工、完成は何時の事か?と嘆く。また,前記した友人はプラントメーカーの立場で遭遇したほかの経験を書いている。

「自由と民主主義」を標榜するわが国では、「極めて小さい個人の自由と権利」が集まると「社会的な合理性」を阻む力となっていることも確かです。僕は「成田空港」へ千葉港から空港までの航空機燃料輸送パイプラインの敷設プロジェクトを担当した経験がありますが、地下に埋設する管路の「通行権」を獲得するのに、事業主が大変苦労するのを見てきました。我が国では大変な作業でした。

このあたりの現実について、KWVOBの安田君経由、行政の立場から担当官であった方のご意見を頂戴することができたので、原文を転載させていただく。

「小規模水力発電」に関し、私の知っていることをお答えします。私は、土木工学を学び運輸省で勤務しましたが、建設省河川局で本省課長を務めたこともあります。その当時は環境問題を契機に「脱ダム」が主力で、民主党政権下でついに「八ッ場ダム」が建設中止に追い込まれました。さて、水力発電は、水を高いところから低いところに流し、水車を回して発電します。河川の水には「水利権」が設定されています。大量の水利用権は、飲料水、農業水に与えられ、発電水を確保することは大変です。江戸、明治からの古い慣例に縛られており、これを打ち破るのは大変です。利水権の確保が難しいことが、小規模水力発電の普及を阻害している第一の要因です。次に費用効果です。河川の流量は、春夏は水量が豊富ですが、秋冬は、水量が大きく減ります。電力は安定的に供給する必要がありますが、渇水期に水量を確保しなければいけません。このため、堰やダムで、夏季に水をためておく必要があります。小規模な施設では十分な水量確保が難しく、一般的には、費用効率が悪くなります。石炭、LNGにはかないません。近年、脱炭素化の一環で、国土交通省も「小規模水力発電」の普及に従来よりは力を入れ始めていますが、電力供給を行う民間企業が、なかなか対応できていない状況です。繰り返しですが水量を得る諸調整、手間暇が大変。費用が収益に見合わないからだとも思われます。ただし、脱酸素化で、「太陽光発電」「風力発電」には、多額の公共支援がされています。発電会社は、高額で買いとることが義務付けられています。小規模水力発電により多くの公的資金導入があってもよいと思われますが、まだ目は向いていません。さらにいえば、黒部ダムのような大規模な水力発電ダムの建設を国施工で、公共事業として行うことも考える時期かもしれません。個人的には、「原子力発電所」よりはよいように思われます。

電力の供給についての議論もさることながら、一方、現代社会であまりにも電力を使いすぎていないだろうか、という事はエネルギー政策についてと同様、地球環境の観点からも考え直す必要があるだろう。東日本大震災の後、東京でも節電のための照明やネオンサインの節減などが実施された。たしかに”暗い夜”ではあったが、明らかな効果があったのは衆目の一致するところだろう。特に小生が疑問に思っている数点を挙げてみると、たとえばライトアップという手法で、当初はごく限られた場所や機会だけで限定的だったのが、昨今はやたらとあちこちで散見するし、街中での大掛かりなパチンコ店やゲーセンの店名表示灯も目につく。また自動販売機もいまや日本がj普及度世界一らしいが、あんなに林立させる必要があるのだろうか。某大手飲料会社の役員だった友人に聞いてみると、2018年度我が国の自販機などの設置台数は240万台で月額電気料金は1台当たり2千円から3千円くらいとされているが、彼が現役だったころは250万台、コストは8千から1万円、とされていたので、省力化、低コスト化は進んでいるが、昨今の対面販売の激減やキャッシュレス現象もあり、ソーラー電源の販売機も出現しているので、この数自体の減少はないのではという。門外漢の小生の目につかないところで、まだまだ節約の可能性はあるのだろうが、節電、という対策の深化を期待したいものだ。

現実はエネルギー小国である日本にはまだまだ厳しい。当初の表に述べたように、再生可能な資源を使えるまでにしない限り、アラブの油、ロシアのLNG,などなどのリスクファクターの高い現状の綱渡りは解決しない。一方ではITだSNSだという響きのいい経済活動におされて、電波資源の野放図な乱用が進んでいくという現実もある。家庭電器を中心とした節電設計もあるが、”新”エネルギーの開発が急速に進化していくことを祈らざるにいられない気がする。この分野について、この稿をきっかけに識者各位のご教示を待つことにしたい。

(安田)電力は、「空気」と同様、現代社会、人類には不可欠。蓄電は効果的な手段の一つとなり得る可能性はあるが、「蓄電技術」の開発は遅々、大規模な蓄電は当分の間期待できない。「リサイクルエネルギー」の太陽光、風力、水力、地熱は、自然が相手で不安定で、自然環境破壊の問題もネックとなり得る。さらに増やせば増やすほど電気代は高くなる。直ぐには電力供給の主力にはなりえない。あくまで脇役。「原子力」は、日本国民の選択。強い拒否感を有している国民が一定存在する。こうした現状を見ると、今後10年程度は、「脱炭素化を中断する」ことを選択せざるを得ないのではないかと考える。お金さえ出せば入手できる「LNG燃料」、そして供給不安のない「石炭燃料」による「火力発電」を中心とした発電を続けること以外に選択肢はないように思われる。国民は「脱炭素化というきれいごと」より、「日々の生活」を最後は、優先すると思えてならない。謂わば「背に腹は変えられない」妥協をするのではないかと予想する。そして今後10年の間に、その先を見据えたもっと抜本的な施策の青写真を描き、長期計画を構築して実行に移す準備が果たしてできるであろうか?

(船津)電力会社は可成り先までの経済情勢など判断して給電計画を立てているから今まで不足なくすんできているわけです。処がガラリと世界情勢が代わり、政府のエネルギー計画が迷走では電力会社も困惑。早く政府はエネルギー計画を確立して世論に説いて推進しないと間に合わない。当分節電でしょうか。
我が「泣きの姉ヶ崎火力発電所」先ず稼働ですかね。原子力は世界的に中々推進は難しいと思われる今、ドイツがどうするか、が手本になるかも。

 

乱読報告ファイル  (26) ウインズロー ”犬の力”   (普通部OB 菅原勲)

ドン・ウィンズローの「犬の力」(原題:The Power of the Dog。2005年。翻訳:東江一紀、角川文庫)を読む。余計なことだが、東江は「あがりえ」と読むんだそうだ。原題は、ジェイン・キャンピオンが監督し、ベネディクト・カンバーバッチが出た映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(2021年)と全く同じだが、その原作ではない。小生にとって、ウィンズローは、初作「ストリート・キッズ」(A Cool Breeze on the Underground。1993年)以来だから30年振りと言うことになる。先に言ってしまえば、その作風は、所謂、探偵小説から全く様変わりしてしまった。

「犬の力」と言う言葉は聖書が出典で、それに馴染んでいる人にとっては知悉していることのようだが、日本人である小生には全くピンとこない、犬の糞なら良く分かるが。どうやら、邪悪の象徴と言うことを意味しているらしい。上巻が574頁、下巻が467頁、都合して1041頁もあって読みでがある。いささか手に余ったが、極めて平易な文章で歯切れよく、大変、読み易く、面白かった。

内容は、米国人の麻薬捜査官とメキシコ人の麻薬王兄弟の争いを軸にしたもので、数多の脇役がからむ。そのことによって1000頁にもなんなんとする長尺となってしまった。

兎に角、「清く、正しく、美しく」ってな人は一人も出てこず、過激で理不尽な暴力と殺戮に満ち溢れ、セックスの描写がふんだんにあるなど、誠に凄まじく、犬の力シリーズは、このあと「ザ・カルテル」、「ザ・ボーダー」と三部作になっているようだが、一度読んだらもう結構と言う類いのノワール(暗黒小説、或いは、犯罪小説)だ。まー、万人にお勧めする本じゃない。一方、こう言う類いの本が滅法好きな奇人もいるようで、宝島社の「このミステリーがすごい!」では、2010年の海外編1位となっている。ただし、これをミステリーと断ずることには大きな違和感がある。

リドリー・スコット監督、米人の麻薬捜査官をレオナルド・ディカプリオで映画化(「ザ・カルテル」)ってな話しもあったようだが、立ち消えになったのか、ネットを見ても、いずれの作品一覧にも載っていない。或いは、現在、まだ製作中なのか。

エーガ愛好会 (161)  11人のカウボーイ   (34 小泉幾多郎)

主演のジョン・ウエイン1907年生だから、制作1971年ということは64歳。冒頭から、まだまだ溌溂としており、暴れ馬の調教中。其処へ雇人達5人が戻って来て、近くに金鉱が出たことから、辛い牛追いより金鉱探しの方へ出て行ってしまう。650キロ離れた町まで、1500頭の牛を運ぶ予定の牧場主ウエイン(ウイル・アンダーソン)は致し方なく、旧友のスリム・ピケンズ(アンス)の助言から、少年たち11人を雇い、特訓しながら、牛の大群を運ぶことになる。これぞ本当のカウボーイ?頑固一徹な老カウボーイとキャトルドライブに雇われた少年たちとの交流を描いた作品となった。

この過程で、牛の暴走、砂嵐、牛泥棒との戦闘等が、あのジョン・ウイリアムスの勇ましく軽快な音楽に乗って展開されて行く。途中、少年が演奏するヴィヴァルディのギター協奏曲もあるし、黒人コックのロスコ―・リー・ブラウン(ジェベダイア・ナイトリンガー)との交流等から、少年たちは試練を乗り越え立派に成長して行くというのだが、どうにも気に入らないのは、途中で、あの伝説ともなるべき、西部劇の不滅のヒーローであるジョン・ウエインを卑劣なる牛泥棒ブルース・ダン(ワッツ)に呆気なく殺させてしまうのだ。それも空身での格闘の後、銃を持たない丸腰のウエインを背後からの数発で、地面に這いつくばらせるという考えられない死に方で。指導者たるウエインを失った少年達は復讐を成し遂げ、盗まれた牛を取り返すことにより、立派な大人に成長したということで、めでたしということだろうが、何となくスッキリしない。復讐するための死を賜る俳優がウエインである必要があったのか。まだまだいたいけな少年たちが数人もの牛泥棒達を惨殺に近い形で殺す必要まであったのか。どうにもめでたしめでたしという感覚にはならない作品だった。

(菅原)小生も見ました。ただし、全部ではありません。ブルース・ダーンがジョン・ウェインに挑むちょっと前あたりからです。
小生の印象は、ウェインも老けたな。それに対し、ダーンは、いくら足掻いても、所詮は、ただのチンピラ。両者の間には、月とスッポンほどの違いあり。だから、ウェインが油断したんで、何でもありのダーンが、卑怯にも背後から射殺したんじゃないでしょうか(昨日の奈良を思い出します)。

従って、子供たちが、ダーンを頭とする牛泥棒を皆殺しにしたのも頷けます。ウェインがやられちゃったら、全面報復しか残されていないでしょう。

安倍元首相暗殺事件:欧州での反応  (在パリ:平井愛子)

日本の参議院選挙中に安倍元首相は殺害されるという信じられない出来事に言葉がないくらいショックを受けました。こんなことが日本で起こるのだと。蛮行に及んだ男の母親は統一教会だそうです。韓国で集団結婚式をあげる変なカルト教団という事しか知りませんが、何とも短絡的な犯人の発想です。安倍さんは度々この教団でスピ-チしていたそうで、これも首をかしげるものです。

フランスの友人達からお悔やみを言われました。フランスでは日本の首相の中では人気があるのです。でもこの暴力の裏に何かありそうです。今後ちゃんと解明できれば良いのですが。
イギリス人の友人に、ボーリス・ジョンソンが辞職したことを私が思わず“当然の流れよね”と言ったら、これでイギリス中がホッとしているところだ、と返事が返ってきました。

世界の平和への道のりはあまりにも遠いように思います。
安倍元首相の冥福をお祈りいたします。

(斎藤)情報ありがとうございます。

おかしなことに、日本では、特定の宗教団体という言い方で、宗教団体名は一切明らかにされていないんです。ツイッターなどでは統一教会だと断定する投稿が多いですが、これが日本のマスコミの状況だと思います。安倍元総理がその団体で講演を重ねていたという情報も、一部のマスコミを除いて、ほとんどふせられています。事件当日は、政治に対する攻撃という触れ込みで発言する政治関係の方が殆どで、マスコミもそれを訂正する報道は見かけませんでした。
昨日の参議院選挙では、自民党が大勝で参議院で単独過半数を超えました。この事件が投票行動に影響をしたという分析もあり、またこの後3年間、日本では、国政選挙と言われる大規模な選挙は無いということです。自民党はじっくり国造りを進められるのではないでしょうか。

(安田)参議院選挙の自民党大勝に、古代中国三国志の故事「死せる諸葛孔明、生ける司馬仲達を走らす」が思い起こされた(優れた人物は死んでも生前の威風を備えていて、生きている者を恐れさせるというたとえで、既に亡き人物が生きている人物に大きな影響を与えることの喩えとして用いられる)。安倍晋三が優れた人物かどうかは甲論乙駁あろうが、彼の非業の死が判官贔屓の日本人の琴線に触れて選挙結果に影響を及ぼしたのは間違いないだろう。死が最大の選挙応援効果を産んだとは、こんな皮肉なことはない。

素人目にもテレビに映る警備の貧弱さと脇の甘さには驚いた。平和ボケした安全な国神話の無意識な驕りと危険を想像・予知する能力の欠如は明らか。案の定、アメリカの専門家から日本当局の稚拙さと無防備さが厳しく指摘された。「覆水盆に返らず」、事が起こってから猛省するのでは遅すぎる。覇気・緊張感・規律のややもすると欠け気味な日本社会の縮図の一つではなかったかと思わせる。
一方、知る人ぞ知る安倍晋三と統一教会の癒着について、一番関心があるのは、なぜ新聞・テレビ・マスコミが「統一教会」の名前を発表しないのかの点に尽きる。愛子さんご指摘の「統一教会」の大会にビデオメッセージを送っていた事実なども伏せられている。統一教会の創始者・文鮮明と安部の祖父・岸信介元首相の親密度を示したのが左に示す写真。
統一教会は闇に潜む「鵺」(ぬえ)のような存在であろうか?マスコミが公に発表しない(出来ない)理由とは何なのか?明らかにすることを良しとしない政府権力の圧力であろうか?安倍晋三と統一教会の関係とは何だったのか?報道の自由を保証する自由民主主義国家・日本において権力に屈することなく、真実を詳らかにする使命を負うマスコミの鼎の軽重が問われている
銃を自作するほど暗殺に執着した犯人の安倍晋三に対する殺意の本質は一体何だったのか?母親が統一教会信者で、息子(犯人)もかつて信者だったが、分派サンクチュアリーに移籍し、激しく対立したと伝えられている。オーム真理教の悪夢が蘇る。息子にすれば、母親を取られ家庭崩壊を招いた恨みの矛先を安倍晋三に向けたのであろうか。だとすれば、我々一般市民が知り得ない、安倍晋三の教会に於ける隠然たる影響力が恨みの原因だったのであろうか?それほどまでに彼は関与していたのであろうか?
(船津)今回のメディアの報道については何か不思議な感じがしますね。皆各社警察発表の通り「統一教会」の名前を伏せて報道した。安倍さんを狙撃した山上容疑者の供述、多くのメディアは、安倍さんと宗教団体が関係していると「一方的に思いこんで」凶行に及んだ、と報じている。事実なのか?警察取材としても、この表現は適切なのか?あまりに腰が引けている。真実は???
(編集子)単なる素人の推測にすぎないが、統一教会と北朝鮮体制の密着が公然の秘密である以上、これをあらためて公にすれば平壌は得たりとばかりに(日本人はその失敗を我々のせいだとするのか)とあらがうのは目に見えている。このことが長い間の問題の解決を更に遠ざける、という事への危惧があるのではないか? この場合にも 死せる孔明 のたとえはあたはまるのだろうか?

エーガ愛好会  (160 プラスワン) プレスリーだってば! (34 小泉幾多郎)

今年に入って、初めての映画館での映画鑑賞は「エルヴィスElvis 2022 」。

エルヴィスと言えば、Mrs.KOBUKI がエルヴィスと呼び、絶対にプレスリーと呼ぶことは厳禁と声高に叫んでいたことが思い出されます。当然この映画はご覧になってる筈ですから、感想を聞きたいものです。今回初めて気が付いたのですが、生年が1935年とは 私と 同じということでビックリ。西部劇の「やさしく愛して1956」や「監獄ロック1957」「ラスベガス万才1964」等は観ましたが、それ程の関心はなく、逆に今回この映画を観て、その魅力に魅かれた感じ。

「ムーラン・ルージュ2001」「華麗なるギャツビー2013」のバズ・ラーマン監督が同じ時代を生きてきた光と影の伝説を華麗なるミュージカル映像で蘇らせてくれた。エルヴィスを演じたオースティン・バトラーが素晴らしい。殆んどエルヴィスになり切っているが、ボーカルトレーニングなど役作りに2年を費やしたとのこと。このオースティン・バトラーにとって幸運だったことは、「ボヘミアン・ラプソディ2018」で主役ラミ・マレッタにフレディ・マーキュリーを完全にコピーさせたポリー・ベネットが、エルビスのムーブメント・コーチとして動きの振り付けを担当してくれたこと。お蔭で動きが自然と自分の一部になったと述懐している。監督はバトラーの歌とエルビスの原曲の両方を使用し、若き頃はオースティン、晩年はエルヴィス自身の声と両方を巧みに使用した。また強欲なマネージャーをトム・ハンクスがあくどい語り部として物語を進行させて行く。前半腰を振りながらの熱唱で女性ファンを熱狂させるシーンも素晴らしいが、後半マネージャーが企画するクリスマスソングを放棄し、暴力への否定のメッセージ明日への願いIf I can dreamを歌い、ラストでは、ラスヴェガスでの圧巻のステージ、薬によって膨らんだ顔からは汗が噴き出し、孤独に震えるUnchained Melodyを歌う姿はエルヴィスの姿に重なり胸を締め付ける。

(パリから:平井)私も見ました。オースティンはエルヴィスの役を演じきって、撮影が終了した後動けなくなって1週間入院したそうです。そしてトム・ハンクスはこの役の為に真剣に肥ったそうです。壮絶な映画でした。エルヴィスは天才、でもエルヴィスの人生は大悲劇でしたね。3時間もあっという間でした。でも私とドリスはトイレに行きたくなり、終わった途端に混むことを予想して席を立ったのです。ガードマンに後どの位で終わるのかと聞くと、後10分だ というのです。戻ろうかとも思いましたが、天才故に薬漬けにされて死んで行くところを見るには、忍びなく心が苦しくなるようでしたので、私たちは映画館を後にしました。ラストはラスベガスの圧巻のステ-ジだったのですね。小泉さんのおかげでフィルムの最後がわかりました。これで安心しました。ありがとうございます。

(編集子)ドクター小泉の原稿には上記太字で示した部分が偶然か故意か抜けていたので最適解と思われる文字を追加しました。ミセス久米の滔々たるエルヴィス賛歌を聞きたいもので。パリジェンヌはどっちなのかなあ。

糖分制御の現実 (7月7日付本稿補足 ー 齋藤博)

(編集子)齊藤リポートに従って、ここのところ ”大岡越前を見ながら紀文のちくわを肴にジントニックをすする” という典雅かつ知性的な日課を則、中止した。これで(糖分制御に)効果があるんでしょうな、サイト―さん!

(斎藤)紀文のちくわ竹笛は、1包装あたり4本入っていて、原材料は、
魚肉(たら(アメリカ)、いとより)、卵白、でん粉、砂糖、発酵調味液、食塩、ぶどう糖、植物油/調味料(アミノ酸等)、加工でん粉、貝Ca、(一部に卵・大豆を含む)です。

明確に炭水化物に分類されるのは、でん粉、砂糖、ブドウ糖、加工でん粉ですね。発酵調味液や調味料てのは、謎の物質ですね。何でしょうかね?

さて、1包装あたりの成分は、
エネルギー 134kcal
たんぱく質 14.6g
脂質 0.5g
炭水化物  17.7g
食塩相当量  3.1g
です。ちくわ1本あたりの炭水化物量は、おおよそ4.5gと考えます。炭水化物量の中には、糖質の他に食物繊維も含まれていますが、ここは、炭水化物量=糖質量と考えてしまったほうが、身の安全につながります。(データは、紀文の商品ページより(https://www.kibun.co.jp/products/all_166890a/index.html

次に、ジントニックですが、サントリーのレシピサイトでは、ジンが45ml、トニックウォーター適量って書いてありますね(https://cocktailrecipe.suntory.co.jp/wnb/cocktail/recipe/gin_tonic/)。男の隠れ家デジタル版では、ジン30ml、トニックウォーター120mlと書かれています。ジン1に対して、トニックウォーター4だそうです(https://otokonokakurega.com/learn/ippin/56448/)。

ご自分でつくられる場合は人により千差万別でしょうが、今回はこのレシピをもとに考えます。トニックウォーターは100mlあたり9gが糖質ですから、一杯120mlだとすると、糖質量10.8gと計算できますね。

どうでしょう大岡越前を見ながら、少なくとも15g程度の糖質を摂取していることになりますね。こうやって計算してみると具体的にわかるんですが、1日の砂糖摂取量は、きっとWHOのガイドラインを大きく超えてしまっていると想像できますね、ジャイさん!

(編集子)ふーん。ってわけだそうですぜ、オガワさん!

エーガ愛好会 (160) エルヴィス    (HPOG 小田篤子)

関心のある方はあまりいないかもしれませんが…。

監督はBSで放映されたばかりの「華麗なるギャツビー」のバズ·ラーマン。封切の1日は隣で夫に少し寝てしまわれました…(前日に4回目モデルナを打った事も影響していたのかもしれませんが…。)
菅井さんのメールにもありました❬IMAX❭で2回目を観てきました。立川、立飛のシネマは9:20からのみの上映なので、少し早起きをして行ってきました。
サーカスや地方巡業のショウなどの興行師で、あまり音楽のことは知らないトム·パーカー(トム·ハンクス)に目をつけられ、マネージャー契約を結びます。

段々、エルヴィスは目指す音楽とはズレが生じ、母親は精神を病み早くに亡くなり、社会的に叩かれたり、入隊、離婚、海外公演が出来ない、望まない映画に出る、薬漬け、破産…と孤独になっていき、42歳で亡くなります。

トム·ハンクスはやはり大物、いつもより太めの体で悪そうな表情を上手く演じています。エルヴィス役のオースティン·バトラーは、少し細面でお化粧がちょっと濃いのですが、段々似てきて、私の知るフィルムや写真の中のエルヴィスと、声、動きや表情がそっくりでとてもキュートでした。
***********************************
         エルヴィス・プレスリーの有名曲は?

ラヴ・ミー・テンダー (全米1位)                                  ハートブレイク・ホテル (全米1位/全英1位)                 ブルー・スエード・シューズ                       アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー (全米1位)   ハウンド・ドッグ (全米1位)                        冷たくしないで (全米1位)                        恋にしびれて (全米1位/全英1位)                      テディ・ベア (全米1位)

***********************************

(保屋野)エルヴィスと云えば、今日意外な発見がありました。

ここ3日間、NHKBSでハワイの特集(ハワイアン音楽やフラ)を放映しているのですが、今日、ビデオで2回目を観たらエルヴィスの代表曲「ブルーハワイ」が、1930年代の「ビング・クロスビー」のカバー曲だと始めて知りました。

エルヴィスファンの方ならご存じだと思いますが・・・ただ、大ヒットとなったのは、やはりエルヴィスの映画のおかげでしょう