ウンチの話です    (普通部OB 篠原幸人)

毎日うだるような暑さが続いています。皆さん、当然ですが体調には十分気をつけていますよね。コロナ第7波の足音が大きくなってきました。大きな波になりそうですね。コロナにしろ、他の病気にしろ、自分の身体は自分で守る、自分でしか守れませんよ。これは忘れないでください。

前回は血液や尿から「がん」が分かる話をしましたが、思ったより皆さんの反応は少なかったですね。高価で、夢物語と思ったかな? でも近い将来、必ずこの時代は来ますよ。読み直してくださいね。 今日はもっと現実的な、皆さんが自分の大便や尿にどんな注意を払ったらよいかという話をします。

大便や尿は、入院でもしていない限り、皆さん自身以外には誰の目にも触れません。排便・排尿後、自分の身体から出たものを見る権利を持っているのは世界広しといえども、貴方だけなのです。臭いとか汚いとか言わないでください。たった数秒前までは貴方自身の体の中にあったものです。

まず「ウンチ」の形・色を、毎回ジックリ入念に観察する癖をつけてください。お尻を拭いた紙は静かに横の方に落とす習慣をつけてください。理想的な「ウンチ」は、黄色か茶色バナナのような色と形です。まっ黒じゃないか、表面に血は付いていないか、下痢していないか、食べたものがそのままの形で出てきていないか、コロコロして固すぎないかなど、時間をかけて小学生の理科の宿題の時のようによ~く観察してください。自分のお子さんやお孫さんの尿やウンチだと手についても平気なのに、自分の身体から出たものが臭いとか汚いと考えるのは自分の便に対して失礼でしょう。でも、まあ臭いものは臭いやね。

他人の便まで仕事上、観察しなければならない病院の看護師さんたちの気持ちにもなってください。貴方の便の回数や形や色を、特に定期的に外来を受診している方は、訊かれたら、いや訊かれなくてもおかしい時は、医師に報告してください。

 排便は出来れば毎日(週2-3回でも問題ありませんが)同じ時間帯に欲しいですね。しかし、規則正しく毎日決まった時間に起き、食事をとり、仕事に出かけていたころはともかく、引退してだらしのないふしだらな生活に入ると、排便も不規則になることが多いと思います。中には最近、いつ排便したか忘れている人もいます。特に、高齢になると、腸の動きも衰えてくるので便秘がちの人も増えてきます。朝食が終わったら、便が出なくてもトイレに座る習慣をもつのも良いでしょう。無論、寝る前でも結構ですが。

便秘の治療には以前は漢方薬やマグネシューム薬が定番でしたが、今は全く作用機序の違う,クセになりにくい新しい薬も出てきています。便秘がひどい方は念のためかかりつけの医師に一度は相談すべきです。恥ずかしいと、市販の薬だけに頼ってはダメですよ。慢性の便秘から腸閉塞になる人もいるんです。薬以外の便秘の治療には昔から、運動(一日30分または週3回60分以上の歩行)、良質な睡眠、水分や乳酸菌を十分とる事、食物線維を多くとるのが良いと言われています。でも食物繊維を多く含む食事が本当に良いかどうかははっきりした証明はなされていないようです。軽い便秘なら牛乳一杯や夕食時のニンニク2粒で良くなることもありますが。

年をとると大腸のカハール細胞というものが減少します。それが大腸の動きを悪くしている原因の一つですが、以前にお話ししたフレイル・サルコペニア・骨粗鬆症の方も便秘を合併することが多いですね。便がそれほど固くなくても、便を出す力が年と共に低下するのです。下痢や便秘でなくても、便がイカ墨も食べていないのに真っ黒、あるいは真っ白、または血が混じっていることがある方は当然すぐにかかりつけ医に相談してください。但し、貧血のため、鉄剤を常用していると真っ黒な便になることもありますよ。

尿も毎回、色や出方をよく見てください。回数が少なく、色が濃くなっているようなら脱水の兆しかもしれません。水分補給が必要です。肝臓が悪いこともあります。排尿痛は無論のこと、排尿中に尿が何回も途絶える、あるいは尿線は細くなる場合も要注意です。

年をとってからの頻尿にはお悩みの方も多いでしょう。特に夜間、排尿の為に2・3回以上起きる方は、まず両足ふくらはぎに寝る前にシップ薬を貼ってみる、あるいは寝る前に両足に弾性ストッキングを履いてみることから始め、効果がなければ泌尿器科の先生に相談してください。市販の漢方薬がよく効いたという人も中にはいるようですが。無論、濁ったあるいは赤い尿が出ることは、膀胱炎・腎結石や「がん」などの危険信号です。

すみません、今度は中性脂肪の話です  (会社時代友人 齋藤博)

病院で血液検査をすると中性脂肪という検査項目があります。基準値は、空腹時30~149mg/dlとされている場合が多いと思います。基準値内と言えども安心はできないと言うショックな情報を見てしまったので、中性脂肪のことを書きます。その記事とは、空腹時中性脂肪の値が80程度の基準値内であっても、2型糖尿病を発症するリスクがあるというNIH(アメリカ国立衛生研究所)の文献です。2085人を対象として追跡した研究で解析した結果です(人種差はあるのかなと、かなり気になります)。

随分前の話ですが、友人が健康検査で、中性脂肪が高いので、脂質摂取に気をつけるようにと指摘されたと聞き、それはひどい医者だな、その医者に診てもらうのやめたほうが良いよと言ったのを覚えています。項目名が中性脂肪だから、脂質の摂取増で数値が上がると考えているんだと、単純に思ったからです。
大正製薬のエパデールTという薬のサイトにも、書いてありますが、”中性脂肪が高いというのは血液中の中性脂肪の量が増えすぎている状態のことを指します。炭水化物を摂ることでも中性脂肪は増加します”と書かれています。
https://brand.taisho.co.jp/epadel-t/column/010/
随分と曖昧な言い方で書かれていますが、それに続く後ろの文章を読めば、炭水化物の摂取が増大したから、その結果、生理的なメカニズムとして、中性脂肪値は上がると指摘しています。

炭水化物とは、糖質と食物繊維のことで、過去にトニックウォーターも糖質を含んでいるとお話しましたが、
ご飯、パン、パスタ、ピザ、そば、うどんなどの主食、
イモ類(菊芋は除く)、
バナナやイチゴなどの果実、ジュース類
ビール、日本酒などの非蒸留酒
は、多くの糖質を含んでいます。

食品を手にとって栄養成分表の糖質量(炭水化物量でも構わない)を確認する癖が大事ですね。糖質量とは別なのですが、「果糖ブドウ糖液糖」などと原料部分に書かれていたら、可愛い孫にせがまれても、そんなお菓子や飲み物は買わないという選択をしたほうが得策です。糖質を少なくしたら、子供が切れなくなったと言う話も聞きます。最近ではペットボトル症候群という言葉さえあります。アルツハイマー型認知症は3型糖尿病とも言われるようになっています(脳の神経細胞が糖化反応により不可逆な変性を起こしている)。摂取していけないわけではありませんが、程々に。

なお、とっても緩いのですが、WHOは2015年に、「成人及び児童の糖類摂取量」というガイドラインを発表しました。その中で、糖類摂取量摂取量を1日25g(ティースプーン6杯分)程度に抑えるようにとしています。糖類とは、皆さんが普通に使うお砂糖の事と考えて良いですね。正確には、単糖類(ブドウ糖・果糖等)及び二糖類(しょ糖・食卓砂糖等)のことです。

(編集子)齊藤リポートに従って、ここのところ ”大岡越前を見ながら紀文のちくわを肴にジントニックをすする” という典雅かつ知性的な日課を則、中止した。同好の士である名古屋の小川先輩も同調されたよし。これで効果があるんでしょうな、サイト―さん!

エーガ愛好会(159) 7月4日に生まれ   (普通部OB 船津於菟彦)

オリバーストーン監督の駄作ですね。何となくあれこれ取り混ぜていますが。著名な映画評論家のジョナサン・ローゼンバウムは本作品に対する批評において、「B級映画につきものの陳腐な結末、至る所にちりばめられたわざとらしい盛り上げシーン、障害者となり人生に絶望したベトナム帰還兵のトラウマが自伝を著し有名人になっただけで克服できるという嘘くさいメッセージ」について指摘している全くそんな映画で楽しめるという要素が少ないのが残念。終盤の展開にイマイチ感を感じてしまった。映画としてみるのには、すこし残念なところがあった。ややガッカリ。

1946年7月4日、アメリカの独立記念日に生をうけたロン・コーヴィックは、ロングアイランド州マサピークアでその少年時代を送っていた。ケネディ大統領の、自由の存続と繁栄についての演説の中、7歳のロン(ブライアン・ラーキン)は、野球に夢中になる一方、戦争ごっこにその愛国心を芽生えさせていた。すっかりスポーツマンに成長した高校時代のロン(トム・クルーズ)は、ある日学校にやってきた海兵隊の特務曹長(トム・ベレンジャー)の言葉に感銘をうけ、プロムの夜、憧れていたドナ(キーラ・セジウィック)とのダンスの思い出を胸に、64年9月、子供の頃からの夢であった海兵隊に入隊した。そして13週間の訓練を経て、ロンはヴェトナムの戦場に身を投じるのだった。67年10月、軍曹になったロンは、激しい銃撃戦の後、部下を率いて偵察に出かけ、誤まってヴェトナムの農民を惨殺してしまったことを発見し、ショックをうける。そしてこの混乱に乗じて襲いかかかってきたヴェトコンの姿にパニック状態に陥ったロンは、部下のウィルソン伍長(マイクル・コンポターロ)を射殺してしまう。罪の意識にさいなまされるロンに、上官は口外を禁じるのだった。そして68年1月、激しい攻防のさ中、ロンはヴェトコンの銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負ってしまう。ブロンクス海兵病院に運び込まれたロンは、怪我をしても人間らしい扱いをしてもらえないここでの苛酷な現実に、ただ絶望感を募らせるだけだった。69年、故郷のマサピークアに戻って来たロンは家族に温かく迎えられるが、ヴェトナム戦争を批判し、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きなショックをうけるのだった。この年の独立記念日に、在郷軍人会主催の集会の壇上に立ったロンは、戦場のトラウマが蘇りスピーチを続けることができなかった。シュラキース大学にロンはドナを訪ねるが、彼女も反戦運動に加わっていた。世間の冷たい風当たりに、ロンは次第に酒に溺れ、両親(レイモンド・J・バリー)(キャロライン・カヴァ)の前でも乱れ続けるのだった。苦しみから逃れるように、70年にメキシコに渡ったロンは酒と女で孤独を紛らわせる。しかしここで知りあったチャーリー(ウィレム・デフォー)の厳しい言葉に目が覚めたロンは、自堕落な生活と訣別し、ウィルソンの両親を訪ね罪を詫びるが、返ってきたのは優しい慰めの言葉だった。72年、苦しみの中で人生の意味を誰よりも強く知ったロンは、反戦運動の先頭に立ち、マイアミのニクソンを支持する共和党大会に乗り込み、戦争の悲惨さを訴えた。そして76年、自らの戦争体験を綴った『7月4日に生まれて』という本を出版し、大反響を呼び、その年の民主党大会で彼は演説をするため、その壇上に立つのだった。

トムクルーズは一応熱演しているが、やや台本が良くないですね。
それにしてもアメリカと言う國は「西部劇」のように東から西へと「原住民」を駆逐して「銃の力」國作りをして、そして戦争による世界最大の戦死者と言われる南北戦争。そして第一次世界大戦。そして太平洋戦争。よせば良かったのにマッカーシーの続きで共産党嫌いが「ヴェトナム戦争」のドロ沼に突入していく。
その裏には大統領選挙が総てつきまとう。民主主義つてなんだと言いながら突き進んでいく!大統領選挙の度に「民意」とやらに引き回され国民は巻き込まれていく!不思議な國ですね。

(菅原)一言で言えば、オリヴァー・ストーンって奴は、甚だ胡散臭い輩。

八ヶ岳南麓から   (グリンビラ総合管理ブログより転載)

現在の外気温18度、曇り空となっています。9時頃には雨の予報、台風影響は今夜から明日になりそうです。

さて、葡萄の作業もあと少しで袋掛けとなります。袋掛けが終わると、収穫まで防除作業となりますので、一息つけるようになります。現在、葡萄の粒は硬いのですが、収穫期が近づいてきますと葡萄の粒に水が廻り柔らかくなります。

エーガ愛好会 (158)  アウトロー    (34 小泉幾多郎)

クリント・イーストウッド監督主演の西部劇。
冒頭父親であるジョージ―・ウエルス(イーストウッド)と息子が楽しそうに農作業に励み、自宅から母親の呼ぶ声が聞こえると銃声がとどろき家は焼かれ、母と息子は殺され、父親も大怪我を負う。南北戦争末期から、北軍の名を借りたならず者集団が略奪を繰り返していたらしい。この父親、もともと銃の腕はあったのか訓練したのか、復讐の鬼となって南軍ゲリラ部隊に所属し活躍する。戦争が終わり、南軍は北軍に投降するが、ジョージ―だけは従わない。こんなことがあったのは信じられないが、北軍は約束を無視し、投降した南軍を皆殺しにしてしまう。その場に駆け付けたジョージ―が負傷した若者(サム・ボトムズ)を助け、復讐の旅が始まる。

南北戦争終結のミズーリからテキサスへ。北軍から逃げながらも、西部の景観を堪能しながらの動きは、晴れ晴れとした気分を 満喫させてくれる。最初にチェロキー族の元首長(チーフ・ダン・ジョージ)と親しくなるが、老人の息子として生まれ直していくような感情を覚える。この原作がネイティブアメリカンのフォレスト・カーターということも、イーストウッドの先見の明が窺われる。この元首長、インディアン女、廃れた街の人々、老人の女性とその娘(サンドラ・ブロック)等様々な人々との絆が深まっていく。最大の絆は、白人に騙され続けられた先住民コマンチ族との対立もあるが、酋長テン・ベアーズ(ウイル・サンプソン)は、ジョージ―の心からの言葉を信じ、平和に共生を誓うことになるところは、「ダンス・ウイズ・ウルブス1990」以前に、インディアンとの平和的接触による解決が示されているようだ。

アウトロー、ジョージー・ウエルズであるが、どうやらアウトローは一人ではない。旅で出会った人全てが、アウトロー。法の下で保護を受けない人達を指しているようだ。差別、偏見を持たない男として描かれている。何故かいくら撃たれてっも彼には弾が当たらない。仲間の素人の撃つ弾は悪人連中にはよく当たる。ということで復讐は成功する。最後ジョージ―・ウエルズは死んだことにされ、賞金リストから外される。家族を失った復讐鬼が新たな家族を得、平和と共存と融和の中に生活していくハッピーエンド

自分なりの終活。体力・知力・意欲の維持に心がける (36 大塚文雄)

85歳が近くなり、世の中の流れに押されるように終活を始めた。

1.墓じまいからスタートした。

我が大塚家の墓は東京都が松戸市に作った遊園地墓地「八柱霊園」にある。子供は娘3人なので大塚家は私の代で幕を閉じて、いずれは無縁墓地になる。そうならないようにしなければと前から思っていた。八柱霊園には合祀墓がありこれを活用することにした。合祀墓は個々の墓地に眠っている霊を一つの墓に集めて霊園がみとってくださる制度で、他にも広く普及しているようだ。今回は父・母・幼くして亡くなった二人の姉妹が合祀墓に移り、いずれは妻も私も合祀墓で4人に会うことになる。

父親の代からお世話になってきた「石やさん」に墓じまい全体のとりしきりをお願いして、いまは東京都公園協会と手続きを進めていただいている。

2.次は、ダークダックスにワンゲルの借りを64年後に返した話。

50年以上も昔、New York赴任中に集めた300枚ほどのLP Recordの整理・処分に着手した。New Port Jazz Festivalやカントリーの総本山Nashvilleで手に入れたものとか、小澤征爾さんのご活躍に刺激されて聴きまくったクラッシなど名残り惜しいものばかりで手放したくはないけれど、LPプレーヤーがなくなり、聴けないものをいつまでも保存しているわけにはいかない。整理をしていると、1968年と1969年にダークダックのメンバー4人がマネジャーもつけずにNew Yorkにこられた際にいただいたたサイン入りLP Record3枚と、一緒に観たMusicalのPlaybill(プログラム)が目についた。

ジャケットを眺めているうちにこんな会話が記憶によみがえってきた。ケネディー空港から市内に向かう車の中で、私がワンゲルOBであることが分かると、ゲタさんが、「ワンゲルが山小屋建設の資金集めのために開催した”映画と歌の会”で何回も歌った。出演料は ”小屋ができたらご招待します”だった。今日まで招待されていないな。ダークダックスはワンゲルには貸があるよ」。

いまがその借りを返すときと考えて、「特定非営利活動法人 ダークダックス館林音楽館」に経緯を書いて寄贈したいと申し出ると、喜んで受け取ってくださった。昔のLPが結構な人気を博しているようだけれど、大事にしてくださる方の手に渡るのが一番。Countryも「涙がでるほど嬉しい」と言う方に引き継いでいただいた。ダークダックス館林音楽館は「株式会社館林うどん」が地域活動の一環として設立したらしい。同社の社員や地域ボランティアの手で管理・運営をされているようで、ネット検索してみると「株式会社館林うどん」の小暮社長が代表者を務めておられる。後日、小暮社長より「館林うどん」を返礼として頂戴した。戦時中に群馬県の北方に疎開して、うどん、そば、お焼きが主食の2年間を過ごしたこともあり、うどんは大の好物で、舌も群馬の味を覚えている。「館林うどん」は格別の味だった。

  1. いまは現役時代にいただいた名刺の整理と本の処分に取り組んでいる。

78歳まで仕事をしていたこともあり名刺の枚数は半端でない。殆どはゴミ箱行きで、ときたま手元に残すものがでてくる。「二度と読むことはないな」と思う本は読後に捨てる習慣でやってきているので、それほどの量はない。しかし、まだ生きているのだから全部処分することはできない。着るものもそうだ。

  1. ここまで断捨離まがいの終活をしてきて、終活マニュアルを開いてみた。

自分の考えている終活とはずいぶん違っている。あるいは昨年の夏から今年の春まで激痛を伴う左股間接拘縮症で苦しんだために、自分の終活観が生まれたのかもしれない。

それぞれの人にそれぞれの終活があるはずで、自分の終活には過去の整理と、今から死ぬまでの間の活動があると考えるようになった。過去の整理は断捨離をして、終活マニュアル通りに書き残すことだから、始めればすぐに終わってしまう。これから死ぬまでの間の活動が難しい。いつ終わるか分からない人生終盤の活動が難しい。自分にとって大切な終活は、可能なかぎり人の手を煩わせずに日常生活を過ごせる体力・知力・意欲を維持することだと思っている。左股間接拘縮症で苦しんでいる間に、日常生活で人の手を借りる申しわけなさと、自分に対するはがゆさを何度も感じたことからのレッスンでもあろうか。

  1. 体力・知力・意欲のうち、経験的に最初に来るのは体力で、3か月後の今日の体力が今現在の体力と同じであることを目標にしている。

しっかりした食事をとり、億劫がらずに体を動かして体力を維持すれば、知力と意欲は自然とついてくると思っている。長年、厚生省推奨の「一日30食材を食べる」を目安にバランス良い食事を目指していて、「体力の基は朝食にあり」と思っている。何故なら、朝食に15種類は食べないと30種類は絶対に無理なことが経験で分かっているからだ。

2~3年ほど前にフォミュラーを確立したけれど、毎日30種類はとても遠くて、多いときでも28種類程度だ。これにカルシュームとビタミンCのサプルメントを入れてごまかし30種類にしている。朝食以外ではユックリと食べることと、ベジファーストを習慣にしている。加えて、ジャイのブログから学んだ朝食後の体温測定を欠かさず行い記録し、1週間ほどさかのぼって変化の有無をみている。そのついでに血圧も計っていて、「体調管理完璧」と自己満足している。こうしたことが残り僅かな人生をどれだけ豊かにしてくれるか分からないけれど、真正面から取り組んでいきたいと思っている。

(追記:体調は8割がた回復し、今は週1回ずつ、体幹矯正の骨盤体操、筋肉回復の機械体操と、楽しみのテニスに通っています。写真は自宅でストレッチボールを使い骨盤体操の復習をしているところです。)

エーガ愛好会 (157) セーブゲキのトリビアふたつ

小泉さんの最近の投稿 マグニフィセントセブン の注記で、ローズバーグを架空の街だ、と書いた。これを書いた時には、かの 駅馬車 で御者のアンディ・ディヴァインが行先をローズバーグ!と怒鳴るのだが、これが ROSEBERG かROSEBURG のように聞こえ、こういう町はない!と思い込んでいたのが先入観としてあった。ところが先日、読売新聞に今回の米国での妊娠中絶違憲論の記事で州別にその対応を色別に著した地図があり、州名がわからない部分があったので手元にあった米国地図と見比べていた時、偶然にローズバーグという記載があるのに気がついた。この地名は LORDSBURG という綴りで、現在のニューメキシコ州の、アリゾナとの州境に近く、メキシコとの国境とも同じくらいの距離にある。フォード作品によく出てくるリオグランデ河からもあまり遠くないから、西部劇の舞台としてはうってつけの場所だろう。。

米国版グーグルによると、この街はヒダルゴ郡の州都で街の創立は1880年、現在の人口は3000人くらいであるそうだ。1880年、というタイミングだが、駅馬車 のイントロ部分で “カスター将軍の全滅が西部に伝わり現地で不安が高まっている” という時代背景が説明され、そのニュースを伝える電信のモールス符号が効果的に挿入される。ダコタ州リトルビッグホーンで第七騎兵隊が全滅したのは1876年6月25日だから、この時点でこの街にいく駅馬車路線があったかどうかは分からないが少なくとも架空の街だった、と決めつけたのは小生の早とちりだった。

米国版ウイキの記述によると、この街は第二次大戦中ここに住んでいた日系人二人が虐殺されたという史実で知られている、というが、西部劇映画に登場した、という記述はない。念のため同じUSグーグルで、あらためてROSEBERG または ROSEBURG を探してみたらオレゴン州はそういう街があるそうだ。もし 駅馬車 が オレゴントレイルでの話だったら(リメイクのアレックス・コードものは舞台をがらりと変えてワイオミングの森になっていた)、この推理(?)は成立したかもしれない。荒野の七人 シリーズはメキシコと切り離せないストーリーだから無理だろうが(ただし、コメント後半のサンタテレサにかかわる話は正しい)。

今日(7月1日)放映の リバティバランス、後半の1/ 4 くらいなんとなく見てしまった。たぶん4回目くらいになるのだろう。以前書いたがリー・マーヴィンが決闘に出かける直前、ポーカーをしていて、最後にできた手がエースと8のペア、deadman’s hand であることを確認した。US版グーグルにはさすがに詳しく解説があったが、そもそもは開拓期の西部の英雄だった ワイルド・ビル・ヒコックが1876年8月2日、ダコタ州デッドウッドで裏切り者に背後から撃たれて死んだとき、持っていたカードがそう呼ばれるようになったのだそうだ。その組み合わせは ダイヤとクラブのエース、クラブとスペードの8,それとビルの血に染まったスペードのクインだったという。この話は 駅馬車 でも同じく使われたことは以前にも書いたことだが、フォードは小道具としてこういう伝説に忠実だったようだ。

駅馬車とこの映画はほかでも縁があるようで、名ばかりの善人保安官をやるのはおひとよしの御者だったアンディ・ディヴァイン、最後近くに議員選挙で敵側の演説をするいかさま紳士が過去を背負った南部の貴族を演じたジョン・キャラダインだった。ついでに言えばマカロニウエスタンのヒーローになったリー・ヴァン・クリーフも出ていた。”フォード一家” の出演だが、フォードが気に入ったリー・マーヴィンとウエインは全く気が合わなかったそうだ。どうでもいいことだが、それをいったらおしめえよ、というのがトリビアの世界だわな。

 

”エーガ愛好会” 初顔合わせ開催

いつが正式?なオープニングだったかすでにあやふやなのだが、念願の顔合わせ会を開いた。猛暑の中、ほぼ全員が楽しい時間を持つことができた。同窓会とかなんとかのよくある集まりではなく、うまい例がみつからないが、かの あしながおじさん の結末のように、メールでしか知らない仲間と会って、(あ、こう言う人だったんだ!)という、小生が細々と続けているアマチュア無線でいう Eyeball ミーティングであった。次回は忘年会で鍋でもつつこうか、という話が不思議ではなかった。

写真後列左から 安田・林・関谷・小泉(KWV OB), 齋藤(筆者会社時代友人)、保屋野(KWV), 菅井(会社同僚)、レストラン ”ヴァンサン” オーナシェフ城(じょう)悦男氏、前列小田・金藤(会社同僚)、児井(大学クラスメート)、筆者、菅原(普通部時代友人)、飯田(大学クラスメート)。

色覚異常 ということについて   (会社時代友人 齋藤博)

色盲、色弱、色神異常、赤緑色盲と言う言葉をご存知だと思います。
私が大学に入る頃、理学系の学部を志す人たちで、これらのような人たちは受験できないとか、自動車運転免許は取れないとか言われていました。入社試験でも、この件は聞かれました。

2005年に日本眼科学会は、色盲とか色弱などの言葉をすべてやめ、「色覚異常」に統一したそうです。それでも、ネガティブな印象があるため、もっとよい言葉を検討しているようです。

この日本眼科学会のウェブページでは、目の病気「先天性色覚異常」(https://www.nichigan.or.jp/public/disease/name.html?pdid=33)の項目で、詳しい内容を説明しています。
一方、日本眼科医会のウェブページ(https://www.gankaikai.or.jp/health/50/index.html)には、「色覚異常と言われたら」というページがあって、詳しく説明されています。その最初に、「ゴッホやウイリアム・ターナーなどの有名な画家も色覚異常だったといわれています」と記載されています。

一般色覚者の見え方
色覚異常の見え方

20年ほど前に、ウェブ上で動くアプリケーションを開発する仕事をはじめました。その頃に、カラーユニバーサルデザインという言葉に気付き、例えば赤色を赤色と見えない人たちも同じアプリを使えるようにと、色合いの設定に腐心していました。色々なツールを使って画面がどう見えるかを確認しながらアプリを開発していたのですが、ずっと気になっていた事が、一つのテレビ番組を見ることで、腑に落ちました。数日前、録画していたNHKの「ヒューマニエンス クエスト」の「”目” – 物を見抜くセンサー」の回を見て、「色の見え方も個性があって、共通性がありながらも多様性がある」と知りました。

生物学的には、ヒトの眼球の網膜の奥には、2種類の視細胞(桿体と錐体)があって、その中の錐体細胞というのが色を識別する細胞だということ。
・その錐体細胞は、色を示す波長域によって3種類の細胞があるということ。長波長(L)、中波長(M)、短波長(S)を感じる3つ。
・3つの錐体細胞の、どれかの錐体が機能していない、あるいは、なかった(欠損)ことで、色の見え方は変わるということ。

すなわち、
それぞれが持つ錐体の特質によって、ある人は赤く実る果実を見つけやすいが、草むらに潜む天敵を見分けにくいと言う特性が生まれるので、果実を見つける役割を分担して生きてきた。つまり、人類に進化してゆく過程で、
「いろんな色覚型がいた事で、人類は絶滅を免れて生き延びてきた」と言う話がされていました。う〜ん、認識を新たにしました。LGBTQではありませんが、色覚の異なりも、認識すべきことなのですね。実際、血液型のABO型と何ら変わることがないのかもしれません。