KWV同期の仲間で、月に一度、高尾山くらい歩こうぜ、と気楽にはじめた “月いち高尾” という行事が、1年も続けば上出来、と思っていたのに後輩の年代からうわさを聞いて参加してくれる人が増え、いまでは言い出しっぺの我々(昭和36年度卒)とは現役時代会うこともなかった ”若い“ 諸君が主力となり、毎回参加が増え、リーダーも僕らの用語でいう ”50年代“ に移ってOB仲間の交流の場として定着した。僕らKWV卒業生にはOB会の存在が何よりのものだと改めて感じる。
この種プランでもちろん欠かせない二次会、その定番となったJR高尾駅南口にある 天狗飯店、通称テング、は中華料理店、といいながら日本蕎麦からデザートまで豊富なのだが、そこで壁に貼られたメニューを冷かしているうちに “汁粉と と ”ぜんざい” はどう違うか、という議論になったことがあった。居合わせた40年卒、通称 “あいちゃん” こと藍原瑞明君が律儀にこの事情を調べてこのブログに投稿してくれたことがあった(2018年1月21日付本稿)。大体がのん兵衛仲間で出来ているプランでこの種の話題自体、珍しいのだが、日ごろからのほほんとしている(ように見える)”アイちゃん” の意外な几帳面さを発見して一同感心したものだった。
さて浮世はお彼岸とあって、9月20日付け読売新聞のコラムに彼岸のお供え物に関する記事が掲載された。その書き始めに、・・・・ぼた餅かおはぎか、和菓子として同じものだが・・・・とあったので、この汁粉ぜんざい論争?を思い出したというわけだ。新聞記事の中でもこの種のコラムを書く人は論説(社説)を担当する人が其の新聞の表の顔とすれば、裏の顔と言われるくらいのベテランであるのが通例である。読売でここを担当しておられる方を存じ上げているわけはないのだが、たびたび心に響く記事を多く拝見したり、なるほど、そういうことかと納得することもたびたびある。
今回の記事は彼岸にちなんだ話で、それによると、この時期に登場することが多いぼた餅は春に咲く牡丹、おはぎは秋に咲く萩の花にちなんだもので、江戸時代には同じものを夏には 夜舟、冬に 北窓 と言ったそうだ。餅米を突かず、つぶして作ることから “着き知らず” の夜舟、寒いときにはこれを ”月知らず“ の北の窓、としたという。コトバ遊びかも知れないが、なんとも優雅ではないか。正岡子規は “梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな” と詠んだそうだ。
小生この肝心の彼岸、という行事にいままであまり関心をもったこともないし、父母の墓参りもろくにしていないのだが、(そういえば彼岸だなあ)と気がつけば、ここ数年の間に申し合せたように彼の岸にわたってしまった幾人かの友人のことがなんとなく心に浮かぶ。季節もうつり替わるこのころ、日本という国のもつ優しさみたいなものを感じている。
あすあたり、夜舟、でも買いに行こうか。