合掌・ダークダックスーされどわれらが日々

(飯田〉ダークダックスの愛称ゾウさんの遠山一さんが9月22日に93歳で亡くなりました。これでダークダックス4人が全員、鬼籍に入ったことになります。

パクさんの高見澤宏さんが2011年(77歳)に、ゲタさんの喜早哲さんは2016年(85歳)に、同じ年にマンガさんの佐々木行さん(89歳)が亡くなりました。

いつも穏やかな唄い口で、茶の間に灯を送り続けた65年間の活動歴で、同一メンバーによる最長寿ボーカルグループとして、ギネス世界記録に登録されたりグループとして紫綬褒章を授与されました。全員が慶應義塾大(経済学部)出身のダークのヒット曲は≪ともしび、カチューシャ、トロイカ、雪山讃歌、北上夜曲、森の熊さんなどですが、何んといっても銀色の道≫が良かった!!

https://www.youtube.com/watch?v=y-8ENWr8GTI

(船津)グループ誕生間もない頃銀座ヤマハホールとか慶早戦前夜祭などで熱心に拝聴致しました.未だ若いと想ったら全員鬼籍に入られたんですね。

(保屋野)ダークダックスの「銀色の道」、久しぶりに聴きました。やはり素晴らしいですね。ただ、私は、ダークダックスの最大の功績は、ロシア民謡を日本人の愛唱歌にしてくれたことではないでしょうか。

3大ロシア民謡の「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」の中では「リンゴの花ほころび川面にかすみたち・・・」のカチューシャが好きですがあまり知られてませんが「すすらん」も良い曲ですね。最近は「純烈」何かが人気があるようですが、ダークダックスのハーモニーは不滅だと思います。

(河瀬)懐かしのダークダックス、私たちの時代の4人の哀愁を込めた歌声を、飯田さんの誘導でつい2時間も聞いてしまいました。

「銀色の道」をカラオケで歌うと、決まって仲間がゾウさんの「ぼ、ぼ、ボン」を入れるのを思い出します。そのゾウさんも他界されてしまいましたか。
日本の歌の名曲とロシア民謡はともに哀愁を帯びていて、私の時代にはとても心を惹かれたものです。「雪山賛歌」は我々山男がよく歌ったものです。今日は見事なお月見ですね。「テントの中でも月見はできる、雨が降ったら濡れればいいさ」を思い出しました。そのほか「大牧場はみどり」や「遠くへゆきたい」「エーデルワイス」など、山で歌ったものです。「リンゴの花ほころび」で始まるロシア民謡のカチューシャは日本の歌と間違えるほど日本民謡化しています。保屋野さんが言うようにこれもダークダックスの功績なのでしょう。ダークは直立不動ながら、ちょっとしたしぐさや表情を見せてそれがいいところでした。当時はデユークエイセスも加わって「月の沙漠」などがヒットしましたが、やはりダークの「ともしび」「北上夜曲」など、4人のテノール バリトンバスの揃った歌心に答えるコーラスが最高でしたね。これほど声が揃った正統なグループサウンズは二度と現れないでしょう。

(金藤)小学生の時から、ダークダックスの歌をよく耳にしてきました。私は優しそうな低い声のゾウさんが好きでした最後のお一人ゾウさんも他界されてしまい残念です。スリー・グレイセス、覚えています。子供心に、日本では珍しい歌の上手な女性グループだと勝手に思っていました

(編集子)船津兄の話と相前後しているのだと思うのだが、我々が高校を卒業する機会に、卒業生が集まる機会があったが、一貫教育校のために、大学の卒業式典以外のいわば中継点では、学校では形式的な行事以外、お祝いイベントはあまり積極的ではない。そうはいうけど、おめえよお、なんかやろうじゃんか、というはねっ返りがいたんだとおもうのだが、とにかく、場所も覚えていないが数百人が集まる会があった。その席での司会というか、進行役を小生がつとめることにあいなった。高校生といえどもエンタテインメント界には強い連中(当時のおおまかなくくりでいえばその多くはいわゆる軟派)にそそのかされて男気を出して出たはいいが、(次はダークダックスの番)とプロンプトされてもそんな名前に聞き覚えはなく、ましてメンバー紹介で躓いた。コーラスが終わった後、マンガさん(誰だったかなんてその時は知る由もなし)に呼びつけられて、おめえ、先輩が来てるんだ、名前くらいおぼえとけ、と脅かされたことがある。亡兄も彼らと同期だったはずだが、うん、あんなのたしかにいたよなあ、という程度だった。その後もダークのコーラスはいやというほど聞いたがおれの佐々木先輩の印象は改善しなかった。

ついでに思い出したのだが、このほぼ1年後, 高校卒業生のあいだで実施された行事があり、高校時代にホーケンと呼んでいた放送研究会のワルから、おめえ、頼むから即興劇場ってえのに出てくれ、と頼まれた。売り出し中の女優が来て、ジュリエットの有名な場をやるんだがロメオをやるやつがいねえんだ、頼む、と言われて出てみた。此処でもへえ、こんなお姉さんがユーメイなんかあ、という程度で一応セリフは無事にこなして、ホーケンからは感謝された。その人の名前は黒柳徹子、というのだが。

ウイキペディア解説 ”銀色の道”   NHKの『夢をあなたに』(『夢であいましょう』の後継番組)から誕生し、2グループの歌手の競作となった。最初にダークダックスがテレビ番組で発表したが、レコードキングレコードからザ・ピーナッツが先行して発売(シングル「ローマの雨」のB面曲)し、やや遅れてダークダックスも同じキングレコードから発売(シングルA面曲)した。『NHK紅白歌合戦』では、ダークダックスが1966年の第17回に歌唱した。現在でも両グループのCD全曲集に収録されることの多い楽曲である。