偶々、英国の女流探偵小説作家の本を立て続けに読んだ。「未来が落とす影」(ドロシー・ボワーズ、1939年。翻訳:友田葉子、2023年11月出版、論創社)と「霧の中の虎」(マージェリー・アリンガム、1952年。翻訳:山本俊子、2001年11月出版、早川書房。これは、最近とんとご無沙汰している、小口と天地が黄色に染色されているあの懐かしのハヤカワ・ミステリだ)。
そこで「未来が落とす影」(原題は、Shadows Before)なのだが、小生にとって、この作家は初物であり、1939年と言えば、A.クリスティーが「そして誰もいなくなった」を出版した年に当たる。クリスティーの題名が内容そのものズバリなのに対し、ボワーズのそれは、何やら思わせぶりで探偵小説らしくない。その最大の特徴は、頁を繰っても繰っても、余白が殆どなく活字で埋め尽くされていることだ。解説者は、「女性らしいきめ細やかな描写が更に彩りを与え、・・・これだけ凝りに凝りまくられれば、脱帽するしかないでしょう」と褒めているが、小生にとっては、何やら世に言う純文学めいていて、最後まで読み尽くすのがかなりしんどかった。
それでは、探偵小説としての出来栄えはどうだったのだろうか。これが正に、「九仞の功を一簣に虧く」の典型だった。英国はコッツウォルド丘陵の麓の荘園屋敷で、精神衰弱の夫人がヒ素中毒で死亡し、その犯人は誰なのか。これをロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)のダン・パードウ警部が探って行く。真犯人を探し当てるまでは、しんどいながらも、凝った構成(例えば、手紙文の挿入)、豊富な事件(失踪した隣家の変人、行方不明になったジプシーの老女)、この出来なら、まだ読んでいない三冊(「命取りの追伸」1938年、「謎解きのスケッチ」1939年、「アバドンの水晶」1940年)を読んでみようかなと、強い食指が動いたのも事実だ。そして、確かに、真犯人は衝撃的だった。しかし、その殺しの動機は一体なんだったのかの説明が全くピンとこない。これが犯人だと名指しされ、その名前に衝撃を受けたとしても、その必然性が納得できなければ、意味がないのは言うまでもない。つまるところ、これじゃー、裁判では勝てないんじゃないの。また、解説者が、「ただそれだけに、穴があるのは事実で、“そんな馬鹿な・・・、気づかないわけがないでしょう”とか、“この程度のことで、こんなに何人も殺すの”などといった点が気になる方にとっては、現実離れしていて、減点要素が多いということになってしまいます」とも言っている。要するに、意外な人物を無理矢理犯人に仕立てたとしか言いようがない。
本格探偵小説の世に言う傑作の殆どが紹介され(翻訳され)、一方ではこの論創社を含め未紹介の作家、作品の紹介も相次ぐが、やはりそこには厳然たる差異が存在するようだ。例えば、クリスティーの「アクロイド殺し」、E.クイーンの「Yの悲劇」、S.S.ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」などに衝撃を受けたことに較べると、その出来栄えの差は歴然としている。つまり、面白い探偵小説はあらかた翻訳されてしまっていると言っても過言ではない。
それでは、その「アクロイド殺し」でももう一回読んでみることにするか。その結果、E.ポワロの推理が完全に間違っていたことを発見することになると、「アクロイド殺し」も、俄然、更に、面白くなってくるのだが。
(編集子)そうそう、あの ポケミス の装丁は懐かしい。スガチューが読みなおそうかと言っている アクロイド殺し も小生が読んだのはこの中の一冊だった。ホームズ・ルパン を卒業して初めて読んだ、という意味で小生には特別の思い入れがある メイスンの 矢の家 もポケミス版だった。愛読置く能わない 長いお別れ もそうだ(こっちは人気作なので訳者も3人、すべて読んだが、今回スガチュー発掘のほうはクリスティ時代の希書ともなればそういう選択はないんだろうが)。
グーグルによると、やはり世の中には同好の士が多いと見えて、ポケミス刊行70周年記念でブックカバーが販売されるそうだ。70年、どっかで聞いた響きと思ったら、今週末開催予定の普通部卒業記念同期会、も卒業70年記念。あの年からポケミスとの付き合いが始まったとは偶然であろうか。
(小田)菅原さん:『未来が落とす影』を借りてきました。
図書館の近くにある、英国風のお店「クレアホーム&ガーデン」に寄り、グラスやスコーン等買ってきました。この本もコッツウォルズ
にある荘園屋敷を舞台にしているようで、偶然英国が重なりました。
『伏線を見逃さないよう…表情や台詞一つ一つに注目しながら読み進めて…』と
書いてありますので、注意深く読まなければなりませんね。