朝飯前に30分くらい歩くのを日課にしているのだが、今朝は先日、本稿に書いてくれた飯田君の梅の話があって、今まで前を通っても気に留めていなかった、ある家の梅の老木に気をひかれた。僕の家のある地域は古くから金子と呼ばれていて、江戸時代には結構栄えていたところらしい。京王電鉄が不動産に事業を拡げた初期のころ、このあたりを住宅街として整理し、駅名も現在のつつじが丘、と変えた歴史がある。この家はその中でもわりに最近開発されたエリアなのだが、昔からあったこの老木はそのまま残るようなゾーニングをしたのだろう。樹齢がどのくらいなのか、素人にはわからないが、ひょっとしたら江戸の空の下でもあでやかに咲いていたのかもしれない。わけもなく、なんとなくうれしくなってしまった。
この家を過ぎてすぐ、道は甲州街道に出る。家へ帰るにはこれを右折するのだが、そこを数十メートルあるくと銀杏の大木がある。秋には実に見事な黄金色になる古木で、調布市指定の記念樹になっていた。それがほんの少し前、無残に枝が切り払われてしまった。この樹は往時の金子集落に,何代かにわたって酒の販売店を営んでいる旧家の庭先にある。店番をしている奥さんにきいてみたところ、周囲で落ち葉が大変だというクレームがあって、市が枝を払ってしまったのだというのだが、市が保存を申し出て、天然記念物に指定するまでのことをして、傍には 金子の大銀杏、という看板までたてていた樹なのだから、まさかそれだけの理由ではあるまい。なにか専門的な理由があるのだろうし、やがてまた、もとの、いわば江戸時代から続いてきた見事な姿になるだろう。しかしどう考えても僕の目の黒い間に、あの見事な姿が戻ることはあり得ない。
この樹を挟んで甲州街道に面したマンションに、先週3歳をむかえたひ孫が住んでいる。彼が物心ついて、あの樹はなあに、と尋ねる日も遠くはあるまい。なんだか、歴史の一コマの作られ方を体験した、というか、妙な気分になってしまった早春の朝だった。