PALO ALTO という名のワイン

ここのところ酒瓶のラベルについて何度か書いたが、今日、近くのスーパーでなんと PALO ALTO というブランドを見つけてとりあえずシャルドネを買ってきた.チリ産としてはやや高めの値段である。

サラリーマン生活のほぼ全部をHP(ヒューレット・パツカード)で過ごした小生にとってこの地名は特別な意味を持つ。エレクトロニクス業界の巨人を創立したビル・ヒューレットとデイヴ・パッカードがここパロアルトにあるスタンフォード大学で知り合い、卒業後、ヒューレットが開発、特許をもつ低周波信号発生器を200A という製品名で製造販売を始め、この会社を創設した場所だからである。技術の高さと清潔なビジネス倫理で業界に確かな地位を確立したHP社はほどなく小高い丘の上に本社工場を建設する。“ビルとデイヴ” のオフィスがあるこの場所は社員から敬意をこめてOn the hill といわれ、その絶頂期には ”現代のアラビアンナイト企業”と言われた会社の頭脳であり心臓であった。

現在はいわゆるシリコンバレーと呼ばれ、エレクトロニクスとITを中心にした米国の技術センターの一つになった、サンフランシスコ湾に沿って Bayshore Freeway, US101号線にそって広がるこの広大地域は、僕が初めて行ったときはクパティーノからサンノゼのあたりにはまだ果樹園が広がる、北カリフォルニアの沃野の面影を残していた。日本では経験したことのない自然環境とビジネスの結合体のなかで、いくつか、若い夢を見たことが改めて懐かしい。

僕にとってのサラリーマンライフ心のふるさと、であった on the hill, ページミルロード 1501番地 にすでにHPの本社はない。たしかスペイン語で 高い木 ということを意味する Palo Alto の響きがもう一度聞こえるような気にさせた、新しい出会いだった。

 

エーガ愛好会 (73) ワイルドバンチ  (34 小泉幾多郎)

西部劇に新境地を切り開いたと言われるサム・ペキンパー監督が「昼下がりの決闘1962」で、典型的な西部の正義の老いたヒーローを描いたが、ここでは西部の悪党たちの老いた一党たち、金に執着し悪事を繰り返す無法者たちが友情のために命を懸けて散って行く男の美学を描いている。

冒頭アリの群にサソリを落とし火をつける子供たちの無邪気な姿、何か恐ろしいことが起こる予感がするが、それに続いて、登場するワイルドバンチの一行をストップモーションを駆使してキャストを紹介する演出から始まる。リーダーはあの端正だった美男子の成れの果てのようなウイリアム・ホールデンのほか、アーネスト・ボーグナイン、ウオーレン・オーツ、ベン・ジョンスンという一癖も二癖もあり、善玉、悪玉を体験したそうそうたる初老のメンバーに、唯一の若者ジェレミー・サンチェスこの人だけはじめて、というそうそうたる顔触れ。

この5人が、メキシコ国境のサン・ラファエルに乗り込み、町を荒らすが、町の有力者に雇われたホールデンの昔の仲間ロバート・ライアンや賞金稼ぎたちに一斉射撃を受ける。辛うじて切り抜けた5人だが、実は5人にもう一人いた仲間は殺されてしまう。彼らはメキシコに向かうが、ライアンたちが追跡する。メキシコは、エミリオ・フェルナンデス扮するマバッチの率いる政府軍とパンチョ・ビラ率いる革命軍との戦闘状態で、5人の仲間で、唯一のメキシコ人のサンチェスの故郷の村は、マバッチに襲われ、その恋人はマパッチの女と化してしまっていた。5人はマパッチと取引し銃器弾薬を満載した列車を奪うことになる。追跡された5人が橋を渡るに際し、スローモーションによる爆破シーンが見事に人馬が落ちるさまをを描く。成功した5人は、マパッチとの取引に成功したものの、サンチェスが革命軍に銃器1箱横流ししたことがバレ、リンチを受け、のどを裂かれ死ぬことになる。

このことが、他の4人に再びヒーローの心を取り戻したのだろうか?意味不明だが、ボーグナインを除き3人が女を買った翌朝、ホールデン「Let’s go」、オーツ「Why not」。軽く言葉を交わし、自分たちが与えたものだが、重機関銃を含む 無数の近代兵器で武装した200人の敵と対決、壮絶極まりなき死闘が展開されたのだった。4人はそれぞれハチの巣になりながらも、マパッチ軍団のほとんどを壊滅させる。ライアンを除く登場人物の殆んどが死に絶える銃撃戦は、そのスローモーションのシーンにより時間を止め、夢幻の世界の出来事にしたように思えた。

(ワイルドバンチについて―ウイキペディアより転載)

ブッチ・キャシディのワイルドバンチ(Butch Cassidy’s Wild Bunch)はアメリカ合衆国ワイオミング州ホールインザウォールHole-in-the-Wall)で雑然と結成された強盗団。1969年の映画『ワイルドバンチ』と『明日に向って撃て!』で有名になった。名前は“ビル”ウィリアム・ドゥーリンが率いた強盗団ワイル

1901年に撮影されたメンバーの写真

ドバンチ(後述)から取られた。ブッチ・キャシディのワイルドバンチは、人殺しはしないよういつも努力していると主張し、キャシディは一度も人を殺したことがないことを自慢していた。しかし、この主張は虚偽であり、キッド・カーリー、ジョージ・カーリー、ウィリアム・カーヴァーなどのメンバーは、警官隊の追跡を受けている間、多くの人を殺した。キッド・カーリー1人で9人の法執行官(保安官を含む)を殺し、2人の市民が銃撃戦の巻き添えになって死んだ。以後、キッド・カーリーはメンバーの中で最も恐れられるメンバーとなった。エルジー・レイも強盗の直後、2人の法執行官を殺したが、自らも負傷して逮捕され、服役した。ジョージ・カーリーは少なくとも2人の法執政官を殺し、その後ユタ州グランド・カントリーの法執行官に殺された。

『ワイルドバンチ』 は、1969年製作のアメリカ合衆国の映画。サム・ペキンパー監督による西部劇。時代の波に取り残された無法者たちの滅びの美学を描いた作品であり、西部劇に引導を渡した「最後の西部劇」と呼ばれている。ペキンパーの最高傑作として高く評価されている。定義にもよるが「アメリカン・ニューシネマ」の一つとされる。

(編集子)最後の西部劇、という表現をよく耳にする。フォード作品を中心に、ランドルフ・スコット、ジェイムズ・スチュアート、ジョエル・マクリー、グレゴリ・ペックにウオルター・ブレナンそしてベン・ジョンスン。こういう名前がエーガの常識だったころ、そう、西部劇映画の領域にも心理描写だ人種問題だというような異形の成分が幅を利かせるようになって以来、俺っちのセーブゲキは確かに減った。しかし最後の、とはまだいうまいよ。つい先日本稿に小泉さんが書かれていたシルバラードとか、ワイルド・レンジだとか、まだまだあるじゃありませんか、諸君!

 

オオムラサキを追って   (大学時代クラスメート 飯田武昭)

 

ここ兵庫県でも新型コロナ禍の緊急事態宣言が蔓延防止等重点措置に変わった6月21日の同じ週の25日と26日にかけて、県内の日本海側の豊岡市に急遽出かけました。

本州の中で南北に列島を縦断している県は、両端の青森県と山口県を除いて兵庫県だけのように思いますが、私の住んでいる南の宝塚市から北の豊岡市まではJR特急でも略3時間掛かる立派な旅行であることに時々気づく次第です。コロナ禍で県を跨いで移動することに宣言が外されたとは言え抵抗感がある中、県内である安心感がどこかにあったための急拵えのプランでした。目的は2日目の丹波市柏原にある「丹波の森公苑」のオオムラサキ(国蝶)のケージ内に6月一杯留められて飼育されている蝶々(成虫)をこの目で観察し確認することでした。

初日にJR豊岡駅で下車しタクシーで出石町へ。先ずは第1目的の出石皿そば店でランチを取る。出石町には約50軒の皿そば店があり、NETで人気一番のお店「近又」に早い時間帯で入店し久々に昼間とは言えビールの注文も出来て満足。出石町は小さい町ながら、日本最古級(明治14年)の時計台「辰鼓楼」(※)と近畿最古の芝居小屋「永楽館」(明治34年開館)、それに沢庵和尚ゆかりの「宗鏡寺」等の見どころがあり、それぞれをゆっくり見て回りました。出石町からはタクシーで城崎温泉まで約1時間で到着。がらがらの温泉街を翌日ゆっくり散策して昼前に再びJR特急で丹波市柏原駅へ向かいました。

(※)札幌の時計台と数カ月違いで札幌の方が早かった事実を最近になって調べ上げたことが先月NHKニュースで流されました。

「丹波の森公苑」のオオムラサキ飼育センターとの関りは、昨年8月の番組「NHK朝のおはようニッポン」を何の気なしに見ていた時に1分少々流されたニュースが気になって、その発信元を調べて辿り着き、10月に現地(兵庫県丹波市柏原)に出かけて詳しく内容を聞いたことから始まったもので、今回でやっと2回目の現地訪問でした。NHKニュースは、柏原からオオムラサキの卵をシェーンブルン動物園(ウイーン)へ送った分が、ウイーンで羽化して蝶々になったというただそれだけの内容でした。私はこのニュースを見て、柏原とシェーンブルン動物園という、どうにも考えにくい繋がりがどこにあるのかをどうしても確かめたく、昨年10月にやっとこさ現地を訪問して、先方から5人が出席してくれるミーティングが開けて、その関係が約30年前に遡って深い繋がりがあることを知った次第です。また何んとも不思議なことに、昨年のニュースを見た時に、私の数人のメール仲間にそのことをメールで流したところ、そのうちの一人のM君(私の昭和20年(終戦の年)卒園の幼稚園の同級生、東京都渋谷区の若葉会幼稚園)が “実は自分の祖父がオオムラサキの命名者だ”と言ってきて、その根拠となる資料を直ぐにメールで送ってきてくれた時には、そんな偶然ってあるのかと2度ビックリしました。

オリパラはなぜ無観客にできないか   (普通部OB 篠原幸人)

オリパラは何故無観客開催にできないか?

想像していた通り、第5波が始まっています。オリンピック・パラリンピック強行で、日本が世界に大恥をかくことだけは日本人としては避けたいですね。このウイルスを世界に拡散した責任国も、対策に失敗して国民の信頼を大きく失った国も、ここぞと日本の策のなさを攻めてくるでしょうから。

それにしても今頃「無観客も視野に入れながらーー」とはなんですかね。思い切っていますぐ「オリパラは無観客と決定」と言えないのでしょうか? そうすれば、入場券の再抽選も、JRの終電延長も、競技場周辺のバス停の位置変更も、首都高の料金変更も必要なくなります。やはりバイデン夫人など要人に開会式で、寂しい思いをさせたくないという「おもてなしの心」が根底にあるのでしょうか? オリンピック期間中、一部の新幹線を夜中に走らせる計画もあるそうです。マニアはオリンピックに関係なくこの夜行新幹線のチケットを欲しがったり、乗車して写真を取ったり大はしゃぎでしょうね。何が「人流を出来るだけ制限して」ですかね。

中外製薬はじめいくつかの製薬メーカーから、新しい新型コロナ治療薬の申請が出たと聞いています。しかし内容はあまり新鮮味がありません。それよりワクチンの不足を「接種体制が整いすぎたから」と涼しい顔をして言い訳をする神経の太さには呆れてものが言えません。以前の本随筆に書いた、私が期待する日本で発見された「イベルメクチン」の治験(治療研究)もなかなか軌道に乗らないようです。

ファイザーやモデルナのワクチンはどうやら、新しいデルタ株やシグマ株にも多少有効なようです。但し、当然ながらワクチン接種後でもコロナに全く罹らないわけではありません。罹りにくくし、重症化をある程度予防するという程度です。かえって無症候のコロナを増やすかもしれませんが、しかしワクチンを打ちたがらない一部の若者にもそれでも是非打ってほしいですね。

彩の国のウエスターンライフ  (38 林裕)

ウクレレこと、林裕君(KWV 38年卒)から、近況報告ということで最近講演したときの内容が送られてきた。一部、紹介。

1945年8月15日終戦、9月2日降伏文書調印。埼玉県には所沢、豊岡、熊谷、朝霞などの飛行場や軍事施設、軍需工場などに占領軍が進駐開始。上尾には10月10日大日本機械に衛生部隊70名が進駐。当時私は5歳でした。突然、長いアンテナを揺らせながらジープが我が家に現れたのであります。ケモーノ、ケモーノと盛んに謂う。ケモーノ? キモノ?  着物? 私の生家は町では古い呉服屋でしたので、彼らは祖国への土産にキモノが欲しかったのです。商品としてのキモノ謎はありませんので仕方なく古い嫁入り衣装などを引っ張り出してケモーノ!というわけです。曾祖母の古い嫁入り衣装はハーシーのチョコレート2,3枚との交換になりました。そして彼らは度々我が家を訪ねるようになりました。

私の家の前の中山道を通る乗り物は終戦前は荷馬車か自転車、時々自動車は木炭車が通る程度でしたが、戦後になりますと米軍のジープをはじめとして軍用トラック、横っ腹い白い星マークを付けたモスグリーンの将校用乗用車果ては戦車、ブルドーザなどが薄青い煙を出して走っていく。彼らのガソリンの匂いに舶来のアメリカ文明をまざまざと見せつけられた次第で、この時以来私には made in USA のものだけが 舶来 として刷り込まれてしまったのかもしれません。

こうして私の 舶来 へのあこがれは西部劇映画、FEN放送に向かっていきました。西部劇は物語が単純で登場するのは正義感の強いヒーローtおブロンドのヒロイン。テレビ時代になりますと移りの悪いテレビの前に釘付け。牛追いのカウボーイ達の様子を知ることができました。カウボーイという言葉は、中世アイルランドの牛番(Wrangler) に由来しアメリカフロンティアの牛飼いがその名を受け継いだのだそうですが、それが荒くれで独立心旺盛、勇気と忠誠心に富んだ辺境の男たちの代名詞となったのだそうです。カウボーイがみにつけたものは世界中どこを探してもその類を見ない独特のもので、出稼ぎ生活を送っていた彼らは最小限のものだけしか持ち歩かなかったので、購入できる範囲で最高のものだけを持つように心がけたそうです。それは帽子、ブーツ、銀のスパー(拍車)、サドルバッグ、チャップス、ホルスターなどです。

私は実際にカウボーイを見たことはありません。馬にも二度乗ったことがあるだけです。わたしのあこがれは木目張りのステーションワゴン(馬車)になり、ハーレイのオートバイ(馬)になったというわけです。

(編集子)ワンダー仲間でも知る人ぞ知る、カントリソングの愛好家。病こうじて居住地上尾にウエスターンシーンに欠かせない各種商品やアクセサリなどを提供する専門店 YOUALLCOME (上記写真)を経営し、愛馬ならぬハーレイで疾駆する毎日を過ごしている。彼の店のホームページは www.youallcome.co.jp, 楽しい雰囲気にしてくれるつくりである。ご一覧あれ。

 

 

 

 

乱読報告ファイル (1) ハモンド・イネス ”孤独なスキーヤー”

イギリスには1930年代に花開いた推理小説というジャンルとならんで、冒険小説その展開として海洋冒険小説という伝統がある。陽の沈まない帝国を誇った時代、大航海時代に地球を駆け巡った英国人には海というものがそれだけ親しいものだったのだろう。同じ島国である日本に海洋冒険小説が育たなかったのは同じ時期、我が国が鎖国していたからだろう。残念なことだが。

日本が第一次大戦に参加してそのいわば分け前として南洋諸島と呼ばれた太平洋の島嶼の一部を信託統治するようになってから、子供向けの小説としては南洋一郎だとか山中峰太郎などの作品がならんだのは記憶に新しいが、残念ながら我が国に英国に比肩する海洋冒険小説、というジャンルに特筆するような作品は思い及ばない。

英国の冒険小説のうち、現代に題材をとったものの多くは2回の世界大戦にかかわる話が多い。代表的な作品としてはまずアリステア・マクリーンの出世作 女王陛下のユリシーズ号 とジャック・ヒギンズを一躍人気作家にした 鷲は舞い降りた を上げなければならないが、ほかにもマクリーンなら映画化された ナバロンの要塞 ヒギンズなら 狐たちの夜 ウインザー公略奪 などなどがある。この二人に次いで人気作が多い デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアル、バーナード・コーンウェル、なども読んできたが、だいぶ古手(原本を取り寄せたら表紙に classic と添え書きがあった)のひとりにハモンド・イネスという作家がいる。この人の作品がほかの人気作家と異なるのは、その舞台というか背景が社会情勢とか政治とかというよりも、常に大自然と人間との対決に置かれている点だ。

孤独なスキーヤー (原題: The Lonely Skier)は原本で127頁という比較的短い作品でだいぶ以前に翻訳を読んだことはあったが、今回英語の勉強をかねて読み返してみて、多くの作品とは異なった印象を持つ、すぐれた小説だと思うようになった。話の大筋は第二次大戦末期にナチが秘匿した金塊を探すというありふれたテーマで、話が展開する舞台は雪に閉ざされたヒュッテという、これまたミステリに多い設定なのだが、そうはいっても、なにか難しい推理があって最後に名探偵が登場して解決、というような作品ではない。

特に小生が感心したのは主人公が騙されてドロミテ山系の急斜面につれていかれ、深雪に転倒して動けなくなり、雪崩の危険に遭遇する場面の詳細な描写である。スキーヤーの一人として同じような経験は何度もしていて(自慢するわけではないが小さななだれもどきに巻き込まれた経験もある)このくだりの描写が自分の体験に即しても実に正確だと思った。おそらくイネス自身、スキーをやった人に違いないと思う。このシーンを読んでいて、突然、自分にとっての最後のスキーとなった、吹雪の志賀高原、焼額コースでのラストランのことを思い出した。なんと表現したらいいのかわからない、失ったものへの懐かしさと寂しさとが入り混じった感情だった。自身これまで乱読を重ねてきたが、このような感情ははじめてのことだった。

ところでこの作品自体もまた、なんとも表現しにくい、ハピーエンドとは程遠い結末で終わる。金塊も発見されないし、舞台となったヒュッテは登場人物の一人である女性の放火で、紅蓮の炎につつまれて全焼してしまう(ここだけとれば例の レベッカ のような終章である)。そして主人公をこの事件に放り込んだ諜報部の上司も現場から治安当局へ連絡のためにくだったスキー滑降の末に重傷を負って死んでしまう。此処まで読み切って、初めて読者は 孤独なスキーヤー というタイトルの意味を知ることになる。ほかの多くの小説群がそのエンディングで、ハピーエンドにせよトラジックフィニッシュであれ、とにかく読者を解放するというか納得できる結びになるのだが、この作品に限ってはそうはならない。これも初めての経験だった。

”アメリカには冒険小説は育たない“ と誰だったか著名な作家が書いていたが、英国人にとって自然はロマンであるのに、米国人には克服すべき対象としか映らないからなのではないか。そんな気持ちにさせてくれた一編であった。

(編集子)本稿になんでもいいから読んだ(あるいはかつて読んだ)本についての雑感を勝手に書き綴る、というシリーズを始めることにした。本の種類は問わず、難しいことは言わない、要は乱読、の報告である。各位のご投稿を待ちたい。

 

 

久しぶりの高尾山   (39 堀川義夫)

2020年10月28日以来、実に8カ月ぶりの月いち高尾を開催しました。コロナ禍のもと待ちに待った開催でした。

参加者は一時は20名以上になりましたが、時節柄、コロナのワクチン摂取を控えている、特に2度目の摂取で慎重を期したい等々の理由で直前並びに当日、諸般の理由で参加取りやめの方がいて、結局16名の参加となりました。集まった面々は皆さん元気でこの方たちだけを見ているとコロナは何処へ行ったのかと思うくらいです。とは言え久しぶりの山行ですからくれぐれも無理をしないよう、事務局からアドバイスをしました。この結果、ケイブルカー利用組9名、あくまで歩くぞと言う元気組7名は稲荷山経由で頂上へと向かいました。

参加者

  • ケーブル利用班 船曳夫妻、椎名、遠藤、高橋良子、蔦谷、立川、相川 岡沢 9名
  • 稲荷山    翠川、菅谷、矢部、三嶋、安田、伊川、堀川   7名

ランチタイムも余裕で・・・この後、パラっと雨が来ましたが、傘を出してさすと同時に止んでしまいました。オリンピック・モニュメントが・・・何かそらぞらしい気もしますが・・・素直に楽しみました。


一応、テーブル4卓に10人。飛沫除けのプラスチックの
締めは久しぶりのてんぐ飯店。10名が参加しました。

ボードも用意されていました。生ビールと焼酎、何時もの餃子とシュウマイに料理2品で簡単に短時間でお開きに。締めてお一人様1200円也。親父さん!今度はゆっくりもっと大人数で来ます!!

(42 下村)

 梅雨の半ばで心配しておりましたが、天気に恵まれて良かったですね。

私はワクチン2回目の接種が7月第2週ですので参加を見合わせましたが、諸先輩のお元気なお姿を拝見すると参加させて頂いても良かったかなと後悔の念なきにしもあらずです。秋には集団免疫が期待できそうですので今から楽しみにしております。

(41 久米)

月いち高尾の報告、楽しく拝見いたしました。雨にも降られず良かったですね。

久しぶりの高尾山、皆様楽しまれたようで羨ましく思いました。私共は7月11日が第2回目の接種となります。それ以後は行動も自由になるかと思われます。次回の月いち高尾を楽しみにしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

檜原村を歩いて来ました    (44 安田耕太郎)

日帰りで檜原村の滝巡りをしてきました。

秋川渓谷沿いの沢に入ると数か所の滝が流れ落ち、杉木立の沢に沿って15,000歩の良い汗をかいたハイキングでした。

ランチは渓谷を見下ろすテラス付きのイタ飯屋で、アルコール無しビールで喉を潤し舌鼓を打った。写真数枚貼付します。今は身近な場所を楽しみながら、コロナ収束後のもうちょっと本格的な山歩きが楽しみな今日この頃です。

一服の涼をお楽しみ下さい。

 

 

 

エーガ愛好会(72)  市民ケーン

映画ファンのはしくれとして、今まで見る機会に恵まれなかったし、資料によれば米国では史上最高の評価を長期にわたって受けている作品と承知していたので、多大の期待を持ってBS劇場にのぞんだ。しかし、見終わった感想は期待外れだった、としか言いようがない。

専門の人たちの評価はおそらくこの作品に示された、映画作成上の技術的側面に対してのものだろうし、そういう面で言えば、確かに画面の作り方とか、導入部の画面の技法とか、プロの眼でみれば高い評価を受けるのかもしれない、とは思う。しかし映画を見終わった後になにか心に残ったものがあったのか、あるいは単純にあのシーンはよかった、というような即物的なものがあったか、といえば、なかった。このあたり、愛好会の方々からはお叱りを受けるかもしれないが、小生の実感。

なお、資料を見る以前からそうではなかったのかと思っていたが、やはり新聞王ハーストがモデルということで、確認してみてさもありなん、と感じた。米国駐在中に住んでいたベイエリア、いまでいえばシリコンバレーからハーストの住居あとまで至近の距離だったが、最後まで行く気が起きなかった。そういう先入観みたいなものもあったのかもしれないが。

(HPOB  菅井康二 )私もGiさんの感想に全く同感です。ストーリーにも登場人物(アンチという意味でも)にも感情移入出来ない作品としか言いようがありません。

(44 安田) Giさんと同感。「アメリカ映画ベスト100」で第1位にランクされ、世界映画史上ベストワンとして高く評価され革新的な多彩な映像表現が話題を呼んだ作品だと知り、10~15年ほど前に初めて観た。1941年の制作当時は画期的で斬新であったに違いない映像表現も、制作から70年後では格別には印象に残らなかったことを覚えていた。オーソン・ウェルズ25歳の監督デビュー作で、プロデュース・主演・共同脚本も務めた。オーソン・ウェルズ出演の作品は、後に制作されたジョーン・フォンティンと共演の ジェーン・エア、第三の男 を先に観ていて、鳴り物入りの 市民ケーン に対する期待はとても大きかった反面、がっかりしたものだった。

歴史上立志伝中の新聞王ハーストをモデルにした波乱万丈の伝記的映画で、彼の立身出世、見栄、虚栄心、毀誉褒貶、男女関係、没落、空虚、孤独などが描かれストーリーは至ってシンプル。亡くなる時に遺した「バラのつぼみ」Rosebud という謎の言葉を解き明かすニュース映画記者のインタービューがドキュメンタリータッチで描かれる。エンディングで焼却炉に燃やされるガラクタ美術品の中から、子供時代に遊んだソリに「ROSEBUD」の文字が浮かび上がり、何もかも手に入れることが出来た男の人生であっても、心の中にぽっかり空いた「貴重なモノ」、癒し的な価値を代弁させたのではと思える。映画は、人の人生には仕事の成功、社会的栄誉では満たされない、もっと崇高な大切なことがあると伝えているのだろうか。

ついでに、オーソン・ウェルズは若くして映画界に新風を吹き込み絶大な成功を収めたが、後年は尻つぼみになった感は否めない。彼が演じたカーン新聞王を見ているようでもあった。実在のハースト新聞王も晩年は大恐慌の悪影響もあり経営難に陥った。ハーストの死後(1951年)、孫娘の誘拐時間がマスコミを賑わしたこともあった(1974年)。第三の男でも共演した盟友ジョセフ・コットンは 市民ケーン が映画デビュー作で、ケーンの友人役を演じ、オーソン・ウェルズ作品の常連となる。のちの彼の映画同様、彼は良かった。

観終わった後、再度「どうしてつまらなかったのか」を考えた。ローアングルからの撮影や遠近を同じように焦点を合わせ鮮明に撮る(パンフォーカス)などの当時革新的な撮影技術が、今日では最早珍しい手法ではなくなっていた。更に同時代の面白い映画「風と共に去るぬ」、「カサブランカ」と比較すると、登場人物の心理描写やドラマティックなストーリー展開ではなく、ただの伝記映画と云うのはつまらなく感じられるからであろう。

(大学時代クラスメート 飯田武昭)今回のBSプレミアム放送は観ていませんが、私もこの映画への評価は全く同感です。私の中では今更に、いちいち論評するに値しない作品と思っています。

劇場で観たのは多くの方々の同じように日本初公開時ではなく結構後の1980年代だったように思います。20世紀の映画評論家(双葉十三郎氏他著名な評論家諸氏)が選ぶ名作ベストテンの常に上位(それも1位、2位)に入っていた映画だったので期待して観た記憶がありますが、どうしてもその良さが感じられずに他人にも語らず黙っていたように思います。その後にTV放送でも見てやはり同じように、どう贔屓目にみても、自分のベストテンの上位には入れられない作品だと思っていました。今回ジャイがこっ酷く酷評してくれて、フォローした「エーガ愛好会」精鋭の諸氏が同じく酷評し、胸のつかえが取れた感じがします。

(41 相川正汎)私もよくわからず 再録を2回見ました。

アメリカを熱狂させたのは、25歳の新人が脚本からてがけ、ハーストの晩年までを演じきったことにびっくりしての 評価でしょう。 出演者は新人ばかり。ストーリーもアメリカ人の好きなアメリカンドリームで、最後は没落してしまい、巨額の財を得ても得られぬものがあったという話で大衆受けするものです。金と地位を得ると人間どうなるか、通俗的ですが、よく描かれていると思います。最後の一言の意味するものは何か、サスペンス風に引っ張ります。ハーストの妨害をうけたことも、権力者への若者の挑戦とみられたようです。スノードームが一瞬にして子供の頃の思い出に帰らせる。妙味出てます。

オーソン・ウェルズの映画は公開時に見ていないので、私にはどうもぴんときません。伝説の人です。アメリカで凄い凄いと言われたけどどうなのか、期待感とのギャップが生じます。「第三の男」は陰影が強調された映像とチターの演奏に哀愁を感じますが、ウェルズが少し顔出すストーリーが私にはよく理解できませんでした。

(普通部OB 菅原勲)「失われた時を求めて」。マルセル・プルーストにとってその切っ掛けは紅茶とマドレーヌだったようだが(と言っても、小生、その第1編「スワン家の方へ」の第一章しか読んでいない。世にいう、名作、傑作が面白くない典型的な例)。

それにしても、「市民ケイン」は滅茶苦茶やつけられたな。草葉の陰で、オーソン・ウェルズが号泣してるよ。ちょっと、慰めなきゃいかんな。

こっちの作品ではウエルズもコットンも印象にしっかり残っているんだが。そのうち、”ラストシーン コンテスト” でもやれば必ず出てくるだろうし、相川さんの疑問を解くためにもも一度、みようよ。メリーゴーラウンドの場面でのオーソン先生はよかったけどね。

 

 

 

家飲みをエンジョイしよう!

(大学時代クラスメート 飯田武昭)

ジャイがジントニックを日課としているようなので、久しぶりに飲みたくなり、今日近くのスーパーでジンを買ってきて飲んでいます(普段はビール、焼酎、日本酒、ワイン、スコッチ、バーボン派です)。若い頃やアメリカで良く飲んでいた爽やかな味と飲み心地良さを味わっています。

(編集子)宝塚のようなハイカラな街ではそういうことはないでしょうが、調布あたりだとトニックウオータを置いてある店があまりありません。

写真で拝見するにボンベイサファイアのようですが小生はビーフイータを愛用してます。ブランドがどうこう言うほど詳しくはないのですが、昨日、この トニックウオータを置いてないスーパーがなんとKWVのワインを置き始め、うれしくなって2本買ってきました。ご説明するとKWVはわが Keio Wander Vogel 部の略称なのです。南アフリカのワインの元締めをやっている日本で言えば農協みたいな団体の略称がKWVというのだそうで、部の1年先輩が国分商店に就職したところ偶然この製品に行き当たり、さっそく国分で取り扱いをはじめたというわれわれには楽しいいわくつきです。ま、テーブルワイン級のもので味がどうこう言うのは野暮というものでしょうね。値段はチリ物などと同じくらいです。写真で白のほうはちょうどやってきた息子とほとんど開けてしまったので空瓶のようなものです。小生もウイスキーはなんとなくバーボン党になってしまって、上記のスーパーで手に入る アーリータイムズが気に入っています。
(飯田)成る程、普段ジンは飲まないので、有名なビーフイーターをむしろ忘れていました。行きつけのスーパーに淡いブルーカラーのBOMBAY-SAPPHIREが棚にあるのが以前から気になっていて今回初めて買ってみたブランドです。

ワインブランドのKWVのエピソードも面白く読みました。この種の話では車の車種で日産のTIIDA(ティーダ)というのが十数年前からありますが、これがスマホで使っていた私の飯田武昭のイニシアルを取ったようで気になりました。同じく会社生活時代にプラスチック・フィルム事業担当をしていた時期にフランスのリオンに本社があった化学会社ローヌ・プーラン社と交渉のため3~4日リオンに出張しました。ローヌ社の交渉のトップがBertaniというムッシュでしたが、パリのドゴール空港でDuty Freeショップを見ているとFrench WineにBertaniというブランドを見つけて相方と大騒ぎにして買って帰りました。朝からジンだのワインの話ですみません!!

(編集子)飲み物の名前で苦労したことを思い出しました。初めての米国生活が始まったころ、近くのレストランで Beer と言ったらウエイトレスが “バドリンプ?” と聞くのです。何回聴いても 同じことを繰り返す。色の黒い人には良くありますけど、云いなおす、なんてことをしないでただただ、相手が悪いと言わんばかりに言い募るだけ。俺の発音がいけないのか、なんなんだ、これは? と切れ掛かったら、奥から出てきた色の白いひとがにやにやしながら、She is asking, Bud or Olymp ,my friend  と言ってくれたのでやっと了解。つまり, あんた、バドワイザなの、それともオリンピア (ちょうどそのころカリフォルニアではやり始めたブランド)、どっちなのさ? と聞いていたのです。手のかけすぎだの、だから生産性が低いのと偉い学者さんはよく言いますけど、日本のお店の丁寧さがつくづく恋しかったですな。