ル・コルビジェ展-調和に向かって 20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設
開館多方面にわたった約10年間の活
国立西洋美術館は上野駅公園口からずくですので酷暑の避暑場所に
小生が渋谷から学校に通っていたころ渋谷駅前にコルビジェ門下生の
建物は、日本を代表する建築家・坂倉準三(坂倉建築研究所)が設台機構の設計については森平舞台機構株式会社(通称

緞帳作りはル・コルビジェと坂倉順三は師弟関係にあって、坂倉はそ
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
ル・コルビジェ展-調和に向かって 20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設
開館多方面にわたった約10年間の活
国立西洋美術館は上野駅公園口からずくですので酷暑の避暑場所に
小生が渋谷から学校に通っていたころ渋谷駅前にコルビジェ門下生の
建物は、日本を代表する建築家・坂倉準三(坂倉建築研究所)が設台機構の設計については森平舞台機構株式会社(通称
緞帳作りはル・コルビジェと坂倉順三は師弟関係にあって、坂倉はそ
今朝の新聞は西武に移籍していた内海哲也の引退を報じた。小生がジャイアンツ戦のテレビ放映を見始めたのはまだ ”実況放送は越智正典、解説中沢不二夫” のころ、小生は高校2年。当然白黒テレビで画面構成もシンプルなもので、浅海昭なんかと一緒に観ていたりした記憶がある。当時の若者のスポーツは野球がほとんどだったが、自分自身で積極的にやったわけではなかったし、実際にジャイアンツを当時の後楽園に見に行ったのは一度だけ、仲の良かった平光清が主審をつとめた対カープ戦を見に行った経験しかない。当日はごひいきの淡口憲治がホームランを撃ち、試合終了で引き揚げる平光と座席から挨拶をしあって満足して帰宅したものだった。
その後もテレビ専門での一ファンにはすぎないが、2000年度最終日、同率で迎えた対中日戦、土壇場の9回裏に 4-0から満塁とし、江藤がドラマチックに満塁ホーマーで同点、興奮がまだ渦巻いている間に二岡が右翼席に決勝弾を撃ち込んだゲームとか、坂本の初ホームランとか斎藤の初登板(リリーフ)などというようなファンにとっては意味のある場面も見ている。その中で内海を初めて見たのがどういう場面だったかは覚えていないのだが、アナウンサーが(このピッチャーはどんなもんでしょうか)と聞き、解説が(まあまあじゃないですか)と無難
に答えたのだけはどういうものか覚えている。その後ごひいきにしたのは山口鉄也で、この ”ふたりテツヤ” が活躍したころは見るほうでも納得することが多かった。
プレーヤーとしての技量をうんぬんする能力は小生にはないので意見は差し控えるが、テレビ画面からも伝わって来る人柄の良さ、温厚な中に秘めた闘志、というようなものがとても好きだった。そういう意味ではいくら勝とうが好きになれなかったのが沢村であり上原だった。
スポーツ観戦、というのはもっとゲームとかプレーとかに集中すべきだと思うので、人柄、などをうんぬんするのは邪道だとは承知の上の回想である。好漢、今後の健闘をいのるや切。
全く偶然に放映を知り、そのまま見続けてしまった。小泉論文が届く前に一言書いてみようか。
プレスリーの映画はかの ブルーハワイ 以来、見たことはなかった。エレガント志向なのに田舎のあんちゃん的雰囲気が好きで、カントリーソング系はずいぶん聞いたが、映画人としてはイメージがわかなかったからだ。
出てくれば大体悪役が多いジョン・マッキンタイアが珍しく善玉の見本みたいな
役で、またいろんな作品で2列か3列目の助役しか見てこなかったスティーヴ・フォレストが実質的な主演というような位置づけの、いくつかほかにも例のある先住民族対白人、というアメリカ西部特有の禍根がストーリーの主軸になっている作品だ。同じ人種差別と言っても白人対黒人、という場合が黒人が未開地から、初めから奴隷としてつまり劣等人種としてとらえられてきた結果でいわば表面化がしにくかった(つまりつい昨今まで、人種間の現実の戦闘行為はなかった)のに対し、
先住民族の場合は当初は恩恵を受けていながら白人種が一方的に敵視に転じ、”フロンティア開拓” などという一方な政策の結果、血みどろの戦闘を生みそれによる生死の遺恨がある、という歴史がある。その間には有名な ウーンデッド二― の悲劇やかずかずの、白人が引き起こした数々の史実は明らかにジェノサイドであり、今日米国が振りかざす人権意識など、いわば (良く言うよ!)と思えてくる。ここのところ、安倍氏暗殺事件がきっかけとなったのか、また原爆記念日のこともあって、前大の回顧記事が頻繁に報じられる。アメリカがもし相手がドイツだったら決して原爆は投下しなかっただろう、とはよく言われることであるが、そんなことまで思いを馳せてしまった、小生にとってはある意味で後味の悪い映画だった。セーブ劇、としての爽快感もないしガンファイトの場面なども月並みの、小生の眼からは二流の作品だった。もちろん、わが ”エルヴィス“ くんに(それほどの)落ち度があるわけではないのだが。
1890年、アメリカの騎兵隊によって約350人のインディアンが虐殺された事件。インディアンの組織的抵抗の最後となった。 1890年12月、アメリカ中西部のサウスダコタ州、ミシシッピ川の支流ホワイトリヴァーの河畔のウーンデットニー Wounded Knee (傷ついた膝)で、アメリカ合衆国騎兵隊によって、スー=インディアンの約300人が虐殺された。1830年のインディアン強制移住法に始まるアメリカ合衆国によるインディアンに対する殲滅作戦はほぼこれで終結し、インディアンはその後、各地の居留地に収容されて生活を続けることとなる。これは、アメリカにおけるフロンティアの消滅を意味している。
(小泉)エルヴィス・プレスリーが、主演した西部劇。先日公開された映画
白人の父、カイオワインディアンの母から生まれ、両方の血を受け
イントロの長男クリントの華やかな誕生パーティシーンから一転、
原名Flaming Star光り輝く星とは、インディアンは死を迎えるときに輝く星を見るという言い伝えから来て
(小田)歌のシーンが多く、
ここのところ女流作家、朝井まかてに入れ込んで、「白光」(イコン画家、山下りんの伝記小説)、「類」、「福袋」(短編小説集)と続けざまに読んだ。この「類」と言うのは、森鴎外の子供たち、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ(夭折)、ルイの末っ子、類のお話し。
鴎外の先妻の子であった於莬は、長男らしく医者になったが、この類は、何も職を持たず、相続した鴎外の印税を食いつぶした高等遊民。しかし、世の中よくしたもんで、奥さんは極めて出来た人で、自分の嫁入り道具を質に入れるなど典型的な糟糠の妻。それが亡くなったら、直ぐに後妻を娶る。この辺から、ボンクラな小生、主人公に感情移入するのが苦しくなった。結局、類は「鴎外の子供たち」(小生、読む気は全くありません)って本を書いて、兄弟のことを赤裸々に描いてしまい、それまで極めて仲が良かった杏奴からは終生、絶交状態。
どうも於莬と鴎外の後妻とは仲が良くなかったらしい。と言うより、後妻の志げが於莬を嫌っいたのが事の真相のようだ。でも、於莬は長男らしく、最後まで一家の面倒を見たようだ。
森鴎外は、林太郎が外人には発音しにくいことから、子供にオットー以下の名前を付けたそうだが、そこまで外人に阿る必要は果たしてあったのだろうか。例えば、RobertはBobだから、林太郎はRin/Linでも良かったんじゃないか。この辺はいささか納得できない。
そこで思い出してみれば、鴎外の作品は「山椒大夫」、「高瀬舟」しか読んでいない。そこで一念発起、「青年」を読み始めた。余り面白くない。と言うより、5歳も年長の鴎外が漱石の「三四郎」の向こうを張るなんて大人気ないとしか思えない。どうも鴎外は糞味噌だ。でも、巷では、日本を代表する大作家のようだ。
(金藤)森鷗外の作品、といっても私は現代国語で、近代日本文学の作家と代表作として 森鷗外 舞姫 高瀬舟 徳冨蘆花 不如帰 泉 鏡花 高野聖 二葉亭四迷 浮雲 などと作家の名前と作品名だけ覚えただけで、本は読んでおりません。
戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた、
駄作 「
(保屋野)監督、俳優、音楽、シナリオの4拍子揃った名作だと思います。特に、チビ太の写真にもあった、ロシア人女優(リュドミラ・サバリーエワ)が魅力的でした。
「ソフィア・ローレン」はイタリアを代表する女優ですが、「クラウディア・カルディナーレ」は「山猫」で観ましたが、未だ未放映なのが「ジーナ・ロロブリジータ」、彼女の映画も観たい。また、美人ではありませんが、「ジュリエッタ・マシーナ」の「道」~ジェルソミーナ役も良かった。
あの,ニノ・ロータのテーマ曲をトランペットを吹くシーンは忘れられません。(ひまわり、のテーマ曲は「ヘンリー・マンシーニ」でしたね。) 飯田さんから頂いた「刑事」もそうですが、イタリア映画は俳優、音楽等ハリウッドとは違った魅力があります。
(下村) 「ひまわり」はもう何年も前に見たことがありますが、あまりにも切な過ぎて今はもうとても見る勇気がでません。貴兄の解説の途中からもう胸を締め付けられるような感じになります。 年とともに涙もろくなり、ストレスに弱くなっているような気がしています。
(編集子)小生たちの年代がはじめてイタリア映画を意識したのは 自転車泥棒だったのではないかな。”イタリアンレアリズモ” なんていうエラソーな言辞をもっともらしく聞いていた時代だった。この “ひまわり” という映画のタイトルが、名前が思い出せないが、北方謙三のHB作品の中で主人公の背景を書く小道具として使われていたのを思い出す。
「サンダーボルト」(Thunderbolt & Lightfoot。1974年)を見る。確かこれで二回目の筈。
監督と脚本は「ディア・ハンター」(Deer Hunter。1978年)のマイケル・チミーノで、彼の処女作。主な出演者は、クリント・イーストウッド(以下、東森と省略)、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディーなど。女優は、銀行強盗する際のブリッジスの女装以外は見るべきものなしの女っけなし。
銀行の金庫を20ミリ機関砲で破壊すると言う独特の手口で名を馳せたサンダーボルトこと東森が主人公。ご多分に漏れず仲間割れし、ケネディー以下から、東森が体よく逃げ出したところで、運よくブリッジス(Lightfoot)に助けられる。一方のブリッジスは、根無し草な生活を送るコソ泥。格好よく言えば、つまり、犯罪に熟練した朝鮮戦争世代の中年男と、当時ようやく終結したベトナム戦争世代の若者との奇妙な友情を軸に、米国中西部(主にモンタナ州)を舞台としたロード・ムーヴィーの形式で当時の米国社会を描いている。
なかでも、コソ泥を演じるブリッジスが良い。特に、湖畔で東森から彼の犯罪歴を聴くくだりは誠に秀逸。この時、ブリッジスはまだ24歳(1949年生)。しかし、その後のブリッジスは殆ど見ていない。
最後は、金を手に入れるのだが、その車中で、ケネディーに殴られた後遺症でブリッジスは死んでしまう。この辺が、チミーノの独特のところだろう。ハッピー・エンドの万々歳ではなく、寂寥感を残して終わるところが。東森は犯罪者なのだが、格好良すぎて様にならなかったが、ブリッジスは東森を圧倒した。
(編集子) 正統派西部劇の代表作、”真昼の決闘”は大御所クーパーが汚れ役とは言わないが彼の代名詞だった勇敢な正義の男、というイメージとはかけ離れた役で、リアルな描写が心に残る作品だったが、あとふたりの脇役の印象も深かった。一人はケティ・フラド、もうひとりがロイド・ブリッジス。ジェフ・ブリッジスも昨今評判が高いようだが親父の印象のほうが強いのはひいき目のせいだろうか。だがスガチューの感想には同感。
エネルギー問題は保守かリベラルかといった政治スタンスとは無関係なはずである。エネルギー政策はサイエンスに基づき、経済性、安全性、持続可能性を評価して成されるべきで、これらは政治スタンスとは独立してしかるべきである。しかし、日本では(海外先進国も)これが密接にリンクしている。エネルギー問題を議論するとき、まず論者の政治スタンスが問題とされ、純粋にサイエンスの立場からの意見に対しても、政治的背景が問題とされることが多いのは不幸なことである。
原子力 | 火力 | 再生可能エネルギー | 脱炭素 | |||||
保守 | 維持or推進 | 徐々に縮小 | 導入に慎重 | 推進 | ||||
リベラル | 縮小 | 縮小 | 積極的に導入 | 強く推進 | ||||
小生の意見 | 縮小 | 維持 | 技術開発推進、FIT,FIP反対 未熟な技術での導入反対 | 反対 | ||||
2.気候変動(地球温暖化)論
(経緯)
20世紀後半になって、炭酸ガスの温室効果により地球が温暖化している という学説が知れ渡るようになった。
これは大気に少量含まれる水蒸気と微量含まれる炭酸ガスが太陽から発せられる赤外線(6000℃相当の黒体輻射)は透過するが、地球から発せられる赤外線(15℃相当の黒体輻射)は吸収するスペクトルを持つということからきている。これらの温暖化ガスがなければ地球の平均気温はマイナス18℃程度と試算されている。温暖化効果は量的に多い水蒸気がメインで、諸説あるが、約90%が水蒸気の寄与と言われている。尚、大気の主成分である窒素と酸素はその赤外線吸収の特性から温暖化効果は持たない。
1988年にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立され、温暖化に対する科学的な研究が国際的に行われるようになった。以後、IPCCは気候変動のイニシアティブを執るようになる。1992年のリオデジャネイロサミットでの国連気候変動枠組み条約を経て、1997年には京都議定書が採択され、先進国は炭酸ガスの削減を義務づけられることになる。この頃は炭酸ガスによる地球温暖化については懐疑的な意見も多く、温暖化論者は「現時点では不明な点が多いが、温暖化は不可逆的に加速されるので、今対策を打たないと行けない」と主張していた。その後、クライメートゲート事件等の逆風もあったが、温暖化論は勢いを増し、2015年のKOP21においてパリ協定が合意された(発効は2016年)。IPCCは依然として予測に大きな幅を持たし、不確かな点を認めているが、主要国政府、環境団体、マスコミはカーボンニュートラルを金科玉条とし、今や宗教の感(教祖はグレタ・トゥーンベリ?)を呈している。この間、EUは一貫して温暖化対策に前向き、日本は京都議定書への不満もあって、当初は前向きなフリ、米国は京都議定書を批准せずと対応が別れていたが、パリ協定には米国も参加、新興国も含め多くの国が参加する世界的な協定となった。その後、米国ではトランプ大統領が「地球温暖化はフェイクだ」とパリ協定からの離脱を宣言、バイデン大統領になると直ぐに参加表明と政権によって大きく対応が別れている。日本では菅政権から2050年にカーボンニュートラルを目指すと宣言、前のめりになってきた。
(温暖化懐疑論)
温暖化論が広く知れ渡るようになるとそれに対する懐疑論も多く出されるようになった。日本では丸山茂徳(地球科学)、渡辺正(化学)といった気象学以外のサイエンスで優れた業績を持つ学者が懐疑論を発表、それに対して温暖化論者の気象学者が反論、数の力、マスコミの報道姿勢もあって懐疑論は劣勢にある。これら異分野での著名人とは異なり、IPCCで委員を務め、報告書にも名前を連ねている杉山大志氏は専門家として真っ向から異議(懐疑論)を唱えている。
地球の気温が温暖化ガスだけで決まるのであれば、ことは簡単であるが、気温に影響を与える因子は他にもある。特に大きな影響を与えるのは雲の存在で太陽光の反射による冷却化効果と地球放射の反射・吸収による温暖化効果を併せ持つ。特に大きな冷却効果を持つ低層雲の存在は温暖化危機を唱える論者にとってはやっかいな存在のようで、温暖化が進むと低層雲が消えるといったモデルも提唱されている。
(地球温暖化はフェイクか)
トランプの「地球温暖化はフェイクだ」と言うのは半ば当たっているところがある。その理由は「不確かなことをあたかも真実であるかのように言い、対策を要求している」ことにある。
Factは産業革命以降、炭酸ガスは増加し続けていること、地球の気温が僅かではあるが上昇していること、炭酸ガスは温室効果をもたらす赤外線吸収があることである。これらは疑いの余地はない。また、炭酸ガス濃度の上昇が続く限り、気温の上昇が続くこともほぼ確かだと思われるが、どのくらいの気温の上昇に繋がるかはFactから直接導き出すことは出来ず、Forecastによらざるを得ない。
Forecastは気候モデルを作り、Simulationによって未来を予測する。Simulationというのは経験者は誰でもわかると思うが、パラメーターをいじれば、結果が大きく変わる。言い方を変えれば、望む結論を導くためにリーズナブルな範囲でパラメーターをいじるのはよく行われているようだ。IPCCは未来予測に幅を持たせているが、マスコミ等では温暖化の最大値にフォーカスされることが多い。
気候モデルの上で、温暖化論者も懐疑論者も頭を悩まされているのが前述した雲の挙動である。
「炭酸ガスによる地球温暖化は事実だが、量的には小さく、温暖化危機はフェイクだ。」が小生の意見である。地球温暖化で何が困るのか、ということについてよく喧伝されているのは下記であるが、致命的なものは無いと思うからだ。
尚、1970年頃までは未来の危機として地球寒冷化が語られていた。今のところ地球は温暖化傾向にあるのでその心配は杞憂かも知れないが、寒冷化は温暖化とは比べものにならない大きなリスクである。
3.再生可能エネルギー
再生可能エネルギーはタダのエネルギー源(太陽、風、水等を使うので)ので、コストは減価償却費とメンテナンス費が中心となる。初期投資額、耐用年数、稼働率にどの数字を採用するかで、経済性評価は変ってくる。恣意的にならないよう、現行技術の経済性については資源エネルギー庁のHPの数字を基にしている(そもそも資源エネルギーが恣意的だとの見方もあるが)。
また、発電システムを語るとき、異なるシステム間での効率の比較をしているのを見かけるが、これは意味を持たない。現状の効率と理論効率の間の差が意味を持つ(効率アップとそれによるコストダウンの余地がある)。
適切な再生可能エネルギーは地域(国)によって異なるが、日本を念頭に置いて技術的に目処が立ち、現時点で採用されている太陽光、風力、バイオマスについてコメントする。
(本命は太陽光発電)
再生可能エネルギーの中で、発電効率の向上の余地が最も高い。問題は2つ
(夢物語)
炭酸ガスの資源化(植物がやっていること)が出来れば、そのエネルギー源として太陽光の余剰電力、または太陽熱を使うという道がある。炭酸ガスは水と同様に最もエネルギーが低い状態にあり、資源化には外部からエネルギーを与える必要がある。時々、炭酸ガスを原料にして何か(大抵はポリカ-ボネート)を合成したという記事を見かけるが、必要なエネルギーについては触れられていない。
これが可能になれば、太陽光と火力で電力を補い、火力で生成した炭酸ガスは太陽光エネルギーにより資源化するという理想的なエネルギーシステムが出来上がる。小生の存命中には到底実現しないが。
(風力)
夜間発電が可能な点は太陽光に勝るが、意のままにならないのは同じ。
理論上の上限から考えて、発電効率アップの余地は少ないので、コスト低下の可能性は限られる。
ここに来て注目を浴びている洋上風力となると無理筋を感じる。陸上での適地が少ない日本で風力発電をするためにはこれしかないといったところか? 詳細は知るところではないが、建設費やメンテナンス費については陸上に比べ高くなるのは間違いないと思われ、FITやFIP等の補助無しに成り立つとは思えない。
(水力)
発電効率は高いが、向上の余地は殆ど無い。
現状の技術レベルでも経済的には適地さえあれば、新設でも成り立つが、ダム建設に対する根強い反対勢力の存在を考えると実現は困難か?
小規模水力は水利権を別にすれば経済性が最大の問題であろう。水力発電はスケールメリットが大きい。(太陽光、風力にもスケールメリットがあるがそれぞれの制約から水力ほど大きくない)。揚水発電は立派な蓄電システムであるが、量的にメインの蓄電システムとなることは難しいだろう。
(バイオマス)
バイオマス(発電)がカーボンニュートラルというのは半分フェイクである。
カーボンニュートラルであるためには以下の条件が必要である。
a.発電(燃焼)と同じレベル(量、時間)の植樹が行われること
量的なリンクは不可能ではないが、時間的なリンク(成長速度に合わせて燃焼)はあり得ない
b.伐採から燃焼までのプロセスでエネルギーを必要としないこと
これはペットボトル等のリサイクルが省エネになるのかという議論と類似
間伐材等、別目的で伐採されたものをエネルギー源として使うのはカーボンニュートラルと言える。伐採された木は燃やさなくても何時の日か炭酸ガス或いはメタンの発生源となる。
ジョン・フォード監督晩年の傑作。これまで同監督が作ってきた西
冒頭から
その保安官ガスリー・マケーブ(ジェームス・スチュアート)が、
マケーブはコマンチ族からの取戻しに1人に
少年ウルフを白人と認識する人はいない。或る日、過去に息子を失
一方、エレナは、数年間、コマンチ戦士の妻だったことが開拓民から、何故自殺しなか
以上が概略のストーリー。性格の違う男のやりとり、ロマンスのほ
(編集子)新聞で広告を見ただけで未見だが、最近、ジョン・フォードに関する詳細な評論が出たということだ。一連の傑作映画の監督、という以外にもいろいろな時代背景があるようで、ぜひ目を通してみたい。
(菅原)本日の日経夕刊の最終面に、「ジョン・フォード論」(文芸春秋)著した蓮実実彦さんと言う記事があり、「豊かな画面を見つめよ」と結んでいる。つまるところ、その内容はフォード礼賛と言うことのようだ。
ところで、彼は、「世界的なフォードへの否定的評価の流れが・・・」と述べている。勿論、彼は「とんでもない」と言っているが、そんなにフォードは否定すべき監督なのかね。全くトンチンカンだ。フォードに対する嫉みか。
コロナ患者は東京でも4万人越え。医療ひっ迫が叫ばれている中で、相変わらず政府や都の対応はスローペース。菅内閣の反省が全く生かされていない。郵便局どころか病院も“人員不足のためしばらく休診”なんてところが出てきそう。
確かにコロナは“夏かぜ”のレベルに近づいているけれど、やはり罹りたくはないやね。私は4回目のワクチン接種を7月初めに、それも自分の所属する病院ではなく、近くの他の病院で受けました。自分は兎も角、拝見する患者さんにはこちらから移したくはないからね。但し、今回は医療従事者としてではなく、高齢者として受診せざるを得ませんでした。何故か? 今回は医療従事者へのワクチンは用意されなかったからです。従って、私の若い同僚とか娘や婿さんはまだ4回目は未接種。誰がこれを進言したのか? 学生時代にあまり成績が良くなかったり、血をみると気分の悪くなる体質で、仕方なく厚生労働省に採用してもらった元医学生かな? 自民党も維新の会も、こんなところでケチらないで、某宗教団体からの資金でもこちらに回したら?
さて暑い夏ですがこんな時にも病気は起こります。今回は熱心な読者のお一人、A君からの強い要望で心臓の血管の病気についてお話しします。脳・心臓・手足の血管は全て兄弟のようなものです。どこか一つに病変があれば、他の2か所にも病気がはじまっている可能性があります。小生も首の血管と足の血管には少し動脈硬化があり、心臓に血管にも病気が来ないかと心配しています。兄弟ですから、病気が起こる原因もその予防法にも共通点が沢山あります。血管病、特に心臓の血管病である狭心症・心筋梗塞の要因には次のようなもの知られています。
加齢
高血圧
糖尿病
肥満
喫煙
ストレス
うつ病
脂質代謝異常
多量飲酒
歯周病
脱水
他の部位の動脈硬化(首、大動脈、腎臓、手足の血管など)
その他
この中で貴方には当てはまるものがいくつありますか? まあ60過ぎればこのうちのいくつかは必ずあるよね。加齢はしょうがないとして、毎朝の血圧・脈拍は測ってください。上の血圧は1週間の平均が135以下、脈拍は日によってでも1分間に10-15以上は違わないこと。また、70歳以上なら健診の採血時HbA1cが6.9以下(若い人は6.0以下)でありたい。尿に糖が出ていないからなんて安心しないでください。脂質異常にはとくにLDL(悪玉)コレステロールの値に注目を。高い人はかかりつけ医に即相談してください。
この他で、特に注意して欲しいのはストレスです。もういい年の人は、イライラは禁物。カッカするな、あるいはさせるなって。仕事をまだ続けている人は若い人になるべく譲って。首や身体のどこかの血管に異常があるか心配な方は、相談できるかかりつけ医へ。通常のドック健診では見つからないことが多いので盲点になるかも。心臓は血管の塊のようなものですが、今日は狭心症・心筋梗塞だけにしておきます。なお、水分はトイレに行く回数をおそれず、室内でも十分とりましょう。