フェルメール展  (44 安田耕太郎)

日本美術史上最大のフェルメール展を上野に行って観てきた。これまでで最高値の入場料2,700円(驚!)。 7ヶ国17美術館が所蔵する全35作品のうち10点(8美術館から)が来日した。まず8点が上野で展示、1点は年明けに追加、1点は大阪のみ展示。所蔵する美術館にとって虎の子の絵画を併せて10点もを6ヶ月近くの長期に亘って拝借出来たのは歴史的快挙と言っていい。
            真珠の耳飾りの少女
フェルメール (Johannes Vermeer) は、7世紀半ば (日本は三代将軍徳川家光の治世)、オランダ(北部ネーデルランド)のデルフトに生まれ、43歳で夭折した。時はバロック全盛、芝居がかった場面描写が好まれ、躍動感溢れる感情と情熱が前面に押し出た表現が主流であった。代表的画家はルーベンス(フランドル – 現ベルギー)、レンブラント(オランダ)、ベラスケス(スペイン)、カラヴァッジョ(イタリア)、ラ・トウール(フランス)など。近隣列強諸国が押しなべて絶対王朝・王侯貴族が文化・芸術の担い手だったのと対照的に、プロテスタントのオランダは東インド会社に代表される海外に開かれた実利・開明的中産商業階級が社会の中核。威厳的な宗教・神話に基づく絵画が支配的であったカトリック諸国バロックと違い、風景画・風俗画が人気を博する萌芽がオランダ絵画を特徴付けた。全盛期17世紀半ばのアムステルダムにはプロの画家が700人もの多数いたと伝えられ、その代表がレンブラント。購入者の多くが中流階級であったことから、絵画のサイズもフェルメール作品も然りで小振りで家庭に飾られることが想定されていた。フェルメール作品も転々と持主が変わって移動したのである。
同時代にあってフェルメールの静謐で穏やかな絵画も南欧バロック本流とは大きく異なり、市井の庶民をモチーフにした風俗画が多い。19世紀後半の印象派より2世紀も昔に、明るい色彩、光と陰を見事に操る先駆者の一人としてフェルメールの稀有な才能がネーデルラントに出現したのは、後世の我々に与えてくれた天の恵みだ。約20年間の制作期間で35点と寡作で多くの謎に包まれた生涯であった。今では天文学的な価値ある彼の作品も、オランダ経済不況が絵画需要にも影を落として売るにも困り、11人の子沢山でもあって借金せざるを得ない時期(特に晩年) があったことが記録に残っている。
僕はオタクではないが海外出張の折に美術館を訪れ20年以上を要して、5ヶ国7都市8美術館にて23作品を目にした。今回の展覧会で未観5作品が新たに加わった。
フェルメールを気に入っている点は、同時代の先達カラヴァッジォやラ・トウール絵画にも見られるが(影響を受けたのかも知れない)、魔術師のように光と陰の微妙な柔らかい質感表現の妙と、映像的で写実的な繊細な色彩と空間表現の素晴らしさ、更には構図の見事さに魅了される。絵を真近で観たときの引き込まれる空気感は格別だ。絵の輝きとまるで呼吸しているエネルギーを感じる。画面構成の巧みな技は時代を経て近代絵画の父セザンヌにも受け継がれているかのようだ。数年前 絵師伊藤若冲絵画でも話題となった貴重な鉱石ラピスラズリ(瑠璃)を原料とする青の色彩は「真珠の耳飾りの少女」のターバン、「牛乳を注ぐ女」の前掛けエプロン、「天秤を持つ女」のガウン、などに見事に表されていて素晴らしい。故郷デルフト焼きの青に影響を受けたのかも知れない。ラピスラズリは原産地アフガニスタンから海路ヨーロッパへ運ばれたという。それでウルトラマリン(ultramarine“海を越える”の意味)とも呼ばれた。日本にも出島経由で持ち込まれていたのだ。普通の顔料の10倍高価だったらしい。ふんだんに使用したフェルメールの家計は苦しくなったと記録にある。
今回来日した作品の白眉「牛乳を注ぐ女」は風俗画の最高傑作だと思うが、使用人であろう質素な身なりの女性が着る黄色の服の質感がいかにもメイドのそれを表現していて見事だ。パンの表面のリアルさには驚嘆する。壁の釘の跡の真実感! 色白の北欧人にしては、仕事する手首から先は使用人らしく日焼けして黒く、他の部分は地肌が白い。注がれる牛乳の滴りの臨場感も特筆もの 。
   牛乳を注ぐ女
フェルメールは2世紀近くその存在が忘れ去られ、19世紀になってフランスの評論家トレ・ビュルガーにより”デルフトのスフィンクス“(謎)と呼ばれ再発見・再評価され、自然主義 写実主義の台頭に伴って印象派が登場した。
           デルフトの眺望
15年程前、アムステルダムに出張した折にハーグを訪れる機会があった。マウリッツハイス王立美術館ではフェルメール絵画の中で人気1、2位を争う、「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」を観た。因みにマウリッツはスペインとの独立戦争当時の将軍、ハイスは家。足を延ばし列車で15分のデルフトへ。「デルフトの眺望」の描かれた現場を探しまわり、実物を目の当たりにした時は気持が高揚した。セザンヌが幾枚も描いた南仏エクス・アン・プロヴァンス  (Aix-en-Provence) 近郊のサント・ヴィクトワール山を麓から眺めた時のように、はたまたセーヌ河下流の辺りジヴェルニー(Giverny)でモネの睡蓮の池を訪れた時のように。デルフトでは絵の中の運河のほとりに女性二人が立っている位置あたりから街を眺めたのである。絵に描かれた風景の半端ない現実感 (例えば、リアルな雲の下は暗く陰り、後方には陽がさして明るい風景となっている、手前砂浜の砂の粒立ち感など) にはフェルメールの天才が余すところなく発揮されている。風景画の大傑作である。350年の時空を超えて絵画の風景が現存している事実には、ヨーロッパの維持し存続する底力を思い知らされた。余談だが、ヨーロッパのレクサス宣伝に”The Art of Standing Out”と題してフェルメール 「真珠の耳飾りの少女」、ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」、エドワード・ホッパー「ナイトホークス」もどき動画をハイライトしている。ユーチューブを面白半分みて下さい。https://youtu.be/Llu1RuzQnSY

おすすめの2本見ました (川名慶彦)

中司さん

こんにちは、川名です。おすすめの映画2本観ました。
僕にとってどちらも、世代を感じさせる映画でした。
ストーリーは「シェーン」、映像的には「荒野の決闘」がよかったです。
簡単な感想ですが、またお会いしたときはいろいろと教えてくださいね。
ちなみに僕は、「マトリックス」や「ショーシャンクの空に」という映画が好きです。
良いお年をお迎えください。

西部劇 !  (34 小泉幾多郎)

「ああ、“エーガ”の日々よ、帰れ」拝見。荒野の決闘のポスターから始まり、ヘンリーフォンダが、ポーチの上の椅子でバランスをとるポスター(プログラムの表紙?)まで、”エーガ“特に西部劇への郷愁!書かれていることの全てと言っていいくらい、小生の思いと同じです。あの頃は確かに映画以外に楽しみを見つけるのが難しい時代でした。佐藤忠男著「映画館が学校だった」という本がありましたが、そんな時代でした。

多感なる中学時代、栃木県足利という所におり、ワンプラー劇場という洋画専門の映画館があり、東京より半年遅れながら、週替わりで、新しい映画が見られました。何故西部劇に傾倒したか。どうも田舎の子供たちに比べるとか弱い子供で強い男に憧れを持ったか?フランス映画でなければ映画でないとか、ませた友人がいたことからか、対抗上単純なる西部劇を見るようになったものと勝手に理屈付けしてます。西部劇だけはプログラムを買うようにしてました。中学3年から、横浜に移りましたが、当時は伊勢佐木町には、オクタゴンシアターの名前で、進駐軍に接収された映画館がありましたが、その後オデオン座として復活、マッカーサー劇場なんて名前の映画館等によく出掛けたものでした。

貴投稿には、出て来なかったですが、ランドルフ・スコットの堅パンのような面魂に惚れて、よく見ました。沈着で鋼鉄のような意志を持ち、徹底的に殴りつけ正義感をあおった「西部の裁き」「死闘の銀山」「平原の落雷」「コルト45」等々数えきれない出演の中、時折一流と言える作品、ジョンウエインとの「スポイラース」ロバートヤングとの「西部魂」ジョエルマックリーとの両者最後の作品「昼下がりの決闘」、そのいずれもが最後に死を迎えてしまいました。

西部劇の本も結構買いました。西部劇の世界(岡俊雄)、大いなる西部劇(逢坂剛×川本三郎)、西部劇X紳士録(児玉數夫)、西部劇の作家たち(世界の映画作家16)、さらば西部劇(季刊映画宝庫)、西部劇映画100選(増渕健)。
本箱の片隅にあった本を開けたところ、偶々1980年の朝日新聞の切り抜きが、出てきました。1月11日付で、昨日X‘mas EveのフジTV放映の犬神家の一族の作者、横溝正史の「てれずれ草」という欄に、TVについて「昔はよかった幌馬車隊・ローハイド・ララミー牧場・西部の兄弟・拳銃無宿があり、いつでも見られたのに、それがいまでは・・・」「NHKが駅馬車・真昼の決闘・荒野の決闘と西部劇の代表作を放映してくれたのは有難かった」と。最後に、「こういう人間は前世紀の遺物みたいな存在なのだろう」と締めくくっていました。翌年12月没。同年6月30日付では「西部劇が帰ってきた。20年ぶりブーム。」この年1980年は、ジョンウエイン没の翌年で、70年代の石油危機、ベトナム戦争、ドルの低落と大衆には忍耐我慢の連続で、英雄が欲しいことからのブームと書かれ、「トムホーン」「天国の門」「ザ・ロングライダーズ」「ワイオミング」「レジェンドオブザローンレンジャー」等挙げられていたが、残念ながらブームとはならなかった。その後、1990年に入り、ケビンコスナー等により「ダンス・ウイズ・ウルブズ」「ワイアット・アープ」をはじめ、「許されざる者」「ラストオブモヒカン」「ジェロニモ」「マーヴェリック」「トウームストーン」「バッドガールス」等の西部劇が復活したが、これまでか?

本屋や新聞広告等で、西部劇パーフェクトコレクションとか西部劇傑作コレクションとかで、10本入りDVDが、1500円で販売されているのを見ているとまだまだ西部劇愛好家は多くいることが確認できます。新しい作品はあまり期待できないとしても、まだまだ「お楽しみはこれからだ(和田誠)」よろしく楽しみたいものです。

12月月いち高尾―参加者みな感激!!

 

堀川義夫様、BBQ準備していただいた設営班の方々、山歩きLと同行者の皆様、本当にありがとうございました。そろそろ本格的引退を考えつつも、こうして素晴らしいメンバーと楽しむことは、代えがたい喜びです。 絶好の天気にも恵まれ、期待していなかった富士山も仰ぎ見、これまでの人生で初めての大量の牡蠣、食べたこともない牡蠣料理数。まったく贅沢三昧の幸せな一日でした。牡蠣やネギ、飲み物などを調達頂いたことにも深——く、感謝しています。これからもお付き合いのほどよろしくお願いします。 どうぞ佳いお年をお迎えください。  船曵孝彦・愛子

 今年最後の月いち高尾では、堀川さん以下山に登らず牡蛎ツ゚クシの野外料理に専念された方々のお蔭をはじめ、パン、ケーキ、チョコ、コーヒー等々有難く頂戴いたしました。何もせず飲食だけ頂戴し恐縮でした。ケーブルで登ったお蔭もあり、足手まといにならなかっただけでも良かったとホッとしているところです。それにしても、培った経験が生きてか、後片付けの速さにも感心いたしました。 皆様良いお年をお迎えください。   小泉

色々とお世話になりました。楽しい一日でした。堀川さんやお手伝いされた皆さんに感謝・感謝。ケーブル班の高尾山山頂の集合写真を送ります。遠く霞んだ富士山が見えました。美味しく牡蠣が焼けてます。有難うございました。  平松

昨日は大変お世話になりました。若手4人組の奮闘と堀川シェフの素晴らしい腕前のお蔭でおいしい牡蠣づくしをご馳走になり、大満足で家路につきました。1号路はちょうど良い散策路で楽しく歩くことが出ました。 KOBUKI

コブキさんのメールにある「若手4人組」とは誰かと、一瞬、考えさせられました。古希を過ぎても「若手」扱いされるこの集団は何だ!と思いましたが、そのような素晴らしい仲間の一員である事が嬉しい限りです。楽しい月いち高尾でした。ありがとうございました。連日のワンダーがらみで、今夜は、山荘委員会の忘年会に顔を出し、帰宅したところです。出席していた現役の中には18歳の一年生もおり、昨日の80うん歳の諸先輩、この様な幅の広い付き合いが出来る喜びを噛みしめながら、ほろ酔い気分での、帰路でした。       関谷


山に登らず調理に頑張ってくれた方々
堀川リーダー、ワイン 日本酒 ケーキなど差し入れてくれた方々、山登り 酒飲みなどお付き合いしてくれた方々の御蔭と好天に恵まれ 楽しい 一日を過ごす事が出来ました。 単調なコンクリート道の意外とキツイ1号路を 何時ものペースより早く登り薬王院のお参りの前にみなさんとは別に 本年もまた孫の受験のお参りに “オクトパス”という名の“置くとパスするという たこの置物”にとお参りも色々と忙しい。 来年も何とか 健康を維持し一回でも多く楽しい 月一高尾のプランに参加出来るようにしたいと考えた一日でした。    吉牟田 

(編集注:吉牟田はどういうわけかいつもブロック体でメールを書く。面倒なのでそのままとするが別に彼だけ特別扱いしたわけではない)

先日は楽しいお時間ありがとうございます。人生の大先輩方との時間共有は
どんな本を読むよりも勉強になります。会社の忘年会があり、天狗には参加できませんでしたがまた来年、参加できるときはよろしくお願い致します。 川名

堀川さん、お世話になった皆様、素晴らしい仕上げの山行に参加出来て本当に有難く唯々御礼あるのみです。吉牟田さんのメールに全て言い尽くされていますので私もそのままお礼の言葉を利用させて頂きます。有難うございました。明日は有馬記念で今年の競馬も終わります。ご存知と思いますが有馬記念は馬券を取るのが目的ではなく自分がこの一年で最もお世話になった好きな馬を買うのが本来の競馬好きの行為です。どうぞ皆様も好きな馬(名前だけでも)を応援してください。本年一年間本当にお世話になりました。 後藤

昨日はお疲れ様でした。堀川さんには毎回料理長をお勤めくだされ、誠にありがとうございます。パーティ終了後の集合写真を添付いたしますのでお受け取り下さい。では皆様、良いお年をお迎えください。
西澤
今年も、月一高尾、大変お世話になりました
牡蠣パーティ、堀川シェフ他料理を担当された方、に感謝。
ワイン、酒、ケーキ、パンと多彩で楽しまさせていただきました。
ありがとうございます。
天狗では「高尾の森つくり」の仲間とも会い、すっかり出来上がってしまいました。来年も参加できるよう頑張りたいと思います。 鮫島

 

今年最後の高尾の会に参加出来て幸せでした。木々に囲まれ靴底に土を感じながら歩く充実感、軍手とうちわで迎えてくれたBBQスタッフ、牡蠣づくしのメニューいろいろは野外料理のワクを超えて感激でした。屈託のないおしゃべりと笑いの渦はなによりの御馳走でした。八十路のためにやさしく歩いてくれたリーダー、速攻で写真UPのカメラマン、そしてこの企画の影の功労者、軽トラックに感謝の意を表します。来年も楽しみです。皆さまどうぞ良いお歳を! 遠藤

(注:これも吉牟田と同類)
膝の故障で、なかなか 月1高尾に参加できず、残念に思っていましたが、年末の素晴らしいの会に参加できて、牡蠣料理を満喫しました。ありがとうございました。
来年は高尾に参加できるようになりたいものと思っていますが・・・。
おちえ
月一高尾の今年のフィナーレには、あのゴージャスな牡蠣パーティーを開催して下さったおかげで、皆様と大変楽しい時を過ごすことができました。すべてに大満足、感謝あるのみです。有難うございました。
来年も頑張って参加いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
皆様、良い新年をお迎えくださいませ。  高橋

 

 

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”パタゴニアレース”放映

先に紹介したパタゴニアレースの実況が放映されると安田君から連絡があった。

以前パタゴニアレースの件はお伝えしたかと思いますが、12月26日(水)深夜午前0:10分からTBS系列番組「クレージージャーニー」でレースの模様が放映されます。田中陽希所属のプロレーサーチームの一員として甥が初参加。男3人女1人のチーム。陽希は300名山踏破中で不参加。下記のURL中の次回予告クリックして参照して下さい。
世に中には好き者がいるものだ〜、と思います。

関西有志忘年会の報告 (41 田中透)

平成30年12月14日(金)快晴、朝10時半JR明石駅改札口に関西有志の15名がぞろぞろと揃いました。ひとりは東京杉並から、ひとりは山口防府から、ふたりは
岡山から、残り10名は大阪・京都から、そして地元明石からは御大出張っての関西有志15名による淡路島岩屋での初忘年宴会へのスタートです。

明石港を11:00にフェリーは出発、15分後明石大橋をくぐった先岩屋港に到着、目の前の活魚料理割烹「源平」2階・貸切の間で初忘年宴会の始まりです。

先ずは会の主旨説明、「関西有志が淡路島岩屋で達者である事を年一確認する」会。又、選ばれし有志の選出はどの様な基準でとの問い?には、それほどたいした意味はではなく、ただただフェリー団体乗車最少人数15名を割りたくないだけで、ドタキャンがなさそうな人を勝手に選んでの有志であると説明あり。見事ドタキャンなく全員揃ったのはさすがでした!

冒頭、遠路東京杉並から日帰り自腹招待で参加してくれた河合デシさんを慰労しながら、御大の代行、益田ネリカンさんの音頭で乾杯! 割烹源平・魚会席を味わいました。

あとは、楽しく、飲み、食べ、喋り、又飲みを繰り返しながら、若きエース時代当時のわがままな想い出があちらこちらからと聞こえて来ました。皆さん、元気なKWVBAKA老人なのでしょうか?そして2時間半はアットいう間に過ぎ去りました。何かまだ居残りたい気分でしたが出航時間も迫り、集合写真1枚パチリ、締めは御大の「ヨオ~オ!」の掛け声一発、手拍子一発でお開きになりました。

この2‾3年KWV三田会は関西ブームで少々沸いております。年2回の日帰りプランではコース豊富で身近な歴史文化の地を訪ね、山に登り、温泉に入り、美味しいものを食べる…全てOK!なのです。

今回の有志による初忘年宴会は来年も、「関西有志岩屋会」と名称を変えて割烹源平で続く事になりました。開催条件は15名以上が揃う12月半ばの日程で、ドタキャンはしないと自信持てる人は全て資格ありです!(編集者質問:関西でなくてもいいわけ?)

参加者:石谷正樹(S39)、河合国尚(S40)、益田英昭(S40)、小山芳樹(S41)、下井健守(S41) 田中 透(S41)、藤本征機(S41)、松本好弘(S42)、田中ひろみ(S42)、山下日出夫(S43)、石井 始(S44)、関谷 誠(S47)、奥本耕三(S47)、榎本卓雄(S49)、水村哲也(S51)。

ことばの移ろい     (50 笹田敬雄)

・流行語大賞が年末の風物詩として定着して久しい。3年前の大賞は「神ってる」。万年下位に低迷していた広島カープの神懸り的な快進撃を称したものだが、翌年以降も連覇が続き、もはや「神懸かり」ではなくなったせいか、この言葉もいつの間にか消えてしまった。過去の大賞を振り返ってみても、いまだに寿命を保って広辞苑入りを果たせそうな言葉は意外に少ない。

・新語・造語はギャルや若者の専売特許だが、中高年から見ると耳障りなものも多く、言葉の乱れと映る。さしずめ「ら抜き言葉」はその代表例だ。「食べれる」「見れる」などの言葉を採用面接で使った学生は不採用にするという一流企業の人事課長の話も話題になったくらいだ。しかし時代は進み、すでに日本人の7割以上が「ら抜き言葉」を抵抗感なく受け入れたり使ったりしているという。(文化庁「国語に関する世論調査2002年」)。もはや多勢に無勢、市民権を得るのは時間の問題のようだ。

・新語、造語を言葉の乱れとみるか、変化とみるかはなかなか難しい問題だ。次の奇怪な文がおわかりになるだろうか。

「パルー ツンギーテー ナトウ キータルラチー チロタペノ カラマ ポチータリー アマノ カングヤマ」

これは持統天皇の詠んだ

「春過ぎて 夏きたるらし白袴(妙)の 衣乾したり天の香久山」

を金田一春彦氏が奈良時代の音で再現したものである。1300年の時の流れは、もはや変化などという生易しいレベルを超えているが、言葉の移ろいとはこういうことなのだろう。

・変化していくコトバに対する身の処し方としては、頑なにならず、かといって無節操におもねることなく・・・といったあたりだろうか。

金田一氏がどうやって奈良時代の音を再現したかはまた別の機会に。

 

 

ポピュリズムとは何か その2  (44 安田耕太郎)

イギリスの高級紙The Guardian)にポピュリズム関連の記事がシリーズで掲載された。ここで同紙は次のように言っている。

Populists tend to frame politics as a battle between the virtuous ‘ordinary ‘ masses and a nefarious or corrupt elite –   and insist that the general will of the people must always triumph.
( ポピュリスト達は政治は有徳な普通の大衆と邪悪な或いは堕落したエリートとの間の戦闘であるととらえ勝ちであり、人民の一般意志が常に勝利せねばならない、と主張する。)  。同紙によればポピュリズム台頭の大きな要因は3つある

第一は近隣諸国から流入する移民・難民の増加である。貧しい地域から肥沃で富んだ地域に移動するのは人間の性であり歴史の事実である。ローマ帝国滅亡の一つの要因として定説になっているのがゲルマン民族大移動である。移動或いは移住は100年から300年の長期間に亘り徐々にしかし持続的に行われた。後進国からの流入者の出世率の高さも人口問題を複雑化 深刻化させた。結果として、異民族の流入により帝国の政治的 経済的 社会的秩序維持が困難になって衰退 滅亡したのである (まず東西帝国に分裂395年、続いて西ローマ帝国滅亡476年。東は1453年オスマントルコによって滅亡)。ヨーロッパでは2015年の難民・移民急増問題がポピュリズム台頭に一層の拍車をかけた。この要因に誘発されたポピュリストは例外なく右派である。富んだ国アメリカを目指し中南米から行進して来て、メキシコ国境で足止めされている集団に対するトランプ大統領の一見冷酷な対応も同じ脈略で語られるべき問題であろう。何せ今世紀半ば以降にはアメリカでは白人を凌駕してヒスパニック系人口が多数を占めると予想されているのだから。ガーディアン紙は、移民・難民問題が現在のポピュリズム増殖の原因の一つと指摘しつつ、ヨーロッパはこの問題を的確に解決且つ制御していかなければ、ローマ帝国とゲルマン民族大移動の結末に似通った事態も中長期的(100年後、200年後)には起こりうる可能性もあると警鐘を鳴らしたのである。

第ニの要因は経済不況と貧富格差拡大の問題である。2008年のリーマンショック金融危機に起因する経済不況はポピュリズム台頭に多大な影響を与え、今日に至るまで、第一の移民・難民問題と深く関わりつつ、政治 社会を不安定 不確実にしている。経済不況によって蒙る悪影響の度合いによってポピュリストは左派と右派に分かれる。不況の影響を深く受けた国ギリシャでは極左SYRIZA党(急進左派連合)が2015年の選挙で36%を得票して、ヨーロッパでは唯一の左派ポピュリスト政権政党となった。ラテン系の南欧(イタリア スペイン ポルトガルなど)では左派ポピュリトが優勢であり、相対的に裕福な中欧・北欧ではポピュリストは右派が大半である。北に行けばより極右となる。ヨーロッパのポピュリストは約6割が極右派、極左派と中道が残りを半分ずつ分け合っている (貼付下図参照)。
第三の要因は、それまでポピュリストでなかった政治家や政党がポピュリストへ変更する 鞍替えケースである。最近の例としては、ハンガリーのFidesz党(ハンガリー市民同盟)とポーランドのLaw and Judtice党(法と正義の党)がこれに当たる。両党とも右翼であり、それぞれの国で国政を司る政権政党になった。空気の流れを読むに鋭敏な風見鶏であったのだろうか(安田コメント)。
第三に更にポピュリズムを産み、増殖させる土壌が今日の社会環境にある。
1.  個人主義的価値感の浸透が国民をして権力に束縛されたくない、解放されていたいと願わせ、独立 自立した立場で政治選択をするようになった。選挙する際の流動性 不確実性が確実に高くなり、ポピュリズムを標榜するポピュリスト政党へ投票する確率が昔に比べて高くなっている。
.  既存の右派 左派政党がイデオロギー論争を戦わせ、双方の具体的政策に鮮明な相違が目立たなくなり、且つ問題意識の高い市民の懸案事項に対して効果的対応が出来なくなってきた今日、選挙民は“どの政党も相違がなく同じではないか” と感じると同時に彼等の当事者能力に疑問も持つに至る。そのような状況下、ポピュリスト政党へ投票する傾向が大きくなってきている。
3.  危機が存在する状況下では、ポピュリストの態度がより強く顕在化する。例えば経済危機状況下では、本流の政党は “既成エリートが事態を混乱 悪化させたという類の批判” に対して大変脆弱である。更に、難民流入問題では、既成エリート政党が、国境を解放して難民を結果として招き入れ問題を惹起したにも拘らず、その後の対処が出来ていない、という批判に対して効果的な反論が出来ないでいる。ポピュリスト政党の付け入る隙が大きいのである。
4.  政権担当エリート達の堕落 不政がポピュリズム増殖の温床となっている。庶民は内向きで慇懃無礼な政権エリートに搾取 蹂躙されている、とのポピュリストの言い分は大衆の支持を得やすいのだ。このことは1990年代イタリアでまさに起こった政権交代で見られた。ポピュリストSilvio Berlusconi (のちイタリア首相を4回計9年間務めたシルヴィオ・ベルルスコー二)の台頭であった。フランスの超エリートマクロん大統領への大衆の反旗もその好例であろう。

ポピュリズム台頭の要因とそれを増殖させた土壌と社会環境を考察したが、最近の最も大きなポピュリズム関連の政治出来事と言えば、ポピュリストに牽引された英国のEU離脱とポピュリスト・トランプのアメリカ大統領就任であろう。ポピュリズム台頭の歴史と現状をみてみよう。ヨーロッパのポピュリズムの歴史は1956年オーストリアに於ける旧ナチ党員により組織されたFar Right Freedom党(極右自由党等)に始まった。1994年には20%を得票するまでに勢力拡大し、今日では連立政権の一翼を担っている。国連事務総長(1972〜81年)、オーストリア大統領(1986〜92年)を務めたクルト・ワルトハイムは元ナチ将校でポピュリストであったは定かでないが生粋の右翼であった。

1990年代にはノルウェー、スイス、イタリアでもポピュリスト政党が大きな成功を収めたが、真の成功が顕著になったのは21世紀になってからである。オランダ、フランス、ハンガリー、ポーランドへとポピュリズムの波が押し寄せていった。2000年代初頭より急速に躍進したハンガリーとポーランドの右翼ポピュリスト政権政党は前述の通り。その後、ほぼヨーロッパ全域で反既成政党を旗印に掲げるポピュリスト勢力は雪だるま式に増殖していった。特に2008年の金融危機とそれに続く経済不況、2015年の移民・難民流入問題がさらなる追い風となった。

ヨーロッパではポピュリスト政党の得票は1998年の7%から2018年には25%にまで増大した。即ち、4人に1人が投票する勘定だ。また、ヨーロッパ31ヶ国中、実に11ヶ国でポピュリスト政党が政権を担当している。ポピュリスト政党が政権担当している国の人口は1998年の1250万人から2018年には13倍強の1億7000万人にまで膨らんだ。ポピュリズム台頭の模様は以下の4図から鮮明に理解出来る。

イギリスではかのナイジェル・ファラージ率いるポ右派ピュリスト政党UK Independence Party (通称UKIP イギリス独立党)はEUからの離脱Brexit(ブレグジット)を牽引し、離脱を達成した。
ドイツにおいてはポピュリスト・“ドイツのための選択肢党”(AfD)が反EU・反移民をスローガンに2013年戦後初の極右政党として結党され、既に国内全州の州議会で議席を有しており、最近の国政選挙でも連邦議会で定数709のうち92席を占めるまでに勢力を拡大させて来た。一方、2005年から首相を務めるアンゲラ・メルケルのキリスト教民主同盟(CDU)は最近の地方選挙で完敗し、彼女は党首を辞任、首相の座も2021年の任期満了をもって退くことを表明した。移民・難民問題に対して採った寛容政策が敗因として非難される彼女が今後レームダック化することは避けられず、ドイツの今後は予断を許さない状況となった。
EUを支えるもう一つの強国フランスでもマリーヌ・ルパンのポピュリスト政党は直近の選挙で33%の得票を獲得して第2の政党へと躍進した。経済不況と国民に負担を強いる経済政策不人気でマクロン大統領の支持率は記録的に低い2割台まで急降下。つい最近の暴動にも等しい激しいデモは、国民の7割が賛成していると言われ、今後のフランスの状況を不安定 不確実なものにしている。(以下、安田ひと言) ルノー・日産どころじゃあ〜ないだろう、マクロン君 。
2017年誕生の左派ポピュリスト文在寅大統領率いる韓国は、最近の経済不振に伴い支持率が大きく漸減したきた。政権基盤が大衆の支持によるところから、前年比賃金16%アップを企業に要求、実行させた結果、企業の国際価格競争力が大幅に下落すると同時に企業側が雇用を絞るようになり、特に若者の犠牲が深刻で失業率も高くなり、消費低迷から景気後退をもたらしている。意図した大衆を満足させる(迎合する)ポピュリズム政策が裏目に出て、逆に大衆に犠牲を強いているのは皮肉な結果である。(安田コメント: 内政の苦境 の状況下、“赤化・従北・反日” に活路を求めて求心力を維持せざるを得ない状況は大変危惧される。起死回生とばかりに勇み足的な政策実施がこれら3課題の対応でも目立ち、今後は非常に不安定 不確実であり、大きなリスクをはらんでいる。)
(以下、次回)

夜の紅葉探訪      (36 翠川幹夫)

「12月6日付読売新聞の地域ページに「保谷の旧高橋家屋敷林の紅葉」が紹介されているぞ」とのジャイからの電話あり、「それでは見に行くか」と言うことで7日夕方、ジャイ夫妻、翠川夫婦で連れ立って森の中の屋敷へ踏み入って見た。

西武線「保谷駅」北口はこの十数年で急激に住宅地として開発されたところで、ここから徒歩5分程のポツンと取り残されたこの1ヘクタール程のケヤキなどの屋敷林の中に、一際大きなイロハモミジがライトアップされており、これがメインであった。

見事なモミジだったが、一本だけと言うのは一寸淋しかった。

ここから車で20分程の「平林寺」の紅葉は素晴らしい。来年の紅葉狩りには皆さんに是非お勧めしたい。

ネリカン先輩へ     (H21 羽村太雅)

ご無沙汰しております。最近は仕事も家庭も忙しく、なかなかKWVの集まりに出席できずにおります。そんな中、思い出していただき、ありがとうございます。

さて、ブログを拝見しました。

太陽系内の天体で、肉眼で見えるのは、太陽と月、5惑星(水金火木土)のみです。太陽系の中には他にも、天王星・海王星や、冥王星をはじめとする準惑星、日本の探査機が訪れて話題になったイトカワやリュウグウをはじめとする小惑星や、その他小天体が多数ありますが、肉眼で見えることはありません。

肉眼で見える「星(恒星)」などは他は全て太陽系の外側にございます。
太陽系の外側には、太陽系に似た規模の恒星系が多数あります。肉眼で見えるものはいずれも、銀河系の中にあるものです。天の川を構成している星々も、皆この銀河系の一部です。

銀河系の外側には、無数の銀河があり、それぞれの銀河に「星の数」だけ星が含まれます。この辺りの規模感は、少し古いですがPowers of Tenという有名な動画が参考になるかと思います。最近は他にも多数の類似の動画が作られておりますので、探してみるとよりイメージしやすいものがあるかもしれません。

Powers of Ten
https://www.youtube.com/watch?v=paCGES4xpro

北極探検隊が帰還時に方角を決めた実際上の方法は不勉強のため存じ上げませんが、たとえ北極点であっても、時刻によって太陽が見える方角は異なりますので、少なくとも時刻がわかれば方角はわかるものと考えます。

(編集注)羽村太雅君、H21卒、150年記念W時には現役を代表して協力してくれた。天文学のプロである。ネリカン兄、ご納得いただけましたかな?