ミス冒愛好会 (12)   ”レベッカへの鍵” を思い出した

”レベッカ“ という懐かしい映画をBSの放送で見ることがあった。映画そのもののことは別として、思い出したのが ”レベッカへの鍵“ という小説である。著者は日本では ”針の眼“ という作品で有名になった、イギリスの冒険小説作家、ケン・フォレット。最近は冒険小説、というジャンルには整理しきれない多くの作品を発表している。小生は最近のものは全く読んでいないので多くを語ることはできないが、初期の ”トリプル“ ”獅子とともに横たわれ“ ”ペテルブルグから来た男“ ”コード トウ ゼロ“ あたりは一応読んだ。ここでは”レベッカへの鍵“ という一作品を思い出したことについて書く。

この作品は第二次大戦の裏側でのスパイ活動をテーマにしたもので、ストーリーや出来栄えについてはあまり言うことはないが、スパイが用いる暗号の解読のキーが ”レベッカ“ という小説の中に隠されている、というのが面白かった。この小説の存在が出版元のイギリスだけでなく、ドイツでも有名になっていなければこのストーリーが成り立たないからである。デュ・モ―リェのこの本の出版は1938年であり、英独の間はすでに戦争状態にあったから、この前提は正しい。しかし敵国である英国の民間人の書いた本がドイツ人の間で愛好されていた、というのは、太平洋戦争中敵国文化はけしからんとして英語教育すら抑制されていた我が国の状況とはあまりにもかけ離れている。

また、ご存じの方も多いと思うが、ナチドイツから亡命したマレーネ・ディートリッヒが歌った “リリー マルレーン” という歌が、英独両国でともに有名になり、ドイツ軍兵士も好んで聞いていたといわれている。ドイツ軍上層部は兵士の士気に影響があるとしてのちのこの歌を歌うことを禁じたというのだが、実効性はどうだったのか。スマホなどなかった時代、大げさに言えば短波受信機を持っていなければ聞けなかったはずだが。

もうひとつ、本の題名が思い出せないが、たしかアリステア・マクリーン(あるいはジャック・ヒギンズだったかも知れない)の作品の中で、ドイツ領内に潜入した主人公のスパイがドイツ兵に追いかけられ、必死の思いで公園にあった女子用便所に身を隠す場面がある。ここまで追いかけてきたドイツ兵は当然ここを調べようとするがもう一人の仲間が、よせ、ここは婦人用だぞ、と言ってそれを押しとどめ、言ったほうもそういえばそうだ、と納得して調べるのをやめ、主人公は逃走に成功する、というのである。

この三つの挿話は、たとえ戦争状態にあっても、二国の国民には共通する確固たる文化的な共通点がゆるぎなく存在する、ということを示している。しかも三番目の例では、それが将校などの知識階級出身者にとどまらず、一兵士までが当然と信じていることを示している。

欧州に滞在しておられた(る)方には釈迦に説法だと思うが、”その角を曲がっていけば別の国“ というような感覚で他国と接している中で、数世紀、いやそれ以上の間、違う人種、違う文化が共存してきたのが欧州だろう。しかもその国々には、アルファベットという共通のコミュニケーションツールが存在し,宗派は違ってもキリスト教が共有され、かつてはローマ帝国の仲間であった歴史がある。そういう国家群が、いまなお、異なった言語、異なった文化をそれぞれに保有している。日本で言えば青森語と函館語が存在するようなものだ。物理的に近いとはいえ、大陸とは海を隔てて隔絶した文化圏を育ててきた日本では理解しにくい環境である。

他方、南北アメリカは近世になって欧州人が先住民族を制圧して作った国であり、基本的には支配異民族と先住民族の間に人種的、文化的なギャップが厳然として存在している。欧州にも人種の違いは当然あるわけだが、それは戦争や統合や分裂があったとしても、当初から存在していた、いわば原住民同士のあいだであり、先住民と侵略者という図式とは違っている。中南米では当初から白人優先の経済的支配に疑問を抱かなかった欧州の支配が確立されている(しまった、というべきか)のに対し、アメリカという国はその出発点から、宗教的動機とはいえ、崇高な理想を掲げて立国をしてきた(その理想の中に先住民族やアフリカからの奴隷に疑問を持たなかった、という絶対的な矛盾はあるのだが)。その中心にあるのが多様性、という理想であり、(彼らの定義による)民主主義であって、その分かりやすい看板がいわゆるアメリカンドリームだった。

しかしその経済第一の国是が行き詰まり、なお企業の利益拡大(もっとありていに言えば株主利益の最大化)を追い続けた結果、現在のグローバリズム、という一見、結構な、突き詰めれば人類の未達の夢である世界市民、というようなゴールを掲げた動きが始まった。しかし結末は結局、経済的ギャップを拡大するにとどまって今やその影響が各所にほころびを見せ始めた、というのが現状のように思える。今なお、異なった人種、異なった文化が存在し続ける欧州社会では、すでに何世紀にもわたって存続してきた形はこの グローバリズム というものの掲げる理想をある意味では実現してきたのではないか(移民問題でそれが揺るぎ始め、究極的には現代アメリカ化へ突進してしまうのかもしれないが)。

これからは小生の我田引水になってしまうのだが、現在の世界の状況がSNSという魔物を野放しにした結果、だれも真実がわからないままの情報が独り歩きする (小生がちと詳しいエリッヒ・フロムという学者はこの現象を 匿名の権威 という用語で説明している)。イデオロギーや哲学や論理などを超えた、だれが言い出したかもわからない事が多い、そういうなにかが民衆を支配する、そういう歴史的な時点(大衆社会)に到達してしまったのだ、というのが今、自分が感じていることである(1月26日付 読売新聞28面に参考になる記事が掲載されている)し、今回のアメリカ大統領選に引き続いた混乱はまさにそれだ、という気がする。

レベッカ、からはじまって大げさなことになってしまった。しかしなお、小生は ”俺が愛したアメリカ“ の復権を願う一人ではあるのだが。

アメリカ人の愛国心について  (37 宍倉勝)

この一年、米国大統領選選挙関連の報道がマスコミ界を席巻し、いわゆる”電波芸者・寄生虫“と称される、種々のバックグランドを持った評論家の飯のタネも終わりました。今は新大統領の政策・方針が報道の世界を賑わいはじめました。

大所高所の議論・判断もさることながら、小生が思うに、今米国民の大きな関心・懸念は、米国民の73%が嫌悪する、中国に対する方針ではないのでしょうか。世界戦略を展開している中国が、米国を凌駕し、世界の覇権の地位を奪うのではないかとの懸念です。

大統領選挙で国論が二分され、米国内での分裂が盛んに報道されています。私はこの様な米国の事態は表面的&一時的現象だと考えています。米国民の強い愛国心を考えると納得します。米国民は自己主張が強く、議論好きです。これは多民族国家で、自己を強く表現しなければ生きられず、社会に埋没してしまうからです。その点自己主張をほとんどしない日本の国民性とは大きく異なります。

数年前のある調査機関(機関の名称わ忘れました)の調査では、世界で愛国心の一番強いのは米国民であるとの調査結果がありました。強い愛国心を持つためには、自分が住んでいる国に誇りを持ち、自国を好きでなければなりません。

米国に住んでみると、いわゆる“Comfortable”&“Reasonable”な社会であることを強く身近に感じます。米国生活を経験した人はほぼ100%同感してくれると思います。ジャイさんのブログに滞米中の経験談がありましたが、米国籍(市民権、永住権)の取得を熱望し、感激する人々の様子を私も滞米中に体験をしました。

  • 国家的なスポーツ等の行事では勿論ですが、ローカルな行事でも、競技開始前には観衆一同起立、国歌斉唱、終了と同時に、ジェット機の編隊が爆音を発し上空を飛び、いやがうえにも盛り上がり、愛国心が高まります。
  • 移民局に行けば永住権を取るために、早朝から長い行列ができ、その日のうちに書類が受理されず窓口が時間切れとなると、整理券を受け取り翌日再度並びなおさねばなりません。同じことを2,3回繰り返しやっと書類が受理され審査がスタートします。移民局の外で、永住権の資格取得に成功した人たちが涙を流し、抱き合い喜んでいる光景を何度も目のあたりにしました。小生も永住権取得の過程で同じ経験をしました。シカゴの友人に最近の様子を聞きましたが、相変わらず移民局の行列は続いているとのことです。

時にはヤンチャ的でしたが、発言力があり有言実行のトランプが好きでした。バイデンが強い指導力を発揮し米国をリードすることを期待します。

(37 菅谷)オシシ兄、貴意を拝聴、私の感想を書きます。

①貴兄が愛する米国のために、過っての米国の良識を取り戻すために弾劾裁判を粛々と進め、トランプは政治の世界から退出して貰う。
②彼の4年間は米国の抱えている病を癒すことよりも傷口を拡げる結果となり、特に大統領選挙戦・前後の言動は呆れるばかりであった。
③トランプが荒らした土壌を耕し、再び緑を取り戻すバイデンの役割は生易しいものでない。辛抱強さと時間が必要だ。
④コロナ・パンデミックの様な、全て不確かなカオスの時代には独裁や強権を振りかざす為政者が、国のリーダーとして持て囃されがちだ。
⑤バイデンが使命を全う出来るか、今こそ民主主義を標榜する国々の結束が肝要だ。だが秋にはメルケルも去り、夫々の政権基盤にも不安が付き纏う。
⑥ましてや、番頭さんが分限の政治家を首相に選んでしまった我が国の国際社会における存在感はどうなるのか、不安を通り越してそら恐ろしい。

”コッピついて来る” - 覚えてますか?

だいぶ前の話になるが、あの ドリフターズ が盛んな頃、何を宣伝していたのかという大事なことは忘れてしまったが、何か買えばコップがおまけでついてくる、というコマーシャルがあった。昨日、たまたま近くの店でビール売り場へよったら、ハイネケンビールの3本入り、というのに気が付いた。3本、というのが妙なのでよく見たら、専用の小さな箱に3缶とネーム入りのグラスが一緒になっているパッケージだったので、このコマーシャルを思い出した。

小生はビールの味だとか瓶がいいか缶がいいかなど、その通の人たちの議論など全く理解できない音痴だが、在米中、西部では主流のオリンピアかバドワイザと一緒にハイネケンはよく見る銘柄だった。

メーカーの名前入りのグラスというのはバーではごく普通だが、一般にはあまり手に入らない。グラスほしさに1パック買ってきた。しかしこの調子でたとえば半ダーズそろえるとなると3000円は投資しなければならない。コッピがついてきてもどうだろうか、と暇つぶしに悩むところだ。これもコロナのもたらした暇つぶしのひとつか。それにしても俺、酒量がふえたなあ。

 

エーガ愛好会(45)  1月の映画遍歴です (HPOB 金藤泰子)

今月はTVを長時間見ていましたので、何を見たのかを忘れないうちに一言メモのはずが観た映画が多いので長くなってしまいました。

80日間世界一周
 気球でアルプスの山を越え、そのまま世界一周するのかと思っていましたが、馬車や汽車船と乗り継いで各国を周る映画でした。気球からの景観は今でしたらドローンでの撮影でしょう。 様々な乗り物が出て来て色々な国へ行き楽しかったです。エンドロールのアニメ的演出(^ ^) かわいい♡も洗練されていました。
これを観ればこの映画の復習が出来ます。
 “誰が何処に出て何をしていたでしょう?“ エーガ愛好初心者の私には、まだまだ分からない人だらけです。 テーマ曲 は「Around the World 」
 デジャヴ 2006年 アメリカ
 ニューオリンズでフェリー大爆発事件が起き、犠牲者は543名。
政府が開発した「4日と6時間前」の映像を見る事が出来るという極秘装置を使い、死亡した女性クレアの過去を調べる主人公の捜査官を演じるのはデンゼル・ワシントンのSFサスペンス。 タイム・トラベル?パラレル・ワールド?しっかり観ていないと、どの世界にいるのか分からなくなりそうでしたが、細かい検証は無しにしてテンポが良かったです。
白い恐怖  Spellbound 1945年 アメリカ
ヒッチコックのサイコスリラー。
原作はフランシス・ビーディングの1927年の小説 「The House of Dr.Edwardes」若くて細い顔のグレゴリー・ペックに驚きました。
精神科医役の生真面目そうなイングリッド・バーグマンも素敵
仕事一筋だったのにいつの間にかフォーリンラブ。スキーシーンの合成場面は気になりましたが。
クリスタル殺人事件 The Mirror Crack’d 1980年
 エリザベス・テーラーに話しかけている女性とエリザベス・テーラーの青紫色の帽子を見て、この映画は30年以上前にTVの洋画劇場で観ていたのを思い出しました。他にもキム・ノヴァック ロック・ハドソン エドワード・フォックス等々豪華俳優が出演しているのに、物足りない映画に思え、忘れていたのだと思います。 台詞の中に“プロデューサーはお金を集める人、監督はお金を使う人“と ありましたから、きっと俳優の出演料で目一杯、製作費用が足りなかったのでしょう(・_・;  セットも貧弱でストーリーに相応しい華やかさはありませんでした
 ミス マープル役のアンジェラ・ランズベリーは、NHK の海外TV ドラマ “ジェシカおばさんの事件簿“を見てからは、私の中では”ジェシカおばさん“のイメージで固まってしまっているので、ミス・マープル役はしっくりきません。 ミス・マープル役は1980年初期にやはりTV ドラマで見た “ミス・マープル“のジョーン・ヒクソンで決まっていました。 本の中ではもう少し穏やかそうなイメージだった気がしますが外見は細くて想像に近い気がしました。 映画は今回観ても、やはり残念な気分になり、口直しに夕方に BSプレミアムで「名探偵ポアロ」を観てすっきりしました。
ドリームガールズ Dreamgirls 2006年
ソウル/R&B系レコードのモータウン・レーベル所属の黒人女性グループ、ダイアナ・ロスとスプリームスがモデルだそうです。 (私も子供の頃はシュープリームズと覚えていました)
ヒットするまでのサクセスストーリーと、その裏での嫉妬や挫折など織り交ぜたヒューマドラマで、出演はビヨンセ・ノウルズ、ジェニファー・ハドソン、ジェィミー・フォックス、エディー・マーフィー等ジェニファー・ハドソン、存在感がありました!
R/B  は殆ど聴いてこなかったのですが、もう一度映画で歌われていた曲を聴きたくなりました。YouTubeがありますね!歌の場面は殆どないそうですが「メーキング・オブ・モータウン」もこの際、観たいと思いました。
追憶  The Way We Were  1973 年アメリカ
  曲は良いのですが・・・
私もバーブラ・ストライサンドが苦手でこの映画は観に行きませんでしたが、映画の評判は良いようですし、ロバート・レッドフォードが出ているので今回のBSは観ました。
レッドフォードも大学生役には無理がある年齢 当時38歳
歳を重ねて再会する場面のレッドフォードは、やはり素敵でした。
レベッカ Rebecca  1940年 アメリカ
 2回目です。
三人の名付親 1948年 アメリカ
 Giさんの「見てよ!」のお勧めです、観ました! 西部劇?でこのような展開は初めてです!三人のゴッドファーザー、 優しかったですね。ペドロ・アルメンダリスは良い俳優さんだと思いましたが、メキシコの大スターでしたか。
ハリー・ケリーJr.の歌、もう何曲か聴きたかったです。それにしても荒野の砂嵐は激しかったですね、TVで観ているだけでも眼がシバシバです!
新しい海外ドラマは15日から、BSトゥエルビで アガサ・クリスティー自身を元にしたフィクション推理英ドラマ「アガサ」金曜夜7時からを観ています。こちらは3作品だけですので、次回で終わります。映画は、来週は木曜に「ドクトル・ジバゴ」を観ます。 2回目です。
PS
このメールを書いている途中にも、皆様からの名解説を頂きました。ありがとうございました。  我が家は東京の西の外れ、高尾山近くなので、 今日は雪かきをするようになりそうと昨日から雪かきシャベルと長靴を出して準備をしていましたが、朝、起きたら積もっていなくて本当によかったです。 
そろそろ花粉症の症状も出てきました😷

エーガ愛好会(44) レベッカ  (44 安田耕太郎)

(44 安田)   レベッカは、ヘブライ語の女性名リベカの、ヨーロッパ諸言語形。旧約聖書にも登場し、うっとりさせる者、魅惑する者、束縛する者という意味がある。この映画の題名にふさわしい。

前半はモナコで出逢った二人のラブロマンス。大金持ちのイギリス紳士の夫の屋敷、不気味なマンダレーに着いてからは一変してサスペンスの様相へ変わっていく。

タイトルにもなっている、1年前にヨット事故で亡くなった前妻「レベッカ」の姿は、一切出てこず、主人公ジョーン・フォンティーンの名前は一切明かされず、場面に応じて「奥様」「ハニー」「あなた」などと呼ばれる。名前のない主人公と、姿のないレベッカ、この二人の対比がこの映画の不可思議な筋を形作っていく。

生前は知性・美貌・家柄の良さもあって夫(ローレンス・オリヴィエ)の心を掴んでいた前妻レベッカの完璧な存在が、さながら亡霊のように主人公の心を不安にして追い込む。多くを語らない夫、レベッカを崇拝していた屋敷を仕切るメイド長は、邸宅内を生前のままの状態に保ち、殊更に前妻の美しさ、華麗さ、偉大さを強調する。レベッカの私物には全てRの刺繍が施され、至る所でRの刺繍を目にさせられる。この世にいないはずなのに、美貌・崇拝・羨望・畏怖・嫉妬と様々な形でレベッカが姿を見せない「主人公」のようにあらわれる。

新婚生活を送るも先妻の物が至る所にあり落ち着かず気味が悪い。レベッカの幻想により狂っていく主人公フォンティーン。夫に喜ばれようとレベッカの肖像画から同じドレスを着ると、無論フォンティーンは美しいのだが、死して尚、影響力を持つレベッカの影に怯えるかのように夫に叱責されて、涙にくれる。全てのことが空回りしてしまう主人公を見事に上手く演じている。美しく聡明なのに自分に自信が持てなくてオドオドしているヒロイン。ずっと見えない敵に怯えている心理描写が巧みだ。 強烈な存在感を放つレベッカと垢抜けしない主人公との対比の妙が面白い。

そして物語は後半のクライマックスへと突入する。埋葬されているはずのレベッカの死体が難破したヨットから見つかり、物語は一転、後半の惹き込まれ方は、さすがヒッチコックの面目躍如たるものだ。レベッカへの想いが、実はそうではなかったことを夫が告白。物語は意外な方向へ予想し得ない結末へと展開する。

この映画の立役者の一人ははメイド長を演じたジュディス・アンダーソンだ。不気味な存在感と秀逸な演技のインパクトは凄まじいばかりに強烈だった。ヒチコック映画には打って付けであった。スリラー映画「危険な情事」1987年でグレン・クロスが演じた怖い女に似通った不気味さだった。

フォンティーンにとっては、オスカー主演女優賞を獲得した「断崖」の前年の映画であるが、「断崖」より主演女優賞に値すると感じた映画であった。彼女が悪夢から目覚め、敢然と困難に立ち向かう決意をして強い女として豹変する様は、姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドがオスカーを受賞した「女相続人」における彼女の豹変ぶりに踏襲されているかのようだ。ローレンス・オリヴィエは、シェイクスピア俳優として舞台劇を演じているかのような感じがした。「レベッカ」制作は1940年。ヴィヴィアン・リーと結婚した年。そのせいかどうかは不明だが、新妻フォンティーンとのラブシーンは、殆どなく淡白で軽いキスシーンが一回あっただけ。実生活の新妻リーの影を意識した、と言うのは穿った見方であろうか?それとも、レベッカに影に翻弄されているオリヴィエは、新妻との甘かるべく新婚生活に没頭出来ない、とするヒッチコック演出であったのだろうか?

エンディング近くに登場する主治医役のレオ・キャロルがいぶし銀の演技を見せていた。アメリカ進出後のヒッチコック映画には彼自身のカメオ出演を除くと、最多の6回出演している。「レベッカ」に加えて、「断崖」「白い恐怖」「パラダイン夫人の恋」「見知らぬ乗客」「北北西に進路を取れ」である。全て観たが、彼の鼻の下の長い顔は忘れることが出来ない。

 

(36 栗田)「レベッカ」はこれで5回目かな。最後に観てから数年経つので。やっぱり、白黒映画の醍醐味を教えてくれます。

DVDも持っています。J・フォンテーンが役にピッタリです。姉のハビランドより控えめでいいな。「This is IT」も何回か観ました。 M・ジャクソンはやっぱり天才ね。何をやっても様になる人はそういません。
唯一つ理解できないのは、何であんな整形をしたのかな。あんなチャーミングな顔を授かっていたのに・・・

(41 久米)ヒッチコックがイギリスからハリウッドに渡っての初作品です。

サスペンスですがいかにもイギリス的な文芸作品の香りがする作品です。私が初めて見たときは小学生でしたのでた だただ怖い想い出ばかりでしたが後年観た時はジョン・フォンティンの美しさとローレンスオリヴィエの渋さ、それに恐ろしい侍女役のジュディス・アンダーソンの名演技始めにLast night I dreamt I went to Manderley againというヒロインの言葉で始まる作品です。

(編集子 Harper 社刊 Rebecca  の表紙と 第一ページ の書き出しをあげておく)

大統領就任式中継放送を見た

学生時代にはただの一度も徹夜をしたことがなく、サラリーマンになって初めて、コンピュータ室で夜を明かすことを何回か経験したことがある程度の小生だが、昨晩というか今暁は意を決して米国大統領就任の中継を見た(コロナに加えて先週の暴動の後、何かハプニングがないかという野次馬興味も半分だったのだが)。

一般の参加者もなく、通例の大統領夫妻が群集の中をあるくという実にこの国らしいセレモニーもなかったが、国歌と準国歌というのか米国をたたえる歌を歌ったのがガガとロペス,いままでになく人種問題を意識した演出だという感じがした。同じことがもしかのケネディの時にあったら非常に感動的なものになっただろうが、この政権にとっての課題というか、さらに言えば難題をそのまま見せつけたような感じであった。

こういう時、小生滞米中に遭遇した話がふたつ、決まって思い出される。ひとつはどういう背景だったか覚えていないが、移民が初めてニューヨークにはいってから何周年、というような記念の式典だったのだろうが、英語もおぼつかない、ラテン系の男性がインタビューに応じて、文字通り涙ながらに、ようやく、この国の人間になれた、これ以上のうれしさはありません、と絶叫したのを聞いたこと、もう一つは、父ブッシュの夫人、バーバラがある女子大学の卒業式に招かれて述べた祝辞である。その中で彼女は ”この国の進路が決まるのは、NOT IN THE WHITE HOUSE, BUT IN YOUR HOUSE と述べたのだ。

この二つのラジオ放送の中継ほど、僕を感激させたことはなかった。これが本当のアメリカ、欧州文化のしがらみを断ち切って作られた“人造国家”の真骨頂だ、と思ったことだった。その後退職直前まで、産業の現場で日米の意識や行動のギャップにさらされ悩み続けたけれども、この 良きアメリカ、への信頼はゆるいだことはなかった。

今暁の放送を見ながら、つくづく感じたのは、“あのアメリカはどこへ行ったのか” という疑問、喪失感、失望、そういうものだった。歴史家はこの変遷をどう説くのかわからないが現在の混乱を生んだ根本的原因がグローバリゼーションという妖怪であったことは明快であり、その渦中で現場の混乱を経験した自分としては、はっきり言って大統領一期だけで解決できるようなものではないだろう、と変な確信がある。

ジョー・バイデン氏、小生よりも4歳若い、KWVでいえばぼくらの卒業と入れ替わって入部した連中にあたる。おい、デシ、チンネン、アイちゃん、なんとかこの混乱をまとめてくれよ、頼むぜ! と先輩風を吹かせるところだが。

 

 

 

剣岳ー遠望するしかないけど

(42 保屋野)昨夜、NHKBSPで剣岳初登頂の検証登山の番組を見ました(2018年に放映された番組ですが、見逃しました)。。

ご承知の通り、剣岳は平安時代に修行僧により登られていますが、その登山ルートは未だに不明です。従来は、比較的易しい「長次郎雪渓」ルートが有力と思われてきましたが、麓から遠すぎるのが難点でした。

もう一つ「早月尾根」ルートも難易度は低いのですが、水の確保が難しいので、ムリだろうと思われてきました。

そこである探検家が調べた結果、馬場島から立山川を遡行して、途中から早月尾根に取り付く、というルートを発見して地元のガイドと検証登山を実施しました。その結果、2日目の10時に山頂に達することができ、(もちろん、登山靴とわらじの違い等はありますが)このルートなら平安時代でも可能との結論に至りました。もちろん、本当のところは永久に分らないでしょうが、面白く有意義な検証登山だったと思います。

(44 安田)興味を惹かれる剱岳BSP番組見逃しました、残念.。メールとご解説ありがとうございます。

「点の記」は、まず小説を読み、10年ほど前に映画を観ました。一昨年の三田会夏合宿では立山町博物館に展示された、錫杖を見学しました。
 剱岳登頂はこれまで2回。19歳大学2年生の夏。宇奈月よりトロッコ電車で欅平へ。阿曽原まで水平道、そこから仙人池経由で裏剣の絶景を堪能、剣沢経由で頂上へ。長次郎沢の絶景など満喫。このプランでは槍穂高を通って上高地まで、僕のKWV最長縦走。 2回目は65歳の夏、S44同期の夏合宿で室堂より入山。剣山荘に泊まりピストン。 1m高くして3000m峰にしてあげたいですね。威風堂々とした貫禄充分の僕の中での日本の山ベスト3にはいる名峰です。

(39 岡沢)私は70歳の時、2011年9月24日7時に剣岳に登頂しました。 堀川をリーダーとした7人グループ、その中に飯河と私も参加しました。その前年には飯河と二人で剣山荘迄は行ったのですが、悪天候で引き返し失敗に終わっています。2011年9月24日朝3時過ぎ、真っ暗な中を剣山荘出発、好天に恵まれ7時過ぎ、とうとう山頂を踏みました。

ところが下山時、私は前剣の下りのざら場で足を滑らせ頭を岩にぶつけ額を切り大出血。しかし、堀川の応急手当によって何とか出血を抑えられ、飯河が傷をしっかり覆う帽子を貸してくれて歩行可能な状態になりました。他6人の予定(堀川は裏剣、仙人池、欅平へ私と行く予定、飯河は立山三山から帰京)を中止させることをしたくないので、私一人で下山することにしました。途中、剣沢室堂の診療所に寄りましたが、適切な手当で出血が止まっているようなので帰ってから病院に行くようにと、ここでの手当は断られました。下山中は本当にふらふらで坂を登るのも休み休みの状態でしたが、アルペンルート、大町経由で、娘が手配してくれた自宅近くの外科医のいる夜間救急病院へ直行。X線CT検査の結果は異常なし、額を7針縫う手術を受け、夜11時30分に自宅に帰着しました。術後は良好で1週間後には抜糸、一件落着しました。なお、裏剣、水平道、欅平は2019年9月に堀川、飯河、私の3人で決行、達成できました。

(40 藍原)剱岳には2008年に武鑓君と行ってきました。現役時代に行ってなかったので、どうしても行かなければならない山でした。ついでに十字峡も行きたかった。66才となり、体力的に最後と思われたので、頑張りました。

コースは1日目  室堂~剣御前小屋

    2日目  剱岳~剣沢~真砂沢ロッジ

    3日目  二股吊橋~仙人池~仙人ダム~水平歩道~阿曽原小屋

    4日目  欅平~帰京

天候に恵まれ順調に歩けたが、3日目がきつかった。阿曽原小屋の主人に真砂沢ロッジから阿曽原小屋までは、途中道が崩れ、遠回りせねばならず12時間かかるといわれたが、実際に11時間を要しました。全ての行程が絶景であり、私の山行で5指に入ります。

(40 武鑓)カニのたて這い、よこ這いの難所で先年同期の某君が壁の足場に足が届かず苦戦したと聞いたが、小生は何とか届いたこと。3日目、剣沢の終わりの方で浮石を踏み3回転くらいして沢に落下したが肩の強打で済んだもののその日は疲れ果てて阿曽原小屋の夕食が食べれなっかたこと。欅平までの最終日に落ちたらアウトの右側が断崖絶壁の水平道を左の壁に寄りかかるように怖々歩いたことなど懐かしく思い出されます。未だ60台半ばで体力脚力もあった頃ですが、印象に残るきつい山旅でした。

(39 三嶋)剣岳には2010年夏に一度登りました。カニのタテバイ・ヨコバイ は”3点確保”と言い聞かせながら懸命でした。2組前のパーティが登っている時に 落石があり、大事には至りませんでしたが、これから登る方はヘルメット使用をお奨めします。

渋滞するカニの横ばい

剣については ご存じの 「剣岳点の記」にある 明治のころ陸地測量部が命がけで登頂し そこで見たものは””錫杖”だった と言う有名な話があります。

感動のシーンですが、何時 どんな修験僧が登ったのでしょうか?この錫杖は 「立山博物館」 に展示してあります。
ご覧になった方も多いことかと思いますが、ここでは 錫杖の他にも 立山信仰の曼荼羅をはじめ 立山の自然や暮らしを知ることができます。
アクセスが悪いのが難点ですが、隣には雄山神社もあり、訪ねる価値はあると思います。機会があればもう一度行ってみたい場所の1つです。

 

エーガ愛好会 (43) ガンファイター 

(34 小泉)
「ヴェラクルス1954」の監督ロバート・アルドリッチの作品。同作品でもどちらかと言えば、悪のキャラクタ―のバート・ランカスターが、善のゲーリー・クーパーを食ってしまったように、このエーガでも、殺人を犯したカーク・ダグラスの方が、保安官であるロックハドソンに花を持たせながら、いいとこ取りに徹している。「赤い河」同様に1000頭の牛をメキシコからアメリカへと運ぶ道程での出来事を描くという西部劇の魅力になるはずのものが、複雑なる人間関係の恋愛色の強いドラマと化している。

物語りは、牧場主ジョセフ・コットンとその妻ドロシー・マローンと娘キャロル・リンレイが牛を運ぶのだが、それにお尋ね者のカーク・ダグラスが、かっての想い人マローンを訪ね、それにダグラスを追ってきた保安官ハドソンも加わり、一緒に旅をすることになる。途中三人の無頼の男たち三人も加わる旅は、ダグラスのマローンへの変わらぬ熱烈な想いと現実の彼女との距離感、彼女と夫との不可解な夫婦関係。ダグラスに惹かれて行く娘リンレイ。ハドソンの方は、妹の夫をダグラスに殺された復讐心を燃やしながら、マローンへの募る恋心といった、ややこしくも捻じれた構図のまま進んで行く。それでも、三人の無頼漢との対抗や牧場主が酒場で簡単に殺されてしまう等の事件もあり、捻じれ構造の対立もお互いに助け合うようなシーンもあるが、ダグラスがリンレイを助け、ハドソンがマローンを助けることから、カップル構図も決まってくる。それにしてもこんな役にコットンよくぞ出演したもの。

目的地が近づき、最後の野営のダンスパーティ、リンレイが、ダグラスとマローンが最初に出ったとき着ていた黄色いドレスで現れる。ダグラスが、歌曲「黄色いドレスの可愛い娘」を唄う。牛を運ぶ途中でも、ダグラスがマローンの馬車の横に、口笛を吹きながら馬車に寄り添う場面もあった。その後、三人のメキシカントリオと一緒に「ククルククパロマ」を歌う場面も良い。音楽は「栄光への脱出(1960)」でアカデミー賞を受賞したアーネスト・ゴールド。

リンレイの熱い情熱にたじろぎながらも、黄色いドレス姿にも魅かれ、彼女と共に生きる決意をし、夕日が沈んだら二人で旅立とう、と約束する。Last Sunsetこれこそが題名である。リンレイが自分の娘と知るギリシャ悲劇的な顛末。落日の最後の決闘に、射たれ倒れ込むダグラス。ハドソンは銃を調べて装填されていなかったことを知る。駆け寄るマローンとリンレイ。
これはとても西部劇とは言えないのでは?じめじめした因果応報のドラマ。どうやら赤狩りの際の当事者だったロバート・アルドリッチ監督、ダルトン・トランボの脚本、というところに要因があるのではないか、といわれている(二人ともかのマッカーシーの赤狩りの対象にされたいたため、ダグラスを赤狩りの犠牲者に例え、自由、芸術を愛する欠点多いが魅力的な人物、ハドソン保安官は法に則って追い続ける面白味の欠ける現実主義者という見方をしている論調)。

二人、ドロシー・マローン相変わらず魅力的、二人が恋焦がれる必然が感じられるが、事実が否かはっきりしないが子供まで作ったのにハドソンを選ぶ理由が判らない。リンレイはTVドラマで時折見たが不良少女っぽい印象であった。

(菅井)監督のロバート・アルドリッチは祖父がSenatorの重鎮で、ロックフェラー家とも姻戚関係のある東部エスタブリッシュメント出身でで経済学も学んだためかこの人の作品は所謂単純明快な典型的な西部劇映画とは一線を画する内容ですね。70年代始めのバート・ランカスターを主役に据えた『ワイルド・アパッチ』のストーリーの展開も一筋縄ではいかなかったような印象が残っています。

(41 相川)「ガンファイター」の話の筋はいただけませんが、 メキシコからテキサスへの牛の移動に関連し 少し調べてみました。 西部劇ファンには お馴染みのことかも しれませんが。

米墨戦争(1846-48年()で アメリカはメキシコから西部(ニューメキシコ・カリフォルニア)を獲得、1848年 カリフォルニアの金鉱発見で ゴールドラッシュに。 人口が急増し西部開拓が進む。
1865年 南北戦争が終結し西部への入植者が増加し 西部開拓が拡大。1890年までフロンティア拡大の活動がつづく。日本では幕末。なお、東部英国移民系の人には 牛肉を食べる習慣はなかったと知り驚いた。

牛は スペイン人がメキシコに入れ、メキシコ人パケーロ(カウボーイ)に管理された。・西部の人口増加に合わせ メキシコから西部に牛の移動(ガンファイターの背景)が始まった。更にテキサスの牛の大量増加にあわせ 西部から東部へのキャトル・ドライブ(主にテキサスから鉄道のあるカンザスまで)が)盛んとなっていくが、インディアン居住区の オクラホマ越えがあり、無法者、牛泥棒も出没、大量の牛の渡河、牛の暴走(スタンピート)等があり、カウボーイはとても危険な仕事だった。

(編集子)この映画の小生の関心はなんといってもドロシー・マローンの魅力と挿入されていた Pretty Little Girl in Yellow Dress  にある。マローンは西部劇では テーブルロックの決闘 でも今回と同じように複雑なシチュエーションで出てきたし、テレビの ペイトンプレース物語 での印象もある。美人であることは間違いないが、なにか翳のある、知的な反抗心(変な表現だが)を感じさせるところが好きだった。調べてみたら小生とは一回り違い、丑年。だからキャトルドライブ、ということはあるまいが。

相川兄のサマリー、感謝。西部の道の始まりはいわゆるトレイルと呼ばれるものから始まったようで、オレゴントレイルはその名残の部分を訪ねたこともある。ほかにはチザムトレイルというのが有名で、ジョン・ウエイン後期の娯楽作、チザム がこの本人と有名なビリー・ザ・キッドをからませたものだし、赤い河 のアビリーンまで牛を運ぶ、というテーマはそっくりチザムトレイルを辿ったのではないか、と思わせる。Pretty Little…のほうはマイク・クリフォードという小生知らない歌手が歌ったものらしい。アマゾンにはこの人のCDが3枚くらいまだ在庫があるようだが、どれにこの曲が入っているのか分からず、ミズテンで買ってみるかどうか、思案中。

 

藤原正彦 ”亡国の改革至上主義” に同意

文芸春秋12月号に載った、藤原正彦氏の一文は一読に値する。

安倍―菅路線についての分析についてはうなづける部分も多いが、必ずしもすべてに同意するわけではない。しかしディジタル化をはじめとする部分について、改革と改善を混同するな、という主張、特に教育のディジタル化に関する意見とその議論の下敷きになっている事実認識、特に各国の教育レベル比較によって日本が他国に比べて遅れているという政府あるいは知識階級の一部の主張に対する疑問には全面的に同意する。

藤原氏は、この比較の基礎がOECDによる標準になっていることに疑問を呈している。言われてみれば確かにそうで、OECDという組織あるいはその行動があくまで経済発展のためのものだ、という事実に立ち返る必要がある。OECDによって行われる3年に一度のテスト(PISA)で日本の位置が振るわない、だから教育システムそのものが改革されるべきだ、という議論になっているのが現状だが、そのPISAの目的は、そもそも ”教養や情緒に富む立派な人間を育てるためといくより、有能な企業戦士を育てることを主眼” にしたものだから、たとえば読解力試験は人の心情を読み取るよりも契約書をきちんと読めるか、といったことを問うている。こういうシステムの結果に一喜一憂する人々がその推進のために教育のディジタル化を主張する。ディジタル化によって活字文化が廃れる。読書によって培われる経験、感性の深みはコンピュータファイルからは絶対に得られない。現在言われている教育のディジタル化はこの経験を奪い、活字文化を破壊する亡国の改革だ、という同氏の主張に僕は全面的に賛成するものである。

さらに私見を加えるなら、同じ活字であっても、西欧で使われるアルファベットと、日本字(あえて漢字と限定しない)とには決定的な違いがある。ひらがな、カタカナと漢字を併用する日本語の組み立てが複雑であることは確かだ。しかしそのことそのものが日本の文化なのだ。

一例をあげようか。一人称単数、は英語なら I  であり、ドイツ語なら Ich,イタリア語なら Io と一つしかない。しかし我々は日常生活だけを考えても、私、わたくし、俺、僕を使い分け、多少フォーマルな会話であれば 小生、当方などを、文学や芸術の分野まで拡大すれば、吾輩、拙者、みども、あたい、わっち等々が場面や機会に応じて使われる。これらの単語とほかの品詞との組み合わせ、さらにそれを表現するのにひらがなを使うのかカタカナか漢字か、そういう組立てが作り上げる微妙なニュアンスの違い、それは確かに複雑でありある意味では非効率なものであることは否定しない。しかしこれが我が国の文化を作り上げている、俗に定義してしまえばおなじみの わび、さび、というような陰影、そういうものを味わうためには絶対に必要なのであり、経済的効率のみが、それも前記したPISAを基準にした極めて視野の狭い基準によって作られる教育制度を基準とする教育改革なるものによれば破壊されてしまうだろう。というか、世にいう活字離れ現象はすでに起きており、そのことが引き起こしている文化的乾燥状態が、これからの日本文化や伝統の維持を危うくするだろうことは残念ながら必然のように思える。

あたかも今、アメリカで起きている国民の分断という現象は、日本人には理解し得ない人種問題をはじめとしていろいろな理由はあるにせよ、グローバリゼーションという美名のもとに引き起こされた効率至上主義の悲劇だ、ということは明らかであろう。そしてその現実が藤原氏の問題提起である、”改革“ は両刃の剣であることを忘れている現状、つまり ”改革至上主義” は亡国につながる、という主張になっているのではないだろうか。

 

i

 

 

 

コロナ蔓延に対する自衛策-個人で注意すべきこと

KWV  OB おなじみの船曳ドクターから頂いているコロナ情報に加えて、普通部時代の同期生、篠原幸人君から、より個人に近い貴重なアドバイスを頂戴した。同氏のご同意をいただいて、メールの一部を転載する。新型コロナの可能性がある方は安易に手元の常備薬に手を出すなという警告として伝えてほしい、と同君は付け加えている。

なお、添付の写真はやはり同期生、慶応高校時代の新聞会で ハイスクールニューズ の仲間、船津於菟彦君が ”老眼鏡や虫眼鏡” 世代向けに特に作ってくれたものである。編集子と同時期に同高に在学した人ならば彼の名カメラワークはたびたび目にしてきたはずだが、時を経てまた彼のご厄介になろうか。

********************************

皆さん、このコロナ禍が始まって約1年、毎日、体温は測っていますね。してない人は反省してください! しかし、朝37.5℃以上の発熱が一回でもあったり、のどが痛かったりひどく乾いたり、咳やくしゃみ、頭痛がすこしあったりで、コロナでは”ない“と思うけれど、風邪かな心配だなと思ったことはありませんか? そんな時にどうしていました? 放置した? かかりつけの医師を受診した? 家にある常備薬を飲んだ? かかりつけの先生も来て欲しくないから「もう少し様子を見て、熱が続くようならPCRのできる病院に行ってください」といわれたかな?

 どれが正解とも結果を見なければ言えないわけですが、一番してほしくないのはその場凌ぎで、自己判断で手元にある常備薬を勝手に飲んでしまう事です。

「サイトカインストーム」という医学用語をご存じですか? 新型コロナウイルスが体内に入ると、感染した細胞からサイトカインとよばれるたんぱく質が放出されます。これは人体の防御反応のひとつでそれ自体は良いことなのですが、この放出が過剰に起こると免疫機構が働きすぎとかえって健康な細胞まで攻撃してしまうのです。これがサイトカインストームで、新型コロナでは肺の組織に穴があいたり、血栓が血管内にできやすくなるのです。

 WHOなどからアセチルサリチル酸やイブプロフェンなどを含む解熱薬・風邪薬・頭痛薬はこのサイトカインストームを起こしやすくするという警告が出ています。無論まだ結論が出たものではありませんし、単なる風邪や頭痛だったならば何を服用しても問題はありません。

しかし実は一部の風邪薬や頭痛薬はこのサイトカインストームを起こしやすくするのです。このエッセイの読者は、できればこの点を注意して、簡単に常備薬を飲んだりしないでください。また、かかりつけの先生から「コロナかもしれないけれどこの薬を飲んで少し様子を見てください(この「様子を見てください」という言葉には私は不信感があります。 よく分からない時に医者はよくこの言葉を使います。但し無意識に私も使っていますが)と言われたら、この薬はどんな内容かを訊いてください? 実地医家の先生の中には新しい学説には無頓着(勉強不足というべきか?) な方も“偶に”いらっしゃいます。もっとも先述したようにまだこの学説は完全に定着したものではありませんが、薬屋さんで改めて頭痛薬や風邪薬を買うときの参考にもしてください。薬の箱には「多分購買者はこんなところまで読まないよね」という感じで読めないほどの小さな字で薬の成分などが書いてありますね。老眼鏡や虫眼鏡で良くチェックしてください。

 服用を回避すべき風邪薬・頭痛薬;

 アセチルサリチル酸、イブプロフェンを含む薬:例えばバッファリン、ロキソニン、バイアスピリン、イブクイック、ノーシン,ナロンエース、PLなど。

 服用しても恐らく大丈夫な風邪薬;

 アセトアミノフェンを含む薬:新コンタック、パブロンなど

 一部の実地医家の先生や薬局の方には一笑に付されるかもしれませんし、これはまだ定説とは言えません。しかしどちらかといえば、サイトカインストームになりやすい状況は避けてください。新型コロナでなく、単なる風邪だったら過剰な反応だったと後で大笑いすればいいのです。今日は肩の凝る話でしたね。

それにしても、今日は寒い。