学生時代にはただの一度も徹夜をしたことがなく、サラリーマンになって初めて、コンピュータ室で夜を明かすことを何回か経験したことがある程度の小生だが、昨晩というか今暁は意を決して米国大統領就任の中継を見た(コロナに加えて先週の暴動の後、何かハプニングがないかという野次馬興味も半分だったのだが)。
一般の参加者もなく、通例の大統領夫妻が群集の中をあるくという実にこの国らしいセレモニーもなかったが、国歌と準国歌というのか米国をたたえる歌を歌ったのがガガとロペス,いままでになく人種問題を意識した演出だという感じがした。同じことがもしかのケネディの時にあったら非常に感動的なものになっただろうが、この政権にとっての課題というか、さらに言えば難題をそのまま見せつけたような感じであった。
こういう時、小生滞米中に遭遇した話がふたつ、決まって思い出される。ひとつはどういう背景だったか覚えていないが、移民が初めてニューヨークにはいってから何周年、というような記念の式典だったのだろうが、英語もおぼつかない、ラテン系の男性がインタビューに応じて、文字通り涙ながらに、ようやく、この国の人間になれた、これ以上のうれしさはありません、と絶叫したのを聞いたこと、もう一つは、父ブッシュの夫人、バーバラがある女子大学の卒業式に招かれて述べた祝辞である。その中で彼女は ”この国の進路が決まるのは、NOT IN THE WHITE HOUSE, BUT IN YOUR HOUSE と述べたのだ。
この二つのラジオ放送の中継ほど、僕を感激させたことはなかった。これが本当のアメリカ、欧州文化のしがらみを断ち切って作られた“人造国家”の真骨頂だ、と思ったことだった。その後退職直前まで、産業の現場で日米の意識や行動のギャップにさらされ悩み続けたけれども、この 良きアメリカ、への信頼はゆるいだことはなかった。
今暁の放送を見ながら、つくづく感じたのは、“あのアメリカはどこへ行ったのか” という疑問、喪失感、失望、そういうものだった。歴史家はこの変遷をどう説くのかわからないが現在の混乱を生んだ根本的原因がグローバリゼーションという妖怪であったことは明快であり、その渦中で現場の混乱を経験した自分としては、はっきり言って大統領一期だけで解決できるようなものではないだろう、と変な確信がある。
ジョー・バイデン氏、小生よりも4歳若い、KWVでいえばぼくらの卒業と入れ替わって入部した連中にあたる。おい、デシ、チンネン、アイちゃん、なんとかこの混乱をまとめてくれよ、頼むぜ! と先輩風を吹かせるところだが。