(42 保屋野)昨夜、NHKBSPで剣岳初登頂の検証登山の番組を見ました(2018年に放映された番組ですが、見逃しました)。。
ご承知の通り、剣岳は平安時代に修行僧により登られていますが、その登山ルートは未だに不明です。従来は、比較的易しい「長次郎雪渓」ルートが有力と思われてきましたが、麓から遠すぎるのが難点でした。
もう一つ「早月尾根」ルートも難易度は低いのですが、水の確保が難しいので、ムリだろうと思われてきました。
そこである探検家が調べた結果、馬場島から立山川を遡行して、途中から早月尾根に取り付く、というルートを発見して地元のガイドと検証登山を実施しました。その結果、2日目の10時に山頂に達することができ、(もちろん、登山靴とわらじの違い等はありますが)このルートなら平安時代でも可能との結論に至りました。もちろん、本当のところは永久に分らないでしょうが、面白く有意義な検証登山だったと思います。
(44 安田)興味を惹かれる剱岳BSP番組見逃しました、残念.。メールとご解説ありがとうございます。
(39 岡沢)私は70歳の時、2011年9月24日7時に剣岳に登頂しました。 堀川をリーダーとした7人グループ、その中に飯河と私も参加しました。その前年には飯河と二人で剣山荘迄は行ったのですが、悪天候で引き返し失敗に終わっています。2011年9月24日朝3時過ぎ、真っ暗な中を剣山荘出発、好天に恵まれ7時過ぎ、とうとう山頂を踏みました。
ところが下山時、私は前剣の下りのざら場で足を滑らせ頭を岩にぶつけ額を切り大出血。しかし、堀川の応急手当によって何とか出血を抑えられ、飯河が傷をしっかり覆う帽子を貸してくれて歩行可能な状態になりました。他6人の予定(堀川は裏剣、仙人池、欅平へ私と行く予定、飯河は立山三山から帰京)を中止させることをしたくないので、私一人で下山することにしました。途中、剣沢室堂の診療所に寄りましたが、適切な手当で出血が止まっているようなので帰ってから病院に行くようにと、ここでの手当は断られました。下山中は本当にふらふらで坂を登るのも休み休みの状態でしたが、アルペンルート、大町経由で、娘が手配してくれた自宅近くの外科医のいる夜間救急病院へ直行。X線CT検査の結果は異常なし、額を7針縫う手術を受け、夜11時30分に自宅に帰着しました。術後は良好で1週間後には抜糸、一件落着しました。なお、裏剣、水平道、欅平は2019年9月に堀川、飯河、私の3人で決行、達成できました。
(40 藍原)剱岳には2008年に武鑓君と行ってきました。現役時代に行ってなかったので、どうしても行かなければならない山でした。ついでに十字峡も行きたかった。66才となり、体力的に最後と思われたので、頑張りました。
コースは1日目 室堂~剣御前小屋
2日目 剱岳~剣沢~真砂沢ロッジ
3日目 二股吊橋~仙人池~仙人ダム~水平歩道~阿曽原小屋
4日目 欅平~帰京
天候に恵まれ順調に歩けたが、3日目がきつかった。阿曽原小屋の主人に真砂沢ロッジから阿曽原小屋までは、途中道が崩れ、遠回りせねばならず12時間かかるといわれたが、実際に11時間を要しました。全ての行程が絶景であり、私の山行で5指に入ります。
(40 武鑓)カニのたて這い、
(39 三嶋)剣岳には2010年夏に一度登りました。カニのタテバイ・ヨコバイ は”3点確保”と言い聞かせながら懸命でした。2組前のパーティが登っている時に 落石があり、大事には至りませんでしたが、
剣については ご存じの 「剣岳点の記」にある 明治のころ陸地測量部が命がけで登頂し そこで見たものは””錫杖”だった と言う有名な話があります。