エーガ愛好会(115) 悲しみは空の彼方へ     HPOG 金藤泰子

母親二人が娘を深く愛しているところは同じなのですが二組の親子が送る、全く異なる半生が描かれていました。1940年代のニューヨーク コニーアイランドが舞台。

海岸で知り合った二組の母と娘が同居することになりました。
一方は白人ラナ・ターナー(エマ)の母と娘サンドラ・ディー (スージー)、母親は女優志願者ですが、なかなか役が取れず毎日オーディションに出かけ、家では宛名書きの内職をする毎日。 優しい恋人ジョン・ギャヴィン(スティーブ)が求婚するのですが、エマは夢を諦められないと言う。
やがてエマは女優として成功し華やかな生活を送るようになります。
娘は母親が留守がちで寂しい思いもする日々でしたが、同居しているアニーに面倒をみてもらえます。 娘の卒業プレゼントに母親は馬を贈り、自分が留守の間、久しぶりに現れたスティーブに娘の面倒を見て欲しいと頼みます。娘スージーはスティーブと乗馬をしたり食事ダンスをして楽しい夏を過ごします。 名声を得、女優人生に満足したエマは、10年記念の恋人スティーブと結婚する事になったのですが、思春期に成長した娘は、優しい母親の恋人に恋心を持つようになっていました。 娘は遠く離れたデンバーの大学へ行く決心をします。

もう一組の母親は黒人アニー、捨てられた元夫が白人で、娘スーザン・コナー(サラジョーン)の肌の色は父親と同じ白色でした。
黒人の母親アニーが家政婦の役割をしてエマの家で共同生活をする事になりました。
娘達は幼ない頃は何の違和感もなく仲良く生活していましたが
成長するに従い、娘のサラジョーンは、家の外では自分の母親が黒人である事を隠すようになります。
母親が娘に雨具を届けに行っても、小学校の教師はクラスに有色人種の子はいないという。 白人の素振りをしていた娘は、母親にどうして学校まで来たのかと怒ります。
母親は、知られて何が悪い、自分を恥じる事は何もないと娘に言うのですが、
娘は、どうしてあなたが私のママなのかと泣きながら母親を振り切ります。
母親は信じています。神のみ業には意味があると知るべき 肌の色が違うことにも
自分を恥じるのは罪、自分を偽るのはもっと悪いと。
でも、どう説明しても娘は傷つくだけと、自分の胸の中におさめます。

恋をする年頃になった娘サラジョーンは、恋人(トロイ・ドナヒューだったのです)に母親が黒人である事を知られ酷い暴力を振るわれ、惨めな姿で家に戻ります。 娘の姿を見て、母親アニーは愛する娘に、誰がこんな酷いことを!と聞き出そうとするのですが、
娘サラは、あなたのせいよ!あなたが自分の娘だと言い回るから、あなたがぶち壊したのよと母親に言い放つのでした。
母親の愛がどんなに深くても、どんなに愛していると言われても、娘は自分では変えられない運命を嘆きます。 娘は図書館に勤めていると言っていましたが、実はクラブでダンサーをしていました。 母親の血が流れているのを隠しながら・・・母親エマが娘に会いに行くたびに母親の肌の色のため、娘は職を失います。 やがて体調を崩した母親アニーが最後に娘に会いに行き、もう二度と来ないからと娘を抱き締め、涙する娘。

時が経ち、アニーは自分の葬儀を立派な葬儀にして欲しいとエマに頼みます。最後の審判の日に善き市民として裁かれたい 栄光の旅立ちへと。 この辺りからは、彼女が信じているの宗教の話になります。 遺言通り立派な葬儀が行われます。 教会で ︎この世の苦しみから神のもとへ ︎ゴスペルが切々と歌い上げられます。 参列者の数の多いこと。
家にいて家事をしていただけのように思われたエマは、熱心に教会や集会に通い、信じ深いたくさんの仲間たちがいたのでした。 棺を乗せた車が出発する間際に娘が戻って来てママ、許してずっと愛していたと泣きじゃくるのでした。
たくさんの人々に見送られ立派な葬列になりました。
(ALLCINEMA より転載)

 34年にC・コルベール主演、ジョン・スタール監督で映画化された当時のベストセラーのリメイク。その際の題はズバリ「模倣の人生」。正にそんなソープオペラ的できすぎの題材を、メロドラマの巨匠サークがてらうことなく真摯に映像化し感動を誘う。L・ターナーとJ・ムーアの二人の母親がそれぞれの娘を共同生活の中で紆余曲折ありながら育て上げる話だが、ムーアは白人の夫に捨てられた黒人女性であり、白人と見分けのつかない混血の娘がいる。未亡人のターナーは初め売れない女優だが、やがて人気が出て荒んだ生活を送るようになり、S・ディー扮する娘ともしっくりいかなくなる。最初の映画化を見ていないので比較は出来ないが、より黒人のムーアとその娘を大きく扱っていると思え、それゆえ感動も深い。空虚に生きるターナーの支えになり娘との橋渡し役になる恋人を演じるJ・ギャビンも好演。

(安田)ヤッコさんから送って頂いたDVDを遅ればせながら観ました。

  1. 映画の舞台は戦後間もない1940年代後半から50年代。資本主義を謳歌するアメリカの豊かさを目のあたりにさせられた。いかにもハリウッド全盛期を感じさせるインテリアやファッションの華やかさに、アメリカの絶頂期ともいえる50年代は眩くさえ映る。
  2. 人種差別による人間関係の難しさ、女性が夢をもって働くこと、母と娘の難しい関係、貧富、恋愛など色んなものが詰まっているが、多民族国家アメリカの永遠のテーマ「人種差別」の複雑さと悲劇に焦点を当てて描いている映画。60年後の今日にも存在する普遍的な人種問題を扱っている。
  3. 舞台女優の夢を追いかける白人シングルマザーと差別の中で生きる黒人シングルマザー、二人の母親と二組の母娘のコントラストが見事に描かれている。
  4. 黒人の母と白人の父から生れた娘は肌の色は白い。しかし、彼女は母親が黒人であることを隠そうとして、自分の血を卑下しコンプレックスと持つ。日本ではほぼ体験し得ない人物像とそこから自然発生的に起こる複雑な人間模様を、セクシー女優と謳われたラナ・ターナー(映像では驚いたことにアングルによって少しデボラ―・カーに似て優美にさえ見えた)と、主役といってもおかしくない黒人シングルマザーの二人が好演。
  5. 美しいラナ・ターナー(彼女の映画は初めて)演じる女優業も演出がやや粗削りで強引な印象を受けたし、時を経て一挙に大豪邸の自宅に住むなど話の筋の展開が恐ろしく早い。黒人の母親と肌の白い(外見は白人)の娘が直面する差別の描き方もやや短絡的な感じが否めなかった。短い時間では如何ともしがたいのか?
  6. 誠実に生きた黒人シングルマザーの葬式のシーンは大変印象的。有名なゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンの歌が大変良かった。ウィキによると、黒人の公民権運動を指導し銃弾に斃れたマーティン・ルーサー・キングと並び黒人の人権運動に強い影響を与えた女性であったと、記述されていた。
  7. 原題「Imitation of Life」(模倣の人生)は邦題「悲しみは空の彼方へ」のニュアンスと違い、監督が描きたかったと推察する、人種差別に対する批判を鋭いタッチで描いた社会的メロドラマに相応しい題名だと思う。フランスの鬼才ゴダールも監督を絶賛したとのこと。

(編集子)映画とは関係ない提案だが、この愛好会もすっかり我々の日常に定着したようで、きっかけを作った当人としてはうれしい限り。顔合わせ(声だけしか知らない友人と顔を合わせる機会をアマチュア無線の世界では Eyball QSO と言い、大変うれしいこととされる)はまだできていないがもう百年の知己、といった間柄だ。そろそろ XX様 というのはやめませんか。Imitation of friends とでもいうのでは?