クリスティはお好き?   (普通部OB 菅原勲)

探偵小説、中でも本格探偵小説とは、殺人が起こり、その犯人を見つけ出すまでを描いた物語だ。作家は、あらゆる手練手管を使って読者を最後まで騙して犯人を隠蔽し、意外な犯人を持ち出して読者を呆気に取らせることに腕を振るう。それが成功すれば、万々歳と言うことになる。そして、そこに犯人探しの探偵役が絡んで来るのは言うまでもない。

如何に読者を騙すか、如何に魅力的な探偵を創り出すか、と言う基本的な点で優れているのが英国のA.クリスティーであることに異論はあるまい。しかし、だからと言って、それらの点でクリスティーが並み居る探偵小説作家(以降、作家)より抜きん出ているかと言えば、そうとは言い難い。例えば、S.S.ヴァン・ダイン(「僧正殺人事件」1939年)、ジョン・ディクソン・カー(「ユダの窓」1938年)、エラリー・クイーン(「Xの悲劇」1932年)、フリーマン・ウィルズ・クロフツ(「樽」1920年)などなど、この二点に限って言えば、多士済々で、枚挙に暇がなく、クリスティーはその中のほんの一人に過ぎない。しかし、逆にクリスティーほど広範囲に亘って読者を獲得している作家はどこを探しても見当たらない。それは何故なのだろうか。それは、クリスティーが、ただ単に、吃驚仰天の「アクロイド殺し」、極めて魅力溢れるエルキュール・ポワロなど以上のものを身に着けているからに他ならない。

それは何だろう。結論を言ってしまえば、それはクリスティーの探偵小説が、極端に言えば、実は、世の中の人間模様を濃厚に描いた風俗小説であって(断るまでもなく、ここで言う風俗とは、風俗営業などで使われる意味ではない)、そこに、探偵小説が塗されているからではないだろうか。その傾向は晩年になるに従って益々強くなって来る。また、クリスティーは、メアリー・ウェストマコット名義で「愛の小説シリーズ」を6冊書いている。小生、読んだことはないが、さぞかし面白いに違いない。つまり、意外な犯人、魅力的な探偵、それ以上のものが描かれ、万人に親しまれる内容になっていると言うことだ。ここにクリスティーだけが持っている独特の存在感がある。そう言う意味での最高傑作は、異論があるのは百も承知だが、ポワロではなく、ジェイン・マープルの「バートラム・ホテルにて」(1965年)ではないだろうか。いや、おっ魂消た「アクロイド殺し」(1926年)と言う人もいるだろうし、いや「ABC殺人事件」(1936年)だと言う人もいるだろう、「そして誰もいなくなった」(1939年)、「オリエント急行の殺人」(1934年)などなど、千差万別、百花繚乱、大いに結構。それだけクリスティーの作品が、極めて広範囲に亘って読者に受け入れられていると言う証拠でもある。上記のヴァン・ダインはどうか、カーはどうか、クイーンはどうか、クロフツはどうかと言えば、かれらは極めて限られた、それこそ本格探偵小説マニアに受け入れられているに過ぎない。小生もその末席を汚しているが、「ユダの窓」こそ理解の範囲を超えているが、「僧正殺人事件」、「Xの悲劇」、「樽」などは、確かに非常に面白かった。

ここで、小生のクリスティー読書歴に若干触れてみる。実は、「アクロイド殺し」を読んで、相反する二つの読後感を持った。一つは、こんな犯人、冗談じゃないと言うクリスティーに対する激しい怒り、もう一つは、そうであることで、まんまと騙され、完全にしてやられてしまったと言う自分自身に対する情けなさ。両方がない交ぜになって、以後、暫くの間、クリスティーから遠ざかっていたことがある。しかし、何が切っ掛けだったかは覚えていないが、久し振りに手に取ったクリスティーの正体が実は風俗小説作家であることに気付かされ、そこから再び熱心に読むようになった。ここでも極端を言えば、そこが、大変、面白くて、誰が犯人でどうやってやったかは、もうどうでもよくなってしまった。繰り返しになるが、クリスティーの最大の特徴は、単なる謎解き以上の魅力に満ち溢れていると言う一言に尽きるし、それこそが極めて広範囲な読者を獲得している最大の理由でもある。

最後に、本格探偵小説を読んで失望するのは、犯人、即ち、作家が無理に無理を重ねてでっち上げた犯行方法が、本当に実現できるものなのかどうかと言う疑問、そして、そのことに極度にかまけるあまり、物語りが疎かになって極めて平板なものになってしまうことなど、不満や失望を抱かせる例もあることだ。これでは、正に単なる作り物となる。ここにこそ、本格探偵小説が、クリスティー程の人気を勝ち得ることの出来ない最大の理由があるのかも知れず、一方、クリスティー好きの人にとって、世にいう本格探偵小説の史上最高傑作と言えども、いささかの興味をも抱かせない最大の理由があるとも言えるだろう。

(小田)はい、お好きです。

本と、HDに貯めているポワロ、ミス·マープルの映像と、(平井杏子著)「アガサ·クリスティを訪ねる旅」を比べて楽しんでいます。
私もミス·マープルの「バートラム ホテルにて」は、最後にホテルのメイドと刑事が仲良くなったりするTV版も好きです。このバートラム ホテルのモデルはロンドンの高級地区メイフェアにあるブラウンズ·ホテルかフレミングス·ホテルらしく、平井杏子さんはシオドア·ルーズベルト大統領が結婚式をあげ、アガサの姉も滞在したことのあるブラウンズ·ホテルに軍配を上げています。付近には日本大使館もあるようです。ロンドン駐在されていた児井様はご存知でしょうか?
松本清張、ダン·ブラウン、アーサー·ヘイリー等もきちんとしたストーリーで、引き込まれますが、背景か暗かったり、事件がグロテスクだったりで、私はやはり、アガサです。お勧めの「赤毛のレドメイン家」は是非読みます。
お返しに…… 三沢陽一著、「なぜ、そのウィスキーが死を招いたのか」(ウィスキーにまつわる短編ミステリー4編収録)はいかがでしょう。読んだことはないのですが、新聞に載っていましたので。
著者は東北大在学中に執筆を始め、「致死量未満の殺人」でアガサ·クリスティー賞を受賞しているようです。

(児井)小生もアガサは大好きです。彼女に限らず「推理小説」(映画化も含め)は数多く読み(観)捲くって来ました。

お尋ねのロンドン、メイフェアのホテルの件ですが、小生メイフェアの馬小屋を改装した小さな単身用アパート(?)Houseと称していましたが)に一年半ほど住んでいました。そこでブラウン/フレミング両ホテルについては名前だけは聞き覚えがあるような気おもいたしますが、前を通り過ぎるだけで、利用することも無く、何せ50年ほど前の事ですので、ほとんど記憶にありません。残念ですが、悪しからず。

余談ですが、一つだけ小生の自己紹介を兼ねてお話したいと思います。小生の遠縁に「兒井 英雄」(我が親父の又従兄弟に当たる)なる人物がおりました。当人は日活映画の大物制作者(producer)の一人で(後年映画界に多大な貢献をしたとして叙勲されております)、古くは「恋愛三羽烏」、近年は小林 旭の「渡り鳥シリーズ」等を手掛けていました。当人とは2,3度ほどしか会っておりませんが。一つだけ印象に残っていることは制作者は一種のギャンブラーではないかということです。と言うのは、作品が当たると家具を始め住居が宝の山となり、不作の場合にはそれらが一掃されてしまうからです。何とも因果な商売だなと思っていました。それはさて置きこの縁で当時の青春、活劇路線を奉ずる日活映画を数多く観て来ました。特に石原裕次郎の大フアンで彼の出演映画はほぼ全巻観ました。

(編集子)さすがわが師匠、スガチューの解説。何回も言うが、彼にそそのかされて小生がミステリに窓を開いたのは高校1年で同じクラスになって以来のこと。中学時代にはホームズ、ルパンは卒業していたが、これはむしろ世界名作文庫的な位置づけ(?)で読んだので、本格物第一号はクリスティと同時代の(本業は推理ものでは無い人だが)A.E.W メイソンの 矢の家 で、その次に読んだのがアクロイド殺人事件 だったと思う。それぞれ主張はいろいろだろうが、小生が 犯人の意外性という推理小説の第一義に感心した、という意味ではアクロイドについではウイリアム・アイリッシュの 幻の女 だった。このジャンルがアメリカで盛んになり、代表と言われるのがエラリー・クイーンとヴァン・ダインだと思うのだがこのあたりになると本家を意識してか、あまりにも込み入ったストーリーが多すぎると思う。その反動がこれも何度も書いたが、ハードボイルドミステリというわけだ。こっちなら小生も多少、話ができる気がするのだが。いずれにせよ、皆さん、ミステリを読みましょうよ!