いにしえの賢哲は 人生とは川の流れだと言った。
流されず川床に残る石を想い出というのだ、とも。
遠からず河口にたどり着く俺の流れにも 数多くの石が並んでいる。
ど真ん中に顔を出して未だに川浪をけたてているのもあるし
底深く黙って砂をかぶっているのもある。
お前の石は そう、右岸にちょっと寄ったあたりのへこみ
岸辺から垂れている草に触れようかと 例のように はにかんで沈んでいる。
成人式前年の師走
(好きなのかな?)と思っていたひとりの少女を見送ってこのかた
俺は一切の宗教というものを信じなくなった。
流れの右岸 草に触れるようにはにかんで座っているその石は
燕 赤倉 五色 焼額
俺のクリスチャニアを追いかけてきては繰り返していたときのように、
(前傾しすぎじゃねえか?)と問いかけてくる気がする。
いままでどうしても出来なかったが
ゆうべ
俺はお前のメアドを delete した。