三室戸寺の紫陽花       (大学クラスメート 飯田武昭)

紫陽花の季節には神戸市森林植物園(六甲山)に出かけることが多かった私ですが、新型コロナ明け?の今年は以前からこの時期に一度観ておきたいと思っていた三室戸寺(京都府宇治市)に梅雨の合間の薄日のさす昨日出かけてきました。

きっかけは確か保屋野さん、船津さんか安田さんだったか?(多分、ベスト3の話絡みだから保屋野さん)が少し以前に、紫陽花の日本で最も綺麗な庭園の一つは三室戸寺だったと見事な写真付きで紹介されたためでした。六甲山の紫陽花は青系統が多い印象ですが、三室戸寺のそれは青、ピンク、白を初めメランジュ系統の色も多く種類が多いのも見事でした。

昼食に「三室戸寺(とじ)」の頃合わせで、宇治市の旧商店街(宇治橋通り商店街)で「たまご(とじ)」でも食べればとダジャレとも思えぬことを考えながら、お茶の本番の地で「天ぷら付き茶そば」を賞味しました。

(船津)朝起きたら素晴らしい紫陽花有難う御座いました。古刹とマッチしていいですね。

22年6月 月いち高尾    (47 関谷誠)

駅前で出発前の集合

梅雨の真っただ中、ここ数日、九州・西日本は大雨、その梅雨前線が北上、6月22日の実施日、東日本は、終日、「雨」との予報。中止すべきか否かを悩みに悩み、Webで「高尾山気象情報」と数時間おきににらめっこ。決断を迫られた、集合時間の24時間前、予報が「小雨」に変わり、「決行」を決意。最近の天気は局地的に大きく異なる傾向にあり、参加予定者が住んでいる地域での状況から、「行くか・止めるか」の判断を、各々にお任せしたところ、20名が京王線「高尾山口」駅に集合しました。心配した天候、山行中は、小康状態を保ち、下山した14時頃からパラパラと降り始め、雨具も付けず、傘をさすこともなく、2022年3回目の「月いち高尾」を、無事、終えました。

<ケーブルカー利用で山頂~いろはの森コース~日影バス停~高尾駅>    34小泉、36遠藤、鮫島、高橋、中司、深谷、鮫島、39蔦谷      (平均年齢: 84.3)

月いち高尾では、お世話になりました。ケーブルから山頂までは殆んど平という認識でいましたが、傾斜があるものだと感じる歳になりました。帰りは、ケーブルで戻る積りでいましたが、全員いろはの森コースということで、お蔭様で4年前の201812月忘年会の懐かしの日影沢キャンプ場を眺められました。 」 (小泉)

<金毘羅台コース~1号路~山頂~稲荷山コース>              39岡沢、堀川、西澤、三嶋、40武鑓、41久米コブキ、42保屋野、47伊川、平井、関谷、51羽田野、中里    (平均年齢: 76.5)

金毘羅台コースは、古の参拝者が登った古道、汗をかきかきコースタイムを大幅に下回るペースで1号路に合流。ひんしゅくを買うトップ、稲荷山の下山では途中交代!それにしても健脚、元気なシニア―集団!

下山後、近くにご用のあった当会メンバーの34船曳(ドテ)さんご夫妻が、「高尾山口」駅でお待ちになっており、久々に、再会を喜び合いました。

型どおり山頂で。今日は富士山は見えないが安定した天候。

下山後、近くにご用のあった当会メンバーの34船曳(ドテ)さんご夫妻が、「高尾山口」駅でお待ちになっており、久々に、再会を喜び合いました。有志は、「テング飯店」で反省・懇親会。

参加された皆さんお疲れ様でした。コロナ禍の先はまだまだ見えませんが、マスクを外し、自然と触れ合いながら、新鮮な空気を思い切り吸い込むのは素晴らしいですね!次回の「月いち高尾」でお会いしましょう。

今日も「月いち高尾」とても楽しかったです!!大変ありがとうございます。お天気については、関谷様の的確なご判断がすばらしく、そして「月いち高尾」の皆様の日頃の行いの良さが証明されました。金毘羅台コースは私にとって、初めてでした。樹林の中の古い一本道で趣があり、歩いていて、とても楽しかったです。大好きなコースになりました。素敵なコースをお教えいただきありがとうございます。 」   (羽田野)

(小泉) 月いち高尾では、お世話になりました。

日蔭沢の清流

ケーブルから山頂までは殆んど平という認識でいましたが、傾斜があるものだと感じる歳になりました。帰りは、ケーブルで戻る積りでいましたが、全員いろはの森コースということで、お蔭様で4年前の2018年12月忘年会の懐かしの日影沢キャンプ場を眺められました。

(鮫島)「いろはコース」楽に下れるかと思っておりましたが、きつく疲れました。久しぶりに山らしい下り、大変でしたが、楽しみました。

(久米)昨日の山行では大変お世話になりました。それに致しましても関谷君の天気予報大当たりでした。それを信じて久しぶりの「月一高尾」に参加いたしました。登りは快調に飛ばして余裕のある山行でした。遠足の児童も少なく珍しく静かな山頂でした。

稲荷山の下りの道が木道になっていたのには驚きました。稲荷山を下っている時に一緒に登ったミドリさんのことが思い出されました。面白い話題を提供してくださったことなど思い出されて寂しい気持ちになりました。

高尾山口ではドテ先生ご夫妻が待っていてくださって愛子さまとは本当に2年半ぶりの再会でした。調子のお悪い所もあると仰っていましたが拝見した限りお元気そうで嬉しくなりました。天狗には参加いたしませんでしたが平均年齢84.3歳の先輩方とご一緒して乾杯しなかったことが悔やまれます。9月の「高尾」を楽しみにしております。

(中里)初参加でしたが、どうもお世話様でした。今後ともよろしくお願いいたします。

(三嶋)関谷兄、いや~お世話様でした。貴兄の的確な判断と ジャイさんのメールで 行く気になりました。梅雨の合間の ひと時 これ以上ない絶妙のタイミングでしたね。平均年齢76.5ですか。元気で歩けることは 素晴らしいというべきでしょうね。脚力が低下する中で 「月いち高尾」の有難味を感じています。

マティーニ の話

”アンノーンのマティー二”

(編集子)小田篤子さんが映画のコメントのなかでマティーニに興味を持ったようで面白いエピソードを拾ってくれた。会社時代、やっここと金藤くんが結構いける口なのは知っていたが、小田さんとアルコールとはイメージがつながらない。

(小田)「花嫁のパパ」はコメディ色が強く、「父」の方が落ち着いた感じがしました。結婚式前のパーティーで《父》は《マティーニ》を沢山用意しますが、他の飲み物を欲しがる人ばかり。用意するのに一生懸命で、スピーチの時間が無くなってしまいます。《マティーニ》についてあまり知りませんので調べてみました。

*辛口のカクテル
*チャーチルやヘミングウェイ  が好きだった。
*ジェームズ・ボンド(007)が  「マティーニを、ステアせず   シェイクして」。
 *「七年目の浮気」でマリリン· モンローが、頼んだマティーニが辛かったので      「私の故郷、デンバーではマティーニに砂糖を入れ る のが普通よ」と映画の中
 で言ったのが有名だそうです。

(船津)マンハッタンがよく見えるGEビルの最上階のレインボーでキザに頼んだらノンアイスかそうで無いか聞かれた。あれとおもったらカクテルグラスに入った奴がノンアイス。

マンハッタンはウイスキーベースのカクテルですが、スイートベルモットを使用しているため甘口な味わいが特徴です。ビターズも使用しているので、甘さの中にほろ苦さとハーバルの香りを感じることもできます。真っ赤な見た目からも甘美なカクテルという言葉がよく似合う、大人の小田さんにぴったりの1杯です。NYに行かれたらどうぞ。

(船津はなにしろ凝りやなので、自前のレシピも持っているようだが、ここはやはりプロの意見を聞いてみるべきだろう。         編集子があしかけ20数年親しくしている多摩市のバー ”アンノーン” のオーナー川島恭子さんは銀座の名門毛利バーで修業し、師匠の毛利隆男さん直伝の教えを固く守っている。
その本格レシピを書いてもらったので紹介しておこう。
(川島)

1.氷屋さんの氷を一度少し溶かしてから、浄水器の水で洗い 目には見えない空気の気泡をうめたものを、ミキシンググラスに、下大きい氷1個 上に小さ目を2個 きっちり入れる。水を入れ軽くステアして、氷の角を取る(こうする事で、無駄な氷が溶けずに水っぽくならない)。              2.良く水を切ったら、オレンジビターズOneダッシュ (目薬一滴分ぐらい)を入れる。手早くマイナス15度に冷やした ビフィータージン40mℓ  ゴードンジン40mℓ、ドランジャンペリー ドライ5mℓを入れる(アンノーンでは、通常のカクテルの量より多く作っています。通常は計60mℓです)。                    3.氷よりお酒が冷たいので、80回から100回を目処に香りを感じるまで 氷をぶつけないように静かにステアし(バースプーンは手首で回さずに指の前後運動をすることにより 自然と静かに回り混ざる)、3℃4〜4℃ぐらいにする。
4.静かにグラスに注ぎ、レモンピールのオイル成分は入れずに香り成分だけを振りかける。
5.種が入っているオリープを添える。(穴の中にピメント等が入っているものはオリーブを漬けた時の漬けた液体の味が入ってしまうので使用しない)。

上記、アンノーンの作り方をご紹介しました。マティーニのジンとベルモットの比率は近年ジンが多くなっています。マティーニは、作り手により様々ですが、飲み手の方の好みが有ればお申し付けになれバーテンダーはそのようにお作りするはずです。

癌健診について (普通部OB 篠原幸人)

血液だけでわかる新しい「がん検診」を知っていますか?

日本では肺がん・胃がん・大腸がん・乳がん・子宮がんなどの検診は、一定以上の年齢になると義務付けられています。但し、お役所仕事ですから多くに場合、肺がんは痰の検査、大腸がんは便に血が混じっているかを簡単にスクリーニングするだけで、本人が積極的に希望しなければ、詳しい肺のCTとか大腸の内視鏡検査まではやってもらえませんよね。

例えば、胃がんや食道がんの検査。私は影絵を見ているだけの胃レントゲン健診はあまり信用していないので、今から35年以上前から、胃の検査は内視鏡と決めています。年に1回か2回、内視鏡の専門医である友人にやってもらっていますが、今から20年ほど前、胃の表面に1㎜程度の怪しい病変が発見され、お腹を開けることなく、内視鏡的に表面を切除。顕微鏡検査では完全な癌でしたが、それ以降20年以上、全く胃の症状はなくても、毎年胃カメラだけは行っています。

肺がんに関してはCT検査がベストで、通常のレントゲン検査や痰の検査だけでは見逃されることも多いのです。大腸がんの検査にも内視鏡検査がやはり有用ですが、前の晩から2リットルもの水攻めには恐怖感を持たれる方もおられるでしょうね。私も大腸内視鏡は2年に一回、いやいやながらおこなっています。 肝臓や腎臓がんは人間ドックでやる超音波検査が、前立腺がんは採血によるPSA検査が有用なことは御存じの通りで、乳がんや子宮がんも検査で早期に見つかることが多いのですが、女性は検査を嫌がられる方もおられますね。

一方で、見つけにくいすい臓がんやその他の部位のがんは例えがん検診を毎年キチンと受けている方でも、見つかった時は手遅れという事も少なくないようです。中高年期の死亡原因は、がん・心疾患・脳卒中・肺炎などです。脳卒中や心疾患は糖尿病・高血圧・脂質異常症などの一次性生活習慣病(これがどんなものかは以前に説明しました。覚えてますか?)や遺伝が原因ですが、これはある程度、知性のある人なら(知性、あるよね?)予防も可能だし、事前に原因を見つけておけば、ある程度は避けることもできます。しかし、急に発症する心筋梗塞や脳梗塞はしょうがないとしても、今や、がんは早期発見すれば完全に治癒する病気であることは知っておいてください。筆者も昔、白血病・胃がん・前立腺がんなどを患いましたが、すべて回復しました。従って、がんはなっても早く発見すれば回復する疾患であることを忘れないでください。但し、頑固な持病や発見が遅れた場合は致命的になることもお忘れなく。

最近、血液や尿から、症状が出る前に「がん」を発見する新しい方法が見つかりました。小生も先日、ある施設でその方法でチェックを受けました。小生が受けたのは、血液からがん細胞が分泌する特異的な抗原を見つけ出す方法で、マイクロRNA検出法とよばれます。この感度は非常に高く、まだレントゲンなどにはっきり映らないうちの発見も可能とされています。しかし、まだこの全く新しい検査法は、できる施設が日本でも数か所だけです。この血液による検査はどこの臓器にガンがあるらしいことまで判別できる優れものです。

別に、比較的安価な患者さんの尿と線虫という虫を使った検査もありますが、この方法ではまだがんがご自身の身体のどこかにあることは推定できても、その部位までは区別できません。問題は現段階では、この血液検査は20万円ぐらいと高価な点です。保険はききません。また施設によっては人の弱みに付け込んで、更に怪しげな未だ効果もはっきりしない治療法まで押し付けてくるところもあるようです。しかし、がん家系の方で、お金に糸目をかけない、特にがんでは絶対に死にたくにない人はやってみるのも一つの方法です。 採血の時のチクッとした痛み以外は怖い検査ではありません。

エーガ愛好会 (154)シェラマドレの決闘  と マーロン・ブランド

(編集子)                               このシリーズでこれほど酷評を浴びた作品もめずらしい。”波止場” で初めて出会い、ゴッドファーザー で醸し出された雰囲気に酔い、西部劇で言えば 片目のジャック では不気味な雰囲気を味わった、エーガ世代を代表した名優にしてこのような結末?を見るのは何とも言い難い気持ちである。

(安田)
マーロン・ブランドは大人になりきれない子供っぽい性格が演技に表れるのが特徴だと思うが、彼は肩で風切って強がり、自分の弱さを覆い隠そうとする悪ガキタイプ。ジェームス・ディーンは逆に決して強がらない。女々しいばかりにナイーブで、自分の弱さを分かってもらいたくて試行錯誤し、母性本能をくすぐるタイプ。つまるところ両者とも成熟しきれないガキなのである。こういう大人になりきれない若者を描いた映画は二人がの登場する1950年代まではなかった。その意味で両者はアメリカ映画界の革命児的存在だったともいえる。ブランドは20世紀最高の俳優とも評され、確かに先に挙げた4本の映画に限っても彼の演技・オーラにはまさに度肝を抜かれた。

それほどの名優マーロン・ブランドが主演する西部劇映画が「西部劇の面汚し」と酷評されるとは・・・・どんな優れた俳優であってもキャリア全期間を通じて光り輝くのは難しかったのだろうし、出演する映画の脚本・監督・共演者なども常に質が高いとはいかなかっただろうし本人のスランプだってあったはずだ。。では、何故、出演をすることになったのか? 光り輝いた’50年代が終わり、’60年代になってからは質の高い映画に恵まれず焦ったのだったのだろうか?

(飯田)
「シェラマドレの決斗」のような、訳の分からない作品を貴重な(平日のこの時間帯に観るのは残りの人生時間の少ない後期高齢者や若くて忙しい主婦や主夫など)午後の2時間観るのならもっと益しな楽しめる、例えば2流映画で言えばコーネル・ワイルドやランドルフ・スコット主演の作品、女優で言えばジーン・ラッセルやヴァージニア・メイヨ主演の作品ならストーリーを度外視してまあ楽しめると勝手に思い込んでいます。

(保屋野)                               ネットに「西部劇の面汚し」とありましたが、全く同感。私も(ビデオで)途中から適当に流して観てました。
マーロン・ブランドが出ていたのは、最後の出演者紹介で知ったが、彼もこの出演を後悔したのでは・・・

(小泉)                                昨日の夜書いた原稿を発信しようとしたら、何通もの「シェラマドレの決斗」に対する感想それも好意的なものはなし?それを読んでから、原稿書き直すべきか?とも考えましたが、昨日書いたままの感想を其の侭送信します。如何に小生の感じ方が異常?なのか。マイペースなのか。

原題The Appaloosaは白と黒のまだら馬のこと。主演マーロン・ブランド(マット)の西部劇。監督がカナダ人のシドニー・Jフューリーという人で、マカロニウエスタンの影響を受けているようだ。主演はマーロン・ブランド、西部劇は「片目のジャック1960」「ミズーリブレイク1976」があるが、どれも西部劇らしくない独自の世界観を作り上げる異色作ばかり。

冒頭から、ラッセル・メティ撮影の画面はメキシコ大自然を捉えた山が湖に映る景観等の映像が美しく、時折クローズアップの望遠レンズの多様等の映像美を見せる。音楽はフランク・スキナーで、スパニッシュギターの静かな音色が印象的。その中を一人馬を進めるが、最初は髭を生やしていてマーロン・ブランド(マット)とは気が付かなかった。ブランドはバッファローハンターなのだが、その唯一の財産アパルーサ馬と共に故郷に帰り、其処でアパルーサ馬を種馬に牧場を始める積りだった。故郷はメキシコ人の養父に育てられ、義弟夫妻ラファエル・キャンボス(バコ)、ミリアム・コロン(アナ)が住んでいる。メキシコとの国境の町に着くと、教会へ行き、唐突に、過去の殺人や女性との関係を懺悔する。此処で地元の強盗団の首領ジョン・サクソン(チューイ)とその情婦アンジャネット・カマー(トリニ)に出会うのだが、その首領にアパルーサ馬に目を付けられ、その後盗まれてしまう。ブランドはその後サクソン一味と対決するものの。縄で縛られ川を引きずり回されたり、サソリを両脇に置かれた腕相撲で負けながらも、首領の扱いに嫌気を抱いた情婦アンジャネットや羊飼いフランク・シルヴェラ(ラモス)に助けられ、結局は岩上での首領との対決に勝利して、ブランドはアンジャネットと共に義弟のいる故郷の家に戻るのだった。

登場人物は、ブランド以外はメキシコ人ばかり{俳優はアメリカ人もいる}、その中でブランドは終始クールで物憂い感じで、大げさな素振りを見せない主人公を演じ、ニヒルながらも存在感を示す。サクソンも怒りを自然に出し、物静かに語るところは悪役には勿体ない感じ。全般的にクールに進むところは好感が持てた。

乱読報告ファイル (23)  普通部OB  菅原勲

両目の白内障を手術(5月23日)後、極めてすらすらと字が読めるようになり読書が捗っている。とは言え、その速度は絶頂期には遥かに及ばない。しかし、蛇足だが、その後、意外と面倒なのが一日四回の目薬。術後、読んだ本は、

「天離(あまさか)り果つる国(上)」、宮本昌孝、2020年 (時代小説)

「ビーフ巡査部長のための事件」、レオ・ブルース、1947年 (探偵小説)

「うさぎ狩り人(上)」、ラーシュ・ケプレル、2016年・(下)」(今風の北欧ミステリー)

「ボタニカ」、朝井まかて、2021年 (牧野富太郎の伝記)

「武士(おとこ)の紋章」、池波正太郎、1994年 (短編集(牧野富太郎の一編を含む)。ひろいものは「三根山」。

「グッドバイ」、朝井まかて、2019年 (大浦慶の伝記)

なんーだ、みんな絵空事じゃないか。これを見ると、「世のため人のため」になるようなご大層な本を読んでいるわけではない。しかし、全てに共通しているのは、面白いの一言だ。小生にとっては、夢中になって読む本が最高。しかし、唯一の例外は、今風の北欧ミステリー「うさぎ狩り人」。これだけは、最後まで馴染めなかった。

今、図書館から借りて読書待ちが、 「エイヴォン記」、庄野潤三 (チェーホフ、トゥルゲーネフなどの短編小説の紹介と身辺雑記)

図書館に予約済みが(ただし、借りても積読の可能性あり)、「高瀬庄左衛門御留書」、砂原浩太郎 (時代小説)

「黛家の兄弟」、砂原浩太郎 (時代小説)

「輝山」、沢田瞳子 (時代小説)

「ベルリンに堕ちる闇」、サイモン・スカロウ (ナチスものミステリー)

「白光」、朝井まかて (イコン(聖像画)画家、山下りんの伝記)

「日本共産党 「革命」を夢みた100年」、中北浩爾

ただし、最後の「日本共産党・・・」は、イデオロギーに凝り固まっていたら、即、退散。中公新書なので、そうではないと期待しているのだが。

(編集子)小生の ”乱読” の定義を考え直す必要がありそうだ…….ただし、万事、”居眠り” が終わってからのことになるけど。

(菅原 追記)大失敗を仕出かした。駄作と言うより、読むに値いしない本を選んでしまった。

庄野潤三の「エイヴォン記」だ。エイヴォンとは、隣家から貰い、机上の花瓶に活けた薔薇の一種だそうだ。その内容は、彼が読んで気に入った短編小説の紹介と(例えば、最初の奴は、マーロン・ブランド、フランク・シナトラ、ジーン・シモンズなどが出たミュージカル映画「野郎どもと女たち」の原作者、デイモン・ラニヤンの「プッチの子守歌」)、その身辺雑記なのだが。その短編のどこが面白くて、何に彼が感心したのかがまるで伝わってこない。加えて、身辺雑記とは言っても、実は典型的な私小説。孫を中心にした庄野一族の他愛もない話しが、延々と続く。そこで、第三章を読了後、早々と退散した。

何せ、小生の読書の出発点は、高垣眸の「怪傑黒頭巾」とか吉川英治の「神州天馬侠」だから、庄野と全く相容れないのは当然の話しであり、この乱読は最初から完全に間違っていた。「日経」の読書欄。「半周遅れの読書術」に女流作家、江國香織が推薦していたのに、うまうまと乗せられ、軽はずみな行動であったと反省しきり。先が長くないから、出来るだけ無駄なことはしたくないのだが、実際にはそうは問屋が卸さない。

(編集子)マーマー、そんなに難しく考える必要もないんじゃないか、御同輩。

村上から裏磐梯の新緑を堪能してきました   (HPOB 小田篤子)

新潟(村上)、裏磐梯に出かけてきました。村上へは遺品確認や法要で。お墓は《にいがた庭園街道》のパンフレットに載っているお寺(長楽寺)にあり、紫陽花はまだ蕾でしたが、庭の見学に来ている人もみられました。皆で昼食を頂いた能登新は、創業270年とか…、村上らしく軒に鮭が吊るされています。最近は村上もTVで時々紹介され、案内を片手に歩いている人を見かけるようになりました。帰りが雪や夜の事が多く、初めて落ち着いた城下町を歩くことができました。ついでに、TVで見て泊まってみたかった、裏磐梯高原ホテルに寄りました。

五色沼巡りは毘沙門沼、赤沼、みどろ沼……等8ヶ所をまわり、最後は林学博士であった中村弥六の名を付けた《弥六沼》です。この弥六沼はプライベートレイクで裏磐梯高原ホテルのお客さんしか見ることが出来なくなっています。

ホテルは磐梯山とこの沼に面し、絶景でした。図書室も広く色々な本が有りました。五色沼のブルーはそれぞれに違い、綺麗で、徒歩で1時間半程のちょうど良い運動になりました。我が家の今月のカレンダーは白神山地の青池…こちらも綺麗ですね。高速道路は新潟付近は果てしなく緑の田んぼが続き、その後は残雪の山や、木々の緑が続き爽やかでした。

 

(保屋野)村上と新緑の裏磐梯、うらやましい限りです。村上は、近くの日本海「笹川流れ」をクルーズしたことがありますが、期待以上の景観でした。裏磐梯は紅葉の時期に何度か訪れましたが、毘沙門沼のブルーが美しかった記憶があります。なお、カレンダーの「青沼ブルー」は有名ですが、私には「三大ガッカリ」、あの美しい色は、晴れた日の限られた時間しか見ることができません。

(安田)山形県の出羽三山に数年前行った(登った)時、新潟から鶴岡まで乗った羽越本線の列車で村上を通りました。笹川流れも“あっという間”ですが眺めることが出来ました。新潟県というより山形県の感じもします。村上からほぼ真東の方角にある山形県南陽市が僕の女房の郷里でした。村上のことはほぼ何も知りませんが、唯一皇后雅子さんの実家・小和田家の本籍地だというのは知っていました。それにしても小田ご夫妻の縦横無尽に国内外を旅される足腰の軽さには感心させられます。村上から裏磐梯、そして五色沼辺り新緑は見事なんでしょうね。羨ましい限り!

(編集子)安田君のため息に同感。会社時代長い付き合いでしたがこんなに活動的なレディとは存じませんでした。ダンナはもともとすばしっこい人ですから、多分そのせいかな、とも。裏磐梯は普通部時代に学校旅行で行ったのが初めてでしたが、まだ、蒸気機関車にひかれた列車だった記憶があります。当然、ホテルなんてものはありませんでした。

エーガ愛好会 (153) 大統領の陰謀

(船津)1972年6月17日、首都ワシントンD.C.のウォーターゲートビルで働く警備員のフランク・ウィルズ(演:本人)が建物のドアに奇妙なテープが貼られていることに気付き、ワシントンD.C.首都警察に通報。民主党全国委員会本部オフィスに侵入していた5人組の男は不法侵入の罪で逮捕された。
入社してまだ日が浅いワシントン・ポスト紙の社会部記者ボブ・ウッドワード(演:ロバート・レッドフォード)は、社会部長のハワード・ローゼンフェルド(演:ジャック・ウォーデン)から、民主党本部における不法侵入事件の法廷取材を命じられる。窃盗目的で押し入ったと思われていた容疑者たちの所持金が多額であった事と、所持品の中に無線機や35ミリカメラ等不可思議な物が含まれていたためである。予審が行われている裁判所に赴いたウッドワードは、共和党系の弁護士が傍聴に来ていることに不自然さを覚える。さらに容疑者のうちの1人、ジェームズ・W・マッコード・ジュニアが、CIAの警備官だったことを告白したとき、ウッドワードはこの事件が単なる物盗りの侵入事件ではないことを直感し、踏み込んだ取材を開始する。
一方、先輩記者カール・バーンスタイン(演:ダスティン・ホフマン)もこの不法侵入事件に興味を抱いていた。彼はウッドワードの書いた原稿を焦点が甘いと指摘し、推敲してみせる。ウッドワードは反発しつつもバーンスタインの手腕を認めざるをえなかった。2人の熱意を感じたローゼンフェルドは、ベテランの政治部記者に任せるべきだと主張する編集局長のハワード・シモンズ(演:マーティン・バルサム)を説得し、2人を担当記者にする。
当初は政府機関の厚い壁に阻まれ五里霧中の状態であったが、ローゼンフェルド、サイモンズ、編集主幹のベン・ブラッドリー(演:ジェイソン・ロバーズ)等、社の幹部の叱咤を受けながら取材を進めていく内に、僅かながら現れ始めた情報提供者や以前からのウッドワードのニュースソースである謎の人物ディープ・スロート(演:ハル・ホルブルック)からの助言・示唆により、現大統領リチャード・M・ニクソン再選委員会の選挙資金の流れの不自然さに行き着く。それによって侵入事件の全貌が次第に明らかになってきた。
事実関係の調査を済ませた記者たちは事件を記事にする。情報提供者たちの証言の裏が取れない内は断固として掲載を認めなかったブラッドリーもついに掲載を許可。記事が掲載されると、主幹のブラッドリーとワシントン・ポスト紙はニクソン政権から名指しで非難と冷笑を浴びる。さらには情報提供者にも証言を翻され、2人の記者は窮地に立たされてしまう。世間・一般市民の事件へ反応も薄い。そんな中ブラッドリーは編集会議で、あくまでも2人の記者を後押しするよう、幹部たちに厳命する。
ウッドワードはディープ・スロートからCIA、FBIなど諜報・捜査機関がニクソン政権に牛耳られようとしており、2人の記者のみならずワシントン・ポストの幹部も監視下にあると警告を受ける。深夜、自宅に来て状況を伝える2人に対しブラッドリー主幹は、合衆国憲法修正第一条で保証されている“報道の自由”を、そして“この国の未来”を守る為あくまで戦う事を告げ、そして二度とヘマをするなとハッパをかける。
1973年1月20日、再選を果たし、就任式で宣誓するニクソン大統領のテレビ中継が流れる中、ウッドワードとバーンスタイン両記者の打つタイプライターの音がワシントン・ポストの編集局に響く。2人が火を付けたこの事件の報道が端緒となって世論を動かし、やがて大統領の側近や政府高官を含める事件関係者たちは次々と起訴され有罪となる。ニクソンは1974年8月9日に大統領を辞任。ジェラルド・フォードが第38代合衆国大統領に就任した。

しかし、日本の西山太吉記者事件のように真実を報道するために取材すると、色々な個人的関係が入り込んでくる。これは情に通じる様な取材も同じ。真実を伝えるにはどんな努力も必要だが「取材源」だけは絶対に秘匿せねばならぬのが記者魂である。「大統領の陰謀」ではその描写が中々細かく描かれている。だが映画としてはやや入り組みすぎてわかりにくいところが多く、訴えるべき事項が霞んでしまう。同じワシントンポスト社を描いているペンタゴンペーパーズと比べると、方やベトナム戦争真っ盛りの1971年頃の情景、ウォーターゲート事件は3年後の1974年の頃で3年しか違わないが、スビルバーグは確りワシントンポスト社を復元して描いているのに対して、家具。器材など時代考証は「大統領の陰謀」は違う様で違和感がぬぐえない。

(関谷)愛好会の皆さんに釣られ、立て続けに「ペンタゴン・ペーパーズ」と

本日の「大統領の陰謀」を、雨読日でもあり、見てしまいました。聞屋さんの図々しさに、改めて、感心するとともに、気の弱い私では、絶対に務まらない職業だと痛感!「文春」の記者も似たようなものなのでしょうね!

ウオーターゲートビル

(保屋野)ウオータ―ゲート事件を映画化した作品ですが、(ペンタゴン・ペーパーズもそうでしたが)、巨悪に立ち向かう記者の奮闘ぶりはそれなりに楽しめましたが・・・ネットのコメントにもありましたが、何せ、登場人物が多すぎて、かつ電話のやり取りが多く、ストーリーを理解するのが中々難しい作品でした。私は、こういう複雑な事件は、映画より、NHKがよく放映している(解説付)「ドキュメント番組」の方が分りやすく、面白いのではないかと思います。D・ホフマンとR・レッドフォードの競演は見ごたえありましたが。

(安田)1972年6月17日のウォーターゲートビル内の民主党本部で起きた盗聴侵入事件発生からニクソン大統領の辞任の1974年8月9日までの2年2ヶ月間に及ぶぶ、ワシントンポスト紙の真実を掴み報道する自由を追求するジャーナリズムの信念に対して政治権力の相克を描いた映画である。

原題は「All the President’s Men」。先日、ブログにも載った映画「ペンタゴン・ペーパーズ」、更にウォーターゲート事件をFBI副長官の目線で描いた映画「ザ・シークレットマン」2018年制作、原題「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」、 これら3本の映画は1971年から74年に起こったアメリア政府中枢の腐敗とも呼べる権力の乱用と自己正当化の傲慢な動きに真向から挑んだジャーナリズムとFBI副長官の孤独な闘いを描いた、アメリカの良心と正義を担保した映画とも言える。

「ザ・シークレットマン」はFBI副長官マーク・フェルト、後にウォーターゲート事件の情報提供者として知られる「ディープ・スロート」本人(対外的には秘密)の政府の公的な組織人の立場と個人的な自由と正義を守る信条の狭間で悩む一個人を描いた秀作。彼が「ディープ・スロート」ではないかと‘70年代には目されたが、本人は認めたことはない。2008年に85歳で他界するが、死去の3年前の2005年8月に自ら公表した。映画の制作はマーク・フェルトが自らを「ディープ・スロート」と公表してから13年後、死後10年後に製作された。それだけ時間の経過が必要であったのだろう。スティーヴン・スティルバーグ監督映画「シンドラーのリスト」主役を演じた北アイルランド出身リーアム・ニーソンがマーク・フェルトを好演した。この映画はFBI副長官の知ってしまった公人の葛藤と苦悩を闘ったを見事に描いた映画。「大統領の陰謀」と併せて観ると、ウォーターゲート事件についての理解がより増すこと請負。

(編集子)ワシントンポスト紙社内のシーンが迫力があった。ああいう場で仕事をすることを夢見た時代もあったのだが。

キャトルドライブ、カウボーイ、スタンピード、ジョン・チザム (44 安田耕太郎)

映画「赤い河」1948年や「スタンピード」1965年では牛の群れの暴走・スタンピードのシーンがある。両映画を観て、掲題の諸点について興味をもった。キャトル・ドライブを描いたクリント・イーストウッドの出世作となってTVドラマに「ローハイド」(1959~65年)放映があった。 

キャトル・ドライブ(Cattle Drive)とは牛の群れを輸送すること。輸送といっても鉄道や車に乗せて運ぶことではない。19世紀半ば頃から、アメリカの大草原地帯で増えた牛の群れを数百キロから1千キロ以上離れた鉄道の出荷駅まで運ぶ作業をことである。調べたところアメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきた、肉を主食とするスペイン人が持ち込んできた。スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれをついでテキサスあたりで繁殖させた。その地域はメキシコとなって、バケーロ(Vaquero)と呼ばれるメキシコ人の牧場労働者が管理していたが、牛肉を食べる文化はスペインのもので、アメリカに住んでいた英国やスコットランドやアイルランド系の人々は牛を食べる文化がなかった。

アメリカとメキシコの米墨戦争(1846~48年)の結果テキサスはアメリカに帰属(映画アラモなどでも描かれる)。その頃までには所有主のいない野生化したテキサスの牛(Texas Long Horn)が無数に増えてきて、放置されたままになっていた。南北戦争が1865年に終わると、人々が西部に入植していって開拓が始まる。東部は工業も発達し、移民も増えて、人口が増え、食料の需要も増える。そこで目をつけられたのが、テキサスの無数の牛だった。これを捕まえて、食肉として消費地のカリフォルニアや東部に送ろうと思いついた人々がいたのだ。そこで、テキサスから、鉄道の出荷駅があるカンザス州まで数百~数千頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだ。我々が西部劇映画で馴染んだいわゆる“カウボーイ”は牧場で牛を育てる牧童主などを指す場合はあるが、彼らは厳密な意味では“カウボーイ”ではない。

大量の牛肉の消費地であるカリフォルニアや東部へ運べばいい金になるということで、テキサスからオクラホマを経由して、鉄道が敷設された出荷駅のあるカンザス州までチザム・トレイル(Chisholm Trail)と呼ばれる道を通って牛を運ぶ仕事をキャトル・ドライブ(Cattle Drive)と言った。カンザス州アビリーンまで鉄道がのびた時,家畜商人のジョーゼフ・マッコイJoseph G.McCoy(1837‐1915)はここに牛を集め,東部へ運ぶことを思いつき,当時テキサスでは1頭4ドルだった牛を40ドルで買うと宣伝した。たちまちカウボーイたちは,テキサスから〈チザム・トレイル〉沿いに,1000マイル(約1600km)もの距離をものともせず,年間50万頭の牛をここまで追ってきた。鉄道が西へのびるに従い,ほかのトレール(牛追い道)も開発され,ロング・ドライブ(遠い牛追い)に従事するカウボーイは時代の花形となった。…

最終送り先は大きな畜産取引市場のあったシカゴ。黄金時代は1866~1886年の20年間。カウボーイ(Cowboy)というのは元々キャトル・ドライブという牛を運ぶ危険な仕事をする牛の管理・運搬をやった男達のこと。一万頭の牛を運ぶというのは、1頭が何らかの理由でパニックを起こせば次々に伝播して大量の牛が一斉に暴走する危険な「スタンピード」(stampede) を引き起こす。「赤い河」や「スタンピード」の映画でもスタンピードのシーンが出てくる。更に、テキサスとオクラホマの州境を流れるRed River (映画の題名 – 下流ではミシシッピ河となりルイジアナ州でメキシコ湾に注ぐ)を1万頭もの牛を渡らせるのは至難の業。そして辿り着いたオクラホマは、当時、南部から強制移住させた先住民を住まわせる居留地で、警察も何もない無法地帯で、犯罪者・荒くれもの・流れ物の巣窟で危険極まりない地帯。牛泥棒が待ち構えていた。しかも川には橋がかかっていない。牛を渡河させるのは非常に危険で、しかもスタンピードという牛の暴走が始まるかもしれない。1回のキャトル・ドライブで何人ものカウボーイが当たり前のように死んでいく、地獄の旅だったわけです。従って、カーボーイは拳銃を保持し必要とあればそれを使って闘うのは当たり前。カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだった。トレイルの沿線宿場町には一攫千金を当てたカーボーイたちが金を落とす仕掛けの酒・女・博打が大普及するのも自然の成り行き。そこには西部劇の題材となる話がごまんとできても何ら不思議はない。(安田注:スタインベックの小説「怒りの葡萄」では瘦せた土地で生活できないオクラホマに住む家族が新天地カリフォルニアを目指した苦難の旅を描いている。それほどオクラホマは貧しい土地だったのだ。)

黄金時代の20年間(1866~86年)に幕が下ろされるきっかけは、有刺鉄線の導入・普及。長距離の牛の輸送は必要がなくなり、有刺鉄線の塀に囲まれた牛の世話をするのがカウボーイ(というより牧童)となり、ダイナミックにチザム・トレイルをキャトル・ドライブする本来のカーボーイの姿と全く変わってしまった。本来的なキャトル・トレイル時代のカーボーイは尊敬されるべき特別な勇気ある男たちであったのだ。

テキサスの牛は基本的には野生なので原価はゼロ。カーフ・ブランディング(Calf branding)という焼き印をすることで牛の所有権を主張できることになる。「赤い河」では、キャトル・ドライブの隊長トム・ダンソン役のウエインの焼き印は左上に大文字の「D」、横に二本の曲線が斜めに走った印。二本線はRed Riverを表す。ジョン・ウエインは「赤い河」以後の西部劇出演でもこの焼き印のベルトバックルを常に着用していたとのこと。その位、彼はキャトル・ドライブ隊長役トム・ダンソンと一心同体化していたとも言える。

(編集子)いわゆる”カウボーイ”(安田君の定義のいかんにかかわらず)の現実がレコードケースの表紙を飾るようなロマンチックなものでなかったことは想像できる。同期の大塚文雄(フミ)も小生と同じに英語好きだが、彼から ”ぜひ読んでみろ。ただしちいとばかり大変だけどな” と紹介されたのが Lonesome Dove という小説だった。まあとにかく買ってみるさ、と例によってアマゾンに依頼。まもなく到着した本の暑さを見てうなった。842頁、自分が標準として計算しているポケットブックのほぼ3冊分、挿絵もなければなにもなし、1ページ41行、びっしりつまっている。フミへの敵愾心もあって何とか読み終えるのに3か月かかってしまった。しかしこの内容はさすがに濃厚だった。ストーリーはともかく、描写される当時の西部の生活、キャトルドライブでもなんでもいいんだがその生活のすさまじさ、自然との闘い、飢え、なるほど、西部開拓とはこういうものだったのか、となっとくさせられた1冊だった。

映画 チザム。実在した開拓のヒーロー、ジョン・チザムをウエインが、その相棒をごひいきベン・ジョンスンが務めた娯楽ものだが、チザムそのものは筋の上では添え物で、ストーリーの中軸にあるのはビリー・ザ・キッドことウイリアム・ボニーが恩人タンストウールを殺された復讐のため射殺し逃亡、のち、チザムを通じて友人でもあった保安官パット・ギャレットに最後は射殺された(映画ではこの部分はない)という史実をとりまぜた話である。このビリーの復讐を含んだ一連の騒動は地名にちなんでリンカーン・ウオーと呼ばれる。安田君が述べているチザム・トレイルは、西部開拓の引き金になったのが有名なオレゴン・トレイルであるとすれば、その開拓の成果をあまねく広げたトレイルということだ。一度アイダホ州ボイジーへ行ったとき、オレゴントレイルの一部が保存されているところまで行ってみたことがある。映画にでてくるロマンなどとは程遠い、わだちの後にすぎず、日本だったらそれらしい看板の一つもたてる価値がある風景を想像していて落胆したものだった。