乱読報告ファイル (7) スウェーデン発ミステリシリーズ  (44 安田耕太郎)

推理小説はほんのかじるほどしか読んでいない。読んだのはコナン・ドイル、アガサ・クリスティー、エラリー・クィーンなどの英米作品と江戸川乱歩、横溝正史、東野圭吾などを少々である。そんなミス冒には門外漢の僕が10年ほど前「ミレニアム」(Millennium) を読んで惹き込まれた。会社勤めの現役中であったが、久方振りに夜更けまで本から目が離せなくなるほど面白かった。

 北欧ミステリーブームの火付け役となったのが、スウェ―デン人作家スティーグ・ラーソンの処女推理小説「ミレニアムシリーズ」だった。作者のラーソンは全10部の構想を持っていたが、第1部の出版を待たずして2004年心筋梗塞で急逝。亡くなった時、彼のパソコンには第4部の4分の3ほどに相当する原稿が残されていた。死後の2005年に「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」、2006年に「ミレニアム2  火と戯れる女」、2007年に「ミレニアム3  眠れる女と狂卓の騎士」が出版され、世界的大ヒットを記録しながらも絶筆のため第3部をもって完結した。

スウェ―デンでは「読まないと職場で話題についていけない」と云われるほどの人気を博し、3部シリーズ合計で国の人口の40%に当たる380万部を売り上げるベストセラーとなった。30か国以上で翻訳出版され、既に6000万部を超える大ヒットとなっている。日本には2008年から2009年にかけて早川書房から出版され、大きな話題となった。読んでおられる人も多いと推察する。

シリーズ3部とも上・下巻からなり、1部当たり上・下併せて900~1,100ページに及び3部合計すると3,000ページを超える大作だ。ミレニアムは1千年の期間を意味する言葉で、大袈裟な題名だと身構えたが、主人公が勤める出版社の月刊誌名であった。

巻頭の複雑な家系図、紹介されている登場人物の多さに驚く。しかもスウェ―デン人の名前なので覚えにくい上に、舞台となる地名もスウェーデン国内の各地で馴染みは全くなく怯む。登場人物紹介ページと家系図を頻繁に参照しつつ何度もあと戻りしながら読み進めていかざるを得なかった。が、エンジンがかかるとアクセルの踏みっぱなしで10日間ほどで全3部を続了したと記憶する。

月刊誌「ミレニアム」の発行責任者である主人公ミカエルは大物実業家の武器密売を暴く記事をスクープ発表したが、名誉棄損で訴えられ裁判で敗訴し全財産を失う。そんな失意の折、スウェ―デンを代表する富豪から家族の失踪事件の調査依頼を受ける。解決すれば、大物実業家を破滅させる証拠を渡すという交換条件で彼は依頼を受諾し、困難な調査を開始する。40年前に行方不明になった16歳の少女のことであり、一族の誰かに殺されたという。複雑な失踪事件の膨大な資料を調べる一方、富豪一族の謎にも分け入るが、助手が必要と感じた彼は、背中にドラゴンの入れ墨(タトゥー)を入れた女性調査員リスベットの協力を得て二人は調査を開始する。リスベットは富豪から頼まれてミカエルの身辺調査をしていて二人は知り合ったのだ。

二人の調査で明かされる忌まわしい事実、幾重にも張りめぐらされた深まる謎、愛と復讐。スウェ―デンと聞いて思い浮かぶのは、ボルボ、ABBA、IKEA、福祉国家、自由恋愛、金髪碧眼、ノーベル賞などの柔らかいイメージであるが、小説は人身売買、強制売春、拉致、殺人、巨大な陰謀、闇の組織・公安警察特別分析班などが複雑に絡み合い、あらゆるミステリーの要素を織り込んだ波乱万丈の物語と登場人物のユニークな素晴らしさに圧倒される。なかでも印象的なのが、タトゥーをした女性調査員リスベット。特異な風貌をしているが、ガラスのように繊細な心を持ち、超一流のハッカーでもあり情報収集に長けている。現在では良く知られた「ハッカー」だが小説を読んだ10年前当時では馴染みがなく、将来を予見するかのような「ハッカー」の不気味さだけが印象深く残っている。全編を通して彼女の危機と活躍に一喜一憂させられると同時に、主役の二人ミカエルとリスベットの時には二人三脚、時には相克する絡みにも堪能させられた。

ストーリ―を説明するのは膨大複雑すぎて無理であるが、その面白さに、途中で本を閉じることが出来ず、夜更かしする日が続いた。「ミレニアム3部作」は是非お勧めの本である。

「ドラゴン・タトゥーの女」は2011年映画になり、観に行った。が、多くの映画と同じで面白い原作本には足元にも及ばなかった。ミカエル役が007ボンド役で知られたイギリス俳優ダニエル・クレイグ、リスベット役はルーニー・マーラ。彼女は「グラディエーター」、「ジョーカー」でアカデミー主演男優賞のホアキン・フェニックスのパートナーで一子を授かっている。スウェーデンではテレビドラマ化され、久米行子さんは先ずそれをケーブルTVで、それから書籍を読み、最後にハリウッドで制作された映画を観たがスウェ―デン制作のTVドラマは原作に忠実に映像化していて面白かった記憶が鮮明で、ハリウッドのリメイクは全く面白くなかったと言っている。スウェ―デンのTVドラマと書籍の後では特にそう感じられれたのは頷ける。

なお、第3部で絶筆して完結したが、同じスウェ―デン作家のダヴィッド・ラーゲルクランツが続編として3作書き、それぞれ2015年、17年、19年に出版されたが、こちらは未だ読んでいない。

ウイキペディアから転載

スティーグ・ラーソン(Stieg Larsson 英語: [stiːɡ ˈlɑrsən]、本名:Karl Stig-Erland Larsson スウェーデン語: [ˈkɑːɭ ˈstiːɡ ˈæːɭand ˈlɑːʂɔn]1954年8月15 – 2004年11月9日)は、スウェーデンジャーナリスト及び作家。彼は推理小説ミレニアム」3部作を執筆したことで最もよく知られており、死後に出版され、映画化もされた。ラーソンはストックホルムでその人生の多くを過ごし、ジャーナリズムの分野や極右について研究する独立研究者(ラーソンは反極右の立場である)として働いた。

彼はカーレド・ホッセイニに次いで、2008年に世界で2番目に売れている小説家であった。「パブリッシャーズ・ウィークリー」によると、「ミレニアム」の第3部「眠れる女と狂卓の騎士」は、2010年にアメリカで最も売れた本になった[2]2015年3月までに、彼のシリーズは世界中で8000万部を売り上げている

エーガ愛好会 (78)  母と暮らせば   (普通部OB 船津於菟彦)

75年前の8月6日はヒロシマ。9日はナガサキ。と原子爆弾が投下され、一瞬のうちに無差別に15万人以上の方が亡くなられた!詳しい数字は未だハッキリしないようです。その時から76年。平和に東京オリンピツクが開催されています。
1912年10月に大学の友人の仲間で旅行会を開催していて「瀬戸内の美と味を満喫する会」で広島・長崎を訪れた。長崎は本来小倉が爆撃予定地で第2候補であったのが小倉が雲で覆われ、長崎にやって来た!雲が覆っていたが雲が切れて町が直視でき、爆撃された。
そんな長崎の爆心地を訪ねると写真で見るのとは大違いで、その思いは矢張り大きかった。

8月9日は忘れぬ日です。核廃絶は世界から核爆弾を無くすべきです。その中気持ちを山田洋次監督は母と息子の会話と婚約相手であつた女生とが絡んで甘く悲しい物語に仕立て上げている。『母と暮せば』(ははとくらせば)は2015年12月12日に公開された日本映画。主演は吉永小百合と二宮和也。監督は山田洋次。
松竹創立120周年記念作品。第89回アカデミー賞・外国語映画賞部門 日本代表作品。

物語は1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二がひょっこり現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出てこられなかったんだよ」。
その日から、浩二は時々伸子の前に現れるようになる。二人はたくさんの話をするが、一番の関心は浩二の恋人・町子のことだった。「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」。
そんなふたりの時間は、奇妙だったけれど、楽しかった。その幸せは永遠に続くようにみえた―。
母親・伸子役に吉永小百合、息子の浩二役に二宮和也、浩二の恋人・町子役には黒木華という理想的なキャスティングで山田洋次監督が初めてつくる、やさしく泣けるファンタジー作品です。浩二がメンデルスゾーンが好きで、生前はその中でも「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」がこの映画の「軸」として流れる。

原爆で被爆死したはずの彼が亡霊となって現れる。
伸子は驚きながらも浩二との再会を喜び、その日から息子の子供の頃の話、生前の将来の夢や死んだ浩二の兄の思い出などを語り合う。浩二の生前の恋人・町子は今でも彼を想い続け伸子との交流を続けていたが、彼もまた彼女に未練が残っていた。伸子はそれぞれとの会話で浩二と町子のお互いの想いを知るが、若い彼女が死んだ息子を想って残りの人生を過ごすのを不憫に思い始める。
浩二の母であり、クリスチャン。助産院を営んでおり、妊婦の自宅に出向いて出産や産後ケアなどをしている。浩二が生きていた頃から体が弱く、血圧の薬を服薬している。浩二が幼い頃に夫を結核で亡くし、数年前に長男はビルマで戦死、唯一の家族であった次男・浩二までも原爆で亡くしてしまう。8月9日の長崎原爆で跡形もなく爆死した浩二のことが忘れられず法事をせずに陰膳を続け、3年後に亡霊となって現れた彼と再会する。

伸子は町子のことを思って他の男性との恋を考えるよう助言するが、町子はその申し出を拒む。一方同じく伸子から町子を諦めるよう説得された浩二は、数日間悩んだ末彼女から身を引く決心をする。
年の瀬が迫る頃一人の男性を連れた町子が久しぶりに伸子の家に訪れ、彼と婚約したことを告げる。申し訳無さそうに謝る町子に伸子は「これで良かったのよ」と抱きしめ、婚約者との幸せを願い送り出す。その夜伸子は浩二に町子の婚約のことを伝えた後床につくが、数日前から体調が悪かった彼女はそのまま息を引き取ってしまう。浩二と同じく霊となった伸子は、自らの葬儀が行われている教会へ行き、参列した町子の幸せを祈った後2人で天国へと旅立つ。

8月6日ヒロシマ・9日ナガサキは忘れては成らぬ日ですが「東京オリンピック」開催中世界にどう発信するか。是非「平和の祭典」であるならば大声で世界に核廃絶をこの機会に伝えて貰いたいものです。

乱読報告ファイル (6) 大沢在昌 ”冬の狩人”

要はなんといっても年齢のせいに違いないのだが、3日前、風呂場で体をひねったら腰に激痛が走った。翌朝になっても治らないので近くの整形外科へ行って、骨に異常はないことを確認、例によってシップ薬を処方された。こうなると早くても3日はまともに生活できないとあきらめて、ベッドで気楽に読める本を、と思って大沢在昌の本を2冊、買ってきた。

大沢は日本のハードボイルド作家の中で高く評価されている人だが、今まで、”新宿鮫“ シリーズの1冊しか読んだことはなかったのでいい機会だと思った。”新宿鮫“ は舘ひろし主演でTVドラマにもなった大沢の代表作だが、この ”狩人“ もシリーズキャラクタ本で人気が高いらしい。

”冬の狩人“ はかなり入り組んだ謎解きの部分があり、ミステリとしての重みもあるが、なんといってもテンポの良い文体が気に入った。ハードボイルド、というのは一つの ”書き方“ のジャンルではあるけれども、必ずしも ”ミステリ“ である必要はない。主人公の生き方、事の処し方が徹底的に主体的であり、文体とそれが生む一種の乾燥した雰囲気、そしてそれがもたらす人生に対する透徹した諦観が響いて来る作品、というのが僕の定義するHB文学だと思っているのだが、この作品とついでに買ったもう一冊、”悪魔には悪魔を“ を2日かけて読了して、まず感じたのはスピード感のある大沢の文体のすばらしさだ。

ポケットブックの裏表紙に書かれる宣伝文句のなかに “読みだしたら最後、終わるまでこの本を置くことは不可能です” といったのがよくある。正直、そんな気になった経験はあまりないのだが、この ”冬の狩人“ はそもそも読み始めた動機がいわば不純でたいした期待ははなから持っていなかったのだが、結果的には2冊とも、朝食を済ませてゴロゴロした後ベッドに寝て、朝寝をして昼飯を食べてまた寝転がって、という体たらくのほぼ5時間で、たしかに本を置く気にはならなかった。その理由は謎解きやストーリーの展開、ではなく、スピーディな文体にはまってしまったからだと思う。ミステリ、である以上、筋を書くのは控えておくけれども、大沢作品をこれからも読んでいこうという気になった。日本のHB作家でぼくのイチオシは前にも書いたが原尞、なのだが、この人はなんといっても寡作なので、ここ数年、新著は出てこない。まったく逆に大沢は多作な人なので、本を入手するには問題はないようだ(その分、今回のようにぴったりはまる作品にうまく当たるかどうか、という懸念もあるのだが)。

 

船曳さん、我々はこう考えます

先日、コロナ問題について有益な情報を提供していただいているドクター船曳のCOVIDの爆発的蔓延について のフォローアップ投稿である。編集子は1999年サラリーマン生活に終止符を打ったが、やめていなければかの ”2000年問題”対策の担当になるはずであった。全世界が(起きやしねえよ)派と (世界がひっくりかえるかも)派に分かれて固唾を飲んだけれど何も起きなかった。世界は平和だった。問題が起きたとしても、これだけ準備しているし、対応はできる、という暗黙の自信があったからだ。しかし今回の、まさに天災、宗教家に言わせれば最後の審判だかアルマゲドンだかともいうべき現状、我々の多くはすでに一線にたつことかなわず文字通り横町のご隠居の一哲、ご照覧あれ。

(日本HPOB 甲谷勝人)今起きているパンデミックは全く手が付けられないですね。特に腹立たしいのは若者たちの態度。もちろんすべての若者がいい加減なわけでもないし、国や官僚の態度や対応についても如何なものかと思われることが多々ありますが、今の環境下で一番有効と思われる対策は、一日も早くワクチン接種の範囲を拡大することだと思います。

私は今ファミリーの中では「小言幸兵衛」に徹していて、それぞれの家族の中でワクチン接種の予定はどうなっているか、ファミリーメンバーが集まるときの人数や飲食の予定はどうなっているかなどを家内を始め主としてお嫁ちゃんたちにチェックをかけています。特に家内からは大いに嫌がられていますが、これが老人のリスク管理の出番だと思っています。少なくともファミリーの中からワクチン接種に異論を唱えるものが出ないように気を付けています。

(大学時代クラスメート 飯田武昭)昨年の今頃つまり1年前頃にはマスクを着用して手指消毒の徹底、「3密」回避、「ステイホーム」など、そのどれもが重要な効果があると今でも思っています。しかし、飲食店やバーなど酒類提供の業種に1年半以上に及ぶ相変わらずのお願いベースでの規制が続いている現実は、最早、看過できない政治行政の能力の欠如と考えています。これらの業種(旅行宿泊業も含めて)にどれだけの日本人が関わって生活をしているか、又日本的な伝統文化がこの分野に依存しているかを思う時に、やはり私が当初から感じてきた現在の政治家諸氏の能力と感覚の欠如が全てに及んでいると感じます。

元々、安倍総理時代から今の菅総理の政府の諮問会議の尾身会長の発言も含めて、極めて政治的な発言だと感じていましたが、新型コロナがいくら新規の感染症といっても、それを予防する方法はその後の市中の検査データ等を種々分析して、プラス先行する欧米の沢山の有力な情報を的確に分析していけば、自ずとある程度、明確に具体的に示せる筈です。

それを毎週、決まった日時に(例えば、毎週2回とか)政府が会見の場を持つことをすべきです。感染症の専門家にはTVを見ている限り数人の正しい情報をもって立派な考え方がおられますが、総じて言うと全部が考え方や発出の仕方が正しいと思われない方が多々見受けられます。感染症は医学の分野では、日本では特にややマイナーだった?か、と独り言ですが思っています。対策は時には予想する効果が出なかったり失敗することも当然あります。そうしたらその理由を付して考えうる別の対策を提示して実行に移したら良いのですが、具体的と思われる対策が専門家会議からも出てこない。政治家がここへきて、発信力の弱さとかの問題でなく、本当に問題がどこにあってそれをどのように解決するかという思考回路的な能力の無さを残念至極ながら露呈していると思います。野党は与党がこれだけコケているのに、未だに支持率が上がらない点はもっと責任は重大かも知れません。

酒類提供業者のことに戻れば、この1年半の間に、どのような店のレイアウト(アクリル板の高さや置き方や座席の間隔等々)であり、人数は4人まで、食べる時はマスクを外して黙って食べる、しゃべるときはマスクを着ける、くらいで営業してもOKくらいの科学的データに基ずく公報ができても良いはずです。ワクチン問題でも河野大臣が担当になって期待したのですが、こちらも毎週決まった日時に会見を開くかと思いきや、初めは打ち手不足を心配していたのに、ワクチン接種が急速に進んだ頃からは、定期的な会見ではなく、どこかの民放やSNSでちょこちょことしゃべるものだから、本当は在庫があるのか無いのか、すら分からなくなってまっています。

東京オリンピック開催については、遅くとも開幕1か月前の時点で菅総理大臣として、開幕か中止か難しい判断ではあるが、「斯く斯く云々(しかじか)という理由で、次の何項目かを安全対策として実施するので開幕する決断に至った」という談話を1時間くらいかけて、総理と関係閣僚(橋本オリンピック組織委員会会長等)が、具体的な安全対策を国民に示しておくべきであり、これには万が一、途中で中止する危機管理はこのような状態という点も含めて、それをやってこそ国民も開催に納得しリスクを共有してオリンピックを楽しめたと思います。菅総理他の談話は常に「安心安全なオリンピック」と言うだけで、安心安全は受け取る方の国民や日本に来る外国人が感じて得るものであって、総理大臣や閣僚が手段も言わずに祝詞の如くしゃべるのは極めて不可思議であると思っています。

(普通部OB 船津於菟彦)一部にマスコミが煽っている。「ヒステリーマスコミ」などと揶揄する輩もいますが、確かに人類の禍根を残す「東京オリンピックコロナ禍」と言われない様に、注意するし、医療機関の方々も踏ん張って下さい。人流とやらも減って居ないのに「安心ー安全」とーーー。

「パラリンピック中止」ぐらいの「喝」入れないと収まらないのでは ?

(37 宍倉)今まではコロナ問題は私の日々関心事(一喜一憂)一番でした。今では、引き続きワイドショウの飯の種になっている日々のコロナ報道・情報にはなげやり的な気分です。感染者の日々増加とともに私のストレスも増加しています。

ワクチン接種が全体で50%にも達していないのに、新たに感染力の強いデルタ株感染者増加、加えて早くもが3回目の接種が必要とも言われ始めています。都心、又夜の街に出る機会は意識的に避けています。私の日々の行動範囲で見る限り、街中ではほぼ100%の人がマスクをしており、レストラン、スーパー等でも皆密集をさけ、マスク着用で、入り口には手消毒液・検温器等が設置されており、対策はそれなりに取られています。それでも日々感染者は増加の一途です。こうなったら自己防衛あるのみです。

酒があたかもコロナ感染源であるかの風潮には疑問を持ちます。一人静かに飲む酒もあります。要はマスコミで日々報道されている、夜の街の若者を中心とした飲食(特に飲)での、密集、大声での盛り上がりに問題であろうと思います。この状況を規制するには法制上の問題が壁となっています。

現政権の遅れ遅れの政策・対応には大いに問題もありますが、仮に秋の総選挙でリーダーが変わっても、又同じようなリーダーが生まれる事でしょう。政治の貧困、そんなリーダー生みだす土壌を作ってしまった我々国民の責任は大きいです。この現状一番の犠牲者は、子供達ではないでしょうか。部活等始め日々の活動が規制され、本来の活動も出来ない若者のストレスの高まりも理解できます。特に学年最上級生は、これまでの自己研さん・努力を発揮できる最後の機会が奪われています。甲子園を目指した高校野球でも、コロナ禍が災いし出場の機会が奪われた高校3年生も出てきています。

我々高齢者も残り少ない余生にそれぞれの人生終活の計画を持っていたと思いますが、それ断念せざるを得ず、誠に残念です。

エーガ愛好会 (77)  鉄道員(ぽっぽや)   (普通部OB 船津於菟彦)

会社に就職した時に新入社員ながら北海道炭礦汽船の担当者であった。「黒いダイヤモンド」と言われた石炭産業が石油に代わり、エネルギー構造変化をしだのでだったのでこの映画への思い入れも強い。
ストーリーの主人公佐藤乙松(おとまつ)-高倉健-は、北海道の道央(十勝・空知と推測されるが、あくまで架空)にある廃止寸前のローカル線「幌舞線(ほろまいせん)」の終着駅・幌舞駅の駅長である。鉄道員一筋に生きてきた彼も定年退職の年を迎え、また同時に彼の勤める幌舞駅も路線とともに廃止の時を迎えようとしていた。彼は生まれたばかりの一人娘を病気で失い、また妻にも先立たれ、孤独な生活を送っていた。
幌内炭鉱のもじりと思う。幌内炭鉱(ほろないたんこう)とは、北海道三笠市(開山当時は幌内村)に存在した炭鉱。明治12年に北海道開拓使が掘った坑道は当時は大坑道と呼ばれ、その後「音羽坑」と呼ばれるようになった。、石炭層の発見 – 採炭から輸送に至るまで機械化が進められた、日本の近代炭鉱の先駆け的存在。明治期の近代化から太平洋戦争後の復興期まで、縁の下で日本を支えた歴史的に重要な炭鉱の一つである。独立系の炭鉱会社も数社が開発を手がけたが、開発の主力を担ったのは北海道炭礦汽船(北炭)であった。北炭の本鉱の立坑は、海面下1,000mを越える日本最大規模となった。1975年に大規模なガス突事故があり13名の犠牲者をだした。事故後採鉱を再開し、最終的に北炭の生産量は100万トンを越えた。1989年閉山)。小生は此処にも連日鉱山用支保工始め数々の資材を納入する仕事にたずさわって。日本の産業が大きく変わる時であった。石炭産業の没落。日本国有鉄道の衰退。そのな時に仕事に関わり思い出深い。
さて、この映画はまさに高倉健の高倉健の人柄そのものである!また、鉄道員という仕事が何事にも「正確・実直」にするという事を守り抜き最後は吹雪のホームで電車を待つ姿で倒れて——。キャッチコピーは「男が守り抜いたのは、小さな駅と、娘への想い。」「1人娘を亡くした日も、愛する妻-大竹しのぶ-を亡くした日も、男は駅に立ち続けた…」「どこまでも—ぽっぽや」だと死を前にしてつぶやく。生まれた子供が女の子で「ぼっぽや」二代続いたのが続かなくなったなぁと残念がるが、その娘を可愛がるが風邪で早世してしまう。がつかりした妻も高齢者出産のことも在り、矢張り亡くなる。
夫人であった江利チエミもやや同様なことで早世しているが、テネシーワルツといいこの事を含め高倉健に纏わることがちりばめられている。回想シーンはモノクロに近い色で再現され、涙を誘う。そして、所々で江利チエミの持ちうだった「テネシーワルツ」がハミングで流れる。後半に不思議な物語が描かれ、余韻を残す。
3人の少女(佐藤雪子):山田さくや(幼少時)・谷口紗耶香(小学校6年生)・広末涼子(高校生)現代の乙松の許へ、見覚えがある人形を抱えて現れた少女とその姉二人。乙松と同じく「佐藤」と名乗る。正月休みで遊びに来たと話し、乙松は近所にある寺の住職の孫だと思い込んでいたが、住職からの電話で「娘も孫も帰ってきていない」と告げられ、少女が誰であるかを知ることになる。これが亡き娘の成長した姿だったようで「雪女」と絡め何か不思議な心に残るシーンであった。
尚、乙松が駅長を務める「幌舞駅」は、根室本線の幾寅駅を改造して撮影された。ただし、該当駅は終着駅ではなく途中駅であるため、模擬の腕木式信号機や車止めを設置するなど、いくらかの細工が施されていた。本線と幌舞線が分岐するターミナル駅として登場する美寄駅は滝川駅で撮影された。また志村けんは2020年12月公開予定の映画『キネマの神様』に主演予定だったが、クランクインを待たずに急逝したため、本作が生涯唯一の映画出演作となった。脇役であったがなかなの名演技であった。

COVIDの爆発的蔓延について   (34 船曳孝彦)

新規感染者が東京3000,5000を超える日が近いと理解していたら、なんとあっと言う間に3000をこえ、全国では1万5千人を超える大変な勢いとなってきました。

爆発的蔓延と言ってよい感染拡大で、パンデミックの典型的な型を取ってきたようです。国は感染者全員を調べないのでハッキリはしませんが、デルタ型が大部分を占めるようになってきています。そのこと自体は必然的なものであり、本来ならデルタ型にもワクチンが有効なはずですが、問題はVirus がこのような旺盛な繁殖・蔓延をしている時は、変異を起こしやすいとされています。デルタ型から次の変異株(デルタ+等)になって、ワクチンが効かなくなる可能性もあります。Virusの詳細な検索、研究とともに、ワクチンについても研究を進める必要があります。

「家庭でのTV観戦で人流は減少する」などと都知事はいいますし、首相は「五輪と感染拡大は関係ない」といいますが、緊急事態宣言は酒類提供店規制だけであるかのように宣言に人出抑制効果はなくなってきており、現実はオリンピック開幕以来人出が減っていません。第1回目の緊急事態宣言時の人流の変化とは大違いです。一般市民のコロナ慣れ、緊急事態宣言慣れが広がっています。TVでオリンピックの番組を見ていますと試合の時の各国選手団、関係者は、まさに密な状態で大声を挙げて応援しており、オリンピック関係者に感染者が続いております。オリンピックと同時に一般市民の間にも拡散していることは明らかで、かっての『スペイン風邪』(本来スペインは無関係)の名前がついてしまったように、不名誉な『東京五輪風邪』などと呼ばれる程の世界的蔓延とならぬよう祈るばかりです。
幸いに致死率は高くなっていませんが、感染者増加で一番困るのは病床不足となり、医療崩壊を早めることです。中等症、軽症者も本来全員入院が必要ですから、物理的に全く入院出来ない事態も想定されます。インドのように病院前に寝転がされている事態を想像してください。病院ベッドをもっとコロナ患者用に回せという声は大きいですが、現実は既に厳しい状態となっています。

オリンピック競技中にも熱中症が出ていますが、そのほかに心筋梗塞、胃癌、脳梗塞などの患者さんの治療を手付かずで放置するわけにもいきません。

Virusの蔓延で人口の何割という感染者を生むようになるか、何とかVirusを抑え込むことが出来るか、今は日本人の、ひょっとすると人類の運命の分岐点かもしれません。 今の感染者の年齢層は、20,30,10代が主となってきております。彼らに1日でも早くワクチン接種を受けさせるよう国に要望するとともに、接種回避ムードを打ち消さねばなりません。街中街頭飲酒は勿論のこと、「店に入らなけりゃいいんだろう」と連れ立って歩く若者を説得することも必要です。

感染者の多くが比較的長時間、多人数で、会食しています。私たちも残念ながら我慢を続けましょう。

乱読報告ファイル (5) ”ジョセフ・フーシェ”  (44 安田耕太郎)

 

19世紀末ウィーンに富裕なユダヤ人家庭に生まれ、20世紀初め文芸文化を担った小説家の一人にオーストリア国籍のシュテファン・ツヴァイクがいる。学生時代に読んで心に残っている1930年代から40年代にかけて著わした彼の著書に「ジョセフ・フーシェ」「マリー・アントワネット」「メリー・ステュアート」の伝記歴史小説3部作がある。

シュテファン・ツヴァイク
英国女優ジョン・フォンティンが主役を演じた文芸作品映画1948年制作の「忘れじの面影」(Letter from an Unknown Woman)の原作「未知の女の手紙」も、ツヴァイクが著わしている。彼には珍しい文芸作品。彼の育ちのせいか少し陰鬱な空気が漂う小説。「忘れじの面影」ではフォーンティンは彼女の持ち味を十二分に発揮して好演している。彼女が主演した「断崖」「レベッカ」「忘れじの面影」「旅愁」など全て、弾ける明るさなど微塵もない、いうなればどんよりとした空気感に支配されている映画。彼女は情熱と恋の炎を静かに燃やす、薄幸な芯の強い女性を演じている。姉オリヴィア・デ・ハヴィランドとの確執(仲の悪さ)も彼女の芯の強さと負けず嫌いの性格のせいではなかったかと、勝手に推測している。シュテファン・ツバイクのやや陰のある作風に良く似合う女優であった。

映画の話はさておき、ツヴァイクの著作の中で僕が特に愛読したのが「ジョセフ・フーシェ」。(Joseph Fouché)。フーシェは激動のフランス革命、ナポレオン第一帝政、フランス復古王政時代を生き延びた鵺(ぬえ)のような権謀術数に長けたフランスの風見鶏政治家だった。この時期のフランスは日本で云えば幕末から明治維新のような国家の背骨が変化する乱世の時代。激動の政治・社会情勢の中で、人間の本性が、特に生き抜いた人間の本性が浮かび上がる。それら個性的な人間は小説家が描く格好の対象となった。その一人がジョセフ・フーシェ。

ポレオン体制では警察大臣を務めた近代警察の原型となる警察機構の創始者。秘密警察を駆使して政権中枢を渡り歩いた謀略家としても知られ、権力者に取り入りながら常に一定の距離を保って、政敵を倒し激動の時代を生き抜いた。特にナポレオンの百日天下崩壊後は臨時政府の首班を務めナポレオン戦争の戦後処理を行った。自己の主義主張を貫くというよりは、変幻自在の冷血動物「カメレオン」の異名を持ち、自己保身に巧みで激動の時代のいわば裏街道を巧みに走り抜けた達人だった。ちなみに明治維新後、大久保利通に推された薩摩藩の川路利良は初代警視総監を務め、フーシェの警察機構を参考にして「日本の警察の父」と呼ばれる。

フランス革命からナポレオン帝政に至る時代を彩った多種多様な人物の有為転変、毀誉褒貶を歴史の激動の変遷を興奮しながら読んだのがこの本であった。ルイ16世、マリー・アントワネット、ミラボー、ダントン、サン・ジュスト、ロベスピエール、タレーラン、ナポレオンなどのこの時代の寵児ほど知名度もなく、知らないまま読んだ「ジョセフ・フーシェ」に歴史の大きな波と分水嶺、人間の煩悩、性、権力闘争、権謀術数のダイナミックさに魅了された本であった。

ユダヤ人のツヴァイクはナチスの影に怯え、1933年故郷オーストリアを離れロンドン、アメリカへの漂泊の旅は始まり、逃亡の旅の末1941年にブラジルに住みついた。ここまで辿りついたものの、ヒトラーは必ず勝つと信じ、彼の運命はヒトラーの追求によって絶たれる、と信じ込みノイローゼに悩む。ウイーン育ちのヨーロッパ人の神経では、ブラジルの土地と文化に溶け込めず、もはや行くところもない絶望感の末自殺した(没1942年、享年60)。もう少し生き延びていれば、ヒトラーとナチスの終焉を知り、ノイローゼも吹き飛ばせただろうに、残念ではある。僕は密かに、菅義偉首相のことを「菅フーシェ」と呼んでいる。

学徒出陣―人間魚雷 ”回天” の真実  (普通部OB 船津於菟彦)

学徒出陣の史実について、数年まえになるが小生のフェイスブックに紹介した記事を紹介する。文中にあるシャコ貝は慶応高校時代、小生が中司君とともに所属していた新聞会(ハイスクールニューズ)で一期上におられた亀井先輩の父上が保管され、のち塾に寄贈されている (注:FBの原文を転載)。

本日の日経新聞に「特攻学と残した肉声」の記事掲載されています。人間魚雷「回天」で戦死した塚本太郎さんの肉声ですね。12歳年下の弟さんがお母さんの遺品を整理していて見つけたそうです。母は秘密に大事にしていたようでした。2分半の録音だそうです。やはり、今回母校慶應に寄贈されたようで、永久に保管されると思います。現在公開中。
慶應義塾の学徒出陣で調査されているだけで、2226名の方が戦死している。その内特攻隊での死去が32名。回天-特殊潜航艇-での死去が5名が分かっている。
今慶應では慶應義塾と戦争シリーズⅢ 慶應義塾の昭和20年展
今回は昭和20年に焦点を合わせて、幼稚舎から大学構内の爆撃の様子から復興までを展示している。
http://www.art-c.keio.ac.jp/news-e…/event-archive/keio-1945/
もう一つは開戦16ヶ月前に慶應義塾の野球部がハワイへ親善野球の遠征に行き大歓迎で、お土産に大きなシャコ貝を戴いたそうです。これも友人の母が大事に何度もの疎開にもかかわらず保管され、今回母校に寄贈されたそうです。戦後活躍した有名野球人も居られ、やはり15名の内4名方が帰らぬ人となっている。

 

乱読報告ファイル (4) ”暗い波濤” と ”戦艦大和ノ最期”

先日、船津君からオリンピックについての投稿があり、そこで、第二次大戦の末期、学徒出陣の壮行行事のことに言及があった。そのことでだいぶ前のことだが、感動した2冊の本のことを思い出した。

小生の亡兄は当時旧制高校の名門の一つ、旅順高校に在学中であと半年も戦争が長引いていたら彼もその一人になっていたかもしれなかった。戦争の悲劇はそれぞれの立ち場から語られるが、この学徒出陣に関して自身その一人であった阿川弘之が書いた 暗い波濤 はずっしりと心の中に入り込んだ、という感触をもって読み終えた記憶がある。正確な日にちは覚えていないが、勤め帰りに立ち寄った代々木駅前の書店で偶然目に留まって、最初の数頁を拾い読みしただけで手放せなくなり直ちに購入した。その時気がついたら財布に残ったのがわずか数十円で、冷や汗をかいたことも覚えている。

第二次大戦当時の我が国での大学進学は現在と違ってほとんどは恵まれた家庭環境のものに限られていて、大学生、といえば文字通りの意味でインテリといえる若者ばかりだったはずだ。それが突然、想像もしなかった環境に放り込まれ、士官として百戦錬磨のベテラン下士官や兵を統率しなければならなくなり、それまでは哲学や文学の世界でしか意識したことのない死という現実に直面する。そういう場面で若者たちが悩み恐れながら任務を遂行していく、そのプロセスが著者独特の筆致で淡々と語られる。戦争の悲劇、というものをいわば受動的な眼でしか見てこなかったものとして、その悲劇に突如主体的に取り組まなければならなくなった若者たちのいきざまが戦後の社会の中で埋没しかかっていた自分にはまさに衝撃的であった。サラリーマン生活も漫然と過ぎ、中間管理職の末席につながり始めた当時、この小説のもたらした感動はまだ心に新しい。

戦艦大和ノ最期 は大和轟沈の時まで乗員として乗り組み、奇蹟の生還を果たした,自身学徒出陣を経験された吉田満氏の体験がそのまま語られているという意味で、生々しさはやはり小説とは明らかに違う書物である。吉田氏自身が確実な死を面前にしての時間、たとえば年長の部下との最後の会話とか、沈没寸前まで端然として医学書を読み続けた医官の話とか、当時の士官の通例通り沈没する艦と運命を共にと自分を縛り付けようとした瞬間、(若いものが此処で死んでどうする。生きて新しい日本を作り直せ!)と司令官に突き飛ばされて海へ飛び込んだという一行など、生死のはざまで一知識人がどうふるまったのか、一気に読みこんでしまった。原文は当時では常識であったカタカナで書かれた文語体、それもまた臨場感を与えた一因であったろう。吉田氏は復員後日本銀行に勤務、要職を歴任されたが病を得て50歳なかばで逝去された。司令官との約束通り、生き抜いて日本の再建に奔走された後半生といえるのではないか。そういう意味で、戦後の日本をリードした先輩たちには、吉田氏と同じような、生死のはざまを超えて初めて得られた使命感があったのだろうと思い、自分の境遇を改めて考え直すきっかけになった。

この本は以下グーグルの一部を転記しておくが、その発行まで戦後の混乱のなかで紆余曲折があった。小生は初め、父の本棚で偶然にみつけた、著者としては不本意な形だったとおもうのだが、ひらがな表記のものだった。その後、陽の目を見た本来のカタカナ表記文語体の本文を改めて読み直し感激を新たにした。

 

戦艦大和ノ最期 は次の有名な3行で完結する。

徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、”大和” 轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米

今ナオ埋没スル三千の骸 

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何

吉田氏はこのほか、鎮魂戦艦大和 という別冊(講談社刊)でさらに詳しく大和でのほかのエピソードを書かれている(同書に 最期 も再録されている)。

(グーグルより転記)『戦艦大和ノ最期』は、雑誌『創元』掲載の予定が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲組織CCD(Civil Censorship Detachment)の検閲で全文削除され、口語体化するなど大幅に改変したものが細川宗吉の筆名で他誌に発表されるなどの紆余曲折を経て、1974年(昭和49年)まで数度の改稿を重ねて今日の姿となっているリチャード・マイニアによる英訳版「Requiem for Battleship Yamato」(講談社、1985年)がある。ISBN 4770012292。

船津君の触れている学徒出陣で、学業半ばにして三田の山から戦地へ赴かれた慶應義塾の先輩方がどれほどおられたのか、塾当局にも正確な記録はないようだが、社会思想史を専攻,我々が在学中は平井新教授のゼミナールの助手を務めておられた白井厚名誉教授は英国留学の際、かの地の大学構内には戦没学生の追悼碑があることに感銘を受け、帰国後、塾当局の協力を得て塾関係で戦死された先輩方のリストを作成するというプロジェクトを推進された。その結果はいくつかの資料として結実したが、英国の例と違ってすべての資料を完全に当たることは難しく、また状況も明確にしようがないので、膨大な資料の突合せなどの末、推測で約2,200名の塾生または塾員が戦地で最後を遂げられた、と報告されている。白井教授のこの調査にはボランティアとして多くの塾員が参加されているが、KWV37年卒翠川(旧姓佐藤)紀子さんはその主要スタッフとして調査活動を積極的に支援されたことを付記しておく。

オリンピック開会式時のCOVID19 (34 船曳孝彦)

オリンピックが始まり、予想通り選手たちに感染者が出てきておりますが、都内を始め全国の感染者数は高止まりで、グングン増えてはいないようです。それでも地域によっては入院ベッドが満床となり入院させられない状況(医療崩壊)が出始めています。

 ワクチンの効果が検証されたことで一安心で、われわれ(多くの方は2回接種を済まされている)は本来なら社会生活復帰可能のはずですが、TVを見ていますと、警備に重点を置いているオリンピックの会場付近を除いて、緊急事態が解除されたかのごとく、世の中に人が溢れています。あれだけ密になっていれば、接種後の感染だって起こりうるだろうと思います。政府の方針に迎合するわけではなく、医療崩壊を食い止めるため、社会倫理として、もうしばらく我慢しましょう。遅れに遅れている若年世代の接種が進めば、感染も下向きに転じるでしょうし、トンネルの先の光が少しは見えてきたと思います

 昨日の全国新規感染者数は5397,東京で1979,1都3県で3463と、東京の感染者は第3波の時よりも増加傾向が強く、前週の1.38~1.87倍で、来週には2000を、8月初めには3000を超えるであろうといわれています。傾向として高齢者の比率が低下し、40,50代の患者が増加しています。問題はデルタ株(インド株)ですが、その比率は明らかにされておりません。

21日に厚労省アドバイザリーボード脇田隆宇座長のレポートが出ました。

最近の感染者調査で、7/5~7/15に2回接種を受けた人の感染は人口10万人に対し1.3人で、未接種者の27.4人の20分の1と言います。高齢者では0.9人、未接種者13.0人と、感染者が非高齢者に移行していることが出ています。

ワクチンによる予防効果が非常に高いということです。もちろん自然界、医療において100%、完全などということは望めませんので、2回接種後でも感染ゼロとはいきません。接種後の感染者130人中医療従事者が105人で、無症状50%、軽症46.2%、中等症3.8%、重症0でした。気道検体を調べた58人中16人でビールス検出が可能だった、感染の危険性があったということです。

残念ながら変異株分布の詳細は触れられていませんが、免疫を逃避する新たな変異株は確認されなかった、というのは朗報です。