エーが愛好会 (89)  裏窓―カメラの話から始めましょう (普通部OB 船津於菟彦)


「裏窓」観ました。出てくるカメラについてのトリビアをひとくさり。

このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
この映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

 

グレスー・ケリー綺麗ですね。あの衣装が凄い。衣装はイーディス・ヘッド、当時の洒落た映画は殆どが彼女のデザインでした。素晴らしいの一言に尽きます。

 

(HPOB 菅井)イーディス・ヘッドはヘップバーンが主演した「ローマの休日」「麗しのサブリナ」でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞しました(35回ノミネートされて8回受賞)。彼女は主演女優を華美な衣装で飾り立てるというよりはそれぞれの個性を引き立てるシンプルなデザインを志向したようで女優には非常に人気のあるデザイナーだったそうです。
ドイツとオーストリアがルーツのドイツ系ユダヤ人として19世紀末にカリフォルニアに生まれ、UCバークレーとスタンフォードの大学院を卒業したという当時としては異例ともいえる高学歴なインテリ女性でした。

(44 安田)今回久し振りにみて一番印象に残ったシーンは、グレース・ケリーが不審な男の部屋に、彼の留守中、無謀にも忍び込むがその男が戻って来て鉢合わせる。彼が戻る前に行方不明の妻の結婚指輪を見つける。ますます男が怪しいと睨む。ケリーを心配してステュアートは機転を利かせ警察を呼ぶ。警察が到着してケリーは間一髪助かるが、その際、見つけた妻の指環を妻殺害の疑いのあるその男から隠すため自らの指にはめ、その手を背中の後ろに持ってきて、中庭を挟んだ対面のアパートの裏窓から、その男の部屋をのぞき込みながら心配げに待機しているステュアートに知らせる場面だ。その時、ケリーの隣にいた、その男は彼女が庭を挟んで反対の部屋に合図を送って知らせていることに気づいたシーンだ。ケリーの仕草から、彼の疑い深げに鋭い目線を追う一連のシーンが緊迫感を盛り上げ、この映画の白眉だと思う。

舞台はほぼ全編にわたって部屋の室内。場所はニューヨークのグリニッジ・ビレッジとある。マンハッタン島の南西部、lower Manhattan と呼ばれる地域にある集合アパート。舞台がほぼ室内の設定は、後年1967年、ヴィクター・ヤング監督、オードリー・ヘプバーン主演の映画「暗くなるまで待って」(Wait Until Dark)が酷似している。ヒッチコック作品では「ロープ」がそうであった。「裏窓」撮影は全てステュアートの部屋から撮ったという。登場人物は全員アパートの住人で、彼らの生活が一連の流れになったおり、それを可能にするため、「全編スタジオセット撮影」という方法で行われ、窓の外の隣近所のアパート部屋との距離、見える角度、アパート隣人たちの多種多様さ、車道を通過する自動車の種類、台数、タイミングなど、全てが完璧に計算されていたという。ヒッチコック作品の中でも特に作り込みの細かい作品と評価が高い。

(普通部OB 菅原)「裏窓」は日本公開時(1955年1月)に見たから、小生、高校生の時代だ。

ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

テレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。

原作は、米国の探偵小説作家、コーネル・ウールリッチの短編「It had to be murder」だが、映画の題名「Rear Window」の方が遥かに事を言い当てている。ウールリッチ(または、ウィリアム・アイリッシュ)には、「黒衣の花嫁」(1940年)、「幻の女」(1942年)など、小生が夢中になって読んだ長編が多々あるが、今は、もう忘れられた存在のようだ。

ヒッチコックは短編小説を膨らませて、一本の映画に仕立て上げる点では他の追随を許さない(例えば、「めまい」)。これもそのとうりで、辻褄が合わないなどイチャモンをつけている人がいるようだが(例えば、殺人の証拠がないなど)、それは野暮ってもんだろう。

(編集子)スガチューのメモにあわせてペイトンプレースのうまい写真を探したが見つからなかったので, 出演者の中からボクの大好き女優を思い出してもらうことにした。ドロシー・マローン、なんとも魅力的なスターでしたな。

 ”幻の女” は、最後のどんでん返しの見事さにうならされた名作、その点ではクリスティの ”アクロイド殺し” に匹敵する名作だと思っている。

コロナごもりですることのない人、こういう時こそ、ぼくらのおすすめするミステリを試したまえ。2冊とも気の利いた本やなら、文庫本の棚には必ずあるはずでっせ。

 

 

満月を巡って

(HPOB 菅井)雲の切れ間に…

(34 小泉)菅井さんの素晴らしい中秋の名月の写真を見て、恥ずかしながら、「雲の切れ間に・・・」の言葉に触発されました。月見団子もススキもありませんが、マンションから眺めた中秋の名月です。中秋の名月が満月になるのは8年ぶりとのこと。丁度横浜球場でのヤクルトDeNA戦をTVBS1で観戦していたら、初回に村上が満塁ホームラン、そのあと雲の切れ目に何回か月を写してました。セパとも久し振りに優勝争いが面白いです。

(44 安田)満月の中秋の名月は8年振りだったそうです。僕の家からは直接見えず、近くで撮った写真は雲に遮られて今いち。

(普通部OB 菅原)菅井さんの写真も素晴らしいが、小泉先輩の二番目の写真も大層乙なもんです。ところで、西洋では中秋の名月なんてあるんですか。

(その2枚目の写真、がこれ)

(安田)知る限り西洋では月はどちらかと言えば不吉な存在。古代ローマ(多神教時代)では月の神はルーナ(Luna)。英語で“lunar” は “月の” という形容詞。lunaticは「狂気の」という意味。「狂人」という意味もある。西洋では月(luna)は人を狂わすと信じられてきた。中秋の名月を祝うというような習慣 しきたり があったとは思えません(要確認)。人の生き血を吸うドラキュラは満月が苦手。狼男は逆に月の光を浴びると、突然、恐ろしい狼男に変身して人を襲う。イングランドの職工・チャールズ・ハイドは満月の夜になると性格が一変して凶悪犯罪を繰り返した。彼をモデルにした小説が「ジキル博士とハイド氏」だ。ことほど左様に、西洋では中秋の名月はおろか月を愛でるとはとても考えられません

(編集子)先月旅立ってしまった川内三千雄が持ち込んだ、たしかフランク永井の持ち歌だった 初恋の山 はたちまち同期の愛唱歌になった。その歌詞は 月の静かな山小屋で 二人で歌ったアベマリア という文句で始まったような気がする。我々が3年の秋, 涸沢集中W の最後の夜、穂高の稜線をすっぱりと区切る見事な満月の下で、川内がこの歌を独特のハスキーな声で歌い、みんなしんみりと聞いていたものだった。

ひとそれぞれにいろんな満月があるのだろうが。

9月のたわごとです    (39 堀川義夫)

今夏は自分でもあきれるほど頑張って山に行きました。そこで9月は完全休養月として、山には一切行かないことにしてひたすら体力の回復に専念しています。

そんな折に、北海道の幌尻岳に同行したSさんから待ちに待ったカジカの骨酒用に乾燥して燻製にしたカジカを送って来てくれました。このカジカは、幌尻岳登頂後に立ち寄った札内川園地キャンプ場(帯広の南約15km)で私と孫が遊びで釣り上げたものです。Sさんが旅行中もこまめに乾燥させ大阪に帰り完成して送って来てくれたものです。

酒は辛口が良いというので秋田の高清水にしました。じっくりと温めて味わいました。ぬる燗より少し熱燗目の方が香りも良く、味わいも良いように思いました。孫と夏の思い出を話しながら楽しい時間を過ごすことが出来ました。Sさん。本当に山でもご迷惑を掛けましたが、こんな素晴らしい思い出をさらに演出してくれてありがとうございました。

今日の肴は、かつをの刺身、へしこ鯖、寄せ豆腐、ポテトサラダを用意しましたが、カジカの骨酒にはへしこ鯖がぴったりの感じでした。

 

台風の後は秋ですね       (普通部OB 船津於菟彦)

今日の錦糸公園の夕方の散歩では彼岸花・桔梗。百日紅の落花など「風立ちぬ」秋到来の感じですね.

(小田)私も歩いていましたら、あちこちに、(我が家の庭にも)彼岸花を見かけました。明日の雨風で倒れないと良いのですが。

(安田)僕の故郷の田舎(米も作っていた)ではあぜ道に彼岸花を植えていました。根に毒があるのでモグラやネズミなどを近づけないため。姿の華奢な美しさからはとても想像できません。桔梗、百日紅の写真もありがとうございます。孫に百日紅の読み方を教えなくては。
(編集子)19日、八ヶ岳南麓ではヤマモミジのてっぺんがちょっと色づいていた。なんとなくカッコつけて撮ってみた庭の端っこの風情。
‘PS 船津兄の引用した 風立ちぬ はこの本かい、それともアニメ?
(小田)夫は大学時代は岳文会(山&文学)というサークルで、何年か前、若い後輩に”堀辰雄”と言ったら、”え!掘りごたつですか?”と言われたそうですが、これからの人は”掘りごたつ”も分からないかもしれませんね。

 

日本人のお名前!

サラリーマン生活引退後、外資系企業勤務の間に多少は使えるようになった英語をなんとか無駄にしたくないと思い、会話學校へ通ったりいろいろやっているのだが、たまたま、偶然の機会から読んでみたジャック・ヒギンズの The Eagle has landed (鷲は舞い降りた) の印象と読後の一種の充実感とから、ビジネス文

この道に誘い込んだヒギンズ。30冊くらい読んだ中でおすすめは East of desolation (廃墟の東)である

書では得られなかった英語の面白さにいわばはまってしまった。そのころ読んだある本に、ポケットブックを百冊読めば英語の達人になれる!と書かれていたのにうまうまとのってしまい、それに挑戦しようと思い立った。 この本の著者は百冊を1年でこなせというのだが、これはとてもできないとあきらめた。年に百冊、となれば1年を50週として1週に2冊、つまり3日に1冊は読まねばならぬとわかったからだ。そこで目標をもう少し長期にとって、目が黒い間に10万頁、読んでやろうと思い立った。ペリカンなど一般的なポケットブックは1冊300頁くらいのものが多いので、ま、300冊読めば何とかなるという勘定である。

ヒギンズをアマゾンで徹底的に探し、20冊くらい読み終えてから、思い立って読書の記録を取り始めたのが2013年3月13日読了のリー・チャイルド “Killing Floor” という、トム・クルーズ主演の映画 アウトロー の原作、主人公ジャック・リーチャーシリーズの第一号作品である。以後、ハードボイルド中心のミステリ、英国伝統の海洋冒険ものなどを読み、その結果、特に第二次大戦(欧州戦線)の戦史に興味が湧いてきて関係する記録文学など(これらはポケットブックには入っていない単行本)を中心に今月すなわち2021年9月まで、ちょうど8年で256冊累積82,178頁を読み終えた。今年は無理だが来年中には9万の大台に乗りそうで、これなら何とか初期の目標は何とかなりそうな気がしている。

読んでいる対象がやれドストエフスキーだフォークナーだなどという世間体のいいものではないし、そもそも動機がそういう意味では不純?なので、興味も妙なことに行く。今面白いと思い始めたのが物語に出てくる人物の名前である。ミステリだとか冒険小説だとかいうジャンルの作品の主人公は、エラリー・クイーンにはじまってエルキュール・ポアロにせよ明智小五郎にせよ、大体変わった名前のものが多い。間違っても中村一郎だとか山本太郎なんていう名前は出てこないし、ポケットブックにしてもやれスミスだのブラウンなどという探偵にはお目に書かれない。前に述べたリーチャー、という名前は著者がどうしようかと夫人に相談しながら、棚の上の本に手を伸ばした(reach した)とき、夫人が、ああ、それ、reach がいいなじゃない?といったのでReacher という主人公が誕生したのだそうである。いずれにせよ、著者にはそれぞれの思惑があるのだろうが、主人公はともかくとして、なんといってもミステリ物はいわば人間関係が主題の本だから、登場人物は数多い。筋が込み入ってくれば混乱も起きる。特にロシア人とかアラブ系の名前は満足に発音さえむずかしいのが多いのでなおさらである。だからどうしても名前、に注意がいかざるを得なくなるのである。

一体、どんな名前が多いか。このあたりは当然グーグルの出番になる。検索結果の一部を転載してみよう。

アメリカの名字ランキング

1位~10位

順位英字カタカナ表記由来
1位Smithスミス鍛冶屋
2位JohnsonジョンソンJohn(ジョン)の息子
3位WilliamsウィリアムズWilliam(ウィリアム)の息子
4位JonesジョーンズJone(ジョーン)の息子
5位Brownブラウン黒い髪の人
6位DavisデービスDavid(デービッド)の息子
7位Millerミラー粉屋
8位WilsonウィルソンWilliam(ウィリアム)の息子
9位Mooreムーア沼沢地・高地の荒野に住んでいる人
10位Taylorテイラー仕立屋

ほんの初級レベルだが、恐る恐る読み始めたドイツ語(前記のページ数には3冊ばかりドイツ語のものも入っている)で言えば、第一位がミュラー、以下シュミット、シュナイダー、フィッシャー、メイヤー、ウエーバー、シュルツ、ワグナー、ベッカー、云々となるそうだ。                    これら人名の文章の中での現れ方だが、英語ではご承知の通り、固有名詞は大文字で始まるので、パターン認識といえば大げさかもしれないが、ページを開いた時に人名と地名が無意識に頭に入る。ところがドイツ語はすべての名詞は初めの文字を大文字で書く、という厳格なルールがでんと居座っているので、そういう意識が働かない。ぱっと見たときには文面のイメージがえらくごちゃごちゃしている。いわばパターン認識が難しいのである。

日本語ではどうか。日本人の苗字の代表は周知のとおり佐藤が第一位はゆるがず、以下、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、ついで山本、中村、小林、加藤となり、吉田、山田、佐々木、山口、松本、井上、木村、林、云々となっている。だいぶ以前(僕らが高校のころ)、“おーい中村君” という歌が流行ったことがあった。この時点では中村姓が日本人の代表だったらしいのだ。だがいずれにせよ、これらの名前がほかの品詞と混乱することはまずない。大文字で表記されなくても、また100%とはいえないまでも(地名もあり得る)人名だということはとっさに認識できる。かな漢字交じりの文面は混乱しているようでもあるが、この意味では混乱することがない。

さて、この “日本人のお名前“ で言うと、代表的な姓がほとんどすべて、環境とか植物とか日本という国の自然を表す文字を含んでいることに気がつく。上記したいわば代表もそうだが、とっさに思いつくだけでも、山、川、原、岡、林、森、木、沼、田, 野、水に沢、さらに松、竹、梅,藤といった日本固有に近い植物の名前が使われるケースが圧倒的に多いように思える。これが英語では、たとえば Woods なんて例もあるが、一般的には人名はそれ自身、一つの体系というかルールというようなものを持っていて、ほかの名詞から隔絶した存在を主張しているように思える。もちろん、歴史を先史時代までさかのぼれば、名前というものは世界どこでも同じようなやり方で発生し、それぞれの国や地方の歴史とともに変わってきたのだろうが、何らかの形で自然とのかかわりあいを持ち続ける日本人の名前には、やはり自然との共生をよしとする民族性がつながっているのではないだろうか、と想像する。日本に生まれはぐくまれてきた、すべての自然に神が宿る、とする宗教観、逆に言えば特定の唯一の神のみを信じる狭隘なものの見方にこだわらない思想、という背景につながるのではないか、と感じるのである。

ところで、自分の苗字は珍名とは言わないまでもあまり多いほうではない(山口県や広島県あたりでは決して珍しくない)が、関東地方では少ないほうなので、時として特に電話などでは聞き返されることがしばしばある。英語ならば、戦争映画なんかによくでてくるフォネティックコードというやつで、ノヴェンバー、アルファ、云々とやればいいのだが、日本語では漢字を説明しなければならないうえ、このコードのように標準化されたものがない。一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウです、とやって結構面白かったが昨今はいい方法がない。キョウはある時どこかの店で女子店員に教えられて、深田恭子のキョウ、とやれば通じることが分かったのだが苗字については目下研究中。

また日本びいきのアメリカ人は何にでも興味があって、名前が持つ意味は何だ、という連中が多かった。いろいろやったが、中は central, 司は administer,  恭は respectful 、という意味だから、俺の名前の意味は Respected Central Headquarters だ、どうだ、とやって喜ばれたものだった。

潜水艦物の始まりはやはりレッドオクトーバーを追え!だった

ところで今週読んでいるのは現在売り出し中のジェラルド・バトラーが主演した映画、ハンター・キラーと同じ著者の書いた潜水艦物語で Arabian Storm という本だが、当然とはいえ発音に苦労するアラビア人とか、著者の趣味なんだかどうだか知らないが潜水艦の乗り組みにやたらとヒスパニック系が多い本で、またまた名前に苦労しそうだ。次はあまり名前に苦労しなそうな本がいいのだが、さすがのアマゾンもそこまでのインテリジェンスは持ち合わせていないようだ。

コロナ対策ーまとめ   (34 船曳孝彦)

 

前回、医者であり科学者として、菅退陣に際しての「コロナ対策に専念するために総裁選には出馬しない」という声明に敢えて正面から、ではどう総決算するのかと問いただしました。政治については、ここでこれ以上述べませんが、総決算に当たってコロナ対策に限ってその失政は追及しておきたいと思います。

当初の観光船感染でも、水際作戦として不十分でしたが、ウィルスが上陸した後も、感染症予防法にこだわり、PCR検査をあたかも国の特権のごとく、発熱者に絞り、限定した検査しかしなかったことが第一の失敗です。この時から広範に徹底的に検査をしていれば、感染者数はずっと少なく抑えられたはずです。

予防策として、マスク着用、3密対策が柱となったのは良かったと思いますが、感染者激増の第2、3,4,5波に対して、緊急事態宣言、さらに蔓延防止対策が施行されました。しかしその期間中に政府首脳や官吏たちの飲み会、会食がバレて、政府に本気度が感じられず、次第にオオカミ少年のごとく只々発令中というムードとなってしまいました。さらに信じられない政策がGo-Toキャンペーンです。一方で感染抑止政策を採りながら、蔓延促進政策を採るという矛盾した策で、感染者増加に拍車を掛けました。人流と感染者数は完全に比例します。連休、お盆、正月などと関連し、大きなダメージとなりました。オリンピック・パラリンピック開催にも医療側からの強い反対があったにもかかわらず、開催ありきで突っ走りました。

感染者対策で、政府、メディアはすぐに病床確保を叫びます。格好いいですから。しかしこれまで何度も指摘してきましたが、コロナ専用病棟が右から左に出来るものではありません。さらにコロナ発生前の厚労省の基本政策は病床削減で、別の病院を無理やりくっつけて減床させるほどのことまでやっていました。減床、取り壊しが遅れていて、今回たまたま間に合ったという病院もありました。一方で、非コロナの一般病棟を圧迫して非コロナ患者の死亡率を上げてしまうことは許されません。

医療側も国と協議し、前回《27》で述べたような住み分けをキチンと表明すべきだったと思います。最大のポイントは自宅待機患者です。原則としてあってはならない対応です。家庭内感染のもとですし、単身者では発見時死亡していたという不幸が潜んでいます。これはまさに医療崩壊です。

生命線として頼ったのがワクチンです。ワクチン担当大臣が生まれましたが、彼はワクチン接種に貢献したでしょうか。接種開始に当たっては予め接種計画を立て、人材面、資材面、施設面、予約面、接種記録面、など全てに早急に対策を立てねばならないと、今年初めに私は指摘しましたが、何一つなされず、自治体に丸投げされ、高齢者にネットで申し込めなどという無理強いの自治体が大部分でした。日本の選挙人名簿は世界一だそうです。それに従い高齢者には通知すれば済むことです。またワクチンの実際の供給にも支障をきたしました。これでは担当大臣として失格です。 さて、ここへきて感染者数は減少してきました。政府の発言も急速に緊張感が解けているように感じます。確かに実効再生産数が1を割っていますので、この勢いで行けば収束へ向かうはずです。しかし、デルタ株ばかりでなく、ミュー株(ワクチンの効果が1/7と怖い)、ベータ株、イータ株などに対するチェックはどうやら手付かずのようです。第6波となりかねません。

新型コロナウィルスは、当初考えられたよりエアロゾル感染(空気感染に近い)が主体のようで、デルタ株では特にウィルス量が多いようです。不織紙マスクを隙間なく着けての外出が必須となります。換気が最も重要になってきました。ミュー株が流行ってこない限り、ワクチン2回接種者の感染の可能性はありますが、重症化は少なく、それほど問題にならないでしょう。

 

シルバー川柳入選作     (普通部 田村耕一郎)

(小川さんのご投稿で “老は迎え入れない!” というのが仲間内の流行語になりそうな気配。思い当たらないかな?)

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物好きな友人から送ってもらった川柳の傑作をごらんください(今回の入選20作と前回の第20回応募作から選ばれた傑作68句を収録した「シルバー川柳11」が9月7日、ポプラ社から発売されるそうです 税別1000円)。

全国有料老人ホーム協会が毎年「敬老の日」に合わせて公募している「シルバー川柳」の2021年の入選作20句が決定。今回もコロナ禍の世相を反映しつ
つ、それをとぼけた笑いで吹き飛ばす切なくも笑える作品が目白押しです。
21回目の今年は過去最多となる16621句が寄せられました。応募資格には制限が一切設けられておらず、今回も下は16歳から上は106歳という幅広い年齢
層からの応募があったということです。

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「『密です』と言われてみたい頭頂部」(62歳)

「薄味にしたらコロナとわめく祖父」(56歳)

「食卓に俺の席だけアクリル板」(66歳)

「全集中しても開かない瓶の蓋」(66歳)

「リード持ち散歩に出たが犬忘れ」(69歳)

「目の検査「丸」と答えるお爺ちゃん」(44歳)

「じいちゃんが暗証番号暗唱し」(74歳)

「名を呼ばれ誰も立たなきゃたぶんオレ」(58歳)

「YouTube履歴は演歌と百恵ちゃん」(19歳)

「さり気なく背後に賞状オンライン」(54歳)

「午後八時酒提供を止める妻」(58歳)

「お互いに返事はするが動かない」(60歳)

「お見舞いにぞろぞろきたらそろそろか」(52歳)

「どなたですそういうあなたはどなたです」(59歳)

「伸びすれば足が攣る攣る寝起き前」(66歳)

「ワクチンのネット予約でひ孫借り」(81歳)

「BTSテレビ局だと思ってた」(40歳)

「ペイペイで払うと後ろ行列に」(65歳)

「へそくりは一度仕舞うと出てこない」(58歳)

「おはようのラインがくるのは朝の五時」(17歳)

エーガ愛好会 (88) 陽のあたる場所   (44 安田耕太郎)

映画「陽のあたる場所」はセオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」(An American Tragedy) を原作としており、陽のあたる場所は成功した上流階級の人々の生活する場所を意味し、その場所を象徴する存在が、その家族の娘エリザベス・テイラー演じる美しいアンジェラ。共演のモンゴメリー・クリフト演じるジョージは、貧しい家庭に育ち教育もまともに受けていない陽のあたる場所とは対極の謂わば日陰の場所を象徴する存在。陽と陰の好対照とその絡みを描いた映画でもある。アメリカン・ドリームを達成するかに見えた展開が「アメリカの悲劇」の結末で終わる。

映画公開は1951年、エリザベス19歳の時だが、撮影開始時、彼女は17歳。子役として「若草物語」出演など既に映画界では脚光を浴びる存在であったが、「陽のあたる場所」は彼女にとってそれ以降のハリウッドにおける名声と存在価値を決定づける映画となった。「赤い河」1948年、「女相続人」1949年の成功でスターの仲間入りしていたクリフト31歳の時の公開作品。

筋書きと話の展開は短兵急で粗く今ひとつであるが、映画の見どころは、若い主演二人の演技かと思う。「エリザベス、あんなふうに男を誘惑する手管をいったいいつ覚えたの?」と関係者が唸ったティーンエイジャーの彼女の演技は絶賛された。ニューヨーク・タイムズ紙は「裕福で美しいアンジェラを演じたエリザベスの演技は、彼女のキャリヤ中で最高だった」とまで書いた。批評家たちは「陽のあたる場所」を傑作と評価し、中には映画史に50年以上残る作品だとする者もいた。一方、クリフトはこの映画を観て、NYにあるエリア・カザン主宰のアクターズ・スタジオに共に学んだジェームス・ディーンをも彷彿とさせる。ディーンが11歳年下。余談だが、カザンはクリフトに「エデンの東」主演キャル役を申し出たが、クリフトは断る。また、やはりカザンがメガフォンを執った「波止場」でアカデミー主演男優賞を獲得したマーロン・ブランドもアクターズ・スタジオのカザン門下生の一人であり、彼も「エデンの東」出演を断っている。最終的にディーンに決まったというエピソードがある。

そのクリフトは、NYでの舞台歴も長く確かな演技力を備えた、哀愁があり影のある、ある種の暗さが映画の末路を暗示しているかのような俳優というイメージを感じる。この映画でも、或いは「女相続人」、「地上より永遠に」、「終着駅」、「私は告白する」でも然りであった。暗く憂いを秘めたクリフトの陰とは対照的に輝くばかりに明るいエリザベス・テイラーの陽の好対照はこの映画を特徴づけたハイライトであった。なお、アリス役で好演したシェリー・ウインタースは出演当時29歳。1959年の「アンネの日記」と1965年の「いつか見た空」ではアカデミー助演女優賞を、1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」でゴールデングローブ助演女優賞を、それぞれ受賞している。

(船津)もう封切り以来何度見ているでしょうかね。
格差社会。裁判のあの弁護士の怖いですねーぇ!
エリザベステラーの可憐さが目立つ!何と言ってもモンティ!母が伝道している設定もーー! しかし、やや深みが無いですね!

(編集子)タイトルが A place  であって The place ではない、ということはこのような場所が一つきりではない、と英文解釈できる。それが アメリカの悲劇、という意味なのだろうか。この作品には関係ないが、シェリー・ウインタースといえば ウインチェスター銃73 を思いだす。

(菅原)昔、陽の当たる場所」見ました(S.ウィンタースが、とっても可哀そう。結局、事故だったのか殺人だったのか?)。と言えば、日活の「陽のあたる坂道」(1958年)を思い出す。原作が、石坂洋次郎。勿論、石原裕次郎、北原三枝、芦川いづみ、など。陽が当たったところが、場所と坂道で、こうも違って来るものなのか。「陽の当たる場所」の原作が「アメリカの悲劇」と来れば、「場所」が真っ暗になるのも致し方ないか。

コロナ対策―医療従事者からの提言   (34 船曳孝彦)

菅首相は『コロナ対策に専念したく自民党総裁選に出馬しない』と表明しました。文字通り受け入れましょう。プラスもマイナスも含めての安倍・菅政権でコロナ対策を担って来ての総決算を示し、次期首相にバトンタッチしようといういわば引退に当たっての遺言に相当する重い決意と思います。昨年春からの『コロナ情報』で発信してきたことと一部重なりはしますが、現時点で下記のように考えます。

政府、官僚、日本医師会、全国大学医学部長病院長会議、全国病院関連団体等代表などが一堂に会する緊急会議を持ち、専門家の意見を尊重すべきです。従来この姿勢が見られなかったのが残念で仕方がありません。

CoV-2ウィルスの徹底的検査 最近の新規感染者数は減少傾向にあります。しかしウィルス保有者が正しく捉えられているとは言い難い現状です。接触を疑われても全員検査とはなっておりません。陽性者の分子は分かっていても分母が分からないのではどうしようもありません。少しでも疑わしい人、希望者、出来ればワクチン未接種者には全員PCR検査を行うべきです。新規戦闘機購入を1機減らすだけで賄えます。

デルタ株は勿論ですが、ラムダ株、ミュー株など新変異株についての分析、対策が採れていません。これでは今日現在の新規感染者数が減っているからと言って決して安心できません。下げ止まりとなって、やがて次の第6波がやってきますし、もっと恐ろしいことになるかもしれません。

④ワクチン情報公開  何時、どれだけの量が各自治体に配布できるのか。正しい情報、スケジュールが示されなければ国民は安心できません。渋谷での例のように少数では話にならないし、予約制度も明示しなければなりません。このことは既に1月に指摘しています。ワクチン接種開始とともにあるべきものです。

⑤医療側への注文 ①での会議で医療側の新型コロナに対する住み分けをはっきりと打ち出し、国民が安心して一般疾患治療、コロナ治療を受けられるよう、国民に明示すべきです。

  A 重症者受け入れを含めて対応 コロナ病床増設は限界でしょう

  B 中等症主体に受け入れ 同じく増床は限界にきているでしょう

  C 入院は出来ないが軽症者、中等症に対応 発熱外来

  D 臨時医療仮設施設への協力

  E ホテル、選手村など待機収容施設への協力 酸素センター

  F 在宅患者への対応 (家庭内感染予防のため本来自宅待機は不可)

  G ワクチン接種への協力 (校医として経験豊富)

  H 新型コロナ以外の治療に専念 

これは非難されるべきことではありません。コロナ以外にも重傷者、要治療者は数多くいます。  新型コロナ死亡者は累計 16.4万人(1.5年)ですが、癌による死亡 34.4万人/年、心血管系死亡 18万人/年、東北大震災死亡行方不明 16万人弱です。これらの人の治療を疎かにしてよい筈はありません。

緊急事態宣言、蔓延防止策などを出しても、もう効果は期待できませんが、応の基準は必要です。感染対策を確りしたレストラン、食堂は人数を制限して営業認可してよいと思います。1組の人数は5人程度に増やしてもよいのでは。アルコールは楽観ムードとなってしまうのでもう少し我慢せざるを得ないでしょう。

国民は不織布マスクをつけて出来るだけ外出自粛(近隣県までは可とする

(⑥⑦はウィズコロナへの段階処置を考えました)

エーガ愛好会(87)   運び屋   (34 小泉幾多郎)

クリント・イーストウッドの10年ぶりの監督主演作。                         第二次世界大戦に従軍した退役軍人がデイリリーという植物の栽培で成功し、園芸家として名を馳せるが、その後時代の変化に取り残され。自宅を差し押さえられたりした頃、得意としている車の運転だけすればよいという仕事を持ちかけられるが、実はメキシコ麻薬カルテルの運び屋だった。このやばい稼業に手を染めながらも、家族を顧みなかったことを改めて反省し、家族との絆を再生するという話。NYタイムス紙別冊の記事「90歳の運び屋」に着想を得たとのこと。

娘の結婚式にも出席せず、妻や娘から総スカンを食いながらも、運び屋になったからには、新しい仕事に熱心に取り組むサマがいじらしい。全体的に、運び屋とそれを追う警官たち、緊迫感溢れる題材ではあるが、逆にゆっくりしたテンポで進み逆に心地よい。警官に追われ、麻薬探知犬が覗いても、臭い消しのようなクリームを塗り付けて防止したり、黒人の若者夫妻がパンクで困っているのを見
付け、「タイヤ交換ぐらいできなくてどうする」と活を入れながら手伝ったり、麻薬組織の連中も優しく付き合うところ等ユーモアも交える。これが最後に近く、組織のボスが代わり、仕事を強制され、妻が急に亡くなることにより、これまで逃げてきたことや眼を背けてきたことから向き合うことになり、運び屋の間違いと家族を悲しませてきたことへの反省、若干ありきたりの結末ではあるが、人間ドラマは刑務所に入って終わる。最後刑務所で植物デイリリーを育てる場面で終わるが、これまで運命から逃げ続けてきた罪滅ぼしか。

閉幕後、スタッフの字幕に歌が重なる。・・・老いを迎え入れるな、もう少し生きたいから。老いに身をゆだれるな、ドアをノックされても、ずっとわかっていた、いつか終わりが来ると。立ち上がって外に出よう、老いを迎え入れるな。数え切れぬ歳月を生きて、疲れ切って衰えたこの体、年齢などどうでもいい、生まれた日を知らないのなら。妻に愛を捧げよう、友人たちのそばにいよう、日暮れにはワインで乾杯しよう、老いを迎え入れるな。老いが馬でやって来て、冷い風を感じたら、窓から見て微笑みかけよう、老いを迎え入れるな。・・・クリント・イーストウッドの気持ちが込められている。老いの身に、しみじみと突き刺さる。

(編集子)小泉先輩、感情移入の具合がしみじみと突き刺さりますなあ。

(小川) 小泉さんの名解説とジャイさんのコメントをブログで見て、「運び屋」をアマゾンプライムで検索して観ました。

クリント・イーストウッドの爺さん、自分に照らし合わせて観て、我々もあんな爺になっているのかと、何となく寂しい想いで…。それにしても同世代が観るにはなかなか深い想いが残るエーガでした。名解説に引き込まれる気持ちで2018年という新作でも実に感動した作品でした。「老いを迎い入れるな!」は将に我々同世代へのメッセージ、デイリリーは一夜花、実に素敵なメッセージがありました。ご紹介有難う。

*「風立ちぬ」が冒頭にありましたが、来月信濃追分にある堀辰雄の住まいに娘たちの運転で出掛けるつもりです。 老いは迎い入れな~い!