“語彙の問題” についての私見です。
日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」
うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」
(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
“語彙の問題” についての私見です。
日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」
うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」
(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。
江戸情緒もないしプラチナ通りの華やかさもない、まあ、街道筋の横丁にも、それでも秋はやってくる。我が家の向かい側、落ち着いたたたずまいの家からこぼれ出てくる萩の花。
”中司さん、この萩に似合う歌があるんだけど、知らないだろうなあ“。もと財務省にその人ありと知られた敏腕官僚だったという家の主は道いっぱいに落ちた萩の花をかき集めながら、
白萩の 三斗こぼれて 三斗咲き
という句を教えてくれた。誰の句だったか、教えてもらったのだが忘れてしまった。杉本宗匠ならご存じかもしれないが。
数年前、夫人が体調を崩して入院され、まもなくご本人も施設に移られた。その後お会いする機会もなく、時々、親族と思われる女性が見回りに来られることはあるものの、雰囲気のある家はひっそりとしたまま。ただ、その人が愛していた白萩は今年も静かに咲く。三斗はないが。
白萩に あるじの孤影 かさねをり
(37 杉本光祥)ご無沙汰しています。三斗咲きの句、いい句だと思いますが、始めてみました。私も作者は知りません。そこで、歳時記やパソコンでも調べたのですが見当たりません。お役に立てず申し訳ありません。
最後の白萩の句もなかなかいい句ですね。ジャイさんの句ですか。
私の先月の特選の句
山の日や山の山たる剱岳 光祥
山の日にちなんで、昔を思い出して作ったものです。どうぞお元気でご活躍下さい。
(編集子)びくびくしながら書いておいた自作の一句、おほめに預かり天に登る感じであります。
新型コロナ感染者数が減少しています。何故減ったのか?これで終息へと向かうのか?まだ予断を許さず、はっきりしたことは分かっていません。
政府の言いたいワクチン接種率が向上したか。僅かづつ接種率は上がっているとはいえ、最近の新感染者数カーブを説明できるような接種率ではない。では感染機会と一致したカーブの人流が減少したか。これはむしろ増加傾向とみてよさそうだ。会食、イベントも減ってはいない。そうなるとこの感染者減少が、どうして起きているのでしょうか。
感染者の年代が老年世代から若者世代へと移行してきていました。そして基礎疾患のない若者での死亡例が報道されたこと、自宅死亡が報道されたことにより、若年世代間に‶他人ごとではない“という危機感が出てきて、行動にわずかな変化が生まれて感染率が減少したのではないかという発言をされた方がいましたが、私もそれを支持したいと思います。
もう一つ、非常に大事なことですが、ウィルス自体が自らをコントロールできない程の変異をして、自壊(エラー・カタストロフィー:Mアイゲン教授)という終局へ向かったのではないかという児玉龍彦教授の仮説です。こんなありがたい話に飛びつきたいのですが、ウィルスの運命の一パターンには違いなく、スペイン風邪もこれで終わったという解釈もあります。これは乞い願うしかないのですが、あって欲しいものです。
それにしても世の中は、緊急事態宣言解除へとまっしぐらの感じです。怖ろしいのは次の第6波がやってくると思いますので、それに備えなければいけないところ、全くと言ってよい程準備されておりません。軽快退院してゆく患者全員のPCR検査がなされておらず、もし弱いウィルスを持ったままであると、治療抵抗性のウィルスの培養器となり、いつか新たな変異を起こして再燃し、第6波の火元となります。今時間的にも余裕が生まれている筈です。感染者ばかりでなく、広く検査を行うべきです。新たな変異株を確実に把握せねばなりません。
3回目のブースターワクチン接種が話題となり、そこへの既定路線に乗ってきたようです。私としても受けたいとは思います。しかし本当にそれでよいのでしょうか。まだ2回目が済んでない人が国民の半数はいるのです。主義上、持病上接種できない人を除いても、まずは全員接種を目標としそれから考えるべき筋合いのことと思います。それよりも世界を見てみると、何億という単位で接種が大幅に遅れている人々がいます。アメリカでは再び感染者が増えそうです。グローバルな世界となっていますので、日本だけ終息すればOKとは言えません。終息したと思っていると海外から新変異株が入って来ます。 治療面では、抗体薬がクローズアップされてきましたが、特異性と抵抗性のせめぎ合いとなりますので、カクテル抗体が必要になります。
これが一番大事かもしれませんが、医療体制の整備です。場当たり的にコロナ病床を増やせというのではなく、重症用ベッド、中等症用ベッド、軽症者用ベッド(これには今のホテル・イベントホールなどの待機療養ベッドを含め)に、根拠を持った必要数と、空きベッドのまま次の第6波、7波(あるいはまったく別のパンデミック感染症がいつ出現するか分かりません)に備える必要があります。自宅待機を亡くしましょう。多くの病院で二人部屋を一人用に転換しています。非コロナの病棟を圧迫しています。胃癌患者は早期がんが減って進行がんが増えています。総合的に検討し、整備するのは今でしょう。
自粛開放ムード一色となりつつあります。コロナ対策はこれで良かったのではないかという、誤った認識が生まれそうで、それが怖いことです。日本のこの1年9か月、コロナ対策としては誤りの連続であったことは、これまでの『コロナ情報』で毎回指摘してきました。若しこれで終息に向かったとしても、幾多の問題をほったらかしているので、全く安心はできません。ウィルスの自然傾向から見ると、次のピークは12月、正月ではないかとも言われます。 細心の注意を払いつつ、青空を待ちましょう。
昨日9月28日の朝7時半ごろ、あまりの警報のうるささに
現場の前が駐車場で住宅がつながっていないことで延焼の危険はな
(菅原)隣りじゃなくて良かったです。真ん中の写真のオソロシイこと。
(小田)近火お見舞い申し上げます。私も怖い経験をしましたので、火災報知器が話題になり、付けるこ
(安田)消防車出動について、昨年の暮れ(12/30) 家内が腰を骨折して救急車を呼びましたが、
(金藤)奥様大変でしたね。 その後いかがでしょうか?うちの近所の方が腰を打って動けず救急車を呼んだ時も消防車が一
塾野球部はこのコロナ禍のため変則ルールではありますが春季リー
選手たちは秋季リーグ戦の前から四冠(リーグ戦の春・秋連覇、
総当りの対校戦は同じなのですが、
塾野球部は第1週目は東大と 対戦し大過なく二連勝し、先週末は 相変わらず甲子園常連の野球強豪校からの選手を取り揃えた 明治戦に臨みました。応援に 行った土曜日の1回戦は6回裏まで3−1でリードするも7回表に
リーグ戦連覇のためには負けられない日曜日の2回戦 なのですが、ジャズ・ポップス三田会の同期から10/17(日)
同点にした経緯を調べたら、
値千金のホームランを打った北村選手(内野手・捕手)は高2夏・
ベンチ入りして活躍し
投手 増居 翔太(左・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
投手 橋本 達弥(右・右、3年、兵庫県立長田高)
内野手 北村 謙介(右・左、3年、福岡県立東筑高)17年夏、18年春
外野手 橋本 典之(右・左、4年、島根県立出雲高)16年夏
内野手 朝日 晴人(右・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
神宮に行っていた応援仲間から聞いた話では 北村選手の応援に来ていたご両親は泣いていたそうです。
昭和35 年のセンバツ に出場してベスト8になり 大学では六大学初の完全試合を達成した直方出身の大投手渡邊泰輔
友人から送られてきた、キャノン グローバル戦略研究所 宮家邦彦氏の最近の発言をご参考まで転載します。
抑止力とは軍事力の均衡という視点にとらわれがちだが、「平時」とみられる段階から情報操作やサイバーなどの様々な分野で、相手の侵略する意図をくじかなければならない。
現代の戦争は初期段階でサイバー攻撃や情報戦を駆使する非軍事の世界で生じる。全地球測位システム(GPS)やインターネットを使えなくする。スパイ活動やフェイクニュースなどの拡散も同時に起こる。
武器を使わない初期段階で負ければ、どんなに軍事のハードウエアで戦っても勝てない。日本は軍事と非軍事の境目がなくなったことへの対策を考えてこなかった。非軍事の世界での「攻撃」は誰も戦争が始まったとは宣言しない。サイバー攻撃は武力攻撃と定義できるのか、自衛権は発動できるのか、基本的な点ですら整理できていない。
中国はSNS(交流サイト)上で台湾の民主進歩党(民進党)の評判を下げるためのディスインフォメーション(偽情報)を流している。世界中に情報戦をしかけ、台湾との外交関係を切らせようと動いている。ロシアは米大統領選に介入した。
中ロともに専門の組織がある。中国は日本にも当然しかけている。日本はどのような情報戦がしかけられているのか分析し、正しい情報をカウンターとして発信できるように体制を整えなければいけない。日本の政府は組織づくりでも問題意識は弱い。中ロは数千人単位の専門部隊がいるとみられる。日本の現状の体制ではとてもかなわない。
軍事のハードウエアと非軍事のソフトウエアを総動員して、「これでは勝算はない」と思わせなければいけない。
(編集子)時あたかも自民党総裁すなわち総理大臣選出プロセスのピークである。防衛問題について、新総理下の体制つくりに注目しよう。
畏友飯田武昭が昨今の日本語の乱れというか、語彙のことで書いてくれた。悪乗りして小生も一つ問題提起をしてみたい。
はじめの話題だが、最近(いつから始まったかわからないが)テレビの番組紹介などの場面で、アナウンサーが 主に歌手あるいは音楽バンド、といったジャンルのプレイヤーのことを アーティスト と呼ぶのがいつの間にか通例になっていることだ。辞書を引けばわかるが、Artist という単語の定義は例えば手元のジニアス英和によれば
1.芸術家、(特に)画家、彫刻家 2=artiste(フランス語) 3.名人、達人,・・・・通
となっている。2番目のフランス語には、同じ辞書の該当項目に、確かに芸能人(歌手、俳優。ダンサーなど)という英語にはない解釈がある、と書かれているが、名人、達人、という意味は共通である。小生フランス語は全く解さないが、電子辞書の発音例ではこの単語は アルティ と読むようだから、誰だか知らないが言い出しっぺというか使いだしっぺが(まずその可能性はないと思うが)フランス語に詳しければ、アーティスト、という読み方はしなかったはずだ。それでは英語でいう アーティスト に、この使い方で表現しようとしている人たち(小生の造語だが誤称されている人たち)が該当するかといえばイエスという答えはまず出てこないだろう。これまた世界に冠たるジャパニーズイングリッシュの一つだと思う。坂本勇人のインサイド撃ちは芸術的だ、などという言い方はよく聞くが、これは上記でいえばきっちり辞書にも書かれている用法である。だから、ここで紹介する人たちが、名人、達人、のグレードだ、という論議ももちろん成り立つだろうが、あまり詳しくはないが、彼ら ”アーティスト” のパフォーマンスが日本野球史上最高のショートストップのわざに匹敵する、と考える人はあまりいないのではないか、と思うのだが。
もちろん言語は社会や文化によって変わっていくものだから、そういってしまえばそれまでなのだが、僕が引っかかるのは、多くの人たちが アーティスト という単語で連想するのは、上記の用例で1,および3,だろうからだ。ロダンだセザンヌだベートーヴェンに葛飾北斎だというイメージを持っているはずの一般人に、あるいは人間国宝として尊敬されるいろんな分野の達人たちが、アーティスト、と聞いてどう感じるだろうか、何を連想するか、である。
断わっておくが、小生は決してこのような ”アーティスト“ と誤称される人たちを蔑視しているわけではない。多くの人たちに(わがワイフもそのひとりだ)テレビを楽しめる場を提供していることはそれなりに意味があると思っている。ただ、彼らは広い意味で芸能と呼ばれる分野で活動しているのだから、芸能人、アナウンスの恰好がつかないというのなら、エンターテイナーあるいはプレイヤーと呼ぶべきで、そうすれば彼らの貢献に対しての敬意も保たれるのではないだろうか、とおもうのである。各位のご感想やいかに。
も一つ、これは用語の問題どころでなく本当にいらいらするのだが、特に政治家と呼ばれる人たちがめったやたらに不要な丁寧語を乱発することである。
“…….ということを決定しました” といえば100%正しい日本語なのに、なぜ ”……..ということを決定させていただきました“ などというのだろうか。我々視聴者が ”……..してください“ と依頼したことがあって、それに対する返答であれば、多少大げさではあるが違和感はなかろう。言ってみれば勝手にやっておいてそれがあたかも頼まれたのでやらせていただいた、とてでも言い募るのはおかしいのではないか。
振り返ってみると、政治家連がこの種の馬鹿丁寧実な言い方を始めたのはかの落第総理大臣鳩山某以来ではないかと思う。”少なくとも県外“ なんてまともな日本人なら絶対信用できないような発言で沖縄の人に却って迷惑を及ぼしたり、”コンクリートから人へ“ などという中学生なみのうたい文句で工事を中断させて、結局は多くの地元の人たちを混乱させただけで何もできなかったダム問題とか、はたまた後継者の責任とは言え党の力不足があらわになった東日本大震災の不手際対策とか、思い出したくもないほど腹立たしい人物である。この人の馬鹿丁寧さに引っかかったのかどうか、一時とはいえ健全野党の実現を信じて一票を投じた自分が腹立たしい。
衆院選挙もまじかであり、今の政権に不安不満は多々あるけれども、結局、仕方ねえなあ、やっぱり自民か、という日がまたやってくる。いつになったら二大政党政治が出来上がるのだろうか。俺には残された時間はあまりないんだが。習い覚えた英語でいえば My days are numberd, というところだろうか。この言い方なら今の気持ちを誤解される機会は少ないようだ。
「日本人のお名前!」を読んだが、“一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウですとやって、結構面白かったが、昨今はいい方法がない。キョウは、ある時どこかの店で女子店員に教えられて深田恭子のキョウとやれば通じることが分かった” というくだりが特に気にいりました。
名前のことでは自分もご飯のハンと田んぼのタ、武士のブに昭和のショウと言ってきましたが、近年になって、武士のブと言ってはいるものの、武士は江戸時代まで遡る違和感があって、コロナで有名になった武漢のブとか大相撲の阿武咲(おおのしょう)のノと言ってやろうかと密かに思っている次第。さすがに阿武咲(おおのしょう)を漢字で直ぐに思い出せる日本人は100人中何人居るかと思いむしろクイズ問題かと思うレベルになりますね。
この所、皆さんの話題がジャン=ポール・ベルモンドの死去から「勝手にしやがれ」やトニー・ザイラー主演作などに展開していく間に、ちょっと再見したい映画を脈絡なく選んで観て、そこでの新たな感想です。
1)「白銀に踊る」(1961年)トニー・ザイラー、イナ・バウワー主演ですが、何といってもラスト15分で演じられるアイスショーは、そのレビュー構成、豪華な舞台装置、衣装などフィギュアスケート人気の現代に観ても楽しめるエンタテイメントだと感じました。惜しむらくは多分ストーリー展開の面でショーの演技を十分に映画で見せることに重きを置かずに、次々とカットを重ねている点が残念で、もっと見たいと思いました。
2)「草原の輝き」(1961年)監督エリア・カザン、ナタリー・ウッド、ウオーレン・ビーティ主演ですが、時代が1920年代後半の世界大恐慌前後のカンサスシティとイエール大学を舞台にした青春もので、エーガ愛好者なら監督がエリア・カザンだと分かってしまうくらい演出手法が明らかに前作の「エデンの東」に似ていているが、ナタリー・ウッドの綺麗さは「ウエストサイド物語」以上の佳作と思いました。
3)「ノックは無用」(1952年)リチャード・ウイッドマーク、マリリン・モンロー主演のサイコスリラーで、モンローが精神病を病む役回りなので、モンローファンにはあまり見たくない向きもあるが、この映画はマンハッタンの一流ホテルを舞台にしているだけに、アン・バンクロフト演じる歌手(リン・レズリー)がホテルのバーで歌う乗りの良い曲 “Manhattan”とバーカウンター周辺の感じが、当時のN.Y.の雰囲気を十二分に出していて改めて感心した。この曲“マンハッタン”はイントロが“ナイヤガラを巡る旅”で始まり、“マンハッタン、ブロンクス、スタテン島にも行ける、動物園も楽しいわ”と続く気持ちよい名曲です。
4)「現金に手を出すな」(1954年)ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチェラ、ジャンヌ・モロー主演で、意外にアクション場面が少ない佳作。ドロンとベルモンドのフレンチ2大スター時代より少し前の、眞にフレンチ2大スターと呼ぶに相応しいギャバンとフィリップ時代の代表作の一つ。
ところで、このような映画作品の評価の表現で、名作、傑作、秀作、佳作、などの呼び方がありますが、都度、どの表現が適切かと文学的表現力、語彙力に乏しい私は時々迷ってしまいます。秀作、佳作は割と使い易い表現ですが、傑作はちょっと違う感じがするし・・・・。
もう一つ、この際に知っておきたい私の長年の疑問に、近年の日本語に何とも不思議な単語が普通に使われていることがあります。
その一つはリベンジという単語。私の学生時代は確かRevenge(復讐)と英単語試験用に覚えてしまって応用動作が利かない単語の一つでした。またAthlete(スポーツや他の運動能力に長けた人)とこれも丸暗記した単語が、今や2語共に少し違った意味も含んで日本語として使われていて、覚える必要のある英単語がどんどん減っていく日本社会に違和感を感じながら生活しているのは私だけか、という疑問です。どなたか適切な解釈をして頂ければ有難いです。
(編集子)Revenge というのは日本人には使いにくい単語のようである。同じような意味で Avenge というのがあって、”復讐” という行為を描写するには使い分けが必要になる。手元の辞書の例文を引用する。
He took up arms to revenge his deceased brother.
At the last moment Hamlet avenged the murder of his father,
つまり revenge は自分以外の誰かのために仇を討つ、という意味なので、忠臣蔵なんかを想起する。一方 avenge は、いわばこの野郎思い知ったか的場面で使うので、ワイアット・アープが弟ジェイムズ殺しでクラントンを射殺する、なんてシーンはいかがだろうか。かの松阪がプロデビューしたとき、たぶん高校時代果たせなかった夢の再現、というような意味でリベンジ、といい、能天気なマスコミは松阪の売り出しにと思ったのだろうかこのことを偉く好意的に報じたのは奇妙であった。有名なバミューダトライアングルで世界に誇る米国空軍の雷撃機小隊が消失してしまうという、現在までなお解決されていない事故があった。”未知との遭遇” ではこのパイロットが年を取らないまま(アインシュタインの相対性原理の結果とか何とか)帰還する。この雷撃機の名前は Avenger であった。Revenger では米国でなくほかの国のために敵艦を雷撃する、という妙なことになるわけだ。これまた、名前のお話。