オリンピックに思う    (普通部OB 船津於菟彦)

何だかんだで「二回目の東京オリンピック」開幕。
まぁ、新型コロナウィルス蔓延旋風の最中に一年延長して物の事態はさして代わらず、むしろ悪化してしまったようで、そんな中「安心安全」と叫びながらの開催である。
さて、会社に入社して間もない、東京は水不足とか物不足で何も無い時開かれた
1964年度オリンピックは、(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間開かれた第18回オリンピック競技大会。一般的に東京オリンピックと呼称され、東京五輪(とうきょうごりん)と略称される。
1940年東京での開催権を返上した日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、当時は「有色人種」国家における史上初のオリンピックという意義を持っていた。歴史的には、1952年のヘルシンキ(フィンランド)、1960年のローマ(イタリア)に続いて旧枢軸国の首都で開催されたオリンピックでもあり、東京オリンピックの開催権を返上した後に参戦した第二次世界大戦で敗戦したものの、その後急速な復活を遂げた新日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持つとされるが、実際はその後不況に見舞われた。

 

当日、まず昭和天皇・香淳皇后がロイヤルボックスに着席。日本国歌「君が代」演奏。開会宣言を発した。しかしその僅か20年前その同じ場所の競技場の同じ貴賓席で東条英機が雨降る中、学徒出陣式で学生に「檄」を飛ばしたのだ。

壮行会を終えた学生は徴兵検査を受け、1943年(昭和18年)12月に陸軍へ入営あるいは海軍へ入団した。入営時に幹部候補生試験などを受け将校・下士官として出征した者が多かったが、戦況が悪化する中でしばしば玉砕や沈没などによる全滅も起こった激戦地に配属されたり、慢性化した兵站・補給不足から生まれる栄養失調や疫病などで大量の戦死者を出した。1944年(昭和19年)末から1945年(昭和20年)8月15日の敗戦にかけて、戦局が悪化してくると特別攻撃隊に配属され戦死する学徒兵も多数現れた。

慶應義塾大学は11月23日に三田山上で塾生出陣壮行会が行われ、約3000名の出陣塾生が参加した。出陣塾生は出陣壮行歌、応援歌を合唱後、福澤諭吉の墓参に向かった。翌1944年、さらに45年4月入隊の塾生を含めて、出陣学徒数は約3500名と推測されている。現在までにわかっている範囲で、在学生のおよそ385名が戦没している。また出陣学徒以外の卒業生・教職員なども含めた義塾関係者全体の戦没者は、確認されているだけで2220名を超える。2014年10月に、最新の情報に基づき補正を加えた慶應義塾関係の戦没者名簿が、三田キャンパス・塾監局前の庭園にある「還らざる学友の碑」に納められた。

作家 杉本苑子さんは、両方の式典で歌われた「君が代」、そして掲げられた「日の丸」の意味の違いの不思議さ、そして恐ろしさをこうも記している。

きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ。

1940年東京オリンピックは、1940年(昭和15年、当時は神武天皇即位から2600年ということで紀元2600年とされた)9月21日から10月6日まで、日本の東京府東京市(現・東京23区)で開催されることが予定されていた夏季オリンピックである。史上初めて欧米以外の、アジアで行われる五輪大会、そして紀元二千六百年記念行事として準備が進められていたものの、日中戦争(支那事変)の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。

オリンピックは何故か40年ごとに何かある。1940年東京オリンピックを返上。そし40年後の1980年モスクワオリンピック。ボイコット問題。そしてそして2020年新型コロナウィルス蔓延旋風で一年延長。名称はそののま2020東京オリンピック。

ところが肥大したオリンピック。NBCTV局の都合で米国で目玉のスポーツの無い、このド暑いときに開催され、巨額のお金がIOCに集まり、開催終了後は開催都市は不況に見舞われる様なパターンになってしまった。此処で真のスポーツマンシップは、真のスポーツ競技とは何かを見直し、「選手の為の」オリンピックにすべきでは無いか。

さてさて、エンブレム騒動から始まり開会式の音楽まで色々問題を起こしながらいよいよ開会。どうか閉会式まで何事も無く終了を願うのみだ。

 

 

ジントニックのことです  川島恭子 (多摩市在住友人)

ブログで拝見するとジントニックがお好きな方が多いようですので、ご自分でお作りになる方へのアドバイスと多少のトリヴィアをお届けします。

ジンはいろいろなものがありますが(中司さんがスコットランドのバーで、日本にはないだろうが、本場はこれよ、と言われたと書かれていました)、”通” が飲む、とされているのはヘンドリックスというブランドです。一般のお店では入手が難しいので、アマゾンか楽天での購入になると思います。トニックウオータには、シュエップスが良いと思います。ただ日本で販売されているのトニックウォーターには、イギリスとは異なりキニーネが入っていないために 多少 味が違います(注)。

作り方のコツ (バーテンダーとして名高い毛利さん直伝です):
グラスに氷を入れ ジンを入れたら混ぜてジンを冷やす( アンノーンではジンをマイナス15度の冷凍庫に入れ冷やして、氷が溶けないようにしています)。
ライムは軽く絞ります(キツく絞ると皮や内側の袋からの苦味がでます)。
トニックウォーターを注ぐ際は、氷を避けるように静かに入れ、マドラーで下から上へ氷を持ち上げるようにして ジンとトニックウォーターを馴染ませます。何度もクルクル混ぜると炭酸が抜けてしまいます。また氷に当てる事でも炭酸がとびますので注意してください。
 なお、アンノーンのジントニックは、甘過ぎないようにトニックウォーター8割 ソーダ2割で作っています。
ご家庭でも、美味しく作っていただきたいですが、バーでは氷が硬く溶けにくいように手をかけていますので、ご興味を持っていただいた方が、いつかバー(できればわたくしの!)で試して比べてみたりしていただければ嬉しいです。

(注)トニックウオータ本来の含有成分はキニーネといって南米原産の植物樹皮から取れるアルカロイドの一種ですが、抗マラリア薬として効果が認められる反面、多量に取ると副作用も多いと思われた時期があり、日本では輸入禁止になった時期があります。そのため国内ブランドでは香料で香りと苦味をつけたキニーネを含有しないトニックウォーター?が主流になりました。

(編集子)川島さんは多摩市在住、京王線聖蹟桜ケ丘駅から3分のところにあるオーセンティックバー ”アンノーン” のオーナーである。小生は昭和42年、当時まだ南多摩郡多摩町、と呼ばれた同地に住むようになったが ”ふるさと” というものを持たない自分にこの地がまさに自分の故郷、と思えるようになったころ、バー UNKNOWN がオープンした。以後今日までの付き合いである。長男は文字通り多摩生まれの多摩育ちだし、いまでも床屋(こういう名前もなくなるかもしれないが)は桜ケ丘のなじみまで足を延ばし、オーナーの親子三代との付き合いを楽しんでいて、多摩市、というか、桜ケ丘、は、ほかにも何かと縁が切れない、懐かしい場所である。

現在の京王線の駅名はもともと現地の地番どおり関戸と呼ばれたが、同社が住宅地を造成して現在の名前に変更されたものである。小生の現住所もまた、これに先立って同社が開発した住宅地の一角で、駅名もこの開発にともなって旧名金子から現在のつつじが丘、へ変更された。考えてみると偶然なのか京王電鉄に因縁があるのか、面白い。KWV32年卒の三枝先輩が同社社長として敏腕を振るわれていたころ、ビジネス上でのお付き合いもあった。京王さんは小生も極微細株主であるので事業報告を頂戴しているが、不動産事業部門も快調であり、そのうち、またどっかに住宅地を作るだろう。もしまたまた小生が引っ越すとすると、その駅名は今度は 落ち葉が丘、もしれない。

(蛇足)日本でハードボイルド小説隆盛のきっかけを作ったとされる作家群のひとり北方謙三に ”ブラディドールシリーズ” という作品がある。ブラディドール、という名前のバーに集まる、それぞれなにか翳を持った人物を主人公にしたストーリーが一人一作で描かれるが、そのひとりが偶然にブラディドールに立ち寄り、ジントニックを注文する場面がある。

”ジンはなににしますか”と聞かれて、”ビーフイータだけがジンさ”と気障に答え、”トニックウオータとソーダで割ってくれ” と注文を付ける。北方の作品には好きなものが多いが、著者が博識を見せびらかすシーンが結構あって、時として辟易することがあるけれども、このジントニック論議は結構気に入っている。ジャック・ヒギンズのシリーズに登場する殺し屋のショーン・ディロンはクルーグのノンビンテージしか飲まないとか、有名なところでは007の ”シェイクしたマティ二” とかいろいろあって、たぶんそのようなこだわりを持つ人間のほうがストイックに任務を果たす、ということの暗示なのかもしれない。小生にもそれなりにこだわりはあるが、およそストイックとはかけ離れているので、この説は成り立たないようにも思えるのだが。

目につくコトバ ー AI と DX について

最近新聞やテレビにひんぱんに登場する言葉で気になっているものがいくつかある。その中でも特に目につくのが AI ともう一つ DX という単語である。

AI とは Artificial Intelligence の略で人工知能という用語がよくあてられる。コンピュータの能力の向上の延長上で、ソフトウエア(最近はアプリという用語に代わっているようだ―これも多少誤用ではないかと思うのだが)に本来人間だけが持ちえる判断とか推測とかあるいは情緒などという要素を持たせられないか、というのが本来の狙いというか領域の話なのだが、いろんな場で政治家や企業の偉い人たちの AIを利用して、とか、AIに任せて、というような発言を聞くと、どこまで理解して言っているのかなあ、と思ってしまう。多くの、というかほとんどの場合、この種の話の中身は要は大規模なデータの収集とそこから得られる傾向や特質の分析、あるいは高速の処理、その結果の迅速な伝達、などというようなことであって、結果を導く論理があらかじめ明確にきまっているものである。得られたデータに基づいてコンピュータシステムに人間的な対応・判断をさせる、というAI本来のことのようには思えない。

ここまでは要は言葉の理解とか用法ということなので、言ってみればしょっちゅう起こりえる理解不足あるいは勉強不足の露呈、と言ってしまえばそれまでなのだが、今後本気になってAI本来の持つ能力が研究室をでて実社会で発揮されるとすると、そこに組み込まれる “人間” という要素、本能的反応やことに及んでの判断の基準、いろいろな感性的要素、判断に至るプロセス、といったことが “どのような人間” のものか、ということが問題になるのではないか。巨大なシステム系が巨大なデータベースから得た、人間らしい判断なのだ、といえば何だか客観性があるように聞こえるけれども、そこで抽出される、というかその根源とされる人間としてどんなことを前提にするのか、もっと具体的に言えば、どんな人種の、どんな文化体系の、歴史的背景の、もとでの反応をいうのか。こういうことを考えずに、あたかも AI なるものが完成されれば,無謬の判断がされるはずだ、というようなきわめて危険な議論に聞こえて仕方がない。

小生の杞憂かこじつけかわからないのだが、今使われている AI うんぬんという言動が、実はそういうものができない以上、誤謬はあり得る、あってもしかたがない、というようなアリバイ作りにこの言葉を持ち出すハチャメチャな論理にも聞こえるような気がしてならないのだが考えすぎか。このような近未来の話の前に、昨今の特にコロナとかワクチンなどを巡る政府の右往左往ぶりを見ていると、情報交換をファクスでやっているというような現実では、まずは堅実な情報システムが国家レベルで構築されることが必要で、その意味ではディジタル庁などという対策もなければならないのだろう。

その議論の延長になるのだろうが、DXという用語もよく聞く。Digital Transfomation のことを指すのだそうで、それはそれで結構なことだと理解する。今回のワクチン騒動なんかを見ていると、あれだけ大騒ぎして作ったマイナンバーカードですら満足に活用していないので、せめてその有効利用あたりから始めてもらいたいものだ。ただ今回のワクチン騒動の元凶は省庁のせめぎあいというレベルの話にあるのはまちがいないし、ディジタル庁なるものがこの頑固なセクショナリズムや先例第一主義の間で屋上屋を重ねることになるのではという危惧は捨てきれない。まだ始まったばかりなので取り越し苦労ならよいのだが。

さて、ここで話の落ちになる。

DX, という略号を聞いて、一番面白がっているのは間違いなくアマチュア無線をやってる連中(ハム)だろうと思う。この “ハム”(英語で Amateur という単語の発音が ハム と聞こえるところからきたというのだが、一方英語では大根役者をハムというからだ、という説もある)の世界では、DXというのは実は Long Distance つまり遠距離との無線交信を意味する。小生がおっかなびっくり、手作りの送信機に竹竿にひっかけたアンテナでやっていたころには、”DX” すなわち国外の局(たとえ目と鼻の先のグアム島やハワイであってさえ)と交信をする、というのは、文句なくあこがれであり、いつかは俺もDXサーと言われてみたい、と考えたものだった。しかし通信機器の発達に伴って、今では初心者にもプロと同じ性能を持つ無線機とか高性能のアンテナなどが簡単に手に入るようになったので、遠距離との交信も特別な条件とか制限がない限り、昔ほど困難なものではなくなりつつある。しかしなお、DX(通信)をやる、ということは技術だけで割り切れない、人間がだれでも持つ、”遠いもの、はるかなもの” へのあこがれを追い続ける一つのかたちであり、”DX” がハムの世界ではある種のステータスシンボル的意味を持ち続けている理由であろう。自然現象から発生する困難や時差や言語の違いなどと戦うスリルとある種の達成感、などが万事 ”ボタン一つで済むインタネットの時代なのにまだそんなことやってるの”、という風潮に対する一つの解答なのだと思う。

政府のディジタル庁の努力で制度改革が進み、DXにまでいきわたるようなすぐれた施策や対応が実現することを期待しようか。

ハムの世界でのDXとは外国局との交信(と交信証の交換)をいう

”デルタ株” という敵について   (42 下村祥介)

梅雨明けとともに猛暑到来。コロナ感染者も急増。蒙古襲来ではないですが、オリンピックを前に身が引き締まる思いです。

ところで、船曳先生、篠原先生からコロナ関連のお話が続きましたが、たまたま昨晩ワンゲル40年卒のぴょこさんと42卒の河瀬さんが会長、副会長を務めているサイエンス映像学会主催のワクチンに関する講演会をZOOMで聞きました。講師は英国のインペリアル・カレッジ・ロンドン在籍の免疫学者小野昌弘先生です。

コロナウイルスがデルタ株に変異した後のイギリスでの感染状況やワクチン効果がどのように表れているかなどについて統計データに基づくお話をお聞きしましたが、気になる話がいくつかありましたので、ご参考にお知らせします。

変異したデルタ株はそれまでのウイルスに比べて、

  1. 感染力が非常に強い。
  2. 重症化率が高い。
  3. 既得の免疫をすり抜ける、とのことでした。

* 従来株は感染者数が集団の70%を超えると集団免疫効果が働き終息に向かったが、デルタ株は感染力が非常に強く自然体で集団免疫を獲得する状態には至らない。集団の98%以上の人のワクチン接種が必要と考えている。

* ワクチンの持続効果が短くなり、恒久的に一定の生活制限・感染防止対策を続ける必要がある(新型コロナウイルスの変異による脅威の度合いは今のところ予測不能だが、世界各地で変異の系統ごとに異なる進化を続けていく恐れがある)。

* 事例として、ブラジル・アマゾナス州マナウスでは2020年秋に住民の76%が新型コロナに感染し、その後収束に向かったが、2021年1月以降再度急増。ウイルスがデルタ株に変異したためと考えられる。

* ワクチンを接種しても他の人に感染させる事例が出ており、ワクチン接種は100%の防御策にはならない。

* コロナに感染すると若い人でも合併症を起こし、感染者の10%以上の人が1か月以上後遺症に苦しむケースがある。

* 80代以上の人は中和抗体のでき方が少ない(ワクチン効果が少ない)。このため英国では3回目のワクチン接種の検討を始めている。

* 別の講師(元東大医学部教授の上(カミ)昌広先生によるとデルタ株は「空気感染する」などです。

エーガ愛好会 (75) 阿弥陀堂だより   (普通部OB 船津於菟彦)

『阿弥陀堂だより』(あみだどうだより)は、南木佳士の小説、及びそれを原作とした日本映画。2002年10月5日に公開された小泉堯史監督・脚本。東宝とアスミック・エースにより配給された。本作品に出演している北林谷栄が第26回日本アカデミー賞助演女優賞、小西真奈美が新人俳優賞を、それぞれ受賞している。

キャッチコピーは「忘れていた,人生の宝物に出逢いました」。
人生や心情を丁寧に表現しようとし、山里の四季の美しさを絡める。淡々と静かになるべく自然に演出する。良いも悪いも日本映画の特徴。そして何かほっこりする、そんな映画。

ストーリーは春、売れない小説家の孝夫は、パニック障害なる原因不明の心の病にかかった妻で女医の美智子の療養の為、ふたりで東京から彼の故郷である信州に移り住む。無医村であったその村で、週3回の診療を始める美智子。やがて彼女は、自然に囲まれたシンプルな暮らしの中、阿弥陀堂という村の死者が祀られたお堂に暮らす96歳のおうめ婆さんや、村の広報誌に彼女が日々思ったことをまとめたコラム「阿弥陀堂だより」を連載している、喉の病で喋ることの出来ない娘・小百合、孝夫の恩師で癌に体を蝕まれながらも死期を潔く迎えようとしている幸田とその妻・ヨネらとの触れ合いを通し、次第に心癒されていくのであった。夏、小百合の病状が悪化していることが判明した。彼女の手術担当医として再びメスを握ることを決意した美智子は、町の総合病院の若き医師・中村と協力して、見事、手術に成功する。秋、幸田が静かに息を引き取った。冬が過ぎ、再び春がやって来る。今やすっかり病を克服した美智子のお腹の中では、孝夫との間に出来た新しい命が息づいていた

何と言っても90歳の北林谷栄さんの演技が素晴らしい。おうめ婆さんを演じる北林谷栄さんにつきます。自然体で後光が出るような包容力。
出てくるだけでぐっと来ました。と当時評されていました。
2010年に享年100歳で逝去されました。

斯様な映画が創られ上映されたとは知らず2019年5月27日にニッコールクラブ撮影会で野沢温泉郷から飯山市瑞穂地区の三部の棚田を撮影に参りました。
「阿弥陀堂だより」をロケした阿弥陀堂が今もそのまま棚田の上に保存されていました。この阿弥陀堂は昔から在ったわけでは無く、この映画のために此処に創られそのまま保存されているのだそうです。
素晴らしい風景と遠くの山々が思い出しています。

帰りましたら2020年2月26日NHKTVBSプレミアムでこの「阿弥陀堂だより」が放映されていて録画もして何度も観ました。この三部の棚田は「忘れていた,人生の宝物に出逢いました」の通り何とも心静かな日本の風景ですね。

映画も小津安二郎の流を汲む「ほっこり」した静かな映画です。

西部劇とか洋画の良さも在りますが、日本映画の良さも忘れないように。

阿弥陀堂の牡丹
             ★

 

(小田)私も阿弥陀堂に行き、映画も観ました。

20年程前、習い事で知り合った高校の後輩が、”南木佳士さんは同じ高校卒で本、面白いですよ。”と教えてくれ、エッセイを読みました。南木さんは長野の佐久でお医者さんをしながら山登りもよくされています。
2011年5月、被災後の福島を旅行した帰り、飯田(長野)の”菜の花公園に寄りました。一面の菜の花+桜+千曲川+残雪の山々の素晴らしい景色でした。
次いでに、町のパンフレットにあった”阿弥陀堂”(映画のセットとして作られた)に行った、という訳です。
その後、TVで映画を観て原作は南木さんと知りました。寺尾聰と樋口可南子が夫婦役で、凄いシーンが有るわけでは無く、題もちょっと面白く無さそうですが、船津様の書かれているように、見終わったあと、穏やかな気持ちの残る映画でした。音楽は”パリは燃えているか”の加古隆さんだったのですね。

エーガ愛好会  (74) 西部の男

(小泉)
ウイリアム・ワイラーが西部劇大作「大いなる西部」の18年前に監督した「西部の男」は、西部の土の香りが匂ってくるような歴史的背景の中、味わい深い人間の心理描写を堪能させて呉れた。その人間の主役がゲーリー・クーパー、「真昼の決闘」の渋い時代ではなく、若々しく魅力的なクーパー像が見られる。そのクーパーを主役の座から引きずり落とす位の名優ぶりを見せる、実在の判事ロイ・ビーンを演ずるウオルター・ブレナン。この作品を含めアカデミー助演男優賞を3度受賞している。音楽がディミトリ―・ティオムキン、「真昼の決闘」のような目立つ主題歌はないが、冒頭のティロップに、オーストラリアの反骨的第2の国歌といわれるWaltzing Matildaが流れ、その後もそのメロディが効果的に扱われる。

映画は牧畜業者対農民の対立が物語のテーマになっていて、その構図はその後の「シェーン」と共通点が多く見られる。牧畜業者の世界に、新しい土地を求めて農民が移動して来ると有刺鉄線を張り、それに反発し取り払う牧畜業者。本来どちらが善でどちらが悪とも言えないが、ここでは判事が黒幕として控え、農民を弾圧する。両者とも主人公がサポートするのは農民の方。冒頭馬泥棒の容疑者として引き立てられてきたクーパー。後ろ手に縛りつけられた憐れな男の筈が、粋で格好いい。容貌だけでなく、判事が女優リリー・ラングトリー(リリアン・ポンド)にぞっこんなのを小耳に挟んだのか、彼女の髪の毛を持っていると言って絞首刑を免れる、といった臨機応変さも持ち合わせる。農民指導者の男勝りの娘ジェーン(ドリス・タベンポート)と恋仲になると、君の髪の毛を肌身離さず持っていたいなどと女性の心をとろけさすようなことも言う。その髪をリリーのものと信じて、何とか貰おうとする判事に、もったいぶるクーパー、それにイラつく判事。悪徳の固まりでありながら、女優にぞっこんのアイドルオタク的な憎めない人柄の判事と流れ者の奇妙な友情が描かれる。

その後、判事の命を受けた業者が農場へ火を放ったことからクーパーも怒り、女
優リリーの公演に赴く判事を追うのだった。当時の南軍将校の制服に身を固め、公演を買い占めた判事が会場に入ると舞台には、リリーならぬクーパーが仁王立ち。射ち合いの結果、クーパーが瀕死の判事をリリーに紹介するのだった。焼け出され、一旦去った農民達も戻り、放浪のクーパーも、この地に落ち着くようだ (後年1972年ジョン・ヒューストン監督により、ポール・ニューマン主演で「ロイ・ビーンThe Life and Times of Judge Roy Bean」が製作され、女優リリーをエヴァ・ガードナーが演じた)。

蛇足ながら、ブレナンの演技力は勿論だが、クーパーの素材としてのまぶしいほどに雄々しい伊達男の魅力を引き出したワイラー監督、彼の作品の男優全てが格好いい。「我等の生涯の最良の年」のフレドリック・マーチ、「ローマの休日」「大いなる西部」のグレゴリー・ペック、「必死の逃亡者」のハンフリー・ボガード、「ベンハー」のチャールトン・ヘストン等、唯一の例外は女性に対する孤独な倒錯者を演じた「コレクター」のテレンス・スタンプ。女優もアカデミー受賞者だけ取り上げても、「黒蘭の女」のベティ・ディビス、「ミニヴァー夫人」のグリア・ガースン、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン、「ファニーガール」のバーバラ・ストライザンド等で、夫々の個性や演技の魅力を引き出している。

(安田)
ウイリアム・ワイラー監督映画に外れなし。アカデミー助演男優賞を貰った悪者だがどこか憎めない酔っ払い判事ロイ・ビーン役のウオルター・ブレナンと、流れ者コール・ハードン役のゲーリー・クーパーとの奇妙な友情と対決を描く。クーパーを押しのけて脇役のブレナンが主役のような映画。勧善懲悪の正統派西部劇。
「荒野の決闘」でも魅せたブレナンのどこかとぼけたような立ち振る舞いが映画にリズムとアクセントを与えている。彼の好演が光る。因みに、アカデミー助演男優賞を3回受賞したのはブレナン以外いない。「大自然の凱歌」1936年、「Kentucky 」1938年と、この「西部の男」(The Westerner)  1940年だ。
1880年代のテキサスは、新天地を求めて移住してきた農民と在来の牧童たちとのイザコザが絶えない。その地への最初の入職者であったビーンは飲み屋の主人で判事兼任。彼は土地の実力者の牧童たちを集め、農民たちに嫌がらせをし、農民たちの反感を買っていた。ある日、怒った農民たちが判事を私刑にしようと騒動が持ち上がるが、流れ者のハードン(クーパー)が間に入ってなんとか両者を鎮め判事を助ける。
映画の初っ端から、農民たちが設置した有刺鉄線の柵を切り裂く牧童たち、牛を引き連れた牧童たちと農民たちの銃撃戦、斃れる牛、理不尽な絞首刑・・・、派手なアクション西部劇と思いきや話は少し違う方向へ向かう。

 裁判所が飲み屋、飲み屋のオーナーが判事、立ち会う人(陪審員たち)は酔っ払いだらけ、葬儀屋も待機・・・これが1880年代のアメリカの民主主義!? インチキ判事と罪を着せられた流れ者、女の話と1夜の酒で結ばれた奇妙な二人の友情。酒盛りのあと朝起きたら大の男がベッドで二人きり・・。この辺りの描写が新鮮且つユニークで面白かった。
馬を猛烈に走らせビーンがハードンを追跡するシーンで、カメラが平行移動して撮影しているのは迫力満点!前年1939年のジョン・フォードの「駅馬車」でも見られたカメラワークだ。「ベンハー」の有名な馬にひかせた戦車競走シーンにも踏襲された撮影手法だろう。 話題となっていた、判事の憧れの女優の髪と信じ込ませて一房渡すと、それを貰い歓喜雀躍する判事。判事との友情を演出し、農民たちとも関係を深めお互いの主張を尊重させ、水と油を和解させる ハードンの努力も虚しく、感謝祭の日に判事ビーンの指示で牧童たちは農地と彼らの住居を焼き討ちにかける。これを知ったハードンは、副保安官となり、自ら判事と対決する。憧れの女優リリーに逢いに判事が出かけた劇場で二人は決闘に。ハードンは、撃たれ瀕死の判事をリリーの楽屋に連れて行き会わせる

最後は、カリフォルニアへ向かう予定のハードンは仲良くなった農民の娘と結ばれ、当地に残ることを決意して映画は終わる。リリーのだと嘘をついて判事に渡した髪はこの女性のであった。

 

(船津)ゲーリークーパーの若々しさか目立ちいい男だなぁ。
ストリーはややハチャメチャ。判事ロイ・ビーン役のウオルター・ブレナンがなかなの好演。とぼけた味と——。
でも面白くなかったなぁ

オリンピックとコロナについて   (普通部OB 篠原幸人)

昨日掲載させていただいた船曳さんに続いて、同期のエース、ドクター篠原からのメールを紹介する。彼は今、二つの誤解があるのではないか、と問いかける。ワクチン接種が終わった、と気を抜けないことをドクターは警告している。

 

皆さん。昨日の全米プロ野球オールスター戦を観ましたか? 「オータニさん」の人気があったのは嬉しいけれど、僕の目は観戦中の観客が誰一人、マスクをしていないことについ目がいっちゃいました。2-3年前の録画かと思うほどで、アメリカ人はもうコロナなどどこ吹く風?ですね。流石はトランプさんがまだ人気のある国ですね。一方で、世界で最もワクチン接種率の高いイスラエルでは、また感染率が上がったので、再度マスク着装が義務付けられたとか。

今日の東京の新型コロナ発症者はついに1,300名を超しました。一方で国会議員がまたマスクなしで派閥会合を開き、関係者が6名ほどPCR陽性になったのに、会合とコロナとは関係ないというコメントをしたという話も聞こえてきます。彼らがそう思うのは勝手ですが、最近の国会議員は困ったら「遺憾に思う」とか、「申し訳なく思う」と言えば、国民は何でも許してくれると思っているのでしょうか。もっとも何も謝らないで辞めちゃった首相もいましたね。

アメリカ人は兎も角、日本人の多くはワクチンを接種しても新型コロナに罹ることもあるとは知っている筈です。しかしコロナウィルスはワクチンを接種した貴方の回りにも沢山存在しています。貴方がワクチン接種をしていても、そんなことをウィルスは知りません。ウイリスはそのまま皆さんの鼻や目、のどの粘膜に張り付きます。但し、ワクチンを接種して身体の中に抗体が沢山あれば、その抗体がワクチンと戦って身体への影響を最小限に押さえてくれます。しかし一部のウィルスは貴方の体のどこかにまだ潜んで生きているかもしれません。大きな声でしゃべったり、他人に接触すれば、ウィルスはまた息を吹き返して他の人に移っていきます。自分がワクチン接種しているから他人にも移さないと考えるのは大きな誤りです。あなた自身が伝染媒介者になっている可能性も十分あるのです。

もう一つの誤解は、英国(α)株・インド(Δ)株・最近はλ株などの変異株についてです。ニュースなどで、インドに行ってもいないのにインド株にかかったのは不思議だというニュアンスの報告を見かけます。しかし、このエッセイの愛読者は、徒然なるままにーー16に詳しく書いたので覚えておられるでしょうが、これらの変異株が全て外国から入ってきたとは限らないことは御存じですね。国名はその変異が初めて発見された国の名前です。日本国内でもウィルスは必死に生き残りをかけて、頑張って強くなろう、強く変わろうと努力しているのです(少し見習ってください)。アルファ株、デルタ株、そしてラムダ株などの一部は日本国内だけでも変異している可能性が高いのです。日本株という名前がないのはそれだけ日本の検査が遅れているからです。今後、「新しい日本株が見つかった」などの不名誉な報告がなされないようにするには兎に角、感染を鎮静化する必要があります。感染者をさらに増やすような行為や政策は絶対に避けるべきなのです。

もうオリンピックは止められません。オリンピック開催自体に私は反対ではありませんが、なんとか胡麻化してでもここで開催し、それを自分の成果や金づるにしようと考える人には不快の念を禁じ得ないのです。 全く根拠がないのに「リスクはゼロである」と発言するバッハ氏、世界中から来る何万人かの関係者の全員が感染予防のプレイブックを厳守してくれると信じている組織委員の人たちに皆さんは疑念をお持ちではないでしょうか。

前回私は無観客を強く勧めましたが、その希望はやっと叶えられました。多分、次の話題はどこまで感染が蔓延したら途中でもオリパラを中止するのかに移ると思います。感染者が何人増えてもオリンピックだけは終了し、パラリンピックは中止するのか、パラリンピックを差別したと言われたくないから国民の犠牲には目をつぶって最後まで関係者は主旨を貫徹するのか、いずれにしても既に賽は投げられたのですよね。

 

オリンピック開催下でのコロナ対応   (34 船曳孝彦)

 

コロナ新感染者数が増加する中で、オリンピックが迫ってきて、開催か否か、開催強行となれば観客をどうするのか、緊急事態宣言は?蔓延防止対策は?など、日々の情報が変化し、私のコロナ情報が随分間をおいてしまいました。結局は、私が前から言っていたように、医療界の反対を押し切ってオリンピックは開催する、ただし無観客の原則を導入するということで決着しています。

明らかに第5波は感染力の非常に強いインド株を主体に高まってきております。生物学的に見てビールスは当然変異を繰り返し、感染力の強い株が他の株をしのけて感染の主力となるので、大変に危険です。

問題は、ワクチンの予防力です。ビールスに打ち勝つ生命線はワクチンですが、その予防力は100%ではありません。従来型のビールスに対して95%前後の予防力が証明されているのは、素晴らしい成績です。インド型は免疫逃避の変異を持つことから、ワクチンが効かないのではないかと懸念されていましたが、幸い90%以上の予防効果があるというデータで安心していました。しかし最近60%だというデータが出てきました。インド型株の検討が不十分だったので、検討症例が多くなれば90%に近づくのか、あるいは60%が正しいのか製薬会社ごとのワクチンによっても異なりますが、データが十分ではありません。あるいは新たにマイナーチェンジのワクチン抵抗性の変異を起こしたのか、まだ十分には分かっていません。3番目の新たな変異(すでにデルタ+が出ています)が、医学的には一番考えられる仮説で、怖ろしいことです。

感染数と人流とは相関することがはっきりしています。今、第5波として蔓延力が強まっている時期に合わせて、オリンピックで人を集めようというのは、なんとしても理不尽です。開幕までもう10日を切ってしまいました。選手団の入国状況があまり報道されませんが、来日拒否が続出する可能性もありますし、入国選手団、関係者がバブル方式と称する不確かな体制とプレーブックといういい加減な行動規範で、大丈夫なのでしょうか。すでに規定破りの選手、関係者が街に出歩いていますし、土台、自主待機期間の1週間なり2週間が有名無実化してしまっています。選手にとっても24時間監視下に置かれたままの状態が何日も何週間も続き、しかもその間に世界一のパフォーマンスをせよとプレッシャーが強いられているのです。精神的にも変調をきたしてしまうのではないでしょうか。海外からの選手団、関係者に、日本の規制、日本人の思考を理解せよといっても無理な話で、どうしても新規感染者は増えることになるでしょう。渡来者だけでなく日本人も感染します。その時、コロナ患者の対応が十分に出来るか疑問が残ります。さらに熱中症が加わります。医療体制が持ちこたえられない可能性大です。海外からはブーイングの波が来て、責任を問われるでしょうが、IOCは日本側に押し付けて逃げを切るでしょう。

新型コロナ感染はこの先どうなるのでしょうか。ワクチン接種の効果が上がって収束に向かうか、インド型には予防が効かず第5波はますます猛威を振るうのか、新たな変異を起こして次の第6波迄いくのか、まだ読めません。流れとしては収束に向かうとしても、オリンピックが絡んでくると、終息したといえる日はまだまだ先になるでしょう。

私たちはどうすればよいのでしょうか。ワクチン2回接種を受ければビールスに対する抵抗力は出来たはずです。従って高齢者は理論的には少人数なら静かな会食も可能なはずです。しかし世の中には緊急事態宣言が出されておりますし、アルコールが入ると静かなとはいかなくなるかもしれませんが。肝心の働き盛り世代にはワクチン接種が進んでおりませんので、社会的免疫が出るといわれるような70%(少なくとも50%超)接種率に達するのは年を越すかもしれません。ワクチン行政は完全に失敗し、破綻しています。早くから確り準備・手配し、上手くワクチン接種を進めていれば、無観客オリンピックももう少し安心して出来たでしょうに。

第5波の間、やはりマスクで微小飛沫を避け、症状の出ていないインド型株の感染者からの感染を避けるようにして、笑って会食できる日を待ちましょう。

乱読報告ファイル (3) マクシミリアン・エレールの冒険 (普通OB 菅原勲)

 

フランスの作家、アンリ・コーヴァン(Henry Cauvain)の小説、「マクシミリアン・エレールの冒険」(Maximilien Heller)を読んだ(発行:21年5月27日、論創社。翻訳:清水 健)。大変、面白かった。

松村 嘉雄が「怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史」(晶文社。1985年)を著しているが(小生、未読)、正にその題名にぴったりの怪盗対名探偵のお話しだ。何しろ1871年の出版だから、今から150年も前のこと。本格探偵小説とは凡そ縁がなく、つまるところ、犯人捜しではなく、読み始めて、直ぐに犯人は察しが付く。この怪盗を名探偵がとっちめる。虎穴に入らずんば虎児を得ず、と名探偵のハチャメチャな冒険が始まる。従って、四の五の理屈を言っていれば、頁は一向に進まない。話しの流れにただ身を任せるだけだ。しかも、最後は、久し振りにほのぼのとした気持ちになった。

小生の読書の原型は、今はもう忘れられてしまったが、「怪傑黒頭巾」で有名な高垣 眸だ。

題名も内容も全て忘れてしまったが、血沸き肉躍る話しを次から次に読んで行ったことだけは覚えている。それを思い出させた。従って、理屈をこねる人にとっては、実にバカバカしい話しに過ぎない。

ところが、この本が、ある特定の仲間内で話題になっているらしい。一言で言えば、A.コナン・ドイルのホームズ、ワトソンの原型がここにあり、と(ホームズが初めて登場する「緋色の研究」の発行は1887年)。しかし、小生、この本を読んでいて一瞬たりともホームズを思い出したことはない。牽強付会そのものだ。仮に、人物設定(医者と私立探偵)が同じだったとしても、その中身はまるで違う。その証拠に、ホームズは未だに読み継がれているが、エレールは知る人ぞ知るだけの存在になってしまっている。大体、英国人はフランス人をフロッグ(Frog Eater)と言って軽蔑している。そんなコナン・ドイルが、口が裂けてもフランスから元ネタを頂戴したとは言えないだろう。逆に、フランスの作家、モーリス・ルブランはそのルパン(正しくは、リュパンらしい)もので、エルロック・ショルメことシャーロック・ホームズを散々虚仮にしているから、お互い、おあいこと言えないこともない。

と書いて来て、はたと気が付いた。小生、依然として、怪盗ものに留年し続け、卒業していないと言うことに。そうであれば、これからも「失われた怪盗を求めて」彷徨い続けることになる。

(編集子)全く同じ時代を生きたものから付け加える。高垣眸をいうなら ジャガーの眼 を忘れちゃ困るな。彼の海外歴がどれだけあったのか知らないが、時おり挟まれる字句がカタカナ書きの英語だったり、少年の眼にはすげえ、なんて写ったもんだがね。それと、山中峰太郎。敵中横断三百里という実録小説は当時多感の中学生だった亡兄に勧められて読んで興奮したもんだ。それとスーパーヒーロー本郷義昭! 日東の剣侠児 アジアの曙 なんてあったよね。それと南洋一郎、吠える密林 なんてぞくぞくしたもんだ。しかし考えてみるとあれが全部漫画だったらどうだっただろうか?目に焼き付くかもしれないが老年になってしみじみ再読したい、という気にはならないだろうな。

乱読報告ファイル (2) ジャック・ヒギンズ  “謀殺海域”

ヒギンズ初期の作品だが、当初はマーティン・ファロン名義(後述)で書かれたもので、珍しく英国情報部と中国共産党との対決、という形をとっている。主人公のポール・シャヴァスはこのほか数作に登場するシリーズキャラクタである。本作は主な場面が英仏海峡の洋上で起きるが、海洋冒険的な要素は少ない。むしろエンディングの意外さなどが面白いが、翻訳者も言っているように、ストーリーとは別に英国の冬という暗く冷たい雰囲気や、主人公の胸を行き来する思いの描写が心に染みる、ファンの言うヒギンズ節、を醸し出す。このあたりはストーリの新鮮さが話題になったヒット作 鷲は舞い降りた にはない、別の魅力なのだろう。

こういう見方をすれば、この翻訳本のおどろおどろしいタイトルはいかにもミスマッチングであり、せっかくの名訳に水を差す結果になっていると思える。原題は A fine night for Dying となっていて、はかりごとの闘争を何とか生き抜いた主人公が持った一種の虚無感を表すいいタイトルなのだが。下記に引用しておくが ”ヒギンズ節“ のエンディングでこの作品は終わっている。

…….そんな言葉が、まるでロシター本人に耳もとでささやかれたの如く聞こえてきたように思えた。突然、嫌悪感に襲われて、シャヴァスはナイフを放り投げた。ナイフは一度キラリと光って、波の下に沈んでいった。はるか頭上を雁の群れが鳴き交わしながら海へ向かって飛んでいく。シャヴァスは力なく立ち上がり、ダーシイのいる操舵室へと向かっていった (小関哲哉訳)。

The words seemed to whisper in his ear as if Rossiter himself had spoken. In as sudden gesture of repugnance, Chavass flung the knife from him. It glinted once, then sank beneath a wave. Somewhere overhead geese called as they moved out to sea and he rose to his feet wearily and went to join Darcy in the wheelhouse.

ジャック・ヒギンズは本名ヘンリー・パターソン、英国生まれだが、現在はアメリカに移住している小説家である。早くから冒険小説を書き始めたが、実際にヒットして知られるようになったのは本稿で何度も触れたが1975年に発表した 鷲は舞い降りた である。この時ペンネームで使ったのが現在の名前で、それまでにはジェームズ・グレアム、ヒュー・マーロウ、マーティン・ファロン、ハリー・パタースン、と合計5つのペンネームで、グーグルによれば現時点までに短長編あわせて62編の作品を発表していて、そのうち、56編が翻訳されて日本にも紹介されている。退職後、外資系会社勤務のゆえに親しくなった英語を忘れまいとポケットブック版の 鷲は舞い降りた に挑戦、すっかりヒギンズファンになってしまい、今数えてみると英語版翻訳版あわせて51作を乱読していることになった。ご参考までにグーグルに載っている作品リストを添付しておこう。

ヒギンズの作品の中心は第二次大戦中及び戦後の混乱時での秘話、アイルランド紛争にかかわる逸話、数はあまり多くないが海洋冒険小説といえるもの、の三つだが、最近の作品群は欧州対アラブ紛争にまつわる国際陰謀話がほとんどである。ただ、人気作家で富豪となった例にもれず、ヒギンズも昨今のアラブ物の多くは共著が多く(思うに名前貸しであろう)、装丁ばかりは豪華だが内容に薄いものが多くなってしまった。特にIT技術を織り込んだ筋立てでシリーズキャラクタを設定した結果、推理とかその過程での興奮とかいう重要な人間的要素が抜け落ちてしまったものが大半なので、正直、落胆している。人間誰でもそうだろうがやはり若いころの作品のほうがストーリーと言い文体と言い、優れたものが多いようだ。作品のテーマや筋立て、という本来の見方からすると、やはり 鷲は舞い降りた が優れているとは思うのだが、全体に流れる雰囲気、文体、もう一つ、小生の好みである、いわばハードボイルド風味をくわえた突き放したような文体、といった点でもヒギンズはもっと読まれてもいい作家だと思っている。

冒険小説の本筋からいえば  の次に小生の好みを言えば 狐たちの夜 ウインザー公略奪 反撃の海峡 サンダーポイントの雷鳴 などの大戦秘話ものが、ほかのジャンルでは、小生のイチオシは 廃墟の東。 ついで 非情の日 そして サンタマリア特命隊(これまたなんとつまらない訳名か―原題は The Wrath of God で雰囲気は全くちがうではないか)が好きだ。脱出航路 はアイデア、スケール、また文体とも優れていて、ヒューマンな結末が素晴らしい。特に出だしの港町の描写はここだけでも読む価値もあると思うほどである。

これらの作品は  を除くと現時点で翻訳を新刊で入手できる機会はあまりないと思うが、アマゾンで検索するとまだまだ在庫はあるようだし、ブックオフでハヤカワ文庫を探せば結構並んでいるので、コロナ禍で持てあます時間の消化にぜひおすすめしたい作品群としてご紹介する次第。リストご参照の上、次回の散歩がてらにお探しいただきたいものだ。ブックオフなら100円台で買えるし、アマゾンでもいろんな価格帯で新品、中古がならんでいる。

同好の士を募る意味で言えば、小生のかかりつけ医が 認知症予防にきわめて有効と勧める外国語の読書、ということで、原本に挑戦することもぜひ、おすすめしたい。ヒギンズは文体は簡潔だし、ほとんどどれでもアマゾンの洋書欄から入手できる。ただし電子辞書(小生はEXWORD を愛用)がないと、辞書のページをめくる手間が膨大で大事業になってしまうことは警告しておく。自分が最初に読んだ 鷲 のページにはご丁寧に書き込みをしていて、ざっと1頁に2回は辞書を引いていた痕跡が残っていることから、やはり当初は大変だったのだなと思う。現在では今度本書を試してみてその頻度は大幅に減っていることを実感するがこのあたりが万事まーまーで済ませられる乱読のご利益だろうか。子供が言葉を覚えていく過程は要はくりかえしなので、とにかく数をこなすことで語彙は増えていくはずだ。それと会話を志向される向きには、いわゆるハウツー本には出てこない、もっと生きた言い回しや文節のつなぎ方なんかを勉強するにはこういう”現物”でのトレーニングが効果があるように思っている。

(グーグルによる作品リスト)

ジャック・ヒギンズ名義

  • 「廃虚の東」 “East of Desolation”
  • 「真夜中の復讐者」 “In the Hour Before Midnight”
  • 「地獄島の要塞」 “Night Judgement at Sinos”
  • 「神の最後の土地 」 “The Last Place God Made”
  • 非情の日」 “The Savege Day”
  • 死にゆく者への祈り」 “A Prayer for the Dying”
  • 鷲は舞い降りた」 “The Eagle Has Landed”
  • 「エグゾセを狙え」 “Exocet”
  • 「狐たちの夜」 “Night of the Fox”
  • 「地獄の季節」 “A Season in Hell”
  • 「反撃の海峡」 “Cold Harbour”
  • 「鷲は飛び立った」 “The Eagle Has Flown”
  • 「シバ 謀略の神殿」 “Sheba” (”Seven Pillars to Hell” を改稿)
  • 「双生の荒鷲」 “Flight of Eagles”
  • “The Key of Hell”
  • “Bad Company”
  • “Dark Justice”
  • “Without Mercy”「嵐の眼」 “Eye of the Storm”
  • 「サンダー・ポイントの雷鳴」 “Thunder Point”
  • 「闇の天使」 “Angel of Death”
  • 「密約の地」 “On Dangerous Ground”
  • 「悪魔と手を組め」 “Drink with the Devil”
  • 「大統領の娘」 “The President’s Daughter”
  • 「ホワイトハウス・コネクション」 “The White House Connection”
  • 「審判の日」 “Day of Reckoning”
  • 「復讐の血族」 “Edge of Danger”
  • 「報復の鉄路」”Midnight Runner”

ハリー・パターソン名義

  • “Sad Wind from the Sea”
  • “Cry of the Hunter”
  • “The Thousand Faces of Night”
  • 「復讐者の帰還」 “Comes the Dark Stranger” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「地獄の群衆」 “Hell is Too Crowded” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「裏切りのキロス」 “The Dark Side of the Island” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • “A Phoenis in the Blood”
  • “Thunder at Noon”
  • 「獅子の怒り」 “Wrath of the Lion” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • “The Graveyard Shift”
  • 「鋼の虎」 “The Iron Tiger”
  • “Brought in the Dead”
  • “Hell is Always Today”
  • 「勇者の代償」 “Toll for the Brave” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「ヴァルハラ最終指令」 “The Valhalla Exchange”
  • 脱出航路」 “Storm Warning” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「裁きの日」 “Day of Judgment” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • ウィンザー公掠奪」 “To Catch a King”
  • 「暗殺のソロ」 “Solo” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「ルチアノの幸運」 “Luciano’s Luck” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「テロリストに薔薇を」 “Touch the Devil” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「デリンジャー」 “Dillinger” (”Thunder at Noon” を改稿)
  • 「黒の狙撃者」 “Confessional” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「ダンスホール・ロミオの回想」 “Memories of a Dance Hall Romeo” (翻訳版ではジャック・ヒギンズ名義)

マーティン・ファロン名義

  • “The Testament of Caspar Schultz”
  • 「虎の潜む嶺」 “Year of the Tiger” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「地獄の鍵」 “The Keys of Hell” (後にヒギンズ名義で改稿)
  • 「謀殺海域」 “A Fine Night for Dying” (翻訳版ヒギンズ名義)

ヒュー・マーロウ名義

  • “Seven Pillars to Hell” (後にヒギンズ名義で”Sheba” に改題)
  • 「闇の航路」 “Passage by Night” (翻訳版ヒギンズ名義)
  • 「雨の襲撃者」”A Candle for Dead” (”The Violent Enemy” を改題。翻訳版ではヒギンズ名義)

ジェームズ・グレアム名義

  • 「勇者たちの島」 “A Game for Heroes”
  • サンタマリア特命隊」 “The Wrath of God” (翻訳版でヒギンズ名義)
  • 「暴虐の大湿原」 “The Khufra Run”
  • 「ラス・カナイの要塞」 “Bloody Passage” (米国版のタイトルは”The Run to Morning”)

このリストに邦題が示されているものは翻訳があるものだがグーグルの記述は多少古く、このあと、邦訳が出たものも数点ある。太字が小生のおすすめ。