

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
2022年05月07日の読売新聞朝刊に、
”全国の467保健所のうち、
”保健所長は地域保健法の施行令によって、原則、
◎ 保健所
・こころの相談
・感染症の相談・検査
・飼い犬の登録や狂犬病予防
・野良犬・ねこ・アライグマ・
・ねずみや害虫の駆除
・食品営業許可の受付
・医療機関の開設許可申請
・医薬品や劇物の販売業の許可
・浴場・理容室・美容院の開設指導許可
・墓地などの設置の開設指導許可
・飲料水の水質調査
・食中毒の予防
・人口動態統計
・栄養改善
・医療監視
・公共医療事業指導
・精神保健
・伝染病の予防
◎ 保健センター
・乳幼児健診
・小児予防接種
・健康相談
・成人病検診
・がん検診
・予防接種
・訪問指導
・機能訓練教室
・母子保健(母子手帳交付)
・老人保健
現況について、実務経験をしたものとしての考察を述べます。保健所長になる医師はどれだけいるか、医師の序列はあるのでしょうか。
かつては、
切った張ったの第一外科や、
私の通っていた研究室のランクはもっと下で、
さて、厚労省のデータ「医師・歯科医師・薬剤師統計」
医療とは関係ない所とは、臨床以外の研究機関、製薬会社、
この分類で保健衛生業務に勤務とれている1,083名(0.3%)
私はこのコロナ禍のど真ん中で保健所に勤務していました。
保健所長の役割は、
ゴールデンウイークの5月4日、大船フラワーパークに出掛けまし
案内書によれば210種2000株の規模を誇ると
した。帰りはバスが運行されていることを知り駅まで乗車。いつも
眼前で仰ぎ見る観音様は、整った慈愛に満ちた顔で見つめられてい
(編集子)センパイ、お元気ですなあ。その一言であります。
昨晩テレビで ”三大” を ”四大” に広げられる候補を選ぶ、という番組に遭遇した。やはりこの世の中、洋の東西を問わず、big three というのは人間の心に響くもののようだと改めて思って…….いたら今度は5月1日夕刊に ”三体核力”という原子核物理学上の現象があって、それの解明に成功した東京工業大学の関口教授の話が載っていた。関口さんがこの研究にあたって、老子の教えの一節にある 三は万物を生ず という一節を意識してこられたそうだ。なんにせよ、三、という数というか言葉には神秘性があるようだ。
先回までで、”場所” がテーマになった話題と、その ”場所” から連想される味覚の話題をまとめてみた。一応アルコールからデザートまで来てみると(面白いことに今まで、肝心の食事、についての話題は出てこない)次はエンタテインメントがトピックになる順番だろう。”エーガ愛好会” というメル友グループでは、よくあるように自分の選ぶ映画ベストテン、という企画をやった。しかしグループ名を映画、でなくエーガ、としたのはユーチューブもサブスクもなく、テレビの連ドラと映画、しかなかった、いわば昭和中期に青春を謳歌した年代の話なので、もう一世代若い人たちの話も是非聞いてみたいものだ。 とにかく、この企画が選んだ映画のベスト10は次のようなものだった。 1.ローマの休日 2.カサブランカ 3.第三の男 4.シェーン 5.風と共に去りぬ 6.アラビアのロレンス 7.ニューシネマパラダイス 8.駅馬車 9.我谷は緑なりき 10.荒野の決闘
現在の若い世代にとってはいかにも古臭いものかもしれない。次回はぜひ、次世代の選んだベストテン、をどなたかに企画してもらいたいものだが、時代はエーガ館で見る映画からテレビやSNS 上で展開されるものに移っているはずだ。テレビの上での代表的なエンタテインメントとして大河ドラマをとりあげてみよう。まずは評判の良かったベストスリーは何だろうか。
エーガ評論ではエースの小泉さんは(どうも昔のほうが感激していたようだ)と述懐しながら
1.花の生涯 2.赤穂浪士 3.樅の木は残った
を挙げ、”若手(?)” を代表して武鑓君は 1.竜馬伝 2.西郷どん 3. 篤姫
を、安田君は 1.真田丸 2.軍師官兵衛 3.樅の木は残った
を推している。NHKの大河ドラマはエンタテインメントというよりも歴史回顧みたいな部分が多いので、高評価が見るほうの歴史への関心の違いなのか、ドラマとしての出来栄えなのかは判然としていない。小生の場合は、大河ドラマという形態はとっていないが、特別番組だった 坂の上の雲 に好印象を持っているし新撰組! は同じ司馬原作で愛読書の 燃えよ剣 との関連もあって熱心に見た。出来栄えというよりも内容に関心を持つ立場から言えば、時代劇もので会話が現代語で使われているものには感心しない。小泉さんの場合はもっと立場が明快で、”大河ドラマどは評価しないとしている。その展開で、”大河ドラマ ワーストスリー” はどうか。
武鑓君は早くも 鎌倉殿の13人 をワーストワンとやり玉にあげ、いだてん、平清盛、も評価しない。安田君のワーストは おんな城主直虎、いだてん、花燃ゆだそうだ。
”がっかり” のことについて、岡沢君は別の観点から書いている。なるほど、こういう感覚もあるのだと妙に感心した。
”三大がっかり ”ではありませんが 私としては今でも大がっかりの話は伊藤左千夫の「野菊の如き君なりき」のことです。
中学生頃だったと思うが 小説が映画化され 有田紀子主演で民さん(タミさん) 政夫 本当に大感激したものです。が 、 作者の伊藤左千夫の顔写真をあとで見た時「えツ この作品の作者ってこんな顔なの」で大がっかり 幻滅の悲哀を感じました。小説の内容と作者の顔のイメージがまるで違ったので。今でもはっきりおぼえています。
今回のテーマとは関係ないが、各位から引き続きいろんな 三大 話をいただいているので順不同でご紹介しておく。
(菅原)小生、さしたる食通ではありませんが、以下、二つばかり。一つは
(保屋野 エーガ愛好会の”断崖”のついての議論のついでに)サスペンス感もイマイチで、ハッピーエンンド風のラス
断崖ついでに、私が選ぶ「日本三大断崖(海)」
①隠岐・西之島 国賀海岸・摩天崖(高さ日本一256m)
②陸中海岸・鵜の巣断崖(高さ200m)
③伊豆諸島・青ケ島の南 ソー婦岩(高さ100m)~写真・映像で判断+
観光地では
①福井、東尋坊
②陸中海岸 北山崎
③和歌山・白浜 三段壁
(斎藤)
■蕎麦屋で名前が出てくるのは2つ。
○水内庵(外苑東通り−南青山一丁目:現存)
社会人になった私の胃袋を満たしてくれたお蕎麦屋さん。お店のお
分かわいがってもらった。会社で仕出し弁当(嵯峨野)が支給されるのだけど、それじゃ足ら
近くに青山ツインが出来て、その地下1階に「くろ麦」という手打
来て、ざるそばが1,500円と言われ皆でおどろいた。
○国田屋(水戸二十三夜尊近く旧大宮街道沿い:廃業)
ここは、私の蕎麦人生の師匠的な存在。
茨城の地粉を使う、いわゆる田舎のそば屋。そば打ちから、汁作り
このおばあちゃんに教えてもらった。体育科の教授にそば打ちを習
がてここに連れて行かれ、のめり込んでしまって留年の思い出あり
○布恒更科(品川区南大井3:現存)
地元の有名そば店。蕎麦はとても美味しい。大森駅からもそれほど遠くないので、繁盛
■カレーライス
1軒です。YHPの方々を連れて行ってます。
○アジア会館(港区赤坂8)
ここのカレーライスは、日本の昔ながらのカレー。安かったので、
業さんとよく行きました。宿泊客は、ホテルの名の通り、アジアの方が多かったのですが、昼
(小田)外国旅行をしていて、困ることが三つあります。
ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の最終作。この連作は、太平
南北戦争中、北軍だったウエインが、妻モーリン・オハラの南部のを追ってやって来たのだった。モーリン・オハラは白い肌に赤い髪、グリー
全般的にアクションを主体に、息子の教育問題で対立しながらも、老軍曹長として重要な役割を
が格好良い、馬上
音楽がヴィクター・ヤングだけに、優雅な旋律に纏われ、情緒豊か
(安田)ジョン・フォードは抒情性豊かな作風から「映像の詩人」と評された。ひと昔(ずっと若い時)、この映画を観た時はそれほど感じなかったフォードのの詩情豊かな場面と映像を、今回は印象深く感じた。歳を重ねるとは“そういうことなのか”と悪い気はしなかった。ネイティヴ・インディアンを悪玉にして徹底的にやっつけるのは、現在の視点で観ればちょっと悲しいが、それを除けば、詩情ゆたかなアクションもあるさわやかな西部劇だった。
(編集子)この作品に登場するサンズオブパイオニアーズ。まだカントリという呼称が流行らず、ひっくるめてウエスタン音楽、と言っていたころ、上品なコーラスが印象深かった。いろいろ買った中から捨てきれずにとってあった ”レコード” がこれ。まだ残っている何枚かを聞きたくて、アンプも何台かつくったが、そのたびに今入手できるプレーヤが高価かつ超高性能でバランスが取れず、手軽にできるCDをソースにしたものばかりだ。そろそろ半田鏝とおさらばするのがいつか、というところまで来てしまったので、”最終作”にとりかかって、目をつぶって高いプレイヤーを買って,この ”レコード” を聞かねばなるまい。
時は巡り皐月です。「冬牡丹」についで「上野東照宮の春牡丹」
上野東照宮は、寛永4年(1627)、
現在の建物は慶安4年(1651)に造営されたものです。社殿・
「ウクライナ侵攻とグローバリゼーション」
1985~1988にロンドン、2009~
各国・地域にはそれぞれ固有の歴史があり、
中国では清朝末期に西欧・
ロシアのウクライナ侵攻は決して許されるものではありませんが、
言うまでもなく「歴史に学ぶ」「失敗から学ぶ」
(編集子)Can’t agree more という反語的な言い回しがある。グローバリゼーションについては林君の定義についてはまさにそう感じる。小ぶりながら多国籍企業、のひとつだったヒューレット・パッカードでこの言葉が独り歩き始めたころ、これを金科玉条と振り回すパロアルト本社のいやな奴に、globalization なんて Americanization じゃねえか? それとも Californiazation か? と食って掛かったら、そうかも知れねえな、と一瞬黙ってしまった。そのあとどう言い訳したかは全く覚えていないが。
あまりにも有名な日記の映画化。邦訳の日記を先に読んで、その後に映画を観たと記憶している。1960年代のことである。アムステルダムのアンネ・フランクの家にも2度足を運んだ。「アンネの日記」の英語訳は文字通「Anne‘sDiary」だが、原題オランダ語「Het Achterhuis」(ヘット・アハターハウス) は「後ろの家」という意味で、隠れ家を実際訪れてみると、オランダ語原題の方が言い得て妙だと思った。監督は、「陽のあたる場所」「シェーン」「ジャイアンツ」の名匠ジョージ・スティーヴンス。
アンネ・フランクはドイツ・フランクフルトの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。ナチスが政権を取り、ユダヤ人に対する迫害から逃れるため、一家はオランダ・アムステルダムに移住する。平穏な生活はほんの数年間で終わり、オランダでもユダヤ人連行が頻繁に行われるようになると、一家は、アンネの父親オットーが経営する、街の中心に近い運河沿いにあるジャム工場の建物の奥3階・4階と屋根裏部屋を改築して、一家4人と友人等4人、計8人がそこに身を隠すようになる。
隠れ家への入り口は本棚でカモフラージュをされた。フランク家の
隠れ家にいた8人全員は収容に送られる。収容所は栄養と衛生状態が極度に悪い。戦後まで生き延びたのは父親のオットーフランク1人だけ。残りの7人は全員収容所で死亡する。アンネと姉のマルゴットは、収容されて7〜8ヶ月後の‘45年の2月から3月にかけて同じ収容所で相次いで死亡。死因はチフスだった。
アンネの日記は1942年6月から約2年余りに及んだ。ゲシュタホに逮捕される3日前の8月1日が最後。アンネ13歳から15歳の間の隠れ家での出来事、思ったことを素直に書く綴ったもので、特別なストーリーがあるわけではない。過酷な隠れ家の環境下、勉強・読書漬けとラジオが中心の生活の中で、いつか戦争が終わったら、「作家になりたい」、「ジャーナリストになりたい」という夢を膨らませていく。その目標に向かって修養を積み続ける、知性豊かな女性へと成長していく。日記の文体と語彙の豊かさにはとても13〜15歳の少女のものとは思えない成熟度と非凡な才能が伺われる。
映画は、戦後の1945年に収容所から解放された、一家で唯一の生き残り父親のオットー・フランクが隠れ家に戻るところから始まる。かつての支援者がフランクに声をかけ、アンネが残した日記を手渡す。フランクは「1942年・・」から始まる日記を読み、はるか昔のようだと回想を始める。映画は2年間の隠れ家生活を描いている。主演の新人女優ミリー・パーキンスのデビュー作。英国女優ジーン・シモンズに大変似ていて驚いた。「若草物語」・「陽のあたる場所」出演のティーンエイジ時代のエリザベス・テイラーにも少し似ている。監督のジョージ・スティーヴンスはリズを「陽のあたる場所」と「ジャイアンツ」で起用しており、彼女に面影が似ているミリー・パーキンスを新人ながら抜擢したと勝手に思っている。さらに本物のアンネにも似ている点も理由の一つであろう。
実在のアンナ13〜15歳にしてはパーキンス21歳の時の出演。成熟度など年齢差にはやや無理があったかとは思う。恋仲になる隠れ家で同居した男性ペーター役は2年後の「ウエストサイド物語」1961年制作のトニー役で脚光を浴びたリチャード・ベイマーが演じた。ナタリー・ウッドとのきらびやかな共演の「ウエスト・・・」に対して、悲惨な状況下での白黒映像のパーキンスとのラブストーリーも悪くなかった。
隠れ家に同居した家族の夫人役はシェリー・ウインタース。以前観た一昔前は馴染みがなかったが、それ以後彼女の出演映画「ウインチェスター銃‘73」「陽のあたる場所」「狩人の夜」「動く標的」「ポセイドン・アドベンチャー」を観てすっかり顔馴染みになっていたので安心して彼女の「アカデミー助演女優賞」の演技を楽しんだ。彼女自身ユダヤ人である。
物語りの深さと行き詰まる緊張感は「日記」の迫力に敵わないが、映画は極限状態の中に置かれた8人の人間模様を淡々と描く。母親とアンネの確執、同居する2家族間の諍い、隠れ家の狭い部屋の中で物音を出せないストレス、ゲシュタホが建物を調べに来て壁一つ離れて身を潜める家族の恐怖と緊張感・・・・、当時の実情は想像を絶するに余りあったのことが容易に窺い知れる。
ひとつ印象的なシーンは、隠れ家に潜んでほぼ2年が経ち絶望感が支配する中、ラジオで連合国軍のノルマンディー上陸作戦「D Day」成功のニュースを聞き皆 歓喜雀躍と飛び上がる。それから僅か2ヶ月も経たずナチスに逮捕されるとは、運命の残酷さを知らされる。インターミッションも途中に入る2時間半の、歴史を改めて思い起こさせる映画だった。ウクライナのことも頭をよぎった。
(船津)見ましたがやや長い!途中でタンマしました。淡々と描き、
(菅原)同意。ミリー・パーキンスは可愛いだけが取り柄で、他には何もない。Wikipediaによれば、作品に恵まれなかったそうです。こういう言い方もあるんですね。この映画見ましたが、さしたる感銘は受けませんでした。
(金藤)「アンネの日記」は、確か中学生の時?
(編集子)我が国の終戦が決まった日、小生は小学校2年生、家族とともに満州の首都長春(当時は新京と言った)から集団疎開の途上で、鴨緑江を越えた車簾館という町に到達していた。その後平壌でほぼ10ケ月、まさに難民生活を送った。古い味噌蔵に恐らく十数家族と、たぶん脱走兵だと今では思うのだが屈強の若者数名と一緒に過ごした。衛生状態なんかはおそらくロシアの収容所以下だったのではないかと今になって思い出す。南北朝鮮に分割されて国境が閉鎖されてしまい、貨物列車だとかトラックだとか、どうやって調達されたのか分からないがその国境までたどり着き、深夜に歩いて38度線を越えて開城へ脱出した。そんな経験をしたのが11歳の時だったから、アンネとは二つ違いか。改めて戦争の悲惨を考えてしまう。