七夕祭りの一日は東京は乾燥した清々しい天候でした。 紫陽花もいよいよおーしまいの様ですね.。
すみません、今度は中性脂肪の話です (会社時代友人 齋藤博)
病院で血液検査をすると中性脂肪という検査項目があります。基準値は、空腹時30~149mg/
随分前の話ですが、友人が健康検査で、中性脂肪が高いので、
大正製薬のエパデールTという薬のサイトにも、
https://brand.taisho.co.jp/
随分と曖昧な言い方で書かれていますが、
炭水化物とは、糖質と食物繊維のことで、
ご飯、パン、パスタ、ピザ、そば、うどんなどの主食、
イモ類(菊芋は除く)、
バナナやイチゴなどの果実、ジュース類
ビール、日本酒などの非蒸留酒
は、多くの糖質を含んでいます。
食品を手にとって栄養成分表の糖質量(炭水化物量でも構わない)
なお、とっても緩いのですが、WHOは2015年に、「
(編集子)齊藤リポートに従って、ここのところ ”大岡越前を見ながら紀文のちくわを肴にジントニックをすする” という典雅かつ知性的な日課を則、中止した。同好の士である名古屋の小川先輩も同調されたよし。これで効果があるんでしょうな、サイト―さん!
エーガ愛好会(159) 7月4日に生まれ (普通部OB 船津於菟彦)
オリバーストーン監督の駄作ですね。何となくあれこれ取り混ぜて
1946年7月4日、アメリカの独立記念日に生をうけたロン・コ
トムクルーズは一応熱演しているが、やや台本が良くないですね。
それにしてもアメリカと言う國は「西部劇」のように東から西へと
その裏には大統領選挙が総てつきまとう。民主主義つてなんだと言
(菅原)一言で言えば、オリヴァー・ストーンって奴は、甚だ胡散臭い輩。
八ヶ岳南麓から (グリンビラ総合管理ブログより転載)
エーガ愛好会 (158) アウトロー (34 小泉幾多郎)
クリント・イーストウッド監督主演の西部劇。
冒頭父親であるジョージ―・ウエルス(イーストウッド)と息子が
南北戦争終結のミズーリからテキサスへ。北軍から逃げながらも、西部の景
アウトロー、ジョージー・ウエルズであるが、どうやらアウトロー
自分なりの終活。体力・知力・意欲の維持に心がける (36 大塚文雄)
85歳が近くなり、世の中の流れに押されるように終活を始めた。
1.墓じまいからスタートした。
我が大塚家の墓は東京都が松戸市に作った遊園地墓地「八柱霊園」にある。子供は娘3人なので大塚家は私の代で幕を閉じて、いずれは無縁墓地になる。そうならないようにしなければと前から思っていた。八柱霊園には合祀墓がありこれを活用することにした。合祀墓は個々の墓地に眠っている霊を一つの墓に集めて霊園がみとってくださる制度で、他にも広く普及しているようだ。今回は父・母・幼くして亡くなった二人の姉妹が合祀墓に移り、いずれは妻も私も合祀墓で4人に会うことになる。
父親の代からお世話になってきた「石やさん」に墓じまい全体のとりしきりをお願いして、いまは東京都公園協会と手続きを進めていただいている。
2.次は、ダークダックスにワンゲルの借りを64年後に返した話。
50年以上も昔、New York赴任中に集めた300枚ほどのLP Recordの整理・処分に着手した。New Port Jazz Festivalやカントリーの総本山Nashvilleで手に入れたものとか、小澤征爾さんのご活躍に刺激されて聴きまくったクラッシなど名残り惜しいものばかりで手放したくはないけれど、LPプレーヤーがなくなり、聴けないものをいつまでも保存しているわけにはいかない。整理をしていると、1968年と1969年にダークダックのメンバー4人がマネジャーもつけずにNew Yorkにこられた際にいただいたたサイン入りLP Record3枚と、一緒に観たMusicalのPlaybill(プログラム)が目についた。
ジャケットを眺めているうちにこんな会話が記憶によみがえってきた。ケネディー空港から市内に向かう車の中で、私がワンゲルOBであることが分かると、ゲタさんが、「ワンゲルが山小屋建設の資金集めのために開催した”映画と歌の会”で何回も歌った。出演料は ”小屋ができたらご招待します”だった。今日まで招待されていないな。ダークダックスはワンゲルには貸があるよ」。
いまがその借りを返すときと考えて、「特定非営利活動法人 ダークダックス館林音楽館」に経緯を書いて寄贈したいと申し出ると、喜んで受け取ってくださった。昔のLPが結構な人気を博しているようだけれど、大事にしてくださる方の手に渡るのが一番。Countryも「涙がでるほど嬉しい」と言う方に引き継いでいただいた。ダークダックス館林音楽館は「株式会社館林うどん」が地域活動の一環として設立したらしい。同社の社員や地域ボランティアの手で管理・運営をされているようで、ネット検索してみると「株式会社館林うどん」の小暮社長が代表者を務めておられる。後日、小暮社長より「館林うどん」を返礼として頂戴した。戦時中に群馬県の北方に疎開して、うどん、そば、お焼きが主食の2年間を過ごしたこともあり、うどんは大の好物で、舌も群馬の味を覚えている。「館林うどん」は格別の味だった。
- いまは現役時代にいただいた名刺の整理と本の処分に取り組んでいる。
78歳まで仕事をしていたこともあり名刺の枚数は半端でない。殆どはゴミ箱行きで、ときたま手元に残すものがでてくる。「二度と読むことはないな」と思う本は読後に捨てる習慣でやってきているので、それほどの量はない。しかし、まだ生きているのだから全部処分することはできない。着るものもそうだ。
- ここまで断捨離まがいの終活をしてきて、終活マニュアルを開いてみた。
自分の考えている終活とはずいぶん違っている。あるいは昨年の夏から今年の春まで激痛を伴う左股間接拘縮症で苦しんだために、自分の終活観が生まれたのかもしれない。
それぞれの人にそれぞれの終活があるはずで、自分の終活には過去の整理と、今から死ぬまでの間の活動があると考えるようになった。過去の整理は断捨離をして、終活マニュアル通りに書き残すことだから、始めればすぐに終わってしまう。これから死ぬまでの間の活動が難しい。いつ終わるか分からない人生終盤の活動が難しい。自分にとって大切な終活は、可能なかぎり人の手を煩わせずに日常生活を過ごせる体力・知力・意欲を維持することだと思っている。左股間接拘縮症で苦しんでいる間に、日常生活で人の手を借りる申しわけなさと、自分に対するはがゆさを何度も感じたことからのレッスンでもあろうか。
- 体力・知力・意欲のうち、経験的に最初に来るのは体力で、3か月後の今日の体力が今現在の体力と同じであることを目標にしている。
しっかりした食事をとり、億劫がらずに体を動かして体力を維持すれば、知力と意欲は自然とついてくると思っている。長年、厚生省推奨の「一日30食材を食べる」を目安にバランス良い食事を目指していて、「体力の基は朝食にあり」と思っている。何故なら、朝食に15種類は食べないと30種類は絶対に無理なことが経験で分かっているからだ。
2~3年ほど前にフォミュラーを確立したけれど、毎日30種類はとても遠くて、多いときでも28種類程度だ。これにカルシュームとビタミンCのサプルメントを入れてごまかし30種類にしている。朝食以外ではユックリと食べることと、ベジファーストを習慣にしている。加えて、ジャイのブログから学んだ朝食後の体温測定を欠かさず行い記録し、1週間ほどさかのぼって変化の有無をみている。そのついでに血圧も計っていて、「体調管理完璧」と自己満足している。こうしたことが残り僅かな人生をどれだけ豊かにしてくれるか分からないけれど、真正面から取り組んでいきたいと思っている。
(追記:体調は8割がた回復し、今は週1回ずつ、体幹矯正の骨盤体操、筋肉回復の機械体操と、楽しみのテニスに通っています。写真は自宅でストレッチボールを使い骨盤体操の復習をしているところです。)
エーガ愛好会 (157) セーブゲキのトリビアふたつ
小泉さんの最近の投稿 マグニフィセントセブン の注記で、ローズバーグを架空の街だ、と書いた。これを書いた時には、かの 駅馬車 で御者のアンディ・ディヴァインが行先をローズバーグ!と怒鳴るのだが、これが ROSEBERG かROSEBURG のように聞こえ、こういう町はない!と思い込んでいたのが先入観としてあった。ところが先日、読売新聞に今回の米国での妊娠中絶違憲論の記事で州別にその対応を色別に著した地図があり、州名がわからない部分があったので手元にあった米国地図と見比べていた時、偶然にローズバーグという記載があるのに気がついた。この地名は LORDSBURG という綴りで、現在のニューメキシコ州の、アリゾナとの州境に近く、メキシコとの国境とも同じくらいの距離にある。フォード作品によく出てくるリオグランデ河からもあまり遠くないから、西部劇の舞台としてはうってつけの場所だろう。。
米国版グーグルによると、この街はヒダルゴ郡の州都で街の創立は1880年、現在の人口は3000人くらいであるそうだ。1880年、というタイミングだが、駅馬車 のイントロ部分で “カスター将軍の全滅が西部に伝わり現地で不安が高まっている” という時代背景が説明され、そのニュースを伝える電信のモールス符号が効果的に挿入される。ダコタ州リトルビッグホーンで第七騎兵隊が全滅したのは1876年6月25日だから、この時点でこの街にいく駅馬車路線があったかどうかは分からないが少なくとも架空の街だった、と決めつけたのは小生の早とちりだった。
米国版ウイキの記述によると、この街は第二次大戦中ここに住んでいた日系人二人が虐殺されたという史実で知られている、というが、西部劇映画に登場した、という記述はない。念のため同じUSグーグルで、あらためてROSEBERG または ROSEBURG を探してみたらオレゴン州はそういう街があるそうだ。もし 駅馬車 が オレゴントレイルでの話だったら(リメイクのアレックス・コードものは舞台をがらりと変えてワイオミングの森になっていた)、この推理(?)は成立したかもしれない。荒野の七人 シリーズはメキシコと切り離せないストーリーだから無理だろうが(ただし、コメント後半のサンタテレサにかかわる話は正しい)。
今日(7月1日)放映の リバティバランス、後半の1/ 4 くらいなんとなく見てしまった。たぶん4回目くらいになるのだろう。以前書いたがリー・マーヴィンが決闘に出かける直前、ポーカーをしていて、最後にできた手がエースと8のペア、deadman’s hand であることを確認した。US版グーグルにはさすがに詳しく解説があったが、そもそもは開拓期の西部の英雄だった ワイルド・ビル・ヒコックが1876年8月2日、ダコタ州デッドウッドで裏切り者に背後から撃たれて死んだとき、持っていたカードがそう呼ばれるようになったのだそうだ。その組み合わせは ダイヤとクラブのエース、クラブとスペードの8,それとビルの血に染まったスペードのクインだったという。この話は 駅馬車 でも同じく使われたことは以前にも書いたことだが、フォードは小道具としてこういう伝説に忠実だったようだ。
駅馬車とこの映画はほかでも縁があるようで、
名ばかりの善人保安官をやるのはおひとよしの御者だったアンディ・ディヴァイン、最後近くに議員選挙で敵側の演説をするいかさま紳士が過去を背負った南部の貴族を演じたジョン・キャラダインだった。ついでに言えばマカロニウエスタンのヒーローになったリー・ヴァン・クリーフも出ていた。”フォード一家” の出演だが、フォードが気に入ったリー・マーヴィンとウエインは全く気が合わなかったそうだ。どうでもいいことだが、それをいったらおしめえよ、というのがトリビアの世界だわな。
”エーガ愛好会” 初顔合わせ開催
いつが正式?なオープニングだったかすでにあやふやなのだが、念願の顔合わせ会を開いた。猛暑の中、ほぼ全員が楽しい時間を持つことができた。同窓会とかなんとかのよくある集まりではなく、うまい例がみつからないが、かの あしながおじさん の結末のように、メールでしか知らない仲間と会って、(あ、こう言う人だったんだ!)という、小生が細々と続けているアマチュア無線でいう Eyeball ミーティングであった。次回は忘年会で鍋でもつつこうか、という話が不思議ではなかった。
写真後列左から 安田・林・関谷・小泉(KWV OB), 齋藤(筆者会社時代友人)、保屋野(KWV), 菅井(会社同僚)、レストラン ”ヴァンサン” オーナシェフ城(じょう)悦男氏、前列小田・金藤(会社同僚)、児井(大学クラスメート)、筆者、菅原(普通部時代友人)、飯田(大学クラスメート)。
色覚異常 ということについて (会社時代友人 齋藤博)
色盲、色弱、色神異常、
私が大学に入る頃、理学系の学部を志す人たちで、
2005年に日本眼科学会は、
この日本眼科学会のウェブページでは、目の病気「
一方、日本眼科医会のウェブページ(https://www.


20年ほど前に、
生物学的には、ヒトの眼球の網膜の奥には、2種類の視細胞(
・その錐体細胞は、
・3つの錐体細胞の、どれかの錐体が機能していない、あるいは、
すなわち、
それぞれが持つ錐体の特質によって、
「いろんな色覚型がいた事で、
エーガ愛好会 (156) 山猫 (44 安田耕太郎)
舞台はシチリア島、
監督はミラノの貴族階級の末裔ルキーノ・ヴィスコンティ。1936年にココ・シャネルの紹介で知り合った巨匠ジャン・ルノワール(画家ルノアールの次男、先日「大いなる幻影」を観た)の監督作を手伝うようになり、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(‘42)で監督デビュー。第二次世界大戦中は共産党に入党、「赤い貴族」と呼ばれた。戦後はイタリア・ネオリアリズムの旗手として「夏の嵐」(’54)、「若者のすべて」(’60)などを手掛け、本映画「山猫」ではカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。後期は先日放映された「ベニスに死す」(’71)、「ルードウィヒ 神々の黄昏」(’72)など独特の美学に基づく名作を残した。
シチリアの乾いた風景と色彩が潤いのある国土に住む日本人には新鮮で強烈な印象を与えてくれる。やはりシチリアを舞台にした映画「ゴッドファーザー」「ニューシネマ・パラダイス」「マレーナ」などと空気感が当たり前ながら大変似通っていた。原色の鮮やかな映像タッチは絵画を見ているかのようだ。額縁に入れて飾りたくなるような瞬間を捉えた場面はそれ自体ヴィスコンティの美意識が反映させているとさえ思った。自身、イタリア貴族の血統を引くヴィスコンティ監督が唯一自身を語った作品とも云われた。1860年代と云えば、日本でも幕末の動乱期。ドイツは鉄血宰相ビスマルクが首相となり(1862年)、軍国化を押し進めた激動の時代。フランスはナポレオンの甥ナポレオン3世の第二帝政の治世でパリ・コミューンの共和政へ向けて動乱の時代。世界各地で同時代を特徴付けた大きな政治・社会変革のうねりを伴う歴史を俯瞰する楽しみがある映画だった。
シチリア島の名門貴族の当主(バート・ランカスター)は、
革命が成功してガリバルディ軍も解散し、
この映画の大舞踏会ほどの豪華絢爛で長時間にわたる舞踏会を他の

マカロニウエスタンで活躍したジュリアーノ・ジェンマ(右端)もガリバルディ革命軍・赤シャツ隊将軍役で出演。左端はアラン・ドロン。
(保屋野)ガリバルディーの活躍で、悲願のイタリア統一がなされた直後のシチリア貴族と甥っ子そして婚約者の物語なのですが、当初、中々筋立てがよく分らず期待外れ?、と思いながら観ていましたが、次第に人物像や時代背景が理解出来て、最後の舞踏会場面も素晴らしく、特に、ランカスターとカルディナーレがワルツを踊るシーンは圧巻でした。俳優陣では、ドロンとカルディナーレも魅力的でしたが、やはり何といっても、初老の(時代に抗う)公爵役を見事に演じきったランカスターの存在感に圧倒されました。ただ、歴史を背景とした大作としては、私には、昨年観た「ドクトル・ジバゴ」の方が面白かったですが・・・・