乱読報告ファイル (32) ”富岳” と “富嶽” の本

旧制高校の名門、一高寮歌は 芙蓉の雪の精を取り と歌い、わがKWVで愛された、かの 日大節 では 霊峰富士を仰ぐウ 神田駿河台にイ と絶叫し、地方の名峰の多くは地名を冠してご当地富士と呼ばれる。たかだか標高3000メートル余の成層火山が、これほど国民の心情のあいだに歴史を越えて存在する国はほかにあるだろうか。いろんな意見があるだろうが、僕は山歩きを始めたときから、富士山は仰ぎ見るべきものであり登るものではない、と一途に決めつけてきた。それだけにこの山の名前には特に興味をそそられる。その富士山には上記したほかにもいろいろな呼び名があるが、その中でも、富嶽(現代仮名遣いでは 富岳)という呼称には何か重みがある。美しい山 という以外に何かスピリチュアルなものが感じられる呼称だと思うのだ。

その 富岳、という二語がぱっと目についた新書がある。文春文庫 “スパコン富岳の挑戦” というのだ。思いもよらずサラリーマン生活の第一歩がコンピュータとの出会いであり、結局自分の会社人生のほとんどがコンピュータと縁の切れなかった僕には見逃せないタイトルだった。実際にプログラム開発をやっていたころはもちろんIBMの天下だったのだが、そのIBMも追い付けなかったのが超大型、と言われた領域(まだスーパーコンピュータ=スパコン、という呼称はなかった)はCDCとかクレイとかアムダ―ルなどというアメリカの専門メーカーの独壇場だった。しかし一方では半導体素子の劇的な高速化とかネットワーク技術の発展などもあって、そのコンセプトも大きく変わってきたのは当然であり、それが今のスパコンを生んだ。その全部を理解することなどはわれわれの能力を超えているように思われるが、著者の語り口は明快で、もっとも簡単にそのスケールを表す値としてこの本では、”富岳の計算能力はスマホ2000万台分に相当します” というように、一般人にもすんなりと読めるものになっている。なぜスパコンが必要になるのか、国家プロジェクトになるのはどうしてか、といった疑問にも素直に答えてくれる。

今回、驚いたのはこのプロジェクトがまだ完成していなかった時点で、コロナ騒動が起き、政府からの要請もあって、ほかの国でもやっていなかったコロナウイルスの飛沫拡散についての巨大なシミュレーションをこのマシンで行い、その結果は全世界で共有され、この研究は業界での最高の栄誉とされるゴードン・ベル賞を受賞したという。著者の推論によればこの一連のシミュレーションは当時どのスパコンでやっても1年以上かかっただろうという事で “富岳” の性能の高さがどれだけ凄いのかがわかる(それまで一時は世界トップだった日本製スパコン “京” のほぼ100倍の能力)。この “富岳” はスパコンの存在の論議がややもすると計算能力の値ばかりが注目され、ごく限られた国家レベルでのユーザでの話に限られているのに対し、開発当初から スパコンもインフラでなければならない という思想に立ち、アプリケーションの専門家と共同して開発してきたことがコロナ対策という喫緊の課題に迅速に対応できた。この結果を受けてそれまでマスクの効用に疑問を抱いていたWHOそのほかの関係機関があらためてマスクの使用を全世界によびかけることになったのだそうだ。今回のこの本で、我々が慣れ親しんでいるアプリケーションも ”富岳” で使うこともでき、また、”富岳” で作られたソリューションをほかのスパコンに移植することができることを知った。著者は今回の成功の一つのベースが ”スパコンの民主化” なのだと表現している。

ただスパコンの開発にかかる開発費用は一般企業が負担するには巨大すぎて、どこの国でも国家プロジェクトにならざるを得ない。そうすると本体の開発のみならず、関連する分野での技術、投資、などもまた巨大化・複雑化せざるを得なくなり、先進的な一般企業や大学などとの共同開発といった柔軟な対応も必要となる。ここでは特に昨今話題になるいわゆるGAFA陣営の果たした成果は大きく、この点では残念ながら日本は欧米特にアメリカの後塵を拝する結果に陥る。今回のコロナ関連にしても ”富岳” の成果として日本で話題になりマスコミに報じられたのはほんの一部にすぎない、という著者の無念も語られる。例によって米国のナントカ委員会のいう事ならありがたがるのに我が日本で起きたことはそのお墨付きがなければ第二列になってしまう。マスコミの出羽守根性にはほとほと辟易してしまう。日本の国力経済力の沈下が論じられる昨今、日本という国のありようがここでもまた、暗影をなげかけるのだ。そういう意味もあって、”コンピュータ“という単語に恐れをなすことなく、一読をお勧めしたい一冊である。

さて、“富嶽” である。旧仮名遣いで書かれる通り、これは戦前の話である。第二次大戦中、アメリカが開発した大型爆撃機B29のことは若い世代の方々も耳にされているはずだが、その存在は開戦前から旧日本軍でも知られていて各種の対抗策が実行された。しかしそれはB29 という航空機に対するものであって、いわば防御策にすぎなかった。これに対し、”日本から米国本土を攻撃する“ という破天荒なアイデアで検討されたのが ”富嶽“ だったのだ。

航続距離1万7千キロ、5千馬力エンジン6基、高度1万メートルで太平洋を無着陸で飛び、米本土を爆撃、当時の同盟国ドイツ占領下の基地に着陸するという構想にたった戦略爆撃機であった。他にも多くの著がある前間孝則氏が、敗戦時にすべて廃棄されてしまいその内容もわからなかった計画を当時の開発担当者に取材した書いたのがこの本で、草思社文庫刊、上下2冊合計800頁を越える大作は、記録に忠実なあまり、我々には負担と感じられる詳細な部分(実は編集子もところどころは斜め読みだった)もあるが、アイデアも能力もあるエンジニアたちの努力が国策とか、資源小国としての現実とかによって、結局陽の目を見なかったこの “富嶽” の秘話は読んでいて歯ぎしりするような記述に満ちている。

我が国が生んだ戦闘機の最高傑作である通称ゼロ戦、あるいは傑作戦闘機とされ漫画本にも取り上げられている紫電、少し時代は古いが陸軍の隼、などについては数多くの場で語られ、映画でも知るところが多いが、爆撃機としてのこの挑戦についてはほとんど知られていない。これは作戦面のこともあろうが、結局は資源に乏しい島国の現実と、ひろい意味では能力の発掘や抜擢、などという社会風土がアメリカと掛け違っていた社会全体の能力の差、ということに帰結するのだろうか。

“富岳” では著者が成功の一つの要素としている国の域を超えた技術の交流や協力が実を結んだ。戦時にあってはやむを得なかった環境、 “富嶽” を送り出せなかった現実が、今の平和国家日本の逼塞状態をまねいているのではない、と信じたいのだが。

(42 下村)ふたつの富岳・富嶽の話を面白く拝見しました。かつて民主党の蓮舫議員がスパコンの開発について「世界一になる必要があるのですか!」と強い口調で詰問していたことを思い出しましたが、コロナ対策で富岳が大変な貢献をしたことは全く知りませんでした。富岳開発リーダの松岡聡さんが今年紫綬褒章を受章していること、また彼のCPUとは別に画像処理専用のGPUを併用するアイディアが世界の最先端をリードしていることなどをネットで知りました(ご推薦の本は読んでいませんが)。

 爆撃機富嶽の話にも興味を惹かれました。風船爆弾とは対極にある構想ですね。ゼロ戦の開発に成功したように、予算と資源に余裕があれば富嶽も開発に成功し世界を驚かせていたかもしれません。

最近はTVでドキュメンタリーものをよく視聴していますが、今でも精密・精巧な器具や部品を製作する日本企業がそれぞれの分野で頑張っており、欧米諸国をはじめ全世界に提供しているようです。超耐久性の高い鉄道用レール(ドイツへ)、軽量で堅牢な鉄道車両(英国鉄道・米国地下鉄へ)、決して緩まず必要な時は外せるネジ(車やロケットなどへ)、紙のように自由に曲げられる太陽光発電シート(普及段階でノーベル賞を受賞するかも)等々。物質的な資源の乏しい日本は科学技術や人材が唯一の資源。オリンピックなどに金を使わず科学技術や人材育成に金を回すべきだと思っています。

芙蓉の雪の精をとり・・・、濁れる海に漂える我国民を救わんと、逆巻く浪をかきわけて・・・。坂の上の雲ではないですが、明治の人は偉かった!!

(編集子)著者は蓮舫の発言を聞いて、これは大変なことになりそうだと心配したそうです。あの人は国会議員になるよりもモデルでもやったほうが国民のためになるんじゃないかなあ。