エーガ愛好会 (174)”美しき処刑人が見たフランス革命・・・ (HPOB 金藤泰子)

エーガ愛好会のおススメで見た作品からー内容は晴れの秋の日にはふさわしくないギロチンの話がでてきます。暗い雨の日にでもご覧ください。
映画はパリの死刑執行人を代々務めるサンソン家の4代目当主として、ルイ16世、マリー・アントワネット、ロベスピエールなど、王族貴族から庶民まで3000人余を手にかけた男、実在の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソン(1739−1806)の苦悩を描いたものです。
権力者から道具として使われ、庶民からも蔑すまれ差別を受けた悲運の生涯。
 処刑人は世襲制で、国王から直々に任命される正義の番人。生活レベルは貴族並み、国王の代理として正義の仕事をしている事を心の支えに職務を果たしていたのに、フランス革命という歴史の転換期、国王ルイ16世までも死刑執行することになってしまいます。

言語由来辞典によりますと、

『ギロチンは、フランス革命の頃、国民議会議員で医師でもあったJ. I. Guillotin

ギョタン博士

(ジョゼフ・ギヨタン)の名に由来する。当時の斬首刑には斧や刀が使われていたが、未熟な死刑執行人の場合、一度で斬首できず、何度も斬りつけることになるため、受刑者に多大な苦痛を与えていた。そこでギヨタンは、受刑者の苦痛を軽減させられるようにと、首を切断する処刑道具の使用を提案したのである。

彼の名前から、この処刑台は「Guillotine(ギヨチーヌ)」と呼ばれ、ドイツ語読みで「ギロチン」となった。 その後もフランスでは、死刑執行にギロチンが使用され死刑制度が廃止される1981年9月まで使われていた。
とあります。
フランス革命という激動の時代、サンソン家の4代目当主アンリ・サンソンは考案されたギロチンを使うことにより多くの罪人の死刑執行をすることになりました。処刑人の家に生まれ (サンソン家は医者の家系でもある)、自分の代で死刑執行人を辞める事は許されず、時代に翻弄され、それでも法に従い厳格に仕事をこなしていったアンリ・サンソン、死刑執行人でありながら実際には死刑廃止を訴え続けていたという死刑執行を記録したアンリ・サンソンの日記が発見され、サンソン家に関する本が出版されています。
映画「大人は判ってくれない」を鑑賞後、主役の少年 アントワーヌが崇拝していたバルザック(1799ー1850)に関するWikipediaの記載を読んでいましたら、フランスの文豪バルザックはヴィクトル・ユーゴーやアレクサンドル・デュマの親友でもあったとありましたが、サンソン家とも懇意だったようです。