エーガ愛好会 (192) チップス先生さようなら   (44 安田耕太郎)

1939年制作の同題名の映画は随分前に観ていた。今回の’69年版は初見。30年間の隔たりがある2つは相当異なる映画だった。白黒とカラー映像のほか、時代設定も半世紀の隔たりがあり、物語も少し変わっていた。’39年版のチップス先生を演じたロバート・ドーナットは本命の「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルを抑えアカデミー賞を獲得。シリアスな役、軽妙な役ともこなす、「アラビアのロレンス」「おしゃれ泥棒」「冬のライオン」のピーター・オトゥールは8度ノミネートされたが無冠のまま引退したが、1962年のアラビアのロレンスから始まった脂の乗り切った’60年代最後の名演技を魅せてくれた。 

1920年代、英国の全寮制パブリック・スクールの頑固で堅物のラテン語教師である主人公アーサー・チッピング(Arthur Chipping)は、ひょんなことから売れっ子女優のキャサリンと知り合う。休暇で旅先のイタリア・ポンペイ遺跡で偶然再会し、ロンドンでデートした二人は恋に落ち、結婚を考えるが、教師を天職と捉えている彼は、女優業の妻では畑が違い過ぎると難色を示す。教師の妻でも本望だと説得するキャサリンに同意して共に人生を歩むことになった。明るく奔放で愛情深い妻に感化され次第に彼本来のユーモアや優しさと柔らかさが表に出てくる。ポンペイ訪問の場面では、ベスビオ火山と遺跡の光景は、「旅情」のヴェニス、「旅愁」のナポリなどと並んで観光案内が素晴らしい。
1939年版とは少し設定を変えており、何よりもミュージカル映画になっているのが決定的な違いで、チップス先生(教師をschool masterと言っていた)の妻はミュージカル女優で、演じるのは1964年歌手として大ヒットした馴染み深い曲 ダウンタウン “Downtown
https://youtu.be/UKKl79Ln3qo?t=4 を歌ったペトゥラ・クラーク(Petula Clark)だ。夫は188mの細身長身、妻は155cmの小柄な女性。この外見の好対照が性格的な静と動の好対照にも反映されたかのようなストーリー展開だったのが印象的だった。両者は物語の設定では年齢差があるのだが、実際、両俳優は同年齢で出演時、共に37歳。石頭で融通が効かない教師と奔放で愛情深い女優との温かい人間ドラマと恋愛物語であった。
愚直なチップス先生の歌は彼の性格に則った素人っぽい歌い方がほのぼのとして好い。吹き替えなどという演出は必要ないのだ。オトゥールが真っ正直で不器用な教師像を見事に演じている。ペトゥラ・クラークは歌手で、女優でもあったのは知らなかったが、人好きのするチャーミングな妻役を見事に演じた。
映画の冒頭はブルックフィールド・パブリックスクール建物の静止画の序幕(Overtureの序曲から始まり、終幕(Exit)ありの、舞台劇のような仕立てが当時のミュージカル映画の時代的雰囲気を感じさせてくれた。
1世紀近く昔の時代設定に加えて、英国のパブリックスクールが舞台だけに、品を感じさせるイギリス英語は充分に聞き取れはしないが、心地よく耳に響く。授業でユリウス・カエサル著「ガリア戦記」(Gallic War)を教材として学んでいる場面など、格調の高さも感じさせてくれる。生徒たちに敬遠されていた彼が次第に好かれていくが、妻の快活で分け隔てない持ち味が、夫の人気向上に寄与していくシーンが展開される。ところが、チップス先生が校長の有力候補になった際、妻が女優だという点に偏見を持つ学校幹部の中にそれを理由として校長任命に反対する声があるのを知った妻は、いたたまれなくなり、夫の許から離れようと自動車を自ら運転して去っていく。その妻を追って長い手足を持て余すように走るシーンが、ただ走っているだけなのに印象に強く残った。
チップス先生は、生徒に人気を博し、ついに夫婦の目標でもあった校長職に推薦されるが、戦争中で空軍の慰問に行っていた妻は、その吉報を聞くことなくドイツ軍の爆撃の犠牲になってしまう。校長として学校をまとめ、大戦の時期を乗り越えた彼は、退職後も学校の側に住み続け、新入生は彼のもとに挨拶に訪れる。そして毎朝、校庭の片隅に立って生徒たちに挨拶する。夫婦には子供はいなかったが、何千という子供を授かる幸運に恵まれたと回顧するチップス先生であった。
教師という天職を数十年間一生懸命に務めたシップス先生に、生徒たちと学校が Goodbye さよなら を云う日のチップス先生の お別れの挨拶 が感動的ですらあった。一部紹介する。
「校長としてのあいさつはこれが最後です。私の努めは終戦とともに終わり、来学期には新校長が赴任する。諸君の未来は まだ見えない。諸君が知る新しい世界は刺激に富み、激変しているはずです。本校は生き残れないかもしれない。少なくとも私の知る学園は、確実に消えるでしょう。変化の波が学園に及ぶ時が来たら、受け入れるべきです.恨みや怒りを覚えずに。だが、私に変化が及ぶことはないのです。私には思い出しかなのだから。誰がどう頑張っても老人の記憶は変えられない。大切な思い出ばかりです。そのすべてが、私に大きな喜びを与えてくれる。それから、もう一つ。私は学園を去ってもこの町に住み続けます。いつか、立派になった君たちが訪ねてきても、誰か分からないかもしれない。その時は、“ジイさん 忘れたな”と・・・。だが私は全員をはっきりと覚えています。ここにいる今のままの姿で。私の思い出の中で君たちは成長しない。私やほかの先生方は歳をとる。だが、君たちはずっと今のまま変わりません。そう思えることが、これから私を慰めてくれるでしょう。ですから、これは本当のお別れではありません。それでは週間行事を・・・」
そこで、生徒たちが一斉に立ち上がり、叫ぶ「Mr.Chips, 万歳!万歳!万歳!」
チップス先生、涙顔で生徒たちをかき分け退出していく。
なお、1939年版はキャサリン役を演じた英国の美人女優グリア・ガースンはこの映画がデビュー作であった。3年後の「ミニヴァー夫人」でアカデミー主演女優賞を獲得。「同じ年の「心の旅路」は以前ブログで取り上げたが、面白い映画だった。キャサリンは女優役でなく家庭教師役、チップス先生と初めて会ったのはイギリス北西部の湖水地方、結婚2年後に妊娠するがお産の時、母子ともに亡くなる、という設定だった。1870年の普仏戦争勃発の時、25歳でパブリック・スクールに赴任、191368歳で退任、192883歳の時学校を訪れ、懐かしく走馬灯のように学校での教師生活を回顧する形で物語は展開する。新旧版 見比べるのも面白いだろう。

 (保屋野)

掲題エーガ、今日やっとビデオで観ましたが、正直やや期待外れの映画でした。私は、先生と生徒とのふれあいを描いた名作「今を生きる」をイメージしていましたが、単に学園を舞台としたミュージカル仕立ての恋愛映画でしたね。ピータ・オトウールと相手役の魅力もイマイチ。前作(ロバート・ドーナットとグリア・ガースン)の方が良かったのでは?                                                                                         

(編集子)英国のパブリックスクールという制度が英国人の指導層をはぐくむ源泉であることを知ったのは、池田潔 ”自由と規律” という本で知った。ちょっと見では鼻持ちならないエリートなのだが、その根性がたとえばウインストン・チャーチルに代表されるブリット気質であるようだ。 確かこの本だったはずだが、第一次大戦の現場、劣勢に追い詰められた英軍の陣地から一人の若い将校が塹壕から飛び出し、持っていたラグビーボールを見事にキックし、”さあ行くぜ!” と声をかけて部下の兵士を鼓舞した。これがパブリックスクールでつちかわれたリーダーの在り方なのだ、という実話が紹介されていた。

関係のない話かもしれないが、太平洋戦争後の日本の再構築は米国の先導で行われ、現在の日本ができた。この事実は米国に感謝すべきだが、もしこの占領軍が英国だったら我が国はどんな形に再建されただろうか、という 歴史のIF を考えることもある。島国であり、伝統ある王室があり、倫理を重視する国民性があり、日英間の親和性は日米とは違った意味で高いはずだからだが。
パブリックスクール (public school)は、13歳から18歳までの子弟を教育するイギリスの私立学校の中でも上位一割を構成する格式や伝統あるエリート校である非営利の独立学校の名称。以前はその大部分が寄宿制の男子校であったが、現在は多くが男女共学に移行している。日本では古くは共立学校(きょうりゅうがっこう、きょうりつ – )や義塾(ぎじゅく)などとも訳された。イギリスの最高峰の大学郡に当たるラッセル・グループ、特にその頂点にあるオックスブリッジなどへの進学を前提とする。学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達が寮での集団生活を送っている。近年は海外の富裕層の子供達がイギリスでの大学教育を見越して入学することが多くなっている。

  

きさらぎ ですよ   (普通部OB 船津於菟彦)

如月 何となく心地よい読みの月ですね キサラギ-
よく聞かれる“きさらぎ”の語源説は、寒いので、更に衣を重ねて着るから“衣更着(きぬさらぎ)”になったというものですが旧暦の2月は、今の暦よりも1ヵ月ほどあとになります。つまり、3月頃。次第に暖かく、春らしくなる時期ですから、“衣更着”説は不自然です。
春が来るような名称が有力な語源説としては、陽気が更にやってくるので“気更来(きさらぎ)”という説や、草木の芽がふくらみ出すという意味の“草木張月(くさきはりづき)”が変化したという説があります。
「木の芽月」「雪消月」「恵風」「花朝」「梅見月」「令月」等々在るようですがやはキサラギですね!
錦糸公園とか亀戸天神も梅がちラチほら。蝋梅は満開。寒椿も咲き誇り水鳥も羽ばたき始めましたね。寒波到来で北国は大変かと思いますが春はもう直ぐです。

(編集子)例によってグーグルから豆知識を。

1月睦月(むつき)正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の月。
2月如月(きさらぎ)衣更着(きさらぎ)とも言う。まだ寒さが残っていて、衣を重ね着する(更に着る)月。
3月弥生(やよい)木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる、草木が生い茂る)月。
4月卯月(うづき)卯の花の月。
5月皐月(さつき)早月(さつき)とも言う。早苗(さなえ)を植える月。
6月水無月
(みなづき、みなつき)
水の月(「無」は「の」を意味する)で、田に水を引く月の意と言われる。
7月文月
(ふみづき、ふづき)
稲の穂が実る月(穂含月:ほふみづき)
8月葉月
(はづき、はつき)
木々の葉落ち月(はおちづき)。
9月長月
(ながつき、ながづき)
夜長月(よながづき)。
10月神無月(かんなづき)神の月(「無」は「の」を意味する)の意味。全国の神々が出雲大社に集まり、各地の神々が留守になる月という説などもある。
11月霜月(しもつき)霜の降る月。
12月師走(しわす)師匠といえども趨走(すうそう、走り回る)する月。

旧海軍は艦艇の名称として戦艦は旧国名(例:大和)、巡洋艦は山または川(例:鳥海・大淀)をあて、駆逐艦は自然現象(例:雪風)または上記の月名をあてた。駆逐艦如月はイギリス駆逐艦の模倣から脱却した峯風型、神風型の流れを汲む最後の艦型で、日本駆逐艦として初めて61cm魚雷発射管を搭載した。12隻が建造され、すべて太平洋戦争で沈没した。

 

エーガ愛好会 (191) ジェームズ・ディーン  (HPOG 小田篤子)

久しぶりに「エデンの東」を観ました。なかなか真似出来ない彼独特の切ない表情がその後の不幸と重なり心に残ります。
『ディーン、君がいた瞬間(とき)』という観たいと思いそのままになってしまった映画を思い出しました。
宣伝には、《ニューヨークのタイムズ·スクエアで、雨に打たれながら肩をすぼめて歩くジェームス・ディーンの最も有名な写真》を撮った若手写真家《デニス・ストック》の出会いと過ごした2週間を描いた物語…
等とあります。
(編集子)ミッキーの感傷に水を差して申し訳ないが、小生のこのエーガについての思い出は、高校時代のある午後、当時つるんでいた仲間数人と東劇へ見に行った時のハプニングだ。何かといえば珍事を引き起こすの有名だった広田順一が何と静まり返った場面でカバンを取り落とし、しかも空の弁当箱が床を転びまわって周りからそれはおっかない視線を浴びたことだ。KWV仲間では浅海昭は確か一緒だったような記憶があるが、菅原はこの種の暴挙には参加しない口だったので居合わせてはいないはずだ(書き終えてふと思ったが、見た映画はひょっとすると理由なき反抗、だったかもしれない)。

シリコンバレーで考えるウクライナ戦争   (在パロアルト HPOG 五十嵐恵美)

今、世界各国(特にヨーロッパ諸国)が何をすべきか、また何ができるかというと正直解らない.現在、NATO加盟国、及びEU加盟国が、軍事、経済・金融、技術、医療方面で(自国の軍隊を送らずに)ウクライナを援助していく以外に方法はないように思う.その援助を止めてしまえば恐らくウクライナはロシアの侵略に屈するであろうし、戦場がウクライナの国境を越え、他国への拡大化も懸念される.その前にロシアが核を使った場合、もちろん、状況は変わる.

2023年半期以降になる見通しではあっても、米国英国ドイツフランスがウクライナに戦車 (tanks)を送る計画が発表され、現在、米国では戦闘機 (jet fighters)を送る案が軍部からペンタゴンに推薦されている.依って、戦争の長期化、エスカレート化は避けられないように見え、見通しは決してよくない.

希望的観測として(プーティンは病気説を否定したが、最近の写真から)「プーティンは病に侵されていて余命短く、平和交渉が彼の死後再開する」というアナリストもいる.

ロシアのウクライナでの初期の(昨年5月の予測)戦争のコストは(一日に) 5 億ドルから 10 億ドルの費用だという.ロシアの経済を考えた場合、このレベルのコストはいつまで保てるのであろうか? 一つの見方として、今のところロシア経済はしぶとく生き延びており戦争は長期化する.平和交渉はない.(ウクライナに多大の被害、損害を与えたのち)ロシアの経済が中長期的に実物経済の面で苦境に立たされ、自然にロシアの攻撃が(一旦)止む.これも現実的なシナリオだと思う.軍需産業の利権は米国に限らずどの国にも当てはまると思う.2021年の資料によると米国の軍事費はGDPの3.2%、ロシア3.1%、イギリス2.3%、フランス2.0%、ドイツ1.9%と並び、増大していく軍産複合体 (Military industrial complex)を含むと軍需産業が各国の経済に及ぼす影響は決して小さいとは言えない.

List by the Stockholm International Peace Research Institute
2022 Fact Sheet (for 2021)
SIPRI Military Expenditure database

シリコンバレー在住のドイツ人の友人が帰国中、下記のメールをくれた.「戦車を含むウクライナ/ロシア全体の状況は、ドイツでは非常な物議を醸しています.私の両親 (特に私の母) は、「私たちは完全にこれに近づかないようにするべきだ」という陣営に属しています.私は両親の要点も理解できますが、正直なところ、何をするのが「正しい」のかわかりません.」The whole Ukraine/Russia situation including the tanks is very controversial here.  My parents (in particular my mother) are more in the “we should completely stay out of this” camp. I can see their point. To be honest, I have no idea what’s the “right” thing to do.

何をするのが「正しい」のか解らないというのは物理学者である友人らしいと思った.ウクライナでの戦闘の特徴の一つは、軍事機器を大量に破壊したり放棄したりすることで「最後の古典戦争」と呼ばれている.「核戦争」にまでエスカレートしないが、戦争の長期化は避けられない、というのは私の楽観的な見方であろうか.

(編集子)平井さんからの情報を違った目でフォローしてもらった。日本で、そう、たとえば白金とか宝塚とかで、考えてみる人はいないか?

エーガ愛好会 (190) カルメン故郷に帰る  (大学クラスメート 飯田武昭)

高峰秀子の映画は「二十四の瞳」「浮雲」「カルメン故郷に帰る」「新・平家物語」「無法松の一生」などは見たことがあり、この機会に「カルメン故郷に帰る」を再見してみた感想です。この映画は戦後間もない昭和26年(1951年)松竹製作(木下恵介監督)の日本映画初のカラー映画ですが、日本の原風景の描き方や喜劇タッチを大いに取り入れた演出・演技は何とも快く爽快な作品だと思いました。

話は上州北軽井沢の村の娘が東京へ出てストリッパーになり、女友達を連れて故郷に凱旋した間の村の小学校でのエピソードでストーリーは展開するのですが、小さく噴煙を吐く浅間山が常に背景に見渡せる白樺林と山の麓や広い丘のショットが多く、キャメラを斜め下から撮る映像で、真っ青な青空と緑の草原に
馬の群れが長閑に闊歩している場面は、「サウンド・オブ・ミュージック」のオープニングの場面(オーストリアのザルツ・カンマーグート)を画面の大きさこそ違え、思い起こさせる清々しさを感じます。

高峰秀子は当時27歳ですが、このコミカルな役柄を伸び伸びと陽気に演じているのは、彼女の人となりを少しでも知った今では、驚くような才能を感じてしまいました。この映画で高峰が2~3曲歌を唄うのですが、その主題歌“カルメン故郷に帰る”は歌(高峰秀子)、作詞(木下恵介)、作詞(黛敏郎)というのも改めて驚きます。木下恵介監督とはこれが初めてで、その後「二十四の瞳」を含め7~8本の作品を残しています。

(保屋野)
なお、「カルメン故郷に帰る」の主題歌は「同名の歌」ともう一つ、KWVでも良く歌われた「そばの花咲く」(火の山のふもとの村よ・・・)があります。
この撮影中、軽井沢に滞在してた「梅原龍三郎」のモデルとなっていますが、この絵は、彼の数少ない貴重な「人物像」の一つです。

(編集子)日本初のカラーフィルムということで映画の存在は知っていたが見る機会を逸してしまった。ただ飯田兄が書いている主題歌のうちのひとつは小生の愛唱歌のひとつだが、タイトルを忘れてしまった―誰か教えてーと書こうと思っていたら、保屋野君からの同様のメールが届いた。哀調を帯びて、いいメロディである。一部しか思い出せないがどなたか補足していただけると嬉しいのだが。出だしは次の通りだった。正式?なタイトルも知りたいのだけど。

火の山の 麓の 村よ
なつかしの ふるさと
花に木に 梢の鳥に
光満てる わが里

  

(保屋野)ブログ拝見しました。「カルメン故郷に帰る」の挿入歌「そばの花咲く」(映画では「我が故郷」)は私も大好きな歌です。作曲、作詞は木下忠司(木下恵介の弟)です。彼は、水戸黄門や桃太郎侍も作曲しています。

火の山の 麓の村よ 懐かしの故郷 花に木に 梢の鳥に 光満てる わが里

からまつの林をぬけて 石清水湧くほとり 白樺は 白く気高く さ霧に濡れて立つよ

緑濃き 牧場の柵に たたずめる 若き日は 牛よ馬よ 真白き雲が 憧れのせて行くよ

子らも又 旅立ち行けど いつの日にか 帰り来る 火の山の 山の麓の そばの花咲く ふるさと

(編集子)ありがとう。僕らが2年のころ、学連の女子ワンからいろんな歌がは入ってきてビ-ハ”ーなんかが歌唱指導していたひとつです。スキー合宿では彼女の高い声の 雪の蒼さを通す窓 なんてのが思い出されます。

エーガ愛好会 (189) 1月にこれだけ見ました  (HPOB 小田篤子)

①《ロイヤル·ナイト  英国王女の秘密の外出》(英·2015年)

「ローマの休日」のイギリス一部分実話版。英国王女のエリザベス(19歳)と妹のマーガレットは父王ジョージ6世に懇願し、ロンドンの街への外出を許される。街は第二次世界大戦の戦勝記念日のお祭り騒ぎで、二人は巻き込まれ、エリザベスは知り合った空軍兵の助けをかり、見失った妹マーガレットを捜しまわる。日本でも、もう少し皇室の自由があっても良いのではないでしょうか?

《ロミオ & ジュリエット》(’96)
監督が《ELVIS》のバズ·ラーマンですので、カラフルでアクションも派手な映画。ろうそくの明かりが沢山瞬く教会のシーンは綺麗でした。
他の登場人物がこわ面だった中、ディカプリオとジュリエット役のクレア·デインズが可愛いく、初々しかった。
③《西の魔女が死んだ》(2008)
《アパートの鍵貸します》のシャーリー·マクレーンを母に、ウォーレン·ベイティを叔父に持つ、サチ·パーカーが英国人祖母役。不登校になった中学生の孫を預かり、自然の中の一軒家で二人で一ヶ月間過ごします。
綺麗なロケ地はGiさんのお宅のある山梨県北杜市、清里の辺りのようです。
「…です、…します」調で穏やかに話す主人公のイギリス人のおばあさんに対し、チコちゃん役で有名な、キム兄「木村祐一」の強面でガサツな近所のお兄ちゃんが対照的でした。
④《南部の反逆者》(’57)
主人公のクラーク·ゲーブルはお屋敷を持ち、プランテーションで奴隷を働かせている、ヒロインのイボンヌ·デ·カーロは黒人とのハーフ役で、恋人はリンカーンの演説のスタッフになり、その後は南北戦争で北軍に……等は「風と共に去りぬ」と20年前に旅したケンタッキーを思い出させました。
ケンタッキーにはリンカーンの生家や南北戦争の激戦地であった為、南北戦争博物館があります。又州歌となっている「ケンタッキーの我が家」を作ったフォスターの従兄のお屋敷が残され、公開されていて、フォスタにまつわる野外ミュージカルも毎夏開かれています。このお屋敷の案内も、ミュージカルの中の女性達も、この映画のような帽子とドレスをまとっています。
《尼僧物語》(’59)
オードリーがとても清楚で、綺麗です。このコンゴでの活動の役が、後のユニセフ親善大使に繋がったのでしょうか。
(編集子)凄いバイタリティというか、会社時代のミッキーの  落ち着いた長 女、という印象からは想像できないというか。ケンタッキーの話のついでにお隣のテネシー州。州歌がテネシーワルツ、っていうことは知っていたけど、グーグルで確認したらなんと 第四の州歌 だそうだ。ケンタッキーワルツ というカントリの名歌もあったけど、こっちはなってない。エーガとは関係ない話でごめん。

フランスで考えるウクライナ戦争  (在パリ友人 平井愛子)

(編集子)エーガ愛好会のネットでたびたびパリや近郊のニュースなどを届けていただいているパリ在住の平井愛子さんに、昨今のウクライナ戦役に関してフランスでの受け止めについて話を伺うことにした。平井さんからのメールを転載する。欧州でのロシア、という国に関する複雑な感情や歴史の積み重ねが日本では想像できない次元だという事を改めて感じる。
*******************************
私はジャーナリストではありませんので、フランスの一般市民を代弁するような事はお伝えできませんが、私の聞くニュ-ス、読む新聞、友人との会話の中で、肌に感ずることを率直に申し上げます。
ウクライナとロシアの戦争については本当に心に痛みを感じております。特にアメリカ、ドイツ、イギリスなどが最新の戦車をウクライナに供給するというニュ-スは絶望的です。なぜこのようなバカなことをするのでしょうか。怒りを感じております。
心あるフランス人達は、このウクライナは全くアメリカの代理戦争と化して、アメリカの目的は只々プーチンのロシアの弱体化を図る目的で、これによってヨーロッパはアメリカと一緒にこの戦争に介入することは、ヨーロッパそのものを重大な損害を被る状況に追いやるものである、と理解しています。
私の親友ドリスはドイツ人ですが、ショルツ首相が14基の戦車をウクライナに供給するというニュ-スにドイツ人であることが恥ずかしい、ドイツではこれに反対する市民のデモがあるようだから、参加したいと言っていました。
フィガロやル・モンドでは、フランスは戦車の供給には大いに躊躇をしており、フランス軍の中枢がこれに賛成していないと報道しています。フランスは30年前から国防費を削って武器廃絶へ向けて政治を行っており、現在のヨーロッパの中では、強力な軍隊を持っていますが、実際のところ、もし戦争になったら、国境線80kmしか防げず、総力で戦って15日間しかもたないであろう、フランスには400の戦車があり、その半分が稼働可能で、後は格納庫のなかで、稼働可能な200のウチ60%は即戦できるが、後は準備が必要だ という記事を読みました。でもどんなに頑張っても一辺に2000の戦車を並べられるロシアには負ける と書いてありました。
テレビのニュ-ス報道は当初と随分違ってきています。BMFTVで、先日、ゼレンスキ-の側近のひどい汚職が明らかになり、主要人物が国外追放、更迭されたりしたことも報道され、ゼレンスキ-の政治能力について疑問視することもあからさまに言われるようになりつつあります。
Arno Klarsfeldというフランスで有名な弁護士ですが、サルコジ-の時に大統領の特別ミッションも多く請け負っていた人ですが、この人が戦争即時停止のPetitions(陳情書)を広く集め始めました。彼はアシュケナ-ジの出です。1月27日はアウシュビッツ解放の記念日で、毎年現地のアウシュビッツで記念セレモ二-が行われ、1945年1月27日に、このアウシュビッツはソ連赤軍によって解放されたので、必ずロシアはこのセレモ二-に招かれ参加していたのだそうですが、今年は呼ばれなかったそうです。クラスフェルドは、こういう風にロシアをのけ者にするのは残念だ。ロシアはユダヤ人を救ったが、ウクライナはユダヤ人を抹殺したナチスと結託した政治体制があったところだ、ウクライナはOTANではないし、EUは平和と反ナチズムの目的で作られたのに、ヨーロッパ自らが第二次世界大戦後、最大の危機に突入することは馬鹿げている、ウクライナはロシアには勝てない、兎も角不毛の戦争を止めて交渉のテーブルに先ず着くことが大事である。バイデンとプーチンの個人的戦争に巻き込まれることは本当に馬鹿げているし、これほど危険なことはない というものです。
私も彼に意見に賛成です。
大変言葉が足りないのですが、取りあえず思うところをそのままにお伝えいたします。

乱読報告ファイル (40) 丸山眞男の時代    (普通部OB 菅原勲)

丸山眞男と言う政治学者はいささか気になっていたが、例え読んだとしてもチンプンカンプンで全く分からないだろうと、敬して遠ざけて来た。従って、中公新書ならもう少し分かり易くしてくれるだろうと思いきや、やっぱりさっぱり分からない。

戦前、日本にも赤狩りに近いことがあった。その主導者は、慶応義塾大学予科教授、国士館専門学校教授、右翼思想家、反共主義者、蓑田胸喜(ムネキ)。特に、帝大の教授をやり玉に挙げて、それこそ名前の狂気のように赤狩りを行った。その主な犠牲者は、美濃部達吉(東大)、滝川幸辰(京大)、大内兵衛(東大)、津田左右吉(早稲田大)、末弘厳太郎(東大)などと言った錚々たる連中だ。しかし、最終的に、ご存知の通り、日本全体が右傾化して、彼はその中に埋没し、最後は役立たずとなって、「狡兎死して走狗煮らる」(これは、すばらしい兎も捕り尽くされれば、猟犬は不用になって鍋で煮られることから、 人も不用になれば惜しげもなく捨てられることを言う)となった。戦後、最後は縊死することになる(著者の竹内洋が中心となって、蓑田の価値を再評価し、論文を編んで全七巻の全集にしている)。丸山はその対象にはならなかったが、この赤狩りを目の当たりにしている。余談だが、後の慶応義塾大学文学部教授、奥野信太郎によると、蓑田の講義「論理学」は、その殆どが、マルクス主義への攻撃と、国体明徴(統治権は天皇にあり)に終始し、試験には明治天皇の御製を三首書けば及第点が貰えたそうだ。

戦後は、1960年の安保闘争に尽きる。しかし、左翼全盛時代だったとは言え、今にして思えば、死者(樺美智子)まで出した、あのキチガイ沙汰は果たして何だったのだろうか。

全学連は安保に反対し、丸山は、むしろ強行採決が民主主義に悖ると主張したことから、丸山は全学連から吊るし上げられたことがある。採決を強行した首相・岸信介については、満州時代を含め毀誉褒貶はあろうが、当時、彼がやったことは正しかったし、今、日本があるのも安保のお陰だ。評論家、江藤淳は、「“戦後”知識人の破算」(文芸春秋、1960年11月号)で、「戦後という(知識人の)仮構をとり去ってみるがいい。日本を支えて来たものが生活する実際家たちの努力で、それを危地においやったのが理想化の幻影であったという一本の筋が今日までつながっているのが見えるであろう」、と喝破している。

余談だが、岸(首相)と対峙してデモを主導した元全学連のリーダーは、岸が没した際(1987年)、「あなたは正しかった」という弔文を書いてその死を悼んだと伝えられている。

当時、安保に反対した輩たちは、現在、日本がおかれている環境、即ち、核を持ったロシア、北朝鮮、中国などのならずもの国家に取り巻かれていることをどう判断するのだろうか。やっぱり、そして、依然として、安保は戦争に巻き込まれると妄想しているのだろうか。しかし、彼らの思った通りの日本になっていたならば、国を誤まった方向に持って行っているのは間違いない。

結局、丸山を語ることは出来なかった。これ偏に、小生が誠にボンクラで、丸山の言説を全く理解できなかったからに他ならない。縁なき衆生は度し難し、か。しかし、悔し紛れに、翻って言うと、江藤の言うように、小生の如き一般大衆にとって丸山の言説はいか程の価値もなかったことになる。

(編集子)会社時代、ある大掛かりな事業計画に関わって、名前を言えばだれでも知っている、日本を代表するビッグビジネスの実力者と近づきになったことがある。その会社ではだれでも知っている剛腕の持ち主だったが、ある席で、”中司さん、私は学生時代はちょっと知られたものでね” と自慢げに話をはじめた。安保改定騒動から浅間山荘事件といえば我々の時代では忘れることのできない、我が国でのみ起き得た事実だが、かれは当時極左で知られた大学での運動家で、グループの首領格だったというのだ。その人物が当時彼らの用語で言えば米国帝国主義・ベーテ―の、その典型たる米国のビッグビジネスとの融合計画を主宰する立場にいる、というあたりが日本における左翼運動の実態なのかな、と振舞い酒をご馳走になりながら思ったものだ。

スガチューに言われて思い出したことがある。当時の大学に左旋風が吹き荒れていたのはご存じの通りだが、三田の山ではその吹き方も激しくはなかった。しかし ”君たちも社会思想の学徒であれば、今の社会に参画しないでいていいと思うのかね” と、ゼミの助手先生にたきつけられ、ゼミ友の翠川幹夫とふたり、(そおーっと、めだたねえようにな)と言い合わせてデモの集合場所へ行って、(めだたねえように)と列の最後尾にならんだ。しかしなんと、その隊列は途中で反転し、(おい、やべえぜ、こりゃあ)という間もなく、あっという間に我々はケーシチョーは桜田門正門へなだれ込む先頭に立っていた。(写真にでも写ってたら、就職できねえかもなあ)としょげたものだった。結果、ふたりとも文字どおりベーテーに碌を食む生活になったのだが。

エーガ愛好会 (188) 明日に向かって撃て  (34 小泉幾多郎)

「明日に向って撃て!」は、組織的権力に対抗する個人的力で銀行強盗や列車襲撃等を繰り返した実在のアウトローをモデルに、その自由奔放な生き様をユーモラスにシニカルに描き、アメリカンニューシネマの傑作と言われている。

監督はジョージ・ロイ・ヒルで、確かに華麗なノスタルジーや洒落た映像美等モダンな感覚で描かれたアウトローの逃避行は、懐古というノスタルジーと正反対の新感覚の青春西部劇と言えるかもしれない。その結果は、アカデミー賞ノミネートに、作品賞、監督賞、音響賞。受賞には脚本賞ウイリアム・ゴールドマン、撮影賞コンラッド・ホール、作曲賞バート・バカラック、主題歌賞雨にぬれても からも窺い知れる。

冒頭モノクロ映像、「これは実話に基ずく」という字幕から始まり、野外の陽光でモノクロからカラーへ。新時代の自転車での野原の滑走はバート・バカラックの「雨に唄えば」とのマッチングは新感覚そのもの。実在のアウトロー、ブッチ・キャシディに、当時脂の乗ったポール・ニューマン、サンダンス・キッドに新進気鋭のロバート・レッドフォード、各々両雄が役を楽しみ乍ら奔放に愉快に演じている。強盗等やることは自業自得で厳しいが、ブッチとサンダンスの会話がユーモラスで何故か憎めないし、演技も飽く迄陽気で明朗且つリズミカルで、何となく軽い気持ちで見ることが出来る。物語は一言で言えば、主人公の二人が逃げて逃げて逃げまくるお話。

其処に、エッタ(キャサリン・ロス)という女性が加わるが、三角関係にならず、華やかさと気品が画面に広がり、ロマンティックな風味が加わる。広大な西部の平地、岩や山を駆け巡り、進退窮まれば眼下の渓流に飛び込んだりして、結局追手の影が忍び寄り、西部劇の象徴的な舞台から南米へ追いやられ、ボリビアに辿り着く。英語が通ぜず、エッダに教わった片言のスペイン語で銀行に押し入ったが、まるきり通じない。未来に希望を失ったエッダが帰国した後、ボリビアの軍隊と警察に追われる身となったブッチとサンダンスは、オーストラリアへの夢を語り合うと重囲の中に躍り出る。一斉射撃の砲火が集中するとストップモーション。一瞬から永遠へと昇華したのか。時代に遅れて来た二人に無法者の最期は、生き様は半ば喜劇的ではあったが、喜劇的要素が悲劇の要素の度合いを増幅したのではなかろうか。

乱読報告ファイル (39) 再読: 深夜プラスワン

ホームズもルパンも明智小五郎(乱歩の怪奇趣味小説ではなく少年少女向けの)も普通部で卒業していた編集子にミステリー、というものの存在を吹き込んだのは小生より何年もオトナだった、菅原勲である。もし高校進学の時、彼と同じクラスにならなかったら、ミステリなぞという迷路にはまらずに小生も当時品行方正なる若者の辿るべきとされていた道どおり、ジャンクリストフだとか魅せられたる魂だとかドストエフスキイなんてものをさかしらに論ずる嫌味な高校生になっていたに違いない。スガチューにはやはり感謝すべきだろうか。

ともかく、編集子が(どんなものかな)と手に取った、ミステリ古典第一号は英国文学の巨峰、A.E.メイソン の ″矢の家” だった。推理小説としてはその道の通の評判はよろしくないというか、あまり聞かない作品だが、この1冊がそもそもの始まりだった。ただ、僕が菅原道に踏み込んだのは、今考えてみるとこの本のミステリとしての完成度とか、トリックのすばらしさなどではなく、この翻訳の文体が醸し出した雰囲気だったような気がする。原作が持っていた(原書を読んでいないので想像だが)はずの、当時の高級社会のもつ陰鬱さとか、時代というものを感じさせる、形容しがたい感覚だったのだ。しかし当時はそうだとはわからず、(俺にはミステリがむいてるらしい、などと思い込んで)気がついてみると推理小説百選にでてくるような名作リストを片っ端から乱読し始めていて、大学へ進んだころの本棚にはハヤカワポケットミステリ、通称ポケミスがずらりと並んでいた。

クリスティやらクイーンの代表作を読み終え、古典名作とはいえ鼻持ちならない衒学趣味だらけのヴァン・ダイン12冊をなんとか読みえたころ、ぶつかったのがハードボイルドミステリ、というものだった。きっかけはお定まりの 長いお別れ。これを読んだのはちょうど大学を卒業するくらいだっただろうか。サラリーマン時代はすこしそのペースが落ち、引退後、これからの余生の楽しみ方を模索しているとき、まだ残っていた闘争心のはけ口として(原書でミステリを読む)というアイデアが浮かんだ。翻訳を読み、それとなく原文と和文とを比べて見たりすることも増えてくると(どうもこの日本語が気にいらねえ)と思うことが増えた。もちろんプロの作品だから誤訳だのなんだのという次元ではなく、読後にのこる感じ、という程度だが、この感覚が”矢の家” で感じたものとはどうも違うことがあるのだ。

それを一番感じたのが、一時、ミステリファンの領域を越えて流行小説みたいな売れ行きを記録した、かの ロバート・パーカーの スペンサー シリーズ である。チャンドラーともマクドナルドとも違い、まさに現代アメリカ、を描いたこのシリーズは全巻、本棚の一角を独占しているのだから、愛読した、と言ってもいいのだが、菊池光、という著名な翻訳者の文体、とくに会話が不自然に聞えて仕方がなかった。この人は翻訳者の中でも著名な大家なのだが、最近、たまたまグーグルで調べ物をしていた時、この人の翻訳には高名な文学者や翻訳者のなかにも、議論があることが分かった。ある人は (気に入らないから一切読まないことにした)と言っているのに違う大家は(特に会話の部分がいい)とのたまうではないか。そうか、素人の直感もまんざらではないか、と思いはじめていたところ、酔い覚ましに立ち寄った本屋でギャビン・ライアルの出世作 深夜プラスワン の新訳をみつけ、もう一度読もうという酔狂な気を起こした。この本はだいぶ以前、内藤陳なんかが雑文を書きまくっていたころ、興奮してこれぞハードボイルド、と騒ぎ立て、事実、ハヤカワが出した読者選出ベストテンではこの分野で第一位になったりした作品であり、日本での初訳が上記の菊池光だったことを思い出したからだ。菊池本とこの本(翻訳者は鈴木恵氏)がどんな違いを持つのか。鈴木氏はこの版のあとがきで、菊池訳を ”……その切りつめた独特の訳文” と評しており、さらに ”…..翻訳というのは、後から来るもののほうが有利である” としてうえで、”冒頭の一文、パリは四月である、は菊池氏の訳文をそのまま拝借した” と言っている(原文は It was April in Paris,so the rain  was’t as it had been a month before..)。このあたり、プロの世界の感覚は素人にはわかる訳もないのだが、ある種の対抗意識がほの見える気もする。

前触れが長くなった。”深夜プラスワン” の著者ギャビン・ライアルは英国空軍のパイロットだった経験があり、それを生かした小説、 ”ちがった空(The wrong side of the sky)”でデビューし、2003年になくなるまで15冊の作品があり、小生は知らなかったがノンフィクションを除くすべてが翻訳されているということだ。この作品の主人公、第二次大戦中英国情報部の腕扱きだったマイケル・ケインがパリのカフェで戦時中に使っていた偽名で呼び出しを受けるところから話は始まる。この時使われたキャントンという偽名というかコードネームは作品の中でしばしば使われ、ケインの持つ二重の存在を効果的に意識させる。ケインは電話をかけてきた旧友から、ある重要な人物をリヒテンシュタインまで護送するという仕事を依頼される。現在とは交通体系も違うし、なにか秘密のある(同時にフランス官憲から追われているらしい)人物の国境越えを無事に済ませるためには、空路ではなく陸路を行かなければならないということなのだが、重要なのは指定された日のうち(深夜零時まで)に現地につく、という事が必至な護送なのだった。ケイン本人にも明らかでない事情があり、本人が襲撃される危険もあるということで、その間の護衛としてケインのほかにフランスの暗黒街では著名なガンマン、ハーヴェイ・ラヴェルが同行することになる。ミステリなので筋を書くわけにいかないのは毎度のことだが、フランス国境にさしかかるあたりから見知らぬ敵から襲撃を受ける。ケインは戦時中反ナチグループを支援するために滞在していた村を訪れて支援を頼むが、当時ほのかな恋愛関係にあった女性と再会する、という場面もある(これがお定まりのハピーエンドにならないあたりもHB的で好ましい)。

さて、詳細は別として、筋も結論もわかっていてなおミステリを読む、というのはある意味で難しかった。だが予想した通り、鈴木訳は菊池訳よりも特に会話のやり取りがスムーズで、不自然さが感じられなかった。これは予期通りだったと言える。鈴木氏はこの小説にハードボイルド、という烙印は押さずに無難に冒険小説、という位置づけをしている。この二つがどう違うか、などというのはかなり身勝手な話であり, どうでもいいのかもしれないが、なにせ読者ランキングでベストワンになったり、早川の ”冒険スパイ小説ハンドブック” の ”好きな脇役” の第一位はこのハーヴェイ・ラヴェルだということをみると、やはり何か、ふたつのジャンルには差を論じたくなる、違う雰囲気がある、ということなのだろうか。

”ハードボイルド” とは何か、については今更論じることはしないが、HBと定義される作品は文体とともに作品の主人公が 非情に徹する という行動原理に生き、片方では 自分の存在はわすれても友情とか義理とかに忠実である というストイックな感覚を持っていることが欠かせない。この 深夜プラスワン が冒険小説であるとともにハードボイルドの傑作のひとつに挙げられるのはこの最後の点だということを再認識した。この本、現在新品で入手できるのはこの鈴木訳の早川文庫版のものだけのはずだが、そのページで言えば416頁からの5ページ、終末までの題34章がそのすべてだ、と僕は考える。今回再読してみて、やはりプラスワン、は優れたハードボイルドなのだ、と納得した。だから何だ、と言われても困るのだが。

僕が最も気に入った、この本の最後をしめくくる一節を紹介しておく(ここまで来てはじめて 深夜プラスワン、の意味が分かるのもしゃれた結末だ)。

It was still snowing gently. Halfway down the mountain I rememberd that I’d never collected my pay – four thousand francs. I kept going but looked at my watch. It was a minute after midnight. Ahead of me, the mountain road was a dark tunnel without any end.

(雪はまだ静かに降っていた。山を半分下ったところで、残金の四千フランをもらっていないのを思い出した。そのままはしりつづけながら時計を見た。零時一分過ぎだった。前方には山道が終わりのない暗いトンネルとなってつづいていた)

(安田)小生の場合、ここまで読書にジャンルを絞り傾倒したことはない。これは説得力のない言い訳だが、中学・高校・大学受験は思春期の感受性豊かな時期、3年毎に邪魔が入った一面もあった感が強くする。団塊世代のそれは尚更熾烈で受験前々年あたりから学校と同僚生徒たちは受験モードだった、と懐古する。

勿論、本人の選択判断次第であろうが、矢張り勉強以外で自分の好きなことに相対的に多くの時間を割く選択が可能であり、実際に時間をかけてきたであろう中・高・大一貫校生徒を羨ましい、とさえ思ったものだった。切磋琢磨、刺激しあう 肝胆相照らす友 と巡り会うチャンスも、きっと多いのだろう。ブログ上言及された菅原さんはそんな親友のお一人でしょう。生まれ変われるのであれば一貫校で学びたいとは思う。

そんなハンディ(?)を背負いつつも、僕が好んで読んだのは歴史小説であったろうか。長年かけて殆どの著書を読んだ司馬遼太郎、塩野七生が僕にとっての双璧。他はとても網羅仕切れないが、若かりし頃は、山岡荘八「徳川家康」、吉川英治「宮本武蔵」「三国志」「新・平家物語」「私本太平記」、海音寺潮五郎「天と地」、大佛次郎「天皇の世紀」、子母沢寛「勝海舟」、山本周五郎「樅の木は残った」、井上靖「風林火山」「敦煌」「天平の甍」「おろしや国粋夢譚」など愛読した。池波正太郎、野村胡堂、五味康祐、柴田錬三郎などの時代小説・武芸ものなどもつまみ食いしていた。

僕の楽しみの一つは、歴史(小説上であっても)を遡って辿り謂わば時間軸上の歴史の旅を放浪しつつ、それと地理的な水平の放浪の旅をドッキングさせ、人間が編み込んだ綾に想いを巡らせることだ。