棟方志功展開催中   (普通部OB 船津於菟彦)

今、竹橋の東京国立近代美術館で「棟方志功生誕120年」展を開催しています。
掌サイズの絵葉書から、公共の建築空間の⼤壁画まで、「板画」の可能性を広げ、様々なメディアを通じて「世界のムナカタ」が社会現象になるまでの道程─「メイキング・オブ・ムナカタ」を辿る⼤回顧展です。
一心不乱に版木に向かう棟方の姿は多くの人々の記憶に刻み込まれています。棟方が居住し、あるいは創作の拠点とした青森、東京、富山の三つの地域は、棟方の芸術の形成に大きな影響を与えました。棟方の生誕120年を記念し、棟方と富山、青森、東京の各地域の関わりを軸に、板画はんが(自作木版画の呼称)、倭画やまとが(自作肉筆画の呼称)、油画あぶらがといった様々な領域を横断しながら、本の装幀や挿絵、包装紙などの商業デザイン、映画・テレビ・ラジオ出演にいたるまで、時代特有の「メディア」を縦横無尽に駆け抜けた棟方の多岐にわたる活動を紹介し、棟方志功とはいかなる芸術家であったのかを再考します。

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ヴェネチア・ビエンナーレでの受賞をはじめ、「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た版画家・棟⽅志功(1903-1975)。1903年(明治36年)9月5日 – 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。従三位。最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。青森県青森市出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、棟方は版画を「板画」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる。墨書や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している。

青森時代の肉筆画はゴッボに憧れ、沢山の肉筆画を描いたが帝展にどれも落選。ムナカタは日本は版画-浮世絵だ。と感じて版画-板画-を製作開始。国画展に出品した『大和し美し』(やまとしうるわし)が出世作となり、これを機に柳宗悦や河井寛次郎などの民藝運動関係者や、保田與重郎や蔵原伸二郎などの文学者たちとの知遇を得、棟方の芸術も彼らから多大な影響を受ける。

第二次世界大戦中、富山県に疎開した折に触れた浄土真宗の影響で。「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」(おんにがびゃくどうのさく)「我建超世願」(がごんちょうせがん)「必至無上道」(ひっしむじょうどう)などの仏教を題材とした作品が有名である。後世に遺るあの「二菩薩釈迦十大弟子」を一気に下絵も無く作ったという。一部戦火で板画を消失して1948年に改彫しているので摺り方とかで二菩薩の図像が異なる.今回の展示は改彫前の東京国立近代美術館蔵のものが展示されている

1974年(昭和49年)1月、平凡社『別冊太陽』のために、倭画『禰舞多運行連々絵巻』を描く。3月から8月にかけて、毎日映画社にて記録映画『彫る 棟方志功の世界』を撮影。5月には1972年から始めた松尾芭蕉の「おくのほそ道」紀行が完結。6月には『棟方志功油画展』(油彩)を開催した。7月には名前を志功から志昂に改名するが、半年ほどで元の名前に戻した。同じ頃、八戸市公会堂のための緞帳をデザインする。この夏に日本で制作した最後の板画作品となる『不盡の柵』(むじんのさく)を制作。8月5日、青森市の三内霊園に自身と千哉子夫人の生前墓を建立するため、墓碑の版下スケッチを描き、『静眠碑』(せいみんひ)と名付けた。これは崇敬していたゴッホの墓を模した夫婦連名の墓となっている。9月17日から10月15日まで、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載。10月18日に渡米し、約一か月間ダラス、セントルイス、ニューヨークなどで板画展を開催、グッドマン夫妻とも再会を果たした。棟方は各大学で「日本の禅と美」というテーマで講義を行ない、ニューヨークではリトグラフを制作した。

1975年(昭和50年)3月、大縣神社に絵馬を奉納する。4月26日に退院し、5月には安川電機製作所のカレンダーとして、富山県南砺市の瞞着川の河童を描いた1943年(昭和23年)作の板画『瞞着川板画巻』(だましがわはんがかん)全三十四柵より十三柵を選んで彩色を施すが、これが最後のまとまった仕事となった。同じ月に棟方は絶筆となった倭画『白木観音 四万六千日のための観音像』を描き、6月5日に瞞着川の彩色板画についての口述を残したあと、9月13日に肝臓がんのため東京の自宅で死去。72歳没。同日付けで従三位に叙された。戒名は華厳院慈航真𣴴志功居士。

棟方の亡骸は生前の希望通り、青森市の三内霊園にある「静眠碑」に埋葬された。静眠碑の背後にある久栗坂石の石碑には、以下のように『不盡の柵』を刻んだブロンズ・レリーフの銘板が嵌め込まれている。

志功 盡シ得ス マシテ悲愛ヲ 歡喜モ 驚異モ

棟方がこの碑文について語った言葉が残っている。

驚いても オドロキきれない
喜んでも ヨロコビきれない
悲しんでも カナシミきれない
愛しても アイシきれない
結局、無限なんですよ。未来永永ですよ。