温泉は度々洪水に見舞われた歴史から、 その奥に防災用の奥四万ダム湖が作られましたので、 温泉に行く前にまずそれを見に行きました。 周囲の山はまだ紅葉していませんでしたが、 まずその水の色に感動;「青の湖」は北海道、 富良野にもありますが、ここはその比ではありません。 見事なトルコブルーなのです。 ダムの上流にある温泉のためにこの色になったそうです。 写真左の高台に展望台があります。
そのあと積善館に行きました。 玄関には川の上の赤い橋を渡ります。 この旅館の発祥は1691年(元禄4年)で、 1694年に湯宿として旅籠宿を開設し、15代目の当主が『 積善の家に余慶あり』と旅館の名前を積善館としたのだそうです。 明治に至るまで温泉客はなんと200年以上もの間馬と徒歩でやっ てきた、という時代を経てきたのです。その当時、湯治客は2週間 ー1ヶ月は滞在するつもりで、馬の背に食料、 布団を積んではるばる徒歩で峠を越えて温泉に来て、 ほとんどが自炊したそうです。 そのうち叶屋という食材屋の注文取りもできたようで、 食材の通帳まで作ったものが残っています。 現在ある本館はその当時の建物で入り口付近に「 馬を繋いで磨り減った柱」が今でも立っています。
写真右の川に面した一階の建物は昭和5年に玄関前に建てたコンク リートの「元禄風呂」です。 その上に木造の欄干のある部屋が乗っています。 元禄風呂は現在も使用可能で、私も入ってきました。 湯船は5つもあるので、中に入ると個人風呂の気持ちになります。 また右の壁下に1畳ほどの大きさのタイル張りの半座位の寝床がつ いた個室「サウナ」(温泉の高熱蒸気でサウナになる) が二箇所あるのには驚きました。しかし体が洗えないので、 近年シャワーコーナーも一箇所作られています。脱衣室はなく、 温泉の中に着替え所がありました。 上が丸いデザインの窓はとても明るく、 昭和初期にはとてもハイカラだったでしょうね。( 入浴中は写真に撮れないので、 下記の風呂の写真は旅館の案内に使用されたスライドです。 写真の右は当時丸窓を作るときに参考にした外国の温泉のようです )
本館の玄関に入ると「番頭部屋」 と札があるところが旅館の受付です。その隣には「帳場」(会計) があって、昔使ったたくさんの「勘定元帳」が下がっています。 右側には大きな金庫も据えてあり、 中央には古い火鉢が置いてありました。
その右の部屋は「オジョウダン」と言われる「上段の間」 があります。10センチほど高く作られた8畳間で、 細かな格子で装飾された欄間、 障子と掛け軸の下がる床の間があり、 身分の高い代官やその手下が泊まった部屋のようです。
積善館本館は赤い橋を渡りますが、 付近の道は狭いので車は通れません。 車は少し手前の川岸の共同駐車場に無料で置くことができます。
現在の積善館は三種類の建物に分かれています。 最も古い本館はまだ宿泊もできます。 また本館内には昼食処も新しく作られ、川の向こうの棟には「 週末用の昼食処、「薬膳や向新」まであります。 本館の裏の山の上には昭和11年にトンネルを掘って増築建設され た「山荘」がエレベータでつながっています。 この建物の部屋は古びたように見えますが、 欄間の装飾がたくさんあり、一見の価値があります。 さらに昭和61年にはその上の松林の中に新しく増築された「 佳松亭」があり、大きな露天風呂のある大浴場があります。 宿泊者は三つの棟のどの温泉にも自由に入れるようになっています 。本館の入り口は狭いので、 佳松亭に入るには道路から迂回した別の道を通ると本館とは別の駐 車場があります。
私はその8階、 最上階の部屋に運良く予約が取れたので泊まってみました。 巨大な赤松の幹越しに温泉を見下ろす日本間と露天風呂付きベッド ルームの部屋の広さは半端ではなく、 凝った和食料理は素晴らしいものでした。 しかし古い温泉の歴史が好きな方はぜひ本館に泊まってみることを お勧めします。
(保屋野)四万温泉の「積善館」、旅行好きには一度泊まりたい憧れの旅館の一つですね。見聞記ありがとうございます。四万温泉には、もう一つ、昔「美人女将」で有名だった「やまぐち館」もあり、どちらにするか迷うところです。
積善館に似た(文化財建物の)旅館が湯田中・渋温泉の「金具屋」で,一度泊まったことがありますが、やはり建物、設備等が古く、イマイチだった記憶があります。私が泊まったことがある、数少ない高級な有名温泉旅館は、和倉温泉の「加賀屋」、山田温泉の「藤井荘」、かみのやま温泉の「古窯」等ですが、最高だったのは、鹿児島・妙見温泉の「石原荘」です。機会があったらぜひ泊まってみてください。