TQCって覚えてますか?

正月早々に、勤務先であった日本(創立時点の“横河”のほうがいいのだが)ヒューレット・パッカード社元社長,笹岡健三さんの訃報が届いた。京都大学出身、横河電機時代測定器技術部門のエースとよばれた方だったが、京大スキー部のファウンディングメンバーでもあり、仕事のほうは当然として、スキー仲間として目をかけていただき、プライベートにもいろいろとお世話になった先輩である。

このようないわばプライベートな事柄を書くのは、笹岡さんとTQCという活動が切っても切れない関係だからで、同氏の訃報を聞き、一番に思い起こしたのがそのことだったからだ。80年代後半から90年代まで、日本の実業界、特に製造業の有為転変に深いつながりをもった“TQC”, ご存知ない方に解題しておくと、Total Quality Control、 日本語訳が何だったのか、忘れてしまったが、モノづくり、ひいては企業経営の中心軸に”品質(Quality)”という概念を据え、”品質”とは出来上がった製品の出来栄えのことだけを指すのではなく、そのような優れた品質を生み出すすべての(Total)企業プロセスが最終顧客の要求に合致することを目標に組み立てられるべきだ、とする経営思想、というべきものだ。それが、登り坂にさしかかり、世界市場を相手にすることになった日本の、とくに製造業の経営陣にアピールし、その思想の発案者である米国のデミング氏にちなんで”デミング賞”なるものが設けられ、各社がその獲得を一つのメルクマールとしてしのぎを削った。日本(当時は横河)HP社は、”外資系企業“のデ賞一番乗りを果たした。その牽引車が笹岡さんだったのである。

先回、“CLASH”ということを書いたときに触れておいたが、当時の我々のあいだにわだかまっていた米国企業崇拝思想のゆえか、デミング理論そのものが米国における先進的な理論であるように受け取られていた。その中に据えられていた数理的な取り扱いがいわゆる伝統的な”日本的経営”(なんだかよくわからないものの当然視されていた)に対するアンチテーゼとして技術者出身の笹岡さんには大いに共感するものがあったのだろうと思われる。ただ、誠に面白いというか今振り返れば皮肉としか言えないのだが、デミング氏が言いたかったのはそれまでの、フォードに始まるベルトコンベヤー的、機械的なアメリカ企業の生き方に対して、より人間的な、ソフト面を重視した考えの必要性であって、それを立証する一つのすべとして、米国人に受け入れやすい”数理”を持ち込んだのだ、ということ、その意味ではデミングが日本的経営の在り方を高く評価していた、ということもかの“CLASH” を読んで初めて理解した。

その意味では、この“TQC”の咀嚼方法が、当時運動の展開に取り組んだ経営学、経営工学の学者たちによる啓蒙活動ではじまり、もたらされた展開手法が時として現実離れした理想追及第一になり、専門家(とわれわれは信じ込まされていた)先生方の権威主義的な”指導“だったことは、実は”日本的経営”の手法そのものだったと思える部分もあった。そのありように反抗し、僕のもともとのアマノジャク性格が災いして、マネージャ層にあって“ジャイはアンチQC人間だ”と危険視されていたことは否定しない。このあたりの事情は、CLASHの項について投稿してくれた坂東正康君がいみじくも喝破したように、戦前の“八紘一宇”的だった、というのは正鵠を射ているかもしれない。

しかしこんなことはどうでもいいので、ここで話題にしたいのは、昨今の重大問題である大手企業のいわば“品質詐称”とでもいえる行動のことである。僕が知る限り、対象となっている”被告“はいずれもTQCの洗礼を受け、多くの場で我々の先輩的立場にあった企業だから、また、大規模なプロセス管理を実施しているところだから、”製品そのもの“が粗悪なものである、とは考えにくい。問題は”実績重視“、といえば格好いいが、要は数字を割り付けられた中間マネジメントが苦し紛れにとった、数字合わせのための一種の反逆的行動だということだ。これが日本のみならず、”ドイツ的品質”と礼賛されたヨーロッパにも同様のことが起きている、ということも、現在世界を席巻している”グローバル企業”の在り方、その根源にある”アメリカ的“な経営、というか思想の問題ではないのか、ということである。

僕が尊敬する大先輩横河正三さんがかつて”アメリカ人てえのは英語をしゃべるキリストだからなあ”と慨嘆されたことがある。デミングが指摘したように、アメリカの社会、”国民”のアイデンディを持たない人間の集まりで唯一通用するのは”数字“である。それが確かにある場、ある時代には先駆的な思想であった。そのことが”グローバル”であることは”アメリカ的“である、あらねばならない、というのが、今の先進的(と思われている)企業の”グローバリゼーション”の現実である。その先駆者のひとつであった、より詳しく言えば創立者ヒューレット、パッカードが率いていたころのHPはThink Global,Act Local ということを標榜していたし、我々も大いに納得していたものだ。 しかし”グローバル企業”の先頭を切ったHP、まだ規模の小さい時点ですでに”ワールドワイド企業”とされていた、僕らの知っていたHPという会社、かつてはアメリカ企業の社会的責任も含めて、“Most admired company” ベストテンの常連だった会社は変貌してしまった。というか、発展的解消なのか四分五裂なのかわからないが、なくなってしまった(社名だけは残っているが)。この事実もまた、問題になっている企業群が示した”数字”一人歩きの結果のように思えてならないのが、引退してほぼ20年、一OBの取り越し苦労ならいいのだが。

笹岡さんご自身、本体のHPにTQC思想を喚起しようと懸命に努力されていた。当時のHPには経営のバイブルとして”会社の目的”(Company Objectives)というものが存在した。その一項目にはじめて Quality という単語が記載されたとき、”巨艦ついに動けり”と喜んでおられたのが鮮明な記憶としてある。

先輩、安らかにお眠りください。

山荘について   (42 松本好弘)

僕の考え  (41 久米吉之助)

昨日、足柄峠に近い「矢倉岳」を歩いてきました。無風快晴という好天に恵まれ、眼前に富士を、眼下に小田原御殿場などを望み、実に気持ちの良い忘年登山でした。

三国山荘の件、KWV三田会の現執行部で何らかの方向付けをしたいという動きには大いに賛成です。具体的にどう進めるのか、進め方に対する笹田君たちの方針を示してもらい、私たちにできることは協力していきたいと思います。以下、小生がポイントと思うことを列記します。

現山荘を維持することに努めることは意義深く価値のあること

現役の活動拠点として(今はないが現役の考え次第ですぐにでもなり得る)、OBと現役の交流の場所として或いはOBの良き思いでの場所として、現山荘を維持活用することは大切な事。

現役・OBで組織された山荘委員会の活動など今後も維持することに努めてほしい。

今までこれらの任にあたってきたOB層も、山荘を造ってきた世代(建設、増改築、焼失後の再建など)から、造る事には直接関わってはいないが現役時代山荘が活動の拠点となり頻繁に山荘を利用してきた世代(現在の中心世代か)に移り、早晩現役では山荘を離れた活動が中心で山荘の利用頻度の少ない世代に移行していくことになり今以上に難しい問題が出て来ることも考えられるが、山荘がある限りその維持に腐心して欲しい。

財政的には10~15年程度は何とかやっていけるのではないか。

現役が山荘を拠点とする活動を増やせる策を検討できないか。

現役・OBが維持活動を続けることが、気持ちの上で大きな負担にならないよう衆知を集めることも必要。

当面は今までの流れに沿い、現山荘の維持・活用に知恵と力を集めて欲しいと思います。皆様のご意見、考えも是非お聞きしたいと思います。

ただそれらをブログ上とかメールでのやりとりでというのは、私は自分の技量の問題もあり、やはり顔を見ながら議論を進めていただきたいと思うこと切です。

スー・グラフトンが亡くなった

大晦日、読売新聞はスー・グラフトンの逝去を伝えた。年の終わり、惜しまれつつ旅立った人の話が特集されるのが常であるが、僕にとって今年はグレン・キャンベルとともに惜しまれる、二つ目の別れだ。

女性のミステリライタは大御所アガサ・クリスティをはじめ数多いが、ハードボイルド・タッチの作品を書いた人としては筆頭に挙げられるだろう。八恵子は女流作家の本を中心に読んでいるが、本棚の一角はルース・レンデル、サラ・パレッキとならんでグラフトンのシリーズが並んでいる。グラフトンは本のタイトルをすべてアルファベット一文字ではじめたことで有名で、彼女の本箱にはAからRまでが並んでいるのだが、Sを探すあたりでどういうものか翻訳が出なくなってしまった。シリーズ翻訳者の都合なのかどうか、はたまた、原著者が約束通りZまで書き続けるのか、二人でやきもきしていたところだ。 A is for Alibi (アリバイのA、嵯峨静江訳)で始まったシリーズは完成まであと一冊、Yで終わったようだ。本人もさぞかし無念であったろうと思う。人間、いろいろと計画をたて野心を抱いてはついえ、あるいは絶望し、あるいはまた次の目標にむかうものだ。グラフトンの人生計画に比べればなんともささやかな挑戦ではあるけれど、目をつむるまでにミステリ原本10万ページ読了、という2013年3月1日にはじめた僕の計画は本日で55、630ページまできた。来年はグラフトンシリーズAからY(Y is for Yesterday)までを目標にすることにし、さきほど、アマゾンに第一回の注文を入れた。AからCまでの合本,5、841円。さあ、お立会い。かかりつけ医のI氏によれば、脳に刺激を与え続けることが認知症予防に最大の効果があり、なかでも外国語を読む(話せればさらに効果あり)ことがイチオシだそうだ。ほんとなら3冊で5000円なにがし、25冊で4万円ばかりの投資はやすいもんだ。18年末に結果がご報告できることを念じて。

つたないブログ、お読みいただいた友人各位に感謝。2018年がいい年でありますように。

三国山荘のこと (40 河合國尚)

三国山荘について  (39 小祝昌樹)

私も最近のKWVがジャンル別に分けたり、全員が集合しない合宿だったり、我々が考えていたワンダーフォーゲル活動とは大分違ってきていると感じています。しかし、今の学生が考えての上の活動ならばそれも時代かなと思います。

三国山荘は主として固定資産税や不動産取得税等の税金の問題から塾の所有名義にし、経費、管理はKWVで責任を持って行うということになっていると理解しています。山荘はあくまでも学生の部活動のためにあり、学生が主体的に運営するものと考えています。

とは言っても、Giさんがおっしゃる通り学生にその意識が薄く意義を感じていないのは困ったものだと心配しています。山荘の将来について三田会執行部が中心となり意識あるOBを集めて意見を聞くというのが良いかと思います。しかし決めるのはあくまでも学生であり、OBはサポートするという立場は守らねばなりません。

三田会の管理とする(実質すでにそうなっている感もあるが)、塾生に広く開放する、管理を外部業者に委託する等々突飛もない案も含め検討してみたらどうかと思います。

私にはこれといった解決策の持ち合わせもなく時間をかけるしかないかなと感じています。

山荘について   (37 菅谷国雄)

熊野古道歩き 別動隊 (47 水町敬)

三国山荘についての意見 (47 関谷誠)

ジャイ先輩ご提唱のKWV挙げての平成年代最後と思われる"国民的議論"に参戦させていただきます。

今までの「ふみあと」を読み返すと、山荘に絡む課題は、初代山荘建築以来60年にわり俎上にのぼっており、結論無き議論だと、はなから内心思うものの、敢えて、"国民的議論"の切っ掛けとして一言二言。

何はともあれ、三国山荘は"現役ありき"で存在するものだと言いたい。1970年の初代山荘焼失後の再建に現役として関わった一人である。当時、何人かの先輩から、開発された浅貝からもっと山奥に山小屋らしいものを作ったらどうか、浅貝はOBがOBの為に再建するとの話もあった。そんな中、オールシーズンでの利用を議論したか定かではないが、少なくとも、部員が140~50人がいた時代、春の五色での春合宿のスキーツアーに初心者でも参加し得る苗場でのスキー強化、積雪期登山の訓練の為の浅貝BH等々、大人数を収容出来、アクセスの良い浅貝に再建するとの結論だった。これもあくまで当時の"現役ありき"での判断だった記憶する。

1994年の現山荘新築にも、一OBとして関わったが、最大の議論は、現役が本当に三国山荘を必要としているかだった。当時、1年生だったW君の涙の訴えもあり、"現役ありき“での前提が新築しようとの結論だった。新山荘は、確かに、OBの使い勝手、快適さも考慮されたと思うが、何はともあれ"現役ありき"が大前提だった。

現4年の渡邊君の投稿で、山スキーなり雪山登山のBC地として山荘は今でも重要だと知って嬉しい限りである。幾ら部員数が減り、"ジャンル別ワンデルング"とかの活動になったとしても、渡邊君の様な"小舎バカ!"がいる限り"現役ありき"の山荘でなければならないと考え、サポートして行きたい。

とは言え、山荘維持の為の労力と費用は大変だ。現役にとり負の遺産とならないようにどうすれば良いか。具体的な回答はないが、小生の短絡的思考で言うと以下が考えられる。

現在のKWV三田会の資産は、山荘積立金を含め、約33百万円あるようだ。年間の必要経費は、「ふみあと」作成代等々を含め、約2.5百万円。この年間予算は、単純計算で、年5千円のOB会費を500人から徴収すれば賄える。今後、会費免除会員が増えたとしても、KWV最後の団塊である小生の47年卒が免除となる約10年後までは回して行けるだろう。今後、「ふみあと」の配布部数も確実に減るだろうし!

又、三国山荘を、今後、改築・新築することはあり得ないと考えるので、極端なことを言えば、KWV全財産を山荘の維持管理に回しても良いのではないか。そうすれば,今後、少なくとも十数年は何とかなるでしょう。

この先、2025年問題を控えており、小生の様な団塊世代が後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳上、10人に1人がボケ老人になるだろうとされており、恐らく、社会構造そのものがどうなるのか分からないでしょう、それこそ"不透明・不確実性の時代"を迎えるだろう。そんな中、今から、将来をとやかく言っても始まらないでしょう。なる様にしかならないでしょう!ケセラセラ!

要は、三国山荘は"現役ありき"で、当面、考えたらどうでしょうか。現状の現役活動に対し、ああせい、こうせいと多くは望まないが、"現役ありき"の三国山荘として主体的に動いてもらいたい。性格は異なるが、遭難対策委員会の様に、現役主体の活動に、OBが、適宜、経験を生かしてのサポート役になれればと思う。

12月高尾月例W (39 堀川義夫)

今月の月いち高尾は、12月の恒例となった野外料理メインのワンデリングで、22名(当日キャンセル2名)参加。新顔は47年の関谷、伊川両君でした。

12月21日(木)、例によって高尾登山口駅に午前10時集合。人数も予定では24名となり、野外料理の関係もあり6名づつ4班に編成して各班ごとに我らが秘密の会場へと向かい、堀川は鍋釜、卓上コンロ、食材等々で15㎏超となり、一人ケーブルカーで会場へ向かう。早い班は11時半ごろ目的地に到着、時間のある方は荷物を置いて薬王院、高尾山頂上へ。ゆっくり組は料理の準備等々、12時30分からの開始に合わせて個々に気持ちの良い冬の高尾を楽しみました。

今日の食材は,女川から直送してもらった4㎏のカキを様々なメニューで食べる「カキづくし」と川名さんの手打ちうどん、

牡蠣のアヒージョ

焼き牡蠣
恒例クリスマスケーキ

他に西澤さん提供の下仁田ネギ、吉牟田さんのゆず、良子さんの虎屋の羊羹、卓上コンロ5台、土鍋とコッフェル等々、山の中とは思えない食材、火器、鍋釜が揃いました。この辺の皆さんの食に対する執念は凄いものです!!

生牡蠣とめかぶ
牡蠣と春菊のソテー

適度の酒と適度の運動で心地よい時間を過ごすことが出来ました。野外料理を食べつくし満足の体で何時もの天狗飯店へ。天狗飯店ではさすがに食べるメニューは少なくしましたが、飲物は普段通り。途中、大塚さんが飛び込んできて一層盛り上がりました。最後はジャイさんが用意してくれたクリスマスケーキとコーヒーで総仕上げ。完了!